結局保護者というのは、結果だけしか見ていないような気がします。

生徒に合わせていろいろな分析をし、いろいろな指導を考えている。


こういうことを本当に理解してくださる保護者がどれだけいらっしゃるか、疑問に思います。


はっきり言います。

模試の点数だけ見て指導するなら、ロボットでもコンピューターでもできます。


個人塾という呼び名をやめよう、職人塾と言おうではないか、ということを提案したわけです。


例えば、数学の期末テストで70点しかとれなかった生徒が何人かいるとします。逆に何故、ー30点なのか?



70点しか取れなかった、成績が悪いな、じゃあ、勉強しなさい。

この程度のことなら、どんな素人でも言えます。



偏差値が下がったからこれから毎日3時間勉強しろ、この問題集をやれ。

それならば、コンピューターでプログラムを組んで、ロボットにでもやらせればいい。



問題は同じ数学の成績が下がったといっても、その原因なのです。

ですから、「この前の中間テストの結果が知りたいので持ってきてください」と事前に保護者面談で連絡した時、点数だけを持ってくる保護者というのは、信じられないわけです。


本人の答案と問題・学習のヒストリーをみないと、我々職人塾のプロフェッショナルは分析不可能なのです。


単に点数と偏差値と順位だけ持ってこられても、情報量0としか言えません。


A君は、答案をみれば1番から4番までは完答、5番がほとんど白紙でした。


これは時間が足りなかったのだと判断できます。

B君は、1番の簡単な計算で数問ミスをしていました。



これはケアレスミス、計算ミスということで判断できます。


C君は、わかっているけれども答案の書き方が悪くて減点されています。

ああ、彼は試験慣れしていないのだな、ということがわかります。



確かに、A君もB君もC君もみんな、点数としては70点ということになりますよね。




それだけを見て、70点だからもっと勉強しろというのは、職人塾の講師などいらない。

練習不足が原因なら、練習をさせてスピードアップをさせればいい。

しかし、本当に理解できておらず、根本的なところで勘違いをして間違っている70点とか、それとも計算ミスの70点とか、そうなってくると、同じ70点でも、それぞれ原因は異なるし、解決策もそれに応じて


当然異なる。


それに対応するのが、職人塾の仕事なのです。


*「理解が出来ていない」場合はさらに、その原因分析は、難しい。














現在高齢者が自動車を運転して高速道路を逆走するといったことが社会問題となっております。

 

それではなぜ、高齢者が自動車の運転をするのか、免許を返納しないか、ということに関して、分析をしてみます。

 

もちろん、地方においては自動車なくして生活ができない。これは事実でありましょう。

 

しかし、それならば、交通の便利な都会では、高齢者の自動車事故は全くないのでしょうか?みなさん返納されるのでしょうか?

 

そうではないですね。



 

高齢者が自動車免許の返納をしない理由については、様々な理由があると思われますが、一つはプライドの問題だと思います。

 

現在の高齢者は戦後復興を支えた世代で、3Cと言って、自家用車がステイタスだったわけです。

 

しかもしばらく自動車に乗るなということではなく、もうお前は一生車に乗るなと言われれば、俺はまだ大丈夫だ、俺はちゃんと運転できるのだということで反発をされる方が多いと聞いております。

そこで解決策の一つを提言します。

 

 

それは、高齢になって自動車を手放す、あるいは免許を返納するという方が、十分な誇りをもって返納できるようなシステムを作ればいい。

免許の返納をすると、ある程度の特典があるようですが、その程度ではだめです。



 

免許返納をした方には、毎月、表彰会を開いて、代表者に
県知事から表彰状を送ってはどうでしょうか。

 

そんなにお金がかかることではありません。


 

また、免許を返納した場合には、非常に見るからに素晴らしい、例えばクレジットカードのゴールドカードのようなものをプレゼントして、それを見せれば皆さんから尊敬されるようなシステムを作ればいいのではないでしょうか。


 

例えば、新聞で80歳や90歳の方を紹介するのに、すでに免許を返納した、リスク管理のできる立派な方だということで、そのゴールド認定証のようなものを写真にとって掲載すればいいのではないでしょうか。

 

 

この私の提案は、ゴールドとか感謝状とか、こういったものにはほとんどお金がかからないという点です。

 

ですから、免許証を返納した時に紙切れ一枚を渡す。

こんなことではまずい。


 

まさに、持っているだけで自慢できるようなカードを渡して、そこに県知事から感謝の言葉を入れる。

 

 

これが、一つの提案であります。

 

そもそも、高齢者の免許返納に関する問題点は、

一生自動車を運転することはできない

 

ということで、相手の人格を全否定しかねないというところにあります。

 

だから、免許を返納しても、手続きをすればもう一度免許の再交付をしできるようにするのも一つの方法でしょう。



 

なおその際は、警察ではなく、例えば臨床心理士が応対する。


 

「今までお疲れさまでした。とりあえず、危ないから、免許を一時停止しましょうか。元気になられたら、どうぞ運転して皆さんでドライブを楽しんでください」


 

こういう言葉の一つもあれば、

 

「おれは免許を返納していない。一時的に体がよくないから預けているだけだ。その気になればいつでも運転できるんだ」

そう感じてもらえれば、未然に事故を減らせるだけでなく、高齢者のプライドを守ることもできるのではないでしょうか。

 

 

提言・・・免許の返納に関しては、免許センターに臨床心理士を配置することを提言します。

 

 

 

先日、定期検診のため脳外科に行きましたが、わたしは安全のためにヘルメットをかぶって自転車に乗っていると申し上げたら、


当然それは大変いいことだ、脳外科医から見ても、交通事故で頭部外傷を受けた方も来られる。もしその時ヘルメットをかぶっていれば・・・・・

という患者さんが多くおられるそうです。



ですから、小中高生の登下校時にはヘルメットをかぶらせたらいいのではないでしょうか。


特に、中高生が自転車通学するときには、ヘルメットを義務化すればよいのではないか。

道路交通法を改正するか、あるいはそれとは別にそういう法律を作り、高齢者が自転車に乗るときはヘルメットを義務付けるのです。


これは決して、悪いことではないでしょう。

とはいえ、無理やり押し付けても解決にはなりませんね。



そこで、UBQの生徒と。このことを話してみました。

なぜヘルメットをかぶりたくないのか?

という原因の究明と理解が重要だからです。



そうしたところ、まず、男子に関しては、あまり抵抗はありませんでした。

というのは、髪に飾りをつけたり、長い髪にリボンで束ねているようなことがないからです。



一方女子生徒に関しては、ヘルメットをかぶるのが嫌だといういくつかの具体的な理由をお聞きしました。

1恥ずかしい。(カッコ悪い)

2髪型が乱れる。


こういった意見がありました。



しかし、原因がわかれば解決策がわかります。


1については、それならば、女子生徒にもっとも人気のあるブランドのファッショナブルなヘルメットを作ればよい。自転車屋だけではなく、高級ブランド店にヘルメットを置くのです。

そして、桐谷美玲とか、山本美月とか、女子中高生がもっともあこがれる(?)ようなモデルに協力していただき、


ヘルメットを着けた写真集を出すとか、女性ファッション誌の表紙にヘルメットをかぶった写真を載せればいいのではないでしょうか。



■昔は、女子が眼鏡をかけているということは、あまり理解されなかったようです。

ですから昔の漫画の定番として、高校の学園漫画で女子が眼鏡をはずすと、主人公が、

「おまえって結構美人だったんだな・・・」

とひとめぼれをする・・・こういうシーンがあります。

なお当時は、牛乳瓶のふたのような眼鏡しかありませんでした。


ところが現在では、メガネはファッショナブルなものになっていて、「メガネ萌え」とか、「メガネ美人」という言葉さえあるようです。

それならば、文化を変えられないわけではない。

ヘルメット女子とか、ヘルメット美人とか、こういった言葉を電通に依頼して、ヘルメットもえとか、ヘルメット美人とか、そういったことをネットで取り上げたらいいのではないでしょうか。



2について。


髪型が乱れるということについては、これはもちろん異論もあるでしょうが、自転車通学の生徒には、学校でパウダールームを利用させて、髪型を整える時間を設けてはどうでしょうか。


これはもちろん異論があることは承知していますが、ヘルメットをかぶることがかっこいい、ファッショナブルな文化だということを定着させればいいのではないでしょうか。









以前述べたように、自営業というのは体が資本です。ですから、ヘルスチェックとか、かかりつけ医をもって相談することは、自営業者の義務であると思います。


ある程度の年齢になりますと、物忘れがあります。

それをかかりつけ医に相談するということは、決して悪いことではありません。


どういうときに物忘れで困ったかと聞かれますから、スポーツクラブに行ったときにロッカーの番号を忘れて困ったことがあると申し上げました(注・このスポーツクラブでは、電子錠を渡され、ロッカーを選ぶシステムになっています)。

それを忘れてしまって、自分のロッカーはどこだったかということで、大変困りました。



お医者さんに相談申し上げて、そのあと、なんでロッカーの番号を忘れるのかということについて、自分なりに考えてみました。


結論は、比較的平日の昼間とか、混んでない時間に利用するので、どうしても便利がよくて覚えやすい番号を利用してしまうからです。


たとえば、あまり混んでいないときであれば、わかりやすいラッキーセブンの777とか、玄関に一番近い001番とか、そういうロッカーを利用します。

ところが、混んでいるときに行ったならば、そこは閉まっていて他の人が使っているから、奥の不便なところを使ってしまう。

しかし、いつも使う番号ではないから、つい忘れてしまう。


そこで考えました。

最初から不便で奥まったロッカーを使えばいいのではないか。


つまり、なぜロッカー番号を忘れるかという原因を突き詰めれば、解決策が見つかったのです。


そこで、一番不便な位置のロッカーを使うようにしました。その際、例えば226事件の226とか、覚えやすいが誰も使わないような番号を選ぶことにしました。

これですべては解決しました。


定期検診のお医者さんにその話をすると、「あなたは、まだ大丈夫です」といわれました。



差別のある明るい社会を!


これについては少し説明がいるでしょ。よく正直者が報われる社会をとか罪のない人間がなんでこんな酷い目に遭うのだ。真面目に努力してる人が報われる社会にしなければいけないと言われます。

しかしながら正直な人間と言うとは誰が判断するのでしょうか?

罪のない人間というのは誰が判断するのでしょうか? ブログを読んでらっしゃるあなた。あなたは罪のない人間ですか?正しい人間ですか?社会で報われるべき正直者ですか?

全く差別のない全ての人間が平等な社会というのは架空の概念であって実際には存在しません。

差別があってはよくないそれは事実です。しかしながら全く差別がなく誰しもが賛同する社会というのは想像するだけで恐ろしいものだと思います。

そういう社会を目指すとかそういう社会が実現できると考えている集団ほど恐ろしいものはありません。

これは北斗の拳というコミックの中のセリフです。

このコミックは第3次世界大戦で核戦争が起きた後に人類が絶滅寸前の時代を描いたという設定になっています。

主人公が核戦争を生き延びた軍人と戦う場面があります。

正確な引用ではありません。

その敵が言います。

我々は第3次世界大戦起こして過ちを犯してしまった。同じ過ちを2度と繰り返してはならない。すべての人類が同じ考えをする世の中を作らなけれなければならない。全ての人類を同じ思想宗教同じ考え方で統一した平等な社会を作らなければいけないと言います。

主人公のケンシロウは言いました。それが既に過ちであるということに気づかないのか?


私はある町内の町内会長です。




しかしながら、町内会長になるに当たり、試験があったり資格が必要なわけでも、あるいは何か特別な講習を受けて終了する免許があるわけでもありません。


何か特別な法律に詳しいとか、特別な知識を持っていなければなれないというわけでもありません。






そもそも私が町内会長になった理由は、この町内会がきわめて弱小化していて、高齢化がきわめて進んでいます。前町内会長さんが何年もされていたわけです。

その時には前会長の奥様が銀行に行って、お金の出し入れや回覧板の回覧、さらには町内会費の集金にと各家庭を回っておられたと聞いております。




ところが、その奥様がなくなられて、前会長様は大変困られ、何年もお一人で頑張られたいたのですが、とうとう、どうしても体調が悪いから、誰か引き受けてくれと頼まれたので、私が引き受けました。





すべての会員に会長が交代するが異論はないかと聞くと、何もなく、全会一致ということで会長に就任しました。



ところが不思議なことに、町内会長に就任すると、複数の市会議員から電話がかかってきます。手紙も来ます。


市からならともかく、宗教団体や、民間企業からも電話がかかってくるのです。



なんで私の住所・電話番号がわかるのでしょうか?


さらには、知らないうちに「何とか募金委員会・・・地区委員」というものにされ、その名簿を無断で配っているのです。


こんなおかしいことはありませんね。


本人の承諾なく、何とか募金委員会とか言って、私の住所と名前を配るということが許されるのでしょうか?


私も最初に町内会長になった時には、一応挨拶にと思い、新年会に行きました。


そうすると、さまざまな町内会のボス連中が、酒を町内会費(証拠あり)で飲んでいるわけです(町内会は税金で補助を受けています)。



そこへ市会議員とか、この町内を選挙区とする国会議員の秘書が来て、私に平身低頭、挨拶をするわけです。私は市会議員や国会議員に頭を下げられるほど人間落ちこぼれでません。


その際、各町内会長さんとかお偉いさんは、勝手に日本酒やビール、焼酎と追加注文をしているのです。お土産までくれました。


後ほど、市会議員が何かその会場の人と話をしていましたが、あのお金が、どこから、でたのか不思議に思います。




おかげで、市議や国会議員の秘書の名刺がたくさんたまりました。



さらにはある町内会の幹部が、「今年は、国会議員は来ないのか?」と言って偉そうにしていました。


それに秘書が平身低頭「申し訳ございません」と言いつつ、酒をついで回っているのです。


こうなると、もう退職されているであろうお年寄りの町内会長は、自分が偉くなったような錯覚を受けるのではないでしょうか。




そうこうしているうちに、ある市議がすり寄ってきました。



「新しい町内会長さんですね。私は生まれも育ちも**学区でございますから」



とおっしゃったものですから、



「ああそうですか、私は生まれも育ちも**学区ではございません。縁もゆかりもありません」



と申し上げました。



例えば、市議会議員選挙の際の各候補者の選挙公報を見るていと、

「**町内会長」とか、

「**学区連合町内会長」とか、

そういう「肩書」が書かれています。



しかし、町内会というのは、ただその地域に住んでいるという人たちによる集まりです。

しかも、税金で補助を受けていることははっきりしております。



ですから、政治に中立であるべきだと考えます。


ところが、**学区の町内会長と**学区の連合町内会長と、++++市議の後援会長が同一人物なのです。



どうしてそういうことがまかり通るのでしょうか。


こういうことは、あってはならないことだと思います。






町内会には、いろいろな人がいます。


例えば支持政党ひとつとってみても、自由民主党の支持者もおられれば、民主党の支持者も、公明党の支持者も、日本共産党の支持者も、それぞれおられることでしょう。




そして言うまでもなく、市議会議員は全市民、そして全国民の代表者であることは、日本国憲法できちんと定められています。




もう一度言います。


町内会は政治、宗教において、中立の立場でなければならないと考えます。




津地地鎮祭裁判では宗教団体に個人の名簿が渡っているわけではありません。

岡山市に宗教団体への町内会費全体からの寄付が許されるのか聞いてみました。ごまかすばかりの行政が一番悪いのですね。口を濁しながら皆さんで話し合ってください話し合ってくださいばかりです。

私は言いました。

話し合ってオウム真理教に寄付してもいいのですか?

オウム真理教に税金が渡ることになりますけどいいんですか?

何も答えられませんでした。
新札の発行でネットで話題になっています。情報弱者というのは怖い。


北里柴三郎は北里大学の創立者ではありません。よくこれからの報道を見てください。北里柴三郎の精神を受け継ぐ北里大学とか、縁のある大学とうまくオブラートに包んで報道されるでしょう。


脚気の原因をめぐって権力をかさにきた森鴎外が一番悪いのです。森鴎外の誤った理論により多くの人間が亡くなっています。

医師としての業績が全くなかった傲岸不遜な森鴎外のために医学会を追われそうになりました。


これなんかなぜ辞任したのかということが書けないんですね。

助けたのは福沢諭吉です。歴史というのは面白いものですね。あれだけお世話になったのに福沢諭吉に恥をかかせました。北里柴三郎は女性スキャンダルで福沢諭吉に子供のように叱られたという話が残っています。

北里柴三郎は慶應義塾大学医学科の創立者です。


図書館レファレンスサービスを依頼して北里大学の創立者を調べた人がいます。結果は上の通り創立者を北里柴三郎と書いた文献は見当たらないということです。




大隈重信は対華二十一カ条の要求をした時の総理大臣ですからお札の肖像にはなれません。

2018年8月の記事を更新


朝日新聞 1989年4月20付 夕刊 

≪これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、直径8メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、 世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を加えてはならない海洋初の「自然環境保全地域」と「海中特別地区」に指定した。

たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。  にしても、一体「K・Y」ってだれだ。 》



この記事を当時、読んだ時には「窒素による判断能力の低下」と思った。


ただ、当時、どうしても理不尽な記事と感じた。


沖縄で当時、(も今も)ダイビングをするのは日本人だけではなかった。80年代には、ほとんどの沖縄の海は潜っている。世界有数のダイビング・スポットと朝日新聞自身が書いてあるではないか?


どうして、「「K・Y」のイニシャルを見つけたとき・・・・・」。それが日本人によるものとわかるのであろうか?身分証明証つきの犯行声明文でもあったのであろうか?




なぜ、日本人の精神の貧しさ・・・すさんだ心と断定できるのであるのか?



更新内容:

改めて写真を見ておかしなことに気づきました。


この写真カメラマンが写ってるんですよね。


じゃあ誰が撮ったのでしょうか?


当時のカメラでは自撮りは不可能です。


水中用に三脚を立てることも不可能です。


ということはカメラマンの単独犯行ではなかったということです。








微分の導入で出てくる因数分解です。

この因数分解を特別な公式として教えている塾があるようですけれども、

覚えるから忘れるので覚えなければ忘れません。

割り算ができれば誰でも導くことができます。整式の割り算は高校に入ってすぐに習うことです。一貫校ならば中学で習う内容でしょう。