すっぴんマスター -17ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第101審/生命の値段⑩

 

 

 

 

壬生からの緊急の依頼で九条と烏丸が車で移動しているところ。渋滞でぜんぜん動かないということで、車をとめてキックボードで移動するのだった。間に合えばなんでもよし。

 

九条が向かっているのはもちろん白栖病院で、医院長の雅之が出てくるまで動かないと、有馬という事件屋が居座っているところである。暇なので有馬はぜんぜん楽しくないクソゲーをやっている。ふだん熱が出るほど詐欺の手口を考えることに集中しているから、なにも考えなくてすむスマホゲームは休憩になるのだという。有馬いわく、詐欺を考え出すには才能がいるという。市場とニーズを読むちからがなければならないので、それもそうかもしれない。そこに混乱と不安を見出して、安心と欲求を与えると。

 

正孝は有馬をおいて院内に出ているが、先月手術した患者をもう忘れている。個人としては認識せず、カルテを通して、症状で認識しているらしい。カルテの作成は患者と症状を分離させる方法なので、これはこれで正しいのかもしれない。

 

ナースによれば、事件以来、白栖総合病院は患者離れが深刻だ。正孝はどこか他人事っぽいが、コンサルの射場と、秘書の池尾、じぶんも検察に呼ばれているから他人事ではないという。じぶんも検察に呼ばれているから他人事ではない、ということだ。つまり、病院に関しては他人事ということになる。彼にとって病院は、じぶんの理想の医療と、身につけた技術を現実のものにする交換可能な場所でしかないのだろう。

ナースは、院内をうろつく有馬の手下のこともいうが、相楽に相談するとたいして気にしていない。でもナースの深刻な表情には気付いていたらしい。これは、前にやっていたナースと同じなのかどうかよくわからないが、手術前のあれの相手をすることのある人物ではあるらしい。だから妊娠でもしたのかとおもったらしいが、とりあえずちがった。もし妊娠していたらどうするのかと聞かれて正孝は、堕胎は専門ではないから他の医者に紹介状を書かせると、人間とはおもえない応答をするのだった。

と、正孝の目に、第1審に登場し、彼が手術をしなかったことで足を切断させることになったする男の子が見える。そのそばには薬師前もいるのだった。

 

相楽と雅之がガラス越しに密談。射場と池尾は逮捕される可能性がある、どちらかに罪をかぶってもらおうというはなしだ。雅之は借金のある池尾を推薦する。金を払って、出てきたら面倒をみるといおうということだ。

病院には相楽といっしょにいた女性の朝倉弁護士がきて、正孝とともに有馬に対峙している。借金返済まで有馬は居座る気だが、飲み屋のほうが居心地がいいという有馬に、では好きなところに行けと朝倉はいう。おもったとおり、有馬は一緒に行くかという反応を示し、前にも見せたことのあるキツイ態度で、調子にのるなと、朝倉はこたえる。

 

そこへ、九条がちゃらちゃらした感じで登場だ。正孝と九条の初遭遇の場面だが、あまり大きくは描かれない。だが、正孝が九条のことを忘れがたく憎んでいることにかわりはない。彼は即座に九条があの九条であることを認識し、用はないとする。だが九条は射場、つまり壬生の依頼で来たものだ。相楽が雅之の代理人であるのとは別に来ているのである。こういうとき、ややこしいな。協力したりすることがあるのか、それとも、通常は同じ事務所からそれぞれ弁護士がつくみたいなことになるのかな。でないとよけいはなしがこじれそう。

九条は軽い調子で立ち退くよう有馬にいうが、彼にその気はない。嫌だといったらどうするか。言うのは自由である。しかし有馬は秒で立ち去ることになると九条は断言するのだった。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

九条にはなにか奥の手があるようだ。法の抜け道的なことか、それとも有馬個人に属する弱みかなにかか?ともかく自信はあるようだ。

 

正孝は今回ちらっと登場した男の子の件で九条を目の敵にしている、というとどこかちがうのだが、なんだろう、彼の考える理想に反する存在のようなものとしてとらえている。正孝はどうやら男の子への感情移入のようなものを経て社会やシステム、それを象徴する存在としての九条に怒りを覚えているわけではないらしい。ではなにかというと、理想の実現を阻む関節のクセみたいなものとしてである。正孝の理解が少し難しいのは、彼が、行為としては慈愛に基づくようなものを採りながら、じっさいには最高の医療の実現を動機としているからである。彼自身、そのことには無自覚だし、行為としてそれが慈愛に近いものならば、どうでもいいともいえる。だが、少し深掘りすると、今回のナースとの会話のような不具合が生じるわけである。

 

しかし、この考えかたは、ひとの気持ちがわからないという、正孝のサイコパス的な要素ばかりによるものでもない。そもそも、カルテというものが、患者と症状を分離させるために成立した方法だからである。そのようにして、患者への、場合によっては感情さえ経由したようなアプローチを排除し、ただ科学的な目線のみで症状を見つめなおすことは、自然主義の文学にも影響を与えており、こうしたカルテ的文体こそ自然のありのままを記述するものであると、ゾラら当時の作家たちは考えたのである。

科学を用いれば、自然のありのままをとりだすことができる。たとえば、ものの移動や、時間のすすみかたは、体感によって差が出ることがある。つまらないことをしているときは長く感じる時間も、楽しいことをしていればあっという間だ。しかし科学はこれを同じ量のものと計測するのである。カルテはそうした哲学の医療面でのあらわれである。だから、正孝の思考法は、もともとの彼の人格によるところも大きいけれども、じっさいには「カルテ的思考」とでもいうべき、ある意味では標準的なものなのだ。つまり、正孝は医師に向いているというはなしになるのかもしれない。

 

ただ、それでいいのか、というのはまた別の問題である。今回のナースはそこに疑問を投げかけるわけだ。今回の「生命の値段」では、医療業界に疑問を投げかけるものとして、まず正孝があらわれた。それは、「対応」「創出」のふたつの態度で、医療者を区別するものであった。医師はほんらい患者の出現に「対応」するものである。だが、現実の厳しい病院経営は患者を「創出」することを要求する。この葛藤がまずあった。だが、「対応」するものとして、誠実に医師としての任務を果たす正孝は、そのぶん「カルテ的思考」に染まっている。それは、カルテを見なければ患者を思い出せないくらい、「患者」と「症状」をくっきり分割したものだ。「対応」「創出」のスキームで見渡すぶんには、だからなんだというはなしでもある。だがこれは病院経営と現実の施術の衝突がおこる現場でのはなしだ。では、ひととして、「カルテ的思考」は正しいのだろうかと、ナースの存在は疑問を投げかけるのである。

 

しかしこのことも、実はすでにこたえが出ている可能性がある。正孝は、理想の実現に邪魔なものとして九条をとらえるが、じっさいにはふたりはよく似ている、というはなしは以前にもした。「対応」するものには、拘束時間というものがない。道で急にひとが倒れたとき、飛行機のなかで「お客様のなかに医療従事者のかたはおられませんか」といわれたときが、仕事のはじまりであり、ということは、そういう偶然のタイミングがいつ訪れるか予測できない以上、彼の抱える全ての時間が勤務時間なのである。これは九条も同様である。こういうものにプライベートはありえない。だから、職場の屋上にテント張って寝るし、奥さんのことはおざなりになるのである。極論をいえば、「対応」者に誠実さを求めることはできても、一般的な人間らしい正しさを求めることは難しいのである。

 

 

↓九条の大罪 12巻 7月30日発売予定

 

 

 

 

 

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第21話/ガラス

 

 

 

ジャックの挑発をエフエフ笑いとばし、ケツ叩きでしつける範馬勇次郎。

服のうえから叩いているのだが、その音は破裂音のようで、ホテルの外にまで響いているようである。少なくとも、同じフロアの、ドアの向こうにいる客たちは爆発かとびっくりしている。

続く震動はもっとすごい。地震にもおもわれるほどだが、現場にいる客室係、野中というらしいが、彼にはなにが起こったかわかるようだ。なにしろバキと勇次郎の親子喧嘩開始を見ているひとだからな。

 

ドアを開けて野中が目撃したものは、顔をガラスにめりこませたジャックである。叩かれたのはケツのはずだが、顔だけがめりこんでいる。このような状態になるのは、描かれていない追撃があったときか、ジャックが意図的にそうしたときだけである。無意識に受けてしまったケツ叩きをより堪能しようと、顔面でガラスに激突することをみずから選んだのかもしれない。ジャックならありえる。

戸惑う野中に、どこにでもある家庭問題だと、よく聞くことを勇次郎はいう。それよりも、勇次郎はジャックがガラスを突き抜けなかったことを気にしている。以前のバキ戦でガラスが壊れて交換してからこうなったようだ。強度の高いものにしたとはいってはいないが、この部屋を勇次郎がよく利用するから、死者を出すわけにもいかないホテル側として、そういうガラスを使ったということだろう。

叩き出せたものを・・・とかいっている勇次郎に、だって落っこちるじゃないですかと、すごくふつうのことを野中がいう。それは落っこちる側が考えることだと、わかるようなわからないようなことを勇次郎が重ねる。だいたい、40階程度で死ぬタマかとも、野中は「死ぬじゃないですか」とはいってないわけで、生きていようが死んでいようが、そもそもひとがガラスを突き破って落ちることがだめだといっているのだが、まあ、今夜の勇次郎はなんか興奮してるからな。

ジャックは顔を外に出した状態のまま景色をみている。耳は部屋側にあるので、もちろんはなしも聞いている。顔だけめっちゃ涼しいのかな。

 

顔を引っこ抜いたジャックは勇次郎の「落ちて死ぬタマか」という言葉を喜んでいる。ちょっと微妙に、ジャックがなにをいっているのかよくわからないのだが、ともかく信頼されていることがうれしいことはまちがいない。だが、たたかわない。今日はエレベーターで帰る。最後にお礼と、報われたという感想を述べて、ジャックは勇次郎を背に去っていくのだった。

 

ホテルの外に出たジャックは建物を見上げ、今日という1日を振り返る。そして、あの最上階から落ちていたなら、「トンダ環境破壊ダッタ」という。それはだめだと。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

価値観というか感受性が常人とちがいすぎていてつかみにくいはなしだった。

最後の環境破壊云々は、道路を破壊してしまうことをいっているので、いわゆる意味での環境破壊とは異なるが、これは要するに、じぶんの身体へのダメージより外部の、じぶんではないもの、つまり「環境」の損傷を気にする余裕があるということだろう。だが、その前の、勇次郎の言葉を喜ぶくだりでは、なぜか破壊される道路を先にイメージしている。ここのセリフを厳密に受け取ると、「地面を割り 破壊されることがわかる」というものであるから、ジャック、もしくはジャックをたたき出した勇次郎が「地面を割る」の主語ということになり、そうなると、「破壊される」のはジャックということになるが(道路が破壊される、ということなら、「地面を割り 破壊する(破壊してしまう)ことがわかる」というような表現になるだろう)、そのイメージ図にはジャックの姿はなく、道路が割れているだけで、ますますわからない。まああんまり深く追究しなくていいか・・・。

 

とはいえ、今回のはなしに見えた気になる点と、ジャックのいうあいまいな「環境」という表現が響きあうぶぶんもあるので、あいまいなまま書いておこう。それは勇次郎とジャックの関係には、少なくとも勇次郎とバキの親子喧嘩開始時にはなかった「他者」が介入しているということだ。ホテル側のガラスの付け替えのことである。

ホテルとしては、死者を出すわけにはいかず、というかそもそも40階からひとが落下するような状況がしょっちゅう起こるということは、勇次郎がホテルごと買い取るということでもなければ好ましいわけがなく、こういう対策に出るには自然なことだった。勇次郎はホテルに住んでいるようなので、あそこでの食事も日常なのだろう。そして、たまに今回のようなことが起きる。究極のばあい、ひとが落下する。そうとなれば、それを防ごうとするのは自然なのだ。こういうふうに、勇次郎とその現象を相対化するのが、ホテル、そして野中という客室係の役割なのだ。こうした状況は、バキとの親子喧嘩が終わって、勇次郎が絶対者でなくなるまでは、ありえなかった。絶対的であるということは、相対化できないということだ。大きさをはかれないということだ。そこに、他者からの評価がほどこされるということはありえなかった。けれども、バキ戦を経て、勇次郎の強さは依然として作中最強のものではあるのだが、それがバキを通じて計量可能なものに変容した。ガラスの付け替えはこのことの具体的なあらわれなのである。

 

そしてそれが、ジャックにおいては環境への配慮というしかたであらわれている。「環境」といっても、ここでいわれていることはおそらくenvironmentではなくcircumstanceである。ジャックがどういうニュアンスでいっているのかはよくわからないが、ともかく、じぶんが落下して起こるなにか「環境破壊」を、彼はよくないことだとしている。そのようにして、闘争によって生じる闘争以外のことを考慮する余地が、ジャックにというより、作中に生じつつあるのである。

書いていておもったのは、ジャックにはシコルスキー戦での電話ボックスという「環境破壊」もあった。あれはまさしくここでいわれている「環境破壊」、外部から見た非闘争者による闘争の相対化だったが、これは、連続する目撃者というようなしかたで以後ふつうの方法にもなっていった。「刃牙らへん」という言葉はどうも本部が初出のようだが、直後にはピクルを目撃した一般人の描写でその語が出てきたこともあり、この「一般目線での相対化」ということは「刃牙らへん」という括りの成立に不可欠の要素なのである。「刃牙らへん」は、「エエカッコしい」のものたちの総称である。そして、美学レベルのものではない、通常の意味での「エエカッコしい」は、当然「他者」の目線を想定しているのだ。勇次郎は、絶対者として流動的な最強戦線にある種の秩序をほどこすものだった。昨日勝った相手に今日勝てるとは限らないバキ世界に、唯一確実な「強さ」が、勇次郎のもつものだったのである。それが「絶対」ということだ。しかし、バキという並び立つものがあらわれたことで、それは完全さを失い、相対化可能なものとなった。そうして、そこに「一般目線」が入り込む余地が生まれたのである。ガラスの付け替え、不可解な環境への配慮、そして「刃牙らへん」という括り、これらは一直線につながった同系列の現象なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第20話/親子で涙

 

 

 

毎度更新が遅くなってしまってごめんなさい。

以前より職場環境よくなって時間はあるはずなのに、あいた時間にこれまでできなかったことをいろいろつめこむせいか、前よりぜんぜんブログに割く時間が減ってしまっています。書きものはふつうにライフワークだし、ぼくの根幹にある行為だし、いまでもなんらかのかたちで本を出したりできたらいいなとぼんやりおもう程度には情熱を傾けてはいるので、このような状況は望ましくない。なんとか改善していきたいですが、とりあえず、もうあまりおられるとはおもわれない、更新を待ってくださるかたに、お詫び申し上げます。

 

で、もう明日には新しいチャンピオンが出てしまうから、今回はものすごい駆け足でいきますよ。新鮮な考察とかは後日また。

 

ジャック・ハンマーと範馬勇次郎の会食は終わりつつあったが、ジャックの挑発っぽい言葉に勇次郎がこたえるようにして、たたかいがはじまりそうになっているところである。いちばん欲しいもの、父親を前にしてなぜ踏み出そうとしないのかと、勇次郎が立ち上がるのだ。

ジャックはそれをすこし笑いながら受け止め、余裕さえ見せつつ、じぶんも立ち上がって、欲しがっているのはあなたのほうだというのだった。

 

生物最強の存在である範馬勇次郎がなぜためらうのか? じぶんはそこまでの領域になっているのか? 要するに、勝てるかどうかあやしいレベルの存在にまでなってしまっていて、そのためにためらうのかと、ジャックは挑発する。ここまでのくだりをみると、前回の挑発っぽい言動は、そのまま挑発だったようである。

 

それを受けた勇次郎からは、その場で見ているジャックや、聞き耳を立てているドアの外のウェイターにもなんなのかわからないエフエフという異音を発する。もちろん、むかし、バキがリアルシャドーで巨大カマキリと聞いたときに見せた勇次郎の笑い方である。そして爆笑。いちど息を吐ききってふたたび吸い込み、爆笑。すげえ顔だな。

 

涙が出るほど笑ったあと、勇次郎は「かしこまれ」とジャックに告げる。見たことある流れだ。続けて怒鳴られて、ジャックは思わず気をつけをしてしまう。ジャックの余裕はほんものっぽかった。だが、無意識にそうしてしまった。肉体がそれを選んだのである。

そして、バキのときにも見せた勇次郎のお尻たたきなのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

勇次郎のエフエフ笑いは、「力み」であるとおもわれる。例の、「闘争とは力の解放だ」というやつである。

笑いは、闘争とは関係ないかもしれないが、勇次郎は闘争の際の力みが大きければ大きいほど、それを解放したときのカタルシスが大きいと感じるものなのである。つまり、思い切り笑いたいときは、限界まで笑いを我慢する。我慢して我慢して、ためこんだ笑いを解放したとき、彼はもっとも笑うことができるのである。

 

ジャックは親子喧嘩時のバキと同じ経路をたどっているようだ。

これがバキのときよりあとに起こっているぶん、ジャックは出遅れているように見えるかもしれない。だが、あのとき起こったことをおもえば、そう悪い状況でもない。なぜなら、同じ経路をたどって、バキはあの親子喧嘩で、奇妙な勝利を得ているからだ。今回のこれは、どうもたたかいにはならなそうだが、同じ道をたどるなら、ジャックも奇妙な勝利を手にする可能性は高いということになるのである。ジャックはその領域にまでたしかにたどりついたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第100審/生命の値段⑨

 

 

 

 

ファクタリング詐欺の件で白栖雅之医員長不在のところ、事件屋の有馬というあやしい男が病院を訪れ、コンサルの射場と長男の正孝を詰めているところだ。

要求は、借金5000万円をいますぐ、今日中に返すか、それが無理なら3億で病院を譲ってくれというものである。

射場は落ち着いた様子で今日中に5000万は無理だという。いちおうこれは、返済を待った結果らしい。だけど、有馬は不良だ。事件屋ということだけど、有馬はファクタリング業者ではあるらしい。ただ手数料が法外で、悪徳業者ということである。しかしそれも違法ではない。ファクタリングという業態自体が、あいだに入るものであるから、事件屋と親和性が高いということかもしれない。それに病院が3億というのも安すぎる。けれど、現在病院が抱えている負債を考えたら妥当だと有馬はいう。雅之でないとはなしにならない、来るまで動かない、呼べと有馬は強気だ。

 

経営についてはまったく関知していないらしい正孝が、別のところで病院の現状を射場にただす。まあ、苦しいわけだけど、正孝のいいかたは経営者の当事者側のものではなく、なにかひとごとだ。

利益の入り方だが、医療機関は、審査支払機関に診療報酬を請求するのだが、請求どおりの金額が支払われないから、不足分を病院が負担することになるのだという。なぜ請求どおりに支払われないのかはわからないが、審査が厳しいというはなしだろう。そしたら、余計な負担はしないように、心理的にはなっていくかもしれない。「対応」「創出」の論点でいうと、出自的には「対応」にほかならない医療という仕事なのに、むずかしいはなしだ。

そんなことも知らなかったらしい正孝はじぶんの無知を謝罪するが、射場は笑顔で握手して、それでいいのだということをいう。

 

で、また別の時間、射場がへんなおどりをおどりながら壬生と話している。射場は経営のことがわからない医者を馬鹿にしているのだった。これは、たんに経営ができないから馬鹿だ、というはなしではない。射場によれば、たいがいの医者は、女の子と遊ぶことしか考えていない。肝心の医療についても、最新技術についてはうとかったりする。それを支えるのがじぶんのような医療コンサルだと。一介の医者が政治家とつながっているようなこともないから、新しい技術や薬についての情報がすぐに入ってくるということもないし、根回しも遅れる。だからすぐ経営難になって詐欺のスキームにはまってしまうのだと。彼のいう「経営センスがない」というのは、診療報酬の入り方すらよくわかっていない、というようなはなしはもちろんだが、こういう意味でもあったわけである。

壬生がからんでいることでもあるし、詐欺的な方法に雅之が流れるようにしたのも射場なのかもしれない。壬生の計画としては、価値を落として最安値で病院を買い取り、医者を優秀なものに入れ替え、病院の価値をあげて最高値で売るというものだ。射場はその、病院の価値を落とし、最安値にする任務を負っているわけだ。雅之のSM画像も壬生が用意したものである。いちど登場した片桐という、SNSにくわしい探偵に拡散してもらったそうだ。

で、壬生と有馬は無関係らしい。ふつうのM&Aは病院なんかにこない。わりにあわないからだ。専門知識がないと経営じたいが難しいのである。つまり、来るのはふつうではない買収ということになる。だから有馬は事件屋だろうというのが壬生の推理だ。有馬に対応するためということか、壬生は、最終兵器の九条に動いてもらうときがきたというのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

前回、今回と情報量が多く、なかなか、読むのがたいへんだ。

 

射場のいう、ドクターに「経営センス」がないというのは、専門家には往々にしてありがちな現象である。専門家は、ある「本人」のいたらぬぶぶんをカバーする「代理人」として活動するものである。患者じしんで手術はできない(し、じぶんで腹をあけるわけにもいかない)から、医者がかわりに行う。膨大な法律の文書を理解することは一般人には難しいから、弁護士が出てくる。こういうものが「専門家」なのだ。

それが専門領域に間接的に役立つのならともかく、専門家は、専門技術を駆使するのが任務なのだから、そうではない領域について知っている必要は(業務上は)ないわけだし、それを馬鹿と呼ぶのは、筋違いのようにもおもえる。じっさい一般的にはそうだろう。けれども、そのぶん、だまされやすくなる。なぜなら、その人物が携わる領域が相対化されるということがないからである。専門家は、専門的なことだけわかっていればじゅうぶんだし、それで事足りる。しかし、その専門領域は、世界から断絶して、単独で自律しているものではない。専門領域じたいも、外からみれば、世界を構成する一般領域の単位でしかないのである。だから、その領域にかんする知識というのは、じつは領域の際(きわ)にあたるぶぶんの知識も、ほんらいは含むのである。そうなっていないから、最新技術にうといというようなことも生じてくるのだろう。

 

この「経営センス」のなさというのは、正孝にかんしていえばより強化されることになるだろう。彼は、父の雅之や弟の幸孝以上に、原理主義的だからだ。雅之や幸孝は、患者を「創出」して利益をあげようとするものである。それもけっきょくは、コンサルからすれば経営ができていないからこそのその場しのぎにすぎないのかもしれないが、それでもそういう目線はある。正孝はそれを否定するものなのだ。患者は、つくりだすものではなく、あらわれるものである。そのために、豊かな医療技術をたくわえておかなければならない、いつでも「対応」できるよう、プライベートも犠牲にしなくてはならない、そういう考えかたでいるのが正孝なのである。ここまで専門技術というものに傾くものが「経営センス」などという外部的な視点を正確に身につけることは難しいだろう。いわゆる「職人気質」というわけである。

では、同様にプライベートを犠牲にして依頼人に「対応」する九条はどうかというと、九条に「経営センス」、つまり外部的目線があるのかどうかというのはよくわからないのだが、おもえば先週のラジオ体操のくだりにいたる、食生活の適当さみたいなのは、専門領域以外についての無関心をあらわすものだったのかもしれない。

 

ただ、その意味でいうと壬生の、なんというか如才のなさは、まさしく「経営センス」的外部の目線を宿したものである。とすると、彼は「対応」するものではあるが、同時に「創出」するものでもあるのかもしれない。よく「絵を描く」と表現されるが、裏側でシナリオを描いてひとをおもいのままに動かし、利益を得る能力が壬生は非常に高い。こういう人物を、「対応」するものか「創出」するものかというレベルで読み解くのは適切ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第99審/生命の値段⑧

 

 

 

 

逮捕された白栖医院長が弁護士の相楽を呼び出したところだ。

相楽はほかにふたり弁護士を連れてきているので、タイムチャージ制で実質3倍お金がかかる。1時間8万だという・・・。

 

ファクタリングは診療報酬を担保にして前払い的にお金をもらう。ファクタリング会社は当然そのことで利益を得るわけだから、利子もあるらしい。ファクタリングじたいは詐欺ではなく、診療を見込んで多めに申請して、架空請求するのが詐欺になるというはなしである。詐欺という認識はない、ちょっと架空請求しただけだと、雅之はこたえをいっている。

相楽についてきた弁護士のなかには女性がいて、朝倉優子という。キツイ感じだがキレモノっぽい。雅之は、例のコロナ給付金の不正受給から淫行、さらに今回の詐欺と、明らかに油断している感じがある。常軌を逸していると朝倉はいう。なぜか朝倉は淫行のことをいう。自粛したほうがいいと。

あんな恥ずかしい写真が出回ったのに、雅之には別になんということもないらしい。SMプレイは中毒だと。詳細について語り始めたので、朝倉がさすがに怒って「もう黙れ」という。しかし雅之は「良い女王様になりそうだ」とまったくこたえない。ただ現在は、写真がばらまかれて家族にも知られたことで、なぜか禁断症状は抑えられているという。

相楽がはなしをもどす。これだけ騒がれたら息子の正孝に病院を継がせるのは厳しいだろうという見解だ。しかし雅之は譲らない。正孝がだめなら(げんに正孝は断ろうとしている)婿養子に出ている幸孝に継がせるつもりである。

 

 

前に出所祝いをしていた屋上で、九条、烏丸、薬師前がくつろいでいる。九条はラジオ体操だ。烏丸に健康についていわれたことを気にして運動しているらしい。

薬師前が面倒を見ている笠置雫について語る。もうすぐ出てくる時期らしいが就職先が見つからないと。九条が最終的には雇うみたいなことをいっていたから心配はないだろうが、じぶんが女だからなめられているのかもと薬師前はいう。

 

 

 

「人を舐める人間は許容範囲が狭いから、

こんなもんかって思ったら、

まあこんなもんかって思えますよ。

 

理解させるのは犬に六法全書教えるくらい難しい」

 

 

 

さっぱりと「他者」をあきらめている九条の態度に薬師前もおもうところがあったらしく、烏丸とともにラジオ体操に参加するのだった。

 

 

雅之は、じぶんの不在中のことにかんしては、射場事務局長というコンサルに任せている。その射場に、相楽が連絡をとる。逮捕されたことも射場は知らないらしい。だが、なにかみょうな感じだ。債権回収会社のものがきているからと射場は電話を切る。射場の横には正孝がいて、部屋には黒服の男がたくさんいる。明らかにカタギのものではないが、ヤクザというふうでもない。正面にいる男は事件屋・有馬剛。雅之の借金5000万円を今日中に返すか、病院の権利を売ってくれと迫るのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

事件屋というのははじめて聞いたことばだったが、もめごとにわりこんで利益を得るものの総称らしい。流れからして、ファクタリング会社に雇われたのかもしれない。だから、カタギではないのはそうなのだが、有馬の表情の描きかたはどちらかといえば会話ができるタイプの人間のものだ。ヤクザや、交渉不可能な人物の顔はもっとこう、爬虫類みたいな顔をしている。それに、「有馬」といえば、烏丸の自殺した親友の名前である。たまたまか関係しているのか?いずれにしても、まだまだはなしは複雑になっていくようである。

 

 

雅之にとって、白栖病院は男根的な価値をもっている。病院が大きく育ち、そして持続することそれじたいに意味があるように考えるのもそのためだ。しかし、現実の病院経営は自転車操業で、うまくいかない。そこに見栄が生じる。それが、幽霊病床や架空請求という、存在しない「大きさ」である。

そうした見栄のはりかたには無理がある。それがおそらくあのSM趣味につながっているものとおもわれる。強く、大きいことのみを志向し、げんにそれを実現し続けるために、雅之は弱く小さいじぶんをどこかで表現しなければならなかったのだ。それを、彼は、虐げられる役割を演じるプレイを通じて達成していたのだ。

病院が男根的価値をもつものであるとして、では、彼が死んだあと、それはどうなるだろう。そこで、じぶんの血を引く男性の子どもにどうしても継がせたいというはなしになるのである。雅之は、白栖医院を一代で築き上げたわりには、妙に「一族」という文脈で語ることを好む。それは、結局のところ「白栖家」というよりはじぶんのものであるということなのだ。死後、もしくはじしんの現役引退後も、男根的価値を保持するために、彼はそれをじしんの分身たる息子に継いでもらわなければならないのである。

 

 

不在時の病院を間かさている射場という男は、案外たよりにならないっぽい。それに、こんな状況で相楽からかかってきた電話をあわてて切るというのもよくわからない。お金がかかるからだろうか。それとも、弁護士が関与する前になんとか解決しようと考えているのだろうか。

この場には正孝もいる。正孝は、父親の経営方針には反対であり、現在の白栖病院の姿を好ましくおもってはいない。かといってこんな病院いらないということにもならないだろう。ともかくそこには医療がある。患者がいて、助けを求めている。しかもそこはじぶんが実力を発揮できる場所だ。経営方針が気に入らなくても、それがなくなっていいはずはない。つまり、正孝は、好むと好まざるとにかかわらず、事件屋・有馬によって、「見栄」を含むマチスモ的なものに巻き込まれることになるのである。

 

今回は久々に笠置雫の話題が出てきた。闇金ウシジマくんでは、エピソードごとに時間の断絶が起こって、前後関係すら不明のものが多かったが、同様に副題をつけてくっきりテーマを呈示するスタイルにしつつも、時間的にはひとつの方向にはなしが進んでいく内容になっているようだ。

薬師前と笠置雫の図像が宿すものは当然女性というありかたの弱さである。どんなに正義を貫こうとしても、薬師前の前にはたんに女性であるという事実に基づいたガラスの壁や天井が出現することになる。これに抗うものとして亀岡という弁護士も登場したが、九条と亀岡は考えかたを異にしており、九条は、今回見えたように、ともかくあきらめるスタンスである。あきらめたところで見えない壁に阻まれて前に進めないという状況にかわりはないわけだが、気休めにはなるかもしれない。というのは、薬師前のように、非常に弱いものたちを救う立場のものには、むしろあきらめない気持ちが重要だからだ。笠置雫をあきらめないために、道を阻むものを納得させたり排除したりすることをあきらめる、それが九条のいっていることである。

そして、薬師前や笠置雫の行く道を阻むものとは、大きいことをよしとするマチスモである。大きいこと、強いことをよしとする男根主義は、相対的に弱い女性、また女性でなくても、ハンデのあるものが前に進もうとすることを拒むのだ。むろん、九条はどちらの味方でもない。性格的にはまちがいなく彼は雫の味方であり、仕事が見つからないときは事務所にこいということをいうくらいであるが、弁護士として手続きを守ろうとする彼は、どちらに与するものでもない、ゆえにどちらの味方でもありうるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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