日本にある占い方法の中に相手の顔を見て性格や運勢を判断する

「人相占い」という占い方法があります。

人相占いは「人相学・人相術」とも言われていて

中国語(漢文)の原典で「神異賦(しんいふ)」と呼ばれるものがあるのですが、
それを日本語に訳して、人相学を学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジした

ものを書いていきます。
人相学の古典の現代的な解釈です。


 

(18 苦樂觀乎手足 「手足にて苦楽を観る」 )

 

「手と足を見ると人生で苦労するか楽をするかを知る事ができます」

 

 

 

苦樂(クラク)とは、「苦しみと楽しみという意味です」と、

 

私が読んだいくつかの辞書は説明しておりまして、

 

インターネットで調べてみましても同じように

 

「苦楽とは苦しみと楽しみ、という意味です」という説明がなされています。

 

一般的な「苦楽」という成語の意味としてはそれで正しいと思いうのですが

 

人相学・人相術の視点からこの詩句の言う苦楽を理解するためには

 

違う角度からの説明が必要だと私は思いましたので、

 

あとでこの詩句で言うところの「苦楽」の解釈を詳しく説明したいと思います。

 

 

觀(カン)とは、「見る」とか「観察する」という意味です、

 

それ以外にも「ながめる・見物する」とか「鑑賞する」という意味があります。

 

 

乎(コ、オ)とは、助詞であり文末とか詩句の中に置いて前後の言葉の意味を

 

強調する役割があるのですが、この字自体は読まない場合も多いです。

 

 

手(テ)とは、そのままの意味で「人間の、て」なのですが、

 

この詩句における手の範囲は誤解を生みやすい表現となっておりますので

 

ここではしっかりと説明させていただこうと思います。

 

この詩句で言う手の意味とは、「手首から先の手の部分」とか

 

「手相として見たときの手のひら」だけを指しているのではなくて、

 

一般的には「腕」と言われる部分も含んでいます。

 

つまり肘から先の腕の部分とか、肩の付け根から先の二の腕も含みます

 

二の腕と肘を含めた腕全体をひっくるめて「手」の一言で現わしています。

 

この詩句における手の意味は「腕全体を含む」と思っていただきたいです。

 

 

足(アシ)とは、これもそのままの意味で「あし」なのですが、

 

こちらも上記の手と同じように解釈していただきたいです。

 

つまり足首から先の部分だけを取り上げた意味としての足ではなくて

 

膝から下の「脹脛」や「脛」を含んだ部分とか

 

股関節の付け根から下の「太腿」と膝下の部位も含めた意味での脚です。

 

一般的に言われている足全体を指す意味での足と思っていただきたいです。

 

この詩句における足とは「足全体」を指しています。

 

 

手足(シュソク)とは、「人間の手と足のこと」なのですが、

 

漢文の世界では他に「関係の親密なさま」とか

 

「兄弟のたとえ」という意味もあるようです

 

「手足」から始まる成語や詩句もいくつかあるようで

 

論語に「手足を啓く」という言葉があり「親孝行」とか

 

「孝道を果たした立派な死」というような意味があるそうです

 

 

 

それではこの詩句を日本語として読める文章にしていきます

 

今回も前回(人相を学ぶ17)と同じく「苦樂觀乎手足」という一行だけの詩句です

 

 

まずは「手足(シュソク)にて」から読み始めます

 

次に「苦楽(クラク)を」と読んで、最後に「觀(ミ)る」と読みます

 

これらの語をつなげて読むと「手足にて苦楽を觀る」という文章にできます

 

 

ですがこれでは一般の方達には何を言っているのかわからないと思いますので

 

このあとでより現代的に改めてわかりやすい文章にします、

 

そして現在の人相学・人相術の視点から解釈して説明を加えていきます。

 

ここから先は私の解釈が主になります。

 

 

 

 

それではこの詩句を現代的な文章にしていきます

 

 

さきほどの「苦樂は手足で觀る」という文章を私の感覚で直しますと

 

「手と足を見ると人生で苦労するか楽をするかを知る事ができます」

 

という最初の方で書きました日本語の文章することにしました。

 

 

とはいえこれでも一般の方にはまだ言葉が足りないと思いますので

 

さらにわかりやすく説明を加えますと

 

「人生において苦労して生きるのか楽をして生きるのかは

 

 その人の手と足の状態と身体つきとのバランスを見れば知る事ができます」

 

という感じの文章に私ならします。

 

 

この訳文であれば大体の意味は理解していただけると思います

 

なのですが現代の人相学をご存知でない皆様には、

 

この詩句が述べていない視点からみた説明をしないと

 

誤解をしてしまう恐れがある部分があります。

 

この原文の詩句の意味だけでもって周りの人達を判断してしまうと

 

間違った判断をしてしまうという事にもなりかねません。

 

 

ですので、このあとで現代の人相学・人相術の知識や考え方や

 

私のこれまでに思ったことや経験したことなどの視点から

 

この詩句の内容について私なりの解釈をしていきたいと思います。

 

 

 

 

それではまず、この文章の最初の単語の説明のところで述べました

 

「苦樂」の意味の取り方の解釈から始めていきます

 

 

先ほど苦樂は辞書の説明では「苦しみと楽しみ」という意味になると

 

説明しましたが、

 

この詩句における意味としてはその解釈は正確ではなくて

 

ここでは「苦しむことと、楽(らく)をすること」と解釈した方が適切ではないかと

 

私は思っています。

 

 

楽(たの)しむこと、ではなくて、「らくをすること」という意味の方で取ります。

 

「楽ちんな仕事」とか「気楽な状況」という意味での「らく」です

 

その方が意味が通るのではないかと思うのです。

 

 

 

「たのしむ」の意味の場合は「たのしい、愉快である、喜んでいる状態、

 

好きである、笑顔でいられる状態、おもしろい状況にある」などの意味と

なりますが、

 

 

「楽(らく)をすること」、の意味の場合は「心が穏やかな状態」とか、

 

「容易に物事が進む、何事もたやすい状況、それこそ楽な様子、

 

安らかな状態や心境、心が満たされている状況」などの意味になります。

 

 

この詩句の解釈としては「たのしむ」よりも「らくをすること」の意味の方が

 

実際と合っているように思うのです。

 

 

この詩句に合致する多くの事例を見ていけば人生で楽しいことが多い人にも

 

出会うかもしれませんが、そのような人の場合は手足の状態だけではなくて

 

顔全体の状態とか身体全体の状態や身にまとっている雰囲気が

 

抜群に良い状態になっていてハッキリ違っているはずなのです、

 

普通一般の人相の人とは見た感じも雰囲気も違うはずです。

 

楽しい人生を送っていけるような人の人相の状態はハードルが高くて

 

手足の状態だけで判断できるほど簡単ではありません。

 

そのような点から考えてこの詩句のいう「苦楽のらく」は

 

「たのしむ」ではなくて「らくをする」の方だと思うのです。

 

 

 

余談ですが、私の感覚というか経験上のことですが

 

本当に運勢が良い人とか、才能、能力や実力が人並み以上の人は

 

見た感じや雰囲気や存在感がハッキリと違っていて、際立って見えます。

 

わかりやすい例ですと、人気が絶頂にある芸能人や有名人の方とか、

 

世界レベルで優秀な成績を出したプロスポーツ選手の方とか

 

世界に良い影響を与えている会社経営者の方とか、です

 

そのような方たちは身体の周りにある空気や周囲の景色から

 

クッキリと浮かび上がっているように見えます

 

昔からよく言われている言葉にありますが「その人だけ光って見える」という

 

表現の仕方がとても合っている表現に感じられます。

 

本当に運の良い人は普通の人との違いが明らかです。

 

 

 

詩句の解説に戻ります、今回の詩句は手足の状態から相手の人生の状態を

 

判断することを述べている内容であり、

 

人相を判断するときの断片的な情報のなかの一つだと思います。

 

私はこの詩句はこれのみをメインにして判断に使うものではなくて

 

他の人相の暗示を支持するための支持材料にすべきではないかと思っています

 

そのぐらいの使い方のほうが合っていると私は思います。

 

 

ですのでこの詩句の苦樂の意味は「苦しむことと、らくをすること」というふうに

 

とらえていただきたいと思います。

 

 

 

では次の解釈に進みます

 

この詩句は「人生で苦労をするか楽をするかは手足を見ればわかります」と

 

述べています。

 

それでは、「手足がどのような状態になっていれば人生で苦労するのか、

 

それとも楽に生きていけると判断できるのか」について説明いたします。

 

 

 

一番のポイントは、手足と胴体との大きさの釣り合い、バランスです。

 

手足と胴体と頭との大きさのつり合いバランスが取れていて、

 

肉付きも大きさも太さも厚みも程よい形で、

 

伸びやかですっきりした感じが見た目に感じられる状態が良い状態と言えます。

 

そのように見える形ならば、それだけで運勢が良い状態の人と言えます。

 

 

それとは逆に手足と胴体と頭とのつり合いが取れていなくて

 

胴体に比べて手足が大きすぎたり、小さすぎたり、長すぎたり、短すぎたりして

 

バランスが取れていないような感じに見えるのであれば

 

運勢が良くない人相だというふうに見えることになります。

 

 

手足の大きい小さいや長い短いといったこと以外にも、

 

手足の肉付きが削げ落ちていて皮の上から骨が浮いているように見えていたり

 

異常に贅肉や脂肪が付いていて皮膚が弛んでブヨブヨしているとか、

 

普通であれば思いもよらないところに筋肉が目立って付いていて

 

なんとなく違和感を感じてしまう手足とか、

 

顔と胴体とのバランスが取れていないように見える手足であるのならば

 

それらはすべて運勢の良くない暗示として取ることになります。

 

この詩句がいう人生で苦労する暗示があるということになります。

 

 

 

ただ、この手足と胴体のバランスを見る判断については注意が必要です

 

両親からつながる家系的な遺伝の身体特徴だというだけの場合もあるので

 

あくまで人相全体の判断のための支持材料の一つに過ぎないと

 

理解しておいてほしいと思います。

 

 

それはどういうことかと言うと祖父母や両親からの遺伝で

 

生まれつき手足が長めだったり短めだったりするという身体的な特徴が

 

どうしても現れる場合もあるということです。

 

家系的な遺伝によって生まれる人が皆さんそういう手足になるのであれば

 

それを理由にして運勢を判断するというのは判断要素としては

 

弱い部分があるということです。

 

なのでこれは支持材料の一つにしかならないと私は思います。

 

 

 

そして手足の大きさと肉付きやスッキリすらりとした形も大事なのですが、

 

手足から漂う雰囲気や印象も大事な判断要素になります。

 

 

近づいて相手をよく見たときに手足から苦労を感じさせるような雰囲気が

 

感じられるかどうかも大事な判断のポイントになります。

 

手足を見たときに「ああ、苦労されたのだな、」と一目でわかるぐらい

 

苦労したという雰囲気が手足に現れている方も大勢の人のなかにはおられます。

 

ある程度の年配の方の肘から下の腕から手首と手の甲と指を見たときに

 

一瞬でそれまでの人生での御苦労がこちらに伝わってくることもあるからです。

 

 

またそれほど人生経験を積み重ねたわけではないはずの若い人でも

 

手足の感じや雰囲気に苦労しているような感じが現れている人もいるのです。

 

若いのにそういう雰囲気が手足に現れているというのは、

 

これからそういった苦労をするかもしれないという暗示と取ることができるのです。

 

 

逆に手足の雰囲気や印象がとても元気で活力のあふれている感じとか、

 

ゆったりとして余裕があるような感じとか

 

穏やかでさっぱりとした雰囲気が感じられるのならば

 

手足の雰囲気や印象という点では運勢が良いという暗示と取ることができます。

 

 

 

ここまで説明してきたように手足と胴体との大きさや長さのつり合いバランスとか、

 

手足を見たときに感じられる雰囲気や感じで判断するのですが

 

これらはあくまで手足という一部分の状態による判断にすぎません。

 

 

人相学・人相術として判断するためには顔全体や身体全体の判断を

 

いくつも積み重ねて、それらを併せて判断するようにするのが適切です。

 

手足の状態は人相全体の運勢判断をするための支持材料のなかの

 

一つの材料というだけのものであると思っていただければよいと思います。

 

 

この詩句の言うとおり、手足の状態で人生で苦労するのか楽に生きられるかの

 

判断の手がかりになる情報の断片は知る事ができますが

 

それはあくまで支持材料の一つに過ぎないのでそれを絶対視しないで下さい。

 

支持材料の一つだけを見て運勢を決めつけるような事はしないでほしいのです

 

仮に手足を見たときに貧相に見えるとか貧弱に見えても

 

顔の骨格や雰囲気や身体の雰囲気や存在感がすごく良くて

 

眼光が素晴らしく抜群であれば、運勢の判断は逆転すると私は思います。

 

人相学・人相術は全体を見ることを心がけるようにしていただきたいと思います。

 

 

それではこの詩句の解釈を終わります。

 

 

 

苦樂   「苦しみと、らくに生きること」の意味

 

觀    見ること

 

乎    助詞、語気を現す

 

手足   「て、と、あし、そのもの」の事

 

(18 苦樂觀乎手足)              (本文、終わり)

 

 

 

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日本にある占い方法の中に相手の顔を見て性格や運勢を判断する
人相占いという占い方法があります。人相占いは人相学・人相術とも言われていて

中国語(漢文)の原典で「神異賦(しんいふ)」と呼ばれるものがあるのですが、
それを日本語に訳して、人相学を学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジした
ものを書いていきます。
人相学の古典の現代的な解釈です。



(17 智慧主於皮毛 「知恵は皮と毛を主とする」 )

 

「顔や身体の素肌と髪の毛や体毛の状態によって頭の良さが判断できます」

 

 

 

智慧(チエ)とは、この詩句の場合は、ものすごく簡単に説明すると

 

「頭の良さのこと」を言っているのだと思います

 

もう少ししっかりとした説明をいたしますと

 

「物事の道理を自分なりに判断して正しいと思われる方向に

 

処理していこうとする心のはたらき」とか、

 

「物事の筋道を自分なりに立てて計画をして自分が正しいと思う方向に

 

処理していこうとする能力」のことを智慧というのだと言われております。

 

 

それと「仏教の用語としての智慧の意味」というのもあるのですが

 

それはこの詩句の解釈には当てはまらないように私は思うので

 

ここでは説明いたしませんが、

 

ですがその方面から研究をしたい方もおられるとも思いますので

 

この文章の最後の方に少しだけ仏教用語の智慧の意味を書いておこうと思います

 

 

主(シュ)とは、言葉の意味がたくさんあるのですが

 

この詩句では「物事の主体」とか「主要な」とか「重要な」などの意味で

 

取ろうと私は思います

 

 

於(オ、オイテス)とは、この字を読まない場合もあるのですが、

 

この詩句での意味は「~である」とか「~とする」という意味で取るようです

 

 

皮(カワ)とは、「かわ」のことで、ここでは人間の皮膚のことを言っています

 

 

毛(ケ)とは、「髪の毛」や「体毛」のことです、

 

この詩句では、人相を見る対象の人間の髪の毛や体毛のことを言っています

 

 

それと「皮毛(ヒモウ)」という成語もあるのですが、

 

それだと「獣の皮と毛」の意味になってしまうようですし、

 

毛皮(ケガワ)の意味になってしまうので、

 

ここでは皮と毛は一緒に読まずに分けて読んだ方がよいのではないか

 

と私は思いました。

 

 

 

 

それではこの詩句をそのままの日本語の文章にしていきます

 

今回は上下に分かれていなくて「智慧主於皮毛」の一行の詩句になります

 

 

まずは「智慧(チエ)は」の語から入ります、次に「皮(カワ)と」と読み

 

次に「毛(ケ)を」と読み、そして「主(シュ)とします」と読みます

 

「於」の語はこの詩句の場合は読まなくても良い言葉なので

 

読まないでいいと思います

 

これらの言葉をつなげると「智慧は皮と毛を主とします」となります。

 

 

ですがこれでは一般の人達には何を言っているのかわからないと思われますので

 

この後で、現在の人相学・人相術の知識を交えて解釈をして

 

現代的に理解できる文章にしていきます

 

 

 

 

それではこの詩句を私なりに解釈して現代的な文章にしていきます

 

 

さきほど日本語にしました「智慧は皮と毛を主とします」の文章は

 

私が解釈しますと最初の方で書きました

 

「顔や身体の素肌と髪の毛や体毛の状態によって頭の良さが判断できます」

 

という文章にすることができます。

 

 

この文章にさらに言葉を足して、よりわかりやすくしますと

 

次のような感じの文章にすることができます

 

「人間の頭の良し悪しを判断するには、その人の皮膚の状態と

 

 髪の毛などの体毛の状態を見れば判断することができます」

 

というような意味に解釈することができます。

 

神異賦の原文をそのまま現代的でわかりやすい日本語にするのであれば

 

この文章でよいだろうと私は思います。

 

 

 

 

それではここからは現代の人相学・人相術の知識と

 

私の経験や思っていることを交えて解釈していこうと思います。

 

 

人相術の先生方や諸先輩方からの教えと、私の経験をもとにして

 

この詩句についての意見を述べさせていただきますと

 

「人間の頭の良し悪しをその人の皮膚の状態と髪の毛の状態だけで、

 

判断するというのは無理があります」と私は思います

 

 

私がこれまでに教わってきた人相学・人相術では

 

頭の良さや賢さは、顔全体のバランスと雰囲気を見て、

 

そして眼の光の具合や目つきの感じと、

 

それと額の状態がどうなっているかによって判断するのが

 

一番主要な判断するところだと教わりましたし、

 

私もこれまでの経験からそれは合っていると思っています、

 

というのがいま現在の私の考えです。

 

 

たしかに原典の詩句にあるように皮膚の状態や髪の毛や体毛の状態は

 

もちろん見ますし、それらを無視するような事は決してありませんが

 

素肌や皮膚の状態や髪の毛や体毛の「状態だけ」をとりあげて

 

それらの情報だけで頭の良さや賢さを判断するようなことはできない、

 

というのが実際です

 

それだけでは情報が少なすぎて、まったく足りないのです。

 

 

やはり人相を見るうえで大事なところ、重要だと言われているところには

 

頭の良し悪しや賢さなどの人間性の大事な部分も一緒に現れるので

 

そこを見ないわけにはいかないですし、実際にそこを見て判断いたします

 

それが、顔全体のバランスであり、顔全体の雰囲気であり、

 

眼の光の感じもそうですし、目つき全体の感じもそうです、

 

頭の良さや賢さであれば、それに額の状態が加わります。

 

 

皮膚の状態や髪の毛などの体毛の状態は人相を見る対象の人物の

 

頭の良さや賢さを判断して推測するときの

 

「支持材料の一つとして使う」のが良いのではないかと私は思っています。

 

 

 

今回の詩句は頭の良さや賢さの判断について述べている詩句なので

 

ここからは人相を見て頭の良さや賢さを判断していく方法を

 

順を追って少しですが説明していきたいと思います

 

 

先ほど述べましたように頭の良さや賢さは、

 

顔全体や身体全体から発せられる雰囲気から見ていきます、

 

頭が良くて賢い人であれば、変な雰囲気やおかしな雰囲気は

 

出していないのが普通です

 

パッと見たときにその人の雰囲気に違和感を感じるかどうかということに

 

意識を向けてください

 

違和感を感じなければ問題はないということです

 

 

次に眼の状態を見ます、特に眼の光の状態はよく見ます、

 

眼の光が強いのか弱いのか、清いのか濁っているのか、

 

暗いのか明るいのか、などを見ていきます

 

 

眼の光が強すぎて突き刺すような圧力をかけてくる眼差しとか、

 

眼の光が弱すぎたり暗すぎたりしてまるで生気が感じられないような

 

弱々しくてまるで重症の病人のような力のない眼になっているとか、

 

目が濁っていてなんとなく汚い感じや汚い印象を感じさせる眼に

 

なってしまっていないかに注意して見てください

 

頭の良い人や賢い人はそのような眼はしていないはずなのです

 

 

それと同時に眼の周囲の状態もどうなっているのかを意識して見てみます

 

これはいわゆる「目つき」というものです

 

目つきは眼の光具合だけではなくて眼の周囲の状態や眼の動かし方や

 

視線の運び方も含めて、眼の周囲の全体を含めた雰囲気や感じのことを

 

言っています。

 

 

相手の目つきや眼の周囲の雰囲気というのは違和感が特に現れやすいところです

 

自分が会話をしている相手に急に違和感を感じるのは

 

会話の途中で目つきがさっと変わったりしたときですし

 

ある人を遠くから見ていたときはわからなかったのが

 

近ずいてみたら眼の周辺になにかおかしな違和感を感じたりすることがあります

 

通常の頭の良い人や賢い人はそういった違和感や

 

目つきが悪く感じるということは無いはずです

 

目つきや眼の周辺に違和感が無ければ問題はないと思います

 

 

 

そして人間の頭の良さは額の状態に良く現れるので

 

そこも同時に見ていきます

 

頭の良い賢い人は額の状態がとても良くて立派な額をしている場合が多いです

 

頭の良い人で額の状態が良くないという事はそんなにありません

 

 

頭の良い人の額は額の縦の幅が狭くなくてしっかりとした縦幅があり

 

そして横に広い幅がある、横長の長方形の形をした額をしていることが多いです

 

 

 

 

そういった要素を見た上で皮膚の状態とか頭髪の状態を併せて見ていきます

 

 

皮膚はある程度の張りがあって潤いがあるのが望ましく

 

適度なツヤがあれば、かなり良い状態だと思います

 

 

反対に皮膚がいつも荒れていて張りがなく潤いも無ければ

 

食生活や生活習慣の乱れや不安定さとか体質や健康面の問題が考えられます。

 

 

頭髪なども髪の毛にある程度の潤いがあり、

 

ある程度のツヤがあれば良い状態だと私は思います

 

 

反対に髪に潤いが無くてパサついた状態になっていて

 

髪の毛に生気が無くて、頭髪全体が乱れているような感じになっていたら

 

やはり食生活や生活習慣の不安定さとか、

 

なんらかの病気を患っているのではないかと考えてしまいます

 

 

頭髪はハゲていて髪の毛が横側や後ろ側にしかないとか

 

頭髪すべてが白髪になってしまっているとかは問題にしないです

 

残っている髪の毛の質感とか状態を見るようにしてください。

 

 

皮膚の状態とか、頭髪の状態は

 

食生活や生活習慣の積み重ねが出やすい場所です

 

あるいは体質とか、いま患っている病気や持病がわかる部分でもあります

 

 

頭の良い賢い人は自分の食生活や生活習慣に気を配りますし、

 

自分の見た目の状態は自分で整えるのでそれが原因で皮膚や頭髪が乱れたり、

 

周囲に気にされるような異常な状態になるまでケアをしないということは

 

ないと思います

 

 

また体質や何らかの病気を患っていて皮膚や頭髪に問題がある場合は、

 

その人と共同で何かをする時間がある程度あればそのうちに本人から

 

それとなくそういった事情を知らせてくれる場合もあります

 

頭の良い賢い人は他者への気遣いも人並み以上ですので

 

周囲の人にいらぬ気を使わせないように自分から伝えてくれることもあります

 

 

 

ですので頭の良い賢い人は皮膚の状態や頭髪は人並み以上の状態で

 

整っている場合が多いです。

 

整っていない場合は体質や持病の問題があったりして

 

それは本人の頭の良さや賢さとは別の運命的、運勢的な問題である

 

可能性があります。

 

 

そのような理由で頭の良い賢い人は皮膚の状態も頭髪や体毛の状態も

 

人並みかそれ以上に良い状態になっていたり

 

整っていることが多いと私は感じています

 

 

 

それとは反対に体質に問題も無くて、特に持病もない人で

 

皮膚の状態や頭髪の状態が良くない人はどのような人なのかというと

 

食生活の状態が良くなくて、身体の栄養状態に問題があるとか

 

生活習慣が一定していなくて不安定な状態になっている

 

などの原因が高い可能性の一つとして考えられます

 

 

毎日の食事を三食しっかりと取っていないとか、

 

栄養価の低いジャンクフードが好きでそればかり食べていたり、

 

食事の準備や食べるのが面倒で、お菓子だけで食事を済ませていたりすれば

 

皮膚や髪の毛の状態は当然悪くなりますし、

 

 

あるいは生活習慣が不安定とか乱れているというのは

 

具体的には毎日の睡眠時間が極端に少ないとか

 

睡眠を取る時間帯が昼夜逆転してしまっているとか

 

好きな趣味とか好きな遊びなどをするのにのめり込んでしまっていて

 

身体や精神の過労状態が長期間続いているような状況が考えられます

 

過労状態が長く続くと皮膚や髪の毛からは生気が無くなります

 

皮膚は常に荒れてしまいますし、肌の色も悪くなります

 

髪の毛も見た目がパサパサした状態になってしまい

 

枝毛や折れ毛や抜け毛が増えていき頭髪は乱れてしまいます。

 

 

そのようになってしまうということは自分で自分の生活や自分の体調を

 

コントロールすることができていないということになります

 

人間的な理性が乱れてしまっていて自分自身の身体のことや

 

自分の生活の状態も整えられない状態になってしまっていると考えられます

 

 

そのようになってしまう人は頭が良くて賢い人とは言えないと私は思います

 

そういった意味で考えると「智慧主於皮毛」の詩句の内容は

 

合っているのではないかと私は思います。

 

 

 

ですので、人相を見る対象の人の賢さや頭の良さを判断、推測するための

 

支持材料の一つとして皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて見るのは

 

とても有力な情報であると思いますので

 

相手の人を時間をかけて観察することができる余裕があるのならば

 

積極的に見て判断すべき部分であると思います。

 

 

 

私の解釈をまとめますと

 

頭の良さや賢さを判断する対象の人物の

 

皮膚の状態や頭髪や体毛の状態は確認の為に見ますが

 

それのみで判断を決定することは無くて

 

その前に相手の顔全体、身体全体の雰囲気を見て、

 

眼の光や眼の周囲の状態を見て、そして額の状態も見て

 

それらの次に皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて見て

 

判断するのが良い判断法ではないかと思います。

 

というのが私の考え方になります。

 

 

ここまでがこの詩句の解釈の本題の文章になります。

 

 

 

最後に参考として最初にお伝えしたとおりに

 

「仏教用語の意味での智慧」の意味も少し書いておきます。

 

仏教でいうところの智慧は、「般若(はんにゃ)」と訳すそうです

 

智慧は仏菩薩の修行の道のなかで「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」と

 

いわれていて修行道の中のひとつだそうです。

 

「般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)」とも言うそうです

 

その意味は「物事の存在全体の真実の相を分析するのではなくて

 

一瞬にして把握して真理を見極める直観知の力のことだそうです

 

判断力ではなくて理性の一種だそうです」

 

智慧波羅蜜(ちえはらみつ)とも言うそうです。

 

お寺に行くとよく唱和することになる「般若心経」の一行目の

 

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」の中の

 

般若波羅蜜多も同じ意味だそうです。

 

 

仏教的な智慧の意味は以上ですが、このような超能力を持っているかどうかを

 

顔や身体の皮膚とか頭髪や体毛の状態から判断できるとは思えませんので

 

上に書きました本文で述べたことが私の解釈になります。

 

これでこの詩句についての解釈を終わります。

 

 

 

智慧   ここでは頭の良さや賢さ

 

主    おもに、とか、主要な、の意味

 

於    である、とか、とする、の意味

 

皮    人間の皮膚

 

毛    人間の髪の毛や体毛

 

(人相を学ぶ17 智慧主於皮毛 )      (本文終わり)

 

 

 

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人相学・人相術は中国語(漢文)の原典で「神異賦(しんいふ)」と呼ばれるものが
あるのですが、
それを日本語に訳して、人相学を学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジした
ものを書いていきます。
人相学の古典の現代的な解釈です。



(16 面肉横生 「面の肉が横に生じているのは」

 

   情性必毒 「性情に必ず毒があります」 )

 

「顔面全体の上下の肉が横に引っ張ったように平らに広がっている人は

 

 本性に他者を傷つけ危害を加えるものがあるといわれています」

 

 

 

 

面(メン)とは、人の顔のことです。顔つきとか顔面のことを言います

 

 

肉(ニク)とは、皮膚の下の筋肉のことを言います、皮の下の肉のことです

 

 

横(オウ)とは、そのまま「よこ」という意味です、縦、横のヨコのことです

 

 

生(セイ)とは、「生じる」とか「生じている」という意味で取ると

 

わかりやすいです、他にも「生」には意味がたくさんあるのですが

 

ここでは「発生する」とか「起こる」とか「資質」という意味で取ると

 

よいと思います。

 

 

次に情性(ジョウセイ)ですが、「性格とか性質」という意味があります

 

他にも「本性」とか、「情感、生まれつきの心、本来の情」とか

 

「思い、人情」という意味があるようです

 

情性の言葉の前後を入れ換えると「性情」になります。

 

 

必(カナラズ)とは、「かならず」でそのままの意味でよいと思います

 

 

毒(ドク)とは、そのままだと「生命を損なうもの」とか

 

「健康や精神に有害なもの」という意味ですが

 

前後の字と句を考えてそれらに合った意味を絞り込んでいくと

 

ここでは「他者や周囲に危害を加える」とか「傷つける」という

 

意味で取るとよいのではないかと思います。

 

 

 

 

それではこの詩句を日本語の文章にしていきます

 

上の句の「面肉横生」からです

 

 

この上の句は「面肉横生(メンニクオウセイ)」と読むのですが

 

面肉横生とは神異賦・人相学の専門用語です。

 

そのまま読むと何を言っているのかわからないのですが

 

一字づつ読んでいくとなんとなくわかる感じになります

 

 

まず「面(メン)の」と読み、次に「肉(ニク)が」と読みます

 

次に「横(ヨコ)に」と読み、「生(ショウ)じているのは」と読みます

 

これらの語をつなげると「面の肉が横に生じているのは」とすることができます。

 

 

次は下の句の「情性必毒」です

 

まず「情性(ジョウセイ)に」と読んでもいいですし

 

「性情(セイジョウ)に」と読んでもいいです

 

言葉の意味に多少の違いはあっても本質の意味は同じ意味で取れます

 

次に「必(カナラ)ず」と読みます、

 

そして「毒(ドク)があります」と読みます

 

これらの語をつなげると「性情に必ず毒があります」とすることができます。

 

 

これで上下の詩句をつなげると

 

「面の肉が横に生じているのは、性情に必ず毒があります」

 

という文章にすることができます。

 

ですが、この文章では一般の方には意味がわからないと思いますので

 

このあとで現在の人相学・人相術の知識を交えて解釈を述べていきます

 

 

 

 

それではこの詩句の解釈をしていきます

 

まずは上の句の「面肉横生」から始めていきます

 

 

面肉(メンニク)とは「顔面の肉」という意味になります、つまり顔の肉のことです

 

顔の皮膚の下にある肉付きのことを面肉と言っているようです

 

違う言い方をすると「顔の肉の付きかたの形のこと」を言っていると

 

理解していただいてもいいかもしれませんし、

 

「顔の型」と理解してもいいかもしれません。

 

 

次に「横生(オウセイ)」なのですが、さきほども文章にしましたとおりで

 

横生とは「横(よこ)に生(しょう)じている」という意味でよいと思います 

 

もう少し詳しく説明すると「横側に生じている」という言い方ができます

 

 

それで最初の面肉の言葉とつなげるとこの上の詩句の意味は

「顔面の肉の付きかたが横側に生じている」という意味で

 

取ることができると思います。

 

 

次に下の句の「情性必毒」という詩句の解釈ですが

 

「情性(ジョウセイ)」と読むのか

 

「性情(セイジョウ)」と読むのかで迷いそうですが

 

両方の言葉で重なる意味として「性格、性質、本質」という意味があります

 

その意味を取ればいいので情性でも性情でもどちらでもいいと思います

 

 

次は「必(カナラズ)」と読みます、意味はそのままの意味で「必ず」です

 

そして次に「毒(ドク)」と読みます、この詩句における毒の意味は

 

さきほども書きましたが「他者や周囲の人に危害を加える」とか

 

「誰かを何かを傷つける」というような意味でとるのが合っていると思います

 

この詩句の中で「情性」といっていますし

 

この詩句の前のいくつかの詩句が性格や性質について述べているので

 

この「毒」は性格や性質がまるで「毒のようである」と

 

例えているのだと思います。

 

 

ここまでの語をつないでみますと下の句の意味は

 

「性格や性質に必ず他者や周囲の人を傷つけたり

 

 危害を加えるようなものがあります」

 

というような意味に解釈できると思います。

 

 

それで上の句の面肉横生と、この情性必毒の意味をつなげて文章にすると

 

「顔面の肉が横側に生じている人は必ず

 

 性格や性質に他者を傷つけたり危害を加えるようなものがあります」

 

というような文章にすることができると思います。

 

 

 

とはいいましても、一般の人達には

 

「顔面の肉が横側に生じている」と言われても

 

どんな顔なのかよくわからないと思います

 

これだけでは言葉が足りなくて読んでいる方には

 

イメージがしづらいと思いますので

 

私流の解釈での表現になってしまいますが、

 

さらに言葉を足して説明いたしますと次のようにできます

 

「顔面の全体の上下の肉が横に伸ばしたように平らに広がっている人は

 必ず性格や本性に他者を傷つけ危害を加えるものがあります」
 

というふうにしました。

 

 

 

なのですが、これでもイメージしにくいかもしれませんので

 

もう少し説明をいたします

 

面肉横生の顔は野球で使う「ホームベースを逆さまにしたような感じの顔」だと

 

思っていただくとイメージしやすいかも知れません

 

正四角形の一辺に三角形がくっついているような感じの五角形の形です

 

その三角の部分が下向きになっている形の顔だと思って下さい

 

三角の部分は顔のアゴの部分を当てはめる感じで想像してみて下さい

 

 

顔の両耳の手前の下側にアゴの側面のエラが張り出している

 

ガッチリとした顔を思い浮かべてみて下さい

 

顔全体は四角っぽい感じで横に平らに伸びた広い顔を想像して下さい

 

 

 

実例としては面肉横生の顔型の人間で歴史上の有名な人物の顔としては

 

日本の幕末に活躍した新選組局長の近藤勇の顔が

 

面肉横生の顔型と言われています

 

日本史の教科書で見て覚えている人も多いと思いますが

 

インターネットで検索すればいまでも写真を見ることができます

 

彼は面肉横生に近い顔の造りをしているのでとても参考になります。

 

 

ただし、誤解していただきたくないのは

 

写真で見る近藤勇は眼光と身にまとう雰囲気が真正の面肉横生とは全然違います

 

ですので「顔の造りの部分だけ」を参考にして下さい

 

真正の面肉横生は眼の光と眼つきと顔の雰囲気がかなり怖いですし

 

雰囲気に不気味さがありますからそれで違いがわかります

 

 

近藤勇の写真を見ると凛々しさと武士の風格が漂い

 

厳しさと穏やかさが混じり合って同居している中に

 

ひょうきんな性格の部分もわずかに見え隠れしているような

 

複雑な人間性が感じられます

 

この方は真正の面肉横生ではないだろうと私は個人的には思っています

 

 

近藤勇は武蔵国の多摩地方の農家の出身ですが

 

能力が認められて幕臣になり旗本並の役職にまで出世しました

 

友人や部下、周囲に優秀な人物も多数いて

 

ただの粗暴乱暴な危険人物などではありませんでした

 

なので真正の面肉横生ではないと私は思っています

 

ただ顔の造りの部分だけは面肉横生の顔型にとても合っているので

 

その部分だけを参考にしてみてください。

 

 

 

 

ここまでのところがこの詩句の説明になるのですが

 

この詩句が述べていることは実際にはどうなのか?

 

というところなのですが

 

 

私のこれまでの体験や感覚と考えでこの詩句について思うことを書きますと

 

「面肉横生の顔型の人は思ったよりも多いですが、

 

 真正の面肉横生の人はほとんどいません」

 

というのが私の思っている気持ちです。

 

 

これまでに説明してきました面肉横生の顔型に合致する人は

 

社会のなかや世間の現場で思ったよりも見かけることがあります

 

また、テレビを見ているとテレビの中でも見かけることがあります

 

テレビに出ている有名人とか著名人の中にも

 

面肉横生に当てはまる顔型の人や「面肉横生気味の顔」をしている人は

 

男女にかかわらずお見かけします

 

そういった人達が他者や周囲の人に危害を加えるような性格だったり

 

そういった行動をするかというとそんなことは無いと思われます。

 

 

ですので、自分が出会った人が面肉横生の顔型をしていたり

 

面肉横生気味の顔の形をしているからと言ってそれだけで

 

他者を傷つけたり危害を加えるということはないと思います

 

顔の形だけを見て簡単に判断をするのは軽率です

 

それは判断を誤ります。

 

 

 

それでは、真正の面肉横生はどういうものなのかと言うと

 

面肉横生の顔型に加えて

 

眼の光や眼つき、眼の周囲の雰囲気が怖い感じで危険な感じがするのです

 

顔全体が発している雰囲気も怖い感じかあるいは不気味なのです

 

眼光がかなり鋭いとか眼つきが油断ならない感じで

 

その眼を見ると、自分の心の中が「ぞわぞわ」するとか

 

冷やりとする、とかイヤな予感とか不安な感じになる、とかがあります

 

 

あるいは、その人の眼を見ても何を考えてるのかまるでわからない感じで

 

ぼんやりとした眼つきをしていて生気が無いような

 

気迫がまるで無い感じの「虚無」という表現をしたくなるような

 

感情とか人間性が感じられないぼんやりした眼をしている人もおります

 

この眼をしている人も危険な人物の場合があります

 

 

テレビで報道やニュース映像などを見ていると

 

人の命を故意に奪うような事件の容疑者が警察に護送されていく状況が

 

放送されることがありますが

 

そういう時に人相学の見方からみて危険な感じの顔をしている人の

 

映像が流れる場合があります。

 

 

あるときテレビのニュース映像を見ていたら

 

面肉横生気味の顔をした眼のぼんやりした容疑者が護送されて行く

 

映像を放映していました。

 

私は思わずそのテレビ画面に見入ってしまいました

 

テレビのニュース映像はときどき人相学の教科書をなぞるような

 

人相をしている人が映し出されるのでかなり勉強になります。

 

 

 

このように間違えやすいので面肉横生気味の顔型の人を見かけても

 

顔の形だけで決めつけることがないように気を付けて下さい

 

顔型や顔の形とか、顔の一部分の形というのは

 

あくまでそういった人相の要素の一つにすぎません

 

そのような要素の一つだけを見て判断をしてしまうと簡単に間違えます

 

すべての物事に言えることですがそんなに単純なものではありません。

 

 

面肉横生であれば先ほども書きましたが

 

顔の形に加えて眼の感じや眼つきと顔全体の雰囲気で判断をしてください

 

 

ですが、それらが揃っている人などは社会で実際に見かけることは

 

ほとんどありません

 

それこそテレビのニュースの中でしか見かけられない場合がほとんどです

 

 

とはいいましても、この文章を読んでいる方が

 

どのような人生の生き方をするのかはわかりませんので

 

このような人相の人に出会うことが多い人生を生きることが

 

あるかもしれませんので、覚えておくのはよいと思います

 

 

 

最後に余談になりますし、これは私の個人的な感覚でもあるのですが

 

面肉横生や面肉横生気味の顔の形をしている人は

 

軍事、武道、武術、格闘技、などの分野で見かけることが多いように感じます

 

そういった分野で適性や才能が発揮されやすいのかもしれません

 

ただ、まったく違う分野でも見かけたことがありますので

 

必ずではありませんが多少の傾向性はあるのかも知れません

 

よろしければ参考になさってみてください。

 

 

この詩句についての解釈と説明はこれで終わります。   (本文終わり)

 

 

 

面肉   顔の肉

 

横生   横に生じる

 

情性   性格や本性

 

必    かならず

 

毒    傷つける 危害を加える

 

(人相を学ぶ16 面肉横生 情性必毒 )

 

 

 

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人相を学ぶ15 鼻の頭が膨らんで大きい人は悪い人ではありません

(準頭豊大 中心無凶)

 

人相を学ぶ14 バカにするせせら笑いをする人は人情や思いやりが無いです

(冷笑無情 作事機深内重)

 

人相を学ぶ13 人を見る目の感じにゆがみの無い人は意志が強く穏やかです

(視瞻平正 爲人剛介平心)

 

人相を学ぶ12 下アゴが四角型で肉づきの良い人は晩年は幸運で開運します

(地閣方圓 晩歳榮枯定取)

 

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人相学・人相術は中国語(漢文)の原典で「神異賦(しんいふ)」と呼ばれるものが
あるのですが、
それを日本語に訳して、人相学を学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジした
ものを書いていきます。
人相学の古典の現代的な解釈です。



(15 準頭豊大 「準頭が豊大なのは」

 

   中心無凶 「心中に凶が無い」 )

「鼻の頭が豊かに膨らんでいて大きい人は

 

 心のなかに邪悪な考えや気持ちが無い人です」

 

 

 

準頭(セットウ)とは、「鼻の先」、「鼻の頭の部分」を指していう言葉です

 

「ジュントウ」と読むこともできるようです

 

また、鼻準(ビセツ)という言い方をする場合もあります

 

この言葉は人相学・人相術の専門用語のような感じがあります

 

 

豊大(ホウダイ)とは、盛大(セイダイ)とほぼ同じ意味だそうです

 

「きわめて盛んなさま」、とか「旺盛なさま」とか

 

「豊かで盛んなさま」、を現わす言葉のようです

 

 

中心(チュウシン)とは、ものの真ん中、とか「中央」という意味ですが

 

この詩句では、「心のなか」とか「胸の内」とか「心の底」とか、

 

内心、という意味を指しているように思えます

 

中心という言葉の前後を入れ換えると「心中」という言葉になります

 

 

凶(キョウ)とは、「悪い」とか「不吉」とか「不幸」という意味ですが

 

この詩句では前後の漢字と前後の詩句の意味から考えると

 

「よこしまな」、とか「邪悪な」とか「悪者」とか

 

「凶暴な人」とか「他者を傷つける悪人」、という意味でとらえる方が

 

文章全体の意味に合うように思えます

 

 

無(ナシ)とは、そのまま「ない」という意味で良いと思います

 

 

 

では、この詩句を日本語の文章にしていきます

 

上の句の「準頭豊大」からです

 

 

最初は「準頭(セットウ)が」の語から入ります、

 

次に「豊大(ホウダイ)なのは」とします

 

これをつなげて「準頭が豊大なのは」という文章にします

 

 

そして下の句は「中心無凶」です 

 

まずは「中心(チュウシン)に」と読んでも良いですし

 

「心中(シンチュウ)に」と読んでも良いです

 

いずれにせよ、同じ意味で解釈します

 

次に「凶(キョウ)が」と読みます、そして「無(ナ)い」と読みます

 

これらをつなげると、「心中に凶が無い」という文章にできます

 

 

これで上下の句をつなげると

 

「準頭が豊大なのは、心中に凶が無い」という文章にすることができます。

 

ただ、これでは一般の方にはどのような意味なのかわからないと思われますので

 

このあとで人相学・人相術の知識を交えて解釈をしていきます

 

 

 

 

それではこの詩句の解釈をしていきます

 

この「準頭豊大 中心無凶」の句を私の感覚で文章にすると 

「鼻の頭が豊かに膨らんでいて大きい人は

 心のなかに邪悪な考えや気持ちが無い人です」

 

とすることにします。

 

 

これを細かく説明していきますと、上の句は

 

「鼻先、鼻の頭の部分が普通よりも豊かに膨らんで大きい人は」

 

という意味だと思いますし、

 

あるいは「豊かに膨らんで大きいと」と解釈してもよいと思います

 

漢字の意味をそのまま取ればいいはずですし、

 

人相学・人相術ではそのように解釈して良いと思います

 

この上の句は難しくありません

 

 

 

次に下の句に移ります、「中心無凶」の意味を解説していきます

 

句の意味は「心の中に邪悪な気持ちや考えが無い人です」だと思います

 

 

まずは「中心」の言葉の意味をどう解釈するかなのですが

 

この句の場合はどう解釈してもそれほど意味が変わらない感じです

 

中心という言葉は物事の真ん中とか中央と解釈するのが多いですが

 

それでも意味が通るように思えます

 

 

そして、中心には「心のなか」「内心」の意味があります

 

同じ意味として、「胸のうち、心の底、心中、胸中」の意味もあるようです

 

「中心」の語の前後を入れ替えて「心中」とすることができます

 

心中で解釈するとより詩句の意味がわかりやすくなります。

 

 

 

次に、「無凶」をどう解釈するかですが

 

「凶」の字は意味がとても多いです

 

イメージしやすいところでは「悪い、災難、不吉、不幸、命を失う」とか

 

良くないイメージの意味が目白押しなのですが

 

この句の場合は心理とか人間性を現す意味と解釈するのが

 

合っているように思われます

 

 

この句の全体の意味を理解しようとするとなんとなくわかるのですが

 

この詩句の前後の詩句を見てみましても

 

内面性の良し悪しの説明に焦点を当てているのが感じられます

 

ひとつ前の詩句は「人相を学ぶ14 冷笑無情 作事機深内重 」でして

 

この後の詩句は「人相を学ぶ16 面肉横生 情性必毒 」です

 

これらの詩句は「内面性の悪さを述べている詩句」なのです

 

つまり「良くない人相、悪い人相」について述べている詩句です

 

 

なので、この凶の解釈は人間性や性格的な意味で取るべきだと思います

 

「よこしまな」とか「邪悪な」とか「人を傷つける行為」とか、

 

「悪者、凶悪な人、人を傷つける悪人」という意味での凶だと思うのです

 

 

ですが「無凶」ですから、そういった凶の意味が「無い」と述べています

 

「凶悪な性格や心理とか気持ちが無い」と解釈して良いと思われます

 

私は下の句をそのように解釈することにしました

 

 

 

ですので、この「準頭豊大 中心無凶」を私が日本語の文章にしますと

 

「鼻先、鼻の頭が豊かに膨らんで大きい人は

 

 心の中に邪悪な気持ちや考えが無い人です」

 

という文章にしました。

 

 

 

 

それでこの詩句の意味について私が人相学・人相術的にどう思うかというと

 

「そこまでは言えないと思います」という気持ちになりますし

 

あんまりこの詩句の内容には賛成できません

 

 

確かに鼻先、鼻の頭が大きく膨らんで豊かに見えるぐらいの鼻は

 

人相学的にはとても良いと言えます

 

吉相としてのポイントは高いです、悪いことは無いと思います

 

 

でも、それだけで「心中に凶は無い」とまで言いきれるかというと

 

「危なくてとてもそんなことは言えない」というのが私の本音です

 

 

 

鼻はおもに財運や中年運を見ることができる重要な場所ですし

 

鼻が豊かに立派な人は不思議な安心感を周りの人に感じさせる

 

雰囲気の顔を持っている人が多いのも事実なのですが

 

 

鼻の形ひとつだけを取り上げて

 

「この人は悪人では無いですよ」と言い切ってしまうのは

 

かなり強引で危険なことを言っていると私は思います

 

 

 

人相学・人相術の記事をこれまで書いてきて何度も繰り返し述べていますが

 

その人が悪人で無いかどうかとか

 

その人が他者や周囲を傷つけることが無いかどうかなどは

 

顔全体、全身全体を見ないと判断することはできません

 

 

それだけでなく、その人と会話をしなければわからない事も多いですし

 

ある程度その人の普段の行動などを見ていないとわかりません

 

それだけ時間をかけて相手を観察しても

 

相手の性格がわからないことの方が多い、というのが正直な気持ちです

 

 

 

なのでこの詩句が述べている

 

「鼻の先が膨らんで大きい人の心の中は邪悪ではありません」というのは

 

私の経験としてはそれだけでは受け入れられない気持ちが強いです

 

 

 

今回は鼻のことを述べている詩句なので

 

鼻をメインにして文章を書いていくことにします

 

例えば鼻の形が良かったとしても「色の状態」もあります

 

色が良くなかったとしたらそれはどう解釈するのか?ということになります

 

 

鼻の色が赤かったり青かったりグレー色だったり黒いこともあり得るのです

 

鼻の形が良くても色が良くなければ運勢や状況は良くないです

 

色が良くないと財運や健康運や中年の時期に問題があること示しています

 

 

 

財運や金銭関係に問題があれば鼻は赤くなることが多いですし

 

健康や病気の問題があれば青やグレー色になる事が多いようです

 

黒いと運勢が相当良くないか命に係わるような場合もありますし

 

後ろ暗いことや他人に言えないことに関わっている場合も

 

可能性としてはあり得ると言われています

 

 

 

鼻の色が濃い赤色の場合について述べている詩句が神異賦の中にあります

 

(人相を学ぶ168 準頭赤色重々 奔波詭計 ) という詩句です

 

私のアメブロの過去記事を見ていただければ見つかると思います

 

よろしければ参考になさってください

 

 

 

この詩句は性格や人格について述べている詩句でもありますので

 

それについてももう少し書きます

 

人相だけで性格、人格を判断しようとする場合は

 

特に注意して見るべきなのは眼と眼の周囲の状況です

 

 

眼の状態としては、眼の光が強いのか弱いのか

 

眼が明るいのか暗いのか、清いのか濁りがあるのか

 

眼が正しいのか、正しくないのか

 

という所を見ます

 

それと眼の周囲の状態も大切です

 

具体的に言うと眼と眼の周囲に漂う雰囲気のようなものを見ます

 

 

 

これらは言葉だけで伝えるのが難しいのですが

 

人相だけで判断をしようとするならばいま述べたことがとても重要です

 

 

ですが実際の場面ではそのときの相手の心理状態が

 

眼や眼の周囲の状態を変化させるので判断はかなり難しいです

 

性格も人格も問題ない人でも何かの理由で心理的に警戒している時は

 

眼や眼つきが厳しくなりますし

 

 

また、過去にひどく騙されたり傷つけられた経験をしている人は

 

性格、人格に問題がなくても眼の光が暗くなりがちです

 

 

また、眼と眼の周囲の状態に異常とか違和感が現れにくくて

 

顔全体の雰囲気に違和感が現れるタイプの人もいます

 

 

 

なのでその時その瞬間のぱっと見だけで相手を判断するのは

 

かなり難しいですし、それだけで決めるのは危険でもあります

 

相手の人格とか性格を判断するのいうのはそれだけ難しいですし

 

あせって急いで判断するべきものでもないと私は思っています

 

 

 

なので繰り返しになりますが顔の一部分だけを取り上げて

 

その結果だけで悪人では無いと言い切る事には私は賛成できません

 

 

私はこの詩句は顔を判断するときの支持材料として使うのが

 

適切ではないか?と思っています

 

相手の人格や性格を見るときに支持材料のひとつとして使うのです

 

そのような使い方ならば問題は無いと思います

 

それぐらいの見方が適切ではないでしょうか。

 

 

それではこの詩句の解説を終わりにします。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。   (本文終わり)

 

 

 

準頭   鼻の頭 鼻の先

 

豊大   豊に膨らんで大きい

 

中心   心のなか、内心

 

無    ない

 

凶    邪悪な、よこしまな

 

(人相を学ぶ15 準頭豊大  中心無凶 )

 

 

 

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人相を学ぶ16 顔全体が横に平らに広いのは危険な場合があります

(面肉横生 情性必毒)

 

人相を学ぶ14 バカにするせせら笑いをする人は人情や思いやりが無いです

(冷笑無情 作事機深内重)

 

人相を学ぶ13 人を見る目の感じにゆがみの無い人は意志が強く穏やかです

(視瞻平正 爲人剛介平心)

 

人相を学ぶ12 下アゴが四角型で肉づきの良い人は晩年は幸運で開運します

(地閣方圓 晩歳榮枯定取)

 

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お墓参りに行った日の夜になると

 

なぜかたいしたことをした訳でもないのに身体に疲れが強く出てきて、

 

ものすごく「かったるい感じ」になることがあります

 

この現象について私が思っていることを書いていきたいと思います

 

 

 

この記事は、

 

お墓参りに行ったあとになると疲れが強めに出る現象について

 

その事がなんか気になる、という人達と

 

気持ちを共有する感じで書いた記事です

 

お墓参りに行ったあとでそれほど疲れが出ない人にとっては

 

あまりおもしろみのない、関わり合いの無い内容だと思います

 

それはいちおう事前に書いておきますね

 

 

 

○ お墓参りに行ったあとは疲れを強く感じる人が多い

 

 

ずいぶん昔のころから感じていたのですが

 

お墓参りに行った日の夜になると、なんか知らないけど

 

身体がものすごく「かったるい感じ」になって

 

きょうはすごい疲れたな、と思うことが多いです

 

 

 

以前は、その疲れは私自身のみが感じている

 

ごく個人的なものなのかな?と思っていたのですが

 

いろんな人の話を聞いていたらどうもそうではないようで

 

 

結構な数の人達が私と同じように

 

お墓参りに行ったあとに(おもに夜になってからぐらいの頃に)

 

身体の疲れを異常に強く感じるという話を聞くことが多いです

 

 

疲れを感じるのが早い人などはお墓参りから帰ってきてすぐの

 

まだ明るいうちなのに疲れがどっと出る、という話も聞いたこともあります

 

 

 

このお墓参りに行ったあとに疲れた感覚が強くでるというのは

 

思ったよりも多くの人が経験していることのようで

 

そんなに珍しいことでもないようなのです

 

 

 

私の場合を細かく書くと、お墓参りに行き、帰ってくる

 

その帰路とかでどこかに立ち寄ったり、他の用事をしたとしても

 

その最中は疲れは全然出ないのですが

 

家に着いたあとで、夜の18時頃くらいから猛烈に疲れが出てくる

 

というパターンが多いです

 

私の知り合いなど他の方達に聞いてもやはり疲れを感じるのは

 

夜ぐらいが多いようです

 

 

早めにお墓参りを済ませてどこにも立ち寄らずに家に帰っても

 

明るいうちは疲れはそれほど出なくて

 

夜になって暗くなったころに急にどっと疲れが出るという形です

 

ただ、かならず夜になってから疲れが出るというわけでもなくて

 

まだ外が明るいうちに疲れが出てしまう場合もあります

 

 

 

疲れの重さ度合?というのは結構重い感じで

 

一度疲れが出てきてしまうと、もう他に何かをしたいとは思いたくないほど

 

疲れた感じになり倦怠感を全身に感じることも多いようです

 

 

 

昔のことですが私の知人がお墓参りの後に私の家に立ち寄ったときに

 

まだ夜にならない夕方ぐらいだったのですが

 

うちでかなりリラックスしてくつろぐいでしまったためか疲れがでてきてしまい

 

「なんで墓参りの後はこんなに疲れるのかね~?」と

 

大きな声を出してぼやいていたことがありました

 

お墓参りの後に出る身体の疲れ、倦怠感は思いのほか強いです

 

 

 

ついでにその疲労の回復について言うと

 

その日の夕食をしっかりと食べて栄養を取り

 

夜に無理をして何かの仕事をしたり外出したりしないで身体を休めて

 

少し早めに就寝して睡眠の時間を十分に取れば

 

お墓参りをした事による疲れは通常は取れるはずです

 

 

 

また、別の知人の話になりますが

 

事情によりお墓参りに行けない期間があって、

 

数年ぶりにお墓参りに行ったのですが

 

 

その日のそのあとは身体の疲れ方がかなり重くなり

 

翌日の朝にいつもと同じ時間に起きることができなくて寝坊をした

 

という話は聞いたことがあります

 

この話などは疲れが翌日まで残った例だと思います

 

 

ここまで疲れが残るのはめずらしくて

 

普通は一晩しっかりと睡眠を取れば

 

お墓参りに行ったことによる疲れは取れる場合が多いです

 

 

 

○ お墓参りに行ったあとの疲れの原因はわからない

 

 

それでこの疲れの原因は何なのか?と思うのですが

 

「 よくわからない 」というのが私の現在の認識です

 

 

 

お墓参り後の身体の疲れに関しては専門家と言われる方達、

 

霊能力者とかそういった関連の方々がいろいろなことを言っておられます

 

 

お墓を通して先祖の霊に直接に接するからその影響を受けて疲れるとか

 

 

墓地や墓場にはいろんな霊がたくさんいるのでそれらからの

 

影響を受けてしまい疲れるとか

 

 

墓地や墓場は自然界における陰の気が一番強い場所であり

 

普通の人が行くと人体の中にある陽気が陰気からの強い影響を受けて

 

陽気のバランスが崩れて疲れるのだとか

 

 

いろんな説があるのですが

 

私は霊能力とか霊感とかはほとんど無いので

 

それらの説が本当なのかよくわからないですね

 

 

 

自分の実体験としてわかること、言えることは

 

「お墓参りに行った日の夜は疲れが強くでる場合がある」

 

ということだけです

 

 

それは私個人の意見だけではなくて他にもそう感じている人が多い

 

ということがいろんな人の話からわかります

 

それだけは確実なように思えるのです

 

なのでお墓参りに行ったあとで疲れが強めに出ることの理由や原因は

 

いまはわからないとしか言いようがありません

 

 

 

 

○ お墓参りに行くと「 スッキリする 」と疲労との関係について

 

 

ごくたまに、「お墓参りはスッキリするよね!」という方もおられます

 

笑顔でキッパリとした口調でやや強めに言われると

 

私の方も思わず反射的にうなずいてしまいます

 

 

私としてはその感覚を否定するつもりはまったくなくて

 

そう言っている方はそういうふうに感じているのか、とか

 

そういうふうに表現するのか、とそのまま素直に受け取ります

 

 

 

私の気持ちの中にもそういう感覚は少しはありますし

 

お墓参りが済むと「ひと区切りついたな」と思いますので

 

気持ちの面である意味スッキリしていると言えると思えます

 

心理的に共感できる部分があります

 

 

 

「お墓参りはスッキリする」と強調して言われる方の意見を

 

聞いていて感じるのは

 

お墓参りのあとに感じる疲労感を

 

「 心地よい疲れ 」と感じているのではないか?と思うのです

 

心地よい疲れを感じるくらいの役目をこなしたので

 

その達成感がさらに気持ちをスッキリさせるのではないかと考えます

 

その感覚が「お墓参りはスッキリする」という表現になるのだと思います

 

 

なので、お墓参りはスッキリすると表現する方達の気持ちに

 

お墓参り後の疲労感は良い意味で作用しているのではないかと思います

 

 

 

 

○ お墓参り後の疲れ、疲労感にどう対処するか

 

 

結論からいうと、お墓参りにいったあとの疲れを無くす方法や

 

疲れないようにする方法はいまのところ無いと思います

 

 

お墓参りにいったあとに疲れや疲労感が強めに出る人は

 

どうしても疲れがでるようです

 

この記事を書いている私はもちろんそうですし

 

私がいままでにそういったお話を聞かせて頂いた方達も

 

皆そのように疲れを感じています

 

 

 

この疲れを事前に疲れないようにする方法は無いみたいです

 

私もいろいろと試してみましたが効果があると思える方法はありませんでした

 

 

ただし、昼食の前にお墓参りに行った場合は

 

お墓参り後の昼食はしっかりと食べることで

 

多少は疲労感を軽くすることができるようです

 

 

逆に昼食を取らないとか、昼食でちゃんとしてものを食べないのは

 

疲労感を増大させます、疲れが強くなります

 

これは私の実体験であり経験談です

 

 

 

私の知り合いなどはお墓参り後に雑用の対処に追われてしまい

 

また偶然の不運が重なり

 

本来なら昼食を食べられるはずの時間帯に昼食を食べることができなくて

 

はたから見ていてもかなりイライラして

 

周囲の人間と感情的にぶつかってしまい

 

一時的に険悪な雰囲気になったこともありました

 

 

おそらくは食事を取れないことの空腹感が

 

お墓参り後の疲労感をより強めて

 

イライラとした感情を抑えることができなかったと思われるのです

 

なのでお墓参りしたあとの食事は昼食も夕食も

 

しっかりと食べることがとても大事です

 

 

 

昼食をしっかりと取ることの重要性から先に書いてしまいましたが

 

疲れが本格的に出てきて身体的に辛くなるのは夜の場合が多いので

 

疲れが出てくる夜の過ごし方やその日の夕食について書いていき

 

疲れを翌日に持ち越さないようにする方法を述べたいと思います

 

 

 

まず、お墓参りに行った日の夕食は別に何を食べてもよくて

 

そんなのは個人の自由なのでそれをいちいち指図するような事は

 

したくないのですが

 

 

お墓参り後の身体や精神的な疲れ方が私以上に重く出て辛い、

 

という方がおられるかもしれませんので対処法を細かく書いていきます

 

 

 

疲れ方が重い人の場合は、夕食は消化の良い栄養バランスの取れたものを

 

積極的に食べるようにした方がよいでしょう

 

 

それと夕食の支度も疲れが増える作業でもありますので

 

夕食の支度をしないで済ませられるように事前に考えて準備しておくとよいです

 

 

コンビニやスーパーで売っている弁当や総菜を

 

お墓参りからの帰りの途中であらかじめ買っておいてそれを夕食にするとか

 

 

コロナ渦で急速に増えた外食宅配サービスを利用して

 

夕食を配達してもらうとか

 

 

自分で夕食の準備をするというような

 

疲れが増える作業を可能な限り減らす工夫をしてみて下さい

 

 

自分はいつも夕食の準備をしなくて家族がしてくれる、という方であっても

 

その家族もお墓参りに同行したのであれば

 

同じように少なからず疲れているかもしれませんから

 

夕食は自分達で作らなくていいように

 

お墓参りに行く前からどうするのかを考えておくことが良いです

 

 

 

疲れ方がそこまで重くないという方の場合は

 

外出して外食で済ましてもよいと思いますが

 

 

再び外出するという行動とか動作とか

 

他人と接触することとか、他者に気を使って疲れるような人は

 

自宅で夕食を済ませた方が楽だと思います

 

 

 

次に食事の内容ですが

 

これは本当に何を食べてもよいのですが

 

疲れが重すぎて辛い、という人の為に敢えてアドバイスをするとすれば

 

「消化の良い、栄養的にバランスの取れた食事」という

 

教科書的な回答になります

 

 

 

ご存じの方も多いと思いますが

 

人体は食べた食物を消化するのにもエネルギーを使います

 

消化するためにより多くのエネルギーを使わなければならないような

 

消化のよくない食品や料理は体力が弱っている時は避けるべきです

 

 

 

身体が疲れを感じているときなどは、つい体力が付きそうな料理を

 

選んでしまいたくなる気持になりますが

 

料理の内容によっては食べた食物を消化するために

 

身体が余計にエネルギーを使ってしまい

 

食べた直後からしばらくの間は食べる前よりも身体がかったるくなる

 

なんてこともあり得ます

 

 

 

なので、レバニラ炒め大盛とか、厚切りカツカレー大盛とか

 

厚切りチャーシュー山盛り麺極太硬め濃厚脂味噌ラーメン大盛みたいな

 

脂っこい上に消化に時間がかかりそうな料理ではなくて

 

普通のバランスの良さそうな料理を適切な量で食べる方が

 

身体には負担がかからなくてよいと思います

 

 

 

だからといって、お粥だけ、とかでは栄養が足りないので

 

極端に考えすぎないで

 

普通にバランスの取れた食事を食べるようにすると良いと思います

 

 

 

次にお墓参りした日の夜の過ごしかたですが

 

身体が強く疲れてしまう方は仕事とか何らかの作業をするとか

 

誰か人への応対をしなければならないような予定は

 

はじめから入れない方がよいと思います

 

 

 

そういう人は食事を取った後は風呂に入ったりして

 

それ以外は特別なことは何もしないでのんびりして過ごして

 

いつもより早めに寝るのがベストだと思います

 

 

夜更かししないで睡眠時間をいつもより多めに取るのが

 

疲れを翌日に持ち越さずに身体を回復させる一番良い方法だと思います

 

 

それだけ用心して身体と気持ちを休めれば

 

通常は翌日に前日の疲れや疲労感を持ち越すことは無いはずです

 

 

 

疲れを持ち越してしまうとしたらその原因は

 

睡眠不足、過労、栄養不足だと思われます

 

特に睡眠が一番重要ですのでそこは注意して下さい

 

 

 

 

こんなところでこの記事は終わります

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

これから説明することは余談なのかもしれないのですが、

 

読む人の置かれている状況によっては関連があるかもしれない話なので

 

念のため繋げてここに書いておきます

 

 

私が以前に書いた別の記事で

 

お墓参りに行ったときに身体にあったちょっとした体調不良が治ることがある

 

という記事があるのですが

(それを読みたい方は下の青字をタップクリックするとその記事に移動します↓)

お墓参りに行くとちょっとした体調不良が治る事があるのはなぜなのか?

 

 

その内容と今回の記事は対立するように思われてしまうかもしれませんが

 

今回の記事はお墓参りした日の夜の身体の疲れや疲労感について

 

書いた記事であり

 

以前に書いた体調不良が治る記事は、

 

お墓参りする以前からの軽い体調不良が治ることが主題の記事なので

 

今回の記事とは内容の焦点や説明したい目的が違います

 

 

気になる方は両方の記事を読み比べて頂ければ

 

理解して頂けると思います

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

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