洲ノ埼海軍航空隊と宮城浄水場跡
5月26日の「また旅倶楽部」のイベントツアー「妙音院の火祭りと城山周辺」に気を良くした私は、
6月9日催行の月イチウォーキング「洲ノ埼海軍航空隊と宮城浄水場跡」に参加した。
洲ノ埼海軍航空隊は、1943年(昭和18年)に館山海軍航空隊に隣接する館山市笠名から大賀にかけての一帯に開隊されました。開隊当初、洲ノ埼航空隊は日本で唯一の兵器整備練習航空隊であり、
航空兵器改良整備のスペシャリスト養成学校でした。・・・ガイドマップより
館山海軍航空隊 : 1930年(昭和5年)海軍5番目の実戦部隊として作られた。通称館空。
現海上自衛隊館山航空基地
洲ノ埼海軍航空隊 : 航空兵器整備のための航空隊。通称洲ノ空
昭和18年生まれの私は、かつて洲ノ埼海軍航空隊に関して、洲崎と言えば、灯台がある西岬地区を連想
するので、航空隊は一体どこにあったのかと疑念を抱いていた。
ある時、笠名だと知り愕然としたものだ。そして、我家は笠名から疎開命令で現在の岡沼地区(館山市沼)にやって来たと聞かされていたので、特別な関心を抱いていた。
従って、この度のガイドツアーは戦争遺跡と我家のルーツをめぐる有意義なウォーキングとなったのであった。
行程
かにた婦人の村駐車場→洲ノ空射撃場跡→(館山自動車学校)→(滑走路跡)→掩体壕→宮城浄水場→
赤山地下壕→防空壕→獅子部隊の国旗掲揚台跡→笠名神明神社→(館山海上技術学校)→洲空の碑・
講堂土台跡→防空壕→かにた婦人の村駐車場
洲ノ空射撃場跡・掩体壕(えんたいごう)
ゼロ戦射撃場とも言われ、戦闘機の機銃調整の試射を行ったところ。壕周囲のレンガ面には機銃痕が残っていた。
洲ノ空射撃場跡 5つあるという。
館山自動車学校からバス通りに出る一帯には、ゆるやかな傾斜のある畑が広がっていたが、滑走路跡だと言う。
掩体壕 : 航空機を敵の攻撃から守る格納庫、終戦時には13基あったと言われている。
宮城浄水場
館山海軍航空隊の水源地として、昭和6年に貯水池と浄水場が建設された。
宮城浄水場跡 : 立ち入り禁止の為、道路から貯水池を望む。奥にはアオサギとカワウが飛び交ってい
た。一方浄水場跡は廃墟と化していた。
宮城浄水場跡 : 貯水池土手に立つ石碑 2011年5月25日撮影
私は、かつて岡沼区の堰(農業用水池)めぐりと称して一人で訪れ、貯水池の土手に立ち写真を撮った。
そして、貯水池奥がアオサギの営巣地となっているのに驚いたものだ。
現在、浄水場跡は三芳水道企業団の管理下にあるが、岡沼区は水不足の折には貯水池の水を流してもらうと聞いている。
赤山地下壕
朝鮮人集落や花街跡から魚雷庫(壕)を経由して赤山地下壕に着く。昼食後、数班に別れて壕内を見学する。
赤山地下壕 : ツルハシの掘り跡が見える。1944年(昭和19年)以降に館山海軍航空隊の兵隊たち
(専門工作部隊)によって掘り始められたが、未完成に終わる。
赤山地下壕 : 地層のずれを観察できる。地層は砂岩や泥岩など軟らかい地層の重なりという。
館山海軍航空隊の防空壕として使われた赤山地下壕には、色々な役割を持った部屋があった。
ガイドのKさんから、ここはかなり位の高い人の部屋でしょう、あれは御真影の奉安殿でしょう、との解説が
あった。私は何のことだか分からないので質問したところ、天皇と皇后の写真(御真影)と保管する場所(奉安殿)との答えが返って来た。
同行の一部の人は、私が知らなかったことに驚いていたが、時代の教育の違いであろう。
防空壕・獅子部隊の国旗掲揚台跡
笠名地区に入り、海上自衛隊館山航空基地に隣接した場所で、何だこれは、と首をかしげる石造物に出くわす。それは、謎の獅子部隊の防空壕と国旗掲揚台跡とのことであった。
どうやら、謎の部隊は特攻のようであった。
防空壕 : 謎の部隊(獅子部隊)が使用した。
神明神社
神明神社は笠名の鎮守の社。最近、神社の大木周りに石油がまかれる事件があったという。何の為??
我家の本家(母親の実家)はこの近くにあったと聞いている。
笠名の神明神社
それから、再びバス通りに出てから双子山、館山海上技術学校、洲空の碑、講堂土台跡、防空壕を経由して出発点のかにた婦人の村駐車場に戻る。即ち洲ノ空の建物跡を歩いた訳である。
後日、笠名安楽寺での墓参りの帰りに、姉の案内で幼き頃住んでいたという疎開前の我家(母親が婿をとり分家)の跡に寄った。
そこは、何と館山海上技術学校の近くであった。かくして、今まで疑念を抱いていた(知らなかった)洲ノ埼海軍航空隊跡が、この度のガイドツアーのお陰で身近に感じられる場所になったのであった。 おわり







