心が自分にばかり向いている人の心は弱く、心が他の人のために役立ちたいと思っている人の心は強いということからお話を進めていきます。つまり、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を助けたいと思っている人の心は強いということです。
最もわかりやすい例として、前にもお話ししましたが、東日本大震災の大津波で、高台に逃げて命が助かった人について考えてみましょう。
「自分が」「自分が」と自分のことしか考えない人は、家族を失ったり、家を失ったり、大切にしている物や財産を失ったことで悲しみに押しつぶされて、しかめっ面をしてばかりいました。そういう人の中には、絶望のあまりに自殺をしてしまった人もいたそうです。
ところが、その人と同じようにすべてを失っている筈なのに、困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人のために一生懸命働いていた人は、笑顔を絶やさずにいたのだそうです。体の弱っていた人には、傍に寄り添って励ましてあげ、親を失った子供たちには絵を描いてあげたり歌を歌ってあげたりもしたのです。
どちらの人もすべてを失っているのに、始めに紹介した人はいつもしかめっ面。後の人はいつも笑顔でした。
どちらの人が強い人と言えるでしょうか? もう言わなくてもわかりますよね。後の人の方です。

人間の命のことを別名エーテル体と呼ぶことがあります。エーテル体とは、よく電気に例えて説明されています。それは、すべての人に平等に、しかも同じものが注がれているからです。
では電気で考えてみましょう。同じ電機から、照明器具、パソコン、冷蔵庫、テレビ等が動作しているわけです。機械によって違う電気が流れているのでしょうか? そうではないですよね。全ての機械に同じ電気が流れているのです。つまり、すべての機械に、平等に同じ電気が流れていると言えるわけです。
しかし、この電気が流れてこなくなると、それぞれの電気製品は動作しなくなってしまいます。人間の命でもあるエーテル体の場合も、流れてこなくなると人は死んでしまいます。ただ命と言う電気のようなものは、神様の愛そのものなので、完全なる善。これは善悪の善なのですが、つまり完全に正しいものでできています。つまり、すべての人に神様の愛が平等に注がれているということなのです。
さて、しかめっ面の自己中心の人は、自殺をしないとしても、このエーテル体が激しく傷つき、歪んでいるため末期の癌とか重い病になりやすく、これでは長生きできないことでしょう。
また別の例として、成功者になることに極端にこだわり、あらゆる手を尽くして、つまりは悪いことまでして成功を手に入れたとしても、そのためにエーテル体が激しく傷ついてしまっては、その喜びを長く留めることができずに早く死んでしまう。ということになるのです。これはとても残念なことです。
エーテル体は、善。つまりは正しいものなので、悪いことをすると言うことは、善であるエーテル体を傷つけてしまうため、神様からのものを悲しませてしまうため、病気になると言う仕組みなのです。
他の人を幸せにしようと生きる人は、完全なる善。完全に正しいものと言う意味です。エーテル体が喜ぶため、健康を手に入れることができます。
こういうタイプの人は、本音と建て前を分けたような心の使い方をしません。つまりはお世辞を言うことも含まれるのですが、ある人の書道の作品を見て、心ではへたくそと思いながら、口ではお上手ですねと言うことです。
仕事によっては、本音と建て前を分けて考えることを強制される場合もあるでしょう。つまり人を騙すような方法で物を売れといったケースです。お客さんのためにと言いながら、本当は全然相手のことなど考えてなく、ただお金を出させるために嘘をついているのです。これに従うと、激しくエーテル体を傷つけることになります。
そういう時には、そのような命令に従わなければ良いのです。そのことで上司や周りから激しく避難されるかもしれませんが、神様が自分と周りとどちらを評価しているのだろうかと考えて見るのです。自分の方が間違いなく神様から褒められると考えられると自信が生まれ、自分を超えたパワーが備わっていくことでしょう。そして、悪いことをしなくても、正しい方法で素晴らしい結果を出すことができるのです。

エーテル体についての話をしましたが、ここからが今日一番、皆さんに考えてもらいたい話となります。人間一人一人にあるエーテル体が束になって、地球を支えているということです。つまり、戦争のような人類の不幸は、束になっている地球全体のエーテル体が傷つき歪んでいることから生じていると言う考え方です。テレビや新聞等のマスコミは、毎日のように誰が悪いのかといった犯人捜し報道をしています。
しかし、そういう悪い人間を生み出した背景に、私たち一人ひとりの自覚の無さがあるのではないでしょうか。
本当に、私たち一人一人は世界平和のために毎日頑張っているのでしょうか。
私達が、神様から与えられているエーテル体にふさわしい完全性。完全性とは、神様のような文句のつけようのない正しい性質が得られた状態のことを言います。そういった完全性へと養われていくのなら、世界は平和になっていくことでしょう。しかし、そういった完全性を養っていくためには、毎日エーテル体が喜ぶような生活をしなくてはなりません。
悪人の多く住むこの世の中を平和に安心して生き抜いていくためには、つまりは悪人を上手く交わして生きていくためには、それなりの知恵が必要となります。真理。真理とは、つまりは目に見えるもの、または目に見えないもののすべてに関わる、より正しい根本的な仕組みのことを言います。この真理を学び追求することも、自分を強く保つために必要なのです。つまり、大人になって定職に就いた後も学び続けることがとても大切になってきます。
しかも、ちょっと学ぶというようなものではダメです。人に教えられるくらいのレベルになるまで学ぶことが重要なのです。働きながら通信制の大学に学ぶとか、将来人を救える仕事をするためのレベルの高い資格を取るために学ぶとか、そういった学びのことです。高度な学びをするようになると、真理を学び追求することが楽しくできるようになっていきます。また、大人が家庭内で学ぶ姿勢を見せるのなら、子供たちも大人を真似て自然に学ぶことに集中できるようになっていくことでしょう。
高校を出て、人によっては大学を出て、就職に就いたら勉強することが終わりになる、ということではいけないのです。勉強とは、死ぬまで一生続けるものなのです。怠けていると、おじいさんおばあさんになった時に、ボケ老人になってしまいますよ。
大人が変わらないのに、子供を変えることは難しいとは感じています。だからと言って、お父さん、お母さんを批判するようなことがあってはいけません。皆さんも、いつかはお父さん、お母さんになる日が来るのです。皆さんにとって、それぞれのお父さん、お母さんは、実は最高の存在なのです。そう考えれば、良い道が開けてきますが、不満をぶつけてばかりいると、あなたもいつか、子供に不満をぶつけられてばかりの大人になることでしょう。それでもいいですか?
私は、子供を良く変えることに取り組んでいるスペシャリスト、つまり先生です。しかし、どんなに皆さんに自信を与え、将来仕事をこなしていけるだけの基礎となる能力を身に着けさせることができたとしても、一生学ぶ人にまで育てることには限界を感じています。つまり、子供と親の片側だけを変えても大きな成長には繋がりにくいのです。
ただ、頑張る子には、親を変える力があります。もし親を変えられなくても、皆さんと触れ合うお友達を変えることができることでしょう。そこに大いなる可能性があると私は信じています。皆さんが頑張ることは、お父さん、お母さん、あるいはお友達を変えることができるだけではなく、世界を平和に変える力もあるのです。これは凄いことだと思いませんか。
大人と子供の両方がお互いに影響を及ぼし合い変わっていけた時、世界の平和が一歩一歩近づいてくるのではないでしょうか。
何かするとき、これはエーテル体が、つまりは神様が喜ぶことか、悲しむことかと考えるようにしてみてください。そして、「これは悲しむかもしれない」と感じたら、そのことはやらないようにしましょう。時にはやめることに勇気が必要なこともあります。その勇気があなたを最大限に強い人へと育ててくれるのです。
エーテル体である命は、人間が良くなるために、私たち一人一人に注がれています。もっと良くなるために何ができるのか、いつも考える人であってください。
さて、あなたは、良くなるために、今すぐにできることは何ですか。それは世界の平和に繋がる、今すぐにできる良い行いのことです。あなただけでなく、お父さん、お母さん、お友達も変えられるようなことです。頑張って3つ考えてもらえますか? 今すぐにできることですよ。
(皆で話し合う)
※特定の宗教を連想するような仏教、ブッダ、キリスト教、イエス・キリストと言った言葉をあえて外しました。宗教を一切出さなくても、宗教的な崇高な精神を伝えられると考えたからです。
※シュタイナーの教えに出てくるアストラル体とか、メンタル体、コザール体… といった言葉までは使わないようにし、「エーテル体」という言葉一つだけ取り上げました。この言葉だけでも不思議な響きがあり、子供たちの問題意識の扉を開く効果があると考えたからです。
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