この2日間はおおいそぎでセンターテストの問題をといている。

今回は国語について述べる。現代文は、やはり、鷲田清一の文章だ。


出題に困ったら鷲田先生と言われるほど入試に出やすい文章だ。論理的で一見、平易な文章だが、背後に大変な教養があるので設問が作りやすいので有名な方だ。


著作権の問題がやかましいので「身内である」国立大学の教官の文章から今後も出題されやすいであろう。


文中に「いざりながら」と言う言葉が出てくるが、これは放送禁止用語に抵触する。あえて出したのか真意が知りたい。



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問題なのは、漢文だ。今年もマイナー極まりない出典だ。ますます、漢文の受験対策がつまらないものになってしまう。


あえて有名な古典からの出典を避けるのは、特定の教科書や学校の補助教材等に載っていたら不公平だからという意図であろう。

しかし、日本では江戸時代ぐらいまでは「学問をする」というのは「漢籍を学ぶ」と同意語であった。中国の四書五経を学ぶ事は必須の教養であった。


孔子や李白・杜甫を始めとするクラシックを学ばないのなら漢文を高校で教える必要は無いと思う。

漢文を学ぶと言う事は中国の先哲の古典を読むためだと言っても過言ではない。



公平さを保つためというのなら、いっそ、逆転の発想で

漢文は論語からしか出題しないとか、あらかじめ公表したらどうであろうか。





映画の「風とともに去りぬ」で風とともに去ったのは、要するに何なのでしょうか?

    今年花落ちて顔色改まり
   明年花開くとき復た誰か在る
   己に見る松柏の摧かれて薪と為り
   更に聞く桑田の変じて海と成るを
   古人復た洛城の東に無し
   今人還た対す落花の風
   年々歳々花相似たり
   歳々年々人同じからず
  

と漢詩に言う。歳々年々人同じからずというが、小さな個人塾でも今年で19年目だ。UBQ設立初期の元・教え子は40歳近くにはなっている。もちろん結婚していたり、子供を授かっていたりと「人同じからず」である。漢詩の解釈では人が同じからずであって、人は同じからず・・・じゃないのであろうが、それはさておき。


昔の元・教え子から年賀状を頂く。


へぇ。あの子は、今ドイツで研修医をされているのか。

へぇ。あの子は、もう2人目のパパになったのか。

へぇ。あの子は、もお、大学院生なのか。

へぇ。あの子は、パリに留学中か。

へぇ。あの子は、弁護士になったのか。

へぇ。あのいたずらっ子が大学でおしえているのか。


つきぬ思い出が連想繊維によって導かれる。


個人塾経営も悪くは無いものだと感謝の気持ちで一杯だ。



無関係と言うのは言いすぎでした。極限の意味を考えればaの値を直接、考えなくとも極限値が求められると言う意味です。お詫びして、訂正いたします、生徒様からご指摘がありました。 こんな素晴らしい生徒を持っていることに塾講師として感謝いたします。およそ塾講師として生徒様から数学上の不備をご指摘いただけることは 、最高の喜びです

ここで説明した正射影をつかう手法を色々、応用してみると、興味深い。


問題:立方体を底面の対角線について回転した立体の体積は?


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下の立体を考えてください。


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形は次のようになる。曲面部分は回転一葉双曲面である。この立体を外側と内側に分ける。




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外側は正方形ABCDが回転してできたものであるから、以前説明したように底面の正方形EFGHが回転したものに体積が等しい。これは円すいが2つ分である。内側は長方形AEGCが回転してできる円柱であるから合計しておわり。


*なお、当たり前の事であるがUBQで何週間もかけて基本の積分や回転体の考えを説明した上で、この問題だけでも、1時間以上説明している事をブログで説明するのにはどうしても無理がある。実際のUBQの講義をここで忠実に再現する事は不可能であることを理解したうえでご覧になってください。また基本の積分計算による求積ができるものとしての、説明である。


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生命倫理学であまりにも観念的なことを、一方的に主張する人が多いので功利主義的な立場へと興味を移した。功利主義というのは功利的という言葉とは全く異なる。有用性を評価するのに数学的に評価関数を設定するのにも関心があった。わが国における生命倫理学の権威の一人でもあられる「かたぎ則章 (かたぎ は、きへんに堅)」先生と伊勢田哲治先生の編者を頂く「生命倫理学と功利主義」(ナカニシヤ出版)という学術書を拝読した。ナカニシヤ出版というのは一般にはなじみがないであろうが、倫理学に関する学術書を多く出している権威ある出版社である。


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JOHN HARRIS や PETER SINGER のような、まともな学者の意見も援用してある。一読に値する学術書である。ところが序文を見るなり・・・これは問題だ。どうして多くの高名な生命倫理学者の共著でもあるのに加え、編集者はおかしいと、思わなかったのかというところにぶつかった。



同書には、細かい、どうでも良い哲学上の語論がなされているのであるが、そういうこまかい論争を丁寧に読めば「必ずや丁々発止たる哲学的論争の醍醐味を味わっていただけるものと信じている」と かたぎ先生は序文で述べられていらっしゃる。


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倫理学者も筆が滑ったとはこのことである。片言隻語をとらえて批判する気は無い。滑っただけに本音が露見してしまった。他の執筆者はだれも問題視しなかったのか。生命倫理学者の一部は実際の医学基礎研究に介入している意味で、生命倫理学は文学部で唯一、人の生死にかかわる(PSEUDO)学問である。




はっきりと言う。現在の医学においても、まだ治療が不可能な難病に苦しんでいる患者が多くいることは事実だ。それがES細胞の研究を発展すれば、助けられる可能性があると言われている。ところが一方で、その研究は倫理的に問題があるという人がいる。



だから、やむなく、いやいや議論の必要があるというのであればまだまだ理解できない事はない。しかし、「哲学的論争の醍醐味を味わっていただける」という記述は問題ではないか?




議論のための議論を重ねているのであるのか?議論を楽しむのであれば研究室の内部にとどめて頂きたい。倫理学者に質問だ。あなたは難病に苦しむ患者のベット・サイドで「貴方の病気を治すためにはES細胞の研究が不可欠ですが、倫理学上の論争の醍醐味を味わいたいので、無理です」とおっしゃりたいのですか?




・・・・ということを大谷大学大学院で申し上げたら。だれも賛同してくれない。というかこの本の記述のどこがいけないのですか?という一般の声。大谷大学大学院教授に申し上げたら、こういう批判は学問ではないと例によって却下。



海外で、知らない町に着いたら、まずマクドナルドに行くのをお勧めする。

なぜかというとどの町にも「へそ」がある。

町のへそというのは繁華街の中心やバス路線の発着地などである。


岡山市であれば駅前と表町の天満屋のそばなどである。

(岡山の表町のマクドナルドは先般、閉鎖されたようであるが)


マクドナルドというのは、多分、どの国でも立地条件を吟味検討して、出店している

ようである。


飲食店を開業する時は、マクドナルドの場所をまず、調べよと言われているぐらいである。


知らない町に着いたらマクドナルドを探す事にしている。

そうすれば近くにバス・センターやら旅行代理店やらホテルやら銀行

など、必要なものは必ず、付近にあるからだ。


以上は、旅行ガイドにのっていない経験則である。

「UBQ特製:頭の柔らかさを調べる問題」


*食塩水が1000グラムあります。50グラムを捨てて、水を50グラム加えました。次に100グラムを捨てて、水を100グラム加えました。それから150グラム捨てて、水を150グラム加えました。次に200グラム捨てて、水を200グラム加えたところ2%の食塩水になりました。最初の食塩水の濃度は何%でしたか?

佐藤春夫記念館
UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

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熊野速玉神社に隣接して、佐藤春夫先生の記念館がある。


はるかに、はるかに昔のことを思い出した。

この六角形の建物。これは文京区にあった佐藤春夫先生の自宅を、新宮市に、移転したものだ。

はるかに、はるかに懐かしかった。ここで随分飲んだ記憶がある。

18で東京に行ったら、佐藤方哉教授という方が心理学を講義されていた。


全く知らなかったのだが、とある岩波新書をよんでいたら

佐藤春夫の長男だと書いてあるので仰天した。


今の大学生とは、いささか事情が異なると思われるが、

(少なくとも佐藤方哉先生を慕う多くの心理学専攻の学生たちの間では)

当時は、教授が学生を連れ歩いて銀座・赤坂と飲み歩いていた。


(注:文学部は「くくり募集」で、専攻に分かれるのは専門課程(三田)に上がってからのことであるから、以上の学生には未成年者はいるはずはありません)


随分、高級な、お店に連れて頂いたようだが、一度もお金を払った記憶がない。古き良き時代の話なのであろう。


そのまま、佐藤先生のお宅へつれていかれ飲みなおし。

六角形の建物の真下が応接室であったように記憶している。


この応接室で太宰治が土下座をしたのか・・・と思った記憶があるが

今になって調べると確認が取れない。


当時、佐藤方哉先生のご母堂である千代先生がご健在であった。

千代先生といえば、もともと谷崎潤一郎夫人であり、夫人譲渡の

件は文学史でも有名である。


例によって、悪学生どもが、しこたま飲んでそのまま、佐藤方哉先生の

御邸宅に転がり込んだ時のことである。


夜中に小用をたしにいったら、いきなり後ろから誰何された。


振り向くと、千代先生であった。息子がいかに大学教授とはいえ、夜中に知らない学生が歩いているのだから当然のことである。


こんな、昔のことを、思い出したのはわけがある、佐藤先生は、先般

不慮の事故でお亡くなりになられた。痛切の極みである。


行動分析学の権威である高名な学者である事は言うまでもないのであるが、

学問の枠組みを超えて多くのことをご教示賜った。本当に感謝している。


合掌。




以前のブログで(2009年7月24日)で

一つの展開図から出来る立体は一つに決まるのか?

との問題を取り上げた。


ブログの解析をしてみると、かなり注目されているようだ。

実際に立体を作ってみたいという問い合わせも頂いた。


今月の「数学セミナー」(2010年12月号)に全く同じ問題が取り上げられている。

ご関心のある方は参考いただきたい。