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恵翠(けいすい)書道教室

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私の父は要介護5級で、現在病院で寝たきり状態です。私の母は要介護2級で、歩くことが困難で車いす生活です。父は愛情に欠如した人でしたが、経済的に家族を助けてくれましたし、逆に母は愛情の人で、私を多方面で助けてくれました。その両親が、今は全く無力な人となってしまいました。

妻は、彼女のご両親の狂った宗教活動のために信じられないような貧乏生活を強いられ耐え抜いてきた人です。そこの部分に私は大きな可能性を感じたのですが、現実には親の躾の無さからあれもできない、これもできない状態で、私にとって当たり前にできることができず、つまりは幼子から育て直すような苦労が伴いました。彼女に期待したことはことごとく裏切られ、彼女との人生設計は、全く目途が全く立たない状態が長く続きました。しかし、彼女が勤めている職場に有り難い協力者が現れ、介護の仕事を、生きがいを持って取り組めるようになりました。

そしてここ2週間の私は、まず左足の肉離れの激痛に始まり、両腕の激しい関節痛、左足膝の手術、多分ストレスで便が堅くなったことが原因なのだと思うのですが切れ痔の手術と激痛の伴う受難続きでした。多分、今年の4月まで約2年間やってきた新聞配達による睡眠不足と過労も加わっての身体の障害なのかもしれません。ここのところ、結構ブログの記事を書いていますが、これは痛みを紛らわす効果がありました。意識を自分の事から外に向けないと、痛くてしょうがなかったからです。










さて、私の歩みの特徴は、「諦めないこと」「見捨てないこと」にあります。諦められたなら、見捨てられたならどんなに楽になれるのだろうと考えたこともありますが、それでは、先に進むのではなく、ただ振り出しに戻るだけでしかありません。運命の試練にとことん挑んでいった方が、学びが得られるのではないかと考えたわけです。

こういうときは、頑張っても、頑張っても、なかなか報われなかったキュリー夫妻の実験活動をイメージするようにしています。長期間結果を出せないために、ついに雨漏りのするような実験室に追いやられたのですが、それでも諦めなかったことが二度のノーベル賞受賞へと繋がったからです。つまり、諦めることよりも、とことんやることの方が、成果が大きいのです。

最近の成功者の考え方は、数か月やってみて結果が出なければきっぱり撤退するのだそうです。見切りを付けるタイミングが重要なのだとか。しかし、これは短期間で成功を得る人の考え方です。成功しているところだけ見ると羨ましくも思えるのですが、長い目で見ると大した成功でなかったりします。どこか一発芸人と似ているのかもしれません。一生に一回は輝いてみたい。そんな薄っぺらな成功を追い求めて何になるのでしょう。パソコンをやっていて、多くの会社の製品を使ってきたことになりますが、何とその半数近くの会社は無くなっているのです。私のような貧乏塾よりも早く無くなるなんて不思議な話です。

私にとって、「諦めないこと」「見捨てないこと」、この方向性が、真理探究に必要な資質になっていると思います。私は、どんなに新しい概念を得たとしても、古い概念を簡単には見捨てません。そうすると、新しい概念と古い概念の両面を持つ新しい概念が生み出されていくからです。そういった考え方を長く続けているせいか、生活の中で良い「気づき」を多く得られるようになってきています。

毎朝の瞑想で、多くの良い「気づき」を得られるようになったのは、見えない私の専任講師と、心の中でとことん語り合い、一見相反する二つの概念をあらゆる角度から眺めてみる作業をしているわけです。本を読む、講演を聞くという行為自体は、ただ記憶するだけの作業です。こういった日々の練習(マインド・トレーニング)は、現場での応用力にも生きるものと感じています。









いわゆる世の中で言う成功者が真の成功者であるのなら、この地球に平和はあり得ないことでしょう。それはほんの一握りの人たちによる成功だからです。そうではなく、全ての人にもたらされることのできる成功でなければ、世界に平和をもたらすことなどできないのです。自分の運命に向き合ってとことん生きることは、心掛け次第で誰にでもできることです。でも、そのことを成功とは思いにくいゆえ、間違った成功につい心が向いてしまう訳なのです。

私の母は、暴力的な父ととことん付き合ってきたと言う意味では、あっぱれな人間だと思います。私の師匠の高橋洋子先生(アニソン歌手)が、「あなたがお母さまをあまり褒めないので、私が何度でも褒めて差し上げましょう。」と言っていたことを思い出します。神が認めるのは、この世での功績などではなく、とことん運命を受け入れて生きる姿勢にあるように思えるのです。

とことん運命を受け入れて生きるということは、神が自分に与えてくれた課題に真っ向から取り組んだと言うことになります。つまり、真に学びの多い人生と言えるのではないでしょうか。これを成功と言わずに何と言うのでしょう。

ですから、間違ったこの世の成功に惑わされてはいけません。

私が子供たちに最も伝えたいことは、神に与えられた試練をことごとく受け入れる勇気を持ち、その試練に学ぶことのできる人間になることの素晴らしさについてです。そういう生き方は、他人の評価に左右されることがありません。どうしても書道のコンクールでは、良い賞や悪い賞が存在し、そういう価値観に振り回されやすい子が多いのです。

そうではなく、運命をとことん生きている自分を自分で最大限に評価できる人になって欲しいのです。これは自尊心であって自己愛などではありません。自分の心を自分で支え健やかに保てる力を持つことこそが、地球全体を包んでいるエーテル体(一人一人に平等に与えられている神の精髄であり生命力そのもののエーテル体が束になって地球全体を覆っていること)を美しく守るための立派な平和活動といえるからです。

残念ながら、地球はまだ神聖な惑星になり得てはいないのです。それどころか、不安と恐れに支配されつつあるのです。このままでは、その先どうなるのでしょう。私たちは、完全なるエーテル体(完全なる善でもある生命力)を受け取っている者なのですから、神聖な惑星に変えられる底力を十分に持っている筈です。大切なことは、一人ひとりの「気づき」にあります。子供たちへの教育においても、「集中力」にばかりに偏り過ぎたものではなく、神聖なるものへの「気づき」を促すような教育を展開していく必要があるのです。

実は数日前、私はシュタイナー教育とは少し異なるアプローチの仕方をする画期的な教育法についての素晴らしい文献を見つけました。いつか紹介できる日が来ることでしょう。




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今日のお話はちょっぴり難しいので、全部わかろうとしないでください。少しでも、どこかわかるところがあったかな。という程度で構いません。又は、静かに話を聞く練習になったというのでも構いません。たった一つでもいいです。わかるところが見つけられたなら、または頑張って最後まで静かに聞いていられたなら、今日のこの学びは十分に成功といえるのだと思います。


心が自分にばかり向いている人の心は弱く、心が他の人のために役立ちたいと思っている人の心は強いということからお話を進めていきます。つまり、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を助けたいと思っている人の心は強いということです。

最もわかりやすい例として、前にもお話ししましたが、東日本大震災の大津波で、高台に逃げて命が助かった人について考えてみましょう。

「自分が」「自分が」と自分のことしか考えない人は、家族を失ったり、家を失ったり、大切にしている物や財産を失ったことで悲しみに押しつぶされて、しかめっ面をしてばかりいました。そういう人の中には、絶望のあまりに自殺をしてしまった人もいたそうです。

ところが、その人と同じようにすべてを失っている筈なのに、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人のために一生懸命働いていた人は、笑顔を絶やさずにいたのだそうです。体の弱っていた人には、傍に寄り添って励ましてあげ、親を失った子供たちには絵を描いてあげたり歌を歌ってあげたりもしたのです。

どちらの人もすべてを失っているのに、始めに紹介した人はいつもしかめっ面。後の人はいつも笑顔でした。

どちらの人が強い人と言えるでしょうか? もう言わなくてもわかりますよね。後の人の方です。










人間の命のことを別名エーテル体と呼ぶことがあります。エーテル体とは、よく電気に例えて説明されています。それは、すべての人に平等に、しかも同じものが注がれているからです。

では電気で考えてみましょう。同じ電機から、照明器具、パソコン、冷蔵庫、テレビ等が動作しているわけです。機械によって違う電気が流れているのでしょうか? そうではないですよね。全ての機械に同じ電気が流れているのです。つまり、すべての機械に、平等に同じ電気が流れていると言えるわけです。

しかし、この電気が流れてこなくなると、それぞれの電気製品は動作しなくなってしまいます。人間の命でもあるエーテル体の場合も、流れてこなくなると人は死んでしまいます。ただ命と言う電気のようなものは、神様の愛そのものなので、完全なる善。これは善悪の善なのですが、つまり完全に正しいものでできています。つまり、すべての人に神様の愛が平等に注がれているということなのです。

さて、しかめっ面の自己中心の人は、自殺をしないとしても、このエーテル体が激しく傷つき、歪んでいるため末期の癌とか重い病になりやすく、これでは長生きできないことでしょう。

また別の例として、成功者になることに極端にこだわり、あらゆる手を尽くして、つまりは悪いことまでして成功を手に入れたとしても、そのためにエーテル体が激しく傷ついてしまっては、その喜びを長く留めることができずに早く死んでしまう。ということになるのです。これはとても残念なことです。

エーテル体は、善。つまりは正しいものなので、悪いことをすると言うことは、善であるエーテル体を傷つけてしまうため、神様からのものを悲しませてしまうため、病気になると言う仕組みなのです。

他の人を幸せにしようと生きる人は、完全なる善。完全に正しいものと言う意味です。エーテル体が喜ぶため、健康を手に入れることができます。

こういうタイプの人は、本音と建て前を分けたような心の使い方をしません。つまりはお世辞を言うことも含まれるのですが、ある人の書道の作品を見て、心ではへたくそと思いながら、口ではお上手ですねと言うことです。

仕事によっては、本音と建て前を分けて考えることを強制される場合もあるでしょう。つまり人を騙すような方法で物を売れといったケースです。お客さんのためにと言いながら、本当は全然相手のことなど考えてなく、ただお金を出させるために嘘をついているのです。これに従うと、激しくエーテル体を傷つけることになります。

そういう時には、そのような命令に従わなければ良いのです。そのことで上司や周りから激しく避難されるかもしれませんが、神様が自分と周りとどちらを評価しているのだろうかと考えて見るのです。自分の方が間違いなく神様から褒められると考えられると自信が生まれ、自分を超えたパワーが備わっていくことでしょう。そして、悪いことをしなくても、正しい方法で素晴らしい結果を出すことができるのです。









エーテル体についての話をしましたが、ここからが今日一番、皆さんに考えてもらいたい話となります。人間一人一人にあるエーテル体が束になって、地球を支えているということです。つまり、戦争のような人類の不幸は、束になっている地球全体のエーテル体が傷つき歪んでいることから生じていると言う考え方です。テレビや新聞等のマスコミは、毎日のように誰が悪いのかといった犯人捜し報道をしています。

しかし、そういう悪い人間を生み出した背景に、私たち一人ひとりの自覚の無さがあるのではないでしょうか。


本当に、私たち一人一人は世界平和のために毎日頑張っているのでしょうか。


私達が、神様から与えられているエーテル体にふさわしい完全性。完全性とは、神様のような文句のつけようのない正しい性質が得られた状態のことを言います。そういった完全性へと養われていくのなら、世界は平和になっていくことでしょう。しかし、そういった完全性を養っていくためには、毎日エーテル体が喜ぶような生活をしなくてはなりません。

悪人の多く住むこの世の中を平和に安心して生き抜いていくためには、つまりは悪人を上手く交わして生きていくためには、それなりの知恵が必要となります。真理。真理とは、つまりは目に見えるもの、または目に見えないもののすべてに関わる、より正しい根本的な仕組みのことを言います。この真理を学び追求することも、自分を強く保つために必要なのです。つまり、大人になって定職に就いた後も学び続けることがとても大切になってきます。

しかも、ちょっと学ぶというようなものではダメです。人に教えられるくらいのレベルになるまで学ぶことが重要なのです。働きながら通信制の大学に学ぶとか、将来人を救える仕事をするためのレベルの高い資格を取るために学ぶとか、そういった学びのことです。高度な学びをするようになると、真理を学び追求することが楽しくできるようになっていきます。また、大人が家庭内で学ぶ姿勢を見せるのなら、子供たちも大人を真似て自然に学ぶことに集中できるようになっていくことでしょう。

高校を出て、人によっては大学を出て、就職に就いたら勉強することが終わりになる、ということではいけないのです。勉強とは、死ぬまで一生続けるものなのです。怠けていると、おじいさんおばあさんになった時に、ボケ老人になってしまいますよ。

大人が変わらないのに、子供を変えることは難しいとは感じています。だからと言って、お父さん、お母さんを批判するようなことがあってはいけません。皆さんも、いつかはお父さん、お母さんになる日が来るのです。皆さんにとって、それぞれのお父さん、お母さんは、実は最高の存在なのです。そう考えれば、良い道が開けてきますが、不満をぶつけてばかりいると、あなたもいつか、子供に不満をぶつけられてばかりの大人になることでしょう。それでもいいですか?


私は、子供を良く変えることに取り組んでいるスペシャリスト、つまり先生です。しかし、どんなに皆さんに自信を与え、将来仕事をこなしていけるだけの基礎となる能力を身に着けさせることができたとしても、一生学ぶ人にまで育てることには限界を感じています。つまり、子供と親の片側だけを変えても大きな成長には繋がりにくいのです。

ただ、頑張る子には、親を変える力があります。もし親を変えられなくても、皆さんと触れ合うお友達を変えることができることでしょう。そこに大いなる可能性があると私は信じています。皆さんが頑張ることは、お父さん、お母さん、あるいはお友達を変えることができるだけではなく、世界を平和に変える力もあるのです。これは凄いことだと思いませんか。

大人と子供の両方がお互いに影響を及ぼし合い変わっていけた時、世界の平和が一歩一歩近づいてくるのではないでしょうか。


何かするとき、これはエーテル体が、つまりは神様が喜ぶことか、悲しむことかと考えるようにしてみてください。そして、「これは悲しむかもしれない」と感じたら、そのことはやらないようにしましょう。時にはやめることに勇気が必要なこともあります。その勇気があなたを最大限に強い人へと育ててくれるのです。

エーテル体である命は、人間が良くなるために、私たち一人一人に注がれています。もっと良くなるために何ができるのか、いつも考える人であってください。

さて、あなたは、良くなるために、今すぐにできることは何ですか。それは世界の平和に繋がる、今すぐにできる良い行いのことです。あなただけでなく、お父さん、お母さん、お友達も変えられるようなことです。頑張って3つ考えてもらえますか? 今すぐにできることですよ。
(皆で話し合う)




※特定の宗教を連想するような仏教、ブッダ、キリスト教、イエス・キリストと言った言葉をあえて外しました。宗教を一切出さなくても、宗教的な崇高な精神を伝えられると考えたからです。

※シュタイナーの教えに出てくるアストラル体とか、メンタル体、コザール体… といった言葉までは使わないようにし、「エーテル体」という言葉一つだけ取り上げました。この言葉だけでも不思議な響きがあり、子供たちの問題意識の扉を開く効果があると考えたからです。





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来月は芸術書道月間。子供たちに芸術書を書かせるために、私もいろいろチャレンジしなきゃ。といってまだ何もできてないし…

12月19日(土)予定の、子供たちからとても期待されているクリスマス会の準備もできていないし…

また、両親の介護が結構大変で、いろいろと仕事がたまりにたまってしまい、それも処理しなければならないし…

最近、いろんな塾の広告チラシをよく目にするようになったけど、ポスティング営業とか塾の宣伝もしなければならないし…

そろそろタイヤ交換もしなきゃ、しかも2台分。介護職8か月目の妻には無理させられないし…

物理的な時間が無くなってしまい、急に記事が書けなくなったけど、気が向いたら猫ダッシュ的に書いちゃうと思います。そういう性分なもので…

「まあ、何とかなるさ」でやってます。元気をキープしないと乗り切れないしね。でも、自分には不思議な力があるから大丈夫(勝手な思い込み)。いままでそうしてきたし…

仕事を終えて自宅に帰ると、私はいつもこんな感じになってます。








一見くつろいでいるように見えますが、いろいろ考えているわけです。そのまま眠ってしまうことの方が多いのですが…


そうそう、このブログ。一応会社のブログということになっているので、コメントを書きづらいのではないでしょうか。今のところは私(ツクヨミ)一人でやっているものなので、気兼ねなくコメントを書いて結構です。ただ、両親の介護をやっている関係で、お返事に時間が掛かることもあるかもしれません。その点はご了承ください。皆さんからの参考意見を頂けると有り難いです。

実はもう一つの会社のブログがありまして、そちらは塾生の親御さんへの通信が目的なので(まだ機能してはいないのですが…)、そちらの方は、どうしてもコメントの内容に制限が出てきます。そういう場合は、こちらのサイトに移ってコメントを書いてもらおうと思っています。
















ブログで紹介しないまま、バリ同時テロについての衝撃的テレビ報道が報じられてから一週間以上が経過しました。とはいえ、私はこのことがずっと心から離れずにいました。重傷を負った方々、犠牲になった方々やそのご家族のことを思い浮かべると言葉に出来ない悲しみが湧いてきます。無差別殺人という手段で社会に影響を与えようとする人たちに心から怒りを覚えてなりません。

とはいえ、テロリストたちを一般的なイスラム教徒と混同してはいけ無いのだと思います。イスラム教徒だからといって差別したり迫害してはいけません。多くの正統的なイスラム教徒は平和主義者なのですから。テロリストたちは、大きな批判を受けるだけのことをしているのですが、先進国への何らかの憎しみが、彼らの存在理由になっているわけなのですから、私達は彼らの憎しみについて理解を深めなくてはいけないと思うのです。

彼らはSNSやYouTubeをよく用いていることから、私達もSNSやYouTubeを用いて、地道に彼らへの和解への呼びかけをすることが、私たちに出来るせめてもの平和活動なのかもしれません(私はこれらを、まだ使えずにいますが…)。あとは、17歳での最年少ノーベル賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが命を張って主張してきたように、イスラム圏の教育レベル(特に女性への教育)を向上させるために、あらゆる支援活動を惜しまないことが重要になってくると思うのです。

世界の平和のために!




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岩手の子供たちを教えていて強く感じることは、足の引っ張り合いが日常茶判事になっていることです。お友達をゲームに誘っては勉強させまいとする。付き合いの悪い子は、いじめられる。けなし合いの言葉が目立ち、頑張っている子の向上心を挫こうとするのです。








多分、それは大人たちが手本となっていると考えられるのですが、岩手はパチンコ天国で、都会では考えられないことなのでしょう。昼夜に堂々とパチンコのコマーシャルが何度も何度も流れているのです。

私も、会社員時代には、同僚たちからよくパチンコに誘われました。断ると付き合いが悪いとかなり皮肉られ、いじめられたりもしました。なぜ、彼らはパチンコをするのでしょう。これこそ足の引っ張り合いなのです。出世と無縁の者にとってマンネリ生活を癒すものとは、何より一番が「他人の不幸」となってくるわけですが、パチンコは、大損する誰かを見ることで心が晴れているのではないかと感じられました。自分が大損しても、皆から同情されるので悪くはないようです。

ということは、子供たちも誰かをいじめていて、向上心の失ったマンネリ子供たちの心が晴れているとは考えられないでしょうか。もし、そうであるなら実に情けないことです。これは、幼稚園からお受験のある都会では考えられないようなことなのかもしれません。競争社会という現実を生き抜いていくには、そういった厳しさは、ある意味、必要なのかもしれません。子供にとっても、大人にとっても… (これは、シュタイナー教育に反する考え方ではあります)

とにかく、最近の岩手の子供たちには夢が無いのです。○○の店員とか、将来無くなるかもしれないような仕事に就きたいのだと言います。なぜ、その仕事をしたいのかと聞くと、「そんなに頑張らなくても就けそうだから」と答えが返ってきます。どうして勉強が嫌いなのと聞くと、「めんどくさいから」と返ってきます。大人たちのマンネリズムが、子供たちに強く影響していると言えるのではないでしょうか。

だからこそ社会人になっても勉強するという大人の姿勢が、子供たちには必要なことであると思うのです。

各方面での自動化システムの発達により、ここ10年位の間に日本の65%の仕事は消滅してしまうので、今の子供たちは、現在まだ存在しない仕事に就かなくてはならないことになる(放送大学副学長、宮本みち子氏談)。つまり、大人たちもいつ今の仕事が無くなるかという危機を感じるべきなのです。そして、そういう時に次の仕事に就けるようにする備えとなるような資格を取るとか、起業できるだけの各種スキルを得るとか、自分の未来に投資する学習活動をするべきなのです。

こういった大人の頑張りが、マンネリ子供たちを無くしていくのです。

子どもを良くするのは、優れた教育を受けさせることはもちろん大切なのですが、親御さんの生きる姿勢にも大いに関わってくることを肝に銘じて欲しいものです。

親御さんがマンネリズムを捨てて頑張るようになると、マンネリ子供たちが無くなっていき、いじめも無くなっていくという図式は、かなり核心をついているように感じられてなりません。いじめを単に○○ちゃんが悪いという個人的な問題としてだけ見てはいけないのです。いじめが存在するのなら、いじめの起こらない社会にしていこうと大人たちが立ち上がり、お互いに「子供たちのために自分磨きしよう」と声を掛け合わなければ、学校でのいじめは決して無くならないことでしょう。









親御さんが良い手本を示さなくても、教師の私が子供たちに良い手本を示せたらと思い、私はいつも高い目標を掲げ、学習活動を怠らないようにしています。吉田松陰の松下村塾ではありませんが、当塾の塾生たちが、未来の日本を危機から救うような人材を多く輩出させたいと願って止みません。

11月は道徳教育月間。この期間に、子供たちと大いに語り合い、今後に生かすための教育テーマを炙り出していきたいものです。そして来月(12月)は、芸術書道月間。そこで自由に表現された芸術作品の中に、その子の心の問題等が大いに写し出されてくるに違いありません。芸術とは、商業的に価値のあるものだけではなく、教育的に、さらには人間理解のために価値のあるものであると私は考えています。









国際野球大会「プレミア12」で侍ジャパンは昨日惜しくも準決勝で敗れてしまいましたが、2度の韓国戦で、任されたイニングを無失点に抑える見事な投球をした大谷翔平投手は岩手っ子です。大舞台になる程強く、惚れ惚れするような美しいフォームから160キロを超える剛速球と140キロを超える超高速フォークを投げられバッタバッタ三振の山を築いていく。世界が認める大投手である彼は岩手の誇りです。今日は岩手の子供たちは… と手厳しく書きましたが、決して手遅れなんかじゃありません。田舎者なんて言わせません。育てる大人たちが自覚していくのなら、世界に通用する人材を次々に輩出できる、素晴らしい素材の宝庫なのだと思うのです。




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私は、10歳の時にスキー事故で、左腕の関節を
複雑骨折する重傷を負いました。




左腕の切断手術は免れましたが、3度の大手術をし、
半年近くも入院しました。




退院後も毎日午前中にはリハビリに通わなくては
なりませんでした。

左手に脈が打つようになるのに1年近く掛かりました。
また、左腕の機能が回復し、指が動くようになるのに、
まる2年の時間を費やさなくてはなりませんでした。




あとで親から聞いたのですが、医者は


一生障害が残る


と宣告したとのこと、




回復したのは奇跡なのだそうです。




クラスメートにとって、私は「午後からの人」でした。




退院後まもなくの算数のテストの成績は、
わずか8点でした。

他の科目も20点以下だったと思います。

何といっても、入院中は寝たきりで何もできない
状態でしたから。




いじめっ子のイジメのターゲットになったこともありました。


あまりに辛い状況に耐え切れず、2階の教室から
飛び降り自殺を図ろうとしましたが、クラスメートたちに
止められて思い直すといったこともありました。






そんな私に、「一緒に勉強しよう」と、優しく声を
かけてくれたお友達がいました。



クラスメートの大須賀君です。



その日から、毎日放課後に、大須賀君の家で
勉強をするようになりました。





理科のテストでのことです。

何とクラスで、私と大須賀君の二人だけが
100点を取りました。




その時の嬉しいことったらありませんでした。
しだいに、他の科目でも良い成績が取れるように
なっていきました。


しかし、その喜びもつかの間。


大須賀君は、仙台に転校していきました。




お別れの盛岡駅で、私は大須賀君に

一番大切にしていたプラモデルをプレゼントしました。






別れた後、涙が溢れて止まらなくなりました。








今考えると、私が、出会う人にやさしく接することが
できるようになれたのは、この時の大須賀君の
影響なのだと思います。




それより、彼に出会わなかったなら、私は勉強の遅れを
取り戻す事ができず、大怪我も克服できず、暗い人生を
歩んでいたのかもしれません。



もし、大須賀君に出会わなかったなら…



わずか数ヶ月だけのお付き合いだったけど、
大須賀君の事を思い出すと、いい思い出しか
浮かばないんです。



今、どうしているのだろう…








彼は、私にとって、まさに天使のような存在でした。

きっと神様が出会わせてくださった人なんだと思います。




どんなに、未来は自分で切り開くのだと言ったところで、

相手の側からやってくる出会いまで予測することはできません。

計画通りにはいかない部分です。

本当に苦しい時の出会いって、そういった出会いを通して
神様の愛が注がれているように思えてなりません。


他には見逃してきたばかりだったように思います。

でも、この時だけは…




感謝を込めて!









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