すっぴんマスター -16ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第24話/ご両人

 

 

 

光成とともに街中でピクルを待ち伏せしていたジャック。ピクルが嚙道に至った現在のじぶんのはじまりであったことを語り、彼が慟哭する姿を見たいという願いをくちにする、そのジャックの肩に、ピクルがうしろからすごい自然に噛み付くのだった。

 

前回も書いたけど、ピクルがいきなり嚙みつきからファイトをはじめるというのは珍しい気がする。

ピクルは、嚙みつき「も」使う、というものであって、それも、ファイトが食事と連続していたからだ。ファイトと食事がイコールではないにしても、ひとつの現象の、ある過程としてとらえているのだ。

ピクルは手と足をロックしてジャックをにがさないかまえだ。だが、これまで闘争中にピクルが行使した嚙みつき、あのロケットみたいなタックルとともんい見せた攻撃に比べると、いかにも緊張感がない。これは、ジャックを保存食として認識しているのかもしれない。あのときとっておいたやつが逃げ出してしまっている、みたいな気持ちなのか。だとすると前回通じ合ったように見えたやりとりは気にせいだということになる・・・。

 

ジャックは、不用意に背をみせたじぶんのミスだとする。それほどダメージはなさそう。そして光成に離れるようにいい、手を振って半回転して向きを変え、そこから下方向に、ピクルのホールドからするりと抜け出す。かつてジャックは本部に似たことをやられて歯をぜんぶもっていかれた。本部の着ていたものが特殊繊維だったということもあるだろうが、衣類のうえから嚙むことについては勇次郎も注意していたし、あまり関係ないようにおもう。だがピクルの歯は無事みたい。どの程度肉をもっていかられたのか不明だが、出血からすると軽いっぽい。

 

ふりかぶったジャックは、「歯ァ喰イシバレ」と、つい先日父にいわれたことをいう。そして右の拳がピクルの顔面にめりこむ。ピクルには久々の衝撃ではないだろうか。直近でたたかった相手は武蔵で、こういう打撃はなかったからな・・・。懐かしいんじゃないかとおもう。

ジャックのパンチは相変わらずすばらしい。電撃のような描写とともに、血を出しながらピクルが吹っ飛ぶ。まあピクルなので、それほどのダメージはなさそうだが、たたかうつもりにはなったらしい。

 

そこへ花山薫が「そのへんにしときねぇ」と割って入るのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

ここが花山組のシマということなのか、よくわからないが、ここに(ことを荒立てずに)割って入れるのって花山くらいなので、なんにせよよかったのかもしれない。勇次郎やバキだとすぐじぶんの物語にしちゃうから「止める」とかじゃないし・・・。独歩や渋川みたいな年長者ですらそういうところあるからな。ある程度以上強くて、他人のことをじぶんのことのように考えることのできるもの、要するに強いんだ星人ではないけど強いひと、というと、花山しかいないのであった。あとは本部くらいかな。ピクルは本部になついてるから本部でもよかったか、とおもったけど、本部に負けてるジャックにとっては標的のひとりなので、やっぱり花山しかいないか。

花山としては、ここがじぶんのシマであってもなくても、一般人がロケか真剣かまだ悩んでるようなこの状況で、非現実的なふたりが大立ち回りをすることは望ましくないのだろう。なにしろ「義」のひとだから。けが人でるかもしれないし、みんなびっくりしちゃう。感情的な喧嘩や不可避の衝突ならまだしも、これは避けられるバトルなのだから、いまはやめときましょうよと、こんなところだろう。

ただ、非「エエカッコしい」であるところのジャックとピクルは、ちょっと反感をもつかもしれない。花山は心外かもしれないが、この介入はカッコいい。そしてその動機はおそらく一般人を守るためのものである。この感覚は、ふたりとは折り合わない。特にジャックが、ここでは集中できないとして、それもそうだなと拳をおさめるかどうかは、偶然が左右しそうな感じもする。

 

見たように、開始時のピクルの嚙みつきはどこか緊張感に欠ける。それこそ、鳩が人間の食べてるポテトつまむような自然さがある。あのホールドも、動きを制限するというより「逃がさない」という感じに見える。とするとやはりピクルはジャックを保存食として思い出したのだろうか・・・。

そうして決まったジャックのパンチは、以前よりずっと強力になっているはずである。ファイターどうしでは言葉より技が雄弁にすべてを物語る。前より大きくなっているということもあるし、嚙道を極めることによって動きが全体に洗練されている可能性もある。ピクルは敏感に変化を感じ取ったことだろう。たんに保存食が反抗した、という以上のものを、ピクルは受け取ったにちがいない。だからちょっとうれしそうなのだ。

 

ここでジャックがとった行動はふたつ、からだを反転させての脱出と、パンチである。これはどちらも、ジャック以外のものの気配が感じられる動きだった。脱出については、もちろん本部である。パンチは、セリフは勇次郎だし、動きはどこか夜叉猿とかとたたかってたころのバキっぽい。すべて、かつてじぶんを敗北させたものたちだ。ここからは、ジャックがひとにはらう「敬意」というものを覚えたことが感じられる。そもそも、嚙道を完成させたのは本部で、その動機はピクルだった。ジャックは、これまでたくさん負けてきた。たくさん失敗してきた。彼はそれを引き受け、学ぶことを覚えた。それが嚙道につながっているのである。だとすれば、こうした動きひとつひとつに、彼が強者と認めたものの気配が感じられるのも自然なことだ。そのひと固有のエクリチュール(文体)というものは、本来存在しない。さまざまなものと接触し、嚙んで味わい、内面化され、織り上げられることで、そのように見えるものが成立するだけだ。ジャックは敗北を通じてそのことに自覚的になったのである。

この方法はバキにも見られたものである。バキもまた、核のようなものをもたない、きわめてフレキシブルなファイターだった。核をもたないことは通常弱みとなる。だが、とことんテクストを編み上げることに執心していけばそれは逆転して強みになる。死角がなくなるからである。そうして、バキはトータルファイターになっていった。流儀をもたないファイターなのである。バキがなぜこうした方法を採ったかというと、勇次郎に勝つためだ。そして勇次郎もまたトータルファイターである。だが勇次郎のばあいは、広く世界を渉猟闊歩し、学習していったものとはことなる文化資本的なすごみがある。要するに、天才なので、見ただけで、あるいは想像しただけで、なんでもできてしまうのだ。これがバキを葛藤させる。バキは、父に近づくために、なんでも学ぼうとする。しかし行ってみるとそこはすでに父の荒らしたあとである。量的なレベルで学習しようとしても、父に追いつくことはできない。既知の魔人である勇次郎に勝つためには、父が想像もしないようなところから未知のアイデアをもってこなければならない。それが、他作品からの「虎王」であり、誰もが目をそむけるゴキブリまで師匠にするというマインドセットだったわけである。

 

ジャックもまたその領域に至ったわけだが、動機が打倒・勇次郎という感じが少し薄いぶん、悲愴感はない。そして、なにより自然な行動だ。なぜなら、ジャックには「エエカッコしい」がないからだ。強くなるためなら、なんでもパクるし、敬意もはらう。とりわけ本部戦での敗北は、父にいちど注意されら「着衣への嚙みつき」を、愚かにも実行したせいだった。勇次郎に負けたときは着衣に噛みついたわけではないが、「同じ失敗をくりかえしている」という感じは否めない。もしかすると二度の骨延長ですらそうなのかもしれない。「日に二度の敗北」もそうだ。ジャックは量のひとなので、とにかく重ねる。そして、失敗まで重ねてしまうのである。そのさきに、ついに彼は、そこから学ぶという道を見つけ出したのである。

 

 

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第103審/生命の値段⑫

 

 

 

 

有馬を退けたところで、今度はその有馬を退ける口実となった蔵人たちが到着したのだった。蔵人は九条が射場の代理人だということを知らないらしい。しきりに、関係者以外は出て行けという。委任状があるということをいっても、蔵人の態度は変わらない。少し意外な感じもする。九条にかんしては、コンピュータでこたえを出力するみたいには、蔵人の言動は一意的には定まらないみたいである。

 

テレビでよくみる、ダンボールをいっぱいもった検察のひとたちがあらわれて、関係資料を根こそぎを持ち帰っていく。九条はその様子を撮影する。国家権力の横行を抑制するためだという。蔵人にとってはいちいちいらいらする感じだ。

 

 

これは、秘書の池尾ということになるのか、面会にきている相楽が、白栖医院長との作戦会議どおりに、罪をかぶるようすすめているところだ。池尾に罪の意識はなかった。だがお金には困っている。白栖はその面倒をみるといっているのだ。池尾は暗い表情のまま黙るが、話を受けるのだろうか。

 

 

久々の宇治だ。久我が誕生日ということで時計をプレゼントしている。これは、久我が欲しかったもののようだ。久我はかなり喜んでいる。

コーヒーを飲みながら、ふたりが雑談。宇治がヤクザになったのは15歳ということだ。父親が虐待をする人間で、殺すか殺されるかという状況になって、逃げ出して伏見組の部屋住みになったという。当時は学校でもいじめられてひどい状況だった。いまの巨躯からは信じられないが、そのころはチビでガリで気弱だったのだと。だがある年の2学期、誰も触れられないオーラをもった金髪の転校生があらわれた。それが転機だった。彼は絶対にいじめに加担せず、盗まれた靴を持ってきて放り、今のままでいいのかと問うたのだ。一回噛みつけば一瞬で変わると。

彼の言葉を体内に響かせたまま、歯磨きにすら違和感を覚えるほど生きることに苦労している状況で、すべてがどうでもよくなり、吹っ切れた宇治は、歯ブラシを折り、それをいじめの主犯の、おそらく顔に、殺す気でつきたてたのである。すると、周りの見る目がいっきにひっくりかえった。転校生のいったとおりになったわけである。

久我ははなしをわかっていないようで、その転校生とはまだつきあいがあるのかなどといっているが、当然、それが壬生である。久我の時計を選んだ男だと。久我は壬生の男っぷりに感涙するのだった。

 

退散してキャバクラにいくというはなしだった有馬は、部下たちとともに山にきて穴を掘っている。部下たちはなぜ掘らされているかわかっていないようだが、白栖や射場に警告をするのだという。ただ、掘った穴を撮影して射場に送りつけるだけだ。しかしその穴は、いかにも棺桶が入りそうな、要するにひとが埋められそうなサイズ感なのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

射場は壬生の息がかかっており、実質壬生が病院を買って、そして売るための、長期的な計画のために動いている男だ。とすると、どこかで有馬と壬生は衝突することになるかもしれない。しかしいま壬生は身を潜めており、そうでなくても、壬生は丑嶋ばりに直接的な行動には出ない男だ。有馬は部下とも仲良くやっているようで、わりといいキャラな感じがする。殺す殺されるというような衝突にはならず、大損する感じでおさまればよいなとおもう。

 

 

壬生と宇治の出会いのエピソードは、丑嶋と柄崎・加納の出会いによく似ているようでもある。が、似ていないようでもある。

壬生と丑嶋は、ともに転校生である。宇治はいじめられていたが、柄崎はむしろいじめる側で、げんに丑嶋は転校してすぐぼこぼこにされた。その柄崎も、鰐戸兄弟にはあごで使われていて、いじめられていたが、これを砕いたきっかけは丑嶋であった。けれども、この場面でいういじめっこを砕いたのは宇治だが、鰐戸三蔵を砕いたのは丑嶋である。このあたりの差は、深刻に受け取ってもよいし、ほぼ同じと受け取ってもよいし、どちらでもいいというか、物語を読み進めるにあたっては、「丑嶋と柄崎のような信頼関係が壬生と宇治にはある」というふうに受け取ることさえできれば、問題なさそうに見える。だが、丑嶋と柄崎のものを別世界の壬生と宇治のようなものと考えたとき、やはり壬生の「無関係感」は無視できないかもしれない。丑嶋は、転校するなり、暴力という貨幣の交換体験に組み込まれることを余儀なくされたし、彼自身それを望んでもいた。それを掌握するために、丑嶋は、手近でもっともおそれられていた三蔵の頭を砕いたのである。だが壬生はそうではない。宇治のいじめには、する側にもされる側にもコミットしない。ただきっかけを与えただけだ。そしてもちろん、三蔵粉砕の場面にあたる、いじめっこに歯ブラシをつきたてる現場に、壬生はいない。このときから壬生は、進み出る相手の肩をついて実現する前の技をすべて封じてしまう達人のように、ちょっとした動きで相手をコントロールしてしまう領域にいたのだ。宇治はキレモノである。壬生がそういう人間であり、じぶんもそのようにコントロールされたことに、すぐに気がついたかもしれない。それをよしとしたうえでつきあっているのか、あるいは克服してじぶんもその段階に達したのか、それはまだよくわからない。ともかく、中学生のこんなころから、壬生の方法はかたまっていたのだ。それは、「その場にいない」ということなのである。とすると、伏見組とのことで身を潜めている現在の状況は、究極の壬生的状況ともみることができるかもしれない。

 

これまで、「生命の値段」のおもな登場人物たちを、出来事に「対応」するものか、出来事を「創出」するものかで分類してきたが、おおむね壬生は「対応」するものと考えることができた。「対応」するものにはプライベートがない。いつヤクザに襲われるかわからない生活のものに、「定時帰宅」はありえないのである。が同時に、以上のことからして、彼は「創出」するものでもあることがわかる。たったひとことで、彼は宇治の人生を変えたのだ。だが彼の本質はその先にあって、その人生が変わった現場に、彼自身はいないのである。白栖医院長でいえば、情報の非対称性を利用して、患者を惑わし、不必要に通院期間を延ばす行為が「創出」にあたるが、しかしその患者が通院する先に彼はいないし、なんなら彼の助言によって通院することになったということも患者は理解していないのである。プライベートがないだけではない。壬生は、仕事の現場にすら存在していないのである。その存在感を、存在していないことによって基礎付けるもの、それが壬生なのだ。

 

 

かつて安部公房は、蛇の不気味さについて、生活感の欠如ということを書いていた。蛇は、手足がなく、擬人化が難しいため、生活を人間ベースに想像することが難しい。そういうものが目前に出てきたとき、ひとは、それが虚空から突如として現れたかのように感じる。それが不気味さの出所であると。

 

 

 

 

ぼくは、これはゴキブリについても応用可能な考え方だと考えた。そこにはバキ理論も含まれているので、本ブログでしか通用しない理論となるが、なぜゴキブリは「突然」あらわれるのかということで、バキのいう、加速のないあの動きが、不気味さの原因ではないかとおもわれたのである。

蛇は、「いる」ときと「いない」ときがくっきりと分かたれている。ずっといなかったのに、ひとが道の向こうからちょっとずつ近づいてくるようには現れず、突然「いる」の状態で現出する。だから、驚きと理解のできない感覚がそこに生じる。ゴキブリもまた擬人化の難しい体型をしているが、さらにあの、停止とトップスピードのあいだにアナログな加速時間が体感的には見られないことが、「いる」と「いない」を断絶させているものと考えられたのである。安部公房のいう「擬人化」は、ここでいう「加速時間」にあたる。「いない」から「いる」に至る過程をトレースできないこと、それが不気味さの原因なのだ。

 

 

壬生は、プライベートも仕事も、どこの場面を切り取っても、そこにはいない。いないのに、壬生の息がかかったものたちがうごめき、働きあって、物事は壬生のおもうように動いている。保存されたエネルギーが万物のなかにひそんで、さまざまなものに姿をかえて広がっていくように、壬生は、「行為」そのもののなかに、それと気付かれないように潜んでいるのだ。「いる」と「いない」の落差は互いを相対化するものである。しかし壬生は全的に「いない」。相対化することができない。計測できないのである。

 

丑嶋と柄崎のあのエピソードは、ふたりの信頼関係がどういう経験をベースに成り立っているのかを示したものだった。では壬生はどうだろう。これは信頼関係と呼べるものだろうか。いじわるなみかたをすれば、「いない」は偶像崇拝の禁止を連想させるし、ここからはなんとなく一神教的なものが感じられてしまうのだが、それは今度考えよう。重要なことは、壬生にとって、「信頼」はなんのために必要なのかということだ。というか、信頼は、「必要」から生じるものなのだろうか。もちろん彼のほんとうの動機は彼にしかわからない。しかし、これまでの行動を振り返っても、壬生はその「いない」を実現するために信頼を構築しているようなところがあるのかもしれない。

 

 

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第23話/慟哭の記憶と願望

 

 

 

 

街のなかに馴染んで、ひとの目をいっさい気にすることなく生きていたピクルを、ジャックが抱きしめる。「エエカッコしい」ではないという点でも、嚙みつきをもっとも強力な武器とするという点でも、ジャックには理想の男のはずである。ピクルってもともとかわいいけど、さらに大柄のジャックに抱きしめられてるの子どもみたいでさらにかわいいな。

 

ピクルを放し、先輩がいまの自分を築いたのだとジャックは語りかける。あの敗北のことだ。あのとき、ふたりはくちをかみ合うという交わりを行った。それは交わりを超えた物質と物質の「融合」だったとジャックはいう。しかしジャックはそこで食い負け、ただ敗北するだけにとどまらず、「保存食」へと身をおとしたのだった。ピクルは、倒したも倒してもかかってくるジャックの狂気に不死性のようなものを感じ恐怖していたが、そのことはジャックはあまり重く見ていないらしい。強さ以外のぶぶんであのようにピクルを慄かせたのはほかに武蔵くらいのものである。

その後、ジャックはバキに「ファイターとして終わってる」とトドメをさされ、慟哭、しばらく姿を見なかった。だがその結果として、いまのジャックが生まれたと。そのココロは、ピクルの慟哭を見たいという欲望だった。じぶんが味わったあの絶望に、ピクルが堕ちたとき、どのような表情で、どのように慟哭するのか、それをジャックは名曲・名画と呼ぶ。それを見たい。それが動機だったのだ。もちろん、それだけではなく、現在のジャックの姿が完成するには、本部への敗北も大きかったろう。あのようにたやすく自慢の歯を落とされたことが、彼に現在のようなチタンの歯を埋めさせたのだ。

 

言葉はわからないはずだが、伝わったらしい。無防備に抱かれていたピクルだが、ここで髪を浮かせて好戦的態度に変容する。髪を逆立ててやっと身長が五分だとジャックはいうが、巨大な恐竜とたたかってきたピクルからしたら小さな恐竜にすぎないかもしれないと、光成がもっともなことをいう。センチ単位で背が伸びたからなんだという次元にピクルはいるのだ。

 

それに対するジャックの反応は、夢があるという、なんだかよくわからないものだが、とにかく、いろいろなものとの「噛ミッコ」を彼は望む。ピクルはそういう世界にいたので、ピクルを通じてそこに接続したいというようなことだろうか。周囲ではなしを聴いていた通行人たちは笑っているが、ジャックにはどうでもいいことだ。

そうして、再び万全の体勢で噛み合える喜びを堪能するジャックの肩に、すごく自然にピクルが噛み付くのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

たしかにピクルは嚙みつきを用いるが、なんというか、嚙道のようにそれを中心におくというものではなく、最終目的が食事であるから、闘争がそこに連続するものとするならば、自然と、特にバトルの最終局面では噛みつく行為が馴染みはじめる、みたいなはなしだった。いきなり方法としての嚙みつきを行使するということは珍しいようにおもう。たぶん、以前のファイトをピクルは覚えていて、いまのジャックの語りもなんとなくは理解したうえで、嚙むという行為にこのひとは異常に執着しているということを感じ取ったのかもしれない。それを汲んだ、というところまではいかないとしても、刺激され、影響を受けて、嚙みつきに出てしまった感じだ。ピクルはいいやつだよな。後頭部をポカンと拳でぶん殴るとかしても不思議はないのに。

 

現在のジャックのファイトスタイル、嚙道を完成させた直接のきっかけは本部である。だが、決定的なピクル戦での敗北から現在に至るまで彼の強さへの意志を駆動させ続けたのは、ピクルの慟哭を聞きたいという欲望だったのだ。ピクルに突き動かされ、それを実現するための方法を本部が発見させたと、こういうことのようである。

 

さらに、前回のピクルのカラスを食しゴミをすする動作の描写からわかるように、彼は「エエカッコしい」をしない人物の究極のモデルでもある。人目なんか気にしない。そもそも、ひと、「他人」という概念が人類とは異なっている可能性のあるピクルであるからそれも当たり前のことだが、ともかく行為としてはそうなっている。それはジャックにもあこがれだったはずだ。「嚙む」という行為を闘争に練りこむことを、ほとんどのファイターは厭う。いろいろ考えてきたように、その理由はいくつかあるが、ひとことでいえば「なんかカッコわるいから」だろう。ジャックがそれを選ぶ際に、その最後の障壁を取り除く努力をしたのかどうか、そもそも、そんなものはあらわれなかったのか、それはわからないが、ジャックにも「エエカッコしい」の欲望はあるだろう。しかしピクルにはそんな衝動は最初からない。どうでもいいとすらおもわない。他人なんか文字通り眼中にない。非エエカッコしいの天才なのだ。だが、ジャックの欲望はピクルの慟哭に向いている。それは、ピクルを制圧し、屈服させ、見たことのない表情を引き出したいという欲望だ。これは「他人のことなんかどうでもいい」という態度と、部分的に矛盾するかもしれない。もちろん、ピクルにも勝利欲はあるだろう。だが、現代のファイターが感じるものともやはり異なってはいるだろう。ある種、ピクルが最強なのは、そう望んだからでもそうなるよう努力したからでもなく、たまたまなのだ。だから彼は恐怖心をあまり隠さない。逃げ出すこともよくする。なんならジャックに負けても、恐怖で逃げ出しても(前のときはぎりぎりで克服したが)かまわない、そういうものにあこがれるジャックは、ピクルにこだわりつづけているのである。ここに隠し切れない非対称性はある。だが、ここでジャックがすがるべきは、じぶんがピクルのような生きかたができているかということではなく、ジャックらしさを追求できているかということだろう。ジャックらしさとは、ピクルと比較したときには当然、「現代人としてのエエカッコしいからの脱却」というはなしになる。ピクルとジャックでは、前提がちがうのだ。そこで、ジャックはジャックとしての解釈をする必要が生じる。それが今回の「噛みっこ」のくだりではないかとおもわれる。彼は嚙むことを楽しんでいる。溶け合うことに喜びを感じているのである。

 

キスや性交がそうであるように、相手の皮膚より内側に、身体のいちぶを食い込ませる行為は、溶け合いの感覚をもたらす。「エエカッコしい」の感性をもたないジャックは、他人に興味がない。だが、溶け合うことには興味がある。これはすなわち、幼児的な世界観への逆行である。なぜなら、ひとが成長し、「他者」というものを学ぶ、その過程は、液体のように混ざり合った「世界」に、痛みとともに少しずつ線を引いていくという行為にほかならないからだ。しかしジャックは、線の引かれた向こう側にある「他者」には興味がない。彼は嚙みつきでその線じたいを超越し、融合しようとするものなのである。

 

 

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第102審/生命の値段⑪

 

 

 

白栖病院に居座る有馬を追い払うために九条があらわれたところだ。有馬の前には正孝と、相楽の事務所の朝倉弁護士がいる。相楽は九条をしたに見ている感じだったが、朝倉はどうだろう。亀岡とか薬師前とか、敵意むきだしのまま九条がちょっと好きみたいな女性も多いけど、朝倉もほとんど同タイプになるような気がする。ぜんぜん女性あつかいしないのがいいのだろうな。

 

有馬を、九条は秒で追い出すという。建前上、取り立てにきているだけの市民を、いったいどうするのか?

方法は、意外とはっきりしたものだった。裁判所に面会強要禁止の仮処分申し立てをしてきたと。内容的には出禁みたいなものらしい。だが、有馬もよく見ているもので、依頼を受けたその足で来た口調だったのに、そんな時間あるわけないと、もっともなことをいう。だが嘘ではない。薬師前にそうお願いしてきたのである。

だとしても、そうかんたんに引き下がることはできない。警察に通報したらすぐ逮捕だと朝倉が応援に入る。しかし、有馬は逮捕を恐れているわけではないのである。そうして1分がすぎた。秒で追い出せなかったことを有馬はいうが、九条は60万秒も秒は秒だと屁理屈をいう。話しつつ、有馬は「隙がない」という。はなしの筋道に隙がないという意味かとおもったが、動きのはなしだったらしい。空手かなにかやってるのかと訊ねている。

有馬の連れの、ガタイのいいものが、ずっと舐めてるなと、九条に歩み寄り、強く肩を弾く。が、後ろに倒れつつ、相手の手をつかんだ九条は、じぶんの体重を利用してそのまま相手を引っ張り、腕をひねりあげる。ぶつかりおじさんに条件反射してしまったと、ひとを食った態度にかわりはないが、流れるような制圧術である。

男は訴えるぞというが、民事でも刑事でも争うとへらへらしたなかにすごみを含めて九条はいうのだった。

 

呼吸ひとつ乱さず、一貫して冷静な態度で、九条は続ける。院長逮捕、射場らが重要参考人として引っ張られている状況である、このあと病院には大規模な捜索差押が実施されると。そうなると、部外者は強制的にしめだされる。要するに、ここでがんばっても意味がないのだ。合理的な人間のはずだからわかるだろうと、烏丸もまた冷静にいうのだった。

 

そうして、有馬は帰ることに。ついでに、なにもしてないが、朝倉も帰る。有馬は特に悔しいというふうにはおもってないっぽい。それより次の一手だ。九条や烏丸がいうことは、彼も最初からわかっていたのだろう。あそこでがんばっていたのは、一種の取立ての作法みたいなものだろう。お金ないですか、じゃあまたあとで、というふうにしていたのでは、面目がつぶれて、こういう仕事はできない。こちらにはなんとでもなる準備があると、そういうところ見せなければならないのである。

 

 

次に病院にあらわれたのは蔵人なのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

九条は射場の代理人であるので、兄弟対決がようやく実現することになりそうだ。

とはいえ・・・ファクタリング詐欺からぼくには難しいはなしが続いているので、しばらくはただふたりの発言を追うだけの感じになりそう。

 

九条のあのからださばきはなんだろう。ちからはほとんど使っていない。押されて、倒れそうになる勢いのまま相手の手をつかんで引き倒し、途中で少し踏ん張って相手のからだを前方に流して後ろ手にとった感じだ。そもそも、あんな大柄の半グレみたいな男に肩を押されて冷静でいられることがふつうではない。ただ、すべきことは決まってはいるのだろう。これは九条の「対応」するものとしての身振りとみるべきかもしれない。ふつう、あのようなたたかいの現場では、双方からエネルギーが出て、ぶつかりあう。しかし九条は、相手の動作をちょっと編集しただけだ。暴力のエネルギーを、みずから生み出すことはない。だがそれが発生したときに、みずからは少しも暴力的エネルギーを発することなしに対応するすべは心得ているのである。

 

部下によれば有馬はあたまのいい男で、烏丸も、合理的な人間なのだろうとしていた。それが、居座ってもしかたない病院に居座っていた。ここには、反社としての面目を保つための作法や様式のようなものが感じられる。威嚇で飯を食うものには一貫性が求められる。こういう場合は許してくれる、という前例をつくってはならない。これはウシジマくんのギャル汚くんで描かれたことだ。だから、ある意味では、意味のない行為を続ける有馬にも、九条は必要だった。ここには医院長はいない。じきに検察がやってきて追い出される。なんなら逮捕される。そのことは、有馬もわかっていた。しかし反社として引くわけにはいかない。そこに、腹立たしいほどの冷静さで、九条がふらふらやってきたわけである。悔しさよりもどこか晴れやかさが勝るような表情で有馬が退却するのは、こころのどこかで九条を待っていたからなのかもしれない。

 

朝倉は、けっきょくなにもしないで帰ってきたことになるが、九条の判断で問題が解決したことを相楽がどう受け取るか、気になる感じもする。金が入ればなんでもいい相楽なら気にしないようでもあるけど、相手が九条だとどうだろうな・・・。

 

 

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第22話/都心での生き方



今週、っていうか先週の刃牙らへんです。

更新がぐだぐだになっていてすみません。

最近モンハンライズ/サンブレイクを買ってしまい、そのせいではないのですが、そのせいで書きものに割く時間が…いやモンハンのせいじゃないんだった。


すでに九条掲載のスピリッツが出ているうえに、刃牙らへん掲載チャンピオンが明日発売…ということで、今日も駆け足で。



勇次郎とジャックの戯れが済んだあと、久々にピクルの日常が描かれる。ふつうに、人々の歩く道をボーっと進んでいる。

パンツを履くようになっただけでなく、かなり汚れてはいるが、上着まで着るようになっている。パンツはヒョウ柄で、上着も、汚れているぶん、なにか迷彩色っぽくみえる。人類として衣服を着用するようになったというより、そのほうが楽、安全みたいな動機による着衣かもしれない。


2メートル以上はあるピクル。猫背でも一般人よりはるかに高い位置にあたまがある。服からのぞく筋肉の隆起も到底ホームレス的ではない。つまり、なんなのかさっぱりわからないのだった。


ゴミ捨て場にやってきたピクルは、多くのひとが見守るなかで、たむろしていたカラス3羽を、手と口を使いいちどにつかまえ、そしていちどに羽も残さず食べ始める。

続けてゴミをじっと見てにおいを嗅いだあと、ゴミから流れ出る液体をすすりはじめる。描写的に、ピクルにはいいにおいに感じられたらしい。これは、飲んだら死ぬやつだ。通行人にもそう言っているものがいる。だがピクルはおいしそうにそれをすすりきるのだった。


また歩き始めたピクルの前に、光成とジャック。ピクルは、保存食にしたジャックのことを覚えているだろうか。実力差は歴然としていたが、倒してもまたよみがえるゾンビ的な相手として、ジャックはピクルを恐怖させた男だ。そのへんのことはピクルも覚えているかもしれない。だとしたら、保存食がまたこうして立っていたとしても、ピクル的には整合性があるわけである。


バカでかいピクルを、ジャックはすでに身長で上回っている。ピクルは純粋だから、サイズのちがいに混乱しているのかもしれない。

光成はピクルのにおいのことばかり言ってうるさいが、歩み寄ったジャックは迷いなくピクルを抱きしめる。ずっとずっと君を想い続けていたと。




つづく



ジャックの抱きしめかたはこころからの愛情や敬意が感じられる種類のものだ。


バキ世界では、「想い続ける」ことは珍しくない。たたかいたいという衝動においてである。じっさい、ジャックとピクルもそうなっていくのだろう。しかしここには別のものも感じられる。それが、愛であり、敬意であり、シンパシーなのだ。なにについてのシンパシーか。むろん、「エエカッコしい」ではない、つまり非「刃牙らへん」としての共鳴である。今回、いやというほど克明に、ピクルの日常が描かれたのは、彼が人の目なんかまったく気にしない、非「刃牙らへん」であることを示すためだ。カラスを捕まえて食べる描写に、ある種のカッコよさは見られない。野性という野性も、ピクルほどセンセーショナルな存在なら、もっといい描写はあった。しかし今回はそうならなかった。今回の描写の眼目は、彼にとっての必要のために発生する行動に、他者の目なんか入る余地はないということなのだ。


ピクルは原始のひとで、他者的なものに対する感覚も我々とは異なっているから、ある程度までこれは自然なことといえる。ジャックも、かなりのぶぶん自然に、求道者として噛道を選んできた。だが彼は現代人である。ときには、エエカッコをしたいという欲望が生じることもあるだろう。そういうとき、ジャックのあたまにピクルの姿がよぎるのである。だから、ジャックは、ずっとピクルのことを、敬意をこめて想い続けてきたのだ。



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