法律上の連れ去りについて違法性の観点⑤ | 子の連れ去り被害に遭わないために。親子断絶防止(共同養育)するために。

子の連れ去り被害に遭わないために。親子断絶防止(共同養育)するために。

有責配偶者による子どもの連れ去りを防止。また親子断絶にならないように法律を学び、より良い世の中に変えていく。共同親権、共同監護、共同養育を大切に。子にとって親という存在は一番の宝物。ツイッター(@hanabizone)でも情報発信中。

学校教育法第24条「幼稚園においては、第22条に規定する木庭を実現するための教育を行うほか、幼児期の教育に関する各般の問題につき、保護者および地域住民その他の関係者からの相談に応じ、必要な情報の提供及び助言を行うなど、家庭及び地域における幼児期の教育の支援につとめるものとする。」および同条第43条「小学校は、当該小学校に関する保護者および地域住民その他の関係者の理解を深めるとともに、これらの者と連携および協力の推進に資するため、当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況に関する情報を積極的に提供するものとする。」とされているのだから、保護者としての関わりを制限するものではなく、むしろ積極的に子の養育がなされるように保護者として関わっていくことが定められており、これを阻害するものではないと解される。学校教育法第16条「保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」と明記されているので、親権者が保護者であることに変わりがない。同様に学校教育法によりも広義である教育基本法第10条「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。国及び地方公共団体は,家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」とことや、同条11条「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は,幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他の適当な方法によって、その振興に努めなければならない。」とされている。類似的な意義として、次世代育成支援対策推進法第3条「次世代育成支援対策は、父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有するという基本的認識の下に,家庭その他の場において,子育ての意義についての理解が深められ、かつ、子育てに伴う喜びが実感されるように配慮して行わなければならない。」とある。またこれは「男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」(男女共同参画社会基本法第2条)としても父母がどちらも平等でなければならない。そして地方自治法条2項の「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」とされ、同条3項の「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」と明記されていることから、同居親や親権者との関係で不当な差別的取扱いをしてはならない。また高松家庭裁判所平成25年(ラ)第119号の判決のように、司法による措置が定められていないからといって学校等の面会交流を禁止するものではないとされている。学校保健法の第9条により、健康診断を行ったときは児童又は生徒及びその保護に通知しなければならないから、もし父母双方が把握できない場合が予測できる別居状態においては、双方に通知する義務を履行しなければ、子の生命の危機に応じたときの処置として初動が遅れないとは言い切れない。その連絡先を把握するためにも学校においては保護者の連絡先を把握しなければならないし、そもそも親権の有無に左右されるべきではないのである。このような制度が確立していないからこそ、連れ去りによる親子分断は、子の利益に沿うものではない。

 

子の立場を重視するのであれば、正当な理由がない限り、監護が継続されて親子関係(人格的な利益)が維持されるほうが子の自己肯定感も強くなることでコミュニケーションが活発となり、健全な生活が何よりも過ごすことができる場合が多い。また双方の親からの相談があって、子どもの進学(進路)や医療に関する意思決定が行われることで、子の養育における安定した環境の形成につながる。子が健全に成長する過程においては、愛着形成をするために親の存在は不可欠なものであり、親子の絆は人格を形成させる基礎、いわば子の考え方や生き方に刺激を与えて成長する機会となる。つまり、生まれながらに親と子が物理的にも精神的にも代えがたい存在としてお互いを認め合い、その親子の築いていくことについて正当な理由なく妨げることをせず、両方の親から愛情をうけて子どもの生き方に関わっていくことが、自己充足と自己実現さらに人格形成につながるのであってこれを実現するための目的であることが最大の福祉である。この目的を実現するために関係機関との連携にあたっては、個人情報の取り扱い及び行政の判断した経緯が記録されていることが不可欠である。したがって同居親と別居親が他の自治体になっているときは、情報共有を円滑になされなければならない。子の情報を法定代理人として平等に双方の親が請求できるにも関わらず、連れ去り別居をするだけで別居親がその権利を失われるのは不当であり、正当な理由を除き明らかな民法上の同居義務違反や子の監護権の侵害となるのだから、それによって刑法227条第1項「罪を犯した者を幇助する目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、蔵匿し、又は隠避させた者」として行政組織が相当するリスクがあり、開示されるべきところである。また刑法224条の適用により、罰金が科せられる状態でもあるとすれば、刑法103条第1項「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。」として行政組織が相当するリスクがあるということになるのではないか。なおDVや虐待など以外による不当な連れ去りについては、行政手続きとして刑法224条に該当すること考えられるため、住民票の申請そのものが不当であるようなものではないか当事者などへ事実を確認するとともに、刑事訴訟法239条2条「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」とあることからその対応について告発を行う義務を生じる。事実関係の証拠などそれらの構成要件であるかどうかについては、他の行政機関(警察側)が捜査し、それらの対応を決めるものである。

 

仮に司法と行政が別格の視点で切り分けられるのであれば、少なくとも司法判断が無い状態では子の福祉を確保するため、共同養育の継続が優先されるような論点から多少の時間が要されたとしても、例えば伊勢原市議会が令和3年12月20日の意見書のように子どもの権利が守られるための視点として「一方的な子どもの連れ去り、引き離しを防止するため、子どもにとって緊 急的避難が認められないと裁判所等が判断した場合は、離れて暮らす親子 の環境を直ちに戻すよう努めること。」として国に提言していることを鑑みるべきである。このほか、日弁連60年記念誌279頁に「子を一方的に連れ去るのは違法」と明記されている。神奈川県相模原市 (決済日:2021/12/13)に関する決済では、連れ去りをした親の申請で、他方親から連れ去り親への認定保護者に変更する処分は無効としたと市が判断している。子どもの基本法の1条では「生涯にわたる人格形成の基礎を築き、自立した個人としてひとしく健やかに成長することができ、心身の状況、置かれている環境等にかかわらず、その権利の擁護が図られ、将来にわたって幸福な生活を送ることができる社会の実現」および同条5条「こどもの養育の基本となる家庭での養育が困難なこどもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、こどもが心身ともに健やかに育成されるようにすること。」とも記されている。東京高裁判決令6年2月22日「子を養育監護等をする自由」は憲法上保障されると解すべきとの判示ともあり、時代ともに変わりゆく社会背景に即した形になるように前例主義ではなくあるべき姿を求める。

 

民法766条(類推適用を含む)の運用実態は、夫婦合意のない状態で一方的に裁判所が決めること自体が福祉的ではないし、婚姻中共同親権(共同看護)の状態をはく奪するものでもある。子どもの利益を確保する点から、単独親権(単独観護)を命ずることは保護者としての扱いを切り離すものとされ、たとえ積極的な監護意思があったとしても子育てを妨げるものである。したがって特段問題がない限り、司法や行政が婚姻関係や居住形態を理由として親子の関係性に関する父母の権利義務を妨げてはならない。仮に子どもの利益になっていないという事実があるならば、立法不作為として立法府はその責任を自覚しなければならないし、誠実な立法の義務の負う。親権の有無で対応が変わるのならば、現行法でも、親権の回復は、民法837条第2項で規定されている。子の利益にならない父母間の状態を鑑み、親権回復による保護者地位を満たすべく子の監護の権利義務果たせるように類推すべきである。また総合的に見て直ちに違法性がないとするのであれば、養育時間の調整遅延に生じる実質的な親子時間の損失に照らし合わせても、審理・審査などに要する手続きが煩雑である。またこれらの調整過程において一方的に父母の葛藤を高める虚偽の作出もできてしまうことが十分に評価されていないことを鑑みると、離別によって子の養育権に不平等が生じることは言うまでもない。別居自体が監護の継続性を否定するものである。社会通念上の子育てとは、親と子における双方の人格形成に与える以上、扶養義務が生じているのであって正当かつ合理的な理由なく子の監護を妨げてはならないのである。民法第820条の居所指定権は双方にあることから、協議かつ合意なく子の連れ去り(子連れ別居・実子誘拐)をすることについて、親子の基本的人権の尊重の点からしても救済措置として法体系の整備は不可欠なのである。また婚姻関係によらずに、婚姻内外によって差別・区別を受けることなく、双方の親は、子の監護者として保護者の扱いを受けるべくように行政の方針が定められるような法の明文化こそ、生活の根幹になるような自由権の保障ともいえる。婚姻関係によらず、子の親として一方のみを親権者として定め、そのほか親権の概念に実質的に付す監護がなされること自体、子の養育上の不合理な差別・区別を与えかねないし、司法の裁量によって何ら子の福祉について具体的な養育の背景を検討することが乏しく、社会的な調査および科学的な根拠によって示されたものは明確に存在せず、親子の在り方を一方的に判例主義として大雑把に心証主義によって決められており、またこれによる生涯への影響度について何も責任を負わないし、子への影響を把握するための調整すらないのは、司法が第三者の立場として配慮に欠くと言わざるをえない。また法解釈が曖昧であることの立法の必要すら不知状態であり、国際的にも外部指摘がなされ続けている。さらに民法の一部を改正することになった令和6年5月17日に参議院可決として法律制定された背景があるのだから、父母および子の同意なく緊急時の避難を除いて、どちらかの親が監護する日常行為を失うような別居することは、実質的な親子の結びつきを弱くするものとしているに等しいから、形成合意ではない限り、子の最善の利益を踏まえたものではないと解するのが妥当である。

 

以上、これまでの述べた通り、厳格に法律の意義や価値に基づいて子のために適正な運営が確保されるように見直しがなされるべきと考える。

 

【補足】

 子の連れ去り違憲訴訟では、画期的な判示がなされました。これまで、このような主旨の見解が示されることが無かったため、立法不作為であるとみなされたことは、大きな出来事です。

詳しくは、判決文の参照へ(外部サイト)

 

 

 

●民事では解決できないときに刑事告訴を①訴訟の流れへ

 

●法律上の連れ去りについて違法性の観点①へ

 

●行政不服審査法を活用しよう

 

●不当な子どもを連れ出す別居アドバイスは「違法」

 

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