魚との対話 -20ページ目

春本番~ガーデニング

3月25日(火)の東京の桜開花宣言と共に、我家の庭も華やかになった。

ボケに続いてニワウメ、ユキヤナギが咲き競い、3月14日(金)時点では蕾が膨らんだ状態であった

ラッパスイセンが柿の木の下で満開となった。

私の一日は、リビングの炬燵で一杯お茶を飲みながら、この光景を眺めることから始まる。


ニワウメ・ウキヤナギ・ボケ

ニワウメ、ユキヤナギ、ボケが咲き競う  3月26日撮影


ニワウメとユキヤナギ

ニワウメとユキヤナギ  3月26日撮影


ラッパスイセン

柿の木の下に咲くラッパスイセン  3月28日撮影


我家のお隣りさん家も同じことが言える。Sinoさん宅にはハクモクレンが咲く。


ハクモウレン

Sinoさん宅に咲くハクモクレン。 我家の庭より3月26日撮影


本家では、ハナモモから啓翁桜のリレーで青空の下、モクレンとアンズが花開いた。


モクレン
本家に咲くモクレン  3月28日撮影


アンズ

本家に咲くアンズ。 後方に見えるのは館山城  3月28日撮影


そして、3月28日(金)には、柿の木の芽吹きが始まり、我家の庭は春本番を迎えたという訳である。

しかし、花の命は短くて、現在は写真のような光景は見られない。

これからは、いよいよ夏野菜の為の畑仕事の出番である。




沼の里山~山歩き・沼の大橋・竣工記念碑・ビワの温室

柳作の堰の続きの話である。


山歩き


柳作の堰完成現場の写真を撮りに行った翌日、即ち昨年の5月18日のことである。

今度は、かつて館山小学校のオリエンテーリングのコースになったという大谷の堰から柳作の堰に至る

山道をAさんの案内で歩いてみた。

Aさんは沼の農家組合の一員で、私の言う沼の里山散策道に広がる田んぼの水当番であり、私の妻とは

同窓会仲間ということもあって、私のガイド依頼を二つ返事で引き受けてくれたのであった。


山道

沼の山を歩く : 案内人のAさん  2013年5月18日撮影


役員仲間のごっさんのビワ山入口を通過してからは、車が通れる道でなくなる。しかし、Aさんは宮城に抜ける山道はモトクロスの隠れたコースだと教えてくれる。これは今回の山歩きでの驚きその一であった。


山道

沼の山を歩く : 目印がなく案内人なくしては歩けない 2013年5月18日撮影


さらに進むと山道は案内人なくしては歩けない様相となり、竹が繁茂している所は難所となった。

時折、Aさんは多分この道でいいと思うけど・・・??等と言うので、柳作の堰の水が見えた時はほっとしたものだ。かくして、オリエンテーリングコース歩きは終了したのだが、続いてAさんは堰の奥に見せたい

所があると言って案内してくれた。

細いが整備された道をどんどん奥に進むと木立に囲まれた農園が現れる。立ち入り禁止の看板が立っていたが、立ち入らなくてもワサビの栽培をしている所だと分かった。これが驚きその二であった。

後日、ごっさんに大谷の堰から柳作の堰に至る山道は荒れ放題だったと話したら、以前は農家組合の

人達が大山普請と言って皆で草刈りをしたものだが・・・・・・と話してくれた。


沼の大橋


昨年、私は沼の里山散策道入口に沼の大橋が架かっていたという話(伝説)を二度耳にした。

一度目は8月25日のまた旅倶楽部のガイドツアー「館山・山野辺の路(館山市沼)」で、二度目は11月3日の長福寺寺子屋教室での「戦国時代の館山城と街並み」と題する館山市立博物館岡田館長の講話でである。


里見氏の時代、沼地であった里山散策道入口には物資を運ぶために大橋が架かっており、敵が攻めて来た際には、それは外されるようになっていたという話である。


沼の大橋

沼の大橋が架かっていた場所  3月25日撮影


沼の大橋

沼の大橋の一端 :時季にはカワラヒワの群れ、野菊咲く石祠が見られる。 3月25日撮影


沼の大橋

沼の大橋他端 : 時季には藤の花咲く高台となる。後方の山には見張り台があったという。

            3月25日撮影


竣工記念碑


里見の時代の沼地から現代の田んぼの話に変えよう。

散策道入口には竣工記念碑が立っている。

それには、従来からの狭隘かつ不整形な湿田農地、屈曲した狭農道、用排水施設等の改善を図る為、

平成元年度からほ場整備事業を開始し七ヶ年の歳月と総事業費四億四千二百二十万円を費やし、平成八年三月竣工した。

本事業により、乾田化した農地が生まれ、営農の省力化と農地の高度利用等、近代農業の基礎が築かれた、と記されてある。


竣工記念碑

沼の里山散策道入口に立つ竣工記念碑  3月25日撮影


沼地が湿田そして乾田へと変わり、現在の美しい田んぼが出来たことが理解できたが、私はこの美しい田んぼの光景がこれからも続くことを願う者の一人である。


散策道の田んぼ

散策道奥から望む田んぼ  3月25日撮影


散策道の田んぼ

散策道入口手前から望む田んぼ  3月26日撮影


ビワの温室


散策道から我家への帰り道の途中には、ビワの温室が林立している場所がある。幼き頃は田んぼだった

所である。たまたま元区長のKさんが温室から出て来るところに出くわしたので、温室の中を撮らせてもらった。温室の中は暖かく袋掛けされたビワの木は花が咲いたかのようであった。


枇杷の温室 ビワの温室の内部 : 幼き頃は田んぼだった所にある。 3月26日撮影


おわりに


沼の里山散策道に広がる田んぼに柳作の堰からの水が張られ、美しい水田風景が見られるのも、もうすぐである。

Uターンして六年目になるが、この度も初めて目にする耳にする事柄に出合った。

私は、沼の里山をマイフィールドとして、これからも折に触れ写真を撮ろうと思う。








柳作の堰補修工事

私の言う沼の里山散策道の突き当たり奥にある堰(農業用水池)について、2011年5月28日付けの

ブログ記事「沼の里山~2011.5」の中で、私は堰の土手に直径3m深さ3.5mの穴があき沼の水がめ

が危ない!!と記した。


その後、2012年10月10日付けで白幡興業株式会社より区民の皆様へとして、柳作地区ため池補修

工事のお知らせ文書が配布された。それによると、工期は2012年9月29日~2013年2月28日とあった。


当該記事は、そのカメラルポである。また、「沼の里山~2011.5」の中で穴のあいてしまった堰を滝の堰、沼のサンゴ層そばの堰をサンゴの堰と呼ぶことにしよう、などと呑気なことを言ったが、その後サンゴの堰は小字名で大谷の堰と呼ぶことが分かったので、穴のあいてしまった滝の堰は柳作の堰と呼ぶことにする。


柳作の堰工事現場


私は、工事完成予定日の2013年2月28日の直前の2月17日(日)に工事現場の写真を撮りに行った。


沼の里山散策道

沼の里山散策道 : 柳作の堰は突き当たり奥にある。


工事現場

散策道から堰へは、うっそうとした細い山道を通って行くことになるが、工事用に堰の土手から見て田んぼ側の荒地に鉄板を敷いた道が作られてあった。


工事現場

堰の土手から見て貯水池側にはプールが出来ていた。土手の盛り土を掘ったのであろうか??


工事現場

土手田んぼ側


工事現場

土手田んぼ側下部


工事現場

土手中央 : この奥に大きな穴があいてしまったのであった。


工事現場

土手貯水池側


柳作の堰完成現場


工期の終わりは、2013年2月28日から4月30日に延長された。私は、5月17日(金)に完成現場の

写真を撮りに行った。


完成現場

土手田んぼ側 : もう草が生い茂っていた。


完成現場

土手田んぼ側下部


完成現場

土手中央


完成現場

土手貯水池側


柳作の堰

柳作の堰は青空を映す鏡池と化していた。


排水口とヤマツツジ

排水口とヤマツツジ


おわりに


カメラルポは単なる記録写真であるが、何故今かと言えば昨年パソコンは様々なトラブルに見舞われて、

再セットアップ(初期化)によりやっと11月になって普段通りになった。

その為、書き損なったものが幾つか出てしまい、当該記事もその一つという訳である。 












春の訪れ~ガーデニング

我家のガーデニングでの春の息吹は、春めいた日差しに光り輝くネコヤナギに始まる。

隣りの本家ではハナモモが花開く。そして、ジャガイモの植え付け時期を迎える。

今年は、3月10日(月)に妻との共同作業で、キタアカリ3kgとメークイン1kgを植え付けた。


ネコヤナギ

光り輝くネコヤナギ  3月4日撮影


3月に入り、南西の強風や寒暖を繰り返しながら春めいた日が多くなった。

3月14日(金)曇り空の肌寒い日であったが、シャクヤクが霜対策で覆った藁の隙間から芽を出しているのが目に留まる。

早速6株あるシャクヤクを覆っている藁を取り除くことにした。毎年春の訪れを実感する一仕事である。


シャクヤクの芽だし

シャクヤクの芽だし  3月14日撮影


他にも球根類の芽だしや膨らんだ蕾。花咲く花木や満を持すかのように花芽を一杯付けた花木等が

認められた。そこで、私はこれらの早春ならではの光景を写真に収めることにした。


ミニスイセン

花咲くミニスイセン  3月14日撮影


ラッパスイセン

膨らんだ蕾のラッパスイセン、後方はクリスマスローズ  3月14日撮影


ボケ

花咲くボケ 花色は白からピンクへと変わる。  3月14日撮影


予期せぬことも二つ認められた。一つは畑と庭を仕切るマサキ(地元ではピーピーガラと言う)である。

何時に無く強風が吹く度に大量の葉が落ちて裸同然である。枝を見ると葉の芽が認められるので大丈夫とは思うが心配である。


落葉のマサキ

大量の落葉により裸になったマサキ  3月14日撮影


もう一つは、我家の北側のフェンスに立て掛けてあるシイタケである。まぁ~、出るわ出るわ!!

しかし、乾燥気味なので秋のような大きさは期待出来そうもないが、こちらは嬉しいことである。 おわり


シイタケ

出るわ出るわのシイタケ  3月14日撮影








頼朝桜咲く保田川ハイク

3月4日(火)、鋸南町の頼朝桜(河津桜)が見頃との情報に、私共夫婦は久し振りに頼朝桜咲く保田川を

訪れ、郷愁のハイキングコースを堪能した。

久し振りとは、3年前の2011年2月26日(土)に「遊子の会」で訪れているからであり、その日のことは

2011年3月2日付けの「頼朝桜と竹灯篭まつり」のブログを参照願いたい。


鋸南町保健福祉総合センター「すこやか」に車を止め、先ず8日(土)に行われる竹灯篭まつりの会場へ

向かう。会場は、保田川に架かる天王橋から権現橋までのなだらかな坂道である。

私共は、前回歩かなかった対岸にも足を伸ばして、7~8分咲きの頼朝桜を愛でながら写真を撮った。


保田川頼朝桜

対岸から竹灯篭会場(天王橋~権現橋)を撮る : まつりでは、菜の花咲く土手に竹灯篭が林立する。


保田川頼朝桜

保田川頼朝桜 : 天王橋付近


それから、私の言う郷愁のハイキングコースの出発点となる中橋へ向かう。

この日は暖かく穏やかなハイク日和で、途中に散在する満開の菜の花畑と青空のコントラストが印象的であった。

中橋の上流は家がなくのどかな田園風景が広がる。私共は、ここでも前回とは反対の対岸を歩いた。


保田川頼朝桜

保田川頼朝桜 : 中橋上流


保田川頼朝桜

保田川頼朝桜 : 中橋上流  お茶で一服と土手に座ったらシャッターチャンス到来。


保田川頼朝桜

保田川頼朝桜 : 中橋上流  元来た道を戻る。


駐車場に戻った時、万歩計は9,000歩を示し所要時間は2時間であった。

子供から高齢者まで無理なく楽しめる頼朝桜咲くハイキングコースは、この週末から来週始めには満開となり、春を先取り出来ること請け合いである。








                                

千倉古道から真野大黒天大祭へ

2月6日(木)、真野の大黒様として親しまれている真野寺(南房総市久保、真言宗智山派)の真野大黒天大祭の日である。

「遊子の会」では、ミスターアウトドアKさんのガイドで、山道である千倉古道を歩いて真野寺を訪れ、お参りすることになった。


9時30分、昼食準備のボランテイア3名を残して、15名が九重(館山市)のKさん宅を出発する。

薗の堰を通って高台に住む初参加のMさんを拾い、千倉古道に出る。

なお、ここでは館山と千倉を結ぶ山道全体を千倉古道と呼ぶことにします。


薗の堰

高台より薗(その)の堰を望む : キンクロハジロとカルガモが泳ぐ。雑木林はMさんと近所の人達が    

                      整備したという。新緑の頃は絶景であろう。

古道は歩きやすく、少し進むと道しるべであろう石仏に出くわす。以後我々は道中全部で四つの石仏と出会うことになる。


千倉古道

古道とガイドのKさん


三叉路に出くわし集合写真を撮る。そこには子孫繁栄の願いであろうか、男根を祀る石祠があった。

これも道しるべであろうか。


千倉古道

三叉路付近の古道 : 古道には枝道が多く、ガイドなくしては歩けそうにない。


遠く富山を望める広場を最後に古道は狭くなり、イノシシの水浴び場に出くわしたり、倒木やはう蔓などがある荒れた山道となった。


1時間ちょっとで真野寺の鐘楼堂に出る。眼に入ったのは本堂の東西の壁に居座るあまのじゃくだ。


真野寺あまのじゃく

真野寺本堂のあまのじゃく


それから本堂裏手の新四国八十八箇所霊場をめぐり、本堂前の境内に下りる。

本堂を取り囲む花木は、2011年に訪れた時には桜とアジサイと記憶していたが、今回はミモザとスイセン、エリカとマンリョウの競演も見られた。


ミモザとスイセン

真野寺  ミモザとスイセン


エリカとマンリョウ

真野寺  エリカとマンリョウ


そして、本堂に入り本尊木造千手観音立像(扉の中)と木造大黒天立像に手を合わせた後、大黒天祈祷所へと回る。ここで参拝客が買い求めるのが宝槌と柳守の縁起物である。信心深い(?)KONさんが、

これを(柳守)買わなきゃ来た意味がない、と言うので私も見栄をはって買い求めた。(800円)


真野寺本堂

真野寺本堂 : 前回参拝時の賑わいなく、ゆったりとお参り出来た。


真野大黒天大祭

真野寺大黒天祈祷所 : ここで会員の多くが縁起物柳守を買い求めた。


約30分間の境内散策を終えて鐘楼堂に集合する。ここで、「古道を歩いて真野の大黒さんへ」と題した

また旅倶楽部のガイドツアーの一行と出会う。お互いに顔見知りの人がいて、賑やかな挨拶が飛び交う。

そして、「遊子の会」一行は、元来た道を歩きKさん宅をめざす。

荒れた山道故にKANさんが、はう蔓に足を取られ転倒するというハプニングがあったりしながら分岐点に

着く。ここの枝道は千倉古道の中では外せない道です、との説明に我々は寄り道をすることになった。

山道はさらに荒れた様相になるも、茶屋跡とかお地蔵様、嘉永・・・年と刻まれた石仏が現れ、千倉古道の面影を色濃く残していて、外せない道との説明が納得出来た。


千倉古道・お地蔵様

千倉古道  お地蔵様


千倉古道・石仏

千倉古道  道しるべの石仏


さて、13時過ぎにKさん宅に到着した我々を待っていたのは、Kさんの奥さんとSさん、Iさんが準備してくれた昼食であった。各種おにぎりと豚汁をメインに煮豆、鉈切り漬けやタクワンなどの漬物が6畳間のテーブルにずらっと並んでいた。

そこに何と18名が座り、一斉に食べ始めたのである。!!

隣り合わせたKさんは、皆で食べると美味しいねぇ~、と言う。

確かに何時に無くおにぎりが美味しく普段の倍も食べられたのは何故だろうか。

昼食ボランティアの皆さん、ご馳走様でした。

Kさんご夫妻、ガイドに至れり尽くせりのおもてなしに、ありがとうございました。

昼食懇談

Kさん宅での昼食 : 六畳間に何と何と18名での会食であった。







             



鴨川散歩~天津神明宮・鴨川図書館朗読会

2月4日(火)、立春とはいえ晴れで暖かかった節分とは打って変わった曇り空の寒い日、私は「遊子の会」主宰者YUさんの鴨川を案内しますよ、とのお誘いに、YUさんの車の同乗者となった。


先ず訪れたのは天津神明宮。無論私にとっては初参拝の神社である。

参道を進むと、景色は以下の写真のように変わって行った。


天津神明宮



天津神明宮



天津神明宮


案内板には天津神明神社について、次の様なことが記されていて源頼朝が係わる「房州伊勢の宮」と仰がれている神社であることが分かった。

治承四年(1180)源頼朝が石橋山の戦に敗れ、安房に逃れて来たとき、伊勢神宮に源家の再興を祈念し、祈願が成就したなら、安房の国に御厨(みくりや)一処を寄進しますと礼誓しました。

そして宿願が成就し、寿永三年(1184)当地に御厨を新設し、伊勢より迎えた神霊と、以前より鎮座の

庤(もうけ)大神とを相殿にまつりました。それから、「房州伊勢の宮」と尊崇され今日に至っています。


また、境内には千葉県指定天然記念物天津のまるばちしゃの木が見られ、案内板には次の様なことが

記されてあった。


まるばちしゃの木

千葉県が世界的な分布の北限となっています。初夏に枝先に白色の小さな花が密集して咲き、見慣れない珍しい木の愛称でもある「なんじゃもんじゃ」の呼び名もあり、神明神社の神木として信仰されています。


また、土産物売場に置いてあったチラシで、今日から県内37社をめぐる「ふさのくに神社御朱印めぐり」がスタートしたことを知った。そして、ふさのくにとは安房国、上総国、下総国の三つで、私の住む安房国では次の六社であることが記されていた。

安房神社(館山市)・鶴谷八幡宮(館山市)・岩井神社(南房総市)・高家神社(南房総市)・な越山神社(南房総市)・天津神明宮(鴨川市)


昼食は、以前訪れた際満員であった魚屋が営む食事処池田で取った。私は人気メニューというキンメダイの煮付け定食を注文した。丸々一匹のキンメダイは食べごたえがあり大変美味しかった。(1600円)

そして、隣りのテーブルが館山二中で同じクラスであったY子さんのグループであったことにはびっくり仰天で、ここは知る人ぞ知るお店なんだなぁ~、と思った。


勉強熱心なYUさんは、9日の公民館講座「天津小湊の歩み」の下調べを兼ねているようで、天津公民館や郷土資料館に寄りながら鴨川市立図書館で車を止めた。

鴨川図書館で何を??と思ったら、「新八犬伝」の朗読会への参加であった。

図書館ボランティアと職員による読み聞かせは実に素晴らしく、また複雑な物語も館長による解説で分かり易くなり、すっかり聞き入ってしまった。今回が2回目とのことだが、続きを聞いてみたいと思った。


この日の催しは、「江戸文化を楽しむお話し会」とかで、続いて見返り美人の浮世絵で知られる菱川師宣について菱川師宣記念館の笹生学芸員より「菱川師宣と浮世絵」と題した講話があった。

食後の暖かい部屋での学術的な語りに時折睡魔に襲われて困惑したが、菱川師宣は鋸南町保田出身の浮世絵の開祖で、菱川師宣の浮世絵は元禄の江戸の流行をいち早く情報提供したものであった、という くだりが頭に残っている。


さて、図書館からは遠くに菜の花畑が見える。我々は道路沿いに広がる満開の菜の花畑にも足を伸ばし、鴨川散歩を終えたのであった。


菜の花畑



菜の花畑







寒中のカワハギ釣り

「遊子の会」の新年会の折、私は釣り仲間のKさんに、初釣りにカワハギを提案したところ、「行きましょう」との即答を得た。しかし、時は寒中、暖かく風のない日を選ぶのに四苦八苦する。

そんな中で決定した1月29日(水)の洲崎早川丸からの釣行日はやって来た。

何の根拠もなく「釣れそうな気がする」と言う私に、Kさんは「前日の強風による底荒れで全般的に低調だろう」と予想する。


7時、栄の浦漁港から乗客10名で出船。釣り座は右舷ミヨシ側からKさん、そして私である。

中潮で干潮9時18分、満潮14時40分。釣り場は、12月3日の釣行時とは正反対の洲崎の西側で、伊戸や布良鼻が見える海域であった。船長に聞いたところ、冬のこの時期では本命ポイントとのこと。

遠く海の上には富士山と大島が浮かぶ。


予想に反して風があり波立つ中、開始早々強い引きに良型のカワハギか、と思いきや右隣りの人とオマツリで上がって来たのはウマヅラだった。

その際のトラブルで竿の先端が折れてしまう。o(;△;)o

トラブルと言えば、その後も根掛かりで先糸のナイロンが切れ、2回も仕掛けを全て失った。

仕掛けとは、集魚板~5号の3本針仕掛け~30号のオモリとつなぐ胴付き仕掛けである。


さて、釣果の方だが、波立っている割には結構アタリはあった。しかし、スッポ抜けたり巻き上げ途中で

バレたりと残念な思いをする。徐々に慣れて来るにつれ、カワハギの引きの良さを楽しみながら釣り上げることが出来るようになった。

そして、10時頃風が止み波もおさまったので、これからだと意気込んだが、アタリはめっきり少なくなってしまった。(;´Д`)ノ

数少ないアタリに私の悪い癖が出て竿を左手でポンと跳ね上げてしまう。結果はスッポ抜けとなり釣果は

伸びずじまい。船長は船を盛んに走らせるも船中(右舷)ポツリポツリの釣り。

おかみさんから13時半沖上がりと聞いていたが、あと1時間の時点で私のカワハギの釣果は9匹。

しかし、外道は多彩でヨッシャーと思いきや、それはイトタマガシラやキタマクラ、トラギス。

いい引きだねぇ~とワクワクして巻き上げるとカゴカキダイのダブルという始末。


何とかツ抜け(10匹)をと思っていたら、船長はしびれを切らしたのか、12月3日の釣行時の釣り場、即ち

洲崎の東側定置網周りへと船を走らせた。しかし、ここでもアタリは遠く船はウロウロ。

でも、神様は見放さなかった。終了寸前(13時半前)右隣りの人に続いて私にもヒット。

やっとツ抜けを達成出来たのである。(=⌒▽⌒=)


それから、すぐまたアタリ。強い引きにルンルン気分で釣り上げたのは何とミノカサゴであった。水族館で

見かける棘のいかつい奴だ。船長が怒鳴った。「危ないから手で触るな!」

すると、親切な右隣りの人がトングで抑えて棘を鋏でバサバサと切ってくれた。

私は、内心ブログの格好の写体になるな、と思ったので少し残念だった。

それから、船長は30分延長して14時沖上がりの時間となった。

船長は、鋏を持って私の所に来て、さらに念入りに棘をチョキチョキ、煮て食べてみて、と言った。

また、低調の原因は前日の強風による底荒れですかねぇ~、との私の問いに、それもあるかも知れないが水温が下がっちゃったからねぇ~、と答えた。


今回の釣行では、Kさんの予想が的中してしまった形だが、結論としては、もう寒中のカワハギ釣りは止めにしよう、と思った次第である。


カワハギ釣り(私の釣果)

私の釣果 : カワハギ10枚(15~22cm)、ウマヅラ1匹、丸坊主になったミノカサゴ1匹

         イトタマガシラ1匹


鎌倉散歩~極楽寺・成就院

昨年の11月24~25日にかけて、初孫るいちゃんの誕生会で鎌倉極楽寺を訪れた際に撮った写真を

掲載しよう。


極楽寺駅

江ノ電極楽寺駅 : ひなびた雰囲気、赤いポストが懐かしい。


極楽寺駅ホーム

極楽寺駅ホームと江ノ電 : 線路の上に架かる桜橋より撮影


極楽寺

極楽寺山門 : 入口は右、出口は左  山門前にはアジサイ


極楽寺は、江ノ電極楽寺駅に面して立つ鎌倉唯一の真言律宗の寺。開山した忍性は、社会事業や慈善事業に力を注いだというだけあって、境内には薬作りに使用したという石臼や製薬鉢が残されている。

(ガイドブックより)


極楽寺

極楽寺山門~本堂 : 境内は撮影禁止。短い参道には桜並木、本堂前には大きなサルスベリ


月影地蔵

月影地蔵堂 : 極楽寺駅から徒歩5分、初孫るいちゃんの住まいのすぐそば。

          周辺は山里の感じ、山間や崖に家が建つ。

極楽寺駅の案内板に、十六夜日記の作者阿仏尼滞在の地「月影ヶ谷」とあることから、月影とは地名の

ようである。


月影地蔵

月影地蔵


極楽寺切通し

極楽寺坂切り通し付近 : 桜橋から長谷方面に歩いてすぐ。右手の階段を上ると成就院がある。

                 極楽寺を開山した忍性が開いた道と伝えられる。(旧道)

元弘3年(1333年)、新田軍の鎌倉攻めの際には、この辺り一帯が火の海と化し、極楽転じて地獄の

様相になったという。


成就院

成就院アジサイの参道 : 由比ガ浜を望む108段の階段両側に般若心経の文字数と同じ262株の

                 アジサイを元弘の役供養の為に植える。(成就院略縁起より)


由比ヶ浜

由比ガ浜 : 成就院より撮影


成就院

成就院山門~本堂 : 弘法大師の由緒ある地に立つ真言宗の寺


成就院

成就院山門~本堂


成就院

成就院 縁結びの不動明王 (境内)











「遊子の会」新年会~2014・安房自然村

1月15日(水)、館山でも初雪が降り我家の庭や畑はうっすら雪化粧、寒~い朝を迎えた。

今日は、安房自然村(館山市布良)で宿泊込みの「遊子の会」新年会の日である。

しかし、雪は早々と止み心配はなくなり、私共夫婦はドライブ気分で集合時間の16時少し前に安房自然村に到着する。


初雪

初雪に我家の庭や畑はうっすら雪化粧


安房自然村

安房自然村 : 建物はホテル正翠荘  能忍寺展望台より撮影


園内約5万坪の敷地という安房自然村は広い広い。ホテル正翠荘に集合した皆は、めいめい割り当てられた部屋に入り、18時半からの開宴までゆったりとくつろぐ。

宴会場は、郷愁を感じさせる茅葺き屋根の名主の館である。

私は、男性会員と一緒に舞台の飾り付けとテーブルに参加31名の席を示すカードを並べる。

テーブルでは、9名の男性が等間隔に配置されホスト役となる。

全ての人が自分が引いたカード番号が座る席となる。

YUさん(主宰者)は、うまい仕組みを考えたものである。

それから、温泉に入ることにした。それは、不老山薬師温泉と言い洞窟を抜けるとあった。

露天風呂にゆったりと浸かったが少し黄色味がかったお湯であった。


宴会はYUさんの挨拶から始まった。

「遊子の会」も発足から6年が経過し、今回で40回の集いを迎えましたが、50回まで頑張りたい、との頼もしい話であった。


新年会

新年会 : 主宰者YUさんの挨拶


西岬のSさんの音頭で乾杯後、飲んで食べての懇談となる。

そして、YUさんからの新春プレゼントとして東北玉川温泉へのバスツアーの企画が発表された。

それは、例によってあわみなみ交通の貸切りバスで、5月の連休後、東北玉川温泉2泊3日39,800円というものであった。

YUさん、練りに練っての破格の安値設定に舌好調。それに応えて、即満席。いやはや、皆さん元気元気である。


新年会

新年会 : 東北玉川温泉への旅の企画を発表するYUさん


宴もたけなわとなりプレゼント交換となる。回収した席のカードをバラバラにした後、YUさんが取り出した二枚のカードの持ち主二人が壇上で今年の抱負を述べてから、持ち寄った贈り物を交換したのである。

贈り物は即公開されるので、皆の反応は様々で大いに盛り上がる。

しかし、31名もいるとあっという間に時間が過ぎ、芸達者が披露する芸も笠名のSさんの民話のみとなってしまった。
聞くところによると、他に阿波踊り、どじょうすくい、小話、手品などが登場する予定だったそうだが、いずれのお楽しみとしよう。かくして、3時間におよぶ新年の宴会は終わったのであった。


民話

新年会 : 民話の達人Sさん登場


さて、翌朝部屋のカーテンを開けると、海の上に富士山が出現!!

私は、この景色を高台から見ようと同室の天津小湊のHさんを誘って園内の能忍寺への早朝散歩を決行した。期待にたがわず雪を抱いた大島が間近に見え、不老山能忍寺の裏手では、海に浮かぶ富士山と布良海岸から平砂浦海岸の素晴らしい眺望を楽しむことが出来た。


能忍寺     能忍寺

能忍寺 : お薬師様を祀る               能忍寺 : 敷地の一角に布良海岸に遊ぶ高田敏子

                                       の詩碑もあった。


レストランラウンジ花回廊での朝食後、三々五々館山駅近くのカラオケ・シダックスに11時に集合し、昼食を取りながら3時間程、12月と1月の誕生者を祝う誕生カラオケ会に興じる。

これに16名が参加して歌いまくったのであった。そして、「遊子の会」新年会はお開きとなった。

「遊子の会」の皆さん、今年もよろしく!!