すっぴんマスター -15ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第33話/美意識


ピクルの引っ掻きダッシュをものともせず、左腕に続き右手も噛みとるジャック・ハンマー。その冷徹な合理性ともともとあった完璧主義的徹底がさらに強化されたものが、新生ジャックの持ち味かもしれない。


前回はがっぷり噛みついた感じだったが、今回の描写では瞬時にピクルの二頭筋を持ち去ったようになっている。たいへんな出血だ。

「上腕動脈」を切られる危険性を、ナイフファイティングを例に刃牙が語る。やっぱり刃牙じしんがかつてジャックに切られたのと同じやつかな。


鍛えたからだでも噛みつきは痛い。それがジャックほど精錬された技ならなおさらだ。それは、威力はそのままに、噛みつき以外の技のなかにそれとなく練り込まれ、ひとかみで筋肉をごっそり切除するほどのものなのだ。


立ち見席にいる花山のところに光成がやってくる。女子供の最終兵器とされるだけあって威力はまちがいない。だが使うとカッコ悪い。これを、美意識に生きる花山はどう見るのか。花山は、じぶんは「エエカッコしい」だからと、ジャックのようなまねはできないことを認める。

ジャックはその噛みつきを一種の思想の表明として用いるのではない。効果的な技として、止めとして使う者だ。エエカッコしいならこれとどうたたかうか?


ジャックがヘビのようにくちを広げてストレッチをする。アゴがはずれているようにもみえるが、たぶんつけたりはずしたり自由自在だろう。すでにズタズタのジャックの腹部を、たぶん爪で、今度は横方向にピクルが裂く。しかしジャックは動じない。再びピクルの背後をとり、ジャーマン。起き直り、歯を光らせてジャックはなにかをたくらむのだった。



つづく



相変わらずピクルがぼこぼこだなあ…。もう少し見せ場がほしいなあ。


3回目となるジャーマンは、この勝負がある種の反復によって成り立っていることを示している。ジャックの意図はわからないが、そうなっている。

ジャーマンをくらう、少しダメージを受ける、かみつきをもらう、というくりかえしに、ピクルははまってしまっているわけである。

もちろん、「反復している」ということにピクルが気がつく可能性はある。そのときはじめて、両者のあいだに戦略的膠着状態がポジティブなものとして現れる。次にやってくるもの、やってきて当然のものが、ほんとうにやってくるのかどうか、そういう状況が、はじめて心理戦を生むのである。これは極めて高い知性を要求する闘争コミュニケーションとなる。ジャックはピクルを「人類」の側に引き寄せようとしてるのかもしれない。噛道は、道である以上、体系をもち、体系は個人の所有物であることに耐えられない。つまり潜在的に継承者や弟子を待っているのだ。ピクルほど噛道を修得するにふさわしいものはいない。ジャックがというより噛道が、ピクルを道に誘い込んでいるのだ。


光成と花山の会話はたぶんけっこう大事なのだが、花山の返事がないのでまだどうとも読める。花山は美学の人間で、ジャックはカッコ悪いのもいとわないというのはこれまでずっとそうで、明らかなことだが、しかしずっと読んでいると、他者目線を意識した美意識はなくとも、そこにはたしかにこだわりがあり、少なくとも「美意識」というせまい概念からジャックを弾くことはできないという感じもする。むしろ、ジャックこそ美意識の男である。してみるとちがいは他者目線が内在するかどうかということになる。この他者は、観客のような「大衆」ばかり指すものではない。美意識を感受する自己も含むものである。噛みつきはちょっとカッコ悪いな…というときに意識されるのは、たとえば武道館としての自己であって、大衆ではない。では結局エエカッコしいも美意識もちがわないのではないかとなるかもしれないが、たぶん意志のありかたがちがう。カッコ悪くてもするのとカッコ悪いからしないのとのちがいだ。要するに選択肢の多寡である。だとするなら、美学の男・花山は究極に選択肢をしぼったファイターということになり、じっさいそうだ。独歩やアライ親子、柴千春に花山など、そうして選択肢をしぼったファイターの強さもバキは描いてきた。ジャックが相対化し、浮き彫りにするのはそうした者たちなのである。




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第111審/曖昧の判断②




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2025年春に新宿マルイ、夏になんばマルイ。グッズもあるってよ。グッズってなんだろね?行かねば!




 

 



九条の大罪新シリーズは沖縄が舞台、記者の市田について、九条と同行しているわけではないが同じところにいるらしい薬師前が、マッサージでセクハラらしきものを受けたところだ。


これだけ弁護士の知り合いがいるのだから相談すれば、という市田のはなしだが、じゃあ誰かっていうと九条になる。烏丸は恥ずかしい。たぶん、互いに少し好きだし、そういうはなしを出したくないのだろう。九条にまわしたら烏丸も手伝うことになるだろうが、そういう問題でもない。ポリシー的に近く、仕事もよくする流木という手もあるが、ヨシ!とはならない。どっちかというと九条かと。年も近いしな。


携帯をみると、公衆電話からいっぱい着信が。支援していたひとが出所しても携帯がないから公衆電話からかけてくることが多いそうだ。出てみると、「弱者の一分」の曽我部である。1巻を読み返してみると刑期は1年半ということで、それがもう出てきたらしい。

出所は少し前、迷惑かと連絡しなかった曽我部を薬師前がとがめる。生活に困ってるなら相談にのる、というはなしだが、住居や仕事は友達の紹介でなんとかなっているらしい。ただ、と曽我部はなにか言いかける。電話しながらも周囲の様子をうかがっていて、明らかにおかしい。そうしてあわただしく電話を切る曽我部を、切れてしまったあとで、薬師前が見たことない剣幕で叱る。地元の交友関係で捕まっていた曽我部である、とても心配なのだ。

ちなみに、曽我部の服のお尻のところには、丑嶋社長らしき人物が描かれている。


薬師前は九条に相談することに。薬師前はスピーカーで話しているが、九条はさすがにイヤホンなのかなこれは。

内容としては不同意わいせつ罪になるかも。同意していませんよ、という意思表示が難しい状況を利用してのわいせつ罪ということだ。なるほど。マッサージをしていて、げんに薬師前も、陰部を意図的に当てられている気がする、としか言えなかったわけである。そのような曖昧なシチュエーションを利用してわいせつ行為をしている、というわけだ。満員電車の痴漢もこれになるかな。

しかし向こうも証拠がないことを足場に否定してくるだろう。それを狙ってのわいせつ行為なのだから。


被害届を出せば捜査がはじまる。そのとき、警察から細部について聞かれるだろうが、それは大丈夫かと九条が訊ねる。大丈夫なのだが、さらに九条は付け加える。犯罪者を支援する薬師前が、こうして犯罪者を生み出すことについてはどう考えるかと。

市田は当然怒るし、薬師前も動揺するが、九条は戦う意志を確認しているだけだという。薬師前は、犯罪を肯定するわけではない。彼らにもう二度と罪を犯してほしくない、ひいては社会によりよくなってほしい、夜中にひとりでコンビニにいける世の中になってほしいからそうするのだ。



九条たちに部屋をとってくれたのは比嘉という男で、烏丸と同室だったのはどうも九条の勘違いで、別に部屋はあったらしい。相続に関する仕事を終えたところで、会社の顧問になってもらいたいと、今日また会うことになっていた。その比嘉が、強めの態度で、整体師の被害届を取り下げてくれという。彼の甥っ子なのだと。




つづく



またややこしいなあ…。依頼人の利益に反する行為は利益相反になってできないけど、この場合まだ比嘉の顧問にはなっていないわけだし、そもそも甥っ子については比嘉の利益といえるのか、よくわからない。



「曖昧の判断」とは、陰部の接触があったのかなかったのか、またそれは意図的なものだったのかどうかを法的に観測する状況のことを言っているだろう。そこに、さらに加害者が知人の親戚という外部の条件まで加わり、九条が十八番とする透明な、ゼロ度の解釈をより困難にさせるというわけだ。以前からそうだが、事件というのは罪があって罰があるという短絡でできてはいない。知的格差、勘違い、利害関係、野心、金、暴力などが複雑にからみあった果てに、ひとつの結論は現れる。とりわけ今回のように証拠がない状況では、複雑さは極まるだろう。


そして、そのような薬師前の告発は、女性が人間として生きる困難を訴えるときのものと同型だ。

今回は市田が、本人がそう言っているのだからという理屈で、あざけりをこめて言われる「お気持ち」ポジションを担っていた。そうした、「本人がそう感じた」という現実がなぜすすんで本人視点で語られ、またやはり嘲笑されるのかというと、それを測定するものさしを現存の社会がもたないからである。だから問題なのだ。たびたび引き合いに出すが、魯迅「狂人日記」と同じ構造の小説、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』は、医師のカルテという究極の客観ともおもえる視座からキム・ジヨン氏の人生を観察しながら、じっさいにはそうではなかったということを描いた。






「カルテ」は、かつての自然主義作家たちが至高と考えたほど、客観性の高い描写術となる。それは、症状を患者から分離し、属人性を排除して、科学的にただ病気だけを抽出しようとしたものだからだ。もちろん、キム・ジヨンは小説であるから、厳密にはそれはカルテではないのだが、そういう視点で事態を理解しようという志向性はあったわけである。しかるに、そこにも女性差別は残る。これが暴いたことは、女性差別を描くことの不可能性だったわけである。


こうしたことが、薬師前が経験したような不同意わいせつの現場では起きている。現場を離れても、ほんらいであれば、薬師前の見解とマッサージ師の主張は等価であり、法的にもそう扱われるだろう。だがそこに至るまでのさまざまが、薬師前の態度をあいまいにし、ためらわせる。九条が訊ね、確認したのはそのことだ。法は、いかなる条件のもとでこの不均衡を突破するのか、曖昧さを正すのか、そういうことが明らかになってくるはずである。


市田にいまの仕事の動機を聞かれたときや、また九条にずけずけ失礼なことをいわれたときにみせる薬師前の歯切れの悪さも気になる。薬師前の自己評価は低く、自虐的な発言も多い。亀岡のように強くはないし、フェミニストとして前に出るパワーもない。犯罪者支援は、犯罪撲滅などの最終目的にまでいかなくとも、もっと近い場所では、要するに弱者支援である。つまり、彼女は内と外からみずからを守るため行動に出ている。その主体性が彼女をしっかり立たせるが、なにかそこにきまりの悪さのようなものも感じているようだ。たとえば、極端には、自己責任社会では弱者が弱いのはじぶんのせいである。これは、人間の強い弱いがそもそも社会的な目線からの公的な評価であるということを前提したとき、弱いから弱いというトートロジーになるので、自己責任論はみずからを戒める場合以外公共哲学的にはあまり価値をもたない思想だが、同時に、多様性を求め、ノマド化がすすんだ世界の、ある種必然でもある。そういう状況なので、弱者として身を守ろうと動くことに一種のやましさを感じてしまう場合があるのだ。薬師前からはそれがら感じられる。彼女は、みずからが女性差別の当事者としてふるまうことをためらう。そういう社会だから。じゃあどうするかというところでじぶん以外の弱者を救う。だから、今回のように動機を聴かれたり弱者(被害者)のポジションに立ったりというとき、戸惑ってしまうのである。




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第32話/叫喚


ジャック対ピクル、いまのところピクルにいいところがないまま、ジャック優勢ですすんでいる。
ダウンしたピクルの、左の上腕二頭筋にジャックがかみついている。このあたり、切れるとやばい血管があるんじゃなかったっけ。
ジャックは噛んだままピクルを抱えて立たせ、すぐに投げの体勢に入る。なんだかよくわからない位置関係でうまく想像できないが、不自然な体勢ではあり、ピクルも耐えるがやがて踏ん張っていた足がすべり、肉を噛み切るとともに投げが決まる。というより、噛み切るために投げたという感じっぽい。「噛みつき」が通常の技術のなかに練り込まれているという、宿禰の卓見通りなわけである。

投げじたいもすさまじく、ピクルはしばらく横になったまま呆然としている。やがて噴き出した血に目が覚めたか、起き上がったピクルが肺のなかの空気をぜんぶだす感じの咆哮をする。怒りの咆哮なのだろうが、息吹と同じことをしているわけで、我を取り戻し、筋肉にちからをみなぎらせる方法を、野生なりに知っているのかもしれない。

ジャックをにらむピクルが構える。爪と歯を剥き出した構えだ。脇もしぼって止血効果もありそう。
とびかかり、ジャックの首に組みついたピクルの攻撃は、めっちゃ痛そうなやつだ。むきだした足の爪で、ジャックの腹をバリバリ引き裂くのである。実況がいうように、ジャックの腹の上で引っ掻きダッシュをしているわけである。
非常に強力な攻撃で、ジャックも歯を食いしばって耐えているが、ダウンとかそういうことにはならないようだ。出血も激しく、勝ちを確信したか、ピクルも笑顔になるが、冷静にピクルの右手をあごでとらえたジャックは、肘を下から打つ。折れたかはずれたかしたその右腕に今度は噛みつくのだった。



つづく


ピクルがぼこぼこにやられているわけである…。
ピクルにいいところがない、と感じるのは、それだけジャックが強くなったということなのだろう。じっさい、ピクルというのはすさまじい耐久力とパワーだけでバキらを圧倒してきたので、それが無効になれば、ファイターにとってはどうということもないのかもしれない。問題はどう無効にするかだが、ジャックの噛みつきは、ピクルの持っている骨格的な、器質的な強さをゼロにしてしまった。首が太ければ打撃に強いのだとしても、噛み付いて肉をえぐれば関係ない。パワーを無効にすることも、要はかわせばいいわけで、バキはそれができていたから負けなかった。
今回のジャック戦ではまだピクルの打撃がちからを発揮していない。だからこそ、ピクルがぼこぼこにされている、いいところがないと感じるわけだが、それもジャックの攻撃によるものだとしたらどうだろう。ジャックのあごは強力だが小さい。恐竜がする噛みつきとはまた違った痛みを、なんなら前代未聞の痛み感じているはずだ。それがピクルの調子を狂わせる。あいまには無視して耐えるには強すぎる打撃がはさまれ、きわめてストレスのかかる状況で、ピクルはなにもできないでいるわけである。
ピクルの攻撃は、もちろん強いのだが、かわそうとしてかわせないものでは、基本的になかった。烈や克己はガードもしていた。それがなぜ、最終的には決定打をもらってしまうかというと、それはいまのピクルと同じ状況なのである。ファイターは、ただ食べるため、また生還するためという、短絡で闘っていない。複雑な動機と複雑な技が、闘争には織り込まれる。だから矢継ぎ早の攻撃で意識に穴が生じることもある。しかしそれは相手もそうなのだ。だが、だとすると、いまのピクルは現代のファイターに近いマインドセットでたたかっているということになるだろうか。そのようにするにはまだ早いが、ことばを獲得しつつあることもあり、ありえないはなしではないかもしれない。以前までのピクルは、ひとつの入力に対し、ひとつの出力をする、というしかたで生きていた。野生はそれでかまわない。しかし現代のファイターは、逃げれば生還できるタイミングでも、プライドによる居場所の護持、あるいは「たたかったほうが生還率が高い」等の判断をしうる。おもえばジャックとの初戦でピクルはそういうことをしていたが、あれはそれだけの決意を必要とすることだったのである。
そうして、ある意味いくつもの不自然をまといつつ、現代のファイトは成り立つ。そのなかで、うまく動けないピクルが、今回咆哮したわけである。

左腕をかまれてもそれが使えないということはないようだ。とするとここからは出血が問題となるだろうか。へたに意識があると輸血できないから、気絶したタイミングで光成が止める感じかな。もう少しピクルの打撃がみたいけど、両腕プシューじゃさすがにもうだめだろうな。



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第110審/曖昧の判断①




「生命の値段」完結、新シリーズ開始だ!

生命の値段はあれで終わりだったか…。壬生は結局どうしたのかな。でもまあ、ウシジマくんと異なるところで、シリーズ間が連続していて、前のはなしの続報があったりもするから、また描かれるのかな。


舞台となるのか、九条と烏丸は沖縄にきている。ちょっと一般人にはうまく想像できないが、民事だからといって釣りをしながらリモートで裁判しているらしい。映像はうつるの?うえだけスーツとかじゃなくていいの?

釣れた魚は知人の居酒屋に。軍用地賃貸契約の相続について、続けるかどうかで一族のあいだでもめたとき、烏丸を仲介にはなしをまとめたらしい。元依頼人ということだ。

このひとが宿を用意してくれたのだがベッドはひとつ。どういうつもりかわからないが、ふたりはじゃんけんをして、烏丸が勝ち、彼がベッド、九条がソファとなる。で、水着を買ってプール。いちおうなにかの仕事できてるとおもうんだけど、すごくリラックスできていい気分だ。


たぶん同じところに、薬師前と記者の市田が揃って到着。市田は取材で、薬師前がそれに付き添っているということだが、ここは薬師前のふるさとでもあるらしい。いわれてみると、逃亡者くんののどかっぽい雰囲気あるかも。

市田の取材というのはグルメリポートで、とりあえずカレーは食べたあとだ。市田の仕事は評判がよく、本も出すらしい。


運転手を決めるのにどっちが長く発声できるかなどして遊びながら、ふたりは会話でお互いを知っていく。

薬師前に彼氏はいない。婚活パーティーに出る感じだが、特にがつがつした感じはない。そういうものだからそうする、みたいな感じだ。

市田も同じように好きなひとのことを聞かれて、いない風だが、なにか含みのある間だ。いやなおもいをしたことがあるか、忘れられない失恋相手がいるのかもしれない。よさげなひとがいてもすぐブロックしちゃう、などとサバサバを演じている雰囲気である。

薬師前は薬師前で、田舎出身のコンプレックスがあるのか、短大出てテレアポやったけどつまらなくて人と向き合う仕事していまに至る、秒で語れる人生だと、やや自虐的だ。こういう女性の微細な含みがある表現、真鍋先生は上手だよなあ。

市田も市田で北関東出身、田舎はキャラを演じればよいから楽、オリジナリティがいらないから否定もされない、でもそれは退屈だから東京で勝負してると語る。


話題をかえて、薬師前が謎の性病についてはなす。売春してる子からうつされたホストが陰茎切除するはめになったらしい。要するに新種のなにかだ。


薬師前は仕事柄売春で日銭を稼いだり、セクシー女優など多少稼ぎの良い性産業の女性と会うことが多いからよけいだろう、ふたりは、かつて亀岡が語った、少し環境がちがうだけで自分がそうだったかもしれない位置にいる女性たちにおもいを馳せるのだった。


市田はこれからとんかつの取材があるので、お腹いっぱいの薬師前は先に部屋に帰ってマッサージを呼ぶ。やってきたのは男性だ。その後、飲みながら薬師前が話す。陰部を押し当てられたというのである。自分が不快に感じたらセクハラ、ということでくつろぐ弁護士に相談である。



つづく



「消費の産物」で描かれた笠置雫の名前は今回も登場し、薬師前が守る弱者、特に性を貨幣に変えていく他に生きるすべをもたないものの象徴になっている。

陰部を押し当てられているのに薬師前がこれを「微妙」と表現し、あいまいにしているのは、満員電車のなかでの痴漢に声をあげにくいのと同形の現象だ。なにか当たっているように思われるが、これは相手の意図するところなのか?状況的には、満員であったり、施術中であったり、多少の接触はありえるようでもある。それに、そんなことに反応して自意識過剰と思われないか?相手にその意図がないとき、ひどく傷つけてしまうのでは?また、大ごとになってしまうことは、じぶんにとっても望ましくないのでは?だいたいこわい…、このような考えが、痴漢をされた際には一挙にあたまのなかに現れる。かくして、あとひと駅だからということで、女性はそれに耐えることになる。分別があるほど、「自分が5分耐えるだけでさまざまな問題から解放される」となりがちなのがさらに難しい。しかし、市田がいうように、重要なのはそのひとがどう感じたかなのだ。

では、不快なのになぜ耐えてしまうか、というところが、このはなしのポイントとなるだろう。そこに、立場や情勢、腕力などの男女の非対称性が潜んでいる、というわけである。

こうしたわけで今回は、女性である以前に弱者であった雫よりさらに問題に接近し、女性性が抱える問題じたいに迫りそうである。たしかに、リーガルコミックでセクハラ痴漢はやるべきはなしだ。


お気持ちベースなどと揶揄されることも多いが、この手の状況がなぜそのようにしか告発できないかというと、男性社会では女性差別を真に客観的に記述する方法がないからだ。これは『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで考えたことだった。リンクを読んでいただければよいが、この小説は魯迅の「狂人日記」と同じ構造になっており、あるシステム、ある言語に組み込まれたまま、そのシステムや言語の瑕疵を指摘することの不可能性を描いたものなのだ。この宇宙が実は徐々に平面に近づいているとしても、なかにいるわたしたちにはわからない。わたしたちも同時に平面化しているからである。

そのような発言が「お気持ち」扱いされる理由としては、対話が弁証法ではなく論破ベースで動くことが多くなってきているだろう。モノローグの主語の奪い合いである。主語はふつうひとつだから当然そうなる。SNSは発言を容易にしたが、同時にその発言の属性をあいまいにもしてしまった。ある女性の「お気持ち」は、「女性」の発言として受け取るべきなのか。「お気持ち」は女性の発言であることを武器としつつも、そのことによってより「私」を疎外してしまうのではないか。そうした記述そのものの難しさを、SNSは浮き彫りにしてしまう。中和されたニュートラルな発言が存在しにくいということ、キム・ジヨンが描いたことを、生々しく露出させてしまうのだ。


フェミニズムの出発点は「私」しかない。その不快さ、不自然、理不尽をはかるものさしが存在しない以上、それしかない。もちろん、世の中にはさまざまな「お気持ち」がある。おかしな「お気持ち」もあるだろう。しかしそれが現れることを妨げてはならない。法はそうした局面でどのように機能するだろう。雫のとき以上に緊張感のある内容になりそうである。








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第31話/あれ



マウントをとってたたかいを有利に運んでいるジャックが、ピクルの顔面に食らいついて皮をごっそり奪い取る。反撃を許さず、続けて顔面にローキック。ジャックは手を休めない。ピクルの不死身にもおもえる肉体の強さを身をもって知っているからだろう。


高さ的にローキックは強いちからで放つことができる。一流選手であればトン単位の破壊力になる蹴りだ。バット4本を折ることのできた黒澤浩樹は1.4トンの威力があったというし、別のテレビ番組で数見肇や入澤群の下段蹴りを計測したときは2トンが出たように記憶している。計り方にもよるのだろうが、黒澤を計測したときには、野球選手のバットのフルスイングが900キロだったというから、とにかくものすごい威力になるのだ。


普通は決着であり、じっさいピクルも一瞬夢のなかにとんでいる。

わずかなその瞬間にピクルが思い出すのは、たぶんティラノサウルスと思われる恐竜の尻尾の一撃である。強烈な打撃を受けるとピクルはいつもこれを思い出しているから、よほど強烈な体験だったのだろう。尻尾の記憶じたいが似たものとして想起されているのでややこしいが、それはまるで高所からの落下だったという。


ジャックの打撃がティラノサウルスに匹敵する、ということはさすがにありえない。だが、ジャックには技術がある。知能がある。そうしてくりだされる攻撃は、たんなる衝撃力以外のさまざまな要素を含んでいる。たとえば拳や鍛えたすねは恐竜の生身より硬いかもしれない。それが、恐竜では不可能な弾丸的な点の攻撃として、くりかえし襲いかかってくる。そうしたぜんたいを受けて、ピクルはジャックがティラノサウルスに匹敵すると判断するのだった。


もうひとつ重要なことがある。ティラノサウルスはうまかった。だとしたら、ジャックもうまいのではないか?

そんなことを考えているピクルにふたたびジャーマン。ピクルは柵に、上からあたまを打ちつける。ぐったりする彼のどこかにジャックが噛みつき、血がほとばしるのだった。



つづく



ピクルの認識では、強ければうまいということになるようである。


強い恐竜はたいがい大きいだろう。肉食はあまりうまくないと聞くが、ピクルの味覚がどう判定するかはわからない。草食にも強いものはいるわけだが、ぜんたいに肉食が多い傾向があるであろうことはまちがいないだろう。それを、たまたまピクルの味覚がうまいと受け取れば、このはなしは通る。だがおそらくこれはそういうはなしではない。つまり、味覚のはなしではない。強い敵は、孤独なピクルにとってはライバルであるとともに親友である。ピクルには家族の描写がない。おそらくいたとしても類人猿、ピクルは特異中の特異、いわばフリークだったはずだ。見た目もそうだが、その強さと知性も頭抜けていたはずである(と考えると、そもそもピクルの強さは知能に依っていたぶぶんもかなりあるのではないかともおもえる)。

そういうなかで、彼が唯一他者とわかりあえたのが強者との勝負の中においてであった。だから、ようやくわかりあえた他者と、勝敗が決したときに別れなければならないことに泣く。乳児は母親のお乳がすぐに手に入らないという不快を通じてはじめて海のように連続していた世界に太い線を引き、他者の原型を知る。言葉をもつ前から彼には明らかに「他者」の概念があったのであり、それは「別れ」という苦痛を通じて体得されたものだったのである。

こういうことから思い返せば、ピクルの味覚、というか「うまい」という感覚も、他者概念の成立に関わることであったのだろうと推測できる。強さの行使は、わかりあうという快楽を生んだ。しかしそれは同時に、すぐにやってくる別れを含むものでもある。彼には不快のない快がなかったのだ。ではなぜそれを続けたのか?そこにピクルは味覚を見出したのではないか。快と不快がゼロサムの、起伏を呼ぶだけの麻薬的な体験を価値あるものにするため、ピクルのからだはそこに「強いものはうまい」という快楽を発見、もしくは創造したのである。


ふつうに考えたらピクルがこの程度の攻撃でダメージを受けるとも思えないのだが、ティラノサウルスを想起している以上、ジャックの打撃がほんものなのだということを認めないわけにはいかないのだろう。今回どこかをわりと深くかまれたようだが、顔を剥がれて蹴りをくらった直後、彼が夢にみるのは尻尾の一撃で、噛まれたことはあまり気にしていないっぽい。きっと大小問わず年中噛まれていたことだろうし、じっさいべつにどうってことないのかも。すぐ皮膚が再生する特殊体質な可能性さえある。とはいえ、そろそろ反撃してもらいたい。ピクルはこんなものではないはずだから。




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