ガーデニング~ジャガイモ・ゴーヤ・梅
ジャガイモの収穫
6月7日(日)、梅雨入り前をねらって、葉っぱが黄ばんで来たので掘り起こしてみた。
例年に比べて型が小さく、数も少ない。今年は不作である。
3kgのキタアカリを植え付け、葉っぱを見る限り順調な育ち具合に思えたのだが・・・・・。
周囲の人にたずねたら、同様な答えが返って来た。気候のせいなのであろうか?
しかし、味は良いのが救いである。翌日8日(月)、関東地方は梅雨入りした。
ゴーヤの緑のカーテン
今年もリビング東側窓に、ゴーヤの緑のカーテンを作ることにした。
室内から望む陽に映える緑のカーテンは格別だからである。
6月7日(日)~8日(月)にネットを張り、支柱に結わく。昨年より3週間遅れの作業である。
というのは、昨年は沖縄中長ゴーヤの苗を購入してプランターに植え付けたが、今年は沖縄太ゴーヤの種を購入して、ポリポットで育ててからプランターに植え付けた為である。
ネット張りにも工夫してみた。ネット両サイドに下部より2/3の高さの縦支柱を立てネットを結わいた。
昨年は1/3の高さの縦支柱のみだったので、ネットが風に揺れた。即ち、ネットの揺れを軽減し、ゴーヤのストレスを緩和(?)しようとの試みである。
ゴーヤの品種の変更、植え付け本数の増加(4本→8本)、縦支柱の追加によるストレスの緩和(?)により、果たして思惑通りに密な緑のカーテンが出来るか、楽しみである。
ゴーヤの緑のカーテンを目指して : ネット張り完了(横270cm、縦360cm) 6月8日撮影
梅干し作り~梅の塩漬け
私の住む岡沼区(館山市沼)では、枇杷の収穫が真っ盛りである。この時期になると梅が店頭に並ぶ。
私は、6月7日(日)スーパーオドヤの朝市に行き、梅干し用に南高梅2kgを購入した。
そして、我家の梅ノ木から南高梅30個・587gを収穫して、原料にすることにした。
原料の南高梅 : 黄色はスーパー購入品で梅の香がぷんぷんする。青色は我家の梅ノ木からの収穫品
6月8日撮影
6月9日(火)、私は次の様な手順で梅の塩漬け作業を行った。
水洗い→竹串でへたを取る→焼酎(35度)をくぐらせて、塩をまぶす→漬物袋をセットした容器に梅を
並べる→塩をふる(粗塩は梅の重量の20%)→中蓋を敷き、その上に重石をのせる→漬物袋を閉じ、
容器の蓋ををして、台所に静置する。
梅の塩漬け : 6月9日撮影
梅の塩漬け : 中蓋~重石をのせる 6月9日撮影
これからは、赤じそ漬け~土用干しの作業を経て、梅干し作りは完了となる。
果たして、美味しい梅干しは出来るであろうか、真っ青な我家の梅はどうなるのか、いささか心配である。
庭の花々
我家の庭の花々 : 6月8日撮影
サツキ、ユリ、アジサイに続いてダリヤも咲き出して、我家の庭は中々綺麗である。
とりわけ、親の代からのサツキが強剪定を実施後、今までで一番の咲き具合となったのは嬉しいことであった。
これからは、アガパンサス、ギボウシの青へと移行することとなる。
幼稚園生になったるいちゃん
鎌倉の幼稚園生になった初孫のるいちゃん(3歳の女の子)が、約3ヶ月ぶりに、ゴールデンウイークの
5月2日(土)~6日(水)にかけてやって来た。
おしゃべりな女の子となったるいちゃんは、「るいは昼寝しないタイプ」などと、こまっちゃくれた事を言って
終日遊びまくったのであった。
るいちゃん親子は「でそんかみ」なので、今回もるいちゃんドライブと称して、私は毎日車を走らせたので
あった。
1日目は、館山へ来る前の電話で「鎌倉のクジャクは羽根を広げるけど、館山(城山公園)のクジャクは広げない」と生意気な事を言うので、飼育員から聞いていた羽根を広げる確率の高い夕方に城山公園に連れて行き、見事な羽根を広げた姿を見せたのであった。
また、車中のるいちゃんは、こいのぼりと田植えの終わった田んぼから聞こえるカエルの鳴き声に興味津々であった。
そんな訳で、2日目は、白浜のめがね橋を訪れて長尾川を泳ぐこいのぼりと遊ばせた。
昼食は、るいちゃんが好きな回転寿司にしようかと思っていたら、ママ(娘)が館山ならではの所で食べたい、と言うので、相浜漁港そばの相浜亭(あいはまてい)の海鮮丼を食べることにした。
以前、私は幼馴染のT君から「都会から来た人が魚を食べたいと言ったら、相浜亭の海鮮丼(980円)を
食わせりゃいいお~」と聞いていたからである。
ネット社会故か、市外の若者やファミリーで店はごった返し、閉口するほど待たされたが、るいちゃんは
ババちゃんと港の潮風で遊び上機嫌であった。
海鮮丼はと言えば、味・ボリュウム共、T君の言う通りで、ママ(娘)は大いに満足したようであった。
3日目は、畑での収穫体験から始まった。るいちゃんは、新玉ネギを一人で抜き取り、スナックエンドウ・
サヤエンドウ・グリーンピースをババちゃんと取った。
また、地域の人から頂いたソラマメとハチクの皮を私と一緒にむいた。
るいちゃんは、豆類が好きなので、グリーンピースご飯を作るのが間に合って良かった、とババちゃんは言った。
収穫体験、スナックエンドウを取る : 5月4日撮影
ドライブはと言えば、るいちゃん指定のコメリ(ホームセンター)~ジャスコ(イオン)~ナカパン(パン屋)の
コースである。コメリはペットショップ、ジャスコはゲームセンター、ナカパンはパンとアイスクリームがお目当てである。
ごった返すナカパンで、何とかおやつのパンを買い求め、テーブル席でアイスクリームが食べられて、
るいちゃんは納得だ。
3時のおやつ時に、ババちゃんのお姉さんが、孫の男の子二人を真っ赤な車に乗せてやって来た。
船形漁港近くの蛸のすべり台のある公園へのお誘いである。
かくして、ジジババは、しばしの休憩を取ることが出来たのであった。
るいちゃんドライブ最終日の4日目は、お花が真っ盛りの庭で、幼稚園生になった記念写真を撮ってから、平砂浦海岸の砂が吹き上げられて出来たという砂山へ行ってみた。
花と遊ぶ 5月5日撮影
花と遊ぶ 5月5日撮影
砂遊びが大好きというるいちゃんは、ズボッ、ズボッの砂の絶壁を上り下りして実に楽しそうであった。
砂山に遊ぶ 5月5日撮影
砂山に遊ぶ 5月5日撮影
午後はご先祖様のお墓参りと、沼の里山を散策してビャクシンと十二天神社に手を合わす。
るいちゃん親子は、最後に殊勝なことをするものである。
ガーデニング~2015・夏野菜の植え付け
5月12日(火)、テレビでは異常気象としか思えない台風6号の接近報道で持ち切りだ。
館山では夜に暴風雨となり、房日新聞によれば午後10時過ぎに最大瞬間風速25.1mを観測したと
いう。
私は、植え付けたばかりの夏野菜が心配で仕方なかったが、園芸店のアドバイス通りに野菜苗周りに
風除けフードを取り付けたりして、被害が最小限に留まり、ほっと胸を撫で下ろしたのであった。
畑仕事
4月下旬よりゴールデンウイーク前を目指して、肥料投与や支柱立てなど野菜苗の植え付け準備に入った。ゴールデンウイークには、初孫のるいちゃん(3歳の女の子)がやって来るので、ガーデニングどころではなくなる為である。
そして、長ネギ・サトイモ・ショウガに続いて、4月30日(木)にトモト(桃太郎)・ミニトマト・キュウリ・ナス・
ピーマンの苗を植え付けた。
今年は、例年と違う試みを行った。
1. ナス・ピーマン・オクラ(後述)に、苗が小さいので肥料袋を利用して行灯風の風除けフードを取り付け
た。(園芸店のアドバイス)
2. トマト・ミニトマト・キュウリ・ナス・ピーマン・オクラの元肥に、実付きを良くする為に、牛ふん・化成肥料
に加えて熔リンを少量投与した。
トマト・ナス・ピーマンの植え付け : 5月5日撮影 後日ナスにおいて、一部透明な赤玉土の袋のものは、葉っぱに勢いがない為、不透明なケイフンの袋(緑)に替えた。
その後、友人からのオクラの苗を5月15日(金)に植え付ける。(フード取り付け)
これからは、ポリポットに種をまいて育てているつる有りインゲンとゴーヤの苗を定植すれば、一連の植え付け作業は終了となる。
なお、ゴーヤはプランターに植えられて緑のカーテンを目指すことになる。
さて、収穫の話であるが、玉ネギ(早生)・アスパラガス・スナックエンドウ・サヤエンドウ・グリーンピースなどが好調裏に収穫できて、美味しく食すことが出来た。
しかし、スナックエンドウ・サヤエンドウ(赤花)・グリーンピースは、苗の植え過ぎで収穫しずらい、支柱の追加が必要になった等の反省点が生じた。台風接近では倒れる寸前となり、通過後の5月13日(水)には最後の収穫~撤去ということになった。
キュウリと長ネギの植え付け、スナックエンドウ・サヤエンドウ・グリーンピースの収穫 : 5月4日撮影
庭仕事
ゴールデンウイークに入り、今年も花蕾摘みの効果か大輪のシャクヤクが咲き出した。
シャクヤクとオダマキ : 5月3日撮影
また、強剪定により、ツツジが復活し、シランやクリサンセマムとの競演は大変綺麗で嬉しいことであった。
復活したツツジとシランやクリサンセマムとの競演は見事であった。 : 5月5日撮影
「遊子の会」房総お花見会
4月10日(金)、「遊子の会」では26名が5台の車に分乗して、南房総の里山を巡り佐久間ダム湖畔で
お花見会に興じた。
行程
旧市民センター(現館山市役所4号館)駐車場(9時集合)→自然の宿くすの木→旧水田家→高照寺・
大杉観音→佐久間ダム湖畔お花見→寿楽寺しだれ桜(車窓)→旧市民センター駐車場(15時過ぎ着)
今回のツアーは、くもり空で肌寒かった。コースは体験済で目新しさに欠けた。南房総随一と言われる
佐久間ダム湖畔の桜は終盤で華やかさがなかった。等々により、いつもの様な感動に欠けた。
しかし、元大蔵大臣で城西大学の創立者水田三喜男の生家である旧水田家では、管理人が囲炉裏に炭を起こして迎えてくれて、国登録有形文化財である主屋を懇切丁寧に案内してくれたこと。
自然の宿くすの木で買い求めた地元食材の手作りの「七福膳弁当」が、皆が感嘆する美味しさであったこと。等々が大変良かった。
振り返ってみると、花より団子のお花見会だったかな、と思い出される。
自然の宿くすの木 (南房総市和田町)
自然の宿くすの木 : 元は小学校で宿泊してふるさと体験の出来る南房総市体験交流施設。
自然の宿くすの木の食堂 : ここで、地元食材の手作りの「七福膳弁当」を予約注文で受け取る。
山神社とくすの木 : 宿の隣り山神社の境内に安房地方最大のくすの木(樹齢750年、高さ32m、幹周り12m)がそびえ立つ。
皆で山神社とくすの木を見学した折、校門と鳥居を見つける。
山村である上三原地区にとって、昔この地は、地域の集いの場であったであろうことが伺える
また、宿は地元の人達による管理運営と聞くが、となると、今も同じ役割を担っているのではあるまいか。
旧水田家(鴨川市西)
旧水田家は、城西大学の付属施設として一般公開されている。
長屋門 : 明治時代初期に建てられ、牛小屋も兼ねる造りに特徴があるという。国登録有形文化財
主屋 : 江戸時代後期に建てられ、房総民家の特色を持っているという。国登録有形文化財
佐藤管理人を囲んで記念写真を撮る。
主屋に上がり、床の間~勝手・土間~屋根裏部屋~囲炉裏のある客間へと案内される。
水田三喜男直筆の扁額 : 「ぎょうてんしょうらい」と読む。「明け方の空に松を吹く風の音がする」との意
だという。
土間では「たたき」なる懐かしい言葉が出る。「たたき」は三和土と書き、石灰・赤土・砂利に苦塩(にがり)を混ぜ水を加えて練り固め、土間などに塗って叩き固めたもの。冷蔵庫のなかった時代、「たたき」は食物の貯蔵に役立ったと言う。
それから、急階段を上がり屋根裏部屋をのぞく。白川郷を連想する造りだ。
ここで、関東大地震にもビクともしなかった造りの説明を受ける。そして、会員が天井の柱に結わき付けられている俵を見て質問したところ、管理人は下で話しましょう、と言う。
囲炉裏 : 囲炉裏を囲んで俵の謎を聞く。
ここには、仏壇や神棚などの他に、もう一つ空きのボックス(囲い)がありますが、行者がやって来てお札を入れていきます。古くなったお札は俵にしまいます。
水田三喜男誕生地の石碑が建つ美しい庭
正門前の竹林 : 見学を終えておどける会員
高照寺・大杉観音 (南房総市山田)
大杉観音堂 : 安房国札観音巡礼十五番札所
大きな手術を終えカンバックしたKさんが、身替地蔵に感謝のスキンシップ(?)
高照寺 身替地蔵
佐久間ダム湖畔のお花見 (鋸南町)
佐久間ダム湖畔の桜 : 今年もいつもの風除けの出来る場所に陣取ってのお花見。
自然の宿くすの木の七福膳弁当が実に美味しかった。
佐久間ダム湖畔ののお花見 : カンバックしたKさんが、入院体験を語る。
また、4月22日の富津海岸での潮干狩りの案内を申し出る。
佐久間ダム湖畔のお花見 : 「遊子の会」では4月15~16日に、サントリー白州工場~上諏訪温泉~
高遠の桜のバスツアーを予定しているが(私は所用で欠席)、過日訪れ
たというShouzouさんが体験を語る。
何とか持ったお天気も14時になって、ポツリポツリと落ちて来たので、お花見はお開きとなった。
帰路は、4月5日の房日新聞に、岩井の海を背景にピンク色が映える墓地上にあるしだれ桜が見頃を迎えた、と紹介されていた南房総市高崎の寿楽寺のしだれ桜前を通ったが、全くの葉桜となっていた。
その後、道の駅富楽里で休憩後、15時過ぎに旧市民センター駐車場に戻り、房総お花見会は無事終了したのである。
桜の那古寺・諏訪神社を訪ねて
3月31日(火)のことである。東京の桜は満開とのテレビ報道と明日は雨との天気予報に、私は神社仏閣と桜の写真を撮りたいとの思いから、目をつけていた那古寺と諏訪神社を訪れた。
那古寺(館山市那古)
那古寺は坂東三十三観音霊場第三十三番(結願寺)の古刹である。
境内のお堂には工事中でシートに覆われているものがあり、また桜はこれからの状態で、出くわした住職から「東京のようには行きませんねぇ~」と慰められる始末。私の思惑は見事に外れてしまったのである。
観音堂
阿弥陀堂~仁王門
仁王門
諏訪神社(館山市正木)
那古寺を辞してから、館山市正木の諏訪山の頂上(標高74m)にある諏訪神社に向けて車を走らせる。
そして、館山市立博物館の「正木の鎮守さま諏訪神社」のイラストマップと裏面の「正木諏訪神社の文化財解説」を片手に、初めて訪れるこの地をわくわくしながら巡ったのである。
参道の桜並木はこれからの状態、社殿の桜は咲いてはいるが、古木故か華やかさに欠けイマイチであった。しかし、鏡ヶ浦(館山湾)と富士山のビューポイントからの眺望は素晴らしかった。
かくして、私は人っ子一人もいない境内を我が物顔で存分に満喫したのである。
桜並木の参道を上り切ると駐車場に突き当たる。
階段を上り、二の鳥居をくぐり、ゆるやかな坂道の参道を少し進むと東屋のある鏡ヶ浦(館山湾)と富士山のビューポイントに着く。
二の鳥居前 : 満開のハナモモと鏡ヶ浦(館山湾)を垣間見る。
東屋のあるビューポイント
ビューポイントから那古方面を望む
ビューポイントから鏡ヶ浦(館山湾)を望む
参道を挟んでビューポイントと反対側の高台に富士講祠と芭蕉句碑が建つ。
富士講祠は、また境内の入口に位置するが、古の参拝に訪れた人々の富士山を望む姿が偲ばれる。
しかし、今は自然林に阻まれてそれは到底無理な話である。
境内入口高台に建つ富士講祠
境内に入り、拝殿~本殿へと歩み、桜と神社の写真を撮りながらお参りする。
拝殿と桜 : 大木の周りにはマムシグサやシャガの花が見られた。
拝殿から見る桜 : 木々の奥に自然園が広がる。
本殿
拝殿前に立つ案内板には、諏訪神社の由緒が記されていた。
諏訪神社は延喜元年(901)、この諏訪山の地に創建されました。
御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、下宮は父君の大国主命(おおくにぬしのみこと)であります。御創建当時、諏訪山の麓の集落は白浜郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活を営んでいましたが、 しばしば大荒波に襲われ、その被害に苦しんでおりました。
延喜元年正月八日の夜、ある村人の夢に信濃の国の諏訪大社の神様が現われたので、村人たちが
お社を建てて一心に祈ったところ、たちまち大荒波は静まり、一同は大層喜んだということです。
その日以来当社を産土神(うぶすながみ)、氏神として崇め奉り、一千百年を経た現在は正木地区(岡・
本郷・川崎・西郷)の人々の心の拠り所となっています。
それから、社殿前面境内奥に広がる自然園(?)へと足を伸ばし、散策路に沿って歩く。
そこでは、色々な花木や野菜、満開のオオシマザクラを観賞して、正木諏訪神社を辞したのである。
大貫の古道を歩く
3月5日(木)、私は「遊子の会」主宰者YUさんのお誘いで、南房総市千倉町の大貫古道の会が主催する
「大貫の古道ガイドツアー」に参加した。
小松寺をスタートし、乙王の塚、小松林道、乙王の滝を巡り、再び小松寺に戻るコースであったが、この
小松寺の山の上の古道は、人々の日々の生活、近隣の村との行き来として使われ、また、巡礼の道でも
あった、という。
9時小松寺仁王門前に集合。300円の参加費を払うと、古道の手書きマップと小松寺の解説書を手渡され、さらに、有難いことにペットボトルのお茶と立派な節模様入りの竹の杖をもらう。
集合、スタートは小松寺仁王門前
古道はよく整備された山道で歩きやすく、また、番号入りの案内板(1~8番)が設置されていて安心だ。
山道を上り切ると分岐点(2番、138m)に出る。2本の大樹の根元には祠が見られる。行き倒れの人を
慰霊した祠だという。
2番138m、分岐点の祠
それからは快適なマテバシイの尾根道が続く。
5番 マテバシイの尾根道
しばらく歩くと浅間さま(6番)を認める。手書きマップには、50年程前にはまだ炭や薪を作っており、木を切り出した後の古道からの眺望もよかったようです、とある。おそらく富士山が望めたのであろう。
6番 浅間さま
そして、スタートから80分で、本日のハイライト乙王(おとおう)の塚に到着。
8番139m 乙王の塚
乙王の墓
乙王の塚 : 下り道から撮る。建物は乙王の墓の安置室
乙王の塚は、大貫古道の会の人達の整備により見晴らしの良い展望台となっていて、西に館山湾、東に
嶺岡山系の絶景が望めた。
乙王の塚より館山湾を望む : 右奥に大房と堂山が見える
乙王については、小松寺の七不思議(伝説)の一つ「晴天の雨」を引用しよう。
毎年2月15日には、どんな晴れた日でも、小松寺のある小松地区には必ずひと時の雨が降ると言われ
ます。この日小松寺の再建を祝う慶賀の式典が行われ、国司安房守の嫡男千代若丸が稚児舞を奉納
しました。すると突然怪物が現われ、千代若丸を引っつかみ天空高く舞い上がり、遥か遠く北方の地に
去ってしまいました。やがて千代若丸は伊予ヶ岳にて遺体となって発見されました。
側近の乙王は千代若丸の死を悼み、小松寺の東北にある滝に身を投じ追死したのです。2月15日の
晴天の雨は両者を悼む涙雨でしょうか。
小松地区の人々は昭和の初期頃まで、この日は仕事を休み、ご馳走を作りお参りしたと言われており
ます。~小松寺の解説書より
それから、小松林道に出て、乙王の滝を見学後、小松寺に戻る。約2時間半の山歩きであった。
乙王の滝 : 千代若丸の死を悲しんだ従臣乙王が身を投じたと言われている滝
さて、ガイドツアーの最後は、小松寺本堂に上がり昼食と「小松寺の七不思議」などの話を聞くことになった。昼食は弁当持参とのことだったので、私はおにぎりを持って行ったが、ミカンの配布の他にガイドグループの人達からナバナのおひたし等手作りの食べ物があとからあとから回って来た。
昼食後は、小松寺総代で区長でもある方から小松寺の解説書をもとに、小松寺の歴史、文化財、仏像群
、七不思議の話を聞き、13時に至れり尽くせりの「大貫の古道ガイドツアー」はお開きとなった。
小松寺鐘楼・梵鐘 : 梵鐘には「為千代若丸(ちよわかまるのために)」と記されているという。
わたしの町の歴史探訪~館山城下町
3月1日(日)、私は館山市立博物館の「わたしの町の歴史探訪~館山城下町」に参加した。
そこでは、岡田館長のガイドで私の住む城山西側とは反対側の里見氏が作った城下町、上町・仲町・
新井・上真倉を中心に巡った。
小雨降る中、身近な場所の歴史解説にわくわくしたのだが、後半の城山の麓では雨が強まり足元は
びしょびしょになり気持ちもないでしまった。無論、写真撮影どころではなかったので、私はブログ用に
4日(水)に、再度気に掛かった場所をイラストマップ片手に訪ね歩き、写真も撮って充実感をおぼえたのであった。
行程
城山公園駐車場→枡形→仙台藩役所跡→食い違い道→長福寺→三福寺→菱沼跡→本蓮寺→妙台寺
→御霊山→下宿→宇和宿→神明神社→大膳山跡→采女の井戸→里見重臣屋敷伝承地→(貴美稲荷
神社)→里見八遺臣の墓→(義康御殿跡)→館山城切岸→(コルバン夫妻の墓)→城山公園駐車場
*( )内は4日(水)に行程に加えて立ち寄った場所
それでは、行程をガイドの話やイラストマップ裏面の解説等を引用して振り返り、写真を添えてまとめて
おこう。
上町・仲町・新井
小雨の中、城山公園芝生広場駐車場を13時に出発。最初に立ち止ったのが「うなぎのいず喜」の駐車場。そこは枡形(ますがた)と呼ばれる場所で城郭の入口にあたり、出陣の際兵の集まる所でもあったという。次は君塚美容院横の空き地、ここが何と仙台藩の廻船役所跡だという。
それから、昔館山小学校の授業で映画を見に行った時の道を歩き、今はマンションが建つ館山劇場前の
通りに出る。バス通りから見ると通称館山タクシーから入る通りであるが、城下町の時代は下町交差点の
千葉銀~館山病院の通りはなく、ここがメイン通りとのこと。
また、君塚美容院前と館山タクシー前の十字路は、わざとずらして交差した道、即ち敵の侵攻を妨害する
為の「食い違い道」だという。
私は、見慣れた場所の歴史解説にわくわく感をおぼえる。
一行は、かつてのメイン通りに面する正門から長福寺に入る。
ここで、嶋田家の墓、寄子万霊塔、中世の石造六地蔵尊が案内される。
また、館山小学校開校の地との説明があった。
長福寺 : 正門~参道~本堂、いつものバス通りからとは全く違う光景だ!
長福寺 : 寄子万霊塔~嶋田家の墓
*寄子万霊塔 : 戊辰戦争の際、箱根山崎の戦いで敗れた館山藩の農兵を慰霊。
嶋田家 : 新井浦の名主嶋田三郎兵衛家が長福寺の大檀那だった。
館山タクシー前の食い違い道から下り、新井の三福寺を目指す。その通りは昔館山第二中学校へ通った道であるも、その下は海だったとの説明に驚く。
三福寺では俵光石の石彫釈迦如来像の前で、ガイドは岩崎与次右衛門、新井文山、俵光石を覚えておいて損はしない人として語る。
三福寺 : 俵光石の石彫釈迦如来像
*俵光石 : 東京美術学校で高村光雲に師事した経歴を持つ楠見の石工
岩崎与次右衛門 : 里見氏の時代、城下町の商人頭で三福寺の大檀那
新井文山 : 館山藩儒者で郡奉行。新井浦に生まれ、町人ながら勉学に励み武士になった人
安房先賢偉人の一人
三福寺を辞した後、下町交差点から館山病院横の空き地「菱沼跡」に立ち寄る。
そこは、江戸時代中期の元禄までは汐入川の遊水地で、里見氏の時代には船溜として使われていたと
思われるという。今は空き地の端に汐入川に通じる水路のみが見られた。
上真倉
再びかつてのメイン通りに出て、日蓮宗のお寺本蓮寺と妙台寺に立ち寄る。
本蓮寺は館山下町の商人中山六右衛門家が開基檀那。中山六右衛門は里見の時代の連雀司(れんじゃくのつかさ)。*連雀司 : 行商のリーダー
ここでも城下町の有力者の名前が登場、町人が力を付けて来たあかしであろう。
それから、御霊山中段の堀跡に沿って道なき道を一列になって歩く。
堀跡は水堀であったことが確認されており、鹿島掘跡とのこと。
*鹿島掘 : 館山城の外堀で義康の時代に関ヶ原の戦いの功労で鹿島(茨城県)三万石を加増され
鹿島領民が構築したものと伝えられている。
山を下りてから下町交差点に通じるR410をまたいで、かつての農村地帯へと進む。
先ず汐入川にぶつかる所まで行き市場の話を聞いた後、刑場跡に残るお墓を見る。
周辺は下宿と呼ぶ。次に戻る形で上宿(宇和宿)を歩く。石井という表札がやたらと目に付く。
共に里見氏以前からの市場機能を持つ中世の宿が置かれていたとされる。
それから、城山の東南側を進み麓に近づくことになる。
神明神社は伊勢大神宮より勧請、真倉郷の鎮守。
神明神社 : 真倉郷の鎮守
大膳山跡 : 今は切り崩されて山の形はない。麓に里見家一門衆の頭、正木大膳(二代目正木大膳亮時茂のこと)の屋敷があったと伝えられる。
ガイドは館山城とは城山全体を指すと言い、大膳屋敷跡を望む谷津田で、館山城の東南には四つの山即ち天王山、御霊山、大膳山、熊野山があり城郭の役目を果たしていたと言う。
谷津田から望む天王山(左)と御霊山
カギ型の道を抜け里見重臣屋敷伝承地に入る。そこで、忠義の重臣印東采女の屋敷の井戸「采女(うねめ)の井戸」を見る。里見重臣屋敷には江戸時代稲葉氏の館山藩の陣屋が置かれる。
采女の井戸
写真を撮りに行った日、私は(貴美稲荷神社)を探した。古びた階段を見つけて上ると、竹藪の中に小さな朽ちかけた建物が現れた。館山藩主稲葉氏が祀った神社という。
雨の中、一行は八遺臣の墓を訪れる。ガイドは里見氏が館山を居城にする以前の中世の武士の墓で
NHKの里見八犬伝の放映を機に観光用に再活用された所と話す。
八遺臣の墓
写真を撮りに行った日、頭上に東屋の屋根が見えたので上ってみた。すると、そこには(義康御殿跡)の美しい梅園が広がっていた。
義康御殿跡 : 今は美しい梅園
八遺臣の墓を辞してから、一行は切岸の話を聞きながら16時に出発点の城山公園芝生広場駐車場に
戻り、館山城下町のガイドツアーはお開きとなった。
*切岸 : 山の斜面を垂直に削って人工的に作った城壁のこと。
城山の周囲をぐるりと巡っているという。
写真を撮りに行った日、私はイラストマップにある切岸に沿った脇道を歩いてみた。
すると、キリスト教の共同墓地が現われ一角に(コルバン夫妻の墓)を見つける。
コルバン夫妻の墓
*コルバン夫妻 : イギリス出身のコルバン夫妻は明治年間に医療伝道のため来日。
コルバン医師は自身の療養のため明治末から大正にかけて市内八幡に住み結核
療養所を開いた。コルバン医師の没後、夫人は安房各地で伝道を行って教会を建て
南三原、和田、鴨川などに幼稚園を開設した。
こうして、私にとってふるさと再発見となった「わたしの町の歴史探訪~館山城下町」は終わったのである。
桜のトンネル~山本の堰(館山市)
3月10日(火)、朝方までの雨が上がりすっきりとした青空となるも、風が強く吹きまくっている。
幼馴染でクラスメートのT君から「山本の堰の桜が綺麗だよぉ~!」との興奮気味の電話が入る。
迎えのT君の車はすぐにやって来た。私共夫婦は、またまたご好意に甘えることになった。
山本の堰 : 青空に濃いピンクの花が映えて美しい。
山本の堰の桜とは河津桜であったが、左岸の遊歩道を少し進むと桜のトンネルが現れる。
興奮気味の正体はこれか、と思った。T君は「館山では一番だっぺぇ~!」と語る。
山本の堰 : 桜のトンネル
山本の堰 : 桜のトンネル
私は昨年初めて訪れて、水辺の桜を堪能したが、河津桜の存在は知らなかった。やや盛期を過ぎてはいるものの十分な見ごたえである。今度は真っ盛りの時に訪れてみたいと思った。
それから、T君は上に行くと館山の海と町が見えるからと車を走らせる。
少しして突き当りに工場が現れる。守衛さんがすっ飛んで来た。話している内に、そこはマッハコーポレーションという半導体製造工場で操業準備中であることが分かった。
この地での半導体製造会社の沿革や撤退について、私はUターン組なので殆ど知らない。
そこで、家に戻りインターネットで検索してみた。すると、次の様な記述が目に留まる。
館山市では・・・・・旭化成エレクトロニクス館山事業所(従業員約200人)とUMCJ(同約600人)の
2社の撤退が明らかになり・・・・・・・。
私は、マッハコーポレーションによる半導体製造の再出発が早い時期になされ、館山に新たな雇用がもたらされたら、いいなと思った。
半導体製造工場への坂道で館山の海と町を望む。帽子が飛ばされそうになる強風が吹き荒れていた。
ドライブのしめは、我家に戻ってからの懇談となった。話は雇用問題から、お墓や永代供養お寺との付き合い方に移り、やけに盛り上がる。お互い老い先短い故であろうか。
岬カフェ
3月4日(水)、昼食を済ませて一服していると、幼馴染のクラスメートT君より電話が入る。
「いい天気だから俺の車で明鐘の喫茶店を案内するよ~!」
明鐘(みょうがね)の喫茶店とは、吉永小百合さん主演の映画「ふしぎな岬の物語}のロケ地となった
明鐘岬(鋸南町)にある海に向かって立つカフェである。
「ふしぎな岬の物語」は、私の住む館山市でも2月22日(日)に南総文化ホールで上映された。
身近な場所がふんだんにロケ地となって登場したこともあって、私は興味深く鑑賞したばかりであった。
そんな訳で、私共夫婦は「こりゃ~有難い!」と好意に甘えることにした。
岬カフェ : 吉永小百合さんが海を眺めているシーンが浮かぶ
T君が現役の頃、何度か立ち寄った時には女性店主が一人で切り盛りしていてお客もほんの数人だったと言うが、この日はもう一人の女性スタッフもいて大変な繁盛ぶりであった。
岬カフェ前に広がる磯を望む : この日は風が強くカメラを構えると体が揺れた。
テラス席や海側のカウンターに座れば、遠く三浦半島や伊豆半島が望める絶景の海を眺めながらコーヒーを味わえるのだが、残念ながら我々の席は忙しそうに働くスタッフが見えるカウンター席であった。
岬カフェ駐車場から山側を望む
岬カフェを辞した後、T君は梅と河津桜の咲く佐久間ダム親水公園から源頼朝上陸地の勝山海岸を巡ってくれて、鋸南町の魅力に触れることが出来た。T君、ありがとう!!
花だより~梅と河津桜
2月28日(土)晴れ。城山公園(館山市)の梅が見頃との花だよりに、妻と買い物がてらカメラを肩に
登ってみた。スタジアム状の梅園は、春の日差しに白・ピンク・紅の梅が咲き競い実に綺麗だ。
坂道を下り遊歩道をめぐる。
西端の小高い場所で、咲き誇る枝垂れ梅に出くわす。光の差し具合に、これはものにしなきゃ~、とシャッターを押す。それは、この日一番の写真となった。
いつもは早くして、とこうるさい妻も咲き誇る梅に満足気に見入っていた。
今日は写真の日と決めた私は、午後一人でコミュニティーセンター(通称コミセン 館山市)周辺に咲く河津桜を撮りに出掛けた。
夫婦でコミセンの卓球サークルに通っているので、今が撮り時と承知してのことである。
菜の花との競演の河津桜は満開で、コミセン壁面のダッペー(館山市のマスコットキャラクター)もご満悦のようだ。
帰りに、コミセンに隣接する南総文化ホールに立ち寄り、ギャラリーで開催されている富浦・鋸南・鴨川・富山四団体のフォトサークル写真展をのぞいてみた。
見事な写真に、こんな風に撮れるようになりたいなぁ~、と思った。


































































