天津神明宮鳥居通初上棟祭
天津神明宮(鴨川市)で二十年に一度行われている鳥居の建て替え神事である式年鳥居木曳祭の結びの神事・鳥居通初上棟祭(とりいとおりぞめじょうとうさい)が、10月15日(土)に執り行われた。
「遊子の会」では、8月22日(土)の鳥居曳神事に続いて、15名が2台の車に分乗して駆け付け、これを
見学した。
主宰者YUさん不在の中、統率を依頼された私は写真を撮りたいので、まとめ役を鴨川ガイドの資格を
持つKANさんとSUGIさん、そして運転手の二人に依頼。
結果として、四人が話し合いながら皆を案内した行程は次のようなものとなった。
旧館山市民センター駐車場→天津神明宮鳥居通初上棟式→御社殿参拝→神賑行事(奉納芸能・餅投
げ)→いろは堂あんもりの買物→須賀神社参拝→中国料理東洋にて昼食(おらが丼)→旧館山市民
センター駐車場
かくして、私はいつものように写真を撮り、皆は和やかにのんびりと秋晴れの鴨川の一日を楽しく過ごした
のであった。
それでは、写真と共に鳥居通初上棟祭を振り返って見よう。
二ノ鳥居 : 天津神明宮駐車場に到着後、一ノ鳥居へ向う途中、建て替えられた二ノ鳥居に出会う。
一ノ鳥居 : 見上げる大きさに感嘆、鳥居曳での御神木を思うと感無量。
我々は巫女さんに加わってもらって集合写真を撮った。
一ノ鳥居 : 須賀神社での鳥居通初式を終え、天津神明宮へ行列で参進した一行が到着。
一ノ鳥居 : 一行の到着
一ノ鳥居 : 鳥居通初上棟式の始まり。
一ノ鳥居 : 鳥居通初上棟式での通初神事の一つ。我々は、ここで様々な神事(儀式)を目にする。
一ノ鳥居 : 巫女による平和を祈る浦安の舞
一ノ鳥居 : 浦安の舞
一ノ鳥居 : 通り初め。神職、宮司を先頭に鳥居をくぐる。
一ノ鳥居 : 氏子が引く小型屋台の笹万燈も鳥居をくぐる。我々も一般参拝者として通り初めに参加。
一ノ鳥居をから二の鳥居をくぐり御社殿に向う。
御社殿 : 参拝者の列。中央左側は今回も笑顔で迎えてくれた天津のHさん。
我々は参拝後、御社殿脇の御神水で一息つく。飲めば長生きして死ぬまで生きられるよぉ~、
と言う人あり。
続く御社殿前の広場での神賑(かみにぎわい)行事までには、時間があった。
広場東側にある舞台と呼ばれる建物脇に、真新しい鳥居を認める。
鳥居の奥は市指定天然記念物神明神社の林で、林の中の急階段を登れば、イザナギ、イザナミの両大神を祀るなぎなみ神社にたどり着くという。
健脚のMさんを先頭に4人で登ってみた。可憐なホトトギスを見ながら急階段を進むと、奇妙な樹木に出くわす。ここで下山者に会い、なぎなみ神社まではあと半分と言われ、すっかり汗ばんでいたので登頂は止めることにした。
広場に戻ると、KANさんから、先ほどHさんが鳥居の御用材調達に多大な貢献をされたとして表彰された、と告げられる。私は記念にと宮司と表彰状を持つHさんが並ぶ写真を撮って差し上げた。
神賑行事では、奉納芸能の後、餅投げで盛り上がる。私はカメラをKONさんに預け意気込んだのだが、
無念にも1個のみのゲットに終わる。
奉納芸能 : 舞台でイメージソング「むすひ」を熱唱する松尾貴臣。KONさん納得のイケメンシンガーだ
それから、我々は同じく鳥居通初式が行われた須賀神社を訪れる。
須賀神社の鳥居 : 神社下は、道路を挟んで漁港であった。
須賀神社に参拝 : 社殿には神輿が鎮座していた。
おわりに
私の見た天津神明宮鳥居通初上棟祭は、たかが鳥居の通り初めと言うことなかれ、それは町が一体となった伝統に裏打ちされたお祭りで、立派なコミュニティー活動であった。
かくして、漁師町の意気を感じながら、我々は天津の町を辞したのである。
彼岸の頃
一ヶ月前のことである。幼稚園生となった初孫のるいちゃん(3歳)が、彼岸のシルバーウィークを利用して、9月19日(土)~23日(水)にかけて、ママ(私の娘)と鎌倉から館山にやって来た。
19日(土)、「やわたんまち」で賑わう鶴ケ谷八幡宮の参道に並ぶ露店を高速バスの車窓から見たるいちゃんは、どうしても行きたい、と言う。
そこで、先ず明日は私の姉と弟夫婦が墓参りにやって来るので、掃除を兼ねて皆で墓参りをした。
すると、るいちゃんはきちんとお墓の前で手を合わせた。
「やわたんまち」は安房地方最大のお祭り故、大変な人出で参道両端の露店は二重にびっしりと並ぶ。
るいちゃんは興味津々の面持ち。しかし、ママから許されたのは「宝さがし」のみ。
でも、お店のおばさんは気前が良くて、一緒にやろうね、と言ってくれてごっそり宝物をすくい上げることが出来た。かくして、こんなに取れたのは初めて、と母子はこおどりして喜ぶ。
それから社殿に進み参拝。ここでも、るいちゃんはきちんと手を合わせた。
境内は宮入の二基のの神輿が、もみ・さしを繰り返し熱気に包まれていた。
るいちゃんが見せて、見せて、と言うので抱っこするとずしりと重い。幼児の成長は早いものである。
我家では、夕食前に仏様(仏壇)にご飯とお水を上げる。るいちゃ~ん、南無~をお願いしま~す、と言うと、るいちゃんは飛んで来てチーンと鐘をたたき手を合わせる。そのしぐさが可愛らしく様になっている。
普段、パパやママが手を合わせるのを見ているからであろう。
20日(日)、この時期、我家の周りには至る所で彼岸花が咲く。中でも休耕田に接する土手が一番の
見所である。朝食後、写真に収めようとるいちゃんと出掛けたのだが、いつの間にかるいちゃんはモデルとなった。
彼岸花とるいちゃん 9月20日撮影
彼岸花とるいちゃん 9月20日撮影
家に戻り、北側のフェンス前で咲き誇るハギを見せたところ、ここでもるいちゃんはモデルとなった。
ハギとるいちゃん 9月20日撮影
さて、プランターで育てているゴーヤであるが、8月の初めの頃は緑のカーテンとしては失敗かと思ったが、その後勢いを増して、今はリビングから見ると朝日に映えて葉っぱの濃淡が美しい緑のカーテンとなった。
ゴーヤの緑のカーテンとるいちゃん 9月22日撮影
庭はと言えば、種から育てた千日紅が思惑通りに咲いてくれた。
キャッツテールと千日紅 9月23日撮影
千日紅 9月23日撮影
23日(水)朝食後、館山を去る前に母子は仏様に手を合わせた。
身体は小さいが口は達者なるいちゃんは、仏様にジジちゃんが居るからよろしく、とお願いしたと言う。
泣かせる話である。
そして、母子はナカパンでパンを仕入れて9時の高速バスに乗ったのであった。
午後、ジジババは長福寺の彼岸法要で、京都智積院での化主の務めを終えて戻られた総持院(沼の大寺)の寺田信秀大僧正の法話を聞いた。
95歳にして、良く通る声で30分間立ったままで、「命のつながり・・・・・・・、親が先祖に手を合わせる背中を見せよ・・・・・・・」と分かり易い言葉で、人の道を説かれた。
横須賀歴史探訪(防衛大学と軍港見学)
8月26日(水)、私は「また旅倶楽部」の戦後70年企画「防衛大学見学と横須賀軍港めぐり」のバスツアーに参加した。
午前7時の館山市の城山公園出発時は、激しい雨でどうなることかと思ったが、防衛大学が近づく頃には
雨が上がった。
終日、夏とは思えない肌寒いどんよりと曇った空の下、私は国の護り・抑止力の一旦を目の当りにして、
肝を抜かれる思いがした。
防衛大学見学
9時50分~11時20分の防大見学ツアーは、大型観光バスに待機して予約した氏名の確認と身分を証明する自動車免許証や健康保険証の提示で始まった。
そして、防大側の三人のスタッフのガイドの下、本部庁舎→記念講堂→中央広場→資料館→学生会館→
屋外展示場とめぐった。
本部庁舎 表側
学生綱領 : 本部庁舎の床に描かれていた。
本部庁舎 裏側 : 並ぶ旗は留学生の国旗。
記念講堂 ステンドグラス「若人の城」 : 「富士山」は守るべき対象である日本のシンボル、「咲き誇る桜
」「金色に輝く海」「紺碧の空」は陸・海・空を示すという。
記念講堂 : 卒業式の帽子投げで有名な所。
中央広場 彫刻像「国の護り」 : 彫刻像は「かぶと」「日輪=日の丸」「羽ペン」陸海空の「三本の柱」
からなる。「かぶと」と「羽ペン」は文武両道を表現。全体として防大生の
あり方を示しているという。
中央広場に建つ時計台(給水塔)や彫刻像「国の護り」の説明を受けた後、防大の歴史が一目でわかるという資料館を見学(撮影禁止)、防大グッズが購入できる学生会館に寄り、陸海空の屋外展示場へと進み、防大見学ツアーを終えた。
この間防大生に会うことはなかったが、午後の部では「学生の行進」が見られるという。
防大見学ツアーで見聞きしたことから、予想通り防衛大学は一般大学とは大きく異なり、学生生活も厳しいものであることが伺えた。
屋外展示場の戦車
横須賀軍港めぐり
ショッパーズプラザで昼食を取った後、14時出航の軍港めぐりに乗船。
パンフレットには、横須賀本港→長浦港→新井掘割水路→横須賀本港とめぐり、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦船を間近で見られる横須賀ならではの「ご当地クルーズ」とある。
私はクルーズ船二階の屋上デッキに上がり、右側の前から二番目に座る。これは正解で多くの艦船を
迫力ある姿で見ることが出来た。
横須賀軍港めぐり
船内に流れる案内人の解説は分かり易かったが、艦船についての知識がなかった為、ブログを書くに当たってはネット検索により再度理解を深める必要があった。
先ずは横須賀本港アメリカ海軍の基地側で、海上自衛隊の潜水艦を見る。
海上自衛隊の潜水艦 : 鯨のようだ。
次に反対側の海上自衛隊の基地側でどでかい艦艇を見る。護衛艦いずもだと言う。
また、かつての戦艦は、今は護衛艦と呼ぶのだと言う。
護衛艦183いずも : 海上自衛隊最大のヘリコプター搭載の空母型護衛艦
それからアメリカ海軍のイージス艦が現われる。
アメリカ海軍のイージス艦
アメリカ海軍のイージス艦
イージス艦とは、アメリカが開発したイージスシステムを搭載している艦艇のことで、見分け方は船体に確認できる八角形の模様。それはフエーズドアレイレーダーと呼ぶ高性能なレーダーと言う。
日本のイージス艦はこんごう型ミサイル護衛艦4隻とあたご型ミサイル護衛艦2隻の6隻が就役中で、保有数は世界で2番目、建造費は1,400億円、年間維持管理費は40億円とのこと。
次に海上自衛隊側で汎用護衛艦を見る。
護衛艦153ゆうぎり、護衛艦111おおなみ、掃海母艦463うらが
その後、クルーズ船は横須賀本港を出て、長浦港から新井掘割水路を抜けて本港に戻ったのであるが、帰路の本港海上自衛隊側で、掃海母艦と海洋観測艦を見る。色々な役目を持った艦艇があることを知る。
掃海母艦463うらが、海洋観測艦5104わかさ、海洋観測艦5105にちなん
かくして、艦艇の多さに圧倒された45分間の横須賀軍港めぐりは終わった。
下船後、汐入ターミナルでお土産を物色する。中心は海軍カレーと軍港めぐりせんべいだが、私は妻に軍港めぐりせんべいを買った。
それは、ジジババに食べやすいクッキー風のせんべいで、予想外の好評を得た。 おわり
:
カヌーのシロギスつり~2015
これは、大きな手術から復活したKさんとのカヌーでのシロギスつりの日誌です。
カヌーの持ち主及び操船はKさんで、私はご好意に甘える釣り人です。
5月22日(金) 堂ノ下海岸(館山市船形)
天候 くもり
潮 中潮 満潮 6:01 干潮 13:06
釣りタイム 5時~8時30分
釣果 シロギス11匹(Max21cm)、カワハギ2匹、メゴチ2匹
状況 崖の観音を背にカヌーは、すべるように進む。水温が低いのだろうか、アタリがないので
堤防先端を越え堤防西側を攻める。すると、大型シロギスが釣れ出し気を良くするも、
予想よりも早く8時前に南東の風が吹き始め、8時30分沖上がりとなった。
カヌーにとって、最大の難敵は風ゆえに的確な判断であった。
しかし、お互い久しぶりに気持ち良い海風にあたり、元気にシロギスとのやりとりを楽しめ
たことに満足せねばなるまい。
7月27日(月) 新井海岸(館山市館山)
天候 晴れ
潮 若潮 干潮 7:44 満潮 15:03
釣りタイム 4時50分~8時
釣果 シロギス13匹(Max20cm) メゴチ4匹 アナゴ1匹
状況 地域の役員としての役目である館山市の広報誌だん暖館山他の仕分け~配布の日なの
で、8時沖上がりをお願いして釣行した。
真夏なので、深場ねらいで館山夕日桟橋の先端近くでスタート。
しかし、型が小さいので桟橋先端を越えたところ、良型が連続でヒット。
また、一度今まで経験したことがないジャンボサイズが姿を見せたが、舟べりで痛恨のバラ
シ。Kさんは帰路の桟橋内側で強烈な引きに糸を切られバラシ。カワハギのようだと言う。
お互いに目標のツヌケ(10匹)が達成できて満足する。
8月19日(水) 堂ノ下海岸(館山市船形)
天候 くもり後晴れ間出る
潮 中潮 満潮 7:06 干潮 13:25
釣りタイム 5時~11時
釣果 シロギス26匹(Max23cm)、メゴチ2匹
状況 私が「もっと病人らしく・・・・・・」と言うほど元気なKさんから、7月31日(金)絶好のカヌー
日和に堂ノ下海岸で釣れました、と写真付きでメールが入る。
釣果はシロギス28匹(Max22cm)、メゴチ10匹、カワハギ2匹(Max28cm)、ヒラメ
1匹(38cm)と言う。
チャンス到来だが、私にお祭り~孫の滞在~お盆と気ぜわしい日々が続き、二人での
釣行は8月19日(水)にずれ込んだ。
この日は最初ウネリがあり、舟底に膝を付いて座るよう指示が出る。(操船のKさんはいつ
もそうしている)これ、結構きつい。
釣り場は前回と同様で、移動の度にアタリが出て、シロギスとのやりとりを楽しめた。
後半、ウネリがおさまり釣りやすくなったが、食いは変わらなかった。
その内、晴れ間が出て暑くなったが、Kさんは元気で名残惜しいなぁ~、と言い、結局エサ
切れまで釣り続けた。
ハプニングは砂浜に上陸の際に起きた。カヌーから降りようとして、私がよろけて転倒。
その時カヌーにつかまった(?)為かカヌーも横転。二人ともびしょ濡れになってしまう。
カヌーを元に戻し、水を汲み上げて砂浜に上げる。釣り具も水びたしで余分な仕事を作って
しまった。
帰宅後、Kさんからメールが入る。「・・・・お疲れ様でした。何か亡くしたり、故障したものは
ありませんか。久しぶりにタックルをすべて水洗いできたのが、今回の儲けものでした。
・・・・・・・・」 何とも、Kさんは寛容な人である!!
夕食には、刺身とフライが食卓に上り、無論美味しく頂いたのであった。
式年鳥居木曳祭
式年鳥居木曳祭とは、天津神明宮(鴨川市天津)で二十年に一度行われている鳥居の建て替え神事で
ある。
昨年10月の「遊子の会」秋のバスツアー「秋の上州路、万座温泉旅行」の車中で、天津から参加のHさん
から、この神事についてお話があった。
主宰者YUさんは、この話を受けて、一連の神事において最も規模が大きい鳥居曳神事=鳥居木曳祭
(以下鳥居曳と記す)の見学を企画。
かくして、我等会員は、三日間に渡る神事の最初の日の8月22日(土)に、この珍しい神事を見学できたのである。
台風の影響による高波が押し寄せる海岸線のバス車中で、YUさんは、この日の行程 天津神明宮→
鳥居曳→清澄寺 及びそれらに係る人物として源頼朝や日蓮を分かり易く解説する。
解説は、以下の写真に付属して引用させて頂くことにする。
天津神明宮 (鴨川市天津)
二の鳥居 : 鳥居建て替え現場
天津神明宮 : 主祭神は天照大御神と豊受大神
源頼朝公が戦に敗れて安房の地に逃れて来た時、源家の再興を伊勢の大廟に祈願され見事成就されたことにより、天下平定の後、寿永3年(1184)当地に伊勢より神霊を勧請し以前より鎮座の庤明神と共にお祀りされた。
一の鳥居用百年杉の切断片 : 今回の御用木は東京大学千葉演習林より払下げ、提供されたとのこと
皆で御社殿に参拝した後、土産物売場でお守りなどを買い求め、御用木の百年杉の巨木に思いを馳せ、
天津神明宮を辞する。
鳥居曳
鳥居曳の会場、天津小学校校庭に到着。祭りの役員であるHさんが浴衣姿でいつもの笑顔で迎えてくれた。
御神木(鳥居木)前で集合写真を撮る : この日の参加者は25名
長生きしそうな三人 : 御神木に触れると御加護が得られる?
出発式 : Hさんも役員として榊を上げた。
奉曳 : 須賀神社の鳥居木から出発。須賀神社は天照大御神の弟、須佐男命を祀る。
須賀神社用の鳥居木に続いて天津神明宮用の1号木、2号木、3号木の順で出発。
いつの間にか、何と皆が1号木の木曳(奉曳)に豆木札を首からぶら下げ参加しているではないか!!
私は、慌ててこの模様を撮ろうと駆け回ったが、何せ人でごった返し、写真は人物のクローズアップばかりで、何をしているのか分からないものとなってしまった。
それから、鳥居木は校庭を出て一般道路を引き回されて天津交差点に向う。
集合時間が近づいたので安房東中の駐車場に戻ろうと、天津小校庭出口に差し掛かったところ、二号木が通り抜けようとしていた。
出口は傾斜と急角度の難所(?)のため、多くのカメラマンが集まっていた。
急旋回の鳥居木にシャッターを押していると、地元でない人が御神木を押っぺしているのが見えた。
何とそれはYUさんであった。この人も長生きしそうである。
かくして、汗びっしょりの鳥居曳の見学を終え、昼食の待つ清澄寺に向かったのであった。
天津小学校校庭を出る2号木 : 急旋回の御神木に助っ人でYUさんが現われた。
清澄寺 (鴨川市清澄)
日蓮宗大本山清澄寺は天台宗から真言宗を経て昭和24年に日蓮宗に改宗したのだと言う。
ここで、清澄寺のホームページから日蓮との係りを記しておこう。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人は12歳の時に小湊から当山に入り、道善法師に師事し出家得度しました。勉学修業に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)4月28日32歳の時、
旭が森で立教開宗の第一声をあげました。
清澄寺本堂参拝
我々は本堂参拝後、研修会館にて、YUさんが予約した精進弁当を食す。
涼しさと静けさの中で、大変美味しく頂いた。粋な計らいである。
二十年に一度という貴重で珍しい鳥居曳神事の見学は、皆が木曳に参加したりして盛り上がり、予想以上に良かったなぁ~、と思う。
食後の懇談で、今度は式年鳥居木曳祭の一連の神事の完結である鳥居通初上棟祭(とりいとおりぞめじょうとうさい)の見学の話が出た。10月15日(木)とのことだが、私も建立された鳥居を見届けたいと思った。 おわり
ガーデニング~2015・祭りの頃
酷暑の中で、館山の祭り~3歳の初孫の滞在~お盆と気ぜわしい日々であったが、今は普段の生活に
戻り、ハツユキソウやアサガオに「涼」を感じている。
庭に咲くハツユキソウ 8月12日撮影
アサガオとフウセンカズラ 8月12日撮影
朝、リビングのカーテンを開けると、ゴーヤの緑のカーテン越しに鉢植えのアサガオが咲いているのを認める。そこまでは思惑通りなのだが、ゴーヤは葉っぱも実も小さくて、現在のところ、緑のカーテンとしては失敗なのが残念なことである。
今年の夏は、ことのほか暑く閉口したが、以下に祭りの頃(8月1~2日)に撮影した「涼」を感じさせてくれた花や「健気」に咲く花の写真を載せておこう。
「涼」
ハクチョウソウとオミナエシ 7月31日撮影
ハツユキソウとバーベナ 7月31日撮影
「健気」
ハツユキカズラ : 火鉢の水槽にはスイレンの葉の下でメダカが泳ぐ 7月31日撮影
ニチニチソウ : 祭りの朝、我家の入口のフェンスにお祭りの花を立てる。 8月1日撮影
さて、酷暑の始まりとなった梅雨明けは7月19日であった。
私は、翌日の20日から3日3晩梅干しの土用干しを行い、梅干し作りを終えた。
それは、市販品と比べて遜色ないのだが、塩っぱ過ぎで成功とは言えず、来年は塩の量を梅の重量の
20%から15%に減らそうと思った。
梅干しの土用干し 7月22日撮影
「遊子の会」暑気払い~2015
梅雨明け(7月19日)後の7月25日(土)、「遊子の会」の暑気払いが館山の創業108年の老舗幸田旅館で行われた。参加者は、千倉の白間津大祭の見学を終えた15名が合流して総勢32名。
宴会は、次のようなプログラムで17時~21時まで和やかに進んだ。
開会の辞→自己紹介&近況報告→幸田旅館女将の挨拶→乾杯→主宰者YUさんの話→カラオケ(1)
→阿波踊り→カラオケ(2)→集合写真→民話のSさんの話→白浜音頭→詩吟→カラオケ(3)→
星影のワルツ→閉会の辞
主宰者YUさんの開会の辞に続いて、4班に分かれた班毎に班長の司会の下、各自の自己紹介&近況報告となる。元自衛隊グループの班に、YUさんの友人というFさんが初参加で登場。
Fさんは、海上自衛隊の高官として世界を駆け巡ったが、館山が一番だ、と言い終の棲家として館山を選び現在北条にお住まいとか。
自己紹介&近況報告 : 元ヘリコプター乗務員のKUDOUさんを班長とする元自衛隊(6名中4名)の班
ここには遅れて元自衛隊パイロットのKさん夫妻が合流した。
それから、幸田旅館女将の挨拶があり、宮中晩さん会の酒「日本盛の惣花」が手に入りましたので・・・、
と話す。かくして、我等は千倉のMさんの音頭で、幸運にも惣花で乾杯することになったのである。
幸田旅館女将の挨拶 : 女将より宮中晩さん会の酒「惣花」が提供される。
飲食タイムに入り一息ついたところで、主宰者YUさんの話となり、今後の予定が語られる。
それによると、8月22日に天津神明宮式年鳥居木曳祭見学、10月22~23日に「錦秋の上毛・温泉旅行」のバスツアーを実施、宿泊先の日光丸沼温泉環湖荘は乞うご期待と言う。
また、8月8日の館山湾花火大会では、YUさんのポケットマネーで「遊子の会」からの花火が打ち上げられると明かす。
主宰者YUさんの話 : 今後の予定を語る
そして、余興の部となる。3回ほどあったカラオケタイムでは、(1)では艶歌の女王KANさん、(2)では埼玉から参加したYUさんの友人Hさん(女性)、(3)では裕次郎がおはこのYUさんが、それぞれの持味を発揮して際立っていた。
19時30分、場がすっかり和んだところで阿波踊りのKUDOUさん登場。すぐに日本舞踊のISHIIさんが
女踊りで加わり、やんやの喝采を浴びる。
阿波踊り : KUDOUさんとISHIIさん
そして、KUDOUさんは踊り方を指導する。これが皆のやる気を誘ったのか、ほぼ全員がKUDOUさんを先頭に宴会場を所狭しと踊りながら歩を進めたのである。
かくして、阿波踊りは、この日の圧巻の出来事となった。
阿波踊り
阿波踊り : 元自衛隊の高官も部下の熱演に拍手を送る。
熱気が納まったところで、所用で退席する会員がいるとのことで集合写真の撮影タイムが入った後、民話のSさんが登場。今回は対話形式での語りであった。例を上げると、今度生まれたら同じ仕事につくか、同じ性になりたいか、同じ人と結婚したいか等と問う。そして、「はい」「いいえ」に手を上げた人の中から
その理由を聞く。
料理教室のMさん(女性)は、同じ性に生まれたいかの問い掛けに「いいえ」に手を上げ、理由はエンジニアになりたいからと話す。
皆は、会員の答える理由に感心したり驚いたり納得したりして楽しんだ。
民話のSさんの話 : 対話形式の語り
20時35分、ISHIIさんによる白浜音頭の実技指導となる。
昨年は会員の所作に盛り上がったのであるが、今回は宴も終わり近くで疲れて来たのか、舞台に上がる
人が少なく、上達ぶりをカメラに収められなかったのが少し残念であった。
白浜音頭
「遊子の会」の会員には、詩吟のサークルに入っている人が多くいる。
余興の終わりに詩吟が披露される。
詩吟 : SさんとKANさんによる歌謡吟
余興のしめは、恒例の皆で輪になって歩き「星影のワルツ」を歌う。
しめは星影のワルツ : 姉弟、弟の妻も手をつないで歌う
そして、西岬のSさんによる閉会の辞と一本締めで4時間にも及ぶ「遊子の会」暑気払いはお開きとなった。厳しい暑さの中、皆さんには体調に留意されて、来る8月22日に天津神明宮でお会いしましょう。
YUさん、その節はガイドをよろしくお願いします。 おわり
ガーデニング~2015・6 梅雨時
6月8日(月)の梅雨入り後のことである。
畑仕事
今までの接ぎ木苗をやめて、一般的な苗を植えたキュウリであるが、SANADAさんの指摘により側枝に
ついても摘芯を行なったところ、成るは成るはの絶好調であった。
摘芯しないと、葉っぱばかり大きくなって実が育たないと言う。
摘芯と言えば、つる有りインゲンも同じとのこと。見事な支柱への巻き付きに感心していると、先端が上部の横支柱を越えてしまった。そこで、摘芯を行ない、今日(7月7日)多量の初収穫を迎えることが出来た。
見事な巻き具合のつる有りインゲン 6月20日撮影
6月21日、トマトの下部の葉に茶色の斑点が発生したことに気付く。葉かび病のようだ。
すぐに殺菌剤を撒布したが、元に戻ることはなさそうだと思い、23日に上部への伝染回避のつもりで、
葉かび病の葉っぱを取り除いた。よって、良く成ったトマトの実は丸見えである。
その後、徐々に葉かび病は上部へと進み、トマトの収穫は絶望的となった。
それでも、何個か赤るんだ大きなトマトを口にすることが出来たこと、周囲の家庭菜園でも同様との話が
救いである。
庭仕事
梅雨時の我家の庭で目立つのは、アジサイとアガパンサスである。
アジサイ : 近所の人からもらった苗が大きく育った。「隅田の花火」という名前が付いていた。
6月19日撮影
アガパンサス 6月20日撮影
今はオミナエシの黄色が鮮やかであるが、これからはハクチョウソウとハツユキソウの白へと移行する。
さて、この時期、私は草取りと花木の剪定に精を出す。すぐダンゴ虫の巣になるので、風通しを良くしてやろうという訳である。
今年はヒイラギの大改造に取り組んだ。親の代からある老木で幹の下部は穴が空いてしまっている。
しかし、曲がり具合が気に入っていて大事にしているのである。
そんなヒイラギが大きくなって頭頂部を剪定するのが危険になって来た。
そこで、頭頂部をカットしたのである。すると、全体が四角形となり見栄えが悪いので、新しく頭頂部となった二つの内右側(西側)も取り除くことにした。
今は日々リビングから眺めながら、上出来だ!!と一人納得している。
ヒイラギ 剪定前 : 6月30日撮影
ヒイラギ 剪定後 : 6月30日撮影
洲崎沖のイサキつり~2015.6
釣り友Kさんとの日程調整がかみ合った6月29日(月)、私達は洲崎早川丸からイサキつりに出掛けた。
5時、栄ノ浦漁港から出船。左舷大ドモにKさん、隣が私である。
くもり空、大潮で干潮8時44分満潮15時45分、穏やかな海に期待が膨らむ。
Kさんは置き竿釣法で、悠然と構えて良型を釣り上げる。私の右隣り(舩の中央)の釣り人は、船長の助手的な仕事もする人で、実に上手で絶えず釣り上げる。この力関係が最後まで続くのであるが、私はと言えば、立って手持ちで積極的に誘いを入れて釣ったのであるが・・・・・。
7時30分、私の樽は10匹となったのでクーラーに入れた。Kさんは15匹と手で合図する。
まずまずの釣果に、私は9時30分に20匹、11時30分に30匹で目標達成の皮算用を立てる。
しかし、その後はあまりパットしなかった。
例年、船長の指示ダナから3m(ハリスの長さ)下でコマセを振り、その後指示ダナに上げて待つとアタリが出るのだが、この日は食いが悪く指示ダナで積極的に誘いを入れるのだがアタリが出ない。
そんなこんなで、大きく竿をあおり指示ダナより1m上げた所で何度か良型がヒットした時には、思わずにんまりした。
船は走り回り、タナも目まぐるしく変わる。深い所で35m、浅い所で18m。
そんな中、右隣りの名人に巨大魚がヒットする。白っぽかったのでサメかと思ったら、タモ取りされた巨大魚は、何と今までに見たことがない大きさのマダイであった。
イサキの仕掛けでよく釣れましたね、と言う私に、名人は針が掛かった所が良かったのでしょう、と控え目である。また、ドラッグを効かせました、とも言う。プロの技の持ち主だったのである。
思惑通りに行かず、私が20匹に到達したのは10時30分であった。沖上がりまであと1時間である。
そして、釣り場はタナ18mの浅場となり、数釣りを期待したのだが、イサキ3匹沖メジナ1匹の追加にとどまった。結局、私の釣果はイサキ23匹(Max29cm)沖メジナ2匹(Max31cm)に終わった。
一方、Kさんはここで38cmという今までに見たことのない大きさのイサキを釣り上げ、船長の写真撮影に
応じ、「私はやる時はやるんです!」とのたまう。
最終釣果は、イサキ24匹(Max38cm)ウマヅラハギ1匹とのこと。
一昨年は45匹、昨年は50匹と自己新記録を重ねて来た私だが、今年は目標を下回る釣果に終わり残念であった。しかし、お互いに元気にイサキとのやりとりを楽しみ、お刺身に舌鼓を打てたのは何よりで
あった。
この日の早川丸の釣果ブログには、中盤までは好調な食いでしたが後半は潮流速くなってしまい苦戦しました、と載った。
イサキつりの釣果 : イサキ23、沖メジナ2 型はまずまず。
鋸山ハイキング
6月16日(火)、私は「遊子の会」主宰者YUさんの呼びかけで集まった、元気な山ガール等との鋸山ハイキングに、妻と参加した。
行程
保田保健センターすこやか(駐車)→保田駅ー(電車)→浜金谷駅→車力道→車力道終点(石切り場跡)→地球が丸く見える展望台→車力道終点→岩舞台(石切り場跡)→日本寺境内(百尺観音、地獄のぞき、山頂展望台、千五百羅漢、大仏さま)→保田保健センターすこやか
今回の行程は、歴史遺産あり自然観察あり絶景あり巨大な石仏あり、と見所満載で、しばしば大いなる
感動をおぼえた。それでは、写真と共に行程を振り返ってみよう。
車力道~車力道終点(石切り場跡)
11時、車力道コースと関東ふれあいの道コースに分かれる三叉路に到着。我々は車力道コースを進み、少しして道端の洞穴でヒカリモを見る。さらに進むと絶壁の石切り場跡が見えて来た。
車力道コース : この日の参加者は15名、元気な内に記念撮影。
そして、切り出した石を車力と呼ばれる女性たちが荷車で運んだ道、即ち車力道を登る。
刻まれた轍(わだち)に車力の苦労が偲ばれる。
車力道
12時前、車力道の終点に到着し休憩となる。ここで、絶壁の石切り場跡をまじかにに見上げる。
石切り場跡
絶壁の下に降りてみた。すると、そこには池があり、張り出した木の枝に白い花のようなモリアオガエルの卵がぶら下がっていた。また、池のそばに切割りを認める。
切割り : 後で解ったのであるが、この木組みの階段が、日本寺へ向う道の入口だったのである。
車力道終点~地球が丸く見える展望台
それから、我々は日本寺へ向うべく、鋸山山頂へ向った。
石切り場跡 : 廃墟と化した洞窟(?)
イワタバコ : ジメジメした岩肌に咲くイワタバコに驚きの感動。
絶壁階段は、きつかった。上着がびしょびしょになる程の大汗をかいて上り、地球が丸く見える展望台に到着する。そこには、墨絵のような絶景が広がり、苦労した甲斐があったというものである。
地球が丸く見える展望台より、鋸南町方面を望む。
そこで、YUさんの鋸南勝山の醍醐新兵衛による捕鯨の話(江戸時代)を興味深く聞く。
浮島(写真右上)沖には太平洋から鯨道として深い海溝があるのだという。
展望台を下りて、再び鋸山山頂を目指したが、先頭の山ガールの「保田へ抜けられても日本寺へは行けない」との報告により、車力道終点に引き返すことになった。そして、絶壁階段を少し下ったパラつく雨をしのげる山中の広場で昼食タイムとなる。時計を見ると13時を指していた。
車力道終点~岩舞台
昼食で元気を取り戻し、車力道終点の石切り場跡に戻った我々は、以後石切りが生んだ特異な光景を眺めながら、石切り場の絶壁に囲まれた広場・岩舞台に出る。
地獄のぞきが見えて来た。
岩舞台はエコーが効くのだと言い、YUさんは先日幸チャリティーカラオケで歌った「夜霧よ今夜もありがとう」を皆に披露する。その後、日本寺境内の入口の一つである北口管理所で、拝観料600円を払い、管理人からレクチャーを受けたのは14時30分であった。
日本寺境内
日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。鋸山の南斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策しながら大仏様(薬師瑠璃光
如来)、百尺観音像、千五百羅漢石像群などをお参りすることができます。
近年では昭和14(1939)年の登山者の過失による山火事により、仏像や本堂を含む建造物など文化財を焼失してしまいました。現在、参拝者の寄付および拝観料から復興を進めております。~鋸南日本寺公式サイトより
山頂エリア
百尺観音
地獄のぞきで余裕の山ガール
地獄のぞきで笑顔の山ガール
地獄のぞきから百尺観音広場を見下ろす。足がすくむ!
山頂展望台(地獄のぞきそば)より鋸南町方面を望む。 絶景!
山頂展望台で富士山に向かい、「富士山」を吟ずる詩吟グループ
羅漢エリア
千五百羅漢道の百躰観音
大仏広場
日本一大きな大仏様 : 戦い(?)終わって記念撮影。 疲れを見せぬ山ガール、恐ろしい!
中腹エリア
源頼朝が武運を祈願して、自ら手植えした蘇鉄
頼朝蘇鉄そばの鐘楼の鐘は、鋸山の西端明鐘岬の海中から引き揚げられたものと言われているそうな。
少し下ると茎が四角形をした四方竹なる珍しい竹に出くわす。
最後は表参道エリアに入り、心字池から仁王門をくぐり日本寺を辞したのであるが、時計を見たら16時30分を指していた。
おわりに
2万歩を超える階段の多い山登りに、私共夫婦は2~3日びっこを引く暮らしを余儀なくされた。
中でも、車力道終点の石切り場跡に日本寺への方向表示がなく、鋸山山頂(一等三角点の真の頂上)に
向い引き返すことになったのが、私にはこたえた。
しかし、何でもないと言う山ガールの話を聞くと、日頃の運動不足と加齢を思い知らせれるハイキングであった。
でも、車力道の轍や迫力満点の石切り場跡、そして石仏群に遺産とか遺跡の言葉が思い浮かぶハイキングでもあった。
YUさん、ありがとうございました。皆さん、お疲れ様でした。






















































































