すっぴんマスター -11ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第119審/日常の犯罪②



今週は曽我部描写だ。

百井にいわれたとおり、朝イチで金を引き出している。

言われたことをやっているだけだが、売上がいいことを百井はほめる。曽我部は、ずっと気になっていた部屋の貼り紙について訊ねる。じぶんの写真を中心に貼って、車や美女など、目標とするものを、その内容を書いた文字とともに掲示するビジョンボードだという。曽我部、美女の暴動じゃないよ。

ひとは弱いから、単調な毎日に夢を埋没させてしまう。だからこうして可視化した夢を見えるところに貼っておくのだ。じぶんの部屋なのだし、多少ガキっぽくたっていいのである。「節約」って書いて貼るようなもんだろう。


成功したいならマインドを変えなきゃいけない。百井は簡単だという。というか、簡単だと思わなければいけない。成功者はいつもポジティブだから。百井のいちばんの夢は、ヒップホップのレーベルを立ち上げることだ。


ふたりが向かったキャバクラには、久我に鼻をやられた佐々木求馬がえらそうにしている。曽我部は求馬が苦手そう。ゲームをしたり、ことあるごとに一気させられてる。百井は気配すらないが、ふたりはふだんどういう感じでいるのかな。これ百井の売り上げで飲んでんのか?


飲み過ぎてゴミ置き場で眠っている曽我部を百井は待っていた。求馬はアフターに出かけていない。2時半まで百井は曽我部が起きるのを待っていたらしい。仲間は裏切らない、守る。しかし、ルールを破ったり、仲間を売るやつには制裁を加えるとも。曽我部は、裏切りはともかく、ルール違反が心配だな。


2時半まで待ってはいたが、家に帰ろうとはならなかったらしい。曽我部は中川さんという知り合いに電話して泊めてもらう。中川さんは女性だが、そういう関係はまったくないらしい。中川さんも曽我部が無害だから気に入ってるみたい。早朝に近い時間のはずだが、薬が効かなくてトロンとしたまま起きていたという。中川さんがレンジでクリームパスタを作ってくれたので曽我部も食べる。曽我部はなんかでかくておとなしい犬みたいだな。


母の再婚相手に性的対象と見られ、気持ち悪くて家出、妹の学費を稼ぐために風俗で働く青春だったそうだ。結局妹が進学でかきたのかはわからないが、そうとう稼いでたみたいだからたぶんできたんだろう。当時の彼氏、というかヒモは闇金で、人権無視で支配されていた。太ると稼げなくなるからお菓子も食べさせてもらえなかったという。楽しい思い出は少ないが、総額1000万くらいは貢いだ。怒ると下唇を引っ張る。セックスも、中川さんはレイプと呼んでいる。逃げ出した彼女を追いかけた「オレの家賃どうすんだよ?」の言葉もキツい。彼女の存在がどうこうではなく、結局金なのだった。




つづく



前に主人公だったものをまた新たにきちんと描くというのは、ウシジマくんにはなかったパターンだな。


中川さんは部屋の様子からして安定したタイプではないわけだが、優しいし曽我部は居心地が良さそう。中川さんも、男性にはずっといやなおもいをしてきたわけだが、曽我部がそのへん無害なので安心している。といっても、彼ら独自の性関係がないとも限らないわけだが、いずれにしても安心できる相手がいるのはいいことだ。


中川さんは母親の再婚相手から始まって、男性が性を行使する場面ばかり目撃してきた。風俗でもたくさんいやなものを見てきただろう。かと言っていま男性をまったく拒否しているかというと、往々にしてそうはならないわけだが、ひとまず曽我部に対してはそういう立ち位置ではない。曽我部は曽我部で、母親か姉みたいなものとして中川さんを見ているのだろう。

同様にして、曽我部と百井の関係もひとくちには言えないぶぶんがある。髪をくわせるくだりからしても、百井の態度は実利を求めたものだ。曽我部は通して大型犬みたいなあつかいだが、まさしく、コンパニオン動物をしつけるがごとき手順で百井は曽我部をあつかうのである。だが曽我部は曽我部でそこに安心や憧れを感じてもいる。曽我部が、いくら売上が上がったとほめられても、彼は金を運んだりするだけで、なにをしているわけでもない。彼が百井のようになるにはそうとうの努力と運が必要だし、運で得た機会はたやすく散逸してしまう。彼の感じる憧れは一種の夢にとどまる可能性が高い。もちろん、曽我部の努力しだいではそれもわからないのだが、問題なのは百井が、それをわかっていながら調子のいいことを述べ、飼い慣らしていることだ。彼がたとえば「そんなんじゃだめだ」というような教育的言説をとっても、それはいま行っているビジネスの円滑な進行のためでしかない。それは、曽我部に刻印される「教育」とは別のしろものなのである。


中川さんとの関係はどうだろうか。ひとにはこういう、どこにもいかない、なにも生まない場所や時間というのは必要だ。だから中川さんとの関係じたいは守ったほうがいい。丑嶋社長だってうさまくらしてたくらいなんだから。ただ、曽我部がこれを、なんというのかな、百井を慕う気持ちと連続させた、日常の場面のひとつのように考えることは、翻って彼が百井を慕いっぱなしでなんの変化も成長もない毎日を強化しそうにもおもえる。また、中川さんは中川さんで闇を抱えていて、その日常はまだつまびらかになってはいない。ただ曽我部を包容するために彼女は存在するのではない。どんな種類の闇がそこにあり、曽我部に及ぶか、まだわからない。そして曽我部はその可能性を考えていないだろう。

曽我部がすぐ相手になついてしまうのは、前回も書いたように、金本時代からの「攻撃者への同一化」が習慣化しているためだ。





曽我部ではおそらく、あまりの自己否定から、攻撃者ではないものも含めたすべての他者を「じぶんに一定以上の害をなすもの」ととらえている。優しい人間なのでそこに敵意はないのだが、要するに意識されない不信感でいっぱいなのだ。その理由は、じぶんがバカでだめなやつだから。そうやって相手に同一化して、「こんなにだめなじぶん」を客観することで、攻撃だけにとどまらない、じぶんに向いたすべての働きかけを正当化する。それが彼に大型犬のような人懐っこさを与えてもいる。しかしそこに自己肯定はないのである。主体性を欠くのである。主体性がなければ責任も生じない。こういうところに、百井のいうルール違反が起こるかもしれないのである。





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第41話/自覚



突然ジャックの家に押しかけてきた勇次郎が花山について問いかける。彼のなにを知るかと。じぶんは知っているような口ぶりだ。


しばらく黙ってから、この部屋は狭すぎるからというよくわからない理由でジャックは勇次郎を誘って外に出る。万が一、ファイトになった場合を想定したのかもしれない。


街を歩くふたり。前にも描写があったが、とても目を引くふたりだ。

ジャックがようやくはなしを再開する。知らないままだとなにか不都合があるのかと。

勇次郎は「尺度が違う」と花山を評する。ジャックは、勇次郎をはじめ、そういう異次元な存在ってたまにいるというふつうの返事だ。異次元の存在感なふたりがはなしてるのがおもしろい。

だがジャックはそういうみかたをしないという。それはただの調査不足だと。すべてはデータ、数字で計測可能なのだ。なるほど。


勇次郎は、骨延長や歯の改造などをあげ、いかにもジャックらしいという。だけどジャックにも幻想的な伝説があるともいう。日に30時間の鍛錬というあれだ。ここからの勇次郎がいうことはよくわからないのだが、ふつうは、強度を上げるという工夫で時間を圧縮する。それをしないからといって、恥も誇りもない。つまりそうした非合理から幻想が生まれたとしても、それはなんでもないことだと、こういうことかな。データで読み取りできない非合理は恥でも誇りでもないと。


だが、いずれにせよ花山はそういう生き方をしない。やつには強く生まれた自覚、負い目があると、勇次郎が的確に説明する。強者である以上鍛錬は卑怯、こういう揺るがぬ自覚をどう破るのかと。


さらに勇次郎が付け加える。握力がイイと。花山が全力で拳を握ればじぶんの拳を握りつぶしてしまうだろうとも。ジャックは楽しそうに、その潰れた拳を噛み砕こうというのだった。



つづく



こんなに勇次郎が他人を認める、というか他人を語る日がくるなんてな。


今回はなんかよくわからない会話だった。何回読んでもよくわからん。オレ体調悪いのかな。


まず、花山は尺度が並ではない。勇次郎はそれしか言っていないので、そのあとのジャックの反応が的外れである可能性はあるが、そのままに読むと、異次元な存在である。既存のものさし、価値観では計り知れない。しかしそれはジャックにいわせれば調査不足である。人間の肉体が生むものである以上、それはなんらかのデータで評価可能である。それを受けて勇次郎は、ジャックにもそうでないぶぶん、日に30時間という幻想があるじゃないかという。これは、そうみえる、みるひとがいるというはなしだ。花山が「尺度が並じゃない」とみえるように、ジャックもそうみえる。ふつうは、強度を上げて時間を短くする。ジャックの場合は強度を上げて時間も長くしてるからあてはまらないが、とにかくふつうはそうだ。データとして読み取れない、そういう幻想性を、ジャックもまた帯びている。データにうるさい合理的なジャックが、非合理にも日に30時間の鍛錬を行う、それじたいは別にいいんじゃないかな、そういうことってあるんじゃないかなというのが、勇次郎の言っていることと思われる。

同じように、花山も幻想性を帯びている。その内容もジャックとは異なる。そして、それは彼の自覚とともにある。強者が鍛えることは卑怯だという確信のもとにある。内容以外に両者に差があるとすればそこだろう。ジャックには、日に30時間が非合理であり、じしんのデータ主義となじまないという自覚がない。しかし花山はみずから選んでそうしているのである。


ジャックにできることはなにか。この思想対決は、レバ刺しが示したように、花山の「エエカッコしいも悪くないよ」というしかたではじまるだろう。相手を否定せず、引き込むスタイルだ。しかしジャックがそれにつきあわなければならないということもない。「エエカッコしいも悪くない」、つまり花山のスタイルでも強いということが示せれば、花山の勝ちだ。ではジャックはどうすべきか? 花山の「自覚」を揺さぶるのである。ジャックは、花山じしんが握りつぶしてしまった彼の拳をさらに噛み砕くという。潰れる前に噛み砕くのではないのだ。つまり、そのとき花山は「拳を握りつぶす」という、尺度が異なる神秘を実現してしまっている。それを噛み砕く。これは、花山が体現した幻想・神秘を、噛みつきで上回るということなのだ。データ偏重で築かれた噛みつきが神秘を超えるとき、花山の「自覚」、つまりじしんを強者とする認識はどうなるか。もちろん、彼がふつうより多くを持って生まれてしまったことはまちがいない。だが、これは人格否定ではなく思想対決である。花山はじっさいその思想のもとにさらに強くなっている。だがそれをジャックが噛み砕くなら、データ偏重はスタイルとして非鍛錬を上回ることになるのだ。潰れた拳を噛み砕くというのは、このように、神秘をデータが超越する状況を象徴するのであり、ジャックはそれを通じて花山の自覚も超えることができる。ジャックのデータ主義では日に30時間の鍛錬がもたらす幻想性を説明できない。だが花山は「自覚」のもとに幻想性をまとっている。その差を埋めるには、その花山の「自覚」がほんとうなたしかなのかどうか、鍛錬をしなくてほんとうにじゅうぶんなのかどうか、突きつける以外ないのである。



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第118審/日常の犯罪①



さらっと副題が変わっている。「最悪の駆引」は出雲の紹介回だったか。

車の小さなトラブルで久我にからみ、逆に拘束されている佐々木求馬。どこまでほんとうなのか、伏見組がケツモチだということで、いろいろ悪さしていたらしい。それを久我に詰められ、300万要求されて、いま曽我部が世話になっている友人の百井に電話で泣きついているところだ。ちなみに百井は出雲の息がかかっている。

百井は悪態をつくが払ってはくれるらしい。大声を出す百井に曽我部はビクつく。そして、電話がかかってきたことでなしになったかとおもわれた排水溝のゴミを食べる件が復活する。ちょっとかぐだけで猛烈なにおいがするものだ。もちろん飲み込むことはできず、曽我部は吐き出す。百井はエタノールを曽我部にかけながら掃除を命じる。金本とはまた違ったサディストだな。
水を渡しつつ、今度は優しく、この仕事にいかに規律が大事か、百井は語る。曽我部はなにか規律違反をしたわけではないが、排水溝が詰まったからと言ってホテルの人を呼ぼうとしたり、考えの浅さが目立つので、まず参照すべきはじぶんの思考の結果ではなく規律、つまり百井なのだと、彼は言っているわけである。

百井は、テレグラムのフォロワーが5000人おり、そこでマリファナを売っている。写真をあげて、板、業者を通じて入手した預金通帳に振り込んでもらい、曽我部が郵送する、という流れだ。入金が多すぎると凍結されるから、毎回コンビニをかえるという。まめに引き出しも行う。それも曽我部。ひとを使う、とあるが、これは一般的なはなしで、たぶん曽我部が毎朝6時にいくのだろう。金本のときと同じだろうと百井はいう。曽我部のあたまにふと金本の顔が浮かぶ。
マリファナの在庫が5キロをきらないよう注意しつつ、においに配慮し、倉庫も3カ月にいちど変える。百井はロレックスを曽我部にみせる。インフルエンサーのように羽振りのよさを演出し、憧れで若い子がついてくるようにするのだ。曽我部にも、いい匂いとか顔小さいとか言って、百井に憧れか尊敬の気持ちが萌している。

たまには日に当たらなければいけないので、ふたりは散歩に出る。飲み物やおかしを与えて、百井はペットみたいに曽我部をなつかせる。彼らの目にうつるのは宝くじの列や寒そうな路上生活者。自分たちのようにマイナスからスタートするものは、リスクをとってとにかく行動にでなければならないと百井は言う。月500万稼ぐという百井の言葉に曽我部がたまげている。
百井が曽我部を選んだのは地元で信用できるから。特に金本の罪を被って服役した件が大きいみたい。まあ、その金本は水死体になっちゃったけど、という百井の言葉を聞き、曽我部は少し笑うのだった。百井はそれを見たっぽい。

配送と回収を任され、百井が去っていく。かんたんな仕事を終えて、じぶんが弾かれた、前科者憧れの現場作業員を見下ろしながら屋上でビール。だがもちろん捕まる恐怖へある。

さて、同じ日かどうかはわからないが、百井が300万を持って久我のもとへ。壬生自動車整備工場である。無事佐々木求馬は解放。なぜそんなやつをと久我に聞かれている。地元の腐れ縁だと。
久我はあらわれた宇治に金をわたそうとするが、久我のシノギということになった。それよりなぜ壬生の工場に久我がいるのかである。工場には従業員もいたので、久我は九条に相談に行ったらしい。だが、相談するまでもなく、工場は久我の預かりなのだった。



つづく



煽りによれば、このはなしのどこかに盲点があるらしい。
工場は父親から相続した壬生が所有者。だが行方不明になる前に信託契約を結んでおり、管理人が九条になっているということだ。で、こういうときは久我に任せるように手続きされていると。描写ではたしかなことはわからないが、久我は信託契約のくだりは宇治に話していないっぽい。九条に相談にいき、任せていると。不動産のはなしは苦手で、わからないが、このどこかに、あってはならない、あるはずがない状況があるのかな。あるいは、法律のはなしではない可能性もある。表向き、壬生は九条を売ったことになっている。そんなふたりが裏で通じているはずはないという目くらましだが、そんな関係なのになぜ信託契約を?ということにはなりうるかもしれない。

さて、久々のしっかりした曽我部描写だった。
今回のあの笑みは、弱さと無垢さは等号で結ばれないということだろう。
「弱者」は、本作では非常に重要な概念だが、その内実はこの語を受け取るものの経験や直観に揺れるものだ。九条と蔵人との対比においては、これは語のとりこぼす「見えないもの」ということになる。この語のままだと、たとえば半グレとかも含まれてしまうし、げんに九条は含めているのだが、これは第一には弱者を指すものである。こういうものを、九条は見捨てない。

しかし、こうしたことを劇的に演出したとき、「弱者」が一種の清浄さを帯びることがあるのである。ぼくにしても、笠置雫はともかくとしても、今回のような曽我部の描写にはじゃっかん戸惑うのである。弱いことは、無垢を意味しないのである。転じて、誤ってはいけないことだが、九条は曽我部やしずくが無垢だから助けるのではないのである。
このあたりは薬師前などは言い分があるかもしれず、聞いてみたいところだ。ひとは、最初から悪なのか?それとも社会がそうさせるのか?興味深くはあるが、九条にはあまり関係のないことでもある。もちろんモチベーションには関わるだろうが、仕事人間・九条にはモチベーションなどというあいまいな動機もない。ただすべきと考えることをするだけなのだ。

ではなぜここで曽我部の笑みが挿入されたのかというと、くりかえしになるが、我々が誤らないようにである。九条は正義を行っているのではない。守るべきこの世の清きものを守るのではない。ただ、見えてしまうだけなのだ。そうして、作品が描くところがぎりぎり法的視点を保つことになる。今回の笑みは、曽我部を描いたというより、九条の立ち位置を明らかにするものなのである。

それにしても曽我部はいじめっこを引き寄せる男だ。しかしこれは、彼らが互いに引かれ合った結果のようにもみえる。曽我部は金本の死を心底喜んでいるようだが、百井の行為は教育として受け入れているようである。理由はふたつある。ちゃんと稼げているから、そして百井の思わくどおり憧れているからだ。
その金本に対しても、曽我部は同一化することで自己防衛してきた。詳細は以下。





このときとは暴力の質も曽我部のありかたもちがうが、いまも彼は防衛機制にしたがって百井の教育や稼ぎを肯定的に受け取っているぶぶんはあるのだろう。生そのものについてもそうかもしれない。結局不安を感じながらも悪い道にすすんでしまうことに、彼は自己責任を感じていることだろう。つまり、いまは金本ではなく、社会に同一化しているのである。百井ですらがそうしているように(あるいは曽我部の自己卑下を見越して)こんなどうしようもないじぶんが生きていくにはこれしかないと、じぶんを追い詰めてしまうのである。やはり薬師前の見解を聞きたいところだ。










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第40話/スズメバチ



自宅で横になっているジャック。デカすぎてベッドに入り切らず、椅子を追加している。床には薬やらなんやらが散乱したまま。注射器とか踏んだら痛そう。


そこへ、開いた窓からスズメバチが侵入してくる。常人なら一大事だが、ジャックは「捕らえられるか?」という視点からみる。手足でしとめるぶんには、彼らにはなんでもないだろう。ジャックが考えるのはもちろん、歯で、かみつきで捕らえられるのかということだ。それも、しとめるわけではなく、体をそっとおさえるかみつきかただ。プッと吐き出した勢いのままスズメバチは飛んでいく。たんに強力なだけでなく、噛道は繊細さも備えているのだった。


そこにいきなり勇次郎が話しかけてくるからジャックもたまげる。いつのまにか部屋に入っていたのだ。勇次郎ははなしの続きをするみたいに宮本武蔵の逸話を語るが、その前にいつからいたのかという状況である。息子のプライベートに勝手に踏み入る親だよな。いや、このふるまいは、勇次郎の親アピールなのかも。


刃牙道にあったはなしだ。武蔵といえば、とんでいるハエをはしでつかまえたものが有名だ。しかしこれは少し現実と異なっている。武蔵は、羽のみをつまみ、一枚いちまい羽を振りちぎって飛行不能にしたのだ。

だから、次の機会、スズメバチに出会ったら、同じことを歯で行えと勇次郎はいう。スズメバチはわりとぐにゃぐにゃからだを動かすし、ふつうにさされそうだ。


すると、さっきのやつなのか、またスズメバチがやってきてしまう。ジャックは笑みを浮かべ、ぜひやって頂こうと勇次郎を煽る。力みまくりの勇次郎は見事に応える。人差し指で空間を裂き、スズメバチの羽のみ落とすのだった。



つづく




話題をかえ、勇次郎はジャックに、花山の何を知るかと問う。

勇次郎が花山を語るというのか。


このような導入でジャックに語りかけるからには、勇次郎からして、じぶんは理解しているが果たしてジャックはそれができているものかどうかあやしいものがある、というはなしのはずである。それはどういうものか。

勇次郎は、噛道を極めたジャックをして、真似できないとしていた。おそらく同じ論理でいま、勇次郎は花山を語りうるのではないかとは考えられる。

かつては勇次郎も花山へ人権を無視したような無慈悲な暴力を加えたことがある。幼年期バキとのファイトの直後だ。そのときのことは花山にとってもトラウマ、とはちがうが、強い引っ掛かりとなっており、スペック戦で思い出したりしている。じっさい、あのころの勇次郎にとっては花山もまた「非勇次郎」な、雌化可能などうでもいい人類のひとりに過ぎなかったのだろう。(このあたりは以下前話参照)





しかし、いまの勇次郎はあのときとは異なっている。前回のふるまいを政治的なもの

、範馬勇次郎を演じたものとしたのはそれがあるからだ。親子喧嘩を経た彼は、他者を獲得した。他者を獲得するとは、不如意な存在をそのままに受け入れるということである。あまりにも強大なパワーをもつ彼は、少なくともパワーという評価軸のもとでは、他者の存在価値などないに等しかった。パワー、また強さという観点からは、「相手にできてじぶんにできないことはない」と思われたからだ。そして、あまりにも強力なパワーがすべてのわがままを許すなら、わざわざ「パワーという評価軸」などという但し書きをするまでもなく、パワーは存在価値そのものなのだ。


しかし、刃牙との親子喧嘩は、彼に他者を受け入れる余白をもたらした。「じぶんではないもの」を、じぶんのもつもの、つまりパワーを経ずに解釈することができるようになった、少なくともしてもいいと考えるようになったのである。それが彼にジャックを受け入れさせた。厳密にいえば、いまジャックのようなふるまいを勇次郎がとれないなら、前からそうだったはずである。しかし以前なら、これはパワーで塗りつぶし、噛みつきなど戦場では常識などとし、とるにたらないものであることをわがままに示すものだったのだ。だが、いまの彼は、そこまでの過程を含めて、文脈の評価ができるようになっている。それなら、花山という稀有のファイターをみる目も変わっているはずなのである。


花山は滅私の喧嘩屋だ。持って生まれた彼は、最初に徹底的にじぶんを殺すことで負い目をなくし、やがて拳そのものと化す。主語たる「花山薫」という授かりものを滅することで生じる公平性が、拳を自律させ、述語のみで動く概念のようなものにするのである。自らの持つものがどれだけ相手を圧倒するか、つまり主語のみで動いているような勇次郎とは正反対である。もし勇次郎がそれを存在として容れることができるようになっているなら、語れることは多いはずなのである。





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第39話/Great Again!!



今回は通常の展開はおやすみ。トランプの大統領再選にあわせたいつものやつである。


トランプはトラムプ。イーロン・マスクはイーロソ。トラムプがイーロソに、勇次郎への不可侵宣言について聞かせている。トラムプは大統領になるのは2度目なので、もちろんその重要度を理解しているが、イーロソはそうではないようだ。イーロソ、オタクだろうし、ビジネスの畑のひとでいろいろ物知りだろうに、知らないんだな…。あまりにも非現実的な存在なので、どこかで見聞きしてもうっかりスルーしてしまうのかもしれない。


富豪でもないのにアメリカより強い人間、範馬勇次郎。トラムプは、金を必要としない人間だという。そうなのか、ちからゆえにお金たくさんある、わけではなくて、何もかも顔パスなんだ。だから顔見知りで周囲をかためてるんだな。でないといちいち殴ってまわらないといけなくなるから。


その実力の正体が腕っぷしだと聞き、イーロソは、逮捕すりゃいいと当たり前なことをいう。しかし軍隊が出動してもそんなことは不可能だとトラムプはいう。彼のいうことはいちおう信じるようにしているのだろう。とにかく関心を持ったイーロソは、一緒に会わせてくれという。


勇次郎の部屋に向かうふたり。明らかに緊張しているトラムプにイーロソも気がつく。ドアを開けると、いつものように窓を向いて勇次郎が立っている。圧倒的存在感。だがイーロソはまずレースカーのような機能性を感じたようだ。宇宙ロケット飛ばしたりしてるからかな。

次にイーロソは、振り返る勇次郎から肉体の可能性のようなものを感じ取る。そして犬歯。

2度目の登場のトラムプはすっかり縮み上がっている。トラムプはいい。だが横に知らないやつがいる。勇次郎は拳の風圧でイーロソをおどかす。2人とは聞いてないと。はなしとして狭量なようだが、これは勇次郎なりの「範馬勇次郎拳」である。

そして、あんまり勝手をするようなら犯すと怒鳴る。多い方が楽しいから警備も呼ぼうと、勇次郎は何度目かの問題発言をするのだった。



つづく



板垣先生、懲りないなあ…



勇次郎の問題行動については以下を参照。





勇次郎にとっては、この世のどんなファイターも、そしてまたどんな人類も、再現可能な存在にすぎない。げんにそうであるし、彼自身、そのことを確かめるかのように、ファイトに臨んでは相手の唯一無二性の否定する行動を選んできた。このことが、彼にとってまず彼以外の人類を非勇次郎化する。ここまではよい。だが、この価値判断が彼自身にとっても絶対的であるため、それはやがて彼自身を非人類化していったのである。おもえば皮肉なはなしだ。勇次郎はその絶対的な強さゆえ、正確な比較の可能な相手すら見つからない日々のうちで、「俺以外のものは俺とはちがう」という相対的認識を通じてのみ輪郭が明瞭になるのである。

これが、強さを雄度ととらえる世界でこの問題行動につながる。彼が証明すべきこと、またそう信じ、事実そうであることは、「じぶんは雄である」ということただ一点なのだ。これが転じて非勇次郎たる全人類を雌化するのである。


ただ、この過程で見逃せないのは、強さが雄度と直結することが自明とされていることだ。

見たように、勇次郎は、その強さゆえに、また全能性ゆえに、というか全能ということの機能ゆえに、どうしても他者を経由した自己認識にいたりがちである。しかしその自己実現は「男」として行われるのである。これは、オンナコドモの技でピクルを倒すまでになったジャックのありようと鮮やかな対比をなす。じしんの無二性を「男」で表現する勇次郎は、他の「男」が存在することを認められないから、全人類を女とする。だが、ジャックのがむしゃらさと比べたとき、そもそも男とはなにか、女とはなにか、それが強さとどう関係するのか、そのあたりが驚くほどナイーブなのである。


しかし、このあたりは、最初にも書いたが、勇次郎は必死で雄であろうとしているという感じもする。「範馬勇次郎」を演じているのだ。親子喧嘩を経て丸くなり、ジャックを認めるようにもなった勇次郎が、いつまでもそんな感性でいるはずはない。これは、勇次郎にとっての外交、「政治」なのだ。あんなふうにえらそうに振る舞っていても、彼が無傷で合衆国を圧倒するということはありえない。パワーバランスや個人的信頼関係、また恐怖など、さまざまな事情こみで、あの会談と宣誓は実現する。そういう現場で、勇次郎もまた、「範馬勇次郎」であることを強いられるのである。各国首脳が親子喧嘩に注目したのは、それが戦争に他ならなかったからだ。勇次郎がほんの少し丸くなるだけで、母国日本や友好関係にあるアメリカの立ち位置は微妙に変わってくるだろう。勇次郎は勇次郎なりに政治を行い、もはや大統領の前でしか見せないあのような行動をとるのである。




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