林先生よく言ってくれました。



塾予備校講師をしていると就職がなかったのだとよく言われます。さすがにある程度年を取ると今度はどういったきっかけで塾をやってるんですか?と言われます。何と答えたら良いのでしょうか?

3つの理由があります。1つは予備校講師というのは完全に実力の世界で何の免許もいらないのです。

ですから自分の塾がある日突然生徒が全部なくなっても私は大丈夫です。東京に戻って数倍の年収で働くだけのことです。実際、河合塾が講師募集をしていました。代々木ゼミナールで教えるほど落ちこぼれてはいません。駿台予備校は大学院を出てないとあまりメリットがありません。履歴書を出しました。月曜日の朝9時に大阪まで来いという話になりました。しょうがないなと思って面接に行くと今日から一週間かけて新しい講師を面接する試験をするとのことでした。全ての応募者の中から第一番に選ばれているんですね。まあ自分の学習塾でやるよりはそちらの方が本当は良かったかなと少しは思っております。日能研岡山を作って代表になる話は勝手に進めるんじゃないと言って私が断った。

全く自由なのです。無碍とはこのことであります。もちろん実力があって初めて言えることです。しょうもない塾のようにネクタイを締めたり白衣を着せる必要はありません。上司の顔を伺う必要もありません。個人に能力がつきますので肩書きや会社名で仕事しておりません。

ですからネクタイを締めなくてもサングラスをかけてもかまいません。予備校講師というのは免許はありませんから免許を取り消されることもありません。自分の責任において何をしようが何を言おうが自由です。

インド哲学の中村元・先生は東京大学を定年する時に、やれやれこれで自由にものが言えると言ったそうです。そして実際に東京大学を定年退官された後は自分で東方学院という私塾を作られました。多くの学者が育っています。

社会から見ればおかしな格好して変な発言をしているように思われるでしょう。

第2に生徒は毎日学校で何時間もただ同然で授業を受けています。ですから学校と同じことをしてはいけないのです。私も少し関わりあったのですが岡山で学校の先生が集まって塾をつくりましたがすぐに潰れました。私は言いました。学校の補習を月に数万かけて受ける人は誰もいません。

ひとことで言えば学校の授業は毎日の家庭料理です。一方塾予備校の料理は激辛ラーメンのようなもんです。

ですから普段学校の先生を見ている方から見れば予備校講師は変わった人が多いなと思われるでしょう。両方で教えたことがありますからよくわかります。ちゃんと区別して授業することはできます。学校ではネクタイをしてちゃんと教えていました。その学校の生徒にたまたま道で会いました。びっくりしてこれから登山でも行くのですか?冒険の旅でも行くのですか。と聞かれました。いやこれが普段の格好ですよと答えました。

第3の理由は、1つのことに専念しすぎるような人でなければ向いていないからです。プロ野球の1流選手だって野球をしていなければ社会的不適格者でしょう。芸術家だってその道の専門家のとしての能力がなければおかしい人でしょう。プロ野球の選手は球団と契約をしなければなりません。しかし予備校講師というのは日本中どこでもオッケーです。一つの予備校と喧嘩をしてもライバルの予備校が大歓迎して雇ってくるわけです。この業界には統一した監理団体とか組織が全くありません実力次第です。

これが許認可事業であれば、資本や政治力のあるところが必ず勝ちます。学習塾はしかも元手がほとんど入りません。

だから自由で楽しい。

こんなことがある。私が一人で立ち上げた学習塾は東大に3人から4人ほぼ毎年入っています。

これって鳥取県全体の東大合格者数を超えることがあるんですよ。

規模は元から争うつもりがありません。大手塾の保護者が言っていました。うちの塾は中3が何万人もいるのに灘高校は一人も通っていない全員落ちた。でも UBQは男子が3人しかいないのに灘高校もラサール高校も全部通って一体どういう塾なんだろう?

岡山駅前を通っておりますとたくさんの学習塾があります。まあ高校生がよくこれだけいるもんだというぐらい並んでいます。見ながらひそやかな楽しみを覚える。こいつらが何万人束になってかかってもうちの生徒には成績では一人も勝てないのだ。もっと言えば、灘中学の入試でもそうですね、関西の学習塾で鍛えた生徒が何人も受けてますね。

でも私の育てた生徒結局、灘高校でトップなんです。

☆予備校といっても学校法人の予備校は許認可事業です東進ハイスクールは株式会社です。