館山小学校6年1組同級会~古希記念
私は、12月5日に古希70歳を迎えた。
今年は、エッー!と絶句する同い年の幼馴染の訃報がいくつかあった。
私の父親は71歳で他界している。
即ち、万事が次回に、いずれ、その内・・・・・などと言っていられない世代になったということである。
そんな思いの中、同級会をそろそろどうですか、という声や恩師M先生が88歳という高齢であることから、
私は、幹事仲間のT君と相談して4年ぶりの館山小学校6年1組の同級会を開くことを決心したのであった。
ここで、過去の同級会について、触れておこう。
第1回は、2009年11月21日(土)館山駅近くの波奈寿司にて18名(恩師を含む)が参加して開催された。私の館山へのUターンがきっかけであったが、卒業してから54年、かつて20歳の頃に一度開催されているので実に約45年ぶりの再会であった。
皆の近況報告では、男子は定年前後の仕事の話、女子は介護の苦労話が多かった。
中でも、世田谷から参加したS子さんの「介護が終わり、今は我が世の春」との言葉が印象深い。
恩師のM先生は、84歳とは思えない若々しい顔立ちで、二次会のシダックスでのカラオケで堂々と三曲も披露される元気さであった。
そして、2年毎の開催を申し合わせてお開きとなったのであるが、この日のことは、勝浦から参加したY君からの礼状の文句が皆の気持ちを代弁しているように思えた。
光陰矢の如し、50年前に戻り「面影ありの人」、「全く思い浮かばない人」と再会できあの頃の時代を思い起こすことができ懐かしい一日でした。
第2回は、2011年4月9日(土)平砂浦のいこいの村たてやまでの開催を予定した。
第1回の好評に気を良くした私は趣向をこらして皆を迎えることにした。
趣向とは、館山駅からマイクロバスで桜と移り行く館山の町を眺めながら会場に向かう。
舞台付きの広間での会食・懇談で地元参加のMITUEさんによる日本舞踊披露。世田谷から参加の版画の達人S子さんからの二宮金次郎像(当時のものが現在も館山小学校にある)の版画プレゼントなどである。しかし、東北大震災の発生により欠席の便りが続出。そこには、地震と計画停電への危惧が読み取れ、幹事仲間のT君と話し合った結果、普段通りの気持ちの中で再会するのが望ましいとのことから、中止にすることになった。
大きく変貌した館山小学校の全景 : 2011、3、6 城山山頂より撮影
さて、今回の同級会に話を戻そう。
皆が集まり易い時期、場所ということで、7月6日(土)波奈寿司と決まる。
案内ハガキの係りである私は、文面に「古希」「M先生を囲んで」そして、今回が最後になるかもとの思いから「いつ会うか、今でしょう!」と記した。
これに応えて15名から出席の返事をもらう。予想通り欠席の理由には体調不良が増えて来た。
さて、当日、日頃デイサービスに通っていると聞くM先生が、杖と共に少し遅れて皆の前に現れた。
一斉に拍手で迎えると、先生は会費の他に財布から一枚取り出して幹事に渡した。・・・・・・・・・・・・・
宴会は6名の物故者への黙祷から始まった。新たな参加者は、木更津からのS君と旭市からのI君であったが、前回のような「全く思い浮かばない人」というのは無くなり打ち解けた雰囲気の下に会は進んだ。
皆の近況報告では、思わず笑ってしまったり感心してしまう話、決意表明など様々であったが、前回と違うのは、やはり不健康自慢の話が増えたことであろう。
プラントメーカーでの海外勤務を終えたK君(江戸川区)は、家庭に入った途端に妻との間で、すっかり攻守が逆転したと言う。
母の介護と病を抱える夫の三人暮らしの中で、T子さん(川口市)は、めげることなく太極拳に励んでいると言い、淑女の雰囲気を漂わせているのは大したものである。
宴も佳境に入った頃、我等はM先生の指揮で館山小学校の校歌を歌う。
それは、まさに58年ぶりに先生と生徒の関係がよみがえった瞬間であった。
夕映えうつる 富士山の
姿に匂う 大いなる
誠を持ちて 種々の
新しき道 いざやいざや
歩まん 吾等
館山小学校6年1組同級会 : 2013、7、6 波奈寿司にて
二次会は波奈寿司の目の前にあるカラオケシダックスで行われた。
M先生は、一曲どうですかの依頼にけれん味なく「無法松の一生」と「東京の灯よいつまでも」を披露される。88歳という年齢を考えると見事であり、驚きである。
歌の合間にも思い出話が飛び出す。
N子さん(館山市)は、学校の帰り、皆で寄り道して楽しかったと言い、・・ちゃんはどうしているのかしら、と
幼馴染の動向の交換となる。
そして、何だか幼馴染っていいよねぇ~としみじみと話す。
実はN子さんは、前回女子の代表幹事であったが、今回は予期せぬ検査入院の事態に動揺して幹事を辞退して来た。しかし、薬の投与で治癒する見通しとなり急遽出席したのであった。
墓参りもしたと言う人もいたが、ふるさとを離れた同級生が遠くから足を運ぶのは、N子さんの言葉故で
あろうと思った。
M先生、同級生の皆さん、どうぞよいお年を!!
洲崎沖のカワハギ
今年の湊川のハゼ釣りは、釣り場が護岸工事により整備され益々釣り易くなったが、釣果の方は近年に
ない不漁?? 「遊子の会」のハゼ釣り大会も中止せざるを得ない程であった。
そこで、カワハギ釣りを思い立ったのであるが、この年になると、久し振りの一人釣行は気が重い。
そんなこんなで、「遊子の会」の釣り仲間のKさんにメールしたところ、喜んでお伴しますとの返信に
釣行は11月18日(月)、洲崎早川丸と決まった。
しかし、風の強い日が続いたり何かと用事のある日が続いたりで、やっと12月3日(火)に釣行することが出来た。
私の釣果
6時30分、栄の浦漁港より出船。釣り場は水深30~40mのたえず洲崎灯台が見える近場。
天候は晴れで、風もなく暖かい釣り日和。満潮5時12分、干潮10時22分。
仕掛けは、チェーンオモリ3号・5号の3本針仕掛け・オモリ30号をつなげる胴付き仕掛けでスタートする。
開始まもなく1匹釣れ気分を良くするも、当初Kさんに倍の差をつけられる。
この日の乗船客は右舷4名、左舷3名。右舷前よりKさん・私(中央)・竿頭になった人と座る。
Kさんは、誘い釣りで竿を大きく動かして良く釣り上げる。竿頭となった右隣りの人は実に上手で、誘い釣りで竿をあまり大きく動かさないで良く釣り上げる。私は一体どうすりゃいいのか!!
そうこうしている内に、若船長の実技指導となった。操船しながら私の竿で釣って見せるのだが、アッー失敗の繰り返し。結局アタリは頻繁にあるから竿先から眼を離さないようにとの事であった。
また、私のへらず口の問いに、今日はここのところでは一番良い状態で、座席に差はなくどこも同じだ、と
言う。
私の場合は、タタキ釣りでアタリが出て釣れることが多かった。小刻みに竿を動かした後、ハッキリとした
アタリにスッーと竿を上げる。グッとした手応えにリールを巻くとカーン、カーンという強い引き。
カワハギとのやりとりは心地良いものである。10時頃にツヌケ(10匹)する。
Kさんは、オモリにも針を結び効果があったと言い、私にも勧めてくれたが針掛かりが悪いので、その針ははずした。また、チェーンオモリ(ハワセ釣りを意識したもの)も止め、一般の集魚板に替えて後半戦に臨んだ。11時頃には入れ食いもあり数を伸ばすことが出来た。結局13時過ぎに沖上がりとなったが、私は自己新記録の21枚を釣り上げた。しかし、欲を言えば、半数がワッペンサイズなのが不満であった。
一方、Kさんは良型を27枚。私の完敗である。
この日の模様を伝える早川丸のホームページには、ダブルヒットのKさんの写真が載った。
また、釣果は15~27cm 20~40枚、型は大小混じりで2番手37枚二名様とあった。
さしずめ私はブービーといったところだが、7年振りのカワハギ釣りは、やはりエサ取り名人に悩まされ続けたが、自己新記録を達成し良く釣れた釣行であった。 Kさん、お疲れ様でした。
私の釣果 : カワハギ 21枚(14~24cm) タマガシラ 2匹
2歳のるいちゃん
初孫のるいちゃんが、11月27日に2歳を迎えた。
ママ(私の娘)が誕生会をやりたいと言うので、11月24日(日)私共ジジババは、るいちゃん家族の住む
鎌倉を訪れた。鎌倉駅で待ち合わせると、あいにくるいちゃんは、鼻風邪を引いて不機嫌とかで静かであった。
昼食に、食にこだわる娘は鎌倉野菜が美味しいという「なると屋+典座(なるとや ぷらす てんぞ)」なる店を予約してあった。そこは小町通り入口からすぐの左手2階にあった。
お膳に運ばれて来た料理を見て、るいちゃんはわぁ~、美味しそう!、と言った。
気分を良くしたのであろう、店員は可愛いわねぇ~、と応じた。
いつの間にか、単語から言葉を話すようになっていたのである。
典座の料理は、野菜中心で高価な素材は使っていないが大変美味しかった。
満足して店から通りに出ると、るいちゃんがツリー!、と言う。見回すと確かにツリーが飾られてあった。
ママは、何かと反応がいいのだと言う。
そして、るいちゃんの住む極楽寺へと向かった。
夕食時、はっきり意思表示するるいちゃんは、相変わらずご飯よりも果物を要求する。
るいちゃん用に館山から持って行った温州ミカンを美味しそうにパクパク食べる。
しかし、最後の一つになるとず~っと手に持っているだけで中々食べようとしない。
洋服が汚れるから早く食べなさい、とババに怒られ泣いたりわめいたりしてやっと食べた。
寝かし付けたママが言うには、るいちゃんはミカン美味しかった!、と言って眠ったそうな。
さて、翌日の25日(月)、パパが休みなので昼食時はるいちゃんの誕生会となった。
それに先立ち、私と娘は、予約注文しておいたバースデーケーキを受取に長谷の輪心(わこ)なる店まで
歩いて行った。
写真を撮る私に、極楽寺から長谷に至るハイキングコースの見所を案内してくれたという訳である。
ババの贈り物 バースデーケーキ るいちゃんはアンパンマンが好き
皆は、初めてのバースデーケーキにるいちゃんがどんな反応を示すか興味津々であったが、何とケーキの前で固まってしまった。
パパが指で生クリームをなめると、るいちゃんも真似してなめた。
それからは、日頃濃い味のものは食べさせてもらっていないるいちゃんは、美味しそうに鼻に生クリームを付けるほどにペロペロとなめまくった。私もお相伴にあずかったが、中々美味しいケーキであった。
初めてケーキを食べるるいちゃん
その後、ジジからの贈り物が開封され夢中になって遊ぶ姿を見届けてから、鎌倉を後にしたのであった。
ママの飾り付けとプレゼントが一杯のるいちゃん
ジジの贈り物 パン工場に夢中のるいちゃん
るいちゃんは、クリスマスに館山に来てお正月を過ごし、2週間程滞在する予定とのこと。
そこで、ジジババはコメリでクリスマスツリーを買った。
幼子の成長は早いものである。どんな風に変わったか、どんな反応を示すか、楽しみである。
南房総紅葉巡り
小春日和の11月30日(土)、「遊子の会」では「南房総紅葉巡り」と題して、26名が参加してバスツアーを
実施した。
主宰者のYUさんによれば、紅葉には紅葉・黄葉・褐葉の三種類があると言う。
我々は、志駒渓谷もみじロード~鹿野山神野寺~食事処典膳と巡り、三種類の紅葉を観賞して深まりゆく秋の一日を十分に楽しんだのであった。
行程
館山→志駒渓谷もみじロード→銘水滝の不動尊→鹿野山神野寺→九十九谷公園→ソムリエハウス
酒匠の館→高宕山自然動物園→隠れ屋敷典膳(昼食)→館山
以下に行程をカメラルポの形でたどってみることにする。
志駒渓谷もみじロード(富津市)
山中区公民館前 : 秋の深まりを感じる
山中区公民館前 : 4年前と同様にここで集合写真を撮る
地蔵堂の滝 : 道路反対側の大イチョウは全て落葉していた。
銘水滝の不動尊(富津市)
銘水はマイルドな味である。
階段を上り不動尊にお参りする。崖に大文字草の群生が見られた。
鹿野山神野寺(君津市)
神野寺は聖徳太子によって開かれ、徳川家康の庇護のもとに栄えた古刹という。
猩々紅葉は鮮やかな真紅である。
奥の院天狗様の大下駄 : これに触れて足腰のご守護と健康を祈念する参拝者が絶えないという。
九十九谷公園(君津市)
東山魁夷の出世作「残照」の舞台九十九谷を逆光で眺める。 雄大な景観だ!!
ソムリエハウス酒匠の館(富津市)
小泉酒造に勤める俳句のOさんの息子さんが、特別に東魁盛の製造工程を案内してくれる。
試飲を楽しみ、皆それぞれにお気に入りの酒を買う。
高宕山自然動物園(富津市)
130匹の野生ザルを飼育している動物園。流しソーメンを連想する装置にエサが流れて来るのを待つ
サルの群れは人間と同じで笑ってしまう。
金網のおりの外に野生のサルが出没。高宕山のサル生息地は国の天然記念物に指定されているという。
隠れ屋敷典膳(昼食) 南房総市
典膳は御殿山登山口のそばにあり、店名は剣豪御子神典膳(別名小野次郎右衛門忠明)に由来する。
山荘の趣あり!!
我々は大広間で、窓越しに紅葉を見ながら小野次郎コース(地鶏炭火焼・麦とろご飯等、1800円)を食し
懇談する。 満足!!
おわりに
南房総に多大な被害をもたらした台風26号の影響で、紅葉観賞には一抹の不安があったが、大丈夫だった。というのは4年前に訪れた(志駒渓谷もみじロード~鹿野山神野寺)時と比べると、ピークは過ぎてはいたが随所に綺麗な紅葉が見られ、秋の深まりを感じることが出来たからである。
また、近場の小さな旅ではあったが、充実感を覚えるのは、主宰者YUさんの企画力の賜物であろう。
YUさん、ありがとう。皆さん、お疲れ様でした。
沼の里山~霧とイルミネーション
時は晩秋、11月22日(金)早朝のことである。
我家は南側に面して立っていて、眼前に岡沼(館山市の行政区の名前)の山々が連なって見える。
そこに濃い霧が立ち込めて幻想的な光景が出現したのである。
妻はケイタイで写真撮影に挑戦した。私も愛用のカメラを取り出して撮影したのだが、何とも電信柱が邪魔なので、家を飛び出して約100m先の岡沼メイン通り前でカメラを構えたのであった。
岡沼に霧が出現 : 11月22日 7時00分撮影
岡沼に霧が出現 : 11月22日 7時07分撮影
さて、メイン通りには、役員仲間の二階建てのSさん宅がある。
Sさん宅の二階ベランダ(北側)からは、遠くに館山湾の景色を望むことが出来る。そして、すぐ下の我家は丸見えである。
Sさんは、そのベランダに時折やって来るお孫さん用に取り付けたイルミネーションを17時~20時の間
点灯する。
私は、毎日戸を閉める前にひとしきりイルミネーションを楽しませてもらっている。
山の端上の青黒くなった空に月と金星が輝く中、青とオレンジのイルミネーションが点滅するからである。
我家から望むSさん宅のイルミネーション : 11月27日 16時50分撮影
実際は白い点の部分が青やオレンジに点滅する。
ガーデニング~2013.10~11
畑仕事
絶好調だった夏野菜が終わり、9月15日(日)~16日(月)にかけて接近した台風18号の通過を待って、
私はダイコンの種まきを皮切りに秋冬野菜の種まきや苗の植え付けに精を出した。
即ち、種まきはサニーレタス(ポリポットへ)・ホウレンソウ、苗の植え付けはハクサイ・ブロッコリー・茎ブロッコリー・シュンギク・ワケギ(球根)が、それである。
しかし、10月16日(水)早朝過去10年で最大という台風26号が接近して、畑は全滅状態庭も大きな被害をこうむってしまった。
私は土寄せや塩分を洗い流すべくジョウロでの水かけ作業を行い延命を試みたが、全く駄目か成長が止まってしまう結果となった。
台風26号の爪痕残る我家の畑 : マサキの垣根に隙間が出来、野菜は生育不良。隣の本家では瓦が
飛ぶ。 11月17日撮影
悪い事は続くもので、10月22日(火)~24日(木)にエダマメを収穫したが、実入り味とも悪く不作であった。エダマメ撤去後、気を取り直してちぢみホウレン草とシュンギクの種をまき、Aさんからのナバナの間引き苗とUさんからの玉ネギの苗、そしてポリポットに種をまき育てたサニーレタスの苗を植えた。
種まきは時期が遅めを考慮して支柱で付けた溝に種まき培養土を入れ、そこに種をまいた後不織布をかぶせて発芽を促す工夫をしたところ、きれいな発芽を認めることが出来た。
苗の植え付けや種まきで何とか畑らしくなって来た我家の畑 : 11月17日撮影
さて、これからの作業は支柱を立ててのスナックエンドウとグリーンピースの苗の植え付けとなる。
それに先立ち10月28日(月)にスナックエンドウとグリーンピースはポリポットにコマツナは発泡スチロール箱に種をまいた。(いずれも種まき培養土使用)
通常発芽は一週間位で認められるが、やけに遅いのでビニールや不織布で覆いジョウロで水を掛けるようにしたら発芽が促進して植え付け可能な苗に育った。
来年以降の参考の為に11月11日(月)に発芽促進実験として再度種をまいた。
即ち、種を一昼夜水に浸した後(コマツナを除く)最初からビニールや不織布で覆ったりジョウロで水をかけてみた。結果はコマツナに効果が認められたが、スナックエンドウとグリーンピースには効果なく、発芽~生育には種をまく時期が大事だと思った。
種まき : 上段はスナックエンドウとグリーンピース 下段はコマツナ。
ビニールや不織布でカバーされているものが発芽促進実験中のもの。 11月17日撮影
庭仕事
10月は梅雨時の強い切り戻しが効を奏し、ダリヤとクジャクソウが綺麗に咲きそろいシオンとのコラボは
見事であった。しかし、それも台風26号の接近により終わりとなってしまった。
その後は、マサキの根元のツワブキと赤・白・黄のキクとイソギクが咲き競い眼を楽しませてくれた。
ダリヤとクジャクソウ : 10月13日撮影
マサキの根元に咲くツワブキ : 11月13日撮影
収穫物では自慢の柿が不作であった。赤いものはビヨビヨになっていたので10月21日(月)に赤みを帯びたものは全て取った。そして早々と24日(木)が最後の収穫となり、例年より形も小ぶりとなってしまった。
一方、椎茸は好調で家の裏(北側)のフェンスに遮光ネットをかぶせて成る木が立て掛けてあるのだが、
10月28日(月)に発芽を確認した後、あっという間に大きくなり30日(水)にはジャンボサイズが4個も収穫出来た。現在も収穫が続き美味しく頂いている。
そして、何よりも椎茸の裏面が真っ白で綺麗なのに驚いている。
吟道大会
「遊子の会」には、会派に属し詩吟に励む仲間が4人もいる。皆、腹から声を出す訓練の成果か誕生カラオケ(誕生者を祝うカラオケの会)でも声が良く出て上手である。
さて、晴れの舞台である館山市文化祭参加第37回吟道大会が、10月27日(日)南総文化ホール:大ホールで行われた。無論「遊子の会」主宰者YUさんを始めとして4人は出場した。
私は、事前にYUさんよりプログラムを渡され袴姿を撮ってくれるよう依頼されていたので、午後の部に妻と駆け付けた。
大ホールに入ると、私はYUさんの所属する最前列の宗風流の席に案内される。
即ち、最前列で写真を撮れることになったのである。
第37回吟道大会
演目の中では歌謡吟が馴染み易い。歌謡曲と詩吟が合体した形で舞も加わり華やかである。
舞 : 歌謡吟白鷺の城での西崎緑八社中の舞
午後の部最初の演目構成吟日本・城物語のトップに、YUさんが武田節(歌謡吟)を歌った。
この人に「あがる」という言葉はないようで、力強い歌声に私の周りからは今までで一番良かったとの声しきりであった。
YUさん武田節を歌う : カラオケでは石原裕次郎がおはこ。
構成吟日本・城物語が終わったところで、大ホールを出てロビーで小休止。
すると、「遊子の会」のメンバーが続々とやって来たので集合写真を撮ることになった。
数えたら応援団は15人もいたのである。これには恐れ入った。
ロビーでYUさんの袴姿を撮る
その後、舞台に登場したKANさんと西岬のSさんの写真を撮り、写真係りの役目を終え、南総文化ホールを後にしたのであった。
読者には、あと一人足りないと気付かれた方もあろう。実は、あと一人は宗風流に入ったばかりと言う
hisaさんで、午前の部で出番は終わったとのことで、舞台の写真は撮れなかったのである。
KANさん : カラオケでは艶歌の女王と言われる。
西岬のSさん : カラオケでは越路吹雪がおはこ
北八ヶ岳・蓼科の紅葉・温泉&富士山麓を巡る旅(2)
一日目は信州蓼科の紅葉と温泉の旅であったが、二日目は甲州富士山麓の旅であった。
世界遺産富士山はあいにくの雨で雲隠れ、その雄姿に接することは出来なかったが、そこは主宰者YUさんの手作りの旅、臨機応変の対応でしっとりとした甲州の旅を楽しむことが出来た。
二日目 10月15日(火) くもり後雨
行程
蓼科グランドホテル瀧の湯→御射鹿池→諏訪南IC→一宮御坂IC→御坂峠→河口湖もみじ回廊→
富士吉田浅間神社→吉田のうどんの昼食→忍野八海→山中湖→須走浅間神社→御殿場IC→
東名高速道路→横浜町田IC→アクアライン→館山
バス車中
歴史を語らせたら天下一品のYUさんより、武田氏の興亡の話があった。
一日目は武士の起こりから、武田家は清和天皇の系列(清和源氏)で新羅三郎(源義光・甲斐守)を祖としていると話す。そして、武田三代(信虎・信玄・勝頼)から武田氏終焉の話へと続いた。
二日目はその後の甲斐の国と題して、家康による甲府城の建設~甲府家による城番支配~柳沢父子の
統治~幕府直轄地としての甲府勤番(旗本)支配の話があった。
中でも、五代将軍綱吉の側用人として権勢を奮った柳沢吉保が、家門以外には領有しなかった重要な地
甲斐に領有が許され、文化や産業振興に尽力し甲府が一新されたという話は興味深く聞いた。
また、将軍綱吉と柳沢吉保が男色の関係にあったというのには驚いた。
御射鹿池(みしゃかいけ)
御射鹿池は奥蓼科温泉郷の湯みち街道沿いにあり、東山魁夷画伯の名画「緑響く」のモデルとして知られる。「遊子の会」では一昨年の9月30日に訪れているが、民話の達人Sさんの希望で再び訪れることになった。
くもり空の下、静寂と木々が水面に映る景観は何とも言えない風情があり、宿を早目に出発した甲斐があった。
御射鹿池
御射鹿池
富士吉田浅間神社→吉田のうどん
バスは中央自動車道を一宮御坂ICで降り御坂峠を越えて富士山麓の旅となる。
久保田一竹美術館から河口湖もみじ回廊を通過、富士吉田浅間神社に到着する。
富士吉田浅間神社(北口本宮富士浅間神社)は、富士山麓にある八つの浅間神社の内最大で、主祭神は火山鎮護の神コノハナサクヤヒメノミコトという。我々は傘をさしての参拝となった。
富士吉田浅間神社(北口本宮富士浅間神社)拝殿
ここはまた、富士登山の玄関口として知られる。それらしき鳥居をくぐり富士山に一歩登ったと言って戻って来たShozoさんが、バスに戻る前に摂社諏訪神社前の夫婦杉に結わかれたしめ縄を撮ってくれと言う。何でも横綱の土俵入りの綱の形に似ているからと言う。
諏訪神社 夫婦杉のしめ縄
さて、敬虔な祈りの後の昼食は吉田のうどんであった。
YUさんは白須うどんなる店に予約を入れて、今日は私からのドネーション(ドナーに通ずる言葉とか)です、と言う。即ち350円のうどんを全員におごると言う。・・・・・・・・・・・・・・・!!!
そこは、のれんもなく店内も普通の民家と同じで地元のお客さんと一緒にテーブルを囲む。
私が注文した冷たいうどんは、御膳にうどん・温かいつけ汁・山盛りのキャベツがのって出て来た。
うどんは強いコシが自慢とかで硬い。よくかむと美味しいのだが量が多く食べ切るのは大変である。
隣のYさん(女性)は温かいうどんを注文したが、食べても食べても減らないと言う。
そこで、私はここは富士山麓、修行と思って食べ切って、と言った。
昼食は吉田のうどん : 白須うどんの店内
忍野八海→須走浅間神社
昼食後は、忍野八海の前にHisaさんの希望で富士山レーダードーム館に寄ることになった。
皆はバスを止めた道の駅富士吉田で土産物を物色したが、Hisaさんが向かった富士山レーダードーム館は、この日は休館とのことであった。
忍野八海は降りしきる雨の中。めげずにKさん、ペットボトルにミネラルウォーターを汲む。
池を囲む土産物店で、妻はシイタケを買い求めたが、駐車場への帰り道で美味しそうな地元産が安く売っているのを見つけ盛んに悔しがる。
雨の中の忍野八海
最後の訪問場所須走浅間神社(東口本宮富士浅間神社)に到着。
私は、須走という地名は富士登山の下山道として承知していた。
大鳥居の扁額には「不二山」の文字が刻まれている。富士山は「二つとない素晴らしい山」という意味のようである。境内はしっとりとした聖域の趣あり。
須走浅間神社(東口本宮富士浅間神社)社殿と「遊子の会」主宰者YUさん夫妻
傘をさしての参拝後、千倉のMさんの、過去10年で最大の台風26号が館山に接近する、との情報に急ぎ帰路に着くことになった。
予定より1時間も早く18時30分に館山に到着。
お陰で、自宅に戻ってから私は鉢物を物置に取り込むなど台風への備えをすることが出来た。
かくして、バスツアー二日目は終わったのである。
皆さん、お疲れさまでした。YUさん、ありがとう。 おわり
北八ヶ岳・蓼科の紅葉・温泉&富士山麓を巡る旅
深まりゆく信州・甲州の秋の風情を楽しんだ「遊子の会」のバスツアーは、あわみなみ交通の貸切バスに
24名が参加して、10月14日(月)~15日(火)に執り行われた。
主宰者YUさんからの旅の案内書でのメッセージは次の通りであった。
「今年の「遊子の会」秋の旅は、蓼科・北八ヶ岳の紅葉を観賞し、信玄の隠し湯で名高い「瀧の湯」に泊まり、翌日は世界遺産:富士山麓を巡ります。深まりゆく信州・甲州の秋を堪能ください。」
一日目 10月14日(月) 晴れ
行程
館山→アクアライン→中央自動車道→諏訪南IC→蓼科そばの昼食→横谷観音・大瀧神社→
北八ヶ岳ロープウェイ・坪庭→蓼科グランドホテル瀧の湯
バス車中
YUさんから、これから訪れる山梨県や長野県、富士山大噴火などについてクイズ形式で学ぶ。
それから、恒例となった民話の達人Sさんからの結び文を、袋の中から皆めいめいに取り出して発表する。
私が手にしたのは都々逸で「お月さまさえ 夜遊びなさる よしてください雲がくれ」と艶っぽいものであった。一方、多弁なYUさんには「・・・口に万歩計・・・」淑女N子さんには「・・・鬼女(きじょ)・・・」なる文が当り、皆がどっと笑う。
そして、YUさんの武田氏の興亡の話(後述)、武田節の披露。皆で唱歌紅葉の合唱。八ヶ岳連峰が現れるとKさんからの山の話と続いた。
蓼科そばの昼食→横谷観音・大瀧神社
中央自動車道を諏訪南ICで降りて八ヶ岳エコーラインを走ると、八ヶ岳連峰がパノラマ写真のように目に入る。素晴らしい山並みの景観である。
二日目も同じ景観を眺めることが出来たが、私は何とかギザギザした頂の赤岳と綺麗な三角形の蓼科山
だけは見分けることが出来るようになった。
蓼科そばメルヘンなるのれんの店で、皆で昼食を取る。私はわさびそばを注文した。
そばは大変美味しかったのだが、小鉢に盛られたわさびの葉っぱは辛い!辛い!
とうてい食べ切ることが出来るものではなかった。
メルヘン街道を進むと、横谷観音入り口の駐車場に着く。少し歩くと横谷観音堂のある広場に出る。
観音堂の格子窓から中をのぞくと木造の横谷観音立像が見えた。
思い思いに参拝しながら辺りの紅葉に秋を感じる。
横谷観音堂
広場の先端は、展望台となっていて絶景が望める。ここはミスターアウトドアーKさん夫婦の希望で旅に組み込まれた場所であるが、残念ながら絶景の中に紅葉はなかった。
横谷観音展望台から横谷峡王滝を望む
駐車場への帰り道、パワースポットという大瀧神社にもお参りすることになった。
急坂を細長い松ポックリを拾いながら登ると二つのどでかい黒曜石が積み上げられた大瀧神社に辿り着く。皆盛んに黒曜石にタッチしてパワーをもらう。
いやはや、山中で思い掛けずも奇異な体験をしたものである。
大瀧神社 : 黒曜石にタッチしてパワーをもらうKさん夫婦
北八ヶ岳ロープウエイ・坪庭
ビーナスラインを走り、北八ヶ岳ロープウエイ山麓駅(標高1771m)に到着する。
皆、防寒着をはおりロープウエイに乗り込む。
ロープウエイは山頂駅(2337m)までの高低差466mを約7分で駆け上がるという。
刻々と変わる山岳風景を目の前に眺める空の旅は中々のものであったが、眼下の紅葉はイマイチであった。
山頂駅前に降り立つと、33万m2の溶岩台地「坪庭」が広がる。一周30分ほどという坪庭探勝路を皆で
ゆっくりと歩く。溶岩台地を覆う低木や高山植物に「自然の盆栽」などと言う人あり。
坪庭 : 紅葉はほんの少し
坪庭 : 後方の山に縞枯れ現象が見られる
さて、スイスを連想する山麓駅で一服後、今夜の宿蓼科グランドホテル瀧の湯へ向かう。
北八ヶ岳ロープウエイ山麓駅サンテラスより望む紅葉
蓼科グランドホテル瀧の湯
最上階の8階の部屋で小休止した後、「信玄野天風呂」に行く。
通路の窓から渓流、水車、紅葉の美しい光景が目に入る。
即ち、我々は渓流を眺めながら露天風呂につかることが出来たのである。
この日、喚声が上がるほどの紅葉には出くわさなかったが、瀧の湯の温泉は清潔で十分に満足のいくものであった。
さて、バイキングの夕食後の二次会では、YUさん夫婦の下見旅行のお陰で、部屋(21畳)&カラオケ・
飲物(一人1本)のサービスを受ける。
カラオケに興ずる中、俳句のOさん・KONさんからの季語の読み方クイズが飛び出す。
私もあてずっぽうに答えたのが正解で、俳句手帳をもらう。
最後は、夫婦で参加した四組がデュエットで歌う羽目になり、私共は「居酒屋」を歌うことになったが、何ともお粗末でした。
かくして、バスツアーの一日目は終わったのである。 つづく
鴨川シーワールド
すっかりババのストーカーとなった初孫のるいちゃん(1歳9ヶ月)が3週間の滞在を終え鎌倉に帰ったので、ゆっくりしていると友人のYUさんから電話が入る。
鴨川シーワールドが敬老の日にちなんで65歳以上は無料(通常1960円)なので一緒に行こうとのお誘いである。
9月23日(秋分の日)9時、水族館大好きというN子さん(YUさんの妻)の運転する車は、私共夫婦を乗せて鴨川シーワールドへ向う。
到着するやシーワールドは、我々にメインゲート前で敬老の日御来園記念写真撮影のサービスである。
祝日のせいか家族連れで賑わう中、我々は30分間隔で行われる海の動物達のパフォーマンスを見る。
ベルーガ(白イルカ)パフォーマンス : 様々な芸を見せてくれた。
イルカパフォーマンス : ハイジャンプやスピンジャンプは迫力あり。
シャチパフォーマンス : トレーナーと息が合わず(?)スタートまでかなりの時間を要した。
大迫力のジャンプに前列席の観客はずぶぬれになる。
アシカパフォーマンス : トレーナーとアシカ家族のかけあいに笑ってしまう。
アシカパフォーマンス : 最後にアシカのお父さんが観客にご挨拶。
海の動物達の見事なパフォーマンスを十分に楽しんだ後、水槽の魚達を眺めながらメインゲートに戻る。
40年は過ぎたであろう前回と比べて、シーワールドはすっかり充実した中身の水族館となっていて、私は大変得をした気分になった。
そして、記念写真を受け取って鴨川シーワールドを辞したのであった。
昼食後、サービス精神旺盛なYUさんは、鴨川市内にある波の伊八のお墓と我が母校安房高校出身の
元大蔵大臣水田三喜男の生家を案内しましょう、と言う。
波の伊八生誕地の案内板とその下にある彫刻家武志家の屋敷跡なる解説板を見つける。
案内板にあるように50m位進むと田んぼの一角に墓が現れる。
波の伊八生誕地即ち武志家の屋敷跡は今や一族の墓所となっていた。
墓石に刻まれていた字句は、後でYUさんからもらった資料で納得出来た。
伊八の名前は、初代から五代までおよそ200年にわたって昭和29年まで受け継がれた。
初代 武志伊八郎信由 本名 武石伊八
二代 武志伊八郎信常 本名 武石万右衛門
三代 武志伊八郎信美 本名 武石伊八郎
四代 武志伊八郎信明 本名 高石仙蔵
五代 武志伊八郎信月 本名 高石武一郎
鴨川シーワールドは海岸線、波の伊八生誕地は町中の道路を走ってあったが、旧水田家住宅は山間の道路を走って辿り着いた。
長屋門をくぐると主屋の前に見慣れない花が咲いていた。管理人はアブチロンと言う。
旧水田家住宅 : 長屋門から主屋を望む
アブチロン
主屋
旧水田家住宅は、国登録有形文化財で城西大学の付属施設として一般公開されているという。
管理人によれば、元大蔵大臣水田三喜男は城西大学の創立者で、現安房高校には館山に下宿して通ったという。
我々は管理人の案内で主屋に上がり、床の間や囲炉裏のある客間、白川郷を連想する屋根裏部屋などを見せてもらう。
水田三喜男直筆の額 : ぎょうてんしょうらいと読むそうな。
それから、長屋門前の美しい竹林を愛で旧水田家を辞したのであった。
YUさん、N子さん、一日鴨川ガイドありがとうございました。
竹林


























































