顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です



(17智慧主於皮毛)

 

「顔や身体の皮膚と髪の毛や体毛の状態によって頭の良さを判断します」

 

 

 

智慧(チエ)とは、簡単にいうと頭の良さのことをいっているのだと思います

 

物事の道理を自分なりに判断して正しいと思われる方向に

 

処理していこうとする心のはたらき、とか

 

物事の筋道を自分なりに立てて計画をして自分が正しいと思う方向に

 

処理していこうとする能力を智慧というのだと思います。

 

 

それと「 仏教の用語としての智慧の意味 」もあるのですが

 

それはこの詩の解釈には当てはまらないように私は思うので

 

ここでは説明しませんが、

 

ですがその方面から研究したい方もおられるとも思いますので

 

この記事の最後に少しだけ仏教用語の智慧の意味を書いておこうと思います

 

 

 

主(シュ)とは、ここでは物事の主体とか、主要な、とか、

 

重要な、とかの意味で取ろうと思います

 

 

於(オ)とは、読まない場合もあるのですが、意味は「である」とか、

 

「とする」という意味で取るようです。

 

 

皮(ヒ)とは、「かわ」のことで、ここでは人間の皮膚を指しています

 

 

毛(モウ)とは。「髪の毛、や体毛」のことです、

 

ここでは当然人間の髪の毛や体毛を指しています

 

 

皮毛(ヒモウ)という成語もあるのですが、

 

それだと「獣の皮と毛」の意味になってしまうようですし、

 

毛皮(ケガワ)の意味になってしまうので、

 

ここでは皮と毛は一緒に読まずに分けて読んだ方がいいと思われます。

 

 

 

 

それでこの「智慧主於皮毛」の詩句の単語をそのままつないで直訳すると

 

「智慧は皮と毛が主です」となります。

 

 

ですがこれでは何を言っているのだかわかりにくいと思いますので、

 

言葉を足してわかりやすい文章にすると次のような感じにできます

 

「人間の頭の良し悪しを判断するには、その人の皮膚の状態と

 

 髪の毛などの体毛の状態を観れば判断することができます」

 

という意味になります。

 

神異賦の原文をそのまま解釈するのならばこれでいいと思います。

 

 

 

 

それではここからは私の解釈になるのですが、

 

人相術の先生方や諸先輩方からの教えと、私の経験をもとにして

 

この詩句についての意見を言わせて頂くと

 

人間の頭の良し悪しをその人の皮膚の状態と髪の毛の状態だけで、

 

判断するのは無理があると私は思います、

 

それらや賢さは、顔全体の雰囲気と、眼の感じと、額の状態によって

 

判断することにしています。

 

というのがいま現在の私の考え方です。

 

 

原典の詩句にあるように皮膚の状態や髪の毛や体毛の状態はもちろん観ますし

 

それらを無視するような事は決してありませんが

 

それらだけを賢さの主要な判断の材料とはしないです、

 

 

顔占いで対象の人の頭の良さや賢さを判断、推測するときに

 

皮膚の状態と髪の毛などの体毛の状態だけを見て決定することはありません。

 

 

皮膚や髪の毛などの体毛の状態は占う対象の人物の

 

頭の良さや賢さを判断、推測するための

 

「 有力な支持材料の一つとして採用する 」のが良いと思うのです。

 

 

 

先ほど述べたように頭の良さや賢さは、

 

顔全体や身体全体から発する雰囲気をまず始めに観ていきます、

 

 

次に眼の状態を観ます、特に眼の光の状態はよく観ます、

 

眼の光が強いのか弱いのか、清いのか濁っているのか、

 

暗いのか明るいのか、などを観ていきます

 

同時に眼の周囲の状態もどうなっているのかを意識して観ます

 

 

余談ですがペットなどの動物は眼を時間をかけてよく観察すると

 

賢いのか、賢くないのかなどは何となくこちらに伝わってきます。

 

 

そして人間の頭の良さは額の状態にも良く現れるので

 

そこも同時に観ていきます

 

頭の良い賢い人は額の状態がとても良い場合が多くて

 

そうでなくても人並の額であるのが普通です

 

頭の良い人で額の状態が良くないという事はほとんどありません。

 

 

 

そういった要素を観た上で皮膚の状態とか頭髪の状態を併せて観ていきます

 

 

皮膚はある程度の張りがあって潤いがあるのが望ましくて

 

適度なツヤがあれば、かなり良い状態だと思います

 

 

反対に皮膚がいつも荒れていて張りがないとか潤いも無ければ

 

食生活や生活習慣の乱れや不安定さとか体質や健康面の問題が考えられます。

 

 

頭髪なども髪にある程度の潤いがあり、

 

ある程度のツヤがあれば良い状態だと私は思うのですが、

 

 

反対に髪に潤いが無くてパサついた状態になっていて

 

髪の毛に生気が無くて、頭髪全体が乱れているような感じになっていたら

 

やはり食生活や生活習慣の不安定さとか、

 

なんらかの病気を患っているのではないかと考えてしまいます

 

 

頭髪はハゲているとか白髪になっているとかは問題ではなくて

 

残っている髪の毛の質感とか状態をよく観て下さい

 

 

皮膚の状態とか、頭髪の状態は

 

食生活や生活習慣の積み重ねが出やすい場所です

 

あるいは体質とか、いま患っている病気や持病がわかる部分でもあります

 

 

頭の良い賢い人は食生活や生活習慣に気を配りますし、

 

自分の見た目の状態は自分で整えるのでそれが原因で皮膚や頭髪が乱れたり、

 

周囲に気にされるような異常な状態になるまでケアをしないということは

 

あまりないと思います

 

 

また体質や何らかの病気を患っていて皮膚や頭髪に問題がある場合は、

 

その人と一緒に過ごす時間がある程度あればそのうちに本人が

 

それとなくそういった事情を知らせてくれる場合があります

 

頭の良い賢い人は気遣いも人並み以上であるので

 

周囲から誤解をされないように先手を打って自分から伝えてくることもあるのです

 

 

 

なので頭の良い賢い人は皮膚の状態や頭髪は人並み以上の状態で

 

整っている場合が多いのです。

 

整っていない場合は体質や持病の問題があったりして

 

それは本人の頭の良さや賢さとは別の運命的、運勢的な問題である

 

可能性があります。

 

 

そのような理由で頭の良い賢い人は皮膚の状態も頭髪や体毛の状態も

 

人並みかそれ以上に良い状態になっていたり

 

整っていることが多いです

 

 

 

 

反対に皮膚の状態や頭髪の状態が良くない人がどういう人かというと

 

これまで述べてきたように

 

食生活の状態が良くなくて、栄養状態に問題があるとか

 

生活習慣が一定していなくて不安定な状態になっているとか

 

などの原因が一番高い可能性として考えられます

 

 

毎日の食事を三食ちゃんと取っていないとか、

 

栄養価の低いジャンクフードを好んだりお菓子ばかりを食べていれば

 

皮膚や髪の毛の状態は当然悪くなりますし、

 

 

あるいは生活習慣が不安定とか乱れているというのは

 

具体的には毎日の睡眠時間が極端に少ないとか

 

睡眠を取る時間帯が昼夜逆転しているとか

 

仕事とか趣味とか好きな遊びとか欲望を満たす行為などに極端にのめり込んで

 

身体や精神の過労状態が長期間続いているような状況が考えられます

 

過労状態が続くと皮膚や髪の毛からは生気が無くなります

 

皮膚は常に荒れますし、肌の色は悪くなります

 

髪の毛はパサパサになり枝毛や折れ毛や抜け毛が増えて髪は乱れます。

 

 

それらはつまり自分の生活をコントロールできていないのです

 

理性を失い自分自身の身体のことも考えられない状態なのです

 

そういう人は頭が良くて賢い人とではないと言えます

 

そういう意味では「智慧主於皮毛」の詩句の意味と合っているとは思います。

 

 

 

ですので、占う対象の賢さや頭の良さを判断、推測するための

 

支持材料の一つとして皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて観るのは

 

とても有効であり、有力でもある情報ではあるので

 

相手を丁寧に鑑定したり観察できる時間や余裕があるのならば

 

積極的に観て判断すべき部分であると思います。

 

 

 

私の解釈をまとめますと

 

頭の良さや賢さを判断する対象の人物の

 

皮膚の状態や頭髪や体毛の状態は確認の為に観ますが

 

それのみで判断を決定することは無くて

 

その前に相手の顔全体、身体全体の雰囲気を観て、

 

眼や眼の周囲の状態を観て、額の状態を観て

 

それらの次に皮膚や頭髪などの体毛の状態を併せて観て

 

判断するのが良い鑑定、判断法ではないかと思います。

 

というのが私の考え方になります。

 

 

 

最期に備考として最初にお伝えしたとおりに

 

「 仏教用語の意味での智慧 」の意味も少し書いておきます。

 

仏教でいうところの智慧は、「般若(はんにゃ)」と訳すそうです

 

智慧は仏菩薩の修行の道のなかで「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」と

 

いわれていて修行道の中のひとつだそうです。

 

「般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)」とも言うそうです

 

物事の存在全体の真実の相を分析するのではなくて

 

一瞬にして把握して真理を見極める直観知の力のことだそうです。

 

判断力ではなくて理性の一種だそうです

 

智慧波羅蜜とも言うそうです。

 

お寺に行くとよく唱和することになる「般若心経」の一行目の

 

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」の中の

 

般若波羅蜜多も同じ意味になります。

 

 

 

仏教的な智慧の意味は以上ですがこのような超能力を持っているかどうかを

 

顔や身体の皮膚とか頭髪や体毛の状態から判断できるとは

 

到底思えませんので本文で述べたことが私の解釈になります。

 

この詩句についての説明を終わります。

 

 

 

智慧   ここでは頭の良さや賢さ

 

主    おもに、とか、主要な、の意味

 

於    である、とか、とする、の意味

 

皮    人間の皮膚

 

毛    人間の髪の毛や体毛

 

(17智慧主於皮毛)

 

 

 

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