顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です


 

(18苦樂觀乎手足)

 

「手と足を見ると人生で苦労するか楽をするかを知る事ができます」

 

 

 

苦樂(クラク)とは、「苦しみと楽しみ」という意味である。と、

 

ほとんどの辞書が説明しておりまして、ネットで調べてみましても

 

同じ様に「苦楽とは苦しみと楽しみ、という意味です」という解説しかありません。

 

苦楽という成語の意味としてはそれで正しいと思うのですが

 

顔占い・人相術を解説するためにはもう少し説明が必要だと

 

私は思いますので、あとでこの句の解説でそこを詳しく説明したいと思います。

 

 

觀(カン)とは、「見る」とか「観察する」という意味です、

 

それ以外にも、ながめる、とか見物する、とか、鑑賞するという意味があります。

 

 

乎(コ、オ)とは、助詞であり文末とか句中に置いて前後の言葉の意味を

 

強調する役割があるのですが、読まない場合も多いです。

 

 

手(テ)とは、そのままの意味で「て」なのですが、

 

人によってはこの詩句における意味を誤解されてしまう方も

 

おられるかもしれませんのでしっかりと説明しておこうと思います。

 

この詩句での手とは、「手首から先の手の部分」とか

 

「手相として観たときの手のひら」だけの手という意味ではなくて、

 

一般的には腕に当たる部分も含みます。

 

つまり肘から先の腕の部分とか、肩の付け根から先の二の腕と

 

その先の肘を含めた腕全体を含めて「手」の一言で現わしています。

 

この詩句における手の意味は腕も含むと思って頂きたいのです。

 

 

足(アシ)とは、そのままの意味で「あし」なのですが、

 

こちらも上記の手と同じように解釈して頂きたいのです。

 

つまり足首から先の部分だけを取り上げた意味での足ではなくて

 

膝から下の「ふくらはぎ」や「すね」を含んだ部分とか

 

股関節の付け根から下の「太もも」と膝下の部位も含めた意味での脚です。

 

一般的に言う足全体を指す意味での足と思って頂きたいのです。

 

この詩句における足とは足全体を指しています。

 

 

 

 

というわけで、「苦樂觀乎手足」の詩句をそのまま直訳いたしますと、

 

「苦樂は手足で觀る」となります。

 

 

神異賦をただ和訳するだけであればこの訳でいいと思うのですが、

 

一般の方達には、これでは何を言っているのか意味がわからないと思うので

 

顔占い・人相術の知識で言葉を補いますと次のような感じの文章になります、

 

「人生において苦労して生きるのか楽をして生きるのかは

 

 その人の手と足の状態や身体つきとのバランスを観れば知る事ができます」

 

という感じの訳文に私はしました。

 

 

この訳でだいたいの意味は分かって頂けると思うのですが

 

顔占い・人相術をご存知ない方達にはさらに詳しく説明をしなければ

 

実用することは難しいと思いますし、

 

また、この詩句の意味だけにとらわれて人を判断してしまうと

 

間違った判断をしてしまいますので

 

その他の人相術の知識や技術を加えて

 

この詩句が言おうとしていることをさらに詳しく解説していきたいと思います。

 

 

 

 

それではまず、先ほど述べた「苦樂」の解釈から始めていきます。

 

 

先ほど苦樂は辞書の説明では「苦しみと楽しみ」という意味になると

 

説明しましたが、

 

この詩句における意味としてはその解釈は正確ではなくて

 

ここでは「苦しむことと、楽(らく)をすること」と解釈した方が適切であると

 

私は思っています。

 

 

楽(たの)しむこと、ではなくて、「らくをすること」という意味の方で取ります。

 

楽ちんな仕事、とか、気楽な状況、という意味での「らく」です

 

その方が意味が通ると思うのです。

 

 

 

「たのしむ」の意味の場合は、たのしい、愉快である、喜んでいる状態、

 

好きである、笑顔でいられる状態、おもしろい状況にある、などの意味となりますが、

 

 

「楽(らく)をすること」、の意味の場合は、心が穏やかな状態、とか、

 

容易に物事が進む、何事もたやすい状況、それこそ楽な様子、

 

安らかな状態や心境、心が満たされている状況、などの意味になります。

 

 

 

この詩句の解釈としては「たのしむ」よりも「らくをすること」の意味の方が

 

実際と合っているように思うのです。

 

 

この詩句に合致する多くの事例を見ていけば人生で楽しいことが多い人にも

 

出会うかもしれませんが、そういう人の場合は手足の状態だけではなくて

 

顔全体の状態とか身体全体の状態や身にまとっている雰囲気が

 

抜群に良い状態になっているはずで、

 

普通一般の人相の人とは見た感じも雰囲気も違うはずなのです。

 

 

 

余談ですが、本当に運勢が良い人とか、才能、能力や才気が人並み以上の人は

 

見た感じや雰囲気や存在感がハッキリと違っていて、際立って見えるのです。

 

身体の周りにある空気からクッキリと浮かび上がっているように見えるのです

 

昔からよく言われている言葉ですが「その人だけ光って見える」という表現の

 

しかたがとてもあっているように思えるものです。

 

 

 

解説に戻ります、今回の詩句は手足の状態から相手の人生の状態を

 

判断することを述べている内容であり、

 

詩句も短くて私はこの詩句はこれのみで主動的な判断に使うものではなくて

 

他の主たる人相の暗示を支持するための支持材料であろうと思うのです。

 

そのぐらいの使い方があっていると私は思います。

 

 

 

ですのでこの詩句の苦樂の意味は、苦しむことと、らくをすること、というふうに

 

とらえて頂きたいと思います。

 

 

 

では次の解釈に進みます

 

この詩句は「人生で苦労をするか楽をするかは手足を観ればわかります」と

 

述べています。

 

それでは、手足がどのような状態になっていれば人生で苦労するのか、

 

それとも楽に生きていけると判断できるのか、について説明いたします。

 

 

 

一番のポイントは、手足と胴体との大きさの釣り合い、バランスです。

 

手足と胴体と頭との大きさのつり合いバランスが取れていて、

 

肉付きも大きさも太さも厚みも程よい形で、

 

伸びやかですっきりした感じが見た目に感じられる状態が良い状態と言えます。

 

そのように見える形ならば、それだけで運勢が良い状態の人と言えます。

 

 

 

それとは逆に手足と胴体頭とのつり合いが取れていなくて

 

胴体に比べて手足が大きすぎたり、小さすぎたり、長すぎたり、短すぎたりして

 

バランスが取れていないような感じに観える形であると

 

運勢が良くない状態だという判断をすることになります。

 

 

手足の大小や長短以外にも、肉が削げ落ちて骨が浮いているように見えていたり

 

異常に肉や脂肪が付いていてブヨブヨしているとか、

 

思いもよらないところに筋肉がついていて違和感を感じてしまうとか

 

胴体とのバランスが取れていないように見える形であれば

 

それらはすべて運勢の良くない暗示となります。

 

つまり人生で苦労する暗示があるということになります。

 

 

 

ただ、この手足の形のバランスを観る判断については注意が必要で

 

両親からつながる家系的な身体特徴の遺伝というだけの場合もあるので

 

あくまで全体の判断のための支持材料のひとつに過ぎないと

 

強く認識しておいて下さい。

 

 

それはどういうことかと言うと両親からの遺伝で生まれつき手足が

 

長めだったり短めだったりするという特徴がどうしても出る場合もあるということです。

 

家系の遺伝によって生まれる人がみんなそういう手足になるのならば

 

それで運勢を判断するというのは判断要素としてはとても弱いということです。

 

なのでこれは支持材料の一つにしかならないのです。

 

 

 

そして手足の大きさと肉付きやスッキリすらりとした形も大事なのですが、

 

手足から漂う雰囲気や印象も大事な判断要素になります。

 

 

近づいて相手をよく観たときに手足から苦労を感じさせるような雰囲気が

 

感じられるかどうかも大事な判断のポイントになります。

 

手足を観たときに「ああ、苦労されたのだな、」と一目でわかるぐらい

 

苦労したという雰囲気が手足に現れている方もなかにはおられます。

 

ある程度の年配の方の肘から下の腕から手首と手の甲と指を観たときに

 

一瞬でそれまでの人生での御苦労がこちらに伝わってくることもあるからです。

 

 

またそれほど人生経験を積み重ねたわけではないはずの若い人でも

 

手足の感じや雰囲気に苦労しているような感じが現れている人もいるのです。

 

若いのにそういう雰囲気が手足に現れているというのは、

 

これからそういった苦労をするかもしれないという暗示と取ることができるのです。

 

 

逆に手足の雰囲気や印象がとても元気で活力のあふれる感じとか、

 

ゆったりとして余裕があるような感じとか

 

穏やかでさっぱりとした雰囲気が感じられるのならば

 

手足の雰囲気や印象という点では運勢が良いという暗示と取ることができます。

 

 

 

ここまで説明してきたように手足と胴体との大きさや長さのつり合いバランスとか、

 

手足を観たときに感じられる雰囲気や感じで判断するのですが

 

これらはあくまで手足という一部分の状態による判断にすぎません。

 

 

正しく顔占い人相術的に判断するためには顔全体や身体全体の判断を

 

いくつも積み重ねて、それらを併せて判断するようにしなければなりません。

 

手足の状態は全体の運勢判断のための支持材料の一つというだけなのです。

 

 

この詩句の言うとおり、手足の状態で人生で苦労するのか楽に生きられるかの

 

判断の手がかりになる情報の断片は知る事ができますが

 

それはあくまで支持材料の一つに過ぎないのでそれを絶対視しないで下さい。

 

支持材料の一つだけを観て運勢を決めつけるような事はしないで下さい。

 

仮に手足が貧相、貧弱に見えても

 

顔の骨格雰囲気や身体の雰囲気存在感がすごく良くて

 

眼光が素晴らしく抜群であれば、運勢の判断は逆転します。

 

顔占い人相術は全体を観ることを心がけるようにして頂きたいと思います。

 

この詩句の解説を終わります。

 

 

 

苦樂   ここでは苦しみと、らくに生きること、の意味

 

觀    見ること

 

乎    助詞、語気を現す

 

手足  て、と、あし、そのものの事

 

(18苦樂觀乎手足)

 

 

 

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顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です



(17智慧主於皮毛)

 

「顔や身体の皮膚と髪の毛や体毛の状態によって頭の良さを判断します」

 

 

 

智慧(チエ)とは、簡単にいうと頭の良さのことをいっているのだと思います

 

物事の道理を自分なりに判断して正しいと思われる方向に

 

処理していこうとする心のはたらき、とか

 

物事の筋道を自分なりに立てて計画をして自分が正しいと思う方向に

 

処理していこうとする能力を智慧というのだと思います。

 

 

それと「 仏教の用語としての智慧の意味 」もあるのですが

 

それはこの詩の解釈には当てはまらないように私は思うので

 

ここでは説明しませんが、

 

ですがその方面から研究したい方もおられるとも思いますので

 

この記事の最後に少しだけ仏教用語の智慧の意味を書いておこうと思います

 

 

 

主(シュ)とは、ここでは物事の主体とか、主要な、とか、

 

重要な、とかの意味で取ろうと思います

 

 

於(オ)とは、読まない場合もあるのですが、意味は「である」とか、

 

「とする」という意味で取るようです。

 

 

皮(ヒ)とは、「かわ」のことで、ここでは人間の皮膚を指しています

 

 

毛(モウ)とは。「髪の毛、や体毛」のことです、

 

ここでは当然人間の髪の毛や体毛を指しています

 

 

皮毛(ヒモウ)という成語もあるのですが、

 

それだと「獣の皮と毛」の意味になってしまうようですし、

 

毛皮(ケガワ)の意味になってしまうので、

 

ここでは皮と毛は一緒に読まずに分けて読んだ方がいいと思われます。

 

 

 

 

それでこの「智慧主於皮毛」の詩句の単語をそのままつないで直訳すると

 

「智慧は皮と毛が主です」となります。

 

 

ですがこれでは何を言っているのだかわかりにくいと思いますので、

 

言葉を足してわかりやすい文章にすると次のような感じにできます

 

「人間の頭の良し悪しを判断するには、その人の皮膚の状態と

 

 髪の毛などの体毛の状態を観れば判断することができます」

 

という意味になります。

 

神異賦の原文をそのまま解釈するのならばこれでいいと思います。

 

 

 

 

それではここからは私の解釈になるのですが、

 

人相術の先生方や諸先輩方からの教えと、私の経験をもとにして

 

この詩句についての意見を言わせて頂くと

 

人間の頭の良し悪しをその人の皮膚の状態と髪の毛の状態だけで、

 

判断するのは無理があると私は思います、

 

それらや賢さは、顔全体の雰囲気と、眼の感じと、額の状態によって

 

判断することにしています。

 

というのがいま現在の私の考え方です。

 

 

原典の詩句にあるように皮膚の状態や髪の毛や体毛の状態はもちろん観ますし

 

それらを無視するような事は決してありませんが

 

それらだけを賢さの主要な判断の材料とはしないです、

 

 

顔占いで対象の人の頭の良さや賢さを判断、推測するときに

 

皮膚の状態と髪の毛などの体毛の状態だけを見て決定することはありません。

 

 

皮膚や髪の毛などの体毛の状態は占う対象の人物の

 

頭の良さや賢さを判断、推測するための

 

「 有力な支持材料の一つとして採用する 」のが良いと思うのです。

 

 

 

先ほど述べたように頭の良さや賢さは、

 

顔全体や身体全体から発する雰囲気をまず始めに観ていきます、

 

 

次に眼の状態を観ます、特に眼の光の状態はよく観ます、

 

眼の光が強いのか弱いのか、清いのか濁っているのか、

 

暗いのか明るいのか、などを観ていきます

 

同時に眼の周囲の状態もどうなっているのかを意識して観ます

 

 

余談ですがペットなどの動物は眼を時間をかけてよく観察すると

 

賢いのか、賢くないのかなどは何となくこちらに伝わってきます。

 

 

そして人間の頭の良さは額の状態にも良く現れるので

 

そこも同時に観ていきます

 

頭の良い賢い人は額の状態がとても良い場合が多くて

 

そうでなくても人並の額であるのが普通です

 

頭の良い人で額の状態が良くないという事はほとんどありません。

 

 

 

そういった要素を観た上で皮膚の状態とか頭髪の状態を併せて観ていきます

 

 

皮膚はある程度の張りがあって潤いがあるのが望ましくて

 

適度なツヤがあれば、かなり良い状態だと思います

 

 

反対に皮膚がいつも荒れていて張りがないとか潤いも無ければ

 

食生活や生活習慣の乱れや不安定さとか体質や健康面の問題が考えられます。

 

 

頭髪なども髪にある程度の潤いがあり、

 

ある程度のツヤがあれば良い状態だと私は思うのですが、

 

 

反対に髪に潤いが無くてパサついた状態になっていて

 

髪の毛に生気が無くて、頭髪全体が乱れているような感じになっていたら

 

やはり食生活や生活習慣の不安定さとか、

 

なんらかの病気を患っているのではないかと考えてしまいます

 

 

頭髪はハゲているとか白髪になっているとかは問題ではなくて

 

残っている髪の毛の質感とか状態をよく観て下さい

 

 

皮膚の状態とか、頭髪の状態は

 

食生活や生活習慣の積み重ねが出やすい場所です

 

あるいは体質とか、いま患っている病気や持病がわかる部分でもあります

 

 

頭の良い賢い人は食生活や生活習慣に気を配りますし、

 

自分の見た目の状態は自分で整えるのでそれが原因で皮膚や頭髪が乱れたり、

 

周囲に気にされるような異常な状態になるまでケアをしないということは

 

あまりないと思います

 

 

また体質や何らかの病気を患っていて皮膚や頭髪に問題がある場合は、

 

その人と一緒に過ごす時間がある程度あればそのうちに本人が

 

それとなくそういった事情を知らせてくれる場合があります

 

頭の良い賢い人は気遣いも人並み以上であるので

 

周囲から誤解をされないように先手を打って自分から伝えてくることもあるのです

 

 

 

なので頭の良い賢い人は皮膚の状態や頭髪は人並み以上の状態で

 

整っている場合が多いのです。

 

整っていない場合は体質や持病の問題があったりして

 

それは本人の頭の良さや賢さとは別の運命的、運勢的な問題である

 

可能性があります。

 

 

そのような理由で頭の良い賢い人は皮膚の状態も頭髪や体毛の状態も

 

人並みかそれ以上に良い状態になっていたり

 

整っていることが多いです

 

 

 

 

反対に皮膚の状態や頭髪の状態が良くない人がどういう人かというと

 

これまで述べてきたように

 

食生活の状態が良くなくて、栄養状態に問題があるとか

 

生活習慣が一定していなくて不安定な状態になっているとか

 

などの原因が一番高い可能性として考えられます

 

 

毎日の食事を三食ちゃんと取っていないとか、

 

栄養価の低いジャンクフードを好んだりお菓子ばかりを食べていれば

 

皮膚や髪の毛の状態は当然悪くなりますし、

 

 

あるいは生活習慣が不安定とか乱れているというのは

 

具体的には毎日の睡眠時間が極端に少ないとか

 

睡眠を取る時間帯が昼夜逆転しているとか

 

仕事とか趣味とか好きな遊びとか欲望を満たす行為などに極端にのめり込んで

 

身体や精神の過労状態が長期間続いているような状況が考えられます

 

過労状態が続くと皮膚や髪の毛からは生気が無くなります

 

皮膚は常に荒れますし、肌の色は悪くなります

 

髪の毛はパサパサになり枝毛や折れ毛や抜け毛が増えて髪は乱れます。

 

 

それらはつまり自分の生活をコントロールできていないのです

 

理性を失い自分自身の身体のことも考えられない状態なのです

 

そういう人は頭が良くて賢い人とではないと言えます

 

そういう意味では「智慧主於皮毛」の詩句の意味と合っているとは思います。

 

 

 

ですので、占う対象の賢さや頭の良さを判断、推測するための

 

支持材料の一つとして皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて観るのは

 

とても有効であり、有力でもある情報ではあるので

 

相手を丁寧に鑑定したり観察できる時間や余裕があるのならば

 

積極的に観て判断すべき部分であると思います。

 

 

 

私の解釈をまとめますと

 

頭の良さや賢さを判断する対象の人物の

 

皮膚の状態や頭髪や体毛の状態は確認の為に観ますが

 

それのみで判断を決定することは無くて

 

その前に相手の顔全体、身体全体の雰囲気を観て、

 

眼や眼の周囲の状態を観て、額の状態を観て

 

それらの次に皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて観て

 

判断するのが良い鑑定、判断法ではないかと思います。

 

というのが私の考え方になります。

 

 

 

最期に備考として最初にお伝えしたとおりに

 

「 仏教用語の意味での智慧 」の意味も少し書いておきます。

 

仏教でいうところの智慧は、「般若(はんにゃ)」と訳すそうです

 

智慧は仏菩薩の修行の道のなかで「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」と

 

いわれていて修行道の中のひとつだそうです。

 

「般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)」とも言うそうです

 

物事の存在全体の真実の相を分析するのではなくて

 

一瞬にして把握して真理を見極める直観知の力のことだそうです。

 

判断力ではなくて理性の一種だそうです

 

智慧波羅蜜とも言うそうです。

 

お寺に行くとよく唱和することになる「般若心経」の一行目の

 

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」の中の

 

般若波羅蜜多も同じ意味になります。

 

 

 

仏教的な智慧の意味は以上ですがこのような超能力を持っているかどうかを

 

顔や身体の皮膚とか頭髪や体毛の状態から判断できるとは

 

到底思えませんので本文で述べたことが私の解釈になります。

 

この詩句についての説明を終わります。

 

 

 

智慧   ここでは頭の良さや賢さ

 

主    おもに、とか、主要な、の意味

 

於    である、とか、とする、の意味

 

皮    人間の皮膚

 

毛    人間の髪の毛や体毛

 

(17智慧主於皮毛)

 

 

 

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顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でのアレンジしたものを書いていきます。
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(16面肉横生 情性必毒)

 

「顔の全体の上下の肉が横に伸ばしたように平らに広がっている人は

 

 必ず性格や本性に他者を傷つけ危害を加えるものがあります」

 

 

 

面肉横生(メンニクオウセイ)とは神異賦・人相術の専門用語です

 

ですので言葉を分解してわかりやすくなるように解説をしていきます

 

 

 

面(メン)とは、人の顔のことです。顔つきとか顔面のことを言います

 

 

肉(ニク)とは、皮膚の下の筋肉のことを言います、皮の下の肉です

 

 

なので面肉とは「顔の肉」という意味になります

 

 

 

横(オウ)とは、そのままの意味で「よこ」です縦、横のヨコです

 

 

生(セイ)とは、ここでは「生じる」とか「生じている」と取るとわかりやすいです

 

他にも生には意味がたくさんあるのですが

 

ここでは、発生する、とか、起こるとか、資質、という意味で取ると良いです                       

 

 

なので横生とは、「横に生じている」と取るとよいと思います                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

 

 

それで言葉をそのままつなげると面肉横生という詩句は

 

「顔の肉が横に生じている」と取ることができます

 

 

 

次に情性(ジョウセイ)ですが、「性格とか性質」という意味があります

 

他にも、本性とか、情感、生まれつきの心とか、本来の情とか

 

思い、とか人情、という意味があるようです

 

情性の言葉の前後を入れ換えると性情になります

 

 

必(カナラズ)とは、かならず、でそのままの意味でよいと思います

 

 

毒(ドク)とは、そのままだと、生命を損なうもの、とか

 

健康や精神に有害なもの、という意味ですが

 

前後の字と句を考えてそれらに合った意味を絞り込んでいくと

 

ここでは「他者や周囲に危害を加える」とか「傷つける」という

 

意味で取るとよいのではないかと思います

 

そうするとこの詩句はなにを表現したいのかがわかるようになってきます

 

 

なので、情性必毒という詩句は

 

「性格や性質に必ず他者や周囲の人を傷つけたり

 

 危害を加えるようなものがある」

 

というふうに解釈できると思います

 

 

 

それで前の句の面肉横生とこの情性必毒をつないでみて直訳すると

 

「顔の肉が横に生じている人は必ず

 

 性格や性質に他者を傷つけたり危害を加えるようなものがある」

 

というふうに訳すことができます

 

 

 

しかし、このままでは説明不足で何をいっているのかわかりにくいので

 

顔占いの知識や教えを加えて言葉を補って説明をすると

 

私流の解釈ですが、最初に書いた以下のような訳になります

 

 

「顔の全体の上下の肉が横に伸ばしたように平らに広がっている人は

 必ず性格や本性に他者を傷つけ危害を加えるものがあります」

 

というふうになります

 

 

 

これでもイメージしにくいかもしれませんのでもう少し説明をしますと

 

面肉横生の顔は野球で使うホームベースを逆さまにしたような感じの顔だと

 

思ってもらうとよいかも知れません

 

四角形の一辺に三角形がくっついているような感じの五角形です

 

その三角の部分が下向きになっている形の顔だと思って下さい

 

三角の部分は顔のアゴの部分を当てはめる感じで想像して下さい

 

 

耳の手前の下側にアゴ側面のエラが張り出している

 

ガッチリとした顔を思い浮かべて下さい

 

顔全体は四角っぽい感じで横に伸びた広い顔を想像して下さい

 

 

 

イメージしづらい人は歴史上の人物の顔として

 

新選組局長の近藤勇の写真を見て下さい

 

面肉横生に近い顔の造りをしています

 

 

ただし近藤勇は眼光と身にまとう雰囲気が全然違いますから

 

顔の造りの部分だけを参考にして下さい

 

真正の面肉横生は眼光と眼つきと顔の雰囲気がかなり怖いですし

 

雰囲気に不気味さがありますからそれで違いがわかります

 

 

近藤勇の写真を見ると凛々しさと武士の風格が漂い

 

厳しさと穏やかさが混じり合って同居している中に

 

ひょうきんな性格の部分もわずかに見え隠れしているような

 

複雑な人間性が感じられます

 

この方は真正の面肉横生ではないと私は思っています

 

 

近藤勇は武蔵国の多摩地方の農家の出身ですが

 

能力が認められて幕臣になり旗本並の役職にまで出世しました

 

友人や部下、周囲に優秀な人物も多数いて

 

ただの粗暴乱暴な危険人物などではありませんでした

 

なので真正の面肉横生ではないと思います

 

ただ顔の造りの部分だけは面肉横生の形にとても合うので

 

その部分だけを参考にして下さい

 

 

 

ここまでが詩句の解釈なのですが

 

この詩句が言っている事は実際のところどうなのか?

 

ということなのですが

 

 

顔占い的な観点と私の実体験でこの詩句について思うことを

 

率直に書きますと

 

「たとえ面肉横生の顔型でも 必ず危害を加える なんてことはないですね」

 

というのが私の気持ちです

 

 

 

さきほど説明しました面肉横生の顔型に合致する人は

 

社会や世間やテレビの中に結構おられます

 

テレビに出ている有名人とか著名人の中にも

 

面肉横生に当てはまる顔型の人や面肉横生気味の顔をしている人は

 

男女を問わずそれなりの数がおられます

 

 

そういった人達が全員共に

 

必ず他者や周囲の人に危害を加えるような性格や行動をするかというと

 

そんなことは無いです                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

 

 

なので面肉横生の顔型をしているからと言ってそれだけで

 

必ず他者を傷つけたり危害を加えるということはないのです

 

顔型だけで判断してはいけません

 

判断を誤ります

 

 

 

では、真正の面肉横生はどういうものなのかと言うと

 

面肉横生の顔型に加えて

 

眼の光や眼つき、眼の周囲の雰囲気が危険な感じで怖いのです

 

顔全体が発している雰囲気も怖いか不気味なのです

 

眼光がかなり鋭いとか眼つきが油断ならない感じで

 

その眼を見ると、自分の心の中がぞわぞわするとか

 

冷やりとする、とかイヤな予感とか不安な感じになる、とかがあります

 

 

あるいは、眼を見ても何を考えてるのかまるでわからない感じで

 

ぼんやりとした眼つきをしていて生気が無いような

 

気迫がまるで無い感じの「虚無」という表現をしたくなるような

 

感情とか人間性が感じられないぼんやりした眼をしている人もおります

 

この眼をしている人も危険な人物の場合があります

 

 

 

テレビのニュース映像などを見ていると

 

人の命を故意に奪うような重大事件の容疑者が護送されていく状況が

 

放送されるときがありますが

 

そういう時に顔占いの視点からみて危険な感じの顔をしている人の

 

映像が流れる場合があります

 

 

去年もテレビのニュースを見ていたら

 

面肉横生気味の顔をした眼のぼんやりした容疑者が護送されていました

 

私は思わず食い入るように画面を見てしまいました

 

テレビのニュースはときどき顔占いの教科書をなぞったような

 

顔をしている人がでてくるので勉強になります

 

 

 

そういう訳で面肉横生の人を見かけても

 

顔型だけで決めつけないように気を付けて下さい

 

 

顔型や顔の形とか顔の部分の形というのは

 

あくまでそういった要素の一つにすぎません

 

そういった要素の一つだけで判断をしてしまうと簡単に間違えます

 

すべての物事に言えることですがそんなに単純なものではないです

 

 

面肉横生であれば先ほども書きましたが

 

顔型に加えて眼の感じや眼つきと顔全体の雰囲気で判断します

 

 

ですがそれらが揃っている人などは社会で実際に見かけることは

 

ほとんどありません

 

それこそテレビのニュースの中でしか見かけられない場合がほとんどです

 

 

ですが顔占いを使う側の人の生き方や歩む人生によっては

 

こういった人相の人に会うことが多い人生もあるかもしれませんので

 

覚えておくのはよいと思います

 

 

 

それと、これは私の個人的な感覚なのですが

 

面肉横生や面肉横生気味の顔型をしている人は

 

軍事、武道、武術、格闘技、などの分野で見かけることが多いように感じます

 

そういった分野で適性や才能が発揮しやすいのかもしれません

 

ただ、まったく違う分野でも見かけることがあるので

 

必ずではありませんが多少の傾向性はあるかも知れません

 

なのでよろしければ参考になさってみて下さい

 

 

この詩句についてはこれで終わります

 

 

 

面肉   顔の肉

 

横生   横に生じる

 

情性   性格や本性

 

必    かならず

 

毒    傷つける 危害を加える

 

(16面肉横生 情性必毒)

 

 

 

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顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です



(15準頭豊大 中心無凶)

「鼻の頭が豊かに膨らんでいて大きい人は

 

 心のなかに邪悪な考えや気持ちが無い人です」

 

 

 

準頭(セットウ)とは、鼻の先、鼻の頭の部分を指していう言葉です

 

「ジュントウ」と読むこともできるようです

 

また、鼻準(ビセツ)という言い方をする場合もあります

 

ほとんど人相術の用語です

 

 

豊大(ホウダイ)とは、盛大(セイダイ)とほぼ同じ意味だそうです

 

きわめて盛んなさま、とか旺盛なさま、

 

豊かで盛んなさま、を指す言葉のようです

 

 

中心(チュウシン)とは、ものの真ん中、とか中央という意味ですが

 

この詩句では、「心のなか」とか胸の内、とか心の底、とか、

 

内心、という意味を指しているように思えます

 

中心というこの言葉の前後を入れ換えると「心中」になります

 

 

凶(キョウ)とは、悪い、とか不吉とか不幸という意味ですが

 

この詩句では前後の漢字と前後の詩句の意味から考えると

 

よこしまな、とか邪悪な、とか悪者とか

 

凶暴な人、とか他者を傷つける悪人、という意味の方で

 

とる方が適切なように思えます

 

 

無(ナシ)とは、そのまま「ない」という意味で良いと思います

 

 

 

それではこの詩句の解説をしていきます

 

 

まず上の句の準頭豊大から始めていきます

 

 

これは「鼻先、鼻の頭の部分が通常よりも豊かに膨らんで大きい人」は

 

あるいは「豊かに膨らんで大きいと~」でもいいです

 

そのように解釈していいと思います

 

漢字の意味をそのまま取ればいいはずです

 

人相術的にはそのように解釈するのが妥当と思われます

 

この上の句は難しくありません

 

 

 

次に下の句です、中心無凶の解釈です

 

 

中心の字義をどう取るかなのですが

 

この句の場合はどう取ってもそれほど意味が変わらない感じです

 

中心という言葉は物事の真ん中とか中央と解釈するのが多いですが

 

それでも意味が通るように思えます

 

 

ですが、中心には「心のなか」「内心」の意味があります

 

同じ意味で、胸のうち、心の底、心中、胸中、の意味もあります

 

こちらで解釈するとより詩句の意味がわかりやすくなります

 

 

 

次に、無凶をどう解釈するかですが

 

凶の字は意味がとても多いです

 

イメージしやすいところでは「悪い、災難、不吉、不幸、命を失う」とか

 

良くないイメージの意味が目白押しですが

 

この句では心理とか人間性を現す意味を取るのが適切なように思えます

 

 

先ほども書きましたが、前後の字の意味もそうですが

 

この詩句の前後の詩句の意味を知らべると

 

内面性の良し悪しの説明に焦点、重点を置いていることがわかります

 

 

なのでこの凶の解釈は性格的な意味で取るべきだと思います

 

よこしまな、とか、邪悪な、とか、人を傷つける行為

 

悪者、凶悪な人、すすんで人を傷つける悪人、という意味の凶です

 

 

無凶ですから、そういった凶の意味が「無い」のです

 

凶悪な性格や心理が無い、と解釈して良いと思います

 

私は下の句をそのように解釈することにします

 

 

 

ですので、この準頭豊大 中心無凶を私が訳すと

 

「鼻先、鼻の頭が豊かに膨らんで大きい人は

 

 心の中に邪悪な気持ちや考えが無い人です」

 

という訳になりました

 

 

 

 

それでこの訳文のついて私が人相術的にどう思うかというと

 

「そこまで言うほどでもないでしょう?」という気持ちになりますし

 

あんまりこの詩句の内容には賛成できません

 

 

 

確かに鼻先、鼻の頭が大きく膨らんで豊かに見えるぐらいの鼻は

 

人相術的にはとても良いと言えます

 

吉相としてのポイントは高いです、悪いことは全然ありません

 

 

でも、それだけで「心中に凶は無い」とまで言えるかというと

 

危なくてとてもそんなことは言えない、というのが私の本音です

 

 

 

鼻はおもに財運や中年運を見ることができる重要な部位ですし

 

鼻が立派な人は不思議な安心感を感じさせる

 

顔の雰囲気を持っている人が多いのも事実なのですが

 

 

鼻の形ひとつだけを取り上げて

 

「この人は悪人では無いですよ」と言い切ってしまうのは

 

かなり強引なことを言っていると私は思ってしまいます

 

 

 

顔占いの記事をこれまで書いていて何度も繰り返し言っていますが

 

その人が悪人で無いかどうかとか

 

その人が他者や周囲を傷つけることが無いかどうかなどは

 

顔全体を観て判断しなければなりません

 

 

それだけでなく、その人と会話をしなければわからない事も多いですし

 

ある程度その人の普段の行動などを見ていないとわかりません

 

それだけ時間をかけて相手を観察しても

 

相手の性格がわからないことの方が多いのです

 

 

 

なのでこの詩句が言うように

 

鼻の先が膨らんで大きい人の心の中は邪悪ではありません、というのは

 

私の経験としては受け入れられないです

 

 

 

今回は鼻のことを述べている詩句なので

 

鼻をメインにして記事を書いていくことにします

 

例えば鼻の形が良かったとしても「色の状態」もあるのです

 

色が良くなかったとしたらどう解釈するのか?ということです

 

 

鼻の色が赤かったり青かったりグレー色だったり黒いこともありうるのです

 

鼻の形が良くても色が良くなければ運勢や状況は良くないのです

 

色が良くないと財運や健康運や中年の時期に問題があること示しています

 

 

 

財運や金銭関係に問題があれば鼻は赤くなることが多いですし

 

健康や病気の問題があれば青やグレー色になる事が多いです

 

黒いと運勢が相当良くないか命に係わるような場合もありますし

 

後ろ暗いことや他人に言えないことに関わっている場合も

 

可能性としてはありうるのです

 

 

 

鼻が濃い赤色の場合の詩句が神異賦の中にありまして以前に紹介しました

 

(168準頭赤色重々 奔波詭計) という詩句です

 

私のアメブロの過去記事を見て頂ければ見つかると思います

 

よろしければ参考になさって下さい

 

 

 

人相による性格や人格について述べている詩句でもありますので

 

それについてももう少し書きます

 

顔占いだけで性格、人格を判断しようとする場合は

 

特に注意して観るべきなのは眼と眼の周囲の状況です

 

 

眼の状態としては、眼の光が強いのか弱いのか

 

眼が明るいのか暗いのか、清いのか濁りがあるのか

 

眼が正しいのか、正しくないのか

 

という所を観ます

 

それと眼の周囲の状態も大切です

 

具体的に言うと眼と眼の周囲に漂う雰囲気のようなものを観るのです

 

 

 

これらは言葉だけで伝えるのが難しいのですが

 

顔占いだけで判断をしようとするならばいま述べたことがとても重要です

 

 

ですが実際の場面ではそのときの相手の心理状態が

 

眼や眼の周囲の状態を変化させるので判断はかなり難しいのです

 

性格も人格も問題ない人でも何かの理由で心理的に警戒している時は

 

眼や眼つきが厳しくなりますし

 

 

また、過去にひどく騙されたり傷つけられた経験をしている人は

 

性格、人格に問題がなくても眼の光が暗くなりがちです

 

 

また、眼と眼の周囲の状態に異常とか違和感が現れにくくて

 

顔全体の雰囲気に違和感が現れるタイプの人もいます

 

 

 

なのでその時その瞬間のぱっと見だけで相手を判断するのは

 

かなり難しいですし、それだけで決めるのは危険でもあります

 

相手の人格とか性格を判断するのいうのはそれだけ難しいですし

 

あせって急いで判断するべきものでもないと私は思っています

 

 

 

なので繰り返しになりますが顔の一部分だけを取り上げて

 

その結果だけで悪人では無いと言い切る事には賛成できません

 

 

私はこの詩句は顔を判断するときの支持材料として使うのが

 

適切ではないか?と思っています

 

相手の人格や性格を観るときに支持材料のひとつとして使うのです

 

そのような使い方ならば問題は無いと思います

 

それぐらいの見方が適切ではないでしょうか

 

 

この詩句の解説を終わります

 

 

 

準頭   鼻の頭 鼻の先

 

豊大   豊に膨らんで大きい

 

中心   心のなか、内心

 

無    ない

 

凶    邪悪な、よこしまな

 

(15準頭豊大 中心無凶)

 

 

 

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お墓参りに行った日の夜になると

 

なぜかたいしたことをした訳でもないのに身体に疲れが強く出てきて、

 

ものすごく「かったるい感じ」になることがあります

 

この現象について私が思っていることを書いていきたいと思います

 

 

 

この記事は、

 

お墓参りに行ったあとになると疲れが強めに出る現象について

 

その事がなんか気になる、という人達と

 

気持ちを共有する感じで書いた記事です

 

お墓参りに行ったあとでそれほど疲れが出ない人にとっては

 

あまりおもしろみのない、関わり合いの無い内容だと思います

 

それはいちおう事前に書いておきますね

 

 

 

○ お墓参りに行ったあとは疲れを強く感じる人が多い

 

 

ずいぶん昔のころから感じていたのですが

 

お墓参りに行った日の夜になると、なんか知らないけど

 

身体がものすごく「かったるい感じ」になって

 

きょうはすごい疲れたな、と思うことが多いです

 

 

 

以前は、その疲れは私自身のみが感じている

 

ごく個人的なものなのかな?と思っていたのですが

 

いろんな人の話を聞いていたらどうもそうではないようで

 

 

結構な数の人達が私と同じように

 

お墓参りに行ったあとに(おもに夜になってからぐらいの頃に)

 

身体の疲れを異常に強く感じるという話を聞くことが多いです

 

 

疲れを感じるのが早い人などはお墓参りから帰ってきてすぐの

 

まだ明るいうちなのに疲れがどっと出る、という話も聞いたこともあります

 

 

 

このお墓参りに行ったあとに疲れた感覚が強くでるというのは

 

思ったよりも多くの人が経験していることのようで

 

そんなに珍しいことでもないようなのです

 

 

 

私の場合を細かく書くと、お墓参りに行き、帰ってくる

 

その帰路とかでどこかに立ち寄ったり、他の用事をしたとしても

 

その最中は疲れは全然出ないのですが

 

家に着いたあとで、夜の18時頃くらいから猛烈に疲れが出てくる

 

というパターンが多いです

 

私の知り合いなど他の方達に聞いてもやはり疲れを感じるのは

 

夜ぐらいが多いようです

 

 

早めにお墓参りを済ませてどこにも立ち寄らずに家に帰っても

 

明るいうちは疲れはそれほど出なくて

 

夜になって暗くなったころに急にどっと疲れが出るという形です

 

ただ、かならず夜になってから疲れが出るというわけでもなくて

 

まだ外が明るいうちに疲れが出てしまう場合もあります

 

 

 

疲れの重さ度合?というのは結構重い感じで

 

一度疲れが出てきてしまうと、もう他に何かをしたいとは思いたくないほど

 

疲れた感じになり倦怠感を全身に感じることも多いようです

 

 

 

昔のことですが私の知人がお墓参りの後に私の家に立ち寄ったときに

 

まだ夜にならない夕方ぐらいだったのですが

 

うちでかなりリラックスしてくつろぐいでしまったためか疲れがでてきてしまい

 

「なんで墓参りの後はこんなに疲れるのかね~?」と

 

大きな声を出してぼやいていたことがありました

 

お墓参りの後に出る身体の疲れ、倦怠感は思いのほか強いです

 

 

 

ついでにその疲労の回復について言うと

 

その日の夕食をしっかりと食べて栄養を取り

 

夜に無理をして何かの仕事をしたり外出したりしないで身体を休めて

 

少し早めに就寝して睡眠の時間を十分に取れば

 

お墓参りをした事による疲れは通常は取れるはずです

 

 

 

また、別の知人の話になりますが

 

事情によりお墓参りに行けない期間があって、

 

数年ぶりにお墓参りに行ったのですが

 

 

その日のそのあとは身体の疲れ方がかなり重くなり

 

翌日の朝にいつもと同じ時間に起きることができなくて寝坊をした

 

という話は聞いたことがあります

 

この話などは疲れが翌日まで残った例だと思います

 

 

ここまで疲れが残るのはめずらしくて

 

普通は一晩しっかりと睡眠を取れば

 

お墓参りに行ったことによる疲れは取れる場合が多いです

 

 

 

○ お墓参りに行ったあとの疲れの原因はわからない

 

 

それでこの疲れの原因は何なのか?と思うのですが

 

「 よくわからない 」というのが私の現在の認識です

 

 

 

お墓参り後の身体の疲れに関しては専門家と言われる方達、

 

霊能力者とかそういった関連の方々がいろいろなことを言っておられます

 

 

お墓を通して先祖の霊に直接に接するからその影響を受けて疲れるとか

 

 

墓地や墓場にはいろんな霊がたくさんいるのでそれらからの

 

影響を受けてしまい疲れるとか

 

 

墓地や墓場は自然界における陰の気が一番強い場所であり

 

普通の人が行くと人体の中にある陽気が陰気からの強い影響を受けて

 

陽気のバランスが崩れて疲れるのだとか

 

 

いろんな説があるのですが

 

私は霊能力とか霊感とかはほとんど無いので

 

それらの説が本当なのかよくわからないですね

 

 

 

自分の実体験としてわかること、言えることは

 

「お墓参りに行った日の夜は疲れが強くでる場合がある」

 

ということだけです

 

 

それは私個人の意見だけではなくて他にもそう感じている人が多い

 

ということがいろんな人の話からわかります

 

それだけは確実なように思えるのです

 

なのでお墓参りに行ったあとで疲れが強めに出ることの理由や原因は

 

いまはわからないとしか言いようがありません

 

 

 

 

○ お墓参りに行くと「 スッキリする 」と疲労との関係について

 

 

ごくたまに、「お墓参りはスッキリするよね!」という方もおられます

 

笑顔でキッパリとした口調でやや強めに言われると

 

私の方も思わず反射的にうなずいてしまいます

 

 

私としてはその感覚を否定するつもりはまったくなくて

 

そう言っている方はそういうふうに感じているのか、とか

 

そういうふうに表現するのか、とそのまま素直に受け取ります

 

 

 

私の気持ちの中にもそういう感覚は少しはありますし

 

お墓参りが済むと「ひと区切りついたな」と思いますので

 

気持ちの面である意味スッキリしていると言えると思えます

 

心理的に共感できる部分があります

 

 

 

「お墓参りはスッキリする」と強調して言われる方の意見を

 

聞いていて感じるのは

 

お墓参りのあとに感じる疲労感を

 

「 心地よい疲れ 」と感じているのではないか?と思うのです

 

心地よい疲れを感じるくらいの役目をこなしたので

 

その達成感がさらに気持ちをスッキリさせるのではないかと考えます

 

その感覚が「お墓参りはスッキリする」という表現になるのだと思います

 

 

なので、お墓参りはスッキリすると表現する方達の気持ちに

 

お墓参り後の疲労感は良い意味で作用しているのではないかと思います

 

 

 

 

○ お墓参り後の疲れ、疲労感にどう対処するか

 

 

結論からいうと、お墓参りにいったあとの疲れを無くす方法や

 

疲れないようにする方法はいまのところ無いと思います

 

 

お墓参りにいったあとに疲れや疲労感が強めに出る人は

 

どうしても疲れがでるようです

 

この記事を書いている私はもちろんそうですし

 

私がいままでにそういったお話を聞かせて頂いた方達も

 

皆そのように疲れを感じています

 

 

 

この疲れを事前に疲れないようにする方法は無いみたいです

 

私もいろいろと試してみましたが効果があると思える方法はありませんでした

 

 

ただし、昼食の前にお墓参りに行った場合は

 

お墓参り後の昼食はしっかりと食べることで

 

多少は疲労感を軽くすることができるようです

 

 

逆に昼食を取らないとか、昼食でちゃんとしてものを食べないのは

 

疲労感を増大させます、疲れが強くなります

 

これは私の実体験であり経験談です

 

 

 

私の知り合いなどはお墓参り後に雑用の対処に追われてしまい

 

また偶然の不運が重なり

 

本来なら昼食を食べられるはずの時間帯に昼食を食べることができなくて

 

はたから見ていてもかなりイライラして

 

周囲の人間と感情的にぶつかってしまい

 

一時的に険悪な雰囲気になったこともありました

 

 

おそらくは食事を取れないことの空腹感が

 

お墓参り後の疲労感をより強めて

 

イライラとした感情を抑えることができなかったと思われるのです

 

なのでお墓参りしたあとの食事は昼食も夕食も

 

しっかりと食べることがとても大事です

 

 

 

昼食をしっかりと取ることの重要性から先に書いてしまいましたが

 

疲れが本格的に出てきて身体的に辛くなるのは夜の場合が多いので

 

疲れが出てくる夜の過ごし方やその日の夕食について書いていき

 

疲れを翌日に持ち越さないようにする方法を述べたいと思います

 

 

 

まず、お墓参りに行った日の夕食は別に何を食べてもよくて

 

そんなのは個人の自由なのでそれをいちいち指図するような事は

 

したくないのですが

 

 

お墓参り後の身体や精神的な疲れ方が私以上に重く出て辛い、

 

という方がおられるかもしれませんので対処法を細かく書いていきます

 

 

 

疲れ方が重い人の場合は、夕食は消化の良い栄養バランスの取れたものを

 

積極的に食べるようにした方がよいでしょう

 

 

それと夕食の支度も疲れが増える作業でもありますので

 

夕食の支度をしないで済ませられるように事前に考えて準備しておくとよいです

 

 

コンビニやスーパーで売っている弁当や総菜を

 

お墓参りからの帰りの途中であらかじめ買っておいてそれを夕食にするとか

 

 

コロナ渦で急速に増えた外食宅配サービスを利用して

 

夕食を配達してもらうとか

 

 

自分で夕食の準備をするというような

 

疲れが増える作業を可能な限り減らす工夫をしてみて下さい

 

 

自分はいつも夕食の準備をしなくて家族がしてくれる、という方であっても

 

その家族もお墓参りに同行したのであれば

 

同じように少なからず疲れているかもしれませんから

 

夕食は自分達で作らなくていいように

 

お墓参りに行く前からどうするのかを考えておくことが良いです

 

 

 

疲れ方がそこまで重くないという方の場合は

 

外出して外食で済ましてもよいと思いますが

 

 

再び外出するという行動とか動作とか

 

他人と接触することとか、他者に気を使って疲れるような人は

 

自宅で夕食を済ませた方が楽だと思います

 

 

 

次に食事の内容ですが

 

これは本当に何を食べてもよいのですが

 

疲れが重すぎて辛い、という人の為に敢えてアドバイスをするとすれば

 

「消化の良い、栄養的にバランスの取れた食事」という

 

教科書的な回答になります

 

 

 

ご存じの方も多いと思いますが

 

人体は食べた食物を消化するのにもエネルギーを使います

 

消化するためにより多くのエネルギーを使わなければならないような

 

消化のよくない食品や料理は体力が弱っている時は避けるべきです

 

 

 

身体が疲れを感じているときなどは、つい体力が付きそうな料理を

 

選んでしまいたくなる気持になりますが

 

料理の内容によっては食べた食物を消化するために

 

身体が余計にエネルギーを使ってしまい

 

食べた直後からしばらくの間は食べる前よりも身体がかったるくなる

 

なんてこともあり得ます

 

 

 

なので、レバニラ炒め大盛とか、厚切りカツカレー大盛とか

 

厚切りチャーシュー山盛り麺極太硬め濃厚脂味噌ラーメン大盛みたいな

 

脂っこい上に消化に時間がかかりそうな料理ではなくて

 

普通のバランスの良さそうな料理を適切な量で食べる方が

 

身体には負担がかからなくてよいと思います

 

 

 

だからといって、お粥だけ、とかでは栄養が足りないので

 

極端に考えすぎないで

 

普通にバランスの取れた食事を食べるようにすると良いと思います

 

 

 

次にお墓参りした日の夜の過ごしかたですが

 

身体が強く疲れてしまう方は仕事とか何らかの作業をするとか

 

誰か人への応対をしなければならないような予定は

 

はじめから入れない方がよいと思います

 

 

 

そういう人は食事を取った後は風呂に入ったりして

 

それ以外は特別なことは何もしないでのんびりして過ごして

 

いつもより早めに寝るのがベストだと思います

 

 

夜更かししないで睡眠時間をいつもより多めに取るのが

 

疲れを翌日に持ち越さずに身体を回復させる一番良い方法だと思います

 

 

それだけ用心して身体と気持ちを休めれば

 

通常は翌日に前日の疲れや疲労感を持ち越すことは無いはずです

 

 

 

疲れを持ち越してしまうとしたらその原因は

 

睡眠不足、過労、栄養不足だと思われます

 

特に睡眠が一番重要ですのでそこは注意して下さい

 

 

 

 

こんなところでこの記事は終わります

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

これから説明することは余談なのかもしれないのですが、

 

読む人の置かれている状況によっては関連があるかもしれない話なので

 

念のため繋げてここに書いておきます

 

 

私が以前に書いた別の記事で

 

お墓参りに行ったときに身体にあったちょっとした体調不良が治ることがある

 

という記事があるのですが

(それを読みたい方は下の青字をタップクリックするとその記事に移動します↓)

お墓参りに行くとちょっとした体調不良が治る事があるのはなぜなのか?

 

 

その内容と今回の記事は対立するように思われてしまうかもしれませんが

 

今回の記事はお墓参りした日の夜の身体の疲れや疲労感について

 

書いた記事であり

 

以前に書いた体調不良が治る記事は、

 

お墓参りする以前からの軽い体調不良が治ることが主題の記事なので

 

今回の記事とは内容の焦点や説明したい目的が違います

 

 

気になる方は両方の記事を読み比べて頂ければ

 

理解して頂けると思います

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

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