顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です

 

 

 

(14冷笑無情 作事機深内重)

 

「人情や思いやりがまるで無い感じの

 

 相手をバカにしたせせら笑いやあざ笑いをする人は

 

 心の奥底で悪事をいくつも考えているような人間です」

 

 

 

冷笑(レイショウ)とは、誰かをバカにして軽蔑や皮肉を込めて

 

せせら笑いをしたりあざ笑いをすることをいいます

 

 

無情(ムジョウ)とは、人情とか思いやりが無くて

 

人間らしい情愛がまるで無いさまをいいます

 

 

作(ナス)とは、「つくる、働く、起こす、おこる、あらわれる、なる、」

 

などの意味があります

 

 

事機は、おそらく前後を入れ換えて「機事(キジ)」と読むのだと思われます

 

機事とは、「たくらむこと、くわだてること、悪事を計画して考える事」

 

という意味があります

 

 

深(シン)とは、そのまま「ふかい」ことです、奥深いとかの意味です

 

 

内(ナイ、ウチ)とは、意味がたくさんありますがここでは

 

「こころ、とか、内心」と取ります

 

 

重(ジュウ、カサネ)とは、ここでは「かさねる」と取ることにします

 

 

 

 

それでは詩句の解釈をしていきます

 

上の句の冷笑無情からです

 

 

まず冷笑の意味に関してはさきほど書いたように

 

誰かや相手をバカにしてせせら笑うことや

 

軽蔑や皮肉を込めてあざ笑うことをいうのですが

 

 

具体的な笑い方の仕草には特有のパターンがあります

 

冷笑は冷たい笑いと書きますが一番多いのが

 

感情が全然こもっていない気の抜けた感じの乾いた声で

 

「ハハハー」と笑うものです

 

この時に相手をバカにしているイヤな感じがにじみ出ていますので

 

そのイヤな感じで冷笑とわかります。

 

 

それ以外にも「ハハッ」と短く笑ったり、

 

「クククッ」とノドを詰まらせたように笑うものもあります

 

 

最初に笑い方の仕草から書いてしまいましたが

 

実際には笑い方が冷笑かどうかを判断するポイントではなくて

 

相手や誰かをバカにして笑っている、という感情の部分が決め手なので

 

そこに注意して判断するようにして下さい

 

バカにしていないのならばそれは冷笑ではないからです

 

 

 

次に無情の解釈いたします

 

人情や思いやりが無い、人間らしい温かみが無い状態を無情と言います

 

冷笑はこの無情の状態であるかどうかが特に大事です

 

 

実際に日常の社会生活の中で冷笑のような笑い方に出会った時に

 

それが本当に冷笑であると判断することができる決め手は

 

その笑っている人間が無情なのかどうかで決まります

 

 

その人から、人情や思いやりとか人間らしい温かみがまるで感じられなくて

 

相手や誰かを本当にバカにしているという悪意が感じられる場合は

 

その人は無情な悪人なのだと判断していいと思います

 

そういう人はおそらく顔が悪相でもあるはずだからです

 

 

悪相である顔というのは、普通はその人の顔をしっかりと見れば

 

なんとなく雰囲気や全体の感じからわかるのですが

 

たまに、あまり悪相の感じがしない悪い人もいますので

 

そのあたりは気を付けてください

 

 

それでも言葉を交わすようになると

 

本当に人格が良くない悪い人は自然とわかりますので、そこで判断してください

 

 

キレイな顔をしていても人格の悪い人と話をしていると

 

違和感とか不快感が自分の心の中で膨らんでくるので

 

それで判断できるはずです

 

 

無情であり人格のよくない悪相の人が誰かに対して冷笑をするのが

 

正真正銘の冷笑になります

 

 

 

悪相ではなくて無情でもない普通の人が冷笑っぽい笑い方をすることは

 

社会生活の中では結構あるのです

 

ときどきいるのです「冷笑みたいな笑い方」をされる普通の方が

 

そこはしっかりと区別した方がよいです

 

 

悪相でもなくて無情でもない人の冷笑みたいな笑い方は

 

冷笑的な要素が少しだけある性格の人というだけです

 

 

誰かをちょっとからかいたい気持ちがある人とかですね

 

その他にもただの口癖とか「言葉のあや」のつもりで笑っている人もいます

 

 

また、自虐ネタをするときに自分のことを下げる話の前後で

 

冷笑を入れる人もいます、自分を笑い話にするためにしているのです

 

こういう方達は突然のきっかけで冷笑みたいな笑い方をやめる方もいます

 

 

なので冷笑のような笑い方をする人を見たときは

 

部分的な情報だけで冷笑だと決めつけないで

 

その人が本当に無情の人なのかどうかを注意して判断してください

 

冷笑の判断はそこが一番重要なポイントになります

 

 

 

 

次に下の句の解説にうつります

 

「作事機深内重」という詩句なのですが

 

 

教科書的な読解ではなくて私流の解釈になります

 

漢字の字義と私の教わった顔占いの考え方と

 

私の経験をミックスして解釈をすすめていきます

 

 

 

まず、「内」から始めますが、意味がたくさんあるのですが

 

上の句と下の句にある字義から、この内は「こころ」とか内心と解釈するのが

 

妥当だと私は思います

 

心の内側とかでもいいと思います

 

 

次に「深」ですが、これは「ふかい」とか奥深いでいいと思います

 

内とあわせると、「こころの奥底で」とか心の奥深くで~、とかでいいと思います

 

 

次に事機ですが、これは前後を入れ換えて「機事」だと思います

 

そういう単語がありますし、それだと顔占い的にも意味が通るからです

 

機事とは、「たくらむこと、くわだてること、悪事を計画して考える事」

という意味があります

 

深内とあわせると、「こころの奥底で悪事を考えている~」とか

 

心のなかで悪事をたくらんでいる、とかの意味になります

 

 

次に「重」ですが、これも異なる意味がたくさんあるのですが

 

この詩句では他の字義から推測すると

 

私は「かさねる」と解釈するのが意味が合うと思うのです

 

事機深内とあわせると、心の中で悪事の考えを重ねる~とか

 

「こころの奥底でいくつも悪事を考える」という意味になります

 

 

最後に「作」ですが、主な意味は、つくる、ですが

 

他に「作る、働く、起こす、おこる、あらわれる、なる、」などの意味があります

 

文章によって読み方や意味が多少変わりますが

 

要するに作るだと思っていればいいと思います

これを事機深内重とあわせると、

 

心のなかで悪いたくらみばかり考えている~とか

 

「こころの奥底で悪事をいくつも考えている」という意味になります

 

私はそう解釈しました

 

 

 

なので上の句と下の句をあわせた私の解釈は

 

「人情や思いやりがまるで無い感じの

 相手をバカにしたせせら笑いやあざ笑いをする人は

 心の奥底で悪事をいくつも考えているような人間です」

 

という形になりました

 

 

 

それでこの詩句に対する私の考えですが

 

これはそのまま採用してもいいと思います

 

ただ注意点は先ほどもくどくどと書きましたが

 

冷笑をした人が本当に無情な悪い人なのかどうかです

 

そこの見極めをしっかりとするのならば合っていると思います

 

 

軽いノリでちょっと人をからかうのが好きな

 

おっちょこちょいなだけの人と混同しないようにすることが大事です

 

普通に生きていればこの詩句にあるような本当に悪い人には

 

そんなには出会えないのですよ

 

 

本当に無情で人格の良くない悪相の人が冷笑をしているのを見たら

 

気をつけてください

 

 

ですが、もしもこういう人とやたらと出会うようになったとしたら

 

自分の生き方をよく思い返して、見直した方がいいかもしれません

 

類は友を呼ぶ、という言葉もあるくらいだからです

 

 

 

最後にここまで読んで下さった人にむけて

 

この詩句の内容と関係のあることを少し書いておこうと思います

 

占いとか開運法を学んできた者として

 

開運法の考え方からの意見なのですが

 

 

意識して誰かをせせら笑いあざ笑うようなことはお勧めしません

 

止めた方がよいです

 

特にネット上とかSNS上ではお勧めしません

 

影響力が大きいので反動や副作用がとても強いです

 

誰かをバカにしてあざ笑うような行為は自分の運気を大きく傷つけて

 

運勢をかなり悪くします

 

自分の環境や対人関係がものすごく悪化します

 

取り返しのつかないほどのダメージを受けてしまうこともあります

 

自分の発言をコントロールできる方はこれを

 

心の片隅にでも留めておいて下さると何かのヒントになるかもしれません

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました

 

この詩句の解説を終わります

 

 

 

冷笑   バカにしてせせら笑いあざ笑う

 

無情   思いやりや人情が無いさま

 

作    つくる、なす

 

事機   たくらむ、悪事を計画する

 

深    ふかい

 

内    こころの中、内心

 

重    かさねる

 

(14冷笑無情 作事機深内重)

 

 

 

このブログの管理人のプロフィールページ ↓

セイリュウ のプロフィールページ

 

私の記事を支援・応援して下さる方と、

記事代金を支払って下さる方は下の青字をクリック、タップして、

ご案内ページへ移動して下さい

セイリュウの支援・応援 案内のページ

 

セイリュウのTwitterアカウント ↓

セイリュウのTwitter

顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です

 

 

 

(13視瞻平正 爲人剛介平心)

 

「他者を見るときの眼の感じにゆがみや偏りがない公平な人は

 

 人柄が信念を曲げない意志の強い正直な人ですが

 

 同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」

 

 

 

視瞻(シセン)とは、「見る・見まわす」という意味になります。

 

視は見るという意味があり、瞻も見るとか「仰ぎ見る」という意味です

 

ただ前後が入れ替わり、瞻視(センシ)とすると、見る、「見守る」とか

 

「見るときの目つき」という意味になるようです。

 

 

平正(ヘイセイ)とは、「歪みや偏りがなくて公平で正しい」という意味だそうです

 

 

爲人(イジン)とは、ここでは「ひととなり」とか「人柄」を意味します

 

 

剛介(ゴウカイ)とは、気性が強くて正直で真っすぐな性格であり

 

意志が固くて信念を曲げない性格のことを言います

 

 

平心(ヘイシン)とは、静かで落ち着いた心や穏やかな心の事を言います

 

または、偏りのない冷静で公平な気持ちを現す場合もあります

 

 

 

 

それでは詩句の解釈をしていきます

 

 

まず上の句の視瞻平正ですが

 

視瞻とは、見る・見まわすという意味であり、

 

それ以上に深い意味は無いようなのですが

 

言葉の前後を入れ換えて瞻視(センシ)とすると意味が少し違ってきます

 

「見る」、「見守ること」、「その目つき」という意味がでてきます

 

 

なので私はこの詩句を

 

「他者を見るときの眼の感じ」というふうに解釈することにしました

 

視瞻という言葉の意味は、ただ見る・見まわすというよりも

 

もう少し意味が深いような感じがするからです

 

 

視瞻という言葉を分解して一語づつ字句の意味を探っていくと

 

ただ単純に誰かや相手を見る、というのではなくて

 

相手の全体を観ようとしている意味があるように感じられるのです

 

なので、他者を見るときの眼の感じ、とういうふうに解釈しました

 

 

 

そして平正なのですが、意味は先ほど書いた様に

 

「歪みや偏りが無くて整い公平で正しいこと」という意味です

 

この言葉の意味を持っている視瞻ということになります

 

 

なのでこれらの意味をつなぐと

 

「他者を見るときの眼差しとか眼の感じに歪みや偏りが無くて公平に

 

 相手を見る人」

 

というふうに解釈できると思いますし、私はそう解釈します

 

これが上の句の解釈です

 

 

 

 

次に下の句ですが、爲人剛介平心、と言っています

 

爲人は意味が複数あるのですが、ここでは前後の言葉から意味を絞り込み

 

ひととなり、とか、人柄、という意味で取ります

 

 

剛介という言葉は現在日本語で良く使われている豪快とは意味が違うようです

 

剛介の意味を調べていくと剛直という言葉と

 

同じ意味であるようなのでそれを採用します

 

 

気性が強くて正直で真っすぐな性格で意志が固くて

 

自分の信念を曲げない人のことを剛介というようです

 

 

次に平心の意味ですが

 

静かで落ち着いたこころ、とか、穏やかなこころ、という意味があり

 

他にも、偏りのない冷静で公平な心や気持ち、という意味があるようです

 

 

 

なのでこれらの言葉をつないで解釈をすると

 

人柄や人となりが、意志が固くて自分の信念を曲げない正直な性格であり

 

そして静かで落ち着いた穏やかな心を持っている人、という意味に

 

なるように思うのです

 

 

剛介の意味のなかの「気性が強くて」の部分は平心が重なってくるので

 

省くことにしました

 

 

 

これで上の句と下の句をつないで字義を解釈すると

 

「他者を見るときの眼の感じにゆがみや偏りがない公平な人は

 人柄が信念を曲げない意志の強い正直な人ですが

 同時に静かで落ち着いた穏やかな心根を持つ人でもあります」

という意味になるのではないかと私は思うのです

 

この詩句の解釈はこのような感じになります

 

 

 

そして私のこの詩句に対する感想ですが

 

おおむね詩句の述べている内容をそのまま受け取っても

 

良いのではないかと思います

 

 

眼の判断は難しいのですが、間違った事を言っているとは思わないですし

 

眼の判断の難しさを教えてくれる良い詩句だと思います。

 

 

 

 

それで現代の日本の顔占い人相術の視点でこの詩句に関連することを

 

考えて述べるとすると

 

 

やっぱり眼と眼の周囲の感じや雰囲気はとても大事です、

 

というのは間違いなく言うことができます

 

人の顔を観るときに顔全体や身体全体を観るのは当然なのですが

 

最終的には眼を観てその人の判断を決定するからです

 

 

それぐらい眼の状態は重要ですし、

 

眼の状態や眼の周囲にはその人の性格や人間性はもちろんのこと

 

運勢の強弱や吉凶が現れる場合もあるからです

 

 

 

誰かを顔占い的に判断する時に本来は顔全体の雰囲気とかから

 

大づかみをして観ていき、それから顔のバランスとか

 

各部位の状態とか、顔のパーツの状態とかを細かく見ていって

 

最後に眼と眼の周囲をしっかりと観るのが本来の観ていく順番なのですが

 

 

たまに眼の状態とか、眼の周囲の状態に違和感があり過ぎて

 

本来の観ていく順番をすっ飛ばしてしまい

 

その相手の眼の辺りばかりに意識がいってしまって

 

通常の観方をすることができない人、という方も実際におられます

 

 

 

顔占いをするわけでもなくても、街中とか公共の施設の中とか

 

公共の交通機関の中で乗り合わせた、

 

たまたまその時にその場で偶然行き会った人とかでも

 

こちらがビックリするぐらい

 

眼と眼の周囲に違和感がある人に出会う事もありますし

 

 

テレビを見ていてテレビに映っている人の眼と眼の周囲に

 

違和感を感じることもたまにあります

 

 

また、以前に会ったときまでは特別なにも感じていなかった知人に

 

ある日突然に違和感を感じるような場合もあるのです

 

こちらとしてはおそらく何か身辺か内面的に変化があったのかな、、、

 

と推測するのが精一杯の場合もあります

 

 

プライベート過ぎる問題とか、デリケートな問題の場合は

 

その問題が落ち着くまでは顔や人相の変化をこちらから告げても

 

具体的に答えてくれないとか、答えられない事も多いです

 

だいぶ時間が経ってからその時になにがあったかを

 

知る事ができたりします

 

 

 

また眼と眼の周囲にはその人の神気の状態が現れやすいです

 

神気とはその人の生命力や精神力を表現する顔占いの専門用語です

 

これは説明するのが難しいのですが

 

その人の元気さとか気持ちの強さとか、

 

性格や人格の良い、良くない、とか強い、強くない、とかが現れやすいですし

 

いま現在はどういう生き方をしているか、とかが現れる場合もあります

  

 

 

なので眼の状態、眼の光の状態ですね

 

眼の光が強いのか、弱いのか、とか、

 

正しい感じの眼をしているのか、正しくない感じの眼をしているのかとか

 

眼が濁っているのか、澄んだキレイな目をしているのかとか

 

眼が落ち着かなくてキョロキョロしているとか、

 

絶望して諦めきった眼をしているのかとか

 

ヤル気に燃えている生き生きしている眼をしているのか、などに注意して観ます

 

 

それと眼の周囲の雰囲気も同じように変化や違和感が現れやすいです

 

眼の周囲の状態としては、色とかツヤとかももちろんなのですが

 

雰囲気が変化することが多いので、

 

眼自体とあわせて意識して観るようにしてください

 

 

 

顔占い的な視点で誰かの顔を観たいと思うのであれば

 

眼と眼の周囲の感じについてはそれぐらいには観られるようになりたいと

 

皆さんは望まれると思います

 

 

ただ、ここまで細かく書いて言葉にすると逆に難しく思われてしまいそうですが

 

顔占いの知識など無くても

 

この記事を読んでいる皆さんは誰かと対面した時に無意識に

 

これと同じことをやっているのです

 

意識的にしているのか、無意識でやっているのかの違いがあるだけです

 

 

 

今回の詩句は、眼や眼の周囲を意識して観る必要があることを述べている

 

大事な詩句になります

 

顔占い的な視点で他者の顔を観たいと思っておられる方にとっては

 

とても参考になる詩句だと思います。

 

 

 

視瞻   見る・見まわす

 

平正   歪みが無く公平で正しい

 

爲人   ここでは、ひととなり・人柄

 

剛介   意志固く己の信念曲げず正直

 

平心   静かで落ち着いた穏やかな心

 

(13視瞻平正 爲人剛介平心)

 

 

 

このブログの管理人のプロフィールページ ↓

セイリュウ のプロフィールページ

 

私の記事を支援・応援して下さる方と、

記事代金を支払って下さる方は下の青字をクリック、タップして、

ご案内ページへ移動して下さい

セイリュウの支援・応援 案内のページ

 

セイリュウのTwitterアカウント ↓

セイリュウのTwitter

顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です

 

 

(12地閣方圓 晩歳榮枯定取)

 

「顔の下アゴが角型でガッシリとした肉付きがあり張りのある人は

 

 人生晩年の運勢で幸運を選び取ることができます」

 

 

 

地閣(チカク)とは、顔占い・人相術の用語で「下アゴ」のことを言います

 

さらに専門的に範囲を狭めて言うとくちびるの真下の

 

アゴが顔の前に向かって出っ張っている辺りを

 

専門的な範囲分けでの地閣という部位なのですが

 

この詩句では口から下の下あご全体のことを地閣と言っています

 

 

方圓(ホウエン)とは、そのままだと「四角と丸」という意味なのですが

 

ここでは地閣と併せて書いてあるので、

 

下あごが角型のガッチリとした形をしていて、

 

しかも肉付きが良くてその肉に張りがあるような状態を指していると思われます

 

方圓にはその他にも、範囲とか広さの意味があり

 

スケールが大きい、という意味も持っています

 

 

晩歳(バンサイ)とは、「晩年」を意味していて、老年のころ、を言います

 

年老いた時期を指します

 

 

榮枯(エイコ)とは、人生において「栄えることと衰えること」を現します

 

栄枯盛衰の四字熟語の栄枯と同じ意味です

 

 

定(テイ)とは、「さだめる、さだまる」の意味があります

 

それ以外にも、安定する、決まる、などの意味もあります

 

 

取(シュ)とは、そのまま「とる」という意味です

 

その他の意味としては、選び取る、とか採用するという意味もあります

 

 

 

それでは詩句の解説をしていきます

 

 

地閣方圓とは下アゴが角型になっていて、

 

なおかつ肉がしっかりと付いていて肉に張りがある状態を言います

 

 

アゴが角型になっていたとしても肉付きが無くて痩せているアゴは

 

方圓とは言いません

 

 

アゴが角型でアゴの肉が張っているのがパッと見てわかるぐらい

 

アゴの肉に存在感がある状態を地閣方圓と言っていいと思います

 

 

なかなか居ないのですよ、アゴが角型で肉付きが良い人というのは。

 

 

時代的な流行だからなのか、細い方がカッコ良く見えるからなのか

 

アゴは下に向かって細くなってシュッとしている感じが一般的には好まれますが

 

顔占いの視点で観ると細いアゴはあまり良くないのです

 

晩年運の良し悪しに関わってくるのでアゴはガッチリしていた方が良いのです

 

この後で詩句の解説と併せてそのあたりを説明していきます

 

 

 

次に詩句は、晩歳榮枯定取と言っています

 

晩歳とは晩年のことで年老いた年齢の時期を言っているのですが

 

 

顔占いではくちびるの下からアゴの先までの辺りを晩年と言っているのですが

 

現代の感覚で言う晩年と言葉の感覚が違ってきてしまっているのです

 

 

この詩句(神異賦)が成立した昔の中国で言う晩年とは

 

50歳以降60歳くらいまでを晩年と言っているのです

 

たぶんその頃の中国の平均寿命はおそらく60歳前後位だったのだと思います

 

 

なので詩句では晩年と言っていますが現代人の年齢でみる場合は

 

50歳から60歳までの期間の年齢の運勢として観て頂きたいと思います。

 

 

 

ただ、より顔占いの専門的な視点で考えるとこの下アゴの判断を含め

 

顔に年齢を割り振って、その年齢の時期の運勢を観る方法は

 

いろいろな説がありひとつの説だけで説明するのは正確ではないとも思います

 

 

この詩句は下アゴと晩年の関係性について述べている詩句なので

 

通常の説以外の他の説や晩年の違う判断の仕方も交えて

 

顔占いでの晩年の判断の仕方を少し詳しく解説していきたいと思います。

 

 

 

まず、別の観方をする説から解説していきます

 

これは通常の観方であれば鼻先の真下を43歳として取るのですが

 

そうではなくて鼻先の真下を60歳ぐらいとして取り

 

そこから下のアゴの下端までの縦の幅の期間をすべて晩年として観て

 

亡くなるまでの運勢の期間として観ていく判断法です

 

 

これは顔を縦に三等分して判断する三停という判断法の観方なのですが

 

(顔占い3 三停平等 一生衣祿無虧を参照して下さい)

 

 

額の全体の縦の幅を上停といい本来は0歳から20歳までの運勢を現し

 

次にまゆ毛の中心から鼻先までの縦の幅を中停といい

 

本来は21歳から43歳までの運勢を現していて

 

次に鼻先から下のアゴの下端までの縦の幅を下停と言い

 

本来は43歳から60歳までの運勢を現しているのですが

 

 

この別の観方の場合は、

 

額全体の縦の幅の上停を0歳から30歳くらいまでの運勢と取り

 

まゆ毛の中心から鼻先までの縦の幅の中停を

 

30歳ぐらいから60歳ぐらいまでの運勢として取り、

 

鼻先の真下からアゴの下端までの縦の幅の下停を

 

60歳ぐらいから亡くなるまでのあいだの運勢と取ります

 

 

この観方の場合は鼻先から下の下停の部位は文字通り晩年として

 

人生の終わりの時期として観るようにするのです。

 

このような観方もあります。

 

 

 

また、これとは違う観方の説明としては、

 

通常の顔占いの判断の仕方をさらに延長して観ていくという方法もあります。

 

 

通常の観方であるアゴの下端を60歳までとして判断したあと

 

その延長としての61歳から80歳までの年齢期間を

 

顔の上部である上停(額の位置)に戻って判断する方法もあります

 

 

その場合は額の髪の毛の生え際を61歳の年齢と取り、

 

そこから下に下がって観ていき、まゆ毛の中心までの額の縦の幅を

 

80歳までの運勢の期間と観る方法なのです。

 

 

そしてその先の80歳以降の年齢まで観るとすると

 

まゆ毛の中心の位置の少し下を81歳の年齢と取り、

 

そこから下の鼻筋の方に下がって観ていき、鼻先までの縦の幅を

 

100歳までの運勢を観る期間と取るのです

 

このように60歳以降の実際の意味での晩年の運勢を観る方法もあります

 

 

 

そしてもう一つの観方としてあるのが、

 

鼻先の真下の位置を43歳と取るのはそのまま通常の観方なのですが

 

下アゴの下端を60歳と区切らずに、そのまま亡くなる時期としてとらえて

 

観る方法もあります。

 

 

この観方ですと43歳以降の1年ごとの運勢の顔の位置がどこなのか

 

わからないという欠点があるのですが、

 

鼻先から下の下停の部位を亡くなるまでの晩年全体としてとらえて

 

43歳以降の晩年の運勢全体の状況や勢いを一目で判断できるという

 

利点があります

 

四柱推命で人生全体の運勢の流れを判断する時の大運を見る時のような

 

大づかみで一定の年齢域全体の運勢の強弱を観るのには

 

優れた方法ではあると思います。

 

 

 

このように下アゴの判断法だけでも複数あるので

 

どの判断法や観方で判断すればいいのか迷ってしまいますが

 

実際に顔を観て判断する時はどれかひとつの観方にとらわれずに

 

上記に上げた複数に判断法を組み合わせて

 

判断するのが良いと思います

 

 

 

誰かを顔占いで判断するというのは

 

ひとつの決まりきった判断の仕方で固定的にするのではなくて

 

そのときどきの相手の感じや状況とか雰囲気とか

 

相手の話の内容に合わせて変化させた方が良い場合が多いです

 

 

相手を観ていると直感的に

 

この人の場合はこう判断した方が良いのではないか?

 

というのが感じられたりします

 

 

なので複数の判断法をそのときの直感を信じて

 

使い分けたり、組み合わせたりして判断した方がよいと思います。

 

 

顔占いは感覚的な要素とか直感的な判断を重視する占いなので

 

決まりきった固定的な判断法で事務的な作業にしてしまうと

 

判断を間違えることが多くなります。

 

そうならないように注意して自分の感覚を磨いてみて下さい。

 

 

顔占いによる晩年の判断の仕方の説明は以上になります。

 

 

 

最後は、この詩句の榮枯定取の解釈ですが

 

榮枯の意味はそのまま、栄えることと衰えること、です

 

 

それを、定取と言っています

 

定は、さだまる、という意味でそのままでいいと思います

 

取は、とる、という意味ですが、選び取るの意味もあります

 

 

上の詩句は地閣方圓と言っていますので

 

下アゴの状態は最初から運勢の良さを現す暗示のアゴなのです

 

それが栄えることと衰えることのどちらかを選びとるのです

 

運勢が良いのですから当然、栄える方を選び取れるのです

 

それが「定まっている」つまり、決まっているのです

 

 

この詩句は「晩年が栄えるような幸運な状態が決まっている」と

 

言っているのだと思います。

 

私はそのように解釈いたしました。

 

 

今回は良い状態の下アゴの運勢を暗示した詩句の解説でした。

 

 

 

地閣   専門用語で下アゴの意味

 

方圓   四角と丸という意味

 

晩歳   晩年、老年の事

 

榮枯   栄えることと衰える事

 

定    さだまる、決まる

 

取    とる、選び取る

 

(12地閣方圓 晩歳榮枯定取)

 

 

 

このブログの管理人のプロフィールページ ↓

セイリュウ のプロフィールページ

 

私の記事を支援・応援して下さる方と、

記事代金を支払って下さる方は下の青字をクリック、タップして、

ご案内ページへ移動して下さい

セイリュウの支援・応援 案内のページ

 

セイリュウのTwitterアカウント ↓

セイリュウのTwitter

顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です

 

 

 

(11天庭高聳 少年富貴可期)

 

「額が垂直の壁のように立っていて広い人は

 

 若い年齢の頃からの財運と立身出世運がかなり期待できます」

 

 

 

天庭(てんてい)とは、人相術の用語で「額(ひたい)」のことを言います

 

人相術の専門的に、さらに細かく範囲を分類して指定した場合は

 

髪の毛の生え際の額の真ん中の最上部を「天中(てんちゅう)」と言い

 

人差し指の第一関節から先の指先を横にして当てた位の範囲を言います

 

そこの真下に同じように人差し指の先を当てたところが

 

細かく分類した場合の天庭という部位になります

 

ただ今回の詩句では、額全体を指しています

 

 

高(コウ)とは、「たかい」という意味です、そのままです。

 

 

聳(ショウ)とは、「そびえる」という意味だそうです。高く立ち上がっている様子を

 

言うそうです。高聳と書くと、「すらりと高く壁のようになっている」のだと思います

 

 

少年(ショウネン)とは、一般的な日本語の男の子の意味ではなくて

 

漢文や古典では、30歳前後くらいまでの青年や若者を指すそうです。

 

 

富貴(フウキ)とは、財産や社会的地位に恵まれたさまを言います

 

またそういう立場の人を指す場合もあります

 

単純にお金持ちを言う場合もあります

 

 

可(カ)とは、「べし」と読むことが多いです。

 

意味は「よい、よろしい、可能、できる、許可、当然、評価、に値する」などです

 

 

期(キ)とは、「決まった、約束する、機会、決める、期待する、必ず、」などの

 

意味があります

 

 

 

それでは詩句の説明をしていきます

 

 

額の縦の幅がしっかりとあって、横幅も十分な広さをもっていて

 

横長の四角い額になっていて

 

そして額が一枚の壁のように縦に立ち気味になっている人は

 

 

若い年齢の頃から才能や才覚を社会で発揮することができる能力があり

 

それによって社会的に高い地位を早くからつかんだり

 

お金を稼ぐことができるようです

 

という暗示を現している詩句のようです。

 

 

 

この詩句の暗示はこのまま適用して良いと思います

 

顔占い・人相術で言う良い額の基本的な考え方を述べている詩句でもあります

 

 

顔占いでいう良い額とは

 

額の縦の長さが狭くなくて、しっかりとある程度の幅があり

 

横幅もしっかりとあって横長の長方形の四角い額で

 

一枚壁のように垂直気味になっている額で

 

ホクロや傷やへこみとか変な出っ張りとかが無くて、色も明るい良い色ならば

 

それは高い知性や知能を持っている暗示だからです

 

頭脳が発達して優れている暗示なのです

 

 

この横長の四角い一枚の板のような額は福相とか富相の暗示の

 

一つでもあります

 

 

以前に紹介した詩句の中で(3 三停平等 一生衣祿無虧)があり

 

その中で説明した三停という単位の中の上停というのが額の位置にあたり

 

この詩句の述べているとおりの状態であれば上停は

 

とても良い状態という事になります

 

 

上停は人相術では年齢的に初年運を暗示していて、

 

初年運とは人生の若い時期(0歳から20歳ぐらいまで)を現しています

 

 

額が良い状態であるというのは、

 

それは同時に若い年齢の時期の運勢が良いことも意味していることになります

 

 

 

この詩句は(少年富貴可期)と言っています

 

人生の若い時期からの富貴が期待できると述べています

 

つまり社会的な活躍とか出世とか地位の獲得とか

 

お金を儲けることが期待できる運勢を持っている

 

つまりそういう能力や才能を持っていると述べているのです

 

この詩句はそのまま使うことができます

 

覚えておくとよいと思います

 

 

 

ただ、注意点としては

 

額の状態が良いからと言ってそれだけで顔相・人相のすべてが良いとは

 

ならないという事です

 

 

テレビのニュースとかで報道される犯罪者や悪人のような人達の中にも

 

額の状態が良い人がいます

 

 

額は頭脳や知性、知識、知恵を現し暗示しますが

 

頭脳や知性、知識、知恵は、それ自体には善悪は無いからです

 

 

いわゆる悪相の人でも額の状態が良い人がいます

 

なので額の状態はあくまでそれはそれとして判断をして下さい

 

顔全体を観て判断するなかでの額の部分の判断であると思っていて下さい

 

 

 

その人の全体の運勢を本当に判断するためには

 

やはり顔全体はもちろんのこと、身体全体も観て

 

声を聞いて会話をして、受け答えの中から人間性を知る必要もありますし

 

歩く姿や立ち姿とか身体を動かしたときの仕草も判断の対象になります

 

顔占いはそういった全体を観て判断をしていきます

 

 

 

とはいえ、額の状態が良いというのは顔占い的には

 

やはりポイントは高いのです

 

運勢の良い暗示である事は確かだからです

 

今回の詩句は額の判断法の詩句のひとつでした

 

 

 

天庭   人相術の用語で額のこと

 

高    たかい

 

聳    そびえる

 

少年   若者とか青年

 

富貴   財産と社会的地位

 

可    良い、できる、に値する

 

期    決まった、約束する、期待する

(11天庭高聳 少年富貴可期)

 

 

このブログの管理人のプロフィールページ ↓

セイリュウ のプロフィールページ

 

私の記事を支援・応援して下さる方と、

記事代金を支払って下さる方は下の青字をクリック、タップして、

ご案内ページへ移動して下さい

セイリュウの支援・応援 案内のページ

 

セイリュウのTwitterアカウント ↓

セイリュウのTwitter

顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です



(163莫教四反 五六必主凶亡)

「四反は有ってはいけません

 30歳ごろに必ずものすごく良くない事とか

 命を失うような危険なことがあるからです」




四反(しはん)については難しいのであとで説明します

莫(なかれ)とは、してはいけない、とか、するな、という意味です

 

教(キョウ)は、おしえる、なのですが、ここではおそらく「しむ」と読みます

 

文章として「~をして~せしむ」の形になるのだと思います

 

 

五六(ごろく)は30歳ごろという意味です

 

必(かならず)はそのまま、かならずという意味でいいと思います

 

主(シュ)は、つかさどる、とか、おもに、という意味です

 

 

凶(キョウ)は運が悪い事とか不吉という意味で取ります

 

亡(ボウ)は、亡くなる、とか命を失うの意味でいいと思います

 

 

 

ではこの詩句の暗示を詳しく見ていきます


まず「四反(しはん?)おそらくそう読みます」という言葉が

私にはどのような意味なのかがよくわかりませんでした


漢和辞典やネットで調べてみたのですが意味がつかめませんでした

「四つ」の「反する事、対立する事、そむく事」と

解釈すればいいのでしょうか?

私は勉強不足なのでわからないのです


なので悔しいですが

ここは私に顔占いを教えて下さった先生が著書の中で述べておられる

四反の解釈を代わりに書いておきたいと思います


四反とは、

「くちびると肌の境界線が無くてハッキリしていない」

「眼の光にまるで力が無くて焦点の合わない眼をしている」

「鼻の穴が前から丸見えになっていて穴が上を向いている」

「耳の肉の一番外側の輪の部分がしっかりした形を成していない」


というのがすべて揃っている事が四反という状態であり

「 特に良くない 」のだそうです


このうちの一つがあっても良くないとされているのに

四つも揃ってしまうとさらに良くないと判断できると

原典は言っているようです


私に顔占いを教えて下さった先生は

学生時代から人相術や易占の研究を続けていて

40年以上は占い師を続けてきた方です

私などとは比べられないほど原典の解読と読み込みをしていて

他の人相術の本もたくさん読まれておられるので

私がわからない四反の意味もわかるのだと思います


私はもう何年も前になりますが平成の頃に

先生に対面鑑定をしてもらい

その後に人相術の一年間の講座を東京の吉祥寺で受講しました


先生のおかげで顔に浮かぶ血色や気色(きしょく)が

見分けられるようになり

画相もなんとか見ることができるようになりました


ですが勉強不足には変わりがないので

四反の意味がわからなかったのです



原典に戻りまして私流の解釈を続けます


四反であると五六には必ず凶亡があると言っています

「 五六(ごろく)」とは30歳ころを指します

古文や漢文にはこういう年齢表現が多いのですが

掛け算だと思えばいいようです


五六は5×6です、なので30歳です

二九なら2×9です、なので18歳です

二八なら2×8です、なので16歳です


以前に読んだ古典にもそのような表記があり

年齢を現す時にこのような表現を使うようです


そして「 凶亡 」とはそのままの意味のようです

凶とは凶事のことで良くない出来事とか

悪い運勢や良くない状態を意味しており


亡は命を失うことや亡くなることを意味しているようです

それが「必ず」あるのだと原典は述べています


ですが、先ほど書いた四反の四つの条件がすべて揃う人は

まず居ないと思います

なので必ず30歳ごろに凶亡があるなんてことは

わからないと思います


とは言え一つぐらいは当てはまる人を見かけることは

あるかもしれません


その中でも「眼の光が弱くてボンヤリした眼をしている」のは

要注意ですので

知人がもしもそういう状態になってしまったら

気をつけて注意を促してあげて下さい


注意をしてあげる事で、もしかしたら凶事を

避けることができるかもしれないからです


眼の光の具合と眼の周囲の色や雰囲気は特に大事だからです


それと「耳の肉の外側の輪の部分が形を成していない」

人についてですが


男性で学生時代からクラブ活動とかで柔道やレスリングとか

ラグビーに集中して取り組んできた人は

耳の形が変形している人がおられます

練習の途上で耳が潰れてしまったのだと思います


そういう人は思いのほかたくさんおられますので

耳の形が変形している人については

そんなに重視しなくてよいと思います


スポーツの練習で後天的に耳が変形したからといって

生まれつきの運勢がそれほど悪くなるとは思えないからです


原典ではいろいろと述べておりますが

現代の状況とよく照らし合わせてみて

ひとつひとつの暗示の重さと軽さを良く考えて

判断するようにしてみてください


原典が書かれた頃の中国の時代背景と

現代の日本では状況がかなり違いますから

そこら辺はよく考えないといけない所だと

私は思っています



莫   してはいけない

教   おしえる / ~をして~しむ

四   4

反   逆の事、そむく

五六  30歳ころ

必   かならず

主   つかさどる

凶   悪い事、悪い運

亡   命を失う

(163莫教四反 五六必主凶亡)

 

 

 

このブログの管理人のプロフィールページ ↓

セイリュウ のプロフィールページ

 

私の記事を支援・応援して下さる方と、

記事代金を支払って下さる方は下の青字をクリックして、

ご案内ページへ移動して下さい

セイリュウの支援・応援 案内のページ

 

セイリュウのTwitterアカウント ↓

セイリュウのTwitter