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ヘリコプター体験搭乗

10月5日(土) くもり。我家から車で5分足らずの所にある海上自衛隊館山航空基地では、開隊60周年

記念式典が執り行われた。

私は岡沼区の三役の一人として、他の二人の役員と共に出席した。

一昨年も役員として出席し、基地上空でのヘリコプターのデモ飛行に驚いたものだが、今年はより思い出

深い一日となった。


というのは、以下の二つの理由からである。

館山航空基地は、海上自衛隊で最大のヘリコプター基地で、海上自衛隊第21航空群に位置するという。

そして、その群司令は、我が母校安房高校から防衛大に進んだ日向錦次郎氏という。

即ち、この日お目にかかった群司令が初の地元出身者であったことが、理由その一である。


理由その二は、記念式典から続く祝賀会終了後に、ヘリコプター体験搭乗に参加したことである。

かつて、哨戒機のパイロットだったという友人から、ヘリは音がうるさいので乗るもんじゃないよ、と言われ

たが、いつも館山上空で見かけるヘリには一度は乗ってみたいと思い、三役の中でただ一人手を上げた

のである。(事前の申し込みによる)


搭乗者の集合場所である第5格納庫の受付で、事故の際の連絡先を書き署名捺印する。

私は4回目のフライトのグループなので、指示があるまで三役でヘリが飛び立つのを見守った。

すさまじい音響と砂ぼこりだ!!

飛び立ったヘリが、遠くに大房岬を見る館山湾で見えなくなった。

海上すれすれに飛行しているのだろうか??

他の二人は、ちゃんと見送って無事の帰りを待っているから、と言う。


それから、4回目のフライトの6人はレクチャールーム(?)で、我々が乗るヘリコプターUH-60J(救難機)の説明、飛行コース、飛行時間などを聞いた後、ライフジャケットとイヤーマフ(消音の為のヘッドフォン)を身に付ける。

係員の誘導で身をかがめてヘリに乗り込む。

機器だらけの操縦席は眼の前で天井も低い。

乗員は、パイロット2人と機内の左右に乗組員2人、体験搭乗者6人の合計10人。

イヤーマフのお陰で音は聞こえない。試しにイヤーマフを耳から少し離してみるとゴーッとものすごい音がする。

乗組員は、シートベルトを締めてくれる。旅客機よりもいかつい感じだ。


14時15分、ヘリが飛び立つ。

私の席は窓際だが、機外の燃料タンク(?)が邪魔でスムーズに景色を楽しめない。

ごついヘルメットをかぶった乗組員は、しきりと窓の外を観察してマイクで話している。

その内に、船の甲板の様な物が見えたと思ったら、ヘリはそこにトンと着地した。

それは、レクチャールームで聞いた護衛艦「ひゆうが」にヘリが着艦した一瞬であった。

私は、格納庫で飛び立つヘリを見守っていたら館山湾で見えなくなったというのは、この事かと納得した。

ヘリはすぐに飛び立ち、大房岬から洲崎へと向った。洲崎沖は少し白波が立っていた。

洲崎の町並みから西岬の町並みを見下ろす頃には、晴れ間ものぞき美しい海岸線を眺めることが出来た。

そして、沖ノ島がやけにちっぽけに見えるなぁ~、と思っていたら、ヘリは基地にスーッと着陸した。

14時35分であった。こうして、20分間のフライトを楽しんだ私は、ず~っと待っていてくれた二人と

ピースサインで合流したのであった。


自衛隊員の至れり尽くせりのおもてなしに、気持ちの良い一日となったが、只ヘリにカメラ持込、撮影可だったのにカメラを持って行かなかったのが残念であった。





平成25年「遊子の会」暑気払い~仁右衛門島に遊ぶ

「遊子の会」主宰者YUさんによる今年の暑気払いの企画は、流しソーメンと童心に帰り仁右衛門島で

磯遊びに興じた後、画家ゆかりの宿「江澤館」で暑気払い宴会を楽しみ宿泊するというものであった。


流しソーメン


ミスターアウトドアKさんの申し出により、7月13日(土)の夕方、12名が集いKさん宅の庭で流しソーメンをご馳走になる。器用なKさん手作りの装置は、実に見事な出来栄えで、お陰で美味しいソーメンを楽しく食べることが出来た。

好評により8月の誕生カラオケの後再度実施するとのこと。Kさんご夫妻、ありがとうございます。


魚との対話-流しソーメン

Kさん宅での流しソーメン


仁右衛門島に遊ぶ


準備


催行日は7月30日(火)~31日(水)であるが、31名(男10名、女21名)の中高年の団体であるので、

準備は念入りでなければならない。

7月10日(水)、磯遊びのホスト役であるKさん、ビーチ王子、私の三人は沖ノ島(館山市)でのシュノーケリングの際、水着になるコ(古)ギャルの世話の予行演習を実施する。

即ち、浮き袋で遊んだり箱めがねでサンゴを観察したりして、一応の目処を立てる。


7月24日(水)には、最終打ち合わせにYUさん夫妻と私共夫婦は江澤館を訪れる。

目的は部屋割りや宴会の為の館内の下見を主として、送迎用のマイクロバスのチェック、磯遊び時の館内の利用確認等である。

かくして、おかみさんとの間でタイムスケジュール、全館(本館と新館)貸切、旧館山市民センター駐車場へのマイクロバスの送迎(無料)が確認された。


魚との対話-江澤館打ち合わせ

江澤館でのおかみさんとの打ち合わせ

 ※これ以降の写真は全てN子さんより提供されたものである。


磯遊び  14時~17時頃までのこと


江澤館に到着した我々は、磯遊びスタイルに着替えて宿の前の堤防へ向う。

堤防では、ブルーのソラスズメダイや赤いチャガラの群れが見られ皆の喚声が上がる。

そして、若おかみの見送りを受け手漕ぎ舟に乗り仁右衛門島に渡る。


魚との対話-仁右衛門島

仁右衛門島


魚との対話-手漕ぎ舟

手漕ぎ舟に乗り仁右衛門島に渡る


仁右衛門島は、周囲4km太海海岸(鴨川市)に浮ぶ平野仁右衛門(38代目)所有の島で、風光の美しさと源頼朝や日蓮聖人の伝説で知られ多くの歌人が句を詠んだ石碑が至る所にあるという。


よしず張りの屋根の休憩スポットに陣取った後、磯遊び準備のホスト役三人を残して、YUさんは皆を引き連れて島内巡りに出発する。


魚との対話-頼朝隠れ穴

頼朝が夜襲を避けて身を潜めたと伝えられる洞窟


最初の磯遊びは、昨年の経験から(興味のある方は2012.8.27付け仁右衛門島に遊ぶを参照下さい)

波静かな西側(手漕ぎ舟の発着場所側)でやってみた。

先ず、私がシュノーケルを着けて潜ってみたが透明度悪くカゴカキダイやベラ、ウミタナゴがわずかに見られた程度だった。また、昨年貝採りに熱中したOさんも、宿泊の為持ち帰れないので気合が入らないと言う。そして、浮き袋での遊びもまた不発気味であった。


魚との対話-磯遊び

磯遊び~西側の磯


その後、よしず張りの屋根の下で休憩したのだが、画家の心を揺さぶる磯の風景を見ながら皆で食べた

スイカはことのほか美味しかった。

二回目の磯遊びは、東側に移動した。積極的な人達はワンド入口近くまで行ったが、やはり波がきつく難儀したようである。波打ち際は透明度良く足下でカゴカキダイやベラの他に小魚が多数見られたが、もはや熱心に観察するのはMさんと私位しかいなかった。


魚との対話-磯遊び

磯遊び~東側の磯


かくして、私は過日の加仁湯の旅の宿で話したようには出来なかったことに、無念の思いにかられたが、後になって、孫を遊ばせるためでなく自ら水着になって海に入れて楽しかった、との声を聞きほっとしたのであった。


夕食・宴会


海から上がり温泉入浴でさっぱりした後は、二階のお座敷ギャラリーでの夕食・宴会である。

我々が見た波太(なぶと)海岸の磯風景は「西の波切(なぎり)に東の波太」と呼ばれ画家たちのメッカになっていて、画家ゆかりの宿が江澤館なのだという。

所狭しと記念の色紙絵が展示されているお座敷で「皆さんの元気に乾杯!!」の唱和で宴会は始まった。


魚との対話-宴会

宴会  開会の辞~乾杯


料理では、思いがけずもマグロのかぶと焼きが提供されたのは嬉しいことであった。


魚との対話-マグロのかぶと焼き

マグロのかぶと焼きをさばく若おかみ


芸達者が次々と登場した宴会のプログラムは次のようなものであった。

    1. 波左間のみのこ踊り

    2. ご詠歌

    3. 南極四方山話

    4. 詩吟

    5. カラオケ~グループ&個人

    6. 房総の民話~布良星

中でも私には、道具や衣装を持参しての熱演であったみのこ踊り、ご詠歌、房総の民話が印象深かった。


魚との対話-みのこ踊り

重要無形文化財である波左間(館山市)のみのこ踊りを太鼓を打ち鳴らしながら歌うSさん。

Sさんは例祭時はオンドトリで、太鼓は神社より借りてきたものと言う。


画家ゆかりの宿にふさわしい重みのある演目が続いた宴会も天津小湊からかけつけたHさんの締めで

お開きとなった。

それから、希望者が浜辺に集まって子供用の花火に興じたのである。

こうして、正に童心に返って遊んだ長~い半日が終わったのである。


四階の画室


さて、翌日は朝食後、若おかみの案内で四階の画室を見せてもらう。そこには安井曾太郎の「外房風景」が掲げられている。


魚との対話-外房風景

安井曾太郎 「外房風景」  実物は大原美術館にあるという。


それは昨年見せてもらったので、お目当ては松のふすま絵である。日光輪王寺の天井画を描いた吉原

北宰が当館を訪れ広間のふすまに刷毛で描いたものだと言う。その刷毛はロビーに展示されている。

皆から松に勢いがある、これは眼のようだ、等という感想が飛び交う。


魚との対話-松のふすま絵

吉原北宰 松のふすま絵


おわりに


こうして、江澤館を辞したのであるが振り返ってみると、殆どないであろう地元の由緒ある旅館に泊まった、過日鴨川弁天島から仁右衛門島を眺めたが今度はその逆だった、過日訪れた日光輪王寺の画家の

松のふすま絵を見た。

これらは、主宰者YUさんの企画力の賜物と思う。画家ゆかりの宿にふさわしい宴会の演目も良かった。

お陰様で、また一つ楽しい夏の思い出を重ねることが出来た。

写真係りとして奮闘された奥様のN子さんともども、ありがとうございました。


   











シロギスつり~2013.6 沖ノ島

今年のKさんのカヌーでのシロギスつりは、例によって沖ノ島へ6月25日(水)に釣行した。

例年より遅くなったのは、館山夕日桟橋が全く駄目、Kさんのカヌーでの試し釣りもぱっとしなかった状況

故である。

かくして、一抹の不安を抱えての出船であったが、結果はまずまずの釣果で十分に楽しめた釣行であった。


くもり空、べたなぎの海上を北西方向にある定置網を目指してカヌーを漕ぐ、第1投は5時。

この日は大潮で満潮4時59分、干潮11時55分。仕掛けは市販品の針8号、ハリス1.5号の2本針。

オモリ10号、エサはジャリメ。ハリスが1.5号と太目なのは、良型のカワハギが期待できるためである。


8時頃まで良型のシロギスが小気味良いアタリで断続的に釣れる。

お~でかいよ~!と釣り上げたシロギスは23cmもあった。そのアタリは独特でドーンとエサをひったくる

感じであった。私はそれを2度体験することが出来た。

その後は、外道のトラギスが中心の釣りとなった。


魚との対話-シロギスつりの釣果

シロギスつりの釣果  カワハギはKさんから頂いたもの


さて、外道の話であるが、Kさんは良型のカワハギを5匹(Max29cm)とシロギスの泳がせ釣りで、ジャンボサイズのマゴチ(長さ47cm幅9.5cm)を釣り上げる。大きく弧を描く竿に私はひたすらタモ係りである。

しかし、タモ係りとはいえ、魚とのやりとりは興奮するものである。

そして、タモに無事納まった時は素直に祝福出来る。


私はと言えば、カワハギだぁ~、と思いきや、それは食えないベラ。マゴチだぁ~、と思いきや、それはサメ。海藻を釣っちゃった、重い重いとリールを巻くと、それはアナゴ(32cm)という有様である。

Kさんは気の毒に思うのか、カワハギを3匹もくれた。


かくして、11時30分の沖上がりで、私の釣果は5目で合計36匹。

内訳はシロギス18、メゴチ4、トラギス12、エソ1、アナゴ1である。

一方、Kさんは8目で合計31匹。

内訳はシロギス16、メゴチ3、トラギス5、マゴチ1、カワハギ5、ヒメジ1、小ダイ(リリース)、イワシ(リリース)である。

数でこそ対等であったが、良型のカワハギとジャンボサイズのマゴチを見せつけられては、Kさんに完敗の感を否めない結末となった。


夕方、Kさん夫妻が綺麗にさばいたマゴチとアナゴを持って来てくれた。

何から何まで面倒みて頂き恐縮至極である。


さて、我家では僕釣る人、妻料理する人である。

夕食には、ジャンボシロギスとマゴチは刺身、シロギス・メゴチ・トラギス・エソ・アナゴは天ぷら、カワハギは煮付けといった具合に釣り上げた魚が連日食卓に上がった。

美味しく頂いたのは無論のことだが、2倍美味しく感じたのは、自分が釣った魚故であろう。



新緑の奥鬼怒、秘湯「加仁湯」に泊る旅(2)

二日目 6月21日(金) くもり後雨


新緑の奥鬼怒、秘湯「加仁湯」に泊る旅、二日目は世界遺産の社寺をめぐった。

世界遺産とは、二社一寺即ち日光二荒山神社、日光東照宮そして日光山輪王寺である。

往路のバス車中での主宰者YUさんの解説のお陰で、会員はこれらの世界遺産を十分に堪能することが

出来た。

また、「遊子の会」では、先の4月9日に増上寺の徳川将軍家墓所を訪れているが、企画力に秀でるYUさんは、今回はそのフォローの旅即ち家康、家光の墓参りの旅でもあります、と言う。


行程


加仁湯→女夫渕温泉駐車場→大笹牧場→霧降の滝→日光廟大猷院→二荒山神社→東照宮→輪王寺

→日光杉並木→今市 I・C→日光宇都宮道路→東北自動車道→佐野 S・A(ラーメンの昼食)→アクアライン→館山


大笹牧場→霧降の滝


昨日と同じく、先ず観光牧場である大笹牧場で休憩し、土産物を物色する。それから霧降の滝へ向うが、

霧が立ち込めてどうなることかと思ったが、展望台では、はっきりと新緑の霧降の滝を眺めることが出来た。昨日の蛇王の滝よりスケールアップして、見ごたえがあった。


魚との対話-霧降の滝

霧降の滝


日光廟大猷院


江戸時代には、日光寺社群を総称して日光山と呼んだが、明治時代の神仏分離令により、それは輪王寺

の山号となった。そして、輪王寺もまたお寺やお堂、さらに15の支院の総称であり、大猷院(たいゆういん)は輪王寺の一つである。


我々は先ず、徳川三代将軍家光公の墓所である大猷院を訪れる。

拝観には共通拝観券(四箇所をめぐり千円)が有利と、元文科省のHさんが、共通券を買いに飛んで行った。

我々は団体客であるので、お坊さんがガイドとして付いてくれて、仁王門→二天門→夜叉門→大猷院廟

・拝殿→皇嘉門とめぐった。


魚との対話-大猷院 仁王門
仁王門 : 大猷院の彩色は金と黒と赤


魚との対話-大猷院 夜叉門

夜叉門正面


魚との対話-大猷院 夜叉門

夜叉門背面 : 正面背面の左右の柵内には四夜叉が霊廟の鎮護に当たっている。


夜叉門をくぐると、そこは大猷院廟であるが、大猷院廟前には徳川御三家寄進の灯籠が見られた。

大猷院廟の拝殿に上がり参拝する。拝殿内部は至る所に金箔が施されていた。会員は金の破魔矢を買い求める。

拝殿を下り、少し進むと別名竜宮門と呼ばれる皇嘉門に出くわす。その先が奥の院で、家光公の宝塔があるという。この日は非公開日なので墓参りはかなわなかった。


魚との対話-大猷院 皇嘉門

皇嘉門 : 家光公墓所の入口に当たる。


ガイドのお坊さんは、我々によく勉強していますね、と言い事細かに説明してくれた。

また、家康公の廟所(東照宮)をしのいではならないという家光公の遺命により、大猷院の彩色や彫刻は

控え目に造られている、と言うが、私には豪華絢爛で、初めての拝観ということもあって、四箇所(二社一寺)の中では最も印象深い所となった。


二荒山神社


二荒山神社は、日光における山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社である。

鳥居をくぐると茅の輪が置かれてあった。N子さんは無限大の文字のようにくぐると良い、と教える。


魚との対話-二荒山神社

二荒山神社


それから拝殿に参拝して、左奥に進むと皆が小さな神社(日枝神社)を取り囲んでいる。三回まわってから健康を祈願するのだ、と言う。私も見習いお参り三昧の一時を過す。


東照宮


東照宮と言えば陽明門を連想するが、今回の旅では家康公が祭られている神社であり、かつ墓所と位置

ずけられる。

我々は、神厩舎・三猿→陽明門→唐門(御本社)→本地堂・鳴き竜→(奥宮・家康公の宝塔)→パワースポットとめぐった。


魚との対話-東照宮 三猿

神厩舎 「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿


魚との対話-東照宮 陽明門

陽明門正面  彩色は金と黒と白


魚との対話-東照宮 陽明門

陽明門背面(御本社側から見る)  右側から2番目が逆柱


魚との対話-東照宮 唐門

御本社に通じる唐門  祭神は家康公


陽明門は中学校の修学旅行時と比べて、色あせた感じがした。

背面の一つの柱が敢えて完璧さに背いて模様が逆さになっている逆柱(さかさばしら)だと、N子さんに教わる。

唐門前で記念の集合写真を撮ったが、それは大修理を終えたのであろうか、ピッカピカの華やかさがあった。

続いて本地堂(薬師堂)に上がる。内陣天井に描かれている竜の頭の下で、お坊さんが拍子木を打つと

天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声が聞こえる。

    

     梅雨空へ 鳴き竜 応ふ すずの音   Oさん作


奥宮にある家康公の宝塔へのお参りは、別料金と長い階段の上り下りとのことで、100キロマラソンのKUDOさんのみが飛んで行った。


陽明門に戻り、パワースポットをさがす。するとKONさんが、陽明門が見える青銅鳥居そばの写真屋さんに聞いたと言い、皆を案内する。

そこは石畳の中の一片で至って狭い。古ギャルはおしくらまんじゅうのように立ち、笑いはしゃぐ。


魚との対話-日光東照宮 パワースポット

パワースポットに立ち、にんまりのOさん


輪王寺


輪王寺は総称と記述したが、我々は日光山の大本堂である三仏堂を拝観する。

入口には日光山の開祖勝道上人の銅像が建つ。三仏堂は約50年ぶりの大修理中とのことであったが、

イケメンのお坊さんの案内で堂内をめぐり、本尊の三仏様をお参りすることが出来た。

 千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音三体の大仏様(高さ8.5m)と薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の

 掛仏の2組の三尊仏が御本尊としてお祀りされている。


堂内をめぐる中で、十二支守り本尊なるものに出くわす。それによると、未年の私の本尊は大日如来であることが分かった。お守り用に梵字入りのペンダントが売っていたが、未年の御真言を象徴的に表す梵字

は「バン」と読むそうな。


日光杉並木


最後の見学地日光杉並木を訪れる。世界一長い並木道日光杉並木は、平均樹高27mの杉1万3千本が

東照宮への参道にあたる三街道の全長37kmの両側にわたってそびえているという。


魚との対話-日光杉並木

日光杉並木


バス車中の話


往路では、民話の達人Sさんが日頃書き留めておいた和歌や格言、ことわざ等が皆に結び文となって配られ披露される。また、主宰者YUさんからは、見学先である日光について歴史を中心に分かり易く解説がある。お陰で世界遺産の二社一寺の見方に大いに参考になった。


帰路では、休憩を予定した大谷 P・A周辺がどしゃ降りの雨になったが、二日目も見学地は雨が降らず

ラッキーであった。
さて、話の方であるが、定番になった旅の感想では、皆実に上手い!旅を重ね慣れて来た為であろうか。

そんな中、大いに皆を笑いに誘ったのが、ビーチ王子の軽妙な話術であろう。

YUさんのふりに即反応する話は、1割本当9割創作と思われるが軽~い話題でリラックスした笑いを生む。ビーチ王子はお笑い芸人の素質があるように思える。


かくして、バスは予定通り館山に到着。YUさん、ありがとう。皆さん、お疲れ様でした。     おわり















新緑の奥鬼怒、秘湯「加仁湯」に泊る旅(1)

梅雨空の続く6月20日(木)~21日(金)にかけて、「遊子の会」の会員25名は、主宰者YUさんのガイド・

あわみなみ交通の貸切バスで、栃木県日光市を訪れ、新緑の奥鬼怒、秘湯「加仁湯」に泊り、世界遺産の社寺をめぐる旅に出た。


一日目 6月20日(木) 雨後くもり


行程


館山→アクアライン→東北自動車道→日光宇都宮道路→日光 I・C→日光金谷ホテル・昼食→霧降高原道路→大笹牧場→蛇王の滝→女夫渕温泉駐車場→奥鬼怒スーパー林道→加仁湯→奥鬼怒遊歩道トレッキング→加仁湯宿泊


日光金谷ホテル


本日のメインは、加仁湯(かにゆ)に早目に到着して、新緑の奥鬼怒遊歩道トレッキングと温泉三昧の  予定であった。しかし、雨が降ったり止んだりの天候にトレッキングは難しいとのことで、主宰者YUさんは、

明日に予定していた日光金谷ホテルでの百年カレーの昼食を急遽変更して、今日取ることにした。

この判断は正解で、早目の到着ということもあって予約なしで本館1Fのコーヒーラウンジ メイプルリーフの

席に着くことが出来た。味の方だが、妻はビーフ私は鴨を注文して半分ずつ食べたが、2千円の価値が

ある美味しさであった。


魚との対話-金谷ホテル

日光金谷ホテル : 神橋そばの高台にある140年の歴史を刻む日本最古のリゾートホテル


魚との対話-百年カレー

日光金谷ホテルの百年カレー


大笹牧場→蛇王の滝


我々は昼食後、クラシックホテルの雰囲気も味わってからホテルを辞す。

バスは霧降高原道路を走り、観光牧場である大笹牧場に到着。

周辺は霧の中。館内で土産物を物色しながら休憩。

今度は蛇王の滝で降車して集合写真を撮る。蛇に似ているのでこの名が付けられたというが、紅葉の

時期なら素晴らしい所だろうな、と思う。


魚との対話-蛇王の滝

蛇王の滝


女夫渕温泉駐車場→加仁湯


川俣湖が近づくにつれて、道路は狭くなるが濡れてはいない。トレッキングはOKだな、と思う。

いつもながら「遊子の会」の旅は天気に恵まれる。そして、女夫渕(めおとぶち)温泉駐車場で宿の送迎

マイクロバスに乗り換えて、細く曲がりくねった奥鬼怒スーパー林道を進み、宿泊先の加仁湯に向う。

緑一色のスーパー林道は、「遊子の会」が5年前の秋に訪れた際は素晴らしい紅葉ロードだったと言う。


魚との対話-加仁湯

奥鬼怒温泉郷 加仁湯


奥鬼怒遊歩道トレッキング


宿に荷物を置いてから、山登りのベテランKさんとHさんの先導で、所要時間15分(片道)という、やはり

奥鬼怒温泉郷の一つである日光沢温泉まで散策することになった。

遊歩道は新緑の渓流に沿って続き、歩きやすく快適であった。

しかし、去る2月25日の地震による崖崩れが随所に見られ、工事中の場所もあった。

        魚との対話-奥鬼怒川遊歩道

奥鬼怒遊歩道 : 渓流沿いを歩く、参加者17名。


日光沢温泉の外観は、加仁湯よりもさらに秘湯の雰囲気を漂わせていた。我々よりいち早く宿を出て日光沢温泉の外湯を利用したYUさんによれば、我々のような団体客には加仁湯の方が良いとのこと。


魚との対話-日光沢温泉

奥鬼怒温泉郷 日光沢温泉


もう少し先まで行ってみることになった。日光沢温泉の近くで、以前スズランの入笠山で見たクリンソウが咲いていた。道すがら見かけたフタリシズカと共に印象深い。

また、小さな祠で何やらコ(古)ギャルが手を合わせているので行ってみると、それは私が初めて出くわした温泉神社であった。


魚との対話-クリンソウ

クリンソウ


魚との対話-温泉神社

温泉神社


神社を過ぎると道は狭くなり渓流は絵になる眺めとなった。橋を渡ると崖っぷちの細い道を歩くことになり、

引き返すことになった。宿に戻ったのは17時前なので、約50分のトレッキングを楽しんだことになった。


魚との対話-奥鬼怒遊歩道(山側)

奥鬼怒遊歩道 山側


魚との対話-奥鬼怒遊歩道 渓流

奥鬼怒遊歩道 渓流  おさおと橋?より撮影


加仁湯 温泉・夕食・懇談


秘湯加仁湯には、幾つもの露天風呂があり、我々は野趣あふれる温泉を楽しむ。

夕食は、きのこ類や岩魚など郷土色豊かな料理が並び食べきれない程であった。
夕食後は、男性会員の部屋での懇談会となり、席上俳句を始めたというKONさんや南房総市和田町に

移住され今回が宿泊の旅初参加のAさんから短歌が披露された。


  節ぶしに リズム変わるや 竹の秋   KONさん作

  

  ほんとうに あなたの赤と わたくしの見ている赤は 同じでしょうか   Aさん作


続いての、かつて自衛隊のヘリコプターの航空士として南極越冬隊のお手伝いをしたKUDOUさんの南極体験の話など、懇談会の話題は格調高いものであった。

しかし、その後就寝前にも露天風呂に浸かった会員には、混浴故の笑えるエピソードがあったようであるが、それは早々と眠りについた私が関知することではなかった。   つづく




千倉・海岸美術館

6月15日(土)県民の日である。私は、かねてより気に掛かっていた南房総市千倉町にある海岸美術館が、この日は入館無料(通常840円)とのことなので行ってみることにした。


しかし、それだけでは女房は動かない。そこで、昼食は道の駅ちくら・潮風王国の前にある食事処六冶郎でとることを提案して、千倉へ車を走らせることが出来たのである。

六冶郎は、我家の前の畑で精力的に野菜づくりに取り組んでいるUさんの奥さんが手伝いに出ている

お店で、美味しい魚料理が食べられるところ、と聞いていた。


お店に入ると、Uさんの奥さんがにこにこと迎えてくれて、今日はオニカサゴの煮付けがある、と教えてくれた。そこで、私はオニカサゴの煮付けの定食、妻は海鮮丼を注文して半分ずづ食べた。

それらは、実に美味しく、刺身は新鮮でネタが良く、かつリーズナブルで千倉を訪れたら、またご馳走になろうと思った。


昼食後は、先ず道の駅ちくら・潮風王国の芝生広場の海寄りの一角(陸)に係留され、展望台にもなっている第一千倉丸に上り、外房の海の眺望を楽しみなら一服する。


魚との対話-千倉の磯(潮風王国)

千倉の磯(潮風王国)


魚との対話-第一千倉丸(潮風王国)

陸に係留された第一千倉丸(潮風王国)


海岸美術館は、名前とは裏腹に我家へ帰る途中の山の中にあった。

開放感のある館内には、浅井愼平氏が40年間に渡り撮り続けてきた作品の数々が並べられていた。

雄大な海の写真などは、友人のビーチ王子がこおどりしそうな作品である。

また、新緑の庭は、さわやかでどこまでも静かなたたずまいであった。


海岸美術館は、自然と人工の調和というテーマ・コンセプトを持ち、感性と知性に満ちた透明でさわやかな

空間をつくろうという願いのもとに生まれた。 ちばの観光まるごと紹介より


魚との対話-海岸美術館

海岸美術館 館内


魚との対話-海岸美術館

海岸美術館 館内


魚との対話-海岸美術館

海岸美術館 館内


魚との対話-海岸美術館 庭園

海岸美術館 庭


魚との対話-海岸美術館と庭園

美術館と庭


魚との対話-海岸美術館 庭園

海岸美術館 庭


魚との対話-海岸美術館 池と散策道

海岸美術館 池と散策道












洲ノ埼海軍航空隊と宮城浄水場跡

5月26日の「また旅倶楽部」のイベントツアー「妙音院の火祭りと城山周辺」に気を良くした私は、

6月9日催行の月イチウォーキング「洲ノ埼海軍航空隊と宮城浄水場跡」に参加した。


洲ノ埼海軍航空隊は、1943年(昭和18年)に館山海軍航空隊に隣接する館山市笠名から大賀にかけての一帯に開隊されました。開隊当初、洲ノ埼航空隊は日本で唯一の兵器整備練習航空隊であり、

航空兵器改良整備のスペシャリスト養成学校でした。・・・ガイドマップより


館山海軍航空隊  :  1930年(昭和5年)海軍5番目の実戦部隊として作られた。通称館空。

               現海上自衛隊館山航空基地

洲ノ埼海軍航空隊 :  航空兵器整備のための航空隊。通称洲ノ空


昭和18年生まれの私は、かつて洲ノ埼海軍航空隊に関して、洲崎と言えば、灯台がある西岬地区を連想

するので、航空隊は一体どこにあったのかと疑念を抱いていた。

ある時、笠名だと知り愕然としたものだ。そして、我家は笠名から疎開命令で現在の岡沼地区(館山市沼)にやって来たと聞かされていたので、特別な関心を抱いていた。

従って、この度のガイドツアーは戦争遺跡と我家のルーツをめぐる有意義なウォーキングとなったのであった。

行程


かにた婦人の村駐車場→洲ノ空射撃場跡→(館山自動車学校)→(滑走路跡)→掩体壕→宮城浄水場→

赤山地下壕→防空壕→獅子部隊の国旗掲揚台跡→笠名神明神社→(館山海上技術学校)→洲空の碑・

講堂土台跡→防空壕→かにた婦人の村駐車場


洲ノ空射撃場跡・掩体壕(えんたいごう)


ゼロ戦射撃場とも言われ、戦闘機の機銃調整の試射を行ったところ。壕周囲のレンガ面には機銃痕が残っていた。


魚との対話-洲ノ空射撃場跡

洲ノ空射撃場跡  5つあるという。


館山自動車学校からバス通りに出る一帯には、ゆるやかな傾斜のある畑が広がっていたが、滑走路跡だと言う。


魚との対話-掩体壕

掩体壕 : 航空機を敵の攻撃から守る格納庫、終戦時には13基あったと言われている。


宮城浄水場


館山海軍航空隊の水源地として、昭和6年に貯水池と浄水場が建設された。


魚との対話-宮城浄水場跡

宮城浄水場跡 : 立ち入り禁止の為、道路から貯水池を望む。奥にはアオサギとカワウが飛び交ってい     
            た。一方浄水場跡は廃墟と化していた。


魚との対話-宮城浄水場跡

宮城浄水場跡 : 貯水池土手に立つ石碑 2011年5月25日撮影


私は、かつて岡沼区の堰(農業用水池)めぐりと称して一人で訪れ、貯水池の土手に立ち写真を撮った。

そして、貯水池奥がアオサギの営巣地となっているのに驚いたものだ。

現在、浄水場跡は三芳水道企業団の管理下にあるが、岡沼区は水不足の折には貯水池の水を流してもらうと聞いている。


赤山地下壕


朝鮮人集落や花街跡から魚雷庫(壕)を経由して赤山地下壕に着く。昼食後、数班に別れて壕内を見学する。


魚との対話-赤山地下壕

赤山地下壕 : ツルハシの掘り跡が見える。1944年(昭和19年)以降に館山海軍航空隊の兵隊たち

          (専門工作部隊)によって掘り始められたが、未完成に終わる。

          
魚との対話-赤山地下壕

赤山地下壕 : 地層のずれを観察できる。地層は砂岩や泥岩など軟らかい地層の重なりという。


館山海軍航空隊の防空壕として使われた赤山地下壕には、色々な役割を持った部屋があった。

ガイドのKさんから、ここはかなり位の高い人の部屋でしょう、あれは御真影の奉安殿でしょう、との解説が

あった。私は何のことだか分からないので質問したところ、天皇と皇后の写真(御真影)と保管する場所(奉安殿)との答えが返って来た。

同行の一部の人は、私が知らなかったことに驚いていたが、時代の教育の違いであろう。


防空壕・獅子部隊の国旗掲揚台跡


笠名地区に入り、海上自衛隊館山航空基地に隣接した場所で、何だこれは、と首をかしげる石造物に出くわす。それは、謎の獅子部隊の防空壕と国旗掲揚台跡とのことであった。

どうやら、謎の部隊は特攻のようであった。


魚との対話-防空壕

防空壕 : 謎の部隊(獅子部隊)が使用した。


神明神社


神明神社は笠名の鎮守の社。最近、神社の大木周りに石油がまかれる事件があったという。何の為??

我家の本家(母親の実家)はこの近くにあったと聞いている。


魚との対話-笠名神明神社

笠名の神明神社


それから、再びバス通りに出てから双子山、館山海上技術学校、洲空の碑、講堂土台跡、防空壕を経由して出発点のかにた婦人の村駐車場に戻る。即ち洲ノ空の建物跡を歩いた訳である。

後日、笠名安楽寺での墓参りの帰りに、姉の案内で幼き頃住んでいたという疎開前の我家(母親が婿をとり分家)の跡に寄った。

そこは、何と館山海上技術学校の近くであった。かくして、今まで疑念を抱いていた(知らなかった)洲ノ埼海軍航空隊跡が、この度のガイドツアーのお陰で身近に感じられる場所になったのであった。 おわり













リベンジなるイサキつり

から梅雨の続く6月5日(水)、「遊子の会」の自称釣りインストラクターの4人が、旬の魚イサキをターゲットに洲崎早川丸に乗船した。

その結果は、5時出船11時40分沖上がりの釣りタイムで私45匹(17)、Kさん37匹(20)、ビーチ王子

28匹、SIGEさん25匹(12)であった。( )は昨年の釣果。

即ち、思惑はずれの昨年よりも、皆大幅に釣果をアップしてリベンジなったという訳である。

以下に状況を記すこととする。


左舷大ドモからSIGEさん、私、ビーチ王子、Kさんの順に座る。

船は大型で釣り座が広くゆったりと釣りが出来るのがいい。

この日は、雨の心配なし、海上はナギ、中潮で満潮1時51分 干潮8時49分。

3mの3本針仕掛けで、サニービシFL60号の統一使用。

イサキはタナ取りが決め手であるので糸のマークでタナを取る。


ビシを船長の指示ダナより仕掛け分(3m)落とし、コマセを振ってから指示ダナに戻してアタリを待つ。

釣り開始から早々に、タナ18mでジャンボサイズが釣れる。幸先のよいスタートに気を良くするも、

その後、ポツリポツリの釣りに置き竿釣法が主流となる。

型は良いのだが、8時の時点で6匹と目標の30匹は、無理との想いが頭をよぎる。


しかし、天は我等を見捨てず。潮が動き出した為か、9時~10時にかけて、タナ28mで入れ食いとなった。「何時釣るか、今でしょう!」と、私は手持ちの立った姿勢で一心不乱に釣りまくった。

というのも、音頭取りの私は、釣行前イサキつりのうんちくを語っていた。

大人の世界では結果を出すことも大事である。私はこの時、四人の竿頭がねらえるチャンス到来と思ったからである。

目標を持つと身体は動くものである。ダブル、トリプルで数を伸ばし、タルの中はイサキで真っ黒になっていった。しかし、型は小さくなりウリンボサイズも混じるようになった。


その後、風が出て少し波立って来てのオマツリやダブル・トリプル時の取り込みの不手際による仕掛けの

ロスに課題が残った。

そして、11時から納竿間際の11時半頃まで、再びタナ28mで入れ食い状態になり、結局私は、自己新記録の45匹(型は18~30cm)を釣り上げて竿頭となったのであった。


しかし、家に戻り早速イサキ外交に繰り出した私は、証拠写真を撮るのを忘れてしまった。

一生の不覚である。

その日の夕食には、SIGEさんの奥さんとの話から、妻はイサキの握り寿司を作った。

デザートは気の硬い岡沼区の人からのお返しのビワが並んだ。

実に美味しかったのは、言うまでもないことである。


最後に奥方連中のコメントを紹介しよう。

SIGEさんの家  : SIGEちゃんは、大きいのが少ししかいないのよ~!

            (昨年の倍釣ったのに厳しすぎませんか!)

Kさんの家    :  まぁ~、タマゴやシラコが沢山入っていて・・・・!

            (料理の達人の視点は違うね~!) 

ビーチ王子の家 : イサキ外交が出来て良かった~!

             (田舎暮らしでは新鮮野菜がドサッと届くものね~!)




妙音院の火祭りと城山周辺

5月26日(日)、私は館山市を中心に地域でガイドツアーを展開している「また旅倶楽部」のイベントツアー

「妙音院の火祭りと城山周辺」に参加した。


行程


 城山公園芝生広場→館山神社→楠見六地蔵・百八十八番巡拝塔・北下庚申堂→北下台→(宗真寺)→

 大膳山跡→泉慶院跡→慈恩院→妙音院・・・安房高野山霊場八十八ヶ所めぐり・火祭り見学・・・→

 城山公園芝生広場


コースは我家の近くで、訪れたことがあったり聞いたことがある所であったが、今風に言えばじぇ、じぇ、じぇ

と思うことが沢山あった。そこで、コースの中で見聞きした私のじぇ、じぇ、じぇを書き留めておこう。


館山神社~俵光石


ガイド曰く、狛犬は俵光石の作です。さらに、俵光石は神社のそばにある俵石材店の当主の祖父に当たる

人で、東京美術学校(現東京芸術大学)に学び高村光雲の弟子であったが、家業を継ぐために館山に戻ったと言う。

我家がお世話になっている三福寺にある巨大な石彫釈迦如来像も光石作とのこと。また、我家の墓は、

俵石材店で作ってもらったものだけに、これらの事は一番目のじぇ、じぇ、じぇであった。


北下台(ぼっけだい)


北下台には妻の実家があり、そこには義兄夫婦が住んでいる。

今まで急坂を上り目に入るのは、神社(琴平神社)と巨大な岩(通称不動岩)、そこに立つ石碑や生い茂る

木々と竹やぶくらいのものであった。

しかし、かつては館山最初の公園で別荘も建つ鏡ヶ浦を望む景勝地であったことは耳にしていた。


魚との対話-不動岩

通称不動岩と日露戦争戦役記念碑 ~ 琴平神社周辺


この度、琴平神社周辺や日本近代産業の記念碑エリア・観音堂跡の墓地をめぐり多くの文化財に出くわしたのは驚きであった。中でも義兄宅の庭に続く築山の裏側の崖に、室町時代の武士の墓という「やぐら」があったのは、大いなる驚きで妻も知らなかったと言う。


魚との対話-やぐら

やぐら : 室町時代に築かれた武士の墓 ~ 琴平神社周辺


魚との対話-正木燈

正木燈 ~ 琴平神社周辺

 船形町長を務めた正木清一郎が水産業の発展につくした父貞蔵の死を悼んで、晩年の隠居所があった

 北下台に建てた照明塔。残っているのはその基台の部分で、かつては木の柱が立ちアーク灯が灯って  

 いた。


魚との対話-関沢明清碑

関沢明清碑 ~ 日本近代産業の記念碑エリア

 捕鯨や遠洋漁業などの水産業に功績を残した。また、東京海洋大学の前身である水産伝習所を設立し 

 た。

記念碑エリアには、他に順天丸遭難記念碑(俵光石が刻む)や坂東丸船員殉難碑が見られた。


北下台とは、城山の北側にある小高い丘一帯をさす呼び名と言うが「ぼっけだい」とは読めない。

これに対して、ガイドは徳島県の大歩危・小歩危を例に危険な崖の呼び名と言う。

北下台は、館山市の行政区としては上須賀(うえすか)である。館山神社の祭礼で神輿をかつぐ上須賀地区のユニフォームの背中には上渚と印されている。上須賀は渚の上かと一人合点した。


大膳山跡→泉慶院跡→慈音院


北下台を辞し里見の史跡、遺構をめぐる。

大膳山跡とは、二代目正木大膳亮時茂の居住地跡のことで、正木大膳と名乗る人は四人登場するが、二代目正木時茂は四人目で里見義康の弟で忠義の時代には実質的に里見家をきりもりした人であることが分かった。


泉慶院跡は、かねてより何処なのか気掛りであったが、我家からスーパーおわりやに行く途中の慈恩院

そばから垣間見える池の奥にあった。そして、その池が館山城の堀跡である鹿島掘跡の一部とは、正に

じぇ、じぇ、じぇであった。


魚との対話-泉慶院跡

泉慶院跡 右端が青岳尼の供養塔

 泉慶院は曹洞宗の寺院で、開基は里見義弘の室・青岳尼で開山は淳泰和尚(義弘の子息梅王丸)。

 里見氏の時代は寺領160石。


慈恩院は曹洞宗のお寺で館山城初代城主里見義康の菩提寺。境内には義康の墓所がある。


魚との対話-里見義康の墓

慈恩院  里見義康の墓


妙音院の火祭り


妙音院は古義真言宗のお寺で安房高野山とも呼ばれる。里見家の祈願寺。

裏山に安房高野山霊場八十八ヶ所があり、尾根ずたいには隠れた紅葉スポットがあるので、私は何度か

訪れている。

この度のイベントツアーの目玉の火祭りは、初めて見学したが、中々見ごたえのある宗教儀式であった。


魚との対話-人形供養

火祭りの前に釈迦堂で人形供養が行われた。仏壇には人形が所狭しと並んでいた。


魚との対話-霊場上り口

安房高野山霊場八十八ヶ所上り口 :: 山伏の一行が先ず熊野大権現を参拝してから火祭りは始まった。


魚との対話-火祭り

妙音院の火祭り


魚との対話-火祭り

妙音院の火祭り


炭になった護摩を崩し、灰をならして道が作られ、火渡り式へと移行した。

「火渡りは、修験者の荒行のひとつで、不動明王の知恵の火で苦難を焼き尽くし、その浄火を渡ることで

身の災難を払うとされている。房日新聞より」


魚との対話-火渡り

火渡り : 先ず住職が刀をかざして渡火


魚との対話-火渡り

火渡り : 続いて一般の参詣客が住職に背中を押され素足で熱の残る灰の上を

       歩く。渡り終わると「南無大師遍照金剛」と書かれた護摩札を手渡される。

私もイベントツアーの仲間と共に、家内安全を念じながらゆっくり灰の上を歩いてみたが、最後の方だった

せいか、全く熱くなかった。


おわりに


灯台下暗しで、地元のことは知らないことが多い。館山にUターンして、ふるさと再発見を標榜している

私にとって、また旅倶楽部のガイドは大変有意義なものであった。

昨年から60代をターゲットに活動を始めたガイドグループと聞く。

機会あれば、これからも参加しようと思う。






 

 












  






ガーデニング 2013年4~5月

畑仕事


初孫のるいちゃん(1歳5ヶ月)が、4月30日から2週間の予定でやって来るという。

その間、我家では孫一色の生活となる為、私は例年より早目の4月半ばから夏野菜の準備を始め、

4月28日には植え付けを終えた。

植え付けたものは、サトイモ・ショウガ・トマト(桃太郎)・ミニトマト・ナス・ピーマンである。

その後、5月3日にオクラ、8日に接ぎ木苗のキュウリを追加した。


魚との対話-ジャガイモ

順調に育つジャガイモ   5月3日撮影


魚との対話-夏野菜の植え付け

夏野菜の植え付けを終えた畑   5月9日撮影


収穫物は、スナックエンドウ・グリーンピース(初挑戦)・アスパラガス・甘夏で、いずれも好調で美味しく

食すことが出来た。

さて、ご飯と炊き込むとご飯がピンク色になるというツタンカーメン(豆)であるが、十分採れたのだが、何故かご飯はピンク色にならなかった。??

5月28日には、玉ネギ(中晩生)を収穫した。葉は倒れないが梅雨入り間近を考慮して取る事にした。

新玉ネギの食べ方として、オニオンスライスは知っていたが、今年は切れ込みを入れラップで包み電子レンジで7~8分加熱してからポン酢をかける食べ方を教わり、とろ~りとした甘味を楽しむことが出来た。


新規なものとしては、つるありインゲンとシカクマメの種をまいた。

また、昨年の物置へのゴーヤの緑のカーテンに気を良くして、今年はスケールアップして、リビングへの緑のカーテン(横270cm、縦360cm)に挑戦した。下部の支柱用の焼細杭以外は既存の物を利用したので

手間が掛かり5月25日に完成した。ネットが緑で覆われるのが楽しみである。


魚との対話-ゴーヤの緑のカーテン

リビングへのゴーヤの緑のカーテン   5月27日撮影


庭の花


この時季、我家の庭は次々と花が咲き、るいちゃんはきー、きー(綺麗、綺麗)と言う。そして、棒と石を持っての格好の散歩場所となった。

私としては、手を入れたら復活した花々を嬉しく思った。即ち、思い切った剪定によりチェリーセージとバラが、場所替えによりエビネラン、ダリヤそして花ではないがミョウガがそれである。


魚との対話-ミョウガ

ミョウガ   4月22日撮影


魚との対話-チェリーセージ

チェリーセージ 始めは赤色のみ   4月18日撮影


魚との対話-チェリーセージ

チェリーセージ 赤に白が混じる   5月6日撮影


魚との対話-シャクヤク

今年もシャクヤクが華麗に咲いてくれた。   5月9日撮影


現在の我家の庭では、スイセンノウ・ダリヤ・チェリーセージ・ヤグルマソウ・ウキツリボクが風に揺られて

咲き競っている。黄色の花のルドベキアが伸びてくれれば、さらにいろどりが増すのだが。

昨日(5月29日)梅雨入りが発表されたが、これからはアジサイ・ユリ・アガパンサス・ギボウシが咲き誇る

ことであろう。楽しみである。


魚との対話-我家の庭

現在の我家の庭  チェリーセージは白が主流   5月27日撮影