仮定法を最初に習う時どうもパターンで覚える場合があって困る。
もし、お金があれば、この車をかうのになぁ
といった具合だ、
しかし、お金があるからといってすぐに車を買わなくても良いから
もし、あの時宝くじにあったっていたら、(今)車をかうのになぁ
でも良いわけだ。
さて、では条件節の内容が現在で、帰結節の内容が過去の仮定法は存在するだろうか?
いま、・・・・・・なら、あの時・・・・・・・なのになぁ。
という文章だ。普通に考えればありそうにない。
だが、ありうるのだ。京都大学で下線部訳が出題されている。
なお内容が過去と書いたのは、仮定法で一見、時制がずれて見えるのは古英語の名残であるからです。仮定法過去というのをやめて仮定法形式過去にすれば良いと考えております。
さらに仮定法という言葉自体が誤解を招く表現だと思います。単に接続法でいいんじゃないかと思います。よく聞かれるのは、IF I WERE・・・ の部分ですが古英語のWERTを調べてください。
OUGHT 辞書によればOWE の過去形と書いてありますが、同じ辞書にOWEは規則変化と書いてあるのは、編集者のミス。
こういったストレスは見返りを求めているからです。どこかでこれだけ子供のために頑張ったのだから合格するのが当たり前だと思っていませんか?
それが根本的な間違いなのです。
親子関係のストレスは心のどこかで見返りを求めていることから生じるのです。
3つの理由があります。1つは予備校講師というのは完全に実力の世界で何の免許もいらないのです。
ですから自分の塾がある日突然生徒が全部なくなっても私は大丈夫です。東京に戻って数倍の年収で働くだけのことです。実際、河合塾が講師募集をしていました。代々木ゼミナールで教えるほど落ちこぼれてはいません。駿台予備校は大学院を出てないとあまりメリットがありません。履歴書を出しました。月曜日の朝9時に大阪まで来いという話になりました。しょうがないなと思って面接に行くと今日から一週間かけて新しい講師を面接する試験をするとのことでした。全ての応募者の中から第一番に選ばれているんですね。まあ自分の学習塾でやるよりはそちらの方が本当は良かったかなと少しは思っております。日能研岡山を作って代表になる話は勝手に進めるんじゃないと言って私が断った。
全く自由なのです。無碍とはこのことであります。もちろん実力があって初めて言えることです。しょうもない塾のようにネクタイを締めたり白衣を着せる必要はありません。上司の顔を伺う必要もありません。個人に能力がつきますので肩書きや会社名で仕事しておりません。
ですからネクタイを締めなくてもサングラスをかけてもかまいません。予備校講師というのは免許はありませんから免許を取り消されることもありません。自分の責任において何をしようが何を言おうが自由です。
社会から見ればおかしな格好して変な発言をしているように思われるでしょう。
第2に生徒は毎日学校で何時間もただ同然で授業を受けています。ですから学校と同じことをしてはいけないのです。私も少し関わりあったのですが岡山で学校の先生が集まって塾をつくりましたがすぐに潰れました。私は言いました。学校の補習を月に数万かけて受ける人は誰もいません。
ひとことで言えば学校の授業は毎日の家庭料理です。一方塾予備校の料理は激辛ラーメンのようなもんです。
ですから普段学校の先生を見ている方から見れば予備校講師は変わった人が多いなと思われるでしょう。両方で教えたことがありますからよくわかります。ちゃんと区別して授業することはできます。学校ではネクタイをしてちゃんと教えていました。その学校の生徒にたまたま道で会いました。びっくりしてこれから登山でも行くのですか?冒険の旅でも行くのですか。と聞かれました。いやこれが普段の格好ですよと答えました。
第3の理由は、1つのことに専念しすぎるような人でなければ向いていないからです。プロ野球の1流選手だって野球をしていなければ社会的不適格者でしょう。芸術家だってその道の専門家のとしての能力がなければおかしい人でしょう。プロ野球の選手は球団と契約をしなければなりません。しかし予備校講師というのは日本中どこでもオッケーです。一つの予備校と喧嘩をしてもライバルの予備校が大歓迎して雇ってくるわけです。この業界には統一した監理団体とか組織が全くありません実力次第です。
受験生は、志望大学・高校等の公式HPを読んでおくことは重要だと指導している。
http://www.m.u-tokyo.ac.jp/daigakuin/apply/message.html
■東大医学部は今から約150年前に設立された、日本で二番目に作られた医学校です。江戸時代に天然痘が流行っていましたが、種痘を開始したのが、その発祥のきっかけです(神田お玉が池種痘所)。最近テレビで話題となった「Jin」などの舞台でもあります。設立の際は緒方洪庵ら数十名の蘭医が私財を投じて作ったとあります。安政から万延の時代は「種痘をすると牛になる」という迷信があった時代です。勇気をもって種痘を行い、多くの人の命を救うと共に、最初から解剖や生理などの教育をしていた、という歴史に、創立者達の先見の明を感じることが出来ます。
創立以来、東大医学部は日本の医学、医療の中心として多くの偉大なる卒業生を輩出してきました。例えば、タールによる発癌により化学発ガンを初めて証明した山極勝三郎、内臓のガンを初めて作った吉田富三、カルシウムによる筋肉収縮を証明した江橋節郎などの先輩(いずれも故人)は「ノーベル医学賞」をもらう十分な実績であると言われています。また、免疫グロブリンE(IgE)を発見し、アレルギー学の基礎を築いた石坂公成、神経の可塑性と小脳機能を明らかにした伊藤正男を初め多くの先生達が今も研究を続けています。現役の教授や教員の研究がどんなに多彩で発展しているかは、ホームページをご覧下さい。(引用終わり)
■しかし、わざわざ(いずれも故人)とことわっているのであろうか?受験生ならこれらの高名な医学者についての知識は常識でしょう。そこで、該当部分を英語に切り替えてみた。尚、当記事中。赤字部分は引用者による。
The University of Tokyo Faculty of Medicine has a 150-year history. It was the second medical school founded in Japan, and it grew out of the Kanda Otamagaike Vaccination Center, which was set up in response to outbreaks of smallpox that were common in Japan during the Edo period. This was the stage for "Jin," a recently popular television series. It is said that Koan Ogata and more than a dozen other doctors who had studied medicine from Dutch sources invested their own private fortunes to establish that vaccination center. They did that during a time, the Ansei and Manen eras, when some people superstitiously believed that vaccinations "turn you into a cow." Looking back at our history, we can now sense how foresighted our founders were in bravely conducting vaccinations, saving many lives, and seeking to train young Japanese in human anatomy and physiology from the very beginning of Japan's modernization.
Since then, our Faculty of Medicine has produced many great graduates who became the core cadres of health care and medicine in this country. For example, Katsusaburo Yamagiwa, who was the first to prove that chemical carcinogens exist by establishing that cancer can be caused by tar, Tomozo Yoshida, who was the first to induce cancer in internal organs, and Setsuro Ebashi, who proved that calcium can make muscles contract, are graduates of the University of Tokyo Faculty of Medicine whose achievements were worthy of a Nobel Prize in Physiology and Medicine (although they died before they could receive that award). Of course, many prominent medical researchers are working at the University of Tokyo now. Among them are Kimishige Ishizaka, who discovered Immunoglobulin E (IgE) and laid the groundwork for the study of allergy, and Masao Ito, who demonstrated the plasticity of nerve cells and the functions of the cerebellum. Please refer to our website to find out what a wide variety of research projects are now being done by our Professors and other faculty members.(引用終わり)
■こちらには、はっきりと「ノーベル賞に匹敵する筈なのに、受賞前に亡くなられたと」書いてある。誠に,同感である。海外には「謙譲の美徳」は通じない。そこでわかったこと、東京大学のhpは。すくなくとも。この部分については英語が先に書かれている。
例えば、学校のコードで33105Jというのがあったとします。最後のJは何でしょうか?
これはチェック・・デジットとか、リダンダンシー・コードと言います。
冗長度というのは、「今度の・・日にデートしよう」というよりも、「今度の…日って・・・・・・曜日だよね」といった方が、情報が保存されやすいからです。DVDが汚れた時に、円周に沿って拭いてはいけないのもこの原理です。
分かりやすいたとえをします。
33105の和が偶数なら最後にAを付け、奇数ならBを付けると、受験生が間違えてマークしてもチェックできますよね。
情報工学上、単純なものではなく、受験生が間違えやすい、数字を分析して、重みづけ函数を導入してして、最適化します。
昔、ある会場で、・・・の受験番号の・・・との案内があったが、最後の英字がないので不安だったという声をききました。
それでは、どうやってチェック・・デジットを決めているか、
それは、一般的には公表できないのです。マイ・ナンバーや、クレジットカードのパス・ワードにも利用されているそうで、悪用されるからです。
ところが、流石に「大学への数学(東京出版)」で解析して投稿の形で、数式を提示した方がいます、バックナンバーをすべて取り寄せてください。もっとも「大学への数学(東京出版)」は歴史がありすぎて、東京出版にも追跡できないそうです。
解析の方法は、膨大な連立方程式を解くことです。
センター試験の問題は、どの教科も、小冊子となっている。
さて、数学の場合は、見開きの左側に問題が印刷され、右側は計算や図形などを描いたりして問題を解くためのスペースとなっている。
もちろん、その見開きだけでひとつの大問が完結していたり、小問のきりのいいところで次のページに移る場合は、問題ではない。
しかし、印刷・製本の都合上、こんなことが以前あった。
見開きのページだけで問題が完結しない場合も、残りの問題が、その見開きの右側のページに印刷されることはない。
残りの情報が、あとほんの1行かそこらであってもである。
そのまま、次の見開きページの左側に、続きが掲載される。
これが図形問題であった場合、事態は深刻である。
前の見開きに図を描いて問題を解いていた場合、そのまま、表が解答用の自作の図、裏が問題の続きという状態で、問題を解かなければいけないことになってしまう。表裏をめくりながら解く事になるわけで、余計な時間を費やし、さらにはミスをも誘発しかねない。
では、こうしたことを防ぐには、どうすればいいか。
どの教科でもそうだが、特に数学の場合は、試験開始と同時に、その冊子の問題がどのような形式・体裁をとっているかを確認することである。
そして、先ほど述べたような問題があった場合は、必要以上にページをめくって解くなくてもすむように、あらかじめ、その問題の残りを前の見開き(それは見開きの左側でも右側でもかまわないが、要は解答するにあたって都合のいいように)にメモしてしまうことである。
もうひとつ注意を。
このようなことは、市販のセンター試験の過去問集を見ているだけではわからないことである。
何はともあれ、実物に目を通してみなければならない。




