ここ最近、ダウンの取り方?刈り方?が気になっていた為、服飾業界の最下請けなどはどうなっているのか少しはわかるのでは、と思い鑑賞。
今はラーメンに意識が移行し始めているので忘れないうちに。
トゥルーコストとは簡単に言えば、服飾業界ではない通常のコスト計算に算出されない、環境汚染やそれに伴うがんや生まれてくる子供に現れる精神や肉体的な欠陥それらを含めた上で計上されるコストの事だという。
消費者は安くていいものならば文句はない。
売る方は買ってもらう為の1つの方法として価格を下げる。
下げる為には第3国の労働者の給料を下げる。
労働者には選択肢がない。
だから、提示された金額にノーとは言えない。
労働環境も改善されず、体を壊し、疲弊しながら商品を作る。
洋服に天寿というものがあるならば、現在は全うできない洋服に溢れている。
リサイクルや支援と言う言葉で消費国の洋服はまた別の第3国へと送られる。
大量に送りつけられた洋服は古着屋でも売れず、現地でも溢れてしまっている。
溢れてしまえば洋服を買う需要は低くなり、現地の裁縫屋は仕事を失い、その技術も伝わることがなくなっていく。
大きく考えればこれは国力の低下とも言えるのではないだろうか?
カンボジアのプノンペンでは給料を上げる為にデモを行い、過熱した民衆は警察と抗争した。
結果、その二日間は戦争の様を呈し死人が出たという。
また、バングラデシュのラナプラザでは従業員による建物の改善要求を無視した結果、建物の倒壊が起き多数の死人、重傷者が出た。
全くの不慮ではなく、監督すべき企業側の怠慢と言えるだろう。
ここでの労働者は人ではなく数字でしかないのかもしれない。
現代は消費主義の時代だ。
とあるファストファッションでは年に52回の商品の入れ替えがあるという。
次から次へと消費させる喜びを満たす為に。
消費させる喜びを仕組んだのはそもそも企業だ。
当然、そういったニーズも多少なりともあっただろうが。
消費することで得られる幸せ。
綺麗な洋服を着て楽しそうに跳ね回るCMに理想の生活を想起させ、これを着ればあなたもこんな風になれると低度の宗教の様に価値観を植え付ける。
問題意識は持とうと思わなければ持つことはできないし、社会的な事となれば解決の糸口すら見えてこないかもしれない。
だから、今だけでも今日着ている洋服の物語を想像してみる。
労働者の賃金は?
どんなところで暮らしているの?
どうして工場を辞められない?
どうして国は何もしてくれないの?
環境が劣悪だとしたら企業はどう思っているのだろうか?
………。
映画の帰り通りかかったファストファッションの店舗。
ここで買う事がどんな影響があるのか?
例えば、企業が現地工場の環境を良くする為に100円値段を上げるとしたらどれだけ反発があるだろうか?
バングラデシュで働く若い母親は村に娘を預け、単身工場で働く事を決意する。
『この子にはこんな風に働いて欲しくないから、私が働くんだ』と。
映画の中では解決の1つの方法としてフェアトレードをしている企業の紹介もしていた。
詳しいフェアトレードについては語られてはいなかったものの、そういった付き合いをする事で人と人との付き合いがようやく見えてくる。
そういう働き方が原点なのかもしれない。
ファストファッションがわにも言い分はあるだろうし、労働者にも問題はあるだろうし、問題の構造自体が複雑すぎる。
とある経済学者はこう言っていた。
『システムを変えなければならない』と。
今の古いシステムはガタがきて当たり前だと。
そのシステムはおそらくとても大きく複雑で様々な事が入り混じっている。
だから、私にまずできるのは細かくする事だけだ。
遺伝子組み換えのコットンよりもオーガニックを選ぶとか、生産管理をきっちりしているところで買うとか。
デザインや買いやすさ、価格であったり、地理的な問題であったり、そういうものは今ある選択肢に比べれば格段に少なくなるだろう。
当然、パンツ1枚1万円~だったら他の手を考えざるを得ないが。
けれど、服ごときで人が死ぬ様な世の中なら変わらなきゃいけない。
そう強く思った。
追伸
ダウンの取り方は別問題なので扱われず、
私はスープ切れの為ラーメンを食べ損ねた。