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早すぎたデジタル迷彩!? 七色の61式戦車(乗り物ニュース)

 

 
この迷彩を始めて目にしたのは月刊PANZER誌、1978年4月号の表紙だ。アーマーマガジンとPANZERの掲載号からして1977年末か1978年初頭に塗装されたのだろう。
時代が「デジタル以前」なので、「デジタル迷彩」という解説は当然ない。用語自体が存在しないからだ。
したがって「四角い斑点」という苦しい表記になっている。
同色を用いたもう一つの迷彩は「マダラ迷彩」とされ、この2種類のうちどちらかが採用されるというような記述だった。当時、高校生の私は「自衛隊も迷彩するのか」とワクワクしたものである。もっとも、自衛隊に入隊しようとは寸分も思っていなかった時代である。
ところが、ひょんな理由で入隊する運びになった。1979年の9月だ。デジタル迷彩の61式戦車は塗装から2年近くたってしまっているから迷彩塗装は標準塗装のOD色(おーでーしょく)に戻されてしまっていたのだろう。見かけた記憶はない。
 
さて、乗り物ニュース記事において気になった記述あるので、ちょっと掘ってみよう。
 
「1980年代後半まではダークグリーンの単色塗装でした。これはアメリカ軍などの軍用車両で多用されるオリーブドラブ(暗緑色)、いわゆる「OD」と呼ばれる色より青味と灰色味が強い色調で、自衛隊独特の濃緑色といえるものです。」
 
現用迷彩が指定されるまでは戦車を含めた車両及び自衛隊装備品の基本塗装(標準塗装)は「OD色(おーでーしょく)」の単色である。「OD」は「オリーブドラブ(緑褐色)」のことであるから、ダークグリーン(濃緑色)では無い。
迷彩塗装は戦闘車両等に対しOD色(オリーブドラブ)の基本塗装の上から濃緑色(ダークグリーン)及び茶色(ブラウン)の迷彩塗料を施すものだ。OD色は「半つや消し」、迷彩塗料は「艶消し」の塗料となっている。
 
74式戦車の制式要綱ではOD色が標準塗装だが、迷彩塗装が標準となった74式戦車(C)からは車体外部の標準塗装が「濃緑色及び茶色(迷彩)」となっている。
ちなみに、「濃緑色」の基本塗装に迷彩色として「茶色」を塗るように解釈してしまうが、濃緑色も迷彩塗料である。
実際にはメーカー(三菱重工)ではOD色の基本塗装をして走行試験をした後、納入時に濃緑色と茶色で迷彩塗装を行っていた。
現在では濃緑色でベース塗装をしているようであり、某所で見かけた誘導弾発射機のベースとなる重装輪車は濃緑色の単色だった。
 
防衛省規格NDS Z8201E「標準色」
「濃緑色(迷彩用)」「茶色(迷彩用)」と明記されている。
 
現用迷彩塗装は陸幕装計第64号として昭和61年(1986年)5月10日付けで通達された。
 
「戦闘車両等の偽装塗装実施について(通達)」
【目的】
火器、車両、施設器材等の装備品に迷彩塗装を実施し、被発見率の低減を図る。
【装備対象品】
74式戦車、61式戦車(以下略)
【塗装の担任】
当該装備品を保有する部隊等
【塗装実施時期】
年度当初に保有する装備品等は、努めて当該年度中に、年度途中に補給又は管理換えされた装備品は、次年度努めて早期に実施する。
【塗装部位】
外界に暴露している部位。ただし、次に示す部位を除く。
底板下部、銘板、12.7mm重機関銃、赤外線投光器、布・ゴム・ガラス部位、アンテナ部で電波を放射あるいは透過する部位、その他現在塗装が行われていない部位
【配色及び使用塗料】
濃緑色(8010-160-8108-5)
茶色(8010-160-8109-5)
【塗装方法】
エアガンによる吹き付け塗装又は刷毛塗りによる。
【模様・配色の決定】
極力各車個々に設計する。
 
以上が抜粋した通達内容だ。
「昭和61年(1986年)末から昭和63年(1988年)3月までに塗りなさい」という事だな。
ちなみに、「エアガン」は「エア・スプレーガン」の事であり、塗装実施要領では「境界部はスプレーガンを絞り塗面に対し45°傾けて使用する」という着意事項がある。
基本的には出来るだけ「境はぼかさない」ということだ。
 
塗装実施要領をしっかり守る部隊においては、74式戦車の照準用赤外線投光器の外観はOD色のまなのはもちろんの事だが、操縦手用の赤外線投光器(暗視用ヘッドライト)もOD色のままとしていた。また、土工具や砲塔工具箱など、塗装時に外せるものはOD色のままだった。

 

 

74式戦車の一例(OVM)
土工具と砲塔工具箱は同じOD色なのだが、塗装をし直した土工具と退色した工具箱はこれだけ色の差がある。乗り物ニュースで青味と灰色味が強い色調」と記述されていたのは退色したOD色であろう。
 
第10戦車大隊の74式戦車(2000年10月4日撮影)
車検(保安検査)整備中の戦車だ。操縦用暗視装置は迷彩色の濃緑色で塗装されているが、取り外されていたらしく、茶色迷彩の部分に装着されている。けん引ロープはOD色で塗装されているが、ワイヤ部分は無塗装が正規だ。履帯は部品としての納入時には無塗装なのだが黒色塗装をするのが一般的だった。
 
第3戦車大隊の74式戦車(2000年10月4日撮影)
先の10戦車大隊の戦車と同じ日に撮影した洗車をする第3戦車大隊の戦車。
工具箱も迷彩色で塗装しているのに、牽引ロープを銀色で塗っていたりする。
当時はまだ、戦車中隊に整備班があり、整備班長は鬼・・・いや、「神」だったので逆らうことができなかった(ようである。)
陸幕からの通達よりも整備班長の一声が大きかった良き時代である。
 
おまけ
今回、写真を選んでいて気づいたのだが、この車検整備中の74式戦車だが、エクゾーストテール(排気管端末)が初期仕様(仮称A型)のフィッシュテール型(尾びれ型)が付いていたのでA型なの?と思ったら車体のリフティングアイ(釣り上げ用穴)がB型以降の特徴である断面角型という仕様なのはちょっと驚いた。在庫処分だな。
 
資料館に展示してもらった拙作のプラモデルだ。
塗料はプラモデル用ではなく実物を使用している。
OD色の半艶と迷彩塗料の艶消し具合が分かる。
実物の塗料使用は、厳密には横領なのか?とも思うが、残塗料を使用したという事になっているのでOKだろう。
 
 

ARMY2021「戦車バイアスロン」

今年も始まったようだ戦車バイアスロン

あくまでARMY2021内のイベントのひとつなのだが。

7時間、8時間、ライブ映像もあるから上記をざっくり見ただけだけど、気になった点が2点。

中国軍の96式戦車だ。

ひとつは動画の13分16秒に125mm砲の射撃シーンがあるが、撃った後に砲が上下に激しく触れている。

砲安定装置用のジャイロが発射衝撃で不調をきたしたのかハンチングしているな。

未だにそんな安定装置なのか?96式戦車以外見た記憶がない。

74式戦車も調整不良だとハンチングする場合があったけど、整備不良という事だからな。

もう一つは砲塔後方左右の筒だ。

エンジンデッキとつながってるのか?

シュノーケルなの?

それじゃ砲塔回らないんじゃないの?

と思って調べたら96式Bの標準装備で「大型通気管」

シュノーケルでした。

既に2016年の参加車両から付いている!?

という事で、見落としてたと反省だ。

正直なところ、なかなか賢い方式だな。

 

陸自迷彩服の真実(月刊アーマーモデリングを見て思ふ)

いまさら感もあるが

「月刊アーマーモデリング(2021年8月号)」

すでに、今月号(2021年9月号)が出ているかもしれないが、陸自特集の8月号を買い忘れていたのに気づき、慌てて南米熱帯雨林に頼んだものが今日届いた。

記事中の「ライド・オン・タンクス」という、フィギア作成のためのコーナーで気になったことがあった。

ひとつは、迷彩服と戦闘服に関する事項だ。

 

陸上自衛隊の被服(服装)には、個人に貸与される「個人被服」と部隊に貸与される「部隊被服」がある。また、装備品として「戦闘装着セット」がある。

 

個人被服は制服や作業服、半長靴のように隊員個人に貸与され、転属時にも隊員と一緒に移動する被服である。

部隊被服は部隊の特性により配属部隊(中隊)から必要により貸与される。戦車靴や戦車帽などがある。

装備品「戦闘装着セット」は「戦闘~」という名称が付く個人被服及び装着品になる。

戦闘装着セットと同等品の部隊被服は「弾帯2型」のように「~2型」と称するものが多い。

 

戦闘装着セット(1989年以降?)が採用されるまで、戦車乗員には貸与された個人被服であるOD色(おーでーしょく)の作業服(戦闘服と呼ばれていた時期もある)2着、半長靴2足に加え、配置中隊から戦車服兼整備服2着、戦車靴2足が貸与された(あくまで定数としての話)。

戦車服及び整備服は当初、米軍おさがりの物を使用していたが、作業服で代用するようになる。後に、迷彩服(現在通称、旧迷彩または1型迷彩)2着に変わる。

2着が定数なのだが、貧乏な我が国防軍である。私が新隊員の時は「お前のサイズはない(デカすぎ君)。1年待て」と言われた。2着揃ったのは数年後、陸曹になってからである。

ちなみに、部隊配置直後に駐屯地記念行事があり、戦車乗員として参加させられた。本番は迷彩服着用だったため、他中隊の隊員に貸与していた迷彩服を借り受け、名札、階級章を縫い直し着用した。もちろん、名札、階級章を元に戻しクリーニングして返却したのは言うまでもない。

さて、話がズレた。迷彩服は部隊で管理する物品である。戦車靴や戦車帽も同様だ。

1980年代末期に戦闘装着セットが採用された。

鉄帽や戦闘服が能力向上により高価になったため個人被服や部隊被服の予算では購入できないとして個人装備をセットとし装備品予算枠になったと聞く。

とは言え、結局のところ高価なので配備が遅々として進まない。そこで、部隊被服であった迷彩服と同様の生地を戦闘装着セットの戦闘服と同形状で同迷彩パターンとしたのが迷彩服2型である。厳密な「迷彩服2型」は試作に近いもので、ほとんどの隊員に貸与されたのは「迷彩服2型(改)」である。

 

戦闘服は難燃性生地と対IR(赤外線)偽装を施してあるが、迷彩服2型は通常の生地で対IR偽装がないため低価格に抑えられている。

また、戦闘服には一般用、装甲用、空挺用、航空用と形状の異なる種類があるが、迷彩服2型は「一般用の形状のみ」である。

 

上図が各被服をまとめたものだ。

各時期による組み合わせ

①70~80年代

「作業服」2着に「迷彩服」2着の計4着が定数

②90~2000年代

「作業服」2着に「戦闘服」又は「迷彩服2型」2着の計4着が定数

③2010~

「作業服、迷彩」2着に「戦闘服」又は「迷彩服2/3型」2着の計4着が定数

 

概ね上記のような括りになっている。

 

迷彩服は4型まで形式があるが、戦闘服は形状が開襟の2型仕様から3型仕様へ変わっても、名称は「戦闘服」のままである。

 

迷彩服3型から「同一迷彩なのに能力の異なるものは災害派遣を含む有事等の際に隊員の安全上好ましくない」という事で、全ての迷彩服は名称が異なるだけで戦闘服と同一の生地仕様(難燃及び対IR迷彩)に現在はなっている。

ただし、「戦闘服、装甲用」だけは、より難燃性が高く厚い生地を使用している。

 

迷彩服3型形状の新戦闘服のタグだが御覧のように「戦闘服,装甲用」の標記であり、2型や3型の型式はない。

 

迷彩服については以上の通りである。

 

もう一つはヘッドセットだ。

61式戦車以前で使用していたタイプが紹介してない。

と思って古い写真ひっくり返したら意外な事実が・・・・

私自身、その古いヘッドセットは装填手時代にしか使用しておらず、操縦手の時は新しいものを使用していた・・

てっきり、74式戦車の時に変わったと記憶していたのだが・・・

記憶って当てにならないな。

 

そうだ。現用の戦車帽(装甲車帽)は「繊維強化プラスチック製の帽体(略)防弾性は皆無に近い」と記述しているけど、帽体は「芳香族ポリアミド」いわゆる「アラミド繊維」製です。

「一応、防弾です」とメーカーの方には当時聞いたんですが、現用品は衝撃吸収のみになったのかな?