妙音院・安房高野山霊場八十八ヶ所
私共夫婦は、月に2度区長宅に伺い、班長に届けるべく市の広報誌「だん暖たてやま」や回覧等の仕分けを行う。作業が終わるとお茶を飲みながらの懇談となる。
その折、妙音院の裏山にある安房高野山霊場八十八ヶ所の話が出て、後日私が妻と同級生の奥さん・
MASAKOさんを案内することになった。
2月21日(土)晴れ、MASAKOさんと私共夫婦は妙音院(館山市上真倉)の山門をくぐる。
私は、妙音院は古義真言宗のお寺で安房高野山とも呼ばれ、里見家の祈願寺と話す。
オハツキラッパイチョウと焼け焦げた跡の残る旧鐘楼堂から一昨年新築なった本堂にお参りする。
オハツキラッパイチョウ : 妙音院の大イチョウはギンナンが葉の先に付くオハツキイチョウと葉がラッ
パ状に丸まるラッパイチョウの両方の特徴ががある。
旧鐘楼堂 : 太平洋戦争東京大空襲の後、一発の焼夷弾が妙音院に着弾し、唯一焼け残ったのが
鐘楼堂と山門という。
安房高野山霊場八十八ヶ所めぐりのスタートである。入口で安房高野山霊場の由来を読む。
安房高野山霊場の由来
私は、遊歩道沿いの斜面にはやぐらが幾つもあり、その中に石工作りの88体の大師尊像(弘法大師像)が祀られている。88体には番号があり、それぞれが年齢を表わしている、と話す。
1番 出生 : スタートは出生門から
34番 身替大師 : 展望台で一服後、ちょっと変わった姿に出会う
隠れ紅葉スポットの尾根道
遊歩道から竹林を見下ろす
63番 : 木の根元の大師尊像に出会う
60番台で自分の年齢の大師尊像を見つけたMASAKOさんは、ねんごろに手を合わせた。そういえば、
信心深いMASAKOさんは、途中息子さんの番号だと言ってお祈りしていたが、その後ご主人(区長)の
為に手を合わせた形跡はなかった。
今風の顔の大師尊像に出会う
88番 米寿 : 88ヶ所めぐりのゴールは、有終の美を飾る身辺整理の81番化粧坂を過ぎてすぐの米寿
妙音院を辞してから、絵画や歌舞伎に興味があるというMASAKOさんに、私はオプションだと言って絵の展示空間「遊水庵」を案内した。
遊水庵(館山市沼)は、元旅館小鉄で鎌倉長谷在住で平山郁夫画伯門下生の画家佐藤氏が、依頼された鋸山日本寺襖絵の創作活動のために移住されたところである。
くれると言ったら、どの絵にする?、との私の問い掛けに2人は熱心に絵を見る。
そして、奥の間で静かな物腰の奥様から紅茶をご馳走になり、絵にまつわる話や同じく私の娘家族が住む鎌倉に話がはずむ。
そんな中で、MASAKOさんからの、ここは皇室の方の別荘だったと聞いていましたがの問い掛けに、奥様は小鉄の前はそうでしたと説明してくれる。
凝った作りの和の空間に、そういうことだったかと私は納得した。
妙音院・安房高野山霊場八十八ヶ所も遊水庵も、お互いの家からすぐ近くだが、初めて訪れたと言う
MASAKOさんが、私のガイドにとても良かったと楽しんでくれたのは何よりであった。
高塚不動尊と周辺散策
地域ガイド団体また旅倶楽部の月イチウォーキングの1月は、「高塚不動尊と周辺散策」である。
一度は行ってみたいと思っていた高塚不動尊の例大祭見学と高塚山(標高216m)ハイクが期待できそうなので、私は日頃のウォーキング不足解消を兼ねて、妻を誘って参加した。
1月28日(水)のことである。
真冬の寒さの予報にどうなることかと思ったが、よく整備された高塚山ハイキングコースは、風もなく寒さを感じることはなかった。そして、顔見知りとなったメインガイドの金久さん(女性)と佐藤さん(男性)の話を興味深く聞きながら、いつもは海辺から眺めている千倉の山を楽しく歩くことが出来た。
また、最後に見学した高塚不動尊の大般若会での転読という祭事は圧巻であった。
かくして、歩数計も久し振りに1万歩を超え、有意義な一日を過ごすことが出来たのであった。
行程
道の駅潮風王国(南房総市千倉町)9時30分発→早川雪州生家→前不動(旧七浦小学校そば)→
大聖院本堂・高塚不動堂(高塚不動尊)→元不動(奥の院)→汐の香コース→堰(昼食)→長性寺→
高皇産霊神社→高塚不動尊大般若会→潮風王国15時着
早川雪州生家・前不動
露地花畑を抜けて、先ず案内されたのが「戦場にかける橋」で知られるハリウッドスター早川雪州の生家である。周辺は千田地区といい、かつて住民はアワビ漁で米国モントレーへ出稼ぎに出た。
また、雪州は米国船が難破した際に通訳をした。それらが渡米のきっかけになったのでは、と話す。
それから高塚不動尊へ向かったのだが、参道入口とも言うべき所で石仏に出合う。
それは前不動と紹介される。
高塚不動尊参道入口に立つ前不動
大聖院本堂・高塚不動堂(高塚不動尊)
千倉町の高塚不動の信者は、決して鰯と蟹を食べないという。
それは、昔々七浦の海に浮かぶ不動様を鰯が浜まで運び、それから高塚山の上までは蟹が運んだ。という民話があるからだと話す。
大聖院本堂(だいしょういんほんどう)に到着。
お参りするも波の伊八の欄間彫刻は、外からは、はっきり見ることは出来なかった。
それから本堂裏手に回り、階段を上り高塚不動尊へ。くすんだ黒色の不動明王を参拝する。
海上安全、大漁満足の仏様とか。龍の向拝彫刻には思わず見入っていまった。
後藤義光門下生の作とか。
高塚不動尊 : 参道入口から不動尊への参道には露店が並び例大祭の賑わいがあった。
元不動堂(奥の院)~汐の香コース~堰(昼食)
大聖院本堂横から奥の院への登山道に入る。高塚山ハイクの始まりである。
高塚山自然環境保全地域の案内板が目に留まる。
スタート時の縦幅の広い石段はきつかった。しばらくして千倉の海岸を見渡せる休憩スポットに着く。
中々の眺めであり、また登山道すぐ下の不動の滝の源という農業用ため池もマテバシイの木漏れ日に、
ちょっと幻想的であった。
休憩スポットから千倉の海岸を望む
それから登山道には富士登山記念碑や伊勢・琴平参拝記念碑が現れる。
伊勢・琴平参拝記念碑
さらに登山道両脇には、七浦小学校の生徒が植樹したという苗木が奥の院まで続いていた。
苗木には生徒の夢が書かれた木札がぶら下がっている。「セブンイレブンの店員になりたい」には笑い声が上がる。帰りに知ったのだが、前不動そばのコンクリート製の立派な建物が七浦小学校で、統合により
今は廃校だという。つまり、苗木は廃校記念樹でもあったのである。
登山道には七浦小学校の生徒が植樹した廃校記念樹(?)が続く
そして奥の院(元不動堂)に到着する。風神雷神門をくぐり迫力ある狛犬を目にし元不動堂にお参りする。
元とは、かつてこの地に不動尊が祀られていたことを意味し、不動堂の焼失により現在地に遷された歴史を秘めると言う。
奥の院 雷神の石像
奥の院(元不動堂) : 1169年頃からこの地に不動尊が祀られてきた。
奥の院 狛犬 : 初代後藤義光の作 子獅子が親獅子に寄り添っている。
奥の院境内は高塚山山頂(標高216m)でもあり、一角からは遠く千倉沖が見渡せる。
渡米する早川雪州一行を見送った所とも言う。
奥の院を辞するにあたり、私は登山道を振り返ってみて、山道なれど随所に石段が現れこりゃ~参道だ、と思った。
下山は、伊勢・琴平参拝記念碑を少し過ぎた三叉路から汐の香コースに入った。
落ち葉を踏みしめての快適な尾根歩きである。しばらくして大きな堰に出くわし、その土手下の広場の一角で昼食タイムとなった。
長性寺・高皇産霊神社・高塚不動尊大般若会
麓に下りて先ず訪れたのが長性寺(ちょうしょうじ)。我々は住職やおかみさんからお茶をご馳走になってから、裏手に回り鯨塚を見学。続いて三十三段の石階段を上り観音堂にもお参りする。
鯨塚の謂れ : 古来から鯨は霊獣と考える住民は、明治29年(1896年)鯨を捕獲した時、肉部門は
食用として分配し、住職に相談して心臓部は埋葬するために供養塔「鯨塚」を建立し
手厚く供養しました。
長性寺 : 観音堂登り口には鯨塚がある。 鯨塚
長性寺 : 三十三段の石階段を上り観音堂にもお参りする。
次に訪れたのが高皇産霊神社(たかみむすびじんじゃ)。
畑の中をまっすぐに延びる参道には、どでかい一対の幟が建ち、麓の神社拝殿前には一対の日の丸が合掌式に掲げられている。
畑の中の参道から高皇産霊神社へ向う。
二の鳥居で参道に少しはみ出ている蛇岩と呼ばれる岩の謂れを聞く。
昔千田の村人たちが、この岩を取り除こうとした時、岩から大きな白い蛇が出て来たのです。その蛇は
頭が幾つもある怪蛇でしたから、村人たちは恐ろしさのあまり逃げ出しました。
少し時が立ち、村人たちは岩から出た白い蛇を高皇産霊神社を守る神蛇だと考えるようになり、蛇の
棲処だった岩は永久に残そうと決めました。
二の鳥居右下にあるのが蛇岩
ここで一旦解散になったが、希望者は14時からの高塚不動尊で行われる護摩焚きに案内しますと言う。
私は、護摩焚きは経験済みではあるが一応参加することにした。
不動明王を前に護摩焚きは始まった。その内中央のお坊さんを取り囲む数人のお坊さんたちが、自分の
前に山と積まれた経典を声を出して次から次へとすごいスピードでパラパラとめくり出した。
その迫力たっぷりの読経に集まったカメラマンがしきりとシャッターを押す。
それは、後で分かったのだが、三蔵法師が訳した「大般若経」600巻を数人で転読する(パラパラとめくる)大般若会という祭事であった。
勘違いの参加で、転読なるものを見学できたのは幸運であったが、写真を撮れない場所にどっかと座り
込んだのは残念であった。
露地花畑を抜けて潮風王国に戻った。
館山若潮マラソン
1月25日(日)、館山の冬の風物詩若潮マラソンが、無風快晴で温暖なコンディションの下に行われた。
房日新聞によれば、市民運動場を発着とするコースに過去最多の1万299人のランナーが出場したという。
この日私は、妻と一緒に我家から歩いて6~7分の西ノ浜海岸通りで応援しようと10時に家を出た。
お目当ては「遊子の会」のKUDOUさんと、近所で野菜作りや地区の役員仲間のTさんへ声援を送り、
あわよくばその勇姿を撮ることである。
フルマラソンのトップ集団は、すぐにやって来た。鍛えられた身体で走り抜けて行く。
フルマラソンのトップ集団 : こんな感じにKUDOUさんやTさんを撮るつもりだったのだが・・・・・・。
西ノ浜海岸通りの応援席には、近所のKさんが英語のメッセージ入りのプラカードを持って立っていた。
Kさんは館山国際交流協会ベリンハム委員会に所属していて、米国の姉妹都市ベリンハム市から出場の
ランナーを応援するために来たのだと言う。
少しして、地区の役員仲間のSさんの奥さんも応援にやって来た。奥さんは、すぐに手をたたいてガンバレ!ガンバレ!と声援を送る。
ずいぶん知り合いの多い人だなぁ~、と思ったら、ランナーは声援を受けると嬉しいものよ、と言う。
また、かつて自分も出場したことがあると言い、若潮マラソンの裏話をしてくれた。
お陰で私共も、手をたたいてガンバレ!ガンバレ!と声援を送ることになったのだが、手を上げて応えたり中にはハイタッチするランナーもいたりして和気あいあいと応援することが出来たのであった。
ガンバレ!ガンバレ!の声援に手を上げて応えるコスプレランナー(フルマラソン)
Kさんのプラカードに応える先日マラソン日本一周を果たした笹子夫婦(フルマラソン)
Kさんのプラカードに応える米国の姉妹都市ベリンハム市からのランナー(フルマラソン)
お目当ての人KUDOUさんは、まだ来ない。通りはランナーの波である。
探し当てるのを諦めかけていたら「・・・さ~ん」と私の名前を呼んで走り抜けて行くランナーが現れた。
何とKUDOUさんが私共に気付いてくれたのである。私は慌ててカメラを構えピースサインで振り返ってくれたKUDOUさんを何とか撮ることが出来たのであった。
応援の私共に気付いてくれた余裕のKUDOUさん(フルマラソン)
それから10時50分発の10kmの部に出場するTさんを待った。
今度は妻が見付けて、私よりも年長だが元気に走り抜けて行くTさんを撮ることが出来た。
Tさんは、毎日のウォーキングや早朝の城山山頂でのラジオ体操の成果であろうか、いつも所作が若々しい人である。
私より年長のTさんがやって来た 右端 (10km往路)
10kmの部は鷹の島往復なので、少し待つと帰路のランナーが続々とやって来る。
Tさんもしっかりした足取りで折り返して来た。
帰路もしっかりした足取りのTさん 左端 (10km帰路)
その他にも数人の知人が走って来て、私の声援に気付いて手を上げたりハイタッチで応えてくれた。
そんなこんなで、私は応援側なれど十分に若潮マラソンを楽しんだのであった。
2014・秋冬野菜~タクワンを漬ける
やわたんまちを境に、即ち9月中旬から、私は秋冬野菜の種をまいたり苗を植え付けたりと畑仕事に精を出した。
種から育てたもの : ダイコン・ちぢみホウレン草・コマツナ・シュンギク・スナックエンドウ
グリーンピース・サヤエンドウ・サニーレタス
苗から育てたもの : ハクサイ・ブロッコリー・茎ブロッコリー・サラダ菜・ワケギ(球根)・ナバナ・玉ネギ
10月には2週連続で(6日と13日)台風が来襲したが、ネット張りや支柱立て通過後は水洗いの処置により何とか前年の二の舞を避けることが出来た。
しかし、ブロッコリーだけは植え直しを余儀なくされ、その後も成育が悪い。
秋冬野菜の我家の畑 12月5日撮影
野菜作り談義の中で、いつもたね類を提供してくれるMさんに、シュンギクが例年にない上出来だ、と話したら同じだと言う。天候故であろうか。
さて、ここからは上手く漬けることが出来、差し上げた人から美味しいとほめられたタクワンについて書き留めておきたい。
ダイコンの収穫~水洗い~天日干し
タクワン用にいつもより早目の11月27日に28本を収穫。水洗い後ベランダにて約1週間天日干し。
ダイコンの天日干し : 手で曲げられるようになるまで干す 夜は室内に取り込む 11月30日撮影
タクワンを漬ける~12月7日
配合 ダイコン 28本 10kg
塩 (40g/ダイコン1kg) 400g
ぬか (267g/ダイコン1kg) 2,670g
タクワンの素 (7g/ダイコン1kg) 70g
*タクワンの素にはウコンが配合されていて、それでタクワンはわずかに黄色く着色する。
たるにぬかを投入。その後3回に分けて塩、タクワンの素を投入。その都度手で混ぜ合わせぬかの
混合物を作る。
別のたる(30L)にぬか混合物を敷きその上に 同じ操作で3段となし、最上部にもぬか混合物を敷く
タクワンをきちんと並べる
最上部にはダイコンの葉っぱを敷く 中蓋を敷き、その上に重しをのせる。重しはダイコン
の重量より少し重いもの。今回は15kg
蓋をしてたるをビニール袋で覆い北側の屋外に放置
(前年は物置放置でカビが発生)
タクワンの出来上がり
2週間後、水の上がりを確認したところ上部は湿っただけの状態なので、呼び水としてスプレーで水を
散布する。
3週間後(12月28日)、試食したら甘味がありまずまずの出来栄え。
タクワンの出来上がり:12月31日撮影 上部中央に水上がる 上部のタクワンを取り出し重しを15kg
から8kgに変更。
前年の失敗から、いくつかきめ細かな注意を払ったところ、お正月は美味しいタクワンを食すことが出来、
また差し上げた人からはおほめの言葉を頂戴した。
気を良くして2回目は14本漬けたのだが、何故か漬け過ぎのような濃い味となった。
そこで、4本ほど桜チップで燻製を施したところ、日本酒のつまみに打って付けの大変美味しい「いぶりがっこ」もどきが出来上がった。差し上げた人からは絶賛のメールが届く。
かくして、我家の2014年夫婦共同作業のタクワン漬けは大成功をおさめたのであった。
「遊子の会」新年会~2015・芳喜楼
1月8日(木)晴れ。11時の開宴を前に「遊子の会」の皆さんが、新装なった中華レストラン芳喜楼に
三々五々やって来た。
そして、新年の挨拶を交わしながら、自分が引き当てたカード番号と同じ番号のあるテーブルに着く。
舞台付の大広間には、6つのテーブルが用意されていて、9名の男性会員は分散して着席。
こうした主宰者YUさんの粋な計らいで総計30名が顔を合わせたのであった。
新年会は、YUさんの今までのイベントを振り返る挨拶で始まった。
皆が手にした紙片には、今までのイベントと現会員の初参加日が記されていた。
それによると、今回の新年会は第45回で、私の初参加日は第5回平成21年3月5日「大島の椿」で、
現会員では17番目の入会者であることが分かった。
これは、YUさんの「遊子の会」と会員に対する思い入れがびっしり詰まった紙片だな、と思った。
今までのイベントを振り返っての主宰者YUさんの挨拶
YUさんは挨拶の終わりに、今年は羊年開会の挨拶はHさん、乾杯の音頭はN子さん、閉会の挨拶は私の三人の羊年生まれにやってもらうと言う。(^_^;)
総計30名が出席した第45回「遊子の会」新年会
天津小湊のHさんの開会の挨拶の後、YUさんの指名により皆にマイクが回り、一言挨拶となる。
バスツアーでの一言挨拶できたえられたせいか、30番・・・ですなどと名乗ったりして、皆さん手短で中々
上手であった。
そして、YUさんの妻N子さんによる乾杯の音頭となった。しかし、「遊子の会」では歴史的ともいえるこの瞬間を自称専属カメラマンの私は撮り損なってしまった。痛恨の極みである。
原因は加齢故、平に御容赦!御容赦!下され~。
それから、中華料理が後から後から運ばれて来て会食懇談となる。
車の運転の為、アルコールがごはっとな私には、中華料理は美味しくともビールを飲みながらでないと
沢山は食べられないな、と思った。
食後は余興の部へと移り、先ず各テーブルから一人ずつカラオケで歌う。
私にも番が回って来て、いつもの南部蝉しぐれに替えて峠越えを歌う。しかし、完璧!とは行かなかった。
時間がない為か、多くの芸達者の出番がなかったのが少し残念であった。
カラオケタイム : 館山の冬の風物詩1月25日に開催される若潮マラソンに参加するというKUDOU
さんが、裕次郎を歌う。
そんなこんなで、余興の部最大の目玉はプレゼント交換となった。手作り品や捨て難い不用品などを持ち寄って、くじ引きでペアーとなった二人が壇上でプレゼントを公開して交換するのである。
中身が明かされる度に感心したり、うらやましがったりの喚声がわく。
私はと言えば、この日を意識して育てたライムポトスとオリヅルランの鉢を用意した。
それは、長須賀のYさんに当たった。Yさんは私の車に同乗して会場入りしたのだが、車中で私の鉢が欲しいなぁ~、と言っていたので本当に良かったと思った。
プレゼント交換 : 偶然にも義姉妹で交換
プレゼンント交換 : KANAIさんからは、昨年秋のバスツアーでの写真スポットめばね橋(旧中山道)の
写真が額入りで。
プレゼント交換 : 千倉のMさん(男性)からは、室内履きの布製の手作り草履
プレゼント交換 : この日唯一着物姿で花を添えたマチコ先生から手作りのアワビの加工品をもらうこと
になり、Hさんの顔がほころぶ。
プレゼンント交換 : これは珍しい、Ishiさんからは皇室のカレンダーが
あっという間の4時間が過ぎ、私は閉会の挨拶で、皆さん健康に留意して今年も楽しい旅をしましょう、と結んだ。そして、最後はKANAIさんによる関東一本締め三三三の一の手締めでお開きとなった。
YUさん、会員の皆さん、今年もどうぞよろしく。
洲崎沖のカワハギ釣り~2014.12
12月26日(金)、私は釣り納めにと「遊子の会」の仲間のKさんを誘って、洲崎早川丸からのカワハギ釣りに行った。
6時30分出船、13時30分帰港の釣りタイムで、当初は相変らずのエサ取りに大いに困惑したが、あきらめずにねばった甲斐あって昨年を1匹上回る自己新の22匹を釣り上げることが出来た。
しかし、4人の釣り客の中では最下位で、34匹のKさんには完敗であったが、まだまだ行けるとの思いが
湧いて来て満足の釣行となった。Kさん、お疲れ様でした。
カワハギ釣りの釣果 : カワハギ22匹、イトタマガシラ2匹
釣り場は休暇村と富浦ロイヤルホテルのライン上が主であったので、洲崎沖というよりも見物海岸沖であろうか。三方を山に囲まれた館山湾の朝は素晴らしい眺めだ。
開始早々、少し波立っていたが、1匹釣れた。左隣りの人(54匹の竿頭)は、竿先に出るアタリでさっと合わせ実によく釣り上げている。そこで、私も昨年船長から竿先から目を離さないようにとのアドバイスを受けたこともあって、誘ってから竿を止め竿先へのアタリを待ったがエサを取られっぱなし。
海上は穏やかになるも、これが9時前まで続き、すっかり困惑の態となる。
一方、右隣のKさんは、大きく竿を動かして誘った後、即聞き合わせで実によく釣り上げている。
そこで、私は誘った後竿を止めないKさんの釣法に切り替えたところ、アタリを取る(感じる)ことが出来るようになった。ダブルヒットの快感もあり、バタバタと釣れて9時30分にはツヌケ(10匹)することが出来た。
それから、目標を10匹から20匹に変更。この日の仕掛けはオモリ30号使用で3本針であるが、11時頃に針掛かりしなかったりバラシが何度か続いたので、良くヒットする一番下の針を交換。
また、Kさんを真似てオモリにも針を結ぶ。
目標達成確認のため、12時30分頃にタルからクーラーに移し数えたら18匹。沖上がりの13時過ぎまで
目標にあと2匹となる。
ここで、意気込み集中したら、バタバタと4匹釣れて、終わってみれば自己新の22匹を釣り上げることが出来た。
そして、カワハギ釣りの素人は、昔の東京湾の冬の風物詩カレ-釣りのコヅキ釣りの要領で、動きの中で
アタリを取る(感じる)ことかな、と思ったのであった。
低名山堂山に登る~富浦ウォッチング
堂山は、館山市船形と南房総市富浦町の境にある低名山で標高は107.5m。
館山(南側)から見ると船を伏した形に似ている。また、民話「堂山の白ぎつね」の舞台として知られる。
私は、かねがね一度は登ってみたいと思っていたところ、富浦エコミューゼ研究会が主催する通称富浦
ウォッチングの12月例会が「低名山の原点堂山~ここを登らないと語れない~」であることを知り、早速
妻と一緒に参加した。12月13日(土)のことである。
妻はと言えば、昼食にやまきのラーメンをご馳走するとの誘いに乗っただけのことだが、小さな旅のサークル「遊子の会」からは、私共を含めてでそんかみの会員が7名も参加した。お陰で和気あいあいとした
山登りになったのであった。
それでは、メインガイドの話を中心に山登りの模様を振り返ってみよう。
富浦元気倶楽部を9時に出発。国定公園の境という道に出る。即ち堂山は国定公園という訳である。
道の奥行きの田んぼには水が湧き出る所があると話す。
右(西)に少し歩いた所で二度目の説明がある。そこにはサンゴ化石と砂が置かれてあった。
道路の拡幅工事で見つかったとのことだが、6,000年前は海だったと話す。
山の麓での湧水やサンゴ化石とは、私の住む岡沼区(館山市)の里山と同じだと思った。
北側登山口(富浦側)からの山登りスタートである。急な山道に木々の間をすべらないように一人ずつよじ登る。ありがたいことに難所にはロープが張りめぐらされ、何故か体を支えるために触れたくなる所に立つ樹木・カラスザンショウの棘は削られてある。ガイドの人達が準備してくれたのである。
お陰で何とか無事尾根に出て三角点で一休みする。
堂山三角点
堂山三角点から富浦の町を望む
尾根道と言えども両サイドは樹林で、時折隙間から海らしき景色が見えるだけである。
少し進んだ所でアナグマのトイレ発見。ガイドは写真を見せアナグマについて語る。
アナグマはイタチ科でタヌキはイヌ科。きれい好きで棲家から離れた場所で家族で用を足すと言う。
また、別のガイドからは、コゲラの巣穴を見せてもらう。入口は見事な円となっていた。
アナグマのトイレ発見 : ガイドからアナグマの習性を聞く
それから、尾根道からそれて少し下る。祠を案内すると言う。
その祠の前で、女性ガイドが民話「堂山の白ぎつね」を紙芝居で聞かせてくれる。
紙芝居によれば、どうやら祠は村人に間違えられて殺された白ぎつねの霊をお祀りするために建てられた此倉山(このくらやま)の祠ということのようである。
民話を聞かせてくれるのが富浦ウォッチングの特長であるが、現地で聞くのは迫力があるというものだ。
此倉山の祠前で、民話「堂山の白ぎつね」の紙芝居が演じられた。
再び尾根道に戻ったところで、三角点の石柱に東京都のマークがある謎についての話があった。
話は、船形町の明治42年に東京市養育院安房分院として開設された船形学園誘致のいきさつから
初代院長の実業家渋沢栄一の尽力による那古船形駅の開設へと進み、東京都のマークは船形学園の所有地であることを意味すると結んだ。
それから、かつての石切り場をのぞく。そこは鏡ヶ浦(館山湾)のビューポイントであったが、冷たい風が強く吹き付け、そそくさと退散下山となった。
富浦びわ倶楽部へ向う帰路、私は堂山を振り返りカメラのシャッターを押すたびに、なだらかな低山なれど、まつわる話は興味深く良い山登りだったな、と思い起こすのであった。
富浦側から望む堂山と菜花畑
追記
城山山頂(館山側)から望む堂山。手前は鏡ヶ浦(館山湾) 12月23日撮影
マザー牧場イルミネーションとジンギスカン
「遊子の会」主宰者YUさんとの話、「マザー牧場ではイルミネーションを始めたそうだから、ジンギスカンを
食べながら見るか」があれよあれよという間に24名が参加しての「房総の遅い紅葉とマザー牧場 :
イルミネーションを見ながらジンギスカンを食べる会」となった。
12月9日(火)、大型乗用車4台に分乗して北条海岸ココス駐車場を出発した行程は次の通りであった。
館山(ココス駐車場)→鋸南水仙郷→志駒渓谷もみじロード→銘水滝の不動尊→鹿野山・神野寺→
九十九谷公園→マザー牧場→館山(ココス駐車場)
道中、至る所でもう水仙が咲いている。鋸南町に入るとそれが群生して見られる。
しかし、志駒の紅葉は完全に終わりとなっていた。
銘水滝の不動尊 : 志駒を訪れる際の定番だが、持参したペットボトルに銘水を汲み持ち帰る。
鹿野山神野寺に寄り、山門~本堂~奥の院と巡る。YUさんは、今年もあとわずか、「懺悔の祈り」をするように、と言う。(;^_^A
神野寺山門
神野寺本堂
神野寺奥の院 : 奥の院天狗の大下駄に触れて足腰のご守護と健康を祈念
神野寺新年のよそおい : 来年は羊年
神野寺の真紅の紅葉はあとかたも無かったが、九十九谷の夕景は実に良かった。昨年も訪れているが、
夕景は初めてで名画の舞台はさすがだ!!
九十九谷の夕景 : 東山魁夷の出世作「残照」の舞台
九十九谷の夕景
九十九谷公園から車で5分。目的地のマザー牧場キラキラファームに入る。日も暮れて寒い!
先ず、ウエルカムツリー前で集合写真を撮ってから次にマザーツリーをバックに車毎に撮る。
私には、イルミネーションは予想以上の美しさなのだが、一行は寒いせいなのか、そそくさとジンギスカン
ガーデンズに向う。
マザー牧場イルミネーション : 寒い寒い!ジンギスカンへ行こう行こう!
マザー牧場イルミネーション : いつもの専属モデル不在の中、大御所N子さん登場。 感謝!
ジンギスカンガーデンズ : バイキング形式で、ラム肉の他に牛肉や豚肉、野菜、ご飯、プチケーキ等が
食べ放題
ジンギスカン鍋で具材を女性会員が焼いてくれるので、私は殿様気分で美味しくたらふく食す。
しばし懇談後、帰り道は海沿いを走って、19時過ぎに北条海岸ココス駐車場に戻る。
飛び交う「どうぞ、良いお年を」の中、マザー牧場へのドライブの旅はお開きとなった。
ガイドのYUさん、運転手の皆さん、ありがとうございました。
紅葉~2014・城山公園
妻を誘って紅葉狩りと洒落た。
場所は城山公園(館山市)山頂の茶室・雁月庵の庭園。時は11月30日(日)午前9時30分。
カメラマンがちらほらいるだけの静寂な庭園は、紅葉が朝日に映えて色鮮やかな秋を醸し出していた。
城山公園 茶室・雁月庵の紅葉
カメラマンの中に、私の住む岡沼区のSさんがいた。Sさんの写真は、冨浦枇杷倶楽部や元気倶楽部のギャラリーで拝見したことがある。私の様な記録写真と違って芸術的である。
この日も、マクロレンズで流れる水に浮かぶ落ち葉にシャッターを押していた。
ディスプレーを見せてもらったが、光玉きらめく見事な構図であった。
逆光で撮るといいよ、とのアドバイスにファインダーをのぞくと、透過光の紅葉の葉っぱが浮き立って、
一段と綺麗に見えた。
透過光の紅葉






























































