熊野速玉神社に隣接して、佐藤春夫先生の記念館がある。
はるかに、はるかに昔のことを思い出した。
この六角形の建物。これは文京区にあった佐藤春夫先生の自宅を、新宮市に、移転したものだ。
はるかに、はるかに懐かしかった。ここで随分飲んだ記憶がある。
18で東京に行ったら、佐藤方哉教授という方が心理学を講義されていた。
全く知らなかったのだが、とある岩波新書をよんでいたら
佐藤春夫の長男だと書いてあるので仰天した。
今の大学生とは、いささか事情が異なると思われるが、
(少なくとも佐藤方哉先生を慕う多くの心理学専攻の学生たちの間では)
当時は、教授が学生を連れ歩いて銀座・赤坂と飲み歩いていた。
(注:文学部は「くくり募集」で、専攻に分かれるのは専門課程(三田)に上がってからのことであるから、以上の学生には未成年者はいるはずはありません)
随分、高級な、お店に連れて頂いたようだが、一度もお金を払った記憶がない。古き良き時代の話なのであろう。
そのまま、佐藤先生のお宅へつれていかれ飲みなおし。
六角形の建物の真下が応接室であったように記憶している。
この応接室で太宰治が土下座をしたのか・・・と思った記憶があるが
今になって調べると確認が取れない。
当時、佐藤方哉先生のご母堂である千代先生がご健在であった。
千代先生といえば、もともと谷崎潤一郎夫人であり、夫人譲渡の
件は文学史でも有名である。
例によって、悪学生どもが、しこたま飲んでそのまま、佐藤方哉先生の
御邸宅に転がり込んだ時のことである。
夜中に小用をたしにいったら、いきなり後ろから誰何された。
振り向くと、千代先生であった。息子がいかに大学教授とはいえ、夜中に知らない学生が歩いているのだから当然のことである。
こんな、昔のことを、思い出したのはわけがある、佐藤先生は、先般
不慮の事故でお亡くなりになられた。痛切の極みである。
行動分析学の権威である高名な学者である事は言うまでもないのであるが、
学問の枠組みを超えて多くのことをご教示賜った。本当に感謝している。
合掌。

