森見 登美彦
「有頂天家族 」
これは狸と人間と天狗の物語。
主たる登場人物は、阿呆の血が色濃く流れるが、母思いの優しい四兄弟から成るある一家(でも、狸)及びその天敵一家(もちろん、こちらも狸)、忘年会にて狸鍋を囲むことを会則としている、金曜倶楽部の面々(「食べちゃいたいほど好きなのだもの」と嘯く大学教授と、天狗道を邁進する元・人間含む)、傲岸不遜な態度は変わらないものの、今となってはほぼ力を失ってしまった天狗、「赤玉先生」(哀しいまでに甘い赤玉ポートワインを愛飲する)。
人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。
平安遷都この方続く、人間と狸と天狗の三つ巴。
それがこの街の大きな車輪を廻している。
天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐かし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。
そうやってぐるぐる車輪は廻る。
廻る車輪を眺めているのが、どんなことより面白い。
(p7より引用)
三つ巴はぐるぐる廻って、うごうごと日々を過ごす内に、物語はクライマックスの大騒動へ! 楽しいんだけど、「で??」、と言われちゃうと困っちゃう物語でもある。だけど結局ね、文中にもあるように「面白きことは良きことなり!」だと思うのですよ、きっと。
一つの大きな謎は、この下鴨の狸四兄弟の偉大なる父はなぜ死んだのか、ということなんだけど、これが章が進むにつれて、徐々に、徐々に分かっていくという仕掛け。知っていながら、聞かれるまでは黙っている周囲の天狗も、大概ずるいよな~、とも思うんだけど、ね。
天空を自在に駆け、異能を持つ天狗は孤高の存在。しかしながら、能力を失ってなお、孤高の存在であることのみを貫こうとする天狗の姿は、哀れであり滑稽でもある。互いにそれが分かっていても、師に傅く四兄弟の三男、矢三郎とのやり取りは、ほとんど様式美。いやー、私にはこうやって人を立てる(いや、この場合天狗だけど)ことは出来ないなぁ。でも、それもまた師弟愛なんだよな。
偽叡山電車が街を駆け、偽電気ブランを製造する狸たちがいて、偽車夫つきの自働人力車が街を走る。これまでの森見作品においても、洛中において沢山の不思議なものや不思議な人物が出てきたけれど、あのうちの幾人かは天狗だったり、狸が化けたものだったのやもしれません。矢三郎のお得意の化け姿は、腐れ大学生だしさ。
「阿呆の血」というフレーズが何度も出てくるんだけど、なんとも言えぬ愛しさを籠められると、「阿呆」というのもいいもんんですね(何となく、関東は「馬鹿」をつかい、関西は「阿呆」をつかうイメージ。「阿呆」は言われ&聞き慣れないからか、実際に言われると、ちょっとぎょっとします。いや、「馬鹿」もそんな言われないけどさ)。そして、「阿呆」と言えば、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。楽しきこと、面白きことを精一杯楽しみなさい、というお話でもありました。
ところで、弁天が好むという赤割り(焼酎を赤玉ポートワインで割ったもの)ってどんな味なのでしょう。何焼酎で割るかによっても変わるよねえ。とりあえず、色は綺麗そうではあるけれど。
目次
第一章 納涼床の女神
第二章 母と雷神様
第三章 大文字納涼船合戦
第四章 金曜倶楽部
第五章 父の発つ日
第六章 夷川早雲の暗躍
第七章 有頂天家族
*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。