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歌謡曲と叙情歌を語る

歌謡曲や叙情歌を中心にいろいろ語ります。

きょうの一曲は五木ひろしさんの「人生かくれんぼ」。1981年(昭和56)の曲です。この曲は紅白でも歌われました。たかたかしさん作詞、弦哲也さん作曲です。人生の悲哀を歌にした曲です。

 

特に二番の歌詞が痛いほど沁みますね。「優しさだけでは、生きてはいけない、男の苦さ」という節が。優しい人って損することが多いのですね。優しい人や正直な人が損するような社会は間違っていると思うけれど、現実はなかなかそうじゃなくて。僕も変に人が良いところがあるから、損することも多いんですよ。

 

人生つらいことばかりだから、かくれんぼしたくなっちゃう。でも、それができないから、お酒で紛らすしかない。そんなこんな男の葛藤が伝わってきます

 

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僕は歴史が大好きでNHKのBSで「英雄たちの選択」をよく見ているのですが、ある先生が番組にゲストとしてご出演され、このようなことをおっしゃっていました。


「自分が思っている私」と「世間が期待している私」。それがあまりに異なり、マッチしていないから、人は不幸せを感じると。そういう人は多いと思う。


世間は頑張ればなりたい自分になれるというけれど、頑張ってもなれないことがある。もし「自分が思っている私」と「世間が期待している私」をマッチングさせることができれば幸せな人生だって。





青春のパラダイス/出演者全員
若いふたり/小田達也
青春日記/森進一、坂本冬美
いっぽんどっこの唄/渡辺博美
一杯のコーヒーから/大月みやこ
黄色いさくらんぼ/坂本冬美、渡辺博美、清水綾子
いつでも夢を/小田達也、渡辺博美
神田川/森進一
未成年/清水綾子
はたちの詩集/白根一男
祝い酒/坂本冬美
女の舞/大月みやこ
愛のささやき/蔡幸娟
初恋/村下孝蔵
Anniversary~記念日~/清水綾子
夢をつづけて/森進一

 

この回のテーマは「二十歳のころに戻れる歌」。そのせいか、出演者も若手の演歌歌手が多かったです。ずらっと曲目を見ていると「一杯のコーヒーから」とか「青春のパラダイス」とか戦前や戦後間もない古い曲が目立ちますがw、「歌謡パレード」の当時の視聴者だった50代、60代の方々をターゲットにしておりますから、彼らが20代の頃の曲、つまり戦前や戦後間もない曲が多くなるのでしょう。ちなみに、僕にとって「二十歳の頃に戻れる歌」はスピッツの「ロビンソン」ですね。あれは名曲です。爽やかな曲調なんだけれど、どこか切ない、それがいいのです。ちょうど僕が二十歳の頃に流行った曲ですし思い入れがあります。

 

今回、印象に残ったのはまず「未成年」。個人的に好きな曲です。岩崎宏美さんの曲ですが、清水綾子さんがお歌いになりました。岩崎さん以外の方が歌う「未成年」も新鮮でよかった。また清水さんはユーミンさんの「Anniversary〜記念日〜」もカヴァーされました。こちらも素晴らしかった。

 

村下孝蔵さんは1999年に、46歳の若さでお亡くなりになられました。生前のまだお元気な姿で、思わず涙が出てくるくらい。お歌いになられたのは名曲「初恋」。なんでも村下さんの原体験がもとになっている曲だそうです。「初恋」は二十歳の頃というより、学生時代に戻れる曲ですが、青春時代のほろ苦さを歌った素晴らしい一曲です。曲を聴いているとドラマというより、まるで何枚もの水彩画を見ているような感覚になります。村下さんのお姿を見て、つくづく惜しい人を亡くしたなと。

 

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白根一男さんは「はたちの詩集」をお歌いになりました。昭和36年の曲です。成人式の時期になると、白根さんにこの曲を歌ってくれとオファーが度々あったとか。白根さんは1960年代の青春ソングの歌い手で、紅白にもご出場されたことがあります。白根さんは八十を越えた今も精力的に歌手活動をされているというから驚きです。

 

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コロナが流行っていますね。オミクロン株の大流行で、僕の職場でもコロナにかかる人が何人かいて、かくいう僕も先々週から病院で陽性と言われ、10日間の自宅療養をしていたのですね。外出はダメで、買い物はおろか、ゴミ出しでさえダメだったのは参った。買い物は全てネット通販。何気ない日常が本当にありがたいなと思えた10日間でした。

 

やはり健康であることが何よりもありがたいですね。さて、健康という言葉、「健体康心」という言葉からきているそうです。

 

「健やかな体」、「康き心」という意味です。「康き心」とは、心が安らかで安定している状況のことを指すそうです。

 

体だけでなく、心の面も良好な状況こそが健康なのであって、どちらかが病んでいても健康とはいえないということでしょう。体が丈夫で病気をしないから良いというわけではないのですね。

 

さだまさしさんの「風に立つライオン」という歌を思い出します。アフリカに行った日本人の医療従事者のことを歌にしたのです。この歌のフレーズに診療所にくる患者たちは皆病気だが、心の面は少なくとも僕より健康だというくだりが出てきます。アフリカというところは貧しい人も多く、まともな医療もできない状況。病気になる人が多いけれど、心の面は健康そのもの。そして、日本は残念ながら、どこか間違った方向に行ってしまったと。日本は確かに医療も発達しているし、豊かな国です。しかし、日本人は心の面で大変病んでいたり、孤独を感じている人が多いということでしょう。考えさせられますね。

 

 

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今日は春日八郎さんの「山の吊橋」。昭和34年に作られました。マンボのリズムに乗せ、日本の自然と山奥にある吊橋を渡る人の様子を描いた歌です。春日八郎さんの曲は、日本の自然の風景を歌った曲が多いのですが、この曲を聴いていると、山奥にある吊橋が浮かんできます。

 

 

歌に出てくるのは猟師(鉄砲うち)のおじさん、村の娘さん、酔っ払いのおじさんの三人。

 

一番に出てくる、倅を亡くした猟師ですが、おそらく戦争で息子さんを亡くしたのでしょうね。何しろ、この曲が作られたのは昭和34年。戦争の記憶がまだ残っていた時代。息子さんを亡くした悲しみを埋めるように、犬をいつも連れているのかなって。

 

春日さんは朗らかにこの曲をお歌いになっておりますが、歌詞をよくよく噛み締めると切ないですね。

 

そして、おじさんは熊を仕留めたのでしょうね。熊といえば、近年、山里を離れ、街に出没しては、人間を襲うようになったと言いますね。怖いですね・・元々熊は臆病な動物で、人間を怖がって避けると言われておりますが、最近の熊は人間を恐れないのかな・・

 

二番の娘さんのお話ですが、都会にでた恋人を偲んで、涙を流していると。昭和30年代といえば、高度成長期。地方の若者が、どんどん都会に行った時代。都会に出ていく若者がいく一方で、田舎に残った若者がいる。そんな対比がこの歌にも描かれています。

 

三番は酒を買いに行く炭焼きのおじさん。昭和30年代では、まだコンビニもなければ、車もそんなに普及していない時代だろうから、街まで歩いて降りてきて、お酒を買いに行ったのでしょうね。そうしたら、夜遅くなったという話でしょうか。それが現代では、コンビニどころか、ネット通販で物を簡単に買える時代。いい悪いは別にして現代は便利な時代になりましたね。

 

 

 

 

 

この回のテーマは「美しい自然をうつくしむ歌」。自然を歌った歌は、日本にはたくさんありますよね。特に童謡とか抒情歌に多いですね。そういった曲がいくつか番組で取り上げられました。日本の童謡と抒情歌ということで、由紀さおり&安田祥子のご姉妹、デューク・エイセスもご登場しました。「里の秋」や「旅愁」は学校の音楽の授業でも習いますが、改めて聴くと素晴らしいなと。子供の頃はただ歌わされたというイメージしかなかったのに。大人になると叙情歌や童謡が心地よくなる。日本の美しい景色が浮かんできます。紅白でも、演歌もいいが叙情歌も聴きたいなって。由紀さおりさん、安田祥子さんご姉妹は前は紅白で童謡や叙情歌歌ってましたが、また復活してくれないかな。あと若手では山田姉妹もいいな。


 

 

 

あと驚いたのが、星美里さんという新人の歌手。なんとこのかた、若かりし日の夏川りみさんです。どうも、見たことがあるような顔、聞いたような声だなって思っていたのですよ。ネットで調べて驚きました。89年に演歌でデビューしたのですが、一度引退され、そして平成11年に夏川りみさんとして再デビューしたのですね。僕も見ててびっくりしました。それともっと驚いたのが、夏川さんは藤山一郎さんから「40年に1人出るか出ないかの歌手」と言わしめたのだから、すごいなって。夏川さん、確かに人の心を打つような素晴らしい歌手ですもの。

 

 

印象的だったのは、春日八郎さんと菅原文太さんがご出演されたこと。春日八郎さんは1991年に亡くなられているので、貴重だなって。お歌いになられたのは「山のけむり」。この曲の解説は別の機会に取り上げます。

 

菅原文太さんって、歌歌っていたっけ?と思っていたら、よく考えたら「トラック野郎」の主題歌歌っていましたっけ。今回お歌いになられたのは「港の男歌」という渋いど演歌でした。

 

四季のうた/ほぼ全員

森の水車/由紀さおり、安田祥子
誰か夢なき/森進一
川は流れる/原田悠里

星空を両手に/星美里 デューク・エイセス
津軽のふるさと/星美里
里の秋/デューク・エイセス
与作/キム・ヨンジャ
季節の中で/原田悠里
矢車草/由紀さおり
白い花の咲く頃/森進一
山の吊橋/春日八郎
港の男歌/菅原文太
指輪/森進一
暗夜航路/キム・ヨンジャ
また逢ってしまうなんて/リュイ・ファン
旅愁/由紀さおり、安田祥子

 

 

 

 

この曲は、桑江知子さんのデビューシングルです。昭和54年(1979年)の1月に発売されました。同年春のポーラ化粧品CMソングに採用されました。この曲を聞くと、「ああ、春だな」って感じがします。すごく爽やかな感じがして。春の訪れとともに突然に訪れた恋。いいですねえ。主人公の女性が住んでいるマンションに男性が引っ越してきたと。春は引っ越しシーズンですから。その男性にビビビッって一目惚れしたという話ですね。

1970年代後半から、渡辺真知子さんとか、杏里さんとか、桑江知子さんとか、これまでの歌謡曲やフォークソングとは違った感じの曲調の歌を歌う人が増えてきたのですね。

それにしても昔の化粧品のCMソングは名曲が本当に多かったです。また折に触れて化粧品のCMソングを触れて行きます。

 

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「油断」という言葉。僕も仕事でよくやりますw

 

実はこの言葉が元々は仏教用語からきているという説があります。比叡山延暦寺の根本中堂の中に不滅の法灯ホウトウという灯火があります。西暦788年(延暦7年)に最澄が灯明をかかげて以来、1200年間一度もその灯火が消えることなく輝き続けていると伝わっております。

最澄の「明らけく後の 仏の御世までも 光りつたへよ法のともしび(仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように)」との願いを込めたと伝わっております。

現在も菜種油を燃料にして火を灯しております。毎日、朝夕の2回、燃料の菜種油を絶やさないようにお坊さんが菜種油を注ぎ足し続けているのです。お坊さんがうっかり油を注ぐのを忘れたら、油が切れて火が消えてしまいます。それから「油断」という言葉が生まれたと言われております。

それにしても1200年も続いているのを、守り続けるのは大変なプレッシャーですよね。万が一急なトラブルで火が消えてしまうことだってあるでしょう。そうならないようにバックアップ体制もできているのですね。実は法灯は立石寺(山形県山形市)の天文12年(1543年)の再建の際に分灯されてあるのです。法灯が延暦寺と立石寺で二つあるのですね。
実際、織田信長の延暦寺焼き討ちの時、一度消えていたのですね。延暦寺焼き討ちちのあと、立石寺から再度延暦寺に再分灯で戻されたのですね。

 

 


* この記事はウィキペディアを参考にしました。

 

 

 

https://www.uta-net.com/movie/4376/

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今日は森進一さんの「港町ブルース」です。1969年(昭和44年)に発表された曲で、その年の紅白と、2011年の紅白で歌われました。なぜ、2011年にこの曲が歌われたのでしょう。実はこの曲の歌詞に、宮古、釜石、気仙沼が出てくるのです。いづれも2011年の3月11日の東日本大震災で被災したところです。早いものであれから11年経つのですね。改めて震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 

この曲は、北は北海道から南は鹿児島まで全国の港町を舞台にした曲で、男に騙され捨てられた女性の愛憎がテーマの曲なのですが、震災以降、この曲で泣いたという人も少なくありません。紅白でも森進一さんが、この曲を歌い、二番の、「宮古、釜石、気仙沼」と歌い上げると、会場で一際大きな拍手がありました。

 

作曲が猪俣公章さん。猪俣さんは森進一さんの曲を多数作られておりますね。この曲を作詞されたのは深津武志さん、補作がなかにし礼さん。なかにしさんによれば、神戸や横浜など大きな波止場を避け、漁港中心に登場させたとか。

 

元々はこの曲は気仙沼ではなく大船渡になる予定だったそうですが、気仙沼出身のプロデューサーの意向で変わったと言われております。地元の市民の中には愛着を抱く1~6番を全て「気仙沼」で締める方もいらっしゃるとか。それだけ地元の人々に愛された曲なのですね。

 

 

また、気仙沼には「港町ブルース」の歌碑があります。この歌碑も津波の被害を受け、傾いてしまったのですが、歌碑復興工事も進んでいるとのこと。

 

 

 

 

(岩手県陸前高田にある奇跡の一本松。2013年に訪れました。一本松の下の所に慰霊碑があったので、手を合わせました)