すっぴんマスター -16ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第30話/牙をむく



もう明日には次のはなしが掲載されてしまいます。いつも更新が遅くなってすみません。駆け足で書きます。



ジャーマンスープレックスでピクルの倒したジャックがマウントをとり、顔面に鉄槌をくだす。

ここでは鉄槌は最強の手技ということになっている。当たる面積が広く、また拳頭よりやわらかいぶん、グローブや掌底のような、脳に直接届く圧力を備えつつ、手刀ほどシャープではなく重い、そういう技だが、いちばんのメリットは、なんというかやはり、「手で殴る」となったときいかにも理にかなっているということだろう。肩の動きだけでコンパクトに動き、通常の正拳のように地面を蹴り込まなくてもそれなりに強力という、とても平均点の高い攻撃方法なのだ。正拳が弾丸なら鉄槌は金属バットである。


そして、その手軽さと機動性ゆえ、マウントポジションからの手技として鉄槌以上のものはない。ジャックの巨大な拳がいくどもピクルの顔面にめりこむ。花山スペック戦でみられた試し割りのトリック、後頭部が地面に打ち付けられる現象も起きているようである。

ピクルのダメージは大きい。あのピクルが、脳震盪的な感覚になっているっぽい。

そのすきに、チタンの歯を光らせたジャックが噛みつく。顔にである。ピクルの左目の下、頬骨の張った、あまり肉のないところだ。このときには、角度的にジャックはマウントをはずしているっぽい。あのまま延々殴り続けていたら勝ちだったかもしれないが。


損傷は下瞼にまで及び、筋肉が露出している。目つきをかえたピクルが反撃に出ようとするが、刺すようなジャックの蹴りがそれを封じるのだった。



つづく



ピクルがいまいちまだ本気になってない感じがする。いまのところ、会議でなにか言おうとすると邪魔されて言えない声が小さいひとみたいだ。しかしピクルにはひとことで全員だまらせる体力がある。としたら、ジャックの戦略は、そうさせない、というところになるだろうか。


鉄槌は非常に強力で、ピクルにすらダメージがある。ところがジャックは、特に抵抗があったわけでもないのにわざわざそれを中断し、噛みつきに移行している。要するに、メインは噛みつきなのだ。鉄槌がいかに強力でも、ジャックは噛道のひとで、その文脈でたたかっているのだから、決着はそこでつけなければならないと、そんなことだろうか。


宿禰の言を借りれば、噛道は複雑な近代格闘技の打撃のなかに強力な噛みつきを練り込んだものだ。だから、必ずしも噛みつきで決着するというものではない。だれもが見ないふりをしてきたオンナコドモの技としての噛みつきを、量的な合理性と、「エエカッコしい」、なんなら家父長制への無意識の批判精神によって選び、他の技術に並び、また超えるほど洗練させたのが噛道なのである。そう考えると、今回わざわざせっかく奪ったマウントをはずしてまでして噛みつきをしたことには、闘争の合理性以上のものが感じられる。相手がピクルという文脈もあるだろう。エエカッコしいから逃れ出たただふたりのファイターにとって、噛みつきは象徴的な技となる。ジャックが非エエカッコしいを肯定しようとしたとき、特に相手もまたそうであるなら、どうしてもそれを選びたくなってしまうのだろう。



たほうでピクルには、いかに噛みつきが象徴的であっても、実情はただたたかいと食事を連続させる手段でしかない。ないが、たぶんそれは変わっていく。ことばを使い始めたことがその始まりだ。言語は世界を分節し、最後には価値判断を生む。「噛みつき」もまたいくつものたたかいに関する動作から分離し、独自の意味価値をもつようになる。しかもそのタイミングで異様に噛みつきにこだわる男とたたかっているのである。それを洗練と呼ぶべきか弱体化と呼ぶべきかはあとになってみないとわからないが、ともかく変わることはまちがいないだろう。



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第109審/生命の値段⑱

 

 


白栖委員長や相楽とは決着がついたところで、ずいぶん丸くなった白栖から、息子の正孝について相談されたところだ。正孝が手術の失敗で患者を死なせてしまい、遺族から訴えられそうになっていると。
正孝は、第1審に登場した片足を失った男の子の件で九条を憎悪しているが、きちんとはなしを聴いてくれている。記録によれば、医療ミスは見当たらなかったと九条はいう。安全配慮義務は徹底していると正孝は応える。だが、手術は身体を切り刻むもの、合併症のリスクをなくすことはできないと。でも手術する以上それに同意したサインをしているはずで、法的責任という意味においては、そこに因果関係を見出せなければ問題はないということらしい。明らかなミスで別の病気があらわれたのでなければ、つまり起こりうる合併症として解釈できるのなら、責任は問われない。
だが、問題は別にあると九条は考える。正孝の考えとしては、緊急手術だったぶん事前の説明が甘かったということだが、問題なのは手術後だ。正孝の機械的な説明が遺族感情を逆撫でしたのだと九条はいうのである。ひとは、専門的な言葉で事実を語ってほしいのではなく、人のために尽くしたと“感じる”言葉がほしいのだ。これから示談の交渉に入るので、それまでに、それらしくみ
える練習をしようという九条に、正孝はしたがっている。あとでその気持ちはわかるのだが、意外なほど素直なのだ。
 

それから1年がたったということである。態勢を一新した新病院で、看護師たちがうわさばなしをしている。ひとりは正孝と手術前セックスをしていた美咲という女だ。九条の入れ知恵で、正孝は看護師にもきちんといろいろ説明するようになっているという。けっきょく顧問になったということなのか、それとも正孝個人についている感じなのかな。記録も対応も丁寧だと。
帰路、美咲と友人が引き続き噂話に興じる。ドライな口調ではあるが、美咲はからだの関係があるぶんただの噂話にとどまらず、それなりにおもうところがあるらしい。
正孝の嫁、早苗はインスタでの雰囲気がだいぶ変わってきた。以前までは正孝の弟、幸孝の嫁である恵理子に対抗して見栄をはっていたが、堅実な主婦というイメージを押し出している。正孝がスーパードクターとしてとても注目されているから、へんなことをしないようにしているらしい。
幸孝と恵理子は逆にすごい。いまは美容外科を開業して、大もうけをしているそうだ。幸孝は美容外科をうらやましがっていたもんな。ふたりとも中国で整形しまくってアンドロイドみたいになっている。(妻の名前が早苗になっちゃってます) 街中にでかい広告も出していて、それをふたりは撮影したりしながら、はなしを続ける。美咲は昨日も正孝とセックスだったらしいが、正孝の
なにがいいかと問われて、しばらく考え、手術に失敗して泣くところだと応える。ふだん非人間ぽいぶん支えてあげなきゃってなるらしい。でもそれは、患者に感情移入して泣いているわけではないことを美咲は見抜いている。メダルとれなかった選手が泣くように、失敗した自分に泣いているのだ。寝たきりで動けない患者の前で、個人的には延命治療はしたくない、苦しくても死ねないから、みたいなことも、いまでもやはりいうらしい。そのあたりは変わらずへんなやつなのであった。
 

いつもの屋上で九条と烏丸、それに正孝がお食事だ。前理事長の白栖からもらったワインで乾杯だが、コルク抜きがないということで、いったん九条が席をはずす。そこで正孝と烏丸がいろいろ話す感じだ。

烏丸が読者の気になることを訊ねてくれる。九条のことを悪徳弁護士とおもっていたはずだが、なぜ依頼したのか、なぜ素直にいうことを聞くのかと。正孝のこたえとしては、ひとの噂より自分の見解を信じたと。今回の騒動はじぶんのコミュ力のなさが原因である。それなら噂に耳を傾けたほうがよいのでは・・・となるが、これは、コミュ力のない未熟な自分が起こしたトラブルを解
決するために、噂では悪徳弁護士であってもしっかり自分と向き合ってくれる九条を選んだのだと、こういうことだろう。未熟だから信頼できるひとを選んだのであり、その未熟さがどういうものかという説明が、コミュ力不足だと。
烏丸は近くにたたずむブラサンを示し、犬はなぜ飼い主をじっと見るかと言うはなしをする。正孝にはぜんぜんわからないが、人が大好きで関心があるからだという。だから、じっと見て、感情を読み取ることができる。正孝も自覚のあるところで、ひとに関心がないから好きにならない、そして感情がわからないというわけだ。犬と同等です、と冗談をいう烏丸は、九条と正孝は同じ悩みを抱えているから通じあったんじゃないかと卓見を述べる。
正孝はここで例の片足を失った子どもの件を出す。ひとの気持ちがわからない自分でも、九条は冷酷な悪魔に見えたと。だが、このはなしには続きがあると烏丸がいう。九条はその後、母親と子どもに薬師前を紹介したうえ、流木まで介入させて、保険会社に言いくるめられて1000万しかもらえなかったものを7000万まで引き上げたらしい。そのお金やなにかを薬師前が手配したみたいなことだろうか。
無知は罪かもしれないが、知る権利は、いつでも、誰にでもある。なぜ九条はそこまでしたのか?九条のいいところは、お節介なところで、悪いところも、お節介すぎるところだと烏丸はいうのだった。




つづく

 



そうは書いてないけど、これは「生命の値段」最終話なのかな。ほかにやることあったっけ、とおもったけど、壬生の目的が果たされてはいないか。新病院にはなったけど、けっきょくいまの経営者は壬生ということでよいのだろうか。いまの病院の評判は描かれていないが、悪くないのではないかとおもう。いわれていたように富裕層向けになってるのかどうかはわからないが、あくまで正孝はスーパードクターとして勤務しているようだし、とすればすごい給料のはずで、金持ちをターゲットにしていても不思議はない。方針の内容が正孝の倫理観にしたがっているかどうかとは別問題に、ナースセンターなどもぜんたいに健全な雰囲気になっている。壬生は、病院の評判を落とし、安く買って、次に病院を立てなおし、高く売るという計画だった。正孝やほかの勤務医からすると経営が誰かというのはほとんど関係のないことだから浮かび上がっていないだけとおもわれるが、壬生は新体制になる前に病院を買えたのだろうか。九条によって有馬は途中で退場したが、そのせいでタイミングを逸したという可能性もある。たぶん、もう1話くらいあるだろう。

 


烏丸の読み通りなら、九条の「お節介」は、生得的なものではなく、そうすべきだという悟りと信念があって、自覚的に行われているものだということになる。じっさいそうなのだろう。そして、ひとを好きになれない正孝は、原因がひとに関心をもてないところにあると気がつく。つまり、九条方式でいけば、積極的に「ひとに関心をもつようにする」ということをしていけば、感情が読み取れない欠点は克服できる。これは、やろうとしてできることではない。関心をもつ、また好きになる、という状態は、なろうとおもってなれるものではないからだ。それを実現しようとしたら、「ひとに関心をもつとどういう行動をとるようになるのか」というところから始めるほかない。ほかにできることがないのだ。それが、たとえば、きちんとした説明とか、そういうことになる。患者への説明が雑なのは、患者の理解力や感情に興味がないからだ。それを、逐語訳的にでもいいから、どういうものか推理し、そうした理解力や感情にあるものはどういう説明を必要とするのかということを、あとから理性で構築するのである。九条もそうなのだろう。彼は正孝のようにサイコパス気味ということはないし、高い知性が感情を凌駕してしまうというような人物でもない。本質的には優しい人間だ。それがむしろいまは障害になる。法律の世界で働くようになり、世界を言語でがんじがらめに理解しようとする蔵人的ありように直面したとき、そうした優しさをどう行使すれば適切なのかわからないのだ。そこで、九条もまた、ある種の実務に徹する。彼自身が定めた、九条のためのポリシーのようなものにしたがってすべての判断をくだす。そのポリシーは、それこそ法のようなものだ。法律を勉強して専門家になったからこその発想といえるかもしれない。たとえば、「手続きを守る」という、九条を象徴するセリフは、そのセリフ内容も重要だが、そのように宣言すること、それを徹底することじたいが、「手続きを守る」というポリシーにつながるものである
。「手続きを守る」という手続きは、守ったり守らなかったりという状況では意味をもたないのだ。そのようにして、九条の周辺にはいくつかの箴言が響いているが、それらはすべて九条にとっての法なのである。そうすることで彼は、法律家になる以前にあった優しさを保存したまま弁護士でいることを可能にしているのである。そのことがヤクザや半グレを呼び込み、悪徳弁護士と呼ばれているというのは皮肉だが、現実はだいたいそんなものだろう。高い能力が備わっていても、強い信念に支えられた一貫性があって、しかもそれが正統なものであっても、場所によっては評価されなかったり出世しなかったりというひとはいるだろう。だが九条にはそれもあまり重要ではない。今回も、けっきょく顧問になったのかどうかよくわからないが、とりあえず最初は断っていた。やっぱり、法律のなかを泳ぐというよりは、対人で問題解決することが九条にとっての弁護士活動の初期衝動なのだ。
九条にしたがい、正孝が、ひとの気持ちがわからないままでも、その「気持ち」がどういうものが推理し、どういう行動をとればよいかを気にするようになったことで病院経営、というか現場の雰囲気はかなりよくなった。そして、烏丸がいうように、同じように「どうふるまえばよいか」という悩みを抱えたことのあった九条だからこそのアドバイスだったのだろう。法律、というより法曹の世界で、九条のような生々しい人間は生きにくい。理想論を捨てることもできない。そこで彼は戦略を外側から立てたのである。弱いひとがいて、だから救う、という回路ではなく、弱いひとがいつ助けを求めてきても助けられるよう、いまのスタンスを確立したのだ。

 


「生命の値段」登場人物の解釈についてキーワードとしてきた「対応」「創出」だが、おもえばこの「対応」とは、そうした理想論にこだわる様態のことをいっていたものかもしれない。つねに「現れるかもしれない」依頼人や患者のためにプライベートをつぶす九条と正孝の生きかたは、ある意味では成立していないわけである。いかに優れた弁護士や医師でも、彼らに「それじゃだめだ」というひとは必ずいて、それに反論することはかなり難しいのである。だが、正孝はどうも奥さんの早苗との関係性も改善されたようだ。早苗は見栄っ張りだったが、あれが抑えられ、正孝のために適切な行動をとるよう努力するようになっているのは、正孝への気持ちが見栄を上回っているか、もしくは、こ
のようにふるまうことじたいが、モノやお金を顕示することよりよほど張りがいのある「見栄」だと気がついたか、どちらかである。どちらでもいい、そこにはたしかに正孝が彼女にとって大切なものとして存在している。そこに、正孝改造計画がプライベートにも及んでいることが見て取れるのである。たほう、九条は娘と離れたままだ。九条がもし正孝に遠くじぶんを見ているとしたら、そういう贖罪の気持ちもあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第29話/近代格闘技




ジャック・ハンマーとピクルの再戦、反則スタートから、まずはジャックの猛烈な打撃が決まりまくる。ジャブと呼ぶには強烈すぎる左ストレート、噛み付こうとするピクルの顔面にカウンター、そして左のハイキック、すべて一撃必殺のすごみをもった技だ。それらをすべて直撃されながら、倒れないばかりか、ピクルは笑うのだった。以前の条件のままなら、まだ泣いたり四足歩行になったりしてないので、楽しいという段階のようだが、最初のたたかいのとき、ジャックは2発でピクルの本気を引き出していた。いまがあのときより打撃面で弱いとは、描写的にもちょっとおもえないので、ピクルのほうで条件が変わってきているとみたほうがいいだろう。とにかく強い相手が好きなのだ。そして、もしかすると、「だからといって殺さなくていい、食わなくていい」ということを学習しつつあるのかもしれない。それなら、泣くこともないのだから。武蔵は言ってもわからなかったが、ピクルが言わなくても理解しつつあるというのなら、なかなか興味深い。

 

巨大な建物のようなサイズの相手ばかりだった白亜紀の時代に、ピクルはせいぜいゴリラ程度の体躯で食物連鎖の頂点に立っていた。少なくとも頂点に立つものと互角だった。243センチのジャックは人類としては破格のサイズだが
、ピクルがたたかっていた相手を考えればなんということのない小ささだ。その拳は、果たして白亜紀の牙や爪を上回るのか? 
だが、ジャックはここで恐竜ごっこをしているのではない。彼が見につけているのは近代格闘技である。牙も爪も、対人間用に進化した武器ではない。そしてピクルは人間である。それなら、格闘技の技が、ピクルに対するときだけ、
恐竜の攻撃を上回ってもいいはずだ。
ジャックがピクルの髪の毛をわしずかみにして膝蹴りを顔の中央に打ち込む。つかみ、非常にせまいポイントを正確に突くと、これだけでも恐竜にはできなかったことだろう。いや、つかむやつはいたのかな・・・。
髪の毛をつかんでピクルの向きをコントロールしたジャックは、彼の後ろをとり、腹で手をロック、ジャーマン・スープレックスである。これはダメージがあるようだ。脳震盪系のダメージは、首の太いピクルには通りにくいということもるが、たしか以前もかなり困惑していたはずだ。あまり経験がないのである。


わずかに停止していたであろうピクルのマウントをとったジャックが、手技最強といわれる鉄槌をくりだすのであった。



つづく

 

 


以前から考えられていたことで、ピクルにとっても新鮮さがあるはなしでもないが、人間にできて恐竜にできないことはたくさんあり、そしてそのなかでも人間体型のピクルだからこそ通じる技というのはあるわけである。マウントをとって鉄槌というのは、いかにも同じくらいのサイズのものどうしで発生しそうな技だ。同じくらいの大きさの恐竜に乗られて、牙や爪で攻められることはあったろうが、拳くらいの小ささのものが、コンパクトに、すばやく、くりかえし顔の中央に点の攻撃をしてくるということは未体験だろう。ピクルじしんがそういう攻撃をしてきたということはあるだろうが、相手が同程度以上の大きさでマウントポジションを維持するというのは、なにかのひょうしに思いついたからできるというものではない。技術なのだ。ピクルは、鉄槌に加えて、吸い付いて離れないジャックのマウントにも驚くかもしれない。

 


そして、恐竜ができるなら、ジャックにも嚙みつきはできる。マウントポジションの肝は、相手をコントロールすることにある。あんなふうに自由を奪われれば、プロでなくても、すさまじいちからを発揮してがむしゃらに動くし、そういうときのがむしゃらさというのは生半可な技術を無効にしてしまう。ただ乗っかっているだけではすぐに体勢が崩れてしまうのだ。ピクルくらいの体力があればなおさらだろう。非常に荒々しく、予測できない動きの連続のなかで、それでもマウントポジションを維持するためには、相手の動きを制圧するポイントのようなものを見抜いていかなければならない。握手だけで相手のヒザを地面につける渋川剛気の技術にも似て、複雑に入り組むベクトルの要所を即座に見抜いていかなければならない。こうした繊細さは、優れた点を強固にすることでサバイブしていく進化論的な発想にはないだろう。これは、相手がいて初めて成り立つものなのだ。ジャックにはもともとそういう技術はあったろうが、わざわざここで「人類」という大きな主語でもって格闘技術を論じるからには、そこに心がわりがあったということである。たんにじぶんを強化していくだけのありかたから、相手の存在を想定したうえで「技術」を身につけ、行使する、これは嚙道を修めたジャックでなければなかった発想なのだ。そこに嚙みつきは練りこまれる。強さの比較はとりあえずしないとして、あのポジションでも恐竜からの嚙みつきということはあったかもしれない。しかしジャックのそれは、「すべてを噛み砕く」というようなものでは、もうない。相手の出方込みで、コミュニケーションの内側に、ひとつの選択肢として挿入されるものなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第108審/生命の値段⑰



白栖医院長が相楽弁護士を呼び出しているのだが、その場所は彼のいちばん安
らげる場所、例のSMのプレイルームである。さらし台から手と顔だけ出して
蹲踞している感じだ。でもこの状態だと手は自由に出し入れできるような気が
・・・。まあ、じぶんでちょっとたわむれてやってみているだけなんだろう。
ロックしてくれるひとがいないもんな。そうか、SMはひとりでは完結しない
んだな。
近くにはうな重が置いてあり、以前からいっていたのが食べれるようになった
ということがわかる。そのことは相楽も知っていたらしい。
相楽は興味なさそうだが、少し丸くなったように感じられる白栖は、むかしば
なしをはじめる。
不起訴になったら引退するという白栖の、現在の人格は、母を病気でなくして
からできたものらしい。彼が小学生のときに、地域に適切な医療を受けられる
病院がなかったために亡くなってしまったのだ。彼の地物とが鰻の名産地で、
貧しい彼はそれを焼いたにおいをかいだことしかなく、それがいまの鰻への執
着につながっているという。
そのころの記憶が、現在の彼に、誰もが質の高い医療を受けることのできる社
会をつくらせようとした。たしかに、彼の経営している病院は、情報の非対称
性を利用して不必要に通院させたり治療したり、あるいは詐欺まがいのことを
してお金をせしめたりということはあっても、富裕層しかこれないという病院
ではなかった。薄利多売で利益をさらに巨大に病院を保持しようとした結果が
、ああした行動だったということだろう。
相楽が、天国でお母様も・・・みたいな、いってもいわなくてもいいようなこ
とをいっているところに、九条が現れる。この部屋のこの状況でなんか手をふ
きながら出てこないでよ。トイレにいっていただけらしい。鰻の差し入れは、
池尾から聞いた九条が持ってきたものだ。射場と池尾から九条のはなしを聞い
た白栖が、不起訴になったの九条のおかげだと考え、呼び出したのである。
相楽の指示、というか白栖と相楽の当初の考えは、池尾に罪をすべてかぶせよ
うというものだったが、もしそうしていたら、上層部も引き続き疑われること
になっていたと、木馬にのりながら九条がいう。罪としてあつかわれなくても
、管理能力に問題ありとはなるだろう。それでは経営も長続きしない。今回は
池尾がカンモクしたから不起訴になったのだと。それも、20日以内に決定的
な証拠が見つからなかったからだ。見つかっていたら、カンモクしていても意
味はない。結果オーライかもしれないが、そうであってもとりあえずカンモク
して事態を保留することには意味があるのだろう。
そういうわけで白栖は相楽との契約を破棄したい。ひょっとするとそういうこ
とをいわれるかもということを、相楽は予期していたのかもしれない。特に同
様することなく、白栖はもう部外者で、次の経営者が決めることだという。
木馬は座りごこち最悪だが、その痛みが生きてる実感につながる、などと話し
ながら、次期医院長の正孝は九条を嫌っているし、こんな大きな病院の顧問は
荷が重いと九条はいう。そのとおり、じぶんと九条では格が違う、という相楽
のことばを、九条は考え方が違うと言い換える。

 

「文化的価値を壊してでも利益化する弁護士と、
文化的価値を全力で守る弁護士は全然違う。
まあ世間的に評価されるのは相楽先生なのでしょう」



相楽は別にそのことを否定はしない。拝金主義でけっこうというタイプなのだ

相楽が去っていったあとで、白栖が九条に相談があるとする。正孝が急患の手
術で失敗し、患者が亡くなってしまったのだ。激怒した遺族が裁判にすると訴
えてきている、なんとか助けてくれないかと。

 



つづく

 



小学生の一件で毛嫌いしつつもどこか考え方に似たところのある正孝が、九条
に救われるという展開になるようである。
九条がかかわる以上、それは法的観点からということになるが、新病院につい
て正孝がどういうつもりでいるのかというのがまったく描かれていないので、
現在正孝が、特に九条(弁護士)とのやりとりでどのような考えになるのかとい
うことも、まったくわからない。新病院はスーパードクター正孝を中心にして
・・・ということで、今回の白栖の言い方からしても、経営者は別にいるよう
である。とすると、医院長ではないのかもしれない。だがこの病院は富裕層を
ターゲットにした、患者を「創出」するイノベーティブ型の病院である。正孝
はそれをどうおもっているのだろうか。
改めて正孝の言い分を読み返してみると、彼の思想の核にあるものは、ひとの
尊厳のようなものだということがわかる。だから、病院経営のセオリーに則っ
た延命措置に反対する。それが直接に安楽死へとつながるものではないが、明
らかにそれを示唆する言動もみられる。だがそれも、命の尊厳のようなものに
向き合っているからこそだ。
これまで、「生命の値段」の登場人物を「対応」型、「創出」型に分類してき
た。正孝はたしかに「対応」型であり、患者を創出するような病院経営のしか
たには不満だった。けれども、そこにはなにか、批判思想的なものも見えた。
たしかな理念があるというより、父親の経営を批判するものとして培われた哲
学があるように見えるのである。
そこで、同じく「対応」型であり、ものの道理として、その結果プライベート
を捨てることになっているという点でもよく似ているものとして、九条と正孝
を比較してきたが、よく読み返すと、正孝はもう少し複雑なもの、自己と患者
との関係性というような構図で、事態を見ているようにもおもわれてくる。な
にかというと、「手術」なのである。彼は、医療の現場において、「手術」を
することによってそこに現れる。極端なことをいえば、「手術」のないところ
に、医者としての正孝は存在しないのである。
彼がプライベートを捨てるとき・・・、描写があったのは奥さんとのデートだ
ったが、あのときも、彼は患者の臓器を見ていたし、運転をめぐるやりとりで
手術にすべてをささげている様子が描かれていた。手術前の看護師との性行為
も、常人には理解できないとしても、彼なりの合理性はあるらしい。つまり、
彼自身がそうおもっていなくても、じっさいにはかなりリスキーな行動なわけ
だが、バレバレでも、そうすると集中力が増して手術が成功するからという、
科学的に意味のあることなのかジンクス的なことなのかはともかくとして、そ
ういう確信があったわけである。
第1審の少年にかんする後悔もそうなのだ。彼を経由して九条を憎んでいるこ
とが事態を分かりにくくさせているが、あのはなしのポイントは、「自分が最

初に少年を見ていたら、(技術的に)足を切断させずに済んだ」ということだっ
たのである。この件で犯人を無罪にした九条を憎むのは、ある種の逆流である
。九条は、この件の登場人物であり、ほんらい罰を受けるべき人物を無罪にし
たものではあるが、彼が手術していれば足を失わずに済んだ、という件とはま
ったく関係がない。だから、いってみれば正孝はここでシステムに憤っている
のだ。
「手術」は、正孝にとって、システムとたたかう手段であり、医者として存在
するときに前提となる条件だ。その「手術」に失敗した。「手術」がなければ
、正孝は医者として存在しない。手術中だけ正孝は正常な医師として患者に関
わるのであり、そのために、彼はプライベートを捨てて、医療機械たろうとす
るのである。その彼が、九条に救われるという状況を認めるのだろうか。
こうした彼の技術信仰のようなものは、安楽死示唆的なものとどうかかわるだ
ろう。ポイントは、たとえば、もう死にかけている人間でも、それが技術で救
うことのできるものなら、正孝のなかではなしは変わってくるのだろうか、と
いうようなことだろう。これは、理知主義的とでもいうか、神の定めた宿命に
逆らう科学信仰とでもいうか、やはり九条と通じ合うぶぶんがある。九条もま
た、「真実」を探究するものではない。彼にはただ、目の前の依頼人しかない
。依頼人の利益をどこまでも追求する。それが、蔵人のような真実探究型には
不誠実にみえるし、相楽のような弁護士にとっては不器用にみえるのである。
だが一貫性にかんしては誰にもくちをはさめないぶぶんはある。この世に「真
実」、イデアの世界というものが、あるのかないのか、そういうことすら九条
には関係がない。あるかないかの「真実」を、仮にねじまげることになっても
、彼は依頼人の利益を優先する。だから、「悪徳弁護士」とも呼ばれる。「有
罪になるべき」は「真実」に属する言説である。しかし、「有罪になるべき」
かどうかというのは、九条には関係がないのだ。
ただ、安楽死示唆の前後の発言からもわかるとおり、正孝は人間の自然な死と
いうようなものを認める立場でもあるようなので、このあたりはもう少し見て
みないとわからない。彼の手術偏執をみると、そこにはたしかに技術信仰が感
じられる。技術がそれを可能とするならば、神の定めた宿命、つまり真実もね
じまげる。死ぬべきだったはずの人間だって復活させる。そういう哲学のよう
なものは、たしかにあるようではある。だがそのいっぽうで、自然な死のよう
な、ものの道理を重んじているぶぶんもある。ここを、彼自身がどのような落
としどころで理解しているのかが、今後のポイントとなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第28話/白亜紀の耐久力(タフネス)



ピクルのジャック・ハンマーの超人対決が始まった!

試合開始前にピクルがかみつきにかかり、それをジャックが武器(兼防具)としてタオルをつかい、うけとめて投げるという、反則スタートである。でも、試合開始前なんだかは関係ないんじゃ…


ジャックが打撃の構えをとる。噛みつき以前に彼は一流のストライカーだった。その彼の、ひとを回転させる強烈なアッパーも、以前のたたかいではピクルにまったく通用しなかったが、いまのジャックは噛道を極めてより洗練された技を持っているっぽい。メンタルもちがうかもしれない。じしんを象徴するようなあのアッパー…個人的には刃牙作品屈指の打撃描写だとおもうが、あれが通じなくて、今回も引き続き打撃ベースでいくというのはそういうことだろう。


ジャックの左ジャブっぽいストレートがピクルの顔面にささる。強烈無比であり、ピクルも何呼吸かおいてる感じだが、まあどうということもないらしい。さらに少し不気味ですらある笑みを浮かべるピクルを、ジャックが細かなパンチで叩く。そり返り、噛みつこうとするピクルを、今度は右ストレートで美しいカウンター。よろめくピクルの顔面にシャープな蹴りで追撃。まあ、タフなのはわかっているから、徹底的にやるということだろう。


だがピクルには通用しない。ダウンすら、尻もちすらない。笑ったままだ。でもジャックも少し笑ってる。その様子を、元祖タフガイの花山が客席うしろから見守っているのだった。




つづく



花山はこの件に関与しているのだから観戦は自然なことだが、この感じだとピクルのタフネスになにかしらコメントをしてくれるかもしれない。花山の場合は精神的タフネスもかなり大きいが、ピクルはふつうに首が太いという物理的理由があり、花山にとっても新鮮なタフさのはずだ。



ジャックの打撃が、ピクルとの初戦のときとどれほど違っているかはわからない。大きくなったぶん重さは増しているはずだが、恐竜を相手にしていたピクルからすれば無視できる差だろう。ちがいは、コンビネーションかもしれない。おもえばあの打撃の連打は鎬戦からあったものだが、気づかなかった。

ジャックは打撃のひとだと言っても、その要はパワーにあった。非常識なトレーニングと明日を見ないドーピングの合わせ技が生む一撃必殺の破壊力だった。そこに自負があったからこそ、すでに実力が知られつつあったピクルに対しても、初戦では真っ向勝負を挑んだのだろうと思われる。


それがどうしてこのようになったかというと、強さというのはそれだけではないということを、たとえば本部から学んだとかいうことがあるだろう。原因をひとつにしぼることはできない。さまざまな要素が、彼を噛道に押しやったのだ。その道において、ジャックは「噛みつき」をいかに技のなかに練り込むかということに時間を費やしたにちがいない。噛みつきを極めるということは、たんに咬合力を増すだけでは不可能だった。相手の技に反応し、流れるようなカウンターで、さまざまな強度の噛みつきを、パンチやキックと等価に行う。結果としてジャックはコンビネーション的なものに長けていったのである。









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