大須賀君 | 恵翠(けいすい)書道教室

恵翠(けいすい)書道教室

盛岡市のお習字教室 / 滝沢市のお習字教室  盛岡市の書道教室 / 滝沢市の書道教室  盛岡市の書道塾 / 滝沢市の書道塾

私は、10歳の時にスキー事故で、左腕の関節を
複雑骨折する重傷を負いました。




左腕の切断手術は免れましたが、3度の大手術をし、
半年近くも入院しました。




退院後も毎日午前中にはリハビリに通わなくては
なりませんでした。

左手に脈が打つようになるのに1年近く掛かりました。
また、左腕の機能が回復し、指が動くようになるのに、
まる2年の時間を費やさなくてはなりませんでした。




あとで親から聞いたのですが、医者は


一生障害が残る


と宣告したとのこと、




回復したのは奇跡なのだそうです。




クラスメートにとって、私は「午後からの人」でした。




退院後まもなくの算数のテストの成績は、
わずか8点でした。

他の科目も20点以下だったと思います。

何といっても、入院中は寝たきりで何もできない
状態でしたから。




いじめっ子のイジメのターゲットになったこともありました。


あまりに辛い状況に耐え切れず、2階の教室から
飛び降り自殺を図ろうとしましたが、クラスメートたちに
止められて思い直すといったこともありました。






そんな私に、「一緒に勉強しよう」と、優しく声を
かけてくれたお友達がいました。



クラスメートの大須賀君です。



その日から、毎日放課後に、大須賀君の家で
勉強をするようになりました。





理科のテストでのことです。

何とクラスで、私と大須賀君の二人だけが
100点を取りました。




その時の嬉しいことったらありませんでした。
しだいに、他の科目でも良い成績が取れるように
なっていきました。


しかし、その喜びもつかの間。


大須賀君は、仙台に転校していきました。




お別れの盛岡駅で、私は大須賀君に

一番大切にしていたプラモデルをプレゼントしました。






別れた後、涙が溢れて止まらなくなりました。








今考えると、私が、出会う人にやさしく接することが
できるようになれたのは、この時の大須賀君の
影響なのだと思います。




それより、彼に出会わなかったなら、私は勉強の遅れを
取り戻す事ができず、大怪我も克服できず、暗い人生を
歩んでいたのかもしれません。



もし、大須賀君に出会わなかったなら…



わずか数ヶ月だけのお付き合いだったけど、
大須賀君の事を思い出すと、いい思い出しか
浮かばないんです。



今、どうしているのだろう…








彼は、私にとって、まさに天使のような存在でした。

きっと神様が出会わせてくださった人なんだと思います。




どんなに、未来は自分で切り開くのだと言ったところで、

相手の側からやってくる出会いまで予測することはできません。

計画通りにはいかない部分です。

本当に苦しい時の出会いって、そういった出会いを通して
神様の愛が注がれているように思えてなりません。


他には見逃してきたばかりだったように思います。

でも、この時だけは…




感謝を込めて!









恵翠書道教室 盛岡教室

恵翠書道教室 滝沢教室