第33話/美意識
ピクルの引っ掻きダッシュをものともせず、左腕に続き右手も噛みとるジャック・ハンマー。その冷徹な合理性ともともとあった完璧主義的徹底がさらに強化されたものが、新生ジャックの持ち味かもしれない。
前回はがっぷり噛みついた感じだったが、今回の描写では瞬時にピクルの二頭筋を持ち去ったようになっている。たいへんな出血だ。
「上腕動脈」を切られる危険性を、ナイフファイティングを例に刃牙が語る。やっぱり刃牙じしんがかつてジャックに切られたのと同じやつかな。
鍛えたからだでも噛みつきは痛い。それがジャックほど精錬された技ならなおさらだ。それは、威力はそのままに、噛みつき以外の技のなかにそれとなく練り込まれ、ひとかみで筋肉をごっそり切除するほどのものなのだ。
立ち見席にいる花山のところに光成がやってくる。女子供の最終兵器とされるだけあって威力はまちがいない。だが使うとカッコ悪い。これを、美意識に生きる花山はどう見るのか。花山は、じぶんは「エエカッコしい」だからと、ジャックのようなまねはできないことを認める。
ジャックはその噛みつきを一種の思想の表明として用いるのではない。効果的な技として、止めとして使う者だ。エエカッコしいならこれとどうたたかうか?
ジャックがヘビのようにくちを広げてストレッチをする。アゴがはずれているようにもみえるが、たぶんつけたりはずしたり自由自在だろう。すでにズタズタのジャックの腹部を、たぶん爪で、今度は横方向にピクルが裂く。しかしジャックは動じない。再びピクルの背後をとり、ジャーマン。起き直り、歯を光らせてジャックはなにかをたくらむのだった。
つづく
相変わらずピクルがぼこぼこだなあ…。もう少し見せ場がほしいなあ。
3回目となるジャーマンは、この勝負がある種の反復によって成り立っていることを示している。ジャックの意図はわからないが、そうなっている。
ジャーマンをくらう、少しダメージを受ける、かみつきをもらう、というくりかえしに、ピクルははまってしまっているわけである。
もちろん、「反復している」ということにピクルが気がつく可能性はある。そのときはじめて、両者のあいだに戦略的膠着状態がポジティブなものとして現れる。次にやってくるもの、やってきて当然のものが、ほんとうにやってくるのかどうか、そういう状況が、はじめて心理戦を生むのである。これは極めて高い知性を要求する闘争コミュニケーションとなる。ジャックはピクルを「人類」の側に引き寄せようとしてるのかもしれない。噛道は、道である以上、体系をもち、体系は個人の所有物であることに耐えられない。つまり潜在的に継承者や弟子を待っているのだ。ピクルほど噛道を修得するにふさわしいものはいない。ジャックがというより噛道が、ピクルを道に誘い込んでいるのだ。
光成と花山の会話はたぶんけっこう大事なのだが、花山の返事がないのでまだどうとも読める。花山は美学の人間で、ジャックはカッコ悪いのもいとわないというのはこれまでずっとそうで、明らかなことだが、しかしずっと読んでいると、他者目線を意識した美意識はなくとも、そこにはたしかにこだわりがあり、少なくとも「美意識」というせまい概念からジャックを弾くことはできないという感じもする。むしろ、ジャックこそ美意識の男である。してみるとちがいは他者目線が内在するかどうかということになる。この他者は、観客のような「大衆」ばかり指すものではない。美意識を感受する自己も含むものである。噛みつきはちょっとカッコ悪いな…というときに意識されるのは、たとえば武道館としての自己であって、大衆ではない。では結局エエカッコしいも美意識もちがわないのではないかとなるかもしれないが、たぶん意志のありかたがちがう。カッコ悪くてもするのとカッコ悪いからしないのとのちがいだ。要するに選択肢の多寡である。だとするなら、美学の男・花山は究極に選択肢をしぼったファイターということになり、じっさいそうだ。独歩やアライ親子、柴千春に花山など、そうして選択肢をしぼったファイターの強さもバキは描いてきた。ジャックが相対化し、浮き彫りにするのはそうした者たちなのである。
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