今週の九条の大罪/第100審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第100審/生命の値段⑨

 

 

 

 

ファクタリング詐欺の件で白栖雅之医員長不在のところ、事件屋の有馬というあやしい男が病院を訪れ、コンサルの射場と長男の正孝を詰めているところだ。

要求は、借金5000万円をいますぐ、今日中に返すか、それが無理なら3億で病院を譲ってくれというものである。

射場は落ち着いた様子で今日中に5000万は無理だという。いちおうこれは、返済を待った結果らしい。だけど、有馬は不良だ。事件屋ということだけど、有馬はファクタリング業者ではあるらしい。ただ手数料が法外で、悪徳業者ということである。しかしそれも違法ではない。ファクタリングという業態自体が、あいだに入るものであるから、事件屋と親和性が高いということかもしれない。それに病院が3億というのも安すぎる。けれど、現在病院が抱えている負債を考えたら妥当だと有馬はいう。雅之でないとはなしにならない、来るまで動かない、呼べと有馬は強気だ。

 

経営についてはまったく関知していないらしい正孝が、別のところで病院の現状を射場にただす。まあ、苦しいわけだけど、正孝のいいかたは経営者の当事者側のものではなく、なにかひとごとだ。

利益の入り方だが、医療機関は、審査支払機関に診療報酬を請求するのだが、請求どおりの金額が支払われないから、不足分を病院が負担することになるのだという。なぜ請求どおりに支払われないのかはわからないが、審査が厳しいというはなしだろう。そしたら、余計な負担はしないように、心理的にはなっていくかもしれない。「対応」「創出」の論点でいうと、出自的には「対応」にほかならない医療という仕事なのに、むずかしいはなしだ。

そんなことも知らなかったらしい正孝はじぶんの無知を謝罪するが、射場は笑顔で握手して、それでいいのだということをいう。

 

で、また別の時間、射場がへんなおどりをおどりながら壬生と話している。射場は経営のことがわからない医者を馬鹿にしているのだった。これは、たんに経営ができないから馬鹿だ、というはなしではない。射場によれば、たいがいの医者は、女の子と遊ぶことしか考えていない。肝心の医療についても、最新技術についてはうとかったりする。それを支えるのがじぶんのような医療コンサルだと。一介の医者が政治家とつながっているようなこともないから、新しい技術や薬についての情報がすぐに入ってくるということもないし、根回しも遅れる。だからすぐ経営難になって詐欺のスキームにはまってしまうのだと。彼のいう「経営センスがない」というのは、診療報酬の入り方すらよくわかっていない、というようなはなしはもちろんだが、こういう意味でもあったわけである。

壬生がからんでいることでもあるし、詐欺的な方法に雅之が流れるようにしたのも射場なのかもしれない。壬生の計画としては、価値を落として最安値で病院を買い取り、医者を優秀なものに入れ替え、病院の価値をあげて最高値で売るというものだ。射場はその、病院の価値を落とし、最安値にする任務を負っているわけだ。雅之のSM画像も壬生が用意したものである。いちど登場した片桐という、SNSにくわしい探偵に拡散してもらったそうだ。

で、壬生と有馬は無関係らしい。ふつうのM&Aは病院なんかにこない。わりにあわないからだ。専門知識がないと経営じたいが難しいのである。つまり、来るのはふつうではない買収ということになる。だから有馬は事件屋だろうというのが壬生の推理だ。有馬に対応するためということか、壬生は、最終兵器の九条に動いてもらうときがきたというのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

前回、今回と情報量が多く、なかなか、読むのがたいへんだ。

 

射場のいう、ドクターに「経営センス」がないというのは、専門家には往々にしてありがちな現象である。専門家は、ある「本人」のいたらぬぶぶんをカバーする「代理人」として活動するものである。患者じしんで手術はできない(し、じぶんで腹をあけるわけにもいかない)から、医者がかわりに行う。膨大な法律の文書を理解することは一般人には難しいから、弁護士が出てくる。こういうものが「専門家」なのだ。

それが専門領域に間接的に役立つのならともかく、専門家は、専門技術を駆使するのが任務なのだから、そうではない領域について知っている必要は(業務上は)ないわけだし、それを馬鹿と呼ぶのは、筋違いのようにもおもえる。じっさい一般的にはそうだろう。けれども、そのぶん、だまされやすくなる。なぜなら、その人物が携わる領域が相対化されるということがないからである。専門家は、専門的なことだけわかっていればじゅうぶんだし、それで事足りる。しかし、その専門領域は、世界から断絶して、単独で自律しているものではない。専門領域じたいも、外からみれば、世界を構成する一般領域の単位でしかないのである。だから、その領域にかんする知識というのは、じつは領域の際(きわ)にあたるぶぶんの知識も、ほんらいは含むのである。そうなっていないから、最新技術にうといというようなことも生じてくるのだろう。

 

この「経営センス」のなさというのは、正孝にかんしていえばより強化されることになるだろう。彼は、父の雅之や弟の幸孝以上に、原理主義的だからだ。雅之や幸孝は、患者を「創出」して利益をあげようとするものである。それもけっきょくは、コンサルからすれば経営ができていないからこそのその場しのぎにすぎないのかもしれないが、それでもそういう目線はある。正孝はそれを否定するものなのだ。患者は、つくりだすものではなく、あらわれるものである。そのために、豊かな医療技術をたくわえておかなければならない、いつでも「対応」できるよう、プライベートも犠牲にしなくてはならない、そういう考えかたでいるのが正孝なのである。ここまで専門技術というものに傾くものが「経営センス」などという外部的な視点を正確に身につけることは難しいだろう。いわゆる「職人気質」というわけである。

では、同様にプライベートを犠牲にして依頼人に「対応」する九条はどうかというと、九条に「経営センス」、つまり外部的目線があるのかどうかというのはよくわからないのだが、おもえば先週のラジオ体操のくだりにいたる、食生活の適当さみたいなのは、専門領域以外についての無関心をあらわすものだったのかもしれない。

 

ただ、その意味でいうと壬生の、なんというか如才のなさは、まさしく「経営センス」的外部の目線を宿したものである。とすると、彼は「対応」するものではあるが、同時に「創出」するものでもあるのかもしれない。よく「絵を描く」と表現されるが、裏側でシナリオを描いてひとをおもいのままに動かし、利益を得る能力が壬生は非常に高い。こういう人物を、「対応」するものか「創出」するものかというレベルで読み解くのは適切ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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