魚との対話 -17ページ目

わたしの町の歴史探訪~北条地区(南町・新宿・長須賀)

11月9日(日)、私は妻と一緒に館山市立博物館の学芸員がガイドする「わたしの町の歴史探訪~北条

地区(南町・新宿・長須賀)に参加した。

手渡された資料によるこの日のコンセプトは次の通りであった。

 安房の中心地として、多くの人々が行きかう北条地区。南町・新宿・長須賀エリアには、古くからの建築  

 物が多く残っています。いつもの道をゆっくり眺めて、町の歴史を味わってみましょう。


私にとっては、南町・新宿・長須賀エリアのメイン通りは交通量が少ないことから、いつも卓球サークルで

通うコミュニティーセンターや市役所への道として車を走らせている所である。

今まで、昔の安房の中心地というよりもよく在る住宅街との印象であったが、今回の探訪をブログに書き留めるにあたり、資料を読んだりして振り返ると町の歴史に驚きを感じ、後日写真を撮り直しに行った程であった。


南町エリア


 (コミュニティセンター駐車場)→蛭子神社(ひるこじんじゃ)→金台寺(こんたいじ)


蛭子神社

蛭子神社


蛭子神社は南町の鎮守。「えびす」とも読める「ひるこ」大神は商売繁盛・漁業豊漁・五穀豊穣・交通安全の護神。また、「蛭ヶ島権現」とも呼ばれることから、この地はかつて島状になった川の中州だったと考えられるという。


医院跡

昔のお医者さん宅


メイン通りに出て、昔のお医者さん宅前を通り金台寺山門をくぐる。昔、南町は職人の街とのこと。


金台寺

金台寺本堂 : 葵の御紋が見える。 12月5日撮影


金台寺は浄土宗のお寺で、里見義康から寺領60石、徳川将軍家からも60石の朱印地を与えられ、門前の南町一帯は金台寺の所領だったという隆盛の歴史を持つ。


板碑形五輪塔

金台寺 : 板碑形五輪塔(中世の墓もしくは供養塔)


墓地エリアでは、万石騒動で領民側にたって処刑された代官行貝弥五兵衛親子や義賊赤忠(あかちゅう)、房州の水泳・柔道の開祖本田存(ありや)先生の墓などを巡る。珍しい墓として板碑形五輪塔が紹介

された。


新宿エリア

 

 神明神社→海蔵寺


神明神社

神明神社


神明神社は新宿の鎮守で、新明町の神明神社・大神明(おおじんめい)に対して小神明(こしんめい)と呼ばれていたという。

ガイド中、手水鉢にこだわる学芸員は、ここでは女性のみで奉納された狛犬を紹介する。

そして、神社裏手が一段低くなっており、砂丘上に位置していることが分かると話す。


隣接する海蔵寺(かつては真言宗のお寺だった)から線路脇の道を歩き、境川のふじ橋を渡り長須賀エリアに入る。


線路脇を行く

線路脇を歩く


長須賀エリア


 安房高等女学校跡→八石三斗(はっこくさんと)→来福寺(らいふくじ)→紅屋商店→小谷(おだに)商店

 →稲荷→表町・裏宿(うらじゅく)→地蔵跡→酒のあきやま→熊野神社→境橋→(蛭子神社)→(コミュニ

 ティセンター駐車場)


長須賀は境川と汐入川にはさまれ、地名の由来「長渚」とされる砂州に形成された町場。

八石三斗は里見氏の時代の北条村の製塩場所。その折の長須賀の塩場は塩焚(しおたき)。

江戸時代には北条村の製塩は六軒町の新塩場に移るが、元禄地震以降製塩は行われなくなったという。

県無形文化財で伝統工芸・唐棧織の斉藤裕司の工房から来福寺の境内へ。


来福寺

来福寺 : 左薬師堂、右本堂  12月5日撮影


来福寺は真言宗のお寺で、里見氏の時代から江戸時代まで引き続き下真倉に寺領12石を与えられていたという。


紅屋商店

紅屋商店  12月5日撮影


紅屋商店は金物などの専門店で、現在の店舗は関東大震災に耐えて残った蔵を利用しており国の登録有形文化財。


小谷商店

小谷商店 : 代表的な町屋の建物として紹介される。大正7年(1918)頃のもの


潮留橋から東に延びる通りに進む。そこは明治11年(1878)に東京・館山間に汽船が就航した後、問屋街として繁栄した。小谷商店は車の燃料用や食用の油を扱う問屋であったという。


唐棧織の展示

唐棧織の展示 : 小谷商店の斜向いの倉庫に反物を組み合わせた唐棧織の幕が展示されていた。


それから、お稲荷さんの集会所(南長須賀町内ホール前には稲荷社が建つ)を経て裏宿に入る。

裏宿は表町の裏通りで、共に里見氏の時代に造成された館山城下町の一部とのこと。

表町は紅屋商店~来福寺~地蔵跡酒のあきやまの通りのことで、かつては有力な商人が軒を連ねていたという。


熊野神社

熊野神社


熊野神社は長須賀の鎮守。かつては来福寺に鎮座していたと伝えられる。境内には真言宗の宝積院(ほうしゃくいん)が建つ。

熊野神社を辞し、メイン通りに出て境川の境橋を通過。神明神社~蛭子神社を経て出発点のコミュニティーセンター駐車場に戻る。

境橋は新宿と長須賀の間に架かる橋。中世には新宿は北条郷、長須賀は真倉郷に属しており、両郷の境を流れる川が境川と呼ばれた。

この説明に私は、熊野神社の奥に住む友人の住所が下真倉とある謎がやっと解けた思いになったので

あった。




















3歳のるいちゃん

初孫のるいちゃんが11月27日(木)で3歳になった。

誕生日を前に、笑顔のおしゃべりな女の子となって、14日(金)~17日(月)にかけて館山にやって来た。

どこに行きたいと聞くと、ジャスコ(イオンタウン)、ナカパン(パンの中村屋)、コメリ(ホームセンター)・・・

と言う。そこで、ジジババは連日希望をかなえるべく車を走らせたのであった。


船形公園

たこのすべり台 : 一人でのぼれるようになった(船形の公園)


船形公園

ブランコ : 今や余裕の面持ち(船形の公園)


船形の公園とジャスコ~ナカパンがドライブコースその1。ナカパンのブドウパンが大好きで、先ずブドウをせっせせっせと食べまくる。

ドライブコースその2は、館山運動公園~コメリである。コメリでのお目当てはペットショップの犬と水槽の

熱帯魚で、ひとしきり眺めてから帰る。


館山運動公園

ロープで出来たジャングルジム(館山運動公園) : ロープをゆらしてご機嫌(但し一番下段)


館山運動公園

ロープで出来たトンネル(館山運動公園) : 一人でトンネルをくぐれて得意気に何度も繰り返す


遊び回る姿を見ると、幼子の成長は早いものだとつくづく思う。


家の中では、今までババちゃんのストーカーだったが、料理をしている時が多いことから、ほこ先がジジに向けられるようになった。

座椅子に座るジジに山登りと言ってまとわりついたり、背後からぐにゅ~!ぐにゅ~!と言いながらジジの首を左右に動かす。やめてくれ~!やめてくれ~!と言うと喜んでぐにゅ~!ぐにゅ~!と続ける。

また、ジジが♪屋根より低い鯉のぼ~り・・・♪と歌うと、違うよ!高いだよ!と言って笑う。

至って低レベルの遊びが好きなるいちゃんだが、畑の大根を抜かせた時は真剣であった 。

うんとこしょ、どっこいしょ、と言ってカブを抜く絵本を見ているからであろうか。

かくして、私(ジジ)は、るいちゃんが可愛くてたまらないのである。


それから8日後の25日(火)、るいちゃんの誕生会をやるからと言うので、今度はジジババが一泊二日で

るいちゃんの住む鎌倉に行った。

あいにくの雨で終始ジジにまとわりつくるいちゃんだが、先ずは美容師のパパに髪をセットしてもらって、誕生会が始まった。


誕生会

パパに髪をセットしてもらい、おめかしのるいちゃん


誕生会

ババちゃんからのバースデイケーキ : 2歳の時はアンパンマンだったが、3歳はるいちゃんの希望で

                         ルルロロのイラスト入り


誕生会

ケーキにぱくつくるいちゃん : 2歳の時は初めてのケーキに固まってしまったものだが・・・・・・・。


食事では、ジジが一口食べて、これはうめぇ~や!と言うと納得して笑う。

食べ物にこだわるママのしつけのせいか、るいちゃんは4歳になったらアメを食べ5歳になったらコーヒーのお店でココアを飲むのだと言う。


パパママからのプレゼントはストライダー。自転車に乗る前に幼児が自分の足でこいで進む二輪車とか。

るいちゃんは、始めはおぼつかなかったが慣れて来るにつれて結構上手に運転出来るようになった。


誕生会

パパママのプレゼント「ストライダー」に真剣な表情で試乗するるいちゃん


さて、昼寝の時間となり、「また来てね!」の声を背にジジババは鎌倉を後にした。

友人や知人からは、孫が可愛いのは3~4歳までと聞くが、お正月の館山での再会が楽しみである。








「遊子の会」秋の上州路、万座温泉旅行(2)

「遊子の会」秋のバスツアー二日目は、晴天に恵まれ黄葉の自然、世界遺産・富岡製糸場を始めとする

歴史・文化に触れて、上州路の魅力を十分に味わうことが出来た。

それでは、旅の模様を写真と共に振り返ってみよう。


二日目 10月17日(金) 晴れ


行程


 万座高原ホテル→白根・草津ルート→軽井沢・碓氷峠→旧中山道・熊の平~めがね橋~碓氷湖→

 富岡製糸場→甘楽町・道の駅で昼食~散策~こんにゃくパーク→上信越自動車道・富岡 IC→

 関越自動車道→館山旧市民センター駐車場(20時20分着)


万座高原ホテル


万座高原ホテル

万座高原ホテル入口の黄葉


万座高原ホテルの朝はすがすがしい。内湯でひげを剃ってから混浴の石庭露天風呂に行く。

こっちだとのYUさんの声に、見晴らしの良い奥を望むと、粋にタオルで頭を覆った女性が見える。

まるで、テレビの旅番組の光景だ。その女性は、何と462号室の肉体美を誇るお姉さん達であった。

・・・・・・・・・・・・・、おっといけねぇ~!それ以上のことは駄目!駄目だ!


バイキングの朝食後、ホテル前で同じ部屋どうしで記念写真を撮ってからバスに乗り込む。

さぁ~!出発だ!


万座高原ホテル

万座高原ホテル : 部屋毎に記念撮影


白根・草津ルート~式年鳥居木曳祭


道中、目にする黄葉が朝日に映えて美しい。白根山や逢ノ峰・本白根山も青空の下、すっきりと見える。

ここで、天津小湊(鴨川市)から参加したHさんより、天津神明宮で二十年に一度行われている鳥居の建て替え神事である式年鳥居木曳祭(しきねんとりいぎひきさい)についての話があった。

鳥居木曳祭は、一連の神事において最も規模が大きいもので、伊勢神宮の式年遷宮で行われる御木曳神事に倣ったもので、数日かけて御用木が氏子の手によって天津各町内を曳き巡らされ、最終日天津神明宮の境内に曳き納められるという。

また、今回の御用木は東京大学千葉演習林より、7本の杉が伐り出され、それらは最大のもので胸高直径120cm以上、樹高に至っては50mにも及ぶ樹齢100年以上を数える巨木だという。


鳥居木曳祭は来年平成27年8月22日(土)~24日(月)とのことだが、「遊子の会」としても、ぜひ見学したいものである。


軽井沢・碓氷峠


美しい黄葉ロードの北軽井沢に入り、日頃軽井沢でゴルフを楽しんでいるというShozoさんより、浅間山を横目に見ながら軽井沢よもやま話を聞く。それからバスは長野と群馬の県境に位置する碓氷峠

(標高960m)へと向うのだが、ここでミスターアウトドアKさんより、旧信越本線のアプト式鉄道についての説明があった。アプト式とは、歯車とそれと噛み合うラックをそれぞれ車輪とレールの間に取り付けた

構造方式と考えればいいようだ。


旧中山道・熊の平~めがね橋~碓氷湖


Kさんが、「いちにちじゅうやまみち」と読んだ女性アナウンサーがいた、と笑わせた旧中山道は、170ものカーブの標識がある曲がりくねった山道だ。

YUさんより、高野辰之が唱歌「紅葉」の作詞をした地として名高い旧信越本線の熊の平駅はこの上です、との説明を聞いてから本日の一つ目のポイントめがね橋に到着する。


めがね橋

めがね橋 : 明治25年完成、昭和38年廃線、平成5年国の重要文化財に指定される。 


近づくと、その巨大さに圧倒される。


めがね橋

めがね橋 : 我が国最大の煉瓦づくりアーチ橋、長さ91m 高さ31m


アプトの道なる看板を見て、坂道を上り橋上に立つ。そして、再びその巨大さを実感する。


旧中山道

めがね橋橋上より、曲がりくねった旧中山道を見下ろす。


感動のめがね橋を後にし、到着したのは静かな湖畔の碓氷湖だ。


碓氷湖

碓氷湖 : 湖畔には高野辰之の唱歌「紅葉」の歌碑が建つ。


そこで、艶歌の女王KANさんの指揮で「紅葉」を合唱する。その内に輪唱などと難しいことになって、最近は演歌「南部蝉しぐれ」を愛唱する私はすっかり落ちこぼれとなってしまった。


世界遺産・富岡製糸場


バスは妙義山を見ながら進み、本日最大の二つ目のポイント世界遺産・富岡製糸場へ。

富岡製糸場は、明治政府が明治5年(1872年)にフランスの技術を導入して建設した製糸工場で、以後

経営は官から民へと変遷しますが、昭和62年(1987年)の操業停止に至るまで115年間一貫して生糸

の生産が行われた製糸場という。

また、そこで働く女性たちは全国から集められ、技術習得後は先端技術を学んだエリートとして、それぞれの地元で指導者として活躍したという。


我々は、YUさんの先導でブリュナ館(指導者として雇われたフランス人ブリュナが家族と暮らしていた住まい)~寄宿舎~繰糸場~東繭倉庫~西繭倉庫と巡ったが、とにかく製糸場は広くてでかい!でかい!

近代化された諸外国への仲間入りを目指す明治政府の意気込みが伝わるというものだ。

また、明治創業当初の主要な建物が、ほぼ当時の姿のまま保存されているというのも驚きである。

旅行が終わった翌日18日の新聞に、県内初の国宝内定のニュースが踊ったが、うなずけることである。


富岡製糸場

富岡製糸場・繰糸場 : 長さ140m、操業停止時の機械がそのまま置いてある。


富岡製糸場

富岡製糸場・東繭倉庫 : 長さ104m、ここで富岡製糸場紹介ビデオを見る。


富岡製糸場

富岡製糸場・西繭倉庫 : 長さ104m


甘楽町・道の駅で昼食~散策~こんにゃくパーク


バスは少し走って本日の三つ目のポイント甘楽町(かんらまち)に入る。そして、「名水流れる織田宗家

ゆかりの城下町小幡」を巡ることになる。

 甘楽町の小幡地区は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、豪族小幡氏の本拠地として栄えた場所。

 1615年に織田信長の次男・織田信雄が上州小幡2万石及び大和国宇陀郡3万石を与えられ、8代

 152年にわたり織田家が支配した後、松平氏が入封し明治維新を迎えました。

先ず、道の駅甘楽で昼食後、車窓から広大な楽山園を見てから、バスを下りて武家屋敷を散策。ここで

喰い違い郭や松平家の大奥などを見学。

 *楽山園 : 江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園。


甘楽武家屋敷

甘楽武家屋敷・喰い違い郭 : 戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に

                    出会うのを避けるため隠れたとも言われています。

それから、桜並木と雄川堰(おがわせき、用水路のこと)沿いに建ち並んだ養蚕農家群(明治中期建築)の町並みを車窓から眺め、こんにゃくパークへ向う。


こんにゃくパークは面白い。こんにゃく料理が無料バイキングで食べ放題なのだ。

品数が豊富で、エッ!これもこんにゃくだったか、と思うことしばしば。

YUさんの宣伝もあって、皆しこたまこんにゃく料理を食べて土産を買った。

ちなみに、こんにゃくの原料となるこんにゃく芋は、全国の約90%が群馬県で生産されているとか。


こんにゃくパーク

こんにゃくパーク : こんにゃく無料バイキング


こんにゃくパーク

こんにゃくパーク


帰路の車中


YUさんは、行く先々について解説してくれたが、歴史上の人物では小栗上野介を興味深く聞かせてもらった。

 1860年34歳の時、井伊大老の抜擢により、日米修好通商条約批准の遣米使節として米艦ポウハタ

 ン号で渡米。更に二隻の船を乗り継いで地球を一周して帰国。その後8年間幕政を支え、日本の近代

 化を押し進めた

小栗上野介の語った言葉 : 一言で国を亡ぼす言葉は「どうにかなろう」の一言なり。

                   幕府が滅亡したるはこの一言なり。


さて、恒例の旅を振り返っての一言あいさつでは、控え目ながら混浴露天風呂体験の話が多く出た。

今回の旅では、パワースポットの水沢観音、写真スポットのめがね橋そして世界遺産の富岡製糸場も

混浴の前には影が薄くなってしまったという訳である。


YUさん、ありがとうございました。皆さん、お疲れ様でした。  おわり    




























「遊子の会」秋の上州路、万座温泉旅行(1)

二週連続でやって来た台風18号、19号が通り過ぎた10月16日(木)~17日(金)に掛けて、

「遊子の会」では34名が参加して日栄観光のトイレ付大型貸切バスで、秋の上州路(群馬)、万座温泉の

旅に出た。


行き先は、主宰者YUさんからの第44回「遊子の会」秋の上州路、万座温泉旅行の栞に網羅されているので、ここに掲載しよう。

 今年の秋の旅行は、錦秋の上州路を巡り、白濁の万座温泉に泊まります。先ず水沢うどんを食べ水沢

 観音をお参りして、榛名湖から草津・白根ルートで万座に入ります。万座温泉の宿は、混浴露天風呂

 (湯船七ヶ所)も有るプリンス「万座高原ホテル」です。

 翌日も草津ルートで軽井沢・碓氷峠から旧中山道を通り、高野辰之が唱歌「紅葉」の作詞をした地として

 名高い旧信越本線「熊の平」、メガネ橋、碓氷湖、富岡製糸場、織田宗家の城下町「甘楽」等々をご案内

 します。  


一日目 10月16日(木) 晴れ後くもり


行程

 

 館山旧市民センター駐車場(7時30分発)→関越自動車道・渋川伊香保IC→水沢観音・水沢うどんの

 昼食→伊香保温泉→榛名湖→八ッ場→草津・白根ルート→万座高原ホテル(宿泊)


水沢観音・水沢うどんの昼食


昼食は水沢観音に隣接する山本屋で水沢うどんを食す。水沢うどんは秋田県の稲庭うどん、香川県の

讃岐うどんと並び日本三大うどんの一つで、稲庭と讃岐が常食うどんなのに対して水沢は参詣客向けの

観光うどんと言う。


水沢観音(水澤寺、水澤観世音)は飛鳥時代の創建で坂東三十三箇所の十六番目の札所。

歴代天皇の勅願寺、上野の国司の菩提寺、徳川家の祈願寺の歴史を持つ。

ご本尊は国司高野辺家成公の三女伊香保姫のご持仏の十一面千手観世音菩薩。


我々は本堂で参拝してから境内を巡り、釈迦堂で坂東三十三観音と対面し感嘆の声を上げる。


本堂

本堂 : 参拝記念の集合写真


十一面千手観世音菩薩

ご本尊の十一面千手観世音菩薩の前立ち : N子さんが写真を撮ってもいいそうよ、と言うので格子窓

                            越しに撮って喜んでいたら、ご本尊は後の扉の中だと言う。


仁王門

仁王門


鐘楼

鐘楼 : 鐘を突くMさん


私は、ここで坂東三十三観音霊場巡りの三十三という数字の由来を知る。即ち、観世音菩薩は娑婆世界で苦しみ悩める衆生の声を聞くと、その人と同じ姿に身を変えて(変化身)彼らに最も相応しい教えを授け

救いを与える。そして、観世音菩薩の変化身は三十三にも及ぶというそうな。


榛名湖


榛名湖畔は、高峰三枝子が歌う「湖畔の宿」のモデルという。ここでバスから下りてしばし佇み、秋の榛名湖・榛名山の景観を楽しむ。


榛名湖・榛名山

秋の榛名湖・榛名山


榛名湖・榛名山

榛名湖・榛名山 : おどける写経グループ


バス車中


バス車中では、YUさんから行く先々の解説があるのが恒例である。恒例と言えば、もう一つ民話の達人

Sさんからの結び文がある。今回も都心を抜けてから、めいめいが手にした結び文を披露する。

都々逸や川柳も混じり、皆笑ったり感心したり。

私が手にしたものは、「女ゆえ 命ひとつの 嘘をつく」 西原典子


伊香保温泉では街のシンボルである石段を一瞬眺めて通過後、YUさんから徳富蘆花の「不如帰」の話が出た。

 片岡陸軍中将の愛娘浪子は、海軍少尉川島武男と幸福な結婚生活を送っていた。しかし、武男が日清

 戦争へ出陣してしまった間に浪子は結核を理由に離婚を強いられ、夫を慕いつつ死んでゆく。

YUさんは詩吟で培った口調で、浪子の近代文学を代表する名セリフを絶叫する。

「ああ、人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!」

「ああ、つらい!つらい!もう女なんぞに生まれはしませんよ」


今回の旅のテーマソングは「湖畔の宿」と「紅葉」と言う。榛名湖では、艶歌の女王KANさんの「湖畔の宿」の模範歌唱に続いて、皆が合唱する。


バスは八ッ場から白根火山ロープウェイが行き来する荒涼とした山岳風景を眺める草津・白根ルートを進み、万座温泉郷(標高1,800m)に入ったのである。


万座高原ホテル


一服してから同室のKさん、Hさんと共に石庭露天風呂に行く。

混浴の為、入り口には女性に配慮願いますとの貼紙が・・・・・。しかし、メタボ紳士には部屋に置いてあるタオルでは到底腰周りを全て覆うのは無理というものだ。一方、女性はレンタル(100円)の大きなバスタオルで胸から膝下まで全てを隠して湯船に入る。

白濁の七つの湯船があり眺めは最高!一つ一つ入って行ったが、青味がかった所は入り易いが黄色味

がかった所は熱くて長く入っていられない。

「遊子の会」のコ(古)ギャルは、待てど暮らせどやって来ない。七つの湯船をクリアーしてのぼせ気味となったところで、464号室の4人が青いバスタオルをまいてやって来たが、もはや我等は退散せざるを

得なかった。


さて、バイキングの夕食後貸切の大広間で全員が参加して懇親会が開かれた。

ShozoさんとHisaさんが司会と進行役で汗をかいてくれた。カラオケの後、次週の25(土)~26(日)に

行われるイベント、即ち旧安房南高校舎一般公開時の語りの会、吟道大会、そして語り部桜貝公演に出演する会員が、自分の演目を披露してくれる。私は、応援がてら写真係として駆け付けようと思った。

宴も終わりに近づいた頃、日頃静かな岐阜出身のAさんが正調木曽節を披露する。

それは、かつて重大な病を患った人とは思えない力強い歌声で、何とも素晴らしいものであった。

かくして、バスツアー一日目は終わったのである。


  













                   

週末イベント~2014.10

10月24日(金)~26日(日)に掛けて行われたイベントに、私は妻と一緒に参加した。

そこでは、先日の「遊子の会」のバスツアーでの主宰者YUさんの宣伝効果からか、再び多くの会員と

巡り合い楽しい観賞の一時を過ごすことが出来た。


棚田の夜祭り~10月24日(金)


YUさんの妻N子さんの運転する車で、我等4人は鴨川市の大山千枚田を目指す。

以前にも案内してもらったが、今年はLED灯とエコキャンドルで棚田を照らすと言う。


暗闇の棚田には、光の帯が浮き上がり幻想的な世界が醸し出されていた。


棚田の夜祭り

鴨川大山千枚田「棚田の夜祭り」 : LED灯1万本とエコキャンドル3,000本という。


夜景の撮影では、夜の帳が下りる頃がゴールデンタイムと言われる。その時なら、上記の写真には空と小高い山が写るのだが、と今年も思った。


旧安房南高校舎一般公開~10月25日(土)


県指定有形文化財旧安房南高木造校舎の一般公開に合わせて行われた県教委文化財課職員によるガイドツアーと語りの会に参加した。


外観

千葉県立安房南高等学校旧第一校舎(館山市 県指定有形文化財) : 左右対称に大きく羽を広げた

                                              ような美しいデザイン

ガイドによれば、関東大震災による倒壊の教訓からの耐震構造、湿地帯故の換気装置、そして設計者のこだわりのデザイン・装飾が特徴とのこと。


玄関

こだわりの装飾の玄関 : 奥さんが卒業生というSIGEさん夫婦に出合う。


講堂の亀甲模様

講堂玄関上の装飾窓は亀甲形


廊下

広い廊下はピッカピカ : 卒業生の妻は、ぬか雑巾で磨いたと言う。良妻賢母を目指す学校故、教えは

                「誠の心で優しく強く」とも言う。


階段

階段 : 親柱や手摺子に手の込んだ加工が施されている。クラシックホテルのようだ。


午後1時からの語りの会では、民話の達人で「遊子の会」でもご一緒する庄司さんが「私が安房高女、

安房女子高にいた頃」と題して語った。

「清く正しく美しく」の教えの下、上級生には通路を空けてお辞儀をした、とか愉快な通学時の模様など

オリジナルな話を、さすが庄司さんと思わせる語り口で聞かせてくれた。


語りの会

「私が安房高女、安房女子高にいた頃」と題して語る庄司さん


見学を終えて、パンフレットには「堅牢さと美しさの調和」とあったが、その通りだと思った。

また、映画やドラマのロケ地となることも多いと聞くが、館山市の観光施設として使えるのではないか、とも思った。


庄司さんの語りが終ったところで、船形のSさんが皆さんを案内したい所があると言う。

そこは、私が行きそびれていた我家の近くにある昨年5月にオープンした絵の展示空間「遊水庵(ゆうすいあん)」であった。

遊水庵は元旅館小鉄(館山市沼)で、鎌倉長谷在住で平山郁夫画伯門下生の画家佐藤氏が、依頼された鋸山日本寺襖絵の創作活動のために移住されたところなのである。


我々は、落ち着いた和の空間の中で佐藤さんの絵画を鑑賞する。それから、しょうしゃなテーブルで美しい奥様からコーヒーのサービスを受ける。

そして、奥様との会話から画家の生活をほんの少しだが垣間見る思いがした。


吟道大会~10月26日(日)


「遊子の会」から5名が出演するとあって、多くの会員が応援に駆け付けた。

先日のバスツアーでのYUさんの宣伝から、私のお目当ては、初出演の西岬のSさんと構成吟歴史秘話

「名わき役物語」でのKANさんの黒田節である。


吟道大会

宗風の皆さんによる「富士山」の合吟


吟道大会

初出演のSさんによる「富士山」の独吟


吟道大会

歌謡吟「黒田武士」でのKANさんとYUさん(左端)。


構成吟で歌謡吟「青葉の笛」に出演したベテランの奥さんから、まだ出るのは早いと言われたSさんは、

初出演とは思えない立派な歌いっぷりであった。何よりも私より高齢なのに挑戦する心が素晴らしい。

しかし、会員からはドキドキしたはね、との声あり。

一方、艶歌の女王KANさんは、歌謡吟「黒田武士」の中で黒田節を歌ったが、力強く実に見事であった。










戦国大名里見氏飛躍の拠点上総を訪ねる

10月9日(木)、里見家170年の歴史の中で、安房上総を治めた里見隆盛の拠点となった佐貫城跡や

久留里城跡を訪ねる「また旅倶楽部」のバスツアーに参加した。

バスツアーと言っても、また旅倶楽部は、第五代義堯・第六代義弘が拠った山城を山歩きさせてガイドし

、また車中での解説により、私は隆盛時の里見について多くのことを学ぶことが出来た。


行程


 館山・城山公園→竹岡・百首城跡→富津・佐貫城跡→富津・三船山古戦場跡→君津・四季の蔵→

 農家レストランぽ~たる亭にて昼食→久留里城跡→正源寺→きみつふれあいの里→館山・城山公園


館山から富津市~君津市と巡ったのであるが、今回のガイドツアーで私が見聞きした事柄を写真と共に

書き留めておこう。


百首城跡


百首城は真里谷によって築かれた山城。内乱に乗じて里見義堯に攻められ開城。里見方の正木氏が入った。そして、里見氏の対北条最前線として重要な役割を果たした。地名から造海城(つくろみじょう)とも呼ばれる。


 百首城の由来 : 真里谷氏は城の明け渡しに「この周辺の景色にちなんだ和歌を百首詠むことが

             できたら城を明け渡す」との条件を出した。すると里見方はたちどころに詠んだので

             開城したという。


百首城跡

百首城跡 : 手前は白狐川と十二天橋。白狐川には里見水軍の軍船が繫留されていたという。


我々は十二天橋を渡り、城山の北端に位置する十二天神社まで歩く。そこから登城道はあるが荒れ果てて行くことはできないという。十二天神社先には幕末期の砲台跡が見られた。


竹ヶ岡砲台跡

幕末期の砲台跡(竹ヶ岡砲台)


佐貫城跡


佐貫城は真里谷氏によって築かれた平山城。天文6年(1537)以降里見義弘が拠り、久留里城(里見義堯の本拠地)と共に北条氏への最前線として重要な役割を果たした。


我々は大手門から入り防御故の狭い山道を進み、今は杉林となった本丸跡から東物見に着く。


佐貫城跡からの眺望

東物見からの眺望


途中、しばしば城郭用語が飛び出したが、東物見を下りて見上げた絶壁は切岸と教わる。さらにガイドは、大規模な切岸が本丸に続いていると言う。400年以上も崩落することなく残存していることは大いなる驚きである。それから、ガイドは搦手門(からめてもん、裏門のこと)を出て、佐貫城跡が見渡せる場所

へと案内してくれた。


佐貫城跡

佐貫城跡


三船山古戦場跡


佐貫城から4kmという三船山古戦場跡は、里見と北条の最後の決戦の場で、車窓からの見学であったが、車中での三船山合戦についての女性ガイドの語りは分かり易いものであった。


三船山合戦は里見義弘と北条氏政の間で戦われた合戦で、この時里見軍2千5百、北条軍1万余り。

しかし、地勢を知っていた里見軍は、幅400m余りの障子谷の沼地に北条軍を誘い込み、泥田に足をとられた北条軍を撃破。

これによって、里見氏は劣勢を回避し、再び上総での覇権を回復することが出来たという。


久留里城跡


久留里城址の大駐車場の一角にある森林体験交流センターに隣接する農家レストランぽ~たる亭で昼食後、主尾根沿いの旧登城道を歩き二の丸跡の資料館を目指す。


久留里城跡

久留里城跡巡り出発点 : 里見時代屋敷想定地  

                 右端が森林体験交流センター、左側が久留里城の前身上の城跡


薬師曲輪からの眺望

二の丸の資料館前の薬師曲輪からの眺望.。 ここで資料館の学芸員から説明を受ける。


資料館内の見学後、男井戸・女井戸を通過、本丸の久留里城天守閣(再建)に到着。


男井戸・女井戸

男井戸・女井戸


久留里城天守閣

本丸の久留里城天守閣 : 上総に進出した里見義堯は、この地に新しく久留里城を築き、本拠地として

                  北条氏と対立する。 別名「雨城」と呼ばれる。


それから、我々は天守閣を折り返し点とすれば、元来た道と対極にある東尾根沿いの林間歩道を歩き、

途中、大きな堀切に出くわしたりして出発点の駐車場に戻る。


大堀切

林間歩道で出くわした堀切


正源寺~城下町自由散策


バスで町中へ移動する。先ず訪れたのは、里見義堯の母の菩提寺という正源寺。

義堯にまつわる加勢観音が観音堂にあるとのことだが、のぞいてみたら、それは扉の中でお目に掛かることは出来なかった。しかし、本堂で安房三名工の一人後藤義光の高弟後藤忠明の欄間彫刻を見ることが出来た。


正源寺

正源寺本堂


後藤忠明彫刻

後藤忠明の欄間彫刻


それから、ガイドマップを渡され城下町自由散策となる。

どこに行ったらよいか分からないので、知り合いのガイドKさんに付いていったら藤平酒造に立ち寄ることになった。そこで試飲後、今度は店の前にある水飲み場で久留里の生きた水を飲んでみた。マイルドな味であった。


久留里の生きた水

久留里の生きた水を飲む : モデルは同じくまた旅ガイドであるKさんの奥さん


続いて、店で出くわした知り合いのガイドOさんとぶらぶらと通りを歩きながらバスの待つ久留里駅に向かった。かくして、戦国大名里見氏飛躍の拠点上総を訪れるガイドツアーは終わりとなった。





                  




沼の里山~ヒガンバナ

彼岸の頃のことである。9月22日(月)早朝、ヒガンバナを撮るために家を出る。

歩くこと1分。前もって撮るならここが一番と決めていた場所に到着。

休耕田の土手にヒガンバナが密集して咲いている。


ヒガンバナ



ヒガンバナ



ヒガンバナ


真赤に咲くヒガンバナは派手である。しかし、「墓場に咲く花」とか「ハミズハナミズ(葉は花を見れず、花は葉を見れない)」という特徴を現す言葉から、そのイメージは暗い。

しかし、後日の房日新聞に、彼岸という言葉に対して、哲学では憧れて探し当て目標としたいもの、とも言えよう、とあった。彼岸を思い起こさせる花と思えばイメージも変わるものである。


その日の夕方、カメラを肩に今度は沼の里山散策道を歩いた。

入口にはオシロイバナが咲き乱れていて、少しの間散策道は、さながらオシロイバナロードの趣。


オシロイバナ

沼の里山散策道に咲くオシロイバナ


稲刈りが終わった田んぼには、ナバナの植え付けの準備や周囲に咲くヒガンバナが見られる。

そして、散策道突き当りで、芸術的な畝立てにナバナの発芽を認め、私はすかさずシャッターを押したのであった。


ナバナの発芽

沼の里山散策道 : 芸術的な畝立てにナバナの発芽を認める。






ガーデニング~秋の訪れ

畑仕事


安房地方最大のお祭り「やわたんまち」が終わると、皆一斉にダイコンの種をまく。

私も、9月18日(木)4列の畝を立て株間30cmで種をまいた。

首尾よく行けば65本が収穫できることになるが、今年こそは美味しいタクワンが出来るようにしたいもの

である。


ダイコンの発芽

ダイコンの発芽確認  9月22日撮影


さて、その後のゴーヤによる緑のカーテンであるが、9月後半になって密集して来て、くもりや雨の日は部屋が暗くなる程である。

家庭菜園の仲間からの勧めもあって、私は館山市の緑のカーテン作品展に応募することにした。

応募用紙に写真を添付して市役所の環境課に届けると、認定証と保冷バックを記念品としてもらった。

何だかほめられたようで嬉しく思った。


 認定証 : あなたの取り組みは緑のカーテンの普及による地球温暖化防止に貢献されたことを

        認定します   館山市長


ゴーヤの緑のカーテン

9月後半になって密集して来たゴーヤの緑のカーテン  9月22日撮影


庭仕事


我家の庭には「やわたんまち」を前後して、秋の花々が咲き出し、秋の訪れを実感する。


ハギ

ハギ : 北側のフェンス際で例年にない勢いで咲く  9月15日撮影


ハギ

ハギ  9月15日撮影


コムラサキ

コムラサキ  9月15日撮影


クジャクソウ

クジャクソウ : 梅雨入り前に切り戻したら低い位置で咲いてくれた  9月21日撮影


フジバカマ

フジバカマ : 周辺整備で復活  9月21日撮影


今はいつも思うように撮れないタカノハススキが盛期であるが、妻はそれとコムラサキとフジバカマを生け花で飾ったが、コムラサキとフジバカマは水あげが悪くすぐ葉がしおれてしまう。それらは生け花には不向きであることが分かった。

これから、ホトトギスとダリヤが咲き競えば我家の庭は秋本番となる。


しかし、美味しくて自慢の甘夏が全く実を付けず、今年は大丈夫と思っていた柿が熟した状態で連日落下する。甚だ残念なことである。





 

金谷の金アジ~2014.9

9月16日(火)、7年ぶりに金谷太海丸から食味満点の金アジねらいで、「遊子の会」の仲間4人で

釣行した。結果は、べたなぎ浅場の好条件の下、小アジ178匹の大漁であった。

そして、高齢者となった今、過去2番目の釣果を得るまでに身体が動いたことに満足したのであった。


アジ釣りの釣果

アジ178、カマス9、カサゴ2の大漁!!


YUさんの船釣りの希望に、金谷のアジ釣りを決めたところ、Kさん夫婦もこの話に乗った。

6時前、船は港を出て沖にとどまった。時間調整のようだ。

3人は船のアジ釣りは初めてなのでよろしく、とお願いすると親切な船長は、リールの取り扱いを教え試し

釣りまでさせてくれた。


6時、船は一斉に動き出した。先ずはフェリーが見える港前の浅場(水深10m)でカマスをねらう。

派手な金色の疑似7本針のサビキとオモリ60号使用で、底をトン、トンとこずくとガシャガシャというアタリで良型が釣れ上がる。

船長はカマスを追いかけ回し、下ろしてハイ上げて、とせわしない釣りである。

30~40分位でアタリが遠のき、航程20分ほどの竹岡沖へと移動してのアジねらいとなる。

釣果はYUさん11(船中トップ)、私9、Kさん7、妻KATUKOさん7。

私が、あれこれ口出しするのは無用の結果となる。


竹岡沖のアジねらいも、水深10mの浅場。8号の15本針のサビキとオモリ60号使用で、着底後1~2回

リールを巻きコマセ(イワシミンチ)を振りスーッと竿を上げるとククッと明快なアタリ。

最初はゆっくりとその後は一定の速度で巻き上げると心地よい引きでアジが鈴なりで釣れ上がる。

何度か根掛りでオモリを無くすが、ほぼ入れ食い。


釣りベテランのKさんは着実に数を伸ばし、KATUKOさんは6匹も連なって釣れたと大喜び。YUさんは腰を痛めて前かがみの姿勢での乗船であったが、目標の50匹を釣ったと言い納竿の2時間も前にリタイア。その後は俳句を作ったりしながらのんびりと過ごす。

  竹岡沖へ疾走する船団を眺めて     漁場目指す 先陣切って 秋の風

  金でまとめた句                金風に 金鯵追って 金谷沖


くもりから日が差して来て暑くなった。10時頃潮止まりでアタリが遠のいたところで、バケツのアジを数えながらクーラーに入れたら130匹を超えていた。そこで、目標の100匹を修正して150匹としてがんばることにした。

船宿のサビキも使い果たしたので、持参の9号キラメキ7本針に変えた。

すると、アタリが復活。再び入れ食いとなり、11時30分沖上がりとなった。

釣果は私178(船中トップ)、Kさん107、KATUKOさん63、YUさん42。

外道は良型のカサゴとメバル。

皆それぞれに目標をクリアーしたアジ釣りであったが、私の左手はアジのゼイゴと針の跡で傷だらけ。


さて、家に戻り私は妻と一緒に車で、100匹のアジを日頃お世話になっている方達に配り回った。

美味しかったよ、と言われると釣り師としては嬉しいものである。

それでも、あと70匹もある。明日は保健推進員の用事で魚はさばけないと言う妻は、今夜の内にとがんばったら23時になってしまったと言う。

かくして、夫婦でがんばったアジ釣りは終わりとなった。これから食卓に上がる金アジの料理が楽しみである。  




ゴムノキの取り木

館山にUターンして6年目を迎えた。

隣組のSinoさんから頂いたゴムノキが、リビングの天井に届く一歩手前までに成長し、支柱だけでは支えきれず、カーテンレールなどとの間に紐を張って支えなければならない程になった。

まさに、6年目の重みである。


Sinoさんは、取り木をして新たに育て直すとよい、と教えてくれる。

そこで、私はゴムノキの取り木に初挑戦したのである。

 

 上部の茎の表皮を2cm程はぎ取る。

        ↓

 皮をはいだ部分の周りに湿った水苔をこぶし大位に巻き付け、その外側はビニールで包み上下を縛る。

        ↓

 十分に発根したら、皮をはいだ茎の下の部分で切り取る。

        ↓

 水苔を付けたまま鉢に植える。


ゴムの取り木

6月21日 取り木を実施  


ビニールの内側に根が沢山見えるようになるには2ヶ月程掛かるとのことだが、我家では2ヶ月半程して、水苔の周りに根がまとわり付いているのが認められた。

そこで、水苔の中を観察したところ、皮をはいだ茎の上部から発根したのが分かった。

それから、発根部の下で本体から切り離し、7号鉢に鉢上げした。


ゴムの取り木

9月9日 取り木の鉢上げ


本体のゴムノキには引退してもらったが、鉢上げされたゴムノキが天井まで届くのは6年後であろう。

その時、私は後期高齢者となるが、それまで今までと同様に世話を焼き見届けたいと思う。