今週の刃牙らへん/第24話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第24話/ご両人

 

 

 

光成とともに街中でピクルを待ち伏せしていたジャック。ピクルが嚙道に至った現在のじぶんのはじまりであったことを語り、彼が慟哭する姿を見たいという願いをくちにする、そのジャックの肩に、ピクルがうしろからすごい自然に噛み付くのだった。

 

前回も書いたけど、ピクルがいきなり嚙みつきからファイトをはじめるというのは珍しい気がする。

ピクルは、嚙みつき「も」使う、というものであって、それも、ファイトが食事と連続していたからだ。ファイトと食事がイコールではないにしても、ひとつの現象の、ある過程としてとらえているのだ。

ピクルは手と足をロックしてジャックをにがさないかまえだ。だが、これまで闘争中にピクルが行使した嚙みつき、あのロケットみたいなタックルとともんい見せた攻撃に比べると、いかにも緊張感がない。これは、ジャックを保存食として認識しているのかもしれない。あのときとっておいたやつが逃げ出してしまっている、みたいな気持ちなのか。だとすると前回通じ合ったように見えたやりとりは気にせいだということになる・・・。

 

ジャックは、不用意に背をみせたじぶんのミスだとする。それほどダメージはなさそう。そして光成に離れるようにいい、手を振って半回転して向きを変え、そこから下方向に、ピクルのホールドからするりと抜け出す。かつてジャックは本部に似たことをやられて歯をぜんぶもっていかれた。本部の着ていたものが特殊繊維だったということもあるだろうが、衣類のうえから嚙むことについては勇次郎も注意していたし、あまり関係ないようにおもう。だがピクルの歯は無事みたい。どの程度肉をもっていかられたのか不明だが、出血からすると軽いっぽい。

 

ふりかぶったジャックは、「歯ァ喰イシバレ」と、つい先日父にいわれたことをいう。そして右の拳がピクルの顔面にめりこむ。ピクルには久々の衝撃ではないだろうか。直近でたたかった相手は武蔵で、こういう打撃はなかったからな・・・。懐かしいんじゃないかとおもう。

ジャックのパンチは相変わらずすばらしい。電撃のような描写とともに、血を出しながらピクルが吹っ飛ぶ。まあピクルなので、それほどのダメージはなさそうだが、たたかうつもりにはなったらしい。

 

そこへ花山薫が「そのへんにしときねぇ」と割って入るのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

ここが花山組のシマということなのか、よくわからないが、ここに(ことを荒立てずに)割って入れるのって花山くらいなので、なんにせよよかったのかもしれない。勇次郎やバキだとすぐじぶんの物語にしちゃうから「止める」とかじゃないし・・・。独歩や渋川みたいな年長者ですらそういうところあるからな。ある程度以上強くて、他人のことをじぶんのことのように考えることのできるもの、要するに強いんだ星人ではないけど強いひと、というと、花山しかいないのであった。あとは本部くらいかな。ピクルは本部になついてるから本部でもよかったか、とおもったけど、本部に負けてるジャックにとっては標的のひとりなので、やっぱり花山しかいないか。

花山としては、ここがじぶんのシマであってもなくても、一般人がロケか真剣かまだ悩んでるようなこの状況で、非現実的なふたりが大立ち回りをすることは望ましくないのだろう。なにしろ「義」のひとだから。けが人でるかもしれないし、みんなびっくりしちゃう。感情的な喧嘩や不可避の衝突ならまだしも、これは避けられるバトルなのだから、いまはやめときましょうよと、こんなところだろう。

ただ、非「エエカッコしい」であるところのジャックとピクルは、ちょっと反感をもつかもしれない。花山は心外かもしれないが、この介入はカッコいい。そしてその動機はおそらく一般人を守るためのものである。この感覚は、ふたりとは折り合わない。特にジャックが、ここでは集中できないとして、それもそうだなと拳をおさめるかどうかは、偶然が左右しそうな感じもする。

 

見たように、開始時のピクルの嚙みつきはどこか緊張感に欠ける。それこそ、鳩が人間の食べてるポテトつまむような自然さがある。あのホールドも、動きを制限するというより「逃がさない」という感じに見える。とするとやはりピクルはジャックを保存食として思い出したのだろうか・・・。

そうして決まったジャックのパンチは、以前よりずっと強力になっているはずである。ファイターどうしでは言葉より技が雄弁にすべてを物語る。前より大きくなっているということもあるし、嚙道を極めることによって動きが全体に洗練されている可能性もある。ピクルは敏感に変化を感じ取ったことだろう。たんに保存食が反抗した、という以上のものを、ピクルは受け取ったにちがいない。だからちょっとうれしそうなのだ。

 

ここでジャックがとった行動はふたつ、からだを反転させての脱出と、パンチである。これはどちらも、ジャック以外のものの気配が感じられる動きだった。脱出については、もちろん本部である。パンチは、セリフは勇次郎だし、動きはどこか夜叉猿とかとたたかってたころのバキっぽい。すべて、かつてじぶんを敗北させたものたちだ。ここからは、ジャックがひとにはらう「敬意」というものを覚えたことが感じられる。そもそも、嚙道を完成させたのは本部で、その動機はピクルだった。ジャックは、これまでたくさん負けてきた。たくさん失敗してきた。彼はそれを引き受け、学ぶことを覚えた。それが嚙道につながっているのである。だとすれば、こうした動きひとつひとつに、彼が強者と認めたものの気配が感じられるのも自然なことだ。そのひと固有のエクリチュール(文体)というものは、本来存在しない。さまざまなものと接触し、嚙んで味わい、内面化され、織り上げられることで、そのように見えるものが成立するだけだ。ジャックは敗北を通じてそのことに自覚的になったのである。

この方法はバキにも見られたものである。バキもまた、核のようなものをもたない、きわめてフレキシブルなファイターだった。核をもたないことは通常弱みとなる。だが、とことんテクストを編み上げることに執心していけばそれは逆転して強みになる。死角がなくなるからである。そうして、バキはトータルファイターになっていった。流儀をもたないファイターなのである。バキがなぜこうした方法を採ったかというと、勇次郎に勝つためだ。そして勇次郎もまたトータルファイターである。だが勇次郎のばあいは、広く世界を渉猟闊歩し、学習していったものとはことなる文化資本的なすごみがある。要するに、天才なので、見ただけで、あるいは想像しただけで、なんでもできてしまうのだ。これがバキを葛藤させる。バキは、父に近づくために、なんでも学ぼうとする。しかし行ってみるとそこはすでに父の荒らしたあとである。量的なレベルで学習しようとしても、父に追いつくことはできない。既知の魔人である勇次郎に勝つためには、父が想像もしないようなところから未知のアイデアをもってこなければならない。それが、他作品からの「虎王」であり、誰もが目をそむけるゴキブリまで師匠にするというマインドセットだったわけである。

 

ジャックもまたその領域に至ったわけだが、動機が打倒・勇次郎という感じが少し薄いぶん、悲愴感はない。そして、なにより自然な行動だ。なぜなら、ジャックには「エエカッコしい」がないからだ。強くなるためなら、なんでもパクるし、敬意もはらう。とりわけ本部戦での敗北は、父にいちど注意されら「着衣への嚙みつき」を、愚かにも実行したせいだった。勇次郎に負けたときは着衣に噛みついたわけではないが、「同じ失敗をくりかえしている」という感じは否めない。もしかすると二度の骨延長ですらそうなのかもしれない。「日に二度の敗北」もそうだ。ジャックは量のひとなので、とにかく重ねる。そして、失敗まで重ねてしまうのである。そのさきに、ついに彼は、そこから学ぶという道を見つけ出したのである。

 

 

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