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本郷綜海さんのワークに29日参加してみた。
さて、妄想はとどまることを知らないが、やがて、ちょっとだけ『妄想してる自分』と『瞑想している自分』が分かれることがある。
こうなると徐々にだが妄想は薄れ、やがては瞑想だけをしている状態になることが出来る。
といっても、数十時間座って、それを感じることが出来たのはほんの数回のみ。
人によってはもっと多いかもしれないし少ないかも知れない。
それは次に教えられるヴィッパーサナ瞑想の『観察』と『平静』という根幹を知れば気にするまでもないことだとわかるが、いかんせんこの競争社会、ひたすら誰かと背比べをしてきたし、することを望まれてきたし、それがあたりまえだったこの垢だらけの脳では簡単に比べない、周りを気にしないと言うのは難しい。そして、そのための沈黙。
ここで、あれ?今までやってた瞑想はヴィッパーサナじゃないの?と思う方もいるだろう。
そうなのです。ここまでやっていた瞑想は『アーナパーナ』という集中力を高める呼吸を使った瞑想でヴィッパーサナ瞑想の準備運動のようなものだったのです。
このヴィッパーサナ瞑想は確か4日目に教えてもらいます。
ホールの出入り口には1日の時間割が貼ってあるのですが、その日はヴィッパーサナ用の時間割になっていて、すこしだけ厳かな空気を感じました。
とても簡単にいうと、
・動いてはいけない
・頭の上からつま先まで皮膚で起こっていることを感じる
・痛みや痺れに執着しない
・目はつぶる
常に平静な心であり続け、観察し続ける。
今までは胡坐に疲れたら片足立てをしたり、もぞもぞと動いていたのですが、ここにきて1時間動かないでくださいと言われた時はさすがに絶望を感じました。
もちろん動いたからと言ってもなにも起こらないのですが、それが瞑想のやり方であればまじめに取り組みたくなるもので、しかし、足は痛むし、背中はきしむし、なんか腰の痛くなったことのない場所が痛いし動かないなんていうのは無理だろう…でも…。
そんな逡巡などしても時間は流れいざ瞑想をはじめます。
頭の上は髪の毛があるのでなんとなくむずむずするような。
そこから下がり、頭皮も同様に。
おでこ、まぶた、鼻、唇、両耳、それぞれをそれぞれがどのような感覚を感じているか、暑いとか寒いとか風をうけているとか、かゆい、痛い、言葉にならない何かしらかの感覚それを自分で気づくまでその場所にとどまります。
自分の場合は顔はほとんど『痒い』と感じていたので、顔は洗っていましたが、顔ダニだきっと沢山いるんだろうなと考えたりもしていました。
そして、意識を右肩に下ろしていき、右腕、右ひじ、右手首、右手、今度は左肩から同様にすすめていく。
左指まで行ったら今度は首、胸、おなかと降りていき、今度は後ろにまわって、背中を肩甲骨や背骨、腰まわりなどと進めていきます。
両の足も腕と同様に進めていき、指先まで行ったところで、頭頂に戻りまた同じ手順で進めていく。
これをひたすら1時間。
長い!!!!
呼吸を一分間気にしているのとは訳が違います。
圧倒的な集中力を要します。
15分も座っていると足がしびれ、背中が痛み、歯を食いしばったりつねったりしていくうちに動きが大きくなり、やがては座り方を崩し、痛みを気にしながら座る羽目になります。
これが少しうまくいくと痛みが気にならなくなります。
痛みにも波があり、その波が平坦なときは痛くないのです。
痛みにだけとらわれていると、意識が痛みを作り続けます。それはその微細な波を見過ごし、『痛み』だけを常に意識していしまうのです。
でも、本当は痛くない時があり、その時間も『痛み』として認識しないことで徐々に長くなっていくのです。
ただ、こうなるためには結構な山を越えないとなかなか到達できませんでしたが。
さて、ここからさらにこの観察の作業が多くなっていきます。
その辺は一気に行きたいので次回に。
1日目。
朝の4時起きることなど到底できないと思っていたが、見事に鐘の音で目が覚めた。
なんとなく落ちつかず、寝つきが悪かったこともあるだろう、爽快とはいえないものの布団でもぞもぞしている気も起こらず、顔を洗いに洗面所へ。
この洗面所にはユニットのシャワー3台、ステンレスのシンクが4台、水洗トイレが3台、小便器が4台、脱水機のみ使用可能の二層式洗濯機1台がある。
それぞれの仕切りなどはベニアがそのままさらされているような簡素なつくり。それでも、きちんと掃除が行き渡りとても清潔な状態で使うことが出来た。
ここには南面に大きなひさしが張り出してあり、その下で洗濯物を干しておくことが出来る。しかし、この洗濯物干し場の前はちょっとした山になっていて昼間でもほとんど日が差し込まない。
夏場ならもしかしたら日が入るかもしれないがこの時期は絶望的だった。
ただ、風通しも良いので意外とすぐに乾く。
ぞろぞろと皆が皆、黙々と歯を磨き、顔を洗い、トイレに行き、シャワーを浴びる。建物の隅っこには魔法瓶が置かれており、ほうじ茶とお湯と水を飲むことができた。
顔を洗い、トイレに行くとすることもないので、着替えてホールへと向かう。
ホールの中は暖房がほのかに暖かい。それでも備え付けの毛布を肩に掛けるほどには寒い。
特に合図もなく座る。
。。。眠い。
ここでしている瞑想は、
呼吸を意識するだけ。鼻の穴をを空気が通っているかを感じるだけ。
それだけを二時間意識し続ける。
無理。
何度も動くし、鼻もすするし、眠いし、暇なので妄想が頭にどんどん浮かんでくる。
私の場合はまず『眉間にヒアルロン酸いれようかな』だった。
眉間に刻まれた一本の深い縦皺。これがなぜか気になった。
『そうだ、人相的にもそっちがいいし、いくらくらいかかるんだろう、いれたらもてるかな、柔和な表情になるかもしれない、でも、一回入れてそれでにどといれなくてもいいのだろうか、くせがついてるだろうからきっと日常生活でもきをつけないといけないな。。。。』
などとエンドレスに考え始める。
あとは連絡が取れないことへの不安。
『もし、元の会社からなにかしらかの連絡きてたらどうしようかな、家族の誰かがたおれてたりしないだろうか、なにかのすれちがいで誰もここの連絡先わかってなかったらどうしよう、帰ったときに取り返しのつかないことになっていたらどうしようかなううううううう不安不安だぞおおおおお』
などということも取り留めなく考える。
そしてたまに呼吸を意識する。
そして、うつらうつらとしてしまう。
それでも早朝は頭が働いていないからか、ぼうっとしている間に時間が過ぎてくれる。
長かった瞑想の終わりに先生が入室してきて、創設者ゴエンカ氏のテープが流れる。
そのテープの終わりのほうで『この世の生き年いけるものが幸せでありますように』という意味のフレーズが流れ、同意するものは「サードゥー(×3)」と返答する。
自分は賛同するもののなんとなく言いたくなかったので言わなかった。
姿勢を変えようが何しようが一箇所に座っていると言うだけで体はかちこちに固まる。
その固まった体を伸ばしながら、食堂へと向かう。
朝の食事はシンプルだ。
玄米、白米、おかゆ、塩、味噌、梅干、黒ゴマ、パン、ジャム、バター、プルーン、オリーブオイル。あとはバナナやりんご。
私はどんぶりに玄米をたっぷり入れて、味噌と梅干、仕上げに黒ゴマをさらっとかける。
パンはトースターで温めることもできるので、待ち時間が長くあまり食べる気になれなかった。
味噌で食べる玄米は初めてだったがとても美味しく頂くことができた。
梅干も手作りらしくきつい塩味で目が覚める思いだった。
食事を終えて、テントへ戻り、就寝。
このときはすんなり眠りに落ちた。
また鐘の音で目が覚め、ホールへ。
基本この繰り返し。
しかし、人間と言うのは面白いもので、次はもっと集中しようとかこうやって座ってみようととか考えるもので、皆クッションの高さを変えたりなんだりしていた。
ここから先は記憶があいまいなので何日目という記述はやめることにしよう。
日に日に瞑想するにあたっての注意事項が細かくなる。
1日目は呼吸に意識するだけ、2日目は空気が鼻を通っていることを意識するだけ、3日目は上唇を底辺とした鼻の部分を含む三角形を意識し、4日目は上唇と鼻の下の人中のある部分で空気の流れを感じるか。
しかも集中自体は1分間そこにとどまっていられるか程度だったので、『余裕』
まさに、瞑想中の私の脳内は妄想天国と化すのであった。
その内容は先ほどのものに加え、エロいことが追加される。
ここから数日間はAVの企画を考えてみたり、その企画に参加して自分を想像してみたり、ひたすら妄想に浸る瞑想が続くのでありました。
知る人ぞ知るヴィッパーサナ瞑想の10日間コースへ行ってきました。
すでに記憶は薄れつつありますが、これ以上忘れないためのメモ書きとして。
聞きなれない言葉、瞑想という言葉のもつ怪しさ、10日間というそこそこ長い期間、もしかしたら怪しい宗教なのではないか?洗脳されてしまうのではないか?高額なお金を要求されるのではないか、など想像がはかどりますが、すべて『NO』。
ものすごく簡単に言えば、仏陀の時代から引き継がれてきた『観察』と『平静な心』を中心とした瞑想法を10日間集中的に行うコースです。
長期の休みになるとキャンセル待ちができるほどの知る人ぞ知る人気スポットです。
その間やってはいけない約束事があります。
- 生き物を殺さない。(なので食事はベジタリアン)
- 盗みを働かない。
- 切の性行為を行わない。
- 嘘をつかない。
- 酒・麻薬の類を摂らない。
の五つです。
それ以外に、携帯電話を預けたり、紙やペンなど筆記用具の持ち込みは禁止。さらに生徒同士のコミュニケーションは禁止され、見知らぬもの同士心通わせることなく10日間を過ごします。これは情報交換することで余計な心理的負荷を増やさないためだそうです。
たとえば、今日の瞑想の出来はどうだった?などの話をすればうまくいった人いかない人がいるわけで、うまく行かなかった人はうまくいくようにと余計な力みが出てしまったりするからです。
つまり、夜にポチポチ携帯を見ることもできませんし、その日の瞑想の状態を書きとめておくことも出来ません、一緒のご飯を食べる人たちと談笑もかないません。ただひたすら瞑想に打ち込むためだけの時間なのです。
また、ここの凄いところはすべてが寄付によって成り立っていると言うことです。
これは設立者であるゴエンカ氏の意思だそうです。
残念ながらもうなくなられてしまいましたが、現在では世界各国で約150箇所もの施設が作られています。
なので、コースへの参加費は寄付する意思がなければ無料で受けられます。
食事はボランティアの方々が決まった時間に用意してくれます。
洗濯は手洗いですが脱水機が使えます。
湯船に浸かることはできませんが熱いシャワーを浴びることができます。
宿舎は相部屋とテントがあり、どちらも快適に過ごすことが出来ます。
本当に瞑想以外にストレスを感じることがありません。
では、ここで一日の流れを簡単に説明します。
朝の4時に起床(!!!)
4時半から6時半まで瞑想
6時半から8時まで食事と休憩
8時から9時までグループで瞑想
9時から11時まで瞑想
11時から13時まで食事と休憩
13時から14時半まで瞑想
14時半から15時半までグループで瞑想
15時半から17時まで瞑想
17時から18時までティータイム
18時から19時までグループ瞑想
19時から21時まで講話
21時半就寝
となっています。
驚愕の瞑想時間!!
1日10時間!!!
だからと言って10時間もの間じっと瞑想できるわけはないので、グループ瞑想以外は適度に休んでもOKでした。
ただし、ストレッチやヨガの禁止!!
これはほぼ無理だと言わざるを得ないのですが、
ヴィッパーサナにおいて自分の体を観察するのが目的の一つなので、体をほぐして望むのは目的にそぐわない部分があるため、過度な運動は禁止されています。
さて、おおまかな説明はこの辺で終わりにして、到着からの記憶をたどってみたいと思います。
場所は千葉県の茂原駅から数十分行ったところにあるまわりには何もない辺鄙な場所にその施設はあります。
目的のバスに乗り込むと、それらしき大荷物を抱えた人々ばかり乗っていました。
男性も女性それぞれ10人くらい、年齢層はパッと見た感じ老若男女入り混じり、多少20代にが多そうな印象を受けました。
これから向かう施設は日本には京都と千葉県にあるらしく、千葉県のこの施設はまだすべてが完成しているわけでありません。
事前にメールで送られてきた情報によると、私はテント泊になるらしく、少し寒くなってきた子の時期、少しの不安がよぎります。
バスに揺られること数十分、目的地のバス停に到着。そこから施設まで送迎もありますが、受付時間よりも少し早くついてしまったので送迎の方に大まかな道順を聞いて歩いていくことにしました。
本当に何もない。
民家と朽ち果てた民家と田んぼと畑。 以上。
仕事をやめたばかりの私は急激な環境の変化についていけず考えるのをやめていたような節がありました。笑。
なんとなく後ろを振り返ると男女入り混じった数人が楽しげに歩いてきているのが見えました。
こういう時、周りの人よりも行動が早すぎて一人で行動することが多いです。
混ざりたいけれど歩くスピードを落としたり、風景を見るために足を止めたりするのはちょっと恥ずかしいのでやめました。
しばらくすると、ちょっとした坂道の上に目的の施設が見えてきました。
簡素なバラック小屋のような建物でした。
受付が始まるまでに書いておいてと、緊急連絡先や今回の参加の意志を再確認する内容の誓約書にサインします。
そんなに書くこともないので、すぐに暇になり、敷地内を歩いてみることに。
敷地では男女の区画が分かれており、コース期間中は男女が完全に分かれて暮らします。
それぞれの宿泊棟となる建物、瞑想ホール、トイレやシャワーのある建物、そして、奥のほうにはテントが。
テントの数は総数で15張り(たぶん)
地面に直接ではなく、木製のデッキの上にテントが設置されており、さらにその外側にデッキごと覆う風除けが逆Vの字で組まれており、そのときの印象派豪華なテントでした。
東側と南側は森に囲まれていていますが、敷地内は固められた歩道、あとは芝生、奥のほうは手が入りきっておらず雑草が茂っていたり土が荒れていたりという感じ。
さて、受付場所に戻ると第二陣が来たらしく人も増え、そろそろ受け付け開始時間に。
それまで、隣に座ったベトナムで設計事務所をやっている方と少し話す。
彼は今回で3回目。
京都、ホーチミン、そして今回の千葉。
なんとなく一回きたら終わりと言うイメージがあったがリピーターもいると知って少し驚いた。と、同時にちゃんと戻れるんだなと心の隅っこにあった疑念が払拭されました。笑。
受付が始まり、財布携帯メモ帳を預け、瞑想のときの座席番号とテント番号を教えてもらう。
ここでの注意事項の説明を受け、スタッフの挨拶が終わるとそこから会話の禁止がスタートする。
この日は夕飯を食べたら少し休んで、ホールに集合して、瞑想の説明を受け、就寝。
夕飯までの30分で荷物を解く。
久々のテント泊に心躍るもやはり寒そうなので毛布と寝袋(夏用)を借りる。
持ってきていた寝袋(夏用)を毛布でくるみ、その上から借りてきた寝袋をかぶせて寝床の完成。
気づけば、夕食の時間になっていた。
夕飯はみんな大好きカレーライス。
お茶やコーヒーは飲み放題。
食事は給食形式で大きな鍋に入ったカレーやご飯を自分でよそう。皿は平らなものとおわん方のものがあり、その日の食事によってどちらが適切か自分で判断する。食べ終えた皿はもちろん自分で洗うし、元の場所にもどす。
食堂内は食器のかちゃかちゃとなる音だけが響く。
私は明日からの生活の不安からか大盛りで二杯を平らげた。
食器を洗い終え、外に出るとまぶしいくらいの星空。
はぁ~~と大きく息を吐く。
(これは声出てないからいいよな?)
などと考えながら、テントへもどり、仮眠。
やがて、時間を知らせる鐘が鳴らされ、ホールへと向かう。
薄暗いホールにはクッションがおかれており、自分の番号が書かれた札のおかれている場所に座る。
テープによる簡単な説明を受けて、瞑想開始。
『いきなり!!』
そこからどきどきしながらも瞑想を続けること一時間。
足がしびれ、姿勢を変え、クッションをおって高さを変えたり。
落ち着きのない瞑想(笑)を行い、鐘が鳴ってようやく終了。
少しの休憩を挟んでそこから二時間の講話。
この講話は主に仏陀の話、瞑想の話、創設者のゴエンカ氏の話。
ためになるなと思うものの座りっぱなしできついためやはりあの手この手で姿勢を変える。
ようやく終わって就寝といわれても。今まで午前二時とかに寝ていた人間がいきなり寝れるわけもなく、でも寒いから寝袋の外に出たくなく、目を瞑り、目を開けて、ごろごろし、うつらうつらし、はっと目が覚めてまだ、12時。
そして気が付けば4時の鐘が鳴る。
ようやく1日目がスタートしようとしていた。
これから自殺するM氏へ。
仮に数年前へ戻れるのなら私はあなたに強くこう言うだろう。
『ヴィッパーサナ行ってからでも遅くないですよ』『とりあえず行ってから決めましょうよ』と。
もちろん人生に『もしも』はないし、実際にそのとき私が経験していたとしてもM氏へ告げることなどできるような間柄でもなかっただろう。
けれど、10日間に及ぶ瞑想のコース、その山場では強く、切にそう思った。
理由は簡単だ。決断するまでの時間の猶予。そして、心を、現実を見つめ直すことができる明晰さを得ることができるから。そして、執着する心が弱くなるから。
熟考の果てにすら自殺という選択肢があるかもしれない。
けれど、今よりもほんの少し明晰で平静であるということは、自殺への一歩を強く引き止めるものになるだろう。
本で読んだり、カウンセリングを受けたり、薬を飲んだりすることも効果的だろう。けれど、そこには体験が伴わない。
ただ、外的な要因で心を操作しようとするだけだ。
この瞑想は違う。
ただひたすら観察し続ける。
どんな痛みにも平静であり続ける。
感覚を研ぎ澄ませ、皮膚の上で起こるすべてを感じようとする。
そこに『移り変わり』の体験がある。執着をなくした世界がある。
座り続けた先に何を感じるかは各々違う感想を抱くのは当然だが、そこに何らかの気付きがあることは間違いないだろう。
誰にも悩みを言えず、悶々とし、苦しさを繰り返し、消えてなくなってしまいたくなる夜にいらつき、膨れ上がった思いに押しつぶされ絡みつかれ、絶望し、耐え切れなくなり、自暴自棄になり発作的にその命を絶つ選択をするのなら、あと10日間(正確には申し込み日からの1,2ヶ月間)だけ自分に猶予を与えてあげてほしい。
今となっては自殺してしまったM氏にこの言葉は届かないけれど、こうして記せば誰かに届くかもしれない。
これから自殺しようとしているあなたへ。
本当にあなたが選ぶ道はそこにしかないのだろうか?
見ず知らずの他人が口を挟むことではないし、絶望的な状況は変わらないかもしれないけれど、どうせ捨ててしまおうとしているその命をあと少しだけつなぎとめ、その後に決断してもいいのではないだろうか。
その他感想は後日
明日からはまた仕事漬けの日々が始まる。
この休み、ちょっとした縁からヨガとパーマカルチャーについて学べる合宿に参加することになった。
二泊三日のその合宿は靄がかかったこれからの生き方に少しだけ光明が見えるような意義があったように感じる。
ヨガはいいとして、パーマカルチャーとは何だ?と首をかしげる人も多いだろう。
端的に言えば、
『永続可能な農業(permanent + agriculture)』だ。
では永続可能な農業とはなんだ?となると、
答えは
『森』だということになる。
なぜならば森は生態系の行き着いた先。つまり、世代交代が行われ永続的に存続可能な環境であるからである。
こういう説明になるとわかりにくいかもしれないが、
噛み砕けば、
自然本来の形を生かした上での農業ということで理解していれば間違いはないだろう。
NPO法人でもあるパーマカルチャーセンターは古民家を改修しほぼそのままの形で使用している。
自然素材、あるものを使うという考えの下にアルミサッシははずし、古くなった木製の建具を調整して使い、腐った床も張替え、土台も入れ替え、建てつけは決していいとはいえないが素朴な風合いのある住居になっていた。
そこで寝泊りをし、日に多い日で三回ヨガをして、講義を受け、談笑する。そんな合宿だった。
総括すれば、現在の自分の生活は余剰に満ちていて、なおかつ一方通行であるという事実に気がついた。
パーマカルチャーの原則には『循環』という考え方がある。
それは森の営みを想像すれば容易に意味がわかるだろう。
草木が育ち、果実が実り、動物が食べ、種を落とし、また草木が栄える。
何世代も繰り返されている循環。
当然一方通行、投げっぱなしでもかまわない。
が、それはどこか味気なく、無責任なようにも感じる。
センターのトイレは汲み取り式。
汲み取ったものを肥料に使い、畑に使う。
そこには循環があるし、あるべきというか、健全な姿であるような気もする。
もちろん都会でやるには、近隣への匂いや、その処分をする畑がないなどの問題がある。
水だって公的機関に依存しているし、エネルギーだって何一つ負担を減らそうとしていない。
減らすことがいいことだとは思わないけれど、過剰なエネルギーを使っている自覚はある。
そこでコンポストをつくったり、小さな循環になるようにプランター栽培を始めてみたり、ひとそれぞれこれからの自分の生活のデザインをしていくことが楽しそうだなと思うようになった。
講義の中でパーマカルチャーを実践していくことは百姓+一になることだという話があった。
百姓は農作物を育て、家を作り、堆肥をつくり、食料を分け…といった具合に何でもできるといいう意味がある。
そこに自分のやりたいこと、やっていることの一を足してあげる。
そうすることでワークシェアが生じる。
何かをしてあげる代わりに、お米をあげるとか、車を貸してあげるとか。
センターのある藤野ではそういったコミュニティーができていて、終電でバスもなくなったときに、SNSかなにかで『バスがなくなったから誰か家まで送ってくれませんか?』と呼びかけると手を上げる人がいたりするという。
対価として費用が生じるのではなく、その人の持っている何かで支払う。
そうは言っても自分は何ができるのだろうかというのが解決すべき当面の問題になりそうだ。
オークションによる洋服のリサイクル。
でも今後はもっと気をつけて洋服を買おうと思うし、
食べるものにももっともっと気をつけないとなと思った。
できれば自給自足が一番安心だけれど、
そうも言っていられないからこそ、いろいろ調べて、自分で選択していかないといけないのかなと思うようになった。
パタゴニアの企業理念はとても魅力的だけれど、一方でグリーンピースに援助していたりという面もある。
ユニクロは安くてそこそこ着れるが、劣悪な環境で働かせていたりもする(改善はしていっているらしい)。
だからこそ、自分が納得して購入できるものというのは存外少ないのかもしれない。
どこかで眼を瞑り、見てみない振りをする。
お惣菜だって、何が入っているかよりは値段がいくらかが大きなウェイトだったりもする。
いちいち聞いてられないし調べてもいられない。それはそういうことよりも自分が重視していることがあるからだろう。
有機栽培という言葉ひとつにしても一見良い様な感じもするが、とあるマンガによれば家畜のえさに農薬が使われていて意味がないという見方もあるし、さらに、農薬を使わないことで、野菜は外敵に備えるために毒性をましたりするという論もあったりする。
講義でも少し出てきたが、『ネオニコチノイド』という農薬は人体に影響があるという。
が、最近読んだ『黙示』によれば農薬なのだから適量を越せば当然人体には影響がある。
しかし、使用量を守れば害はない。
使う人間次第ということだ。
それを過剰に反応し、農薬は悪だとみなす考え方はあまり好きではない。
やはり農薬を使い安全に定量を供給するということは必要だと思う。
ただ、自分で作る場合、安定した供給を目的としない場合は使わなくてもいいのかなとも思う。
それから、土。
コンポストを作るには、
糠、おから、そして放線菌が必要になる。
これだって、糠、おからは多少の費用が必要だけれど、放線菌なら落ち葉のあるところで見つけることができそうだ。
まぁ、手間暇を考えるとそれが省エネにはならないし、失敗することもあるだろう。
そういう土に対しても何を選択してその土をよしとするかもその人なりのデザインだといえるだろう。
パーマカルチャーの定義としては、農業が根幹にあるが、そうでなくてもいいのではないかと思う。
自分なりに伝えて続けていけるような何かがあればそれはそれでパーマカルチャーといえると思う。
自分なりにこれからの生活をどうデザインしていくのかそれは自分で決めるしかない。
今回の二泊三日でまったくのストレスのない状態を経験すると、今までの日常で抱えていたストレスというものが計り知れないなと思うことができた。
気持ちがいいから行動的になれる積極的になれる。そうすると、どんどん活気が出てくる。
瞬間瞬間が楽しいということになる。
早速何かを作ろうと思うが何がいいだろう?
これからの季節で、簡単で、食べられるもの。
寒くなるこれからはパクチーに不適らしいのでハウスをつくるのも面白いかもしれない。
一気にはみ出すことはできないから少しずつはみ出していこう。
5年後自分はどこに住んでいるのだろうか。どんな家に住んでいるのだろうか。
時は東京オリンピックそれまでに、ひとつの答えを出せるよう行動していこうと思う。