すっぴんマスター -10ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第44話/顎



振りかぶった花山の剛拳がジャックの顔面に再び命中。見開きぶんふっとんで、さらに何回転かしてようやくとまる。花山も身長のわりにかなり重いほうではあるが、ジャックはあの巨体である。しかしなんの問題もなくいつもの花山のパンチなのだった。


停止した位置では地面に後頭部を強打してもいる。ギャラリーは生死さえ疑ったが、ダメージがないということはないとしても、ジャックはむくりとふつうに起き上がる。そしてくちを開け、親指で歯をいじる。パンチで曲がってしまった前のほうの歯を戻しているのだ。木崎はそれを「豪気」と内心讃えているが、よくわからない、そんなにかんたんに曲がったりもどしたりできるものなのか?やわらかいの?それじゃジャックじしんの咬合力に耐えられないのでは…



ファイト前の、組事務所での花山と木崎の会話が回想される。

脊椎動物が顎を獲得したのは4億3000万年前だと木崎は突然始める。花山はいきなりなんだという顔してて和む。むろんジャックのはなしだ。それ以前まで魚だったものたちは、泥のなかの微生物をすするような弱々しい存在だった。そこに顎という革命がやってきた。なにがすごいか。巨大な生物をひとくちサイズに噛みきれるようになった、いっぱい食べるようになったのである。そうして生物たちはいっきに巨大化していった。さらに加えて、その進化の過程である。手足はそれなりにかたちを変えてきたが、顎だけはずっと同じ構造なのだという。つまり、最初から完成されていたのだ。


花山は、木崎は大学出てるからなあなどと適当に応えている。木崎インテリ設定は外伝のやつだよね。本編初かな。

ちょっと難しかったですかね、などという木崎は、少し花山をバカにしすぎじゃないかという気がするが、花山は別になんともおもわないみたいだ。こういうはなしはぜんぶ任せてるし、家庭教師みたいなこともしてたから、なんかこう、溥儀とジョンストン先生みたいな感じなのかな。


このはなしの主旨だ。そんな“顎”の存在に気がつくジャックのセンス、その純度に、少しびびってるというはなしである。


現場では歯を噛み合わせたジャックが改めて噛むことを宣言するのだった。




つづく



次号休載、5月29日発売26号掲載予定。



今回のパンチでは拳を切り裂く噛みつきは行われなかったらしい。

それともやろうとして失敗、歯が曲がったのかな。

なんにしても、あの歯が曲がるやつは、どう受け止めればよいのかわからない。チタンになって歯じたいがじょうぶになり、鍛えに鍛えた首と顎であの咬合力を発揮するのだとしても、それを接続する歯の根本ぶぶんが弱いということだよね。ふつうの打撃でいうとこれはちょうど握力にあたる。いかにパワーがあり、体重があり、技術があっても、握りがしっかりしていないと、当たった瞬間に拳が崩れ、手首が曲がり、不発になる。それとも、噛道をきわめたジャックのことであるから、これはあえてなのかな。あまりにも丈夫すぎると、彼自身の顎のちからもあり、かたすぎるものをかんだとき頭蓋骨などに深刻なダメージを受けてしまうとか。なんなら歯がなくても使える技術とかもあるのかも。


噛道のおそろしさをインテリ木崎が語る回だった。からだを巨大化させた、生物の強さにかかわる象徴的なものとしての顎、しかもそれはできたときからほとんど構造が変わっていないという。これは、要するにに、歯が並んだふたつの顎ではさみ、噛みちぎる、という基本機能が変わっていない、というほどの意味だろう。食事、ひいては巨大化にかんして、生物はこれ以上の発明をしなかった、というかおそらくこれ以上合理的な摂取法はないのだ。

ただ、これに着目するジャックについていうならば、最初から完成されていた…というより、食事、また噛むということがいかに原始的で生命にとって根源的かという視点になるだろう。「最初から」はあまり重要ではない。重要性があるとすれば、進化していない、つまりおそらくはこれ以上の発明はないのだ、という点で、最初に完成してもいま完成しても、完成は完成である。


ともかく、生命が巨大化、つまり強さを得るにあたってした最初にして最後の大発明が「噛む」ということであり、進化していないことからはこれ以上が考えられないということが推理できる(なんらかの理由で食事や巨大化の優先度が下がり、進化を必要としなかった、というふうにも当然考えられるが、それは今回は考えない)。というはなしならば、「顎」が強さに生きるものにとって最重要器官であることは自明になるはずである。実際、野生ではそうなわけだ。どんな動物も、噛みつくことをもっとも強力な武器にしている。木崎はここのぶぶんをとばしているが、ジャックの特異性は、にもかかわらずなぜか人類は「顎」を武器とすることをタブー化しており、彼はそれを超越している、ということにある。


この噛みつきのタブー化の経路は2通り考えられ、ひとつは、一般に言われる、殺人、近親相姦などと合わせた、社会契約的な意味でのタブーである。噛みつきを同族に対しての武器として使用することと「共食い」は近いところにある。さらにいえば、拳と殺人が近いところにあるのと同様、食うからには殺すわけで、ここには二重の機制が働いている可能性がある。人類は言葉をもち、事物を説明し、共有する能力に優れている。こういう生き物が、ふつうの野生が共食いを厭う以上の強さでこれを嫌悪するのは自然なことなのである。

もうひとつの経路は、それに加えて、ここで語られているのはファイターであり、たたかいに美学を見出すものだということである。噛みつきとは彼らからすれば「オンナコドモの技」であり、そんなものはかっこわるくて使えないと、こういうはなしだ。この「エエカッコしい」の心性に説得力いっぱいの強さでもって立ち向かうのがジャックだと、こういう物語なのである。


だが、冷静に考えればすぐにわかることだが、なぜ噛みつきが「オンナコドモの技」なのかというと、強力だからなのである。非力でも、ファイトに美学を見出していてもいなくても、無関係に強いからそうなのである。ジャックがファイターたちにつきつけるのは、「あなたは、強くなりたいのか?それともカッコよくなりたいのか?どっちなんですか?」という問いなのである。


むろん、事態はそう単純ではなく、独歩や花山などはまさにその美学があるからこそ強い。カッコつけてるから強いのである。そのように、これがそこまでシンプルなはなしでないことは、ジャックはいままさに花山と戦っていて理解しはじめているだろう。木崎が感じる、顎に着目したジャックの、強さにかんしてのセンスはたしかに優れたものだ。だがわたしたちは人間であり、人間には人間の強さがある。「顎」をたんに強力な器官として行使するのではなく、他の機能と並列にあつかう、そこにすでにある種の美学は宿っている。花山はそのきわみにあるもの、噛まずに美味を感じるレバ刺しを届けるエレガントさのなかにある男だ。そして、ジャックは、人間の生物としての根源に、噛みつきを通じて取り組みながらも、ここからなにかを学ぶことはできるはずなのである。










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第121審/日常の犯罪④



大麻の栽培をしているところだ。これは百井なのか、それともこのあと登場するのらなのか、よくわからない。しかし百井は栽培をしている様子はないし、はなしの流れからするとのらなのかな。


で、そののらという人物から百井に電話がくる。のらは百井のボスで、女性っぽい。いわれてみると栽培している人物の顔は女性らしさがある。表情がちがいすぎるので、それでもまだ断定はできないが…


要するに、インフルエンザで従業員が倒れたのでひとをまわしてほしいという内容だ。ふだんは闇金から債務者を400万でまわしてもらっている。住所など割れていて飛びにくくなっているからだ。今回は、頭数が欲しいというより、期間限定で信用できるものがほしい。のらはV系バンドのボーカルみたいで、いちおう女性らしいけど、しゃべりかたといい、あんまりそういうのが関係なさそう。

仕事内容は刈り取り、仕分け、梱包。あと退屈だというトリム作業。百井が「打ってつけ」と思い浮かべるのは、むろん曽我部である。


曽我部はぐったりとちからの入らない毎日を送っている。不安で寝不足、お金を稼ぐことしか楽しみがないが、違法に手に入れたお金は使い道が限られ、同時に常にタタキの心配をしなくてはならない。家にいても気が休まらない、なんなら、「これでいい」と納得できる時間や空間がどこにもないのだ。

そうして手に入れた金も、弱肉強食の世界で、「納税」として求馬に奪われる。税金は高くても世のため人のためになるが、この「納税」はただ求馬が満足するだけで、いかにも意味がない。


合流した百井が、ボスからの指示ということで、曽我部に「グロワー」の仕事をするようにいう。栽培するひとがグロワーで、百井のように販売を取り仕切る上位売人がディーラー、末端売人の曽我部がプッシャー。グロワーはヤクザや警察に見つかったら終わり。稼げるけど慎重さが必要な仕事なのだった。



九条と烏丸。帰ろうとする烏丸を九条がよびとめる。マリファナ所持初犯、更生の余地が多いにある中野という人物の弁論要旨を書いているので、それが終わったら一杯どうかと。しかし烏丸は用事がある。

九条には初犯の若者には更生の機会をという信念がある、と烏丸が指摘する。九条は「建前上は」などと言っているが、まあそういう男だよね。ネット時代、違法薬物にかんたんに接触してしまう状況でもある。


今日は烏丸の父の命日だ。烏丸の用事とはそれで、これから母親のところにいくらしい。が、少し烏丸の気分もかわり、故人を偲んでふたりは一杯ひっかけることにするのだった。



つづく



曽我部はどんどんまずいところに巻き込まれていくなあ…


しかし、百井が曽我部をボスに預けてもいい、信用できるものととらえている感じが、よくわからない。前から百井にはその感じはあった。だがそれは、犯罪行為をさせるわけだから当然というか、一種のおだてのように見えていた。お前は信用できる、だから、わかってるよな?と、こういうわけである。ところがボスののらがここに関わってくるとなるとはなしは違ってくる。その奇妙な高評価が、含みを持った技巧的なものではなく、そのままの意味になるのである。そしてじっさいに曽我部の仕事次第は百井の信用にさえ関わってくるのである。百井はそこまで見越しておだてているのだろうか、それとも言葉のまま、心底曽我部を信用しているのだろうか。つまり、こうしてさらに大きな負担をかけて期待していることを暗に伝え、同時にプレッシャーをかけているのかということだ。部下のそういう育て方はじっさいあるだろう。そして、それは彼が曽我部をじっさいに信用していてもいなくても、場合によっては同じかもしれない。要するに、脅し混じりの期待をふりかけることでひとはおもうように動くのであり、げんにいま信用できるかは無関係になるということを、百井は経験的に知っているのかもしれない。


いずれにせよ曽我部は、これまであまり気にしないでこれた「責任」を負うことになる。「責任」のあらわれかたというものはだいたい気の持ちようだが、とりわけ第三者が関わってくる場所でくっきりしたものになるだろう。


烏丸の父は殺されている。その後、ただ売上のためだけに、記者の市田が不本意ながら書いた週刊誌の記事により、英雄的被害者だった父は一転誹謗中傷を受けることになった。それから、烏丸の母親は笑わなくなってしまった。






この記事に書いてある烏丸の無時間モデル思考などは、忘れていたので、読み返してよかった。読者のひともできたら読み返してください。


このときのはなしで、九条と母親の目が似ているということがあった。それは、感情を殺しているからなのだが、その理由はそれぞれ異なっている。父の命日、母に会いに行く烏丸は九条の目を見てなにをおもうだろう。

烏丸は、「日本一のたこ焼き」のような空語に意味を見出さない。未来が想像できるものに興味がない、という傾向は、事物、また広く言葉について、意味するものと意味されるものの一致を求める。そのたこ焼きが想像よりうまかったりまずかったり、そうした、事物と記号のあいだにあるずれ、振動、余白、こういうものを、烏丸は信用してこなかったのだ。これが彼に秀才型の法的思考力と無時間モデルの外部把握を身につけさせた。事物と記号が結びつき、ぴったり重なり合うという認識は、たとえば食べる前とあとで変容する「日本一のたこ焼き」のようなもの、またコアラのような非合理な生き方をするものにはうまく馴染まない。その瞬間、同時に意味とイメージが感受されるようなものでなくてはならない。そして法律、特に罪刑法定主義に則した刑法が、こうした性質を持っているのである。

たほうで、掲示した記事内容では、九条はじしんを無時間の場所に置いていると書いた。要するに、彼はどこにもいないのである。これがある種の感傷をまちがいなく原動力にしながら、どうしようもない半グレの弁護を可能にする特殊な「無感情」を可能にするのである。


この九条と同じ目を、母親がしている。理由は異なれど、必要があってそうしているという点は同じかもしれない。父の死はその原因にちがいない。烏丸が母親とこの日をすごすということは、そうした技巧的無感情の因果をたしかめるということだ。彼が一杯くらいならと態度を変えたのは、その技巧的無感情のあらわれである九条の「建前」という語を受けてのことかもしれない。








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第43話/腕っぷしだけ



ジャック・ハンマー対花山薫、路上で開始!光成はいない。悔しがるだろうなあ。


開始早々、花山の拳がジャックの顔面にめりこむ。襲いかかるジャックを、ハンドポケットから抜いた手でカウンターで迎えうった感じである。花山は「持って生まれたもの」であり、そのぶんのアドバンテージを相殺するために、たいがい最初は無抵抗に技をもらう。それをせずいきなりカウンターというのはかなり珍しい。花山的に武蔵同様遠慮がいらない相手ということなのだろうか。


すばやく抜拳した感じでもあり、いつもの威力特化なパンチではない。だがあの岩のような拳だ。花山が小柄に見えるほどのジャックの巨体がふっとぶ。だが、ただ攻撃をくらったのではない。ジャックは噛道のマスターなのだ。殴られるなり歯を使ったらしく、花山の拳がぱっくりと割れている。花山が拳から血を出すのは木崎もはじめてみるという。たしかにあんまりないかもなあ。骨折はしてるけど。武蔵戦でも刀が食い込んでたが、ちょっとちがうよな。


ジャックは歯が無事であることをアピールする。ジャック的には、硬い拳と歯の比べ合いでもあるわけだ。しかしこのパンチはまだ花山薫らしさを出し切ったものではない。花山が両手をあげていつものあの構えになる。他人のスタイルにうといジャックも、花山の防御なし攻撃一本スタイルは聞いたことがあったらしい。競技ではない、腕っぷし比べとしての喧嘩のやりかただ。


そうして、からだを捻って繰り出された花山の一撃を、ジャックはまたも顔面にくらうのだった。




つづく



前回と同じような終わりかただ。ジャックは花山の神話的握力を認めた上でこれを噛み砕こうとするもので、だからあのように花山の出血と歯の無事を比較する。わざと食らってるぶぶんもあるのかもしれない。


ジャックが拳を噛み砕く、ということの文脈的な意味は、そこには同時に花山を認めるということが含まれているということにある。今回ジャックが、拳を裂きながら、歯は無事だとアピールしたのは、前に描かれた、花山の握力は花山じしんの拳を潰してしまうという「神話」を受けて、じゃあじぶんはそれを噛み砕く、としたことの流れのなかにある。「つぶれた拳を噛み砕く」という状況は、まず握力で拳が潰れるという状況に至っていなければ成り立たない。つまり、彼が歯でもって花山の拳に勝とうとすることは、同時に花山の「神話」を認めるということでもあるのである。


ジャックは基本的に彼以外のファイターを「エエカッコしい」と相対化する存在としていま現れた。そのニュアンスは、歓声を喜ぶ姿にもみえるように、ジャックじしんに「認められたい」という気持ちがあってこそのものであったから、ある種余裕のない態度で、いくぶん相手の否定を含むものだった。そこへ、花山である。花山は、ファイトの前に噛まずとも飲み込めるレバ刺しを送りつけることで、噛まない、つまりエエカッコしいなありかたもそんなに悪いものではないよと、レバ刺しの旨さを通じてエレガントに伝えたのだ。これは否定ではなく、提案だ。ジャックは、非エエカッコしいを否定されていない。だがエエカッコしいも悪くないと伝えられたことで、否定のニュアンスを大きく削がれたのである。これが、花山の「神話」をいったんは受け止めているいまの意識につながっているのだ。

直前のピクル戦は、ある意味花山戦への準備だったと考えられる。ピクルは、この世で唯一の「ジャック側」のファイター、非エエカッコしいの人物だった。ピクルとはエエカッコしいがいいのか悪いのかというような「文脈」ぬきにたたかうことができる。しかもこれはリベンジマッチだ。いわばピクル戦でジャックはプライドをたしかなものとし、同質のものの存在を通じて自身のありようの客観、また点検もできるようになったはずである。おそらくそれは余裕を生む。孤独は余裕を奪う。ピクルが笑顔で去っていったことには、そういう意味があったのだろう。このおかげで、ジャックは、キザな花山の「提案」を受け入れることができるようになったのだ。



最近の花山は着衣のままかまえることが多いが、もともとあの構えは花山が「花山薫」を殺し切ったあとに、いっさいのためらいが解消されたしるしとして、侠客立ちとともにあらわれるものだった。長くなるのでかいつまんで書くと、花山は「持って生まれたもの」で、そのやましさ、負い目がある。この負い目がすっかりなくなれば、迷いはなくなる。だからたいがいファイト開始時に彼はやたら技をもらう。そうして彼が、彼という原罪を、相手の攻撃を通じて滅ぼし切ったとき、花山薫の純粋体のようなものが露出する。それがパンチそのものと化した純粋行為体としての、あの振りかぶる花山である。ここにはもはや、ふつうの文章、ふつうの論理構造における主語や主体というものがない。述語しかない。花山が殴る、のではない。ただ「殴る」という現象だけが輪郭も明瞭に出現するのである。

そしてこの純粋行為体としての花山と侠客立ちの物語は響きあう。侠客立ちの物語は、“名もなき”博徒が、花山の祖先である少年を、背負った鐘に隠し、襲いくる盗賊から守り、しかも守ったまま死亡するというものだ。博徒には名前がない。誰でもない。ただ、“守る”という「述語」だけが、博徒が死亡し、この世からいなくなったのちまで現象する。見てわかるように、これは花山が自身を滅し、「述語」そのものになる構造と同一なのである。


こうしたわけで、あの両手をあげた構えと侠客立ち、つまり脱衣はほんらいセットだ。しかし、武蔵戦を最後に侠客立ちは描かれていない。大相撲体験でも花山は同じく着衣のまま構えていた。あのときも考えたが、花山はできた人間なので、TPOをわきまえている可能性はある。一般人が見ているところではそうそう入れ墨を見せないのだ。なにしろエエカッコしいだから。無意識かもしれないが、花山なりにファイトの本気度みたいなものがあって、なにがなんでも、死んでも勝つみたいなファイトもあれば、負けるつもりはないがすべてを無視していいというほどではない、というファイトもあるのかもしれない。たとえば武蔵戦は、まさに生死をかけたたたかいだったから、本気も本気で、路上でも最初からふんどしだった。ジャックについてはどこか楽しんでいる感じがある。そういう状況では、花山なりの常識が作用し、脱がずにすますということになるのかもしれない。










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第120審/日常の犯罪③



本誌発売より前、28日発売の九条の大罪14巻にすでに収録されている回です。こんなことあるんだな…



佐々木求馬にいっぱい飲まされて寝てしまい、知人の中川ゆめの家に泊めてもらうことにした曽我部。中川さんは女性だが、そういう関係ではなく、弱った野良犬でも入れるみたいに中川さんは曽我部を受け入れる。平気で薄着にもなっちゃう。

ベッドには子供が寝ている。曽我部は覚醒剤の売人として中川さんと知り合ったらしい。いまはやってないそうだが、リスカ痕の上側にはまだ生々しい注射のあとがある。テーブルの上にもぜんぜんいろいろあり、隠してもいない。

夜があけて、いやな予感がしたのか、帰り道に調べてみると、百井の顧客リストには中川さんの名前がしっかりあるのだった。


その足で曽我部が行うのは、公衆トイレで紙袋と金を入れ替える、求馬に頼まれたアルバイトである。紙袋のなかはスリの窃盗団が不要とする免許証の束だ。

それで作ったクレジットカードでスマホやゲームを爆買いしてこいとの指示である。いちおうこの件は百井も知ってるらしく、空き時間のみの手伝いということである。求馬は、曽我部がなにをしているかしっかり見てると脅しつつ、日給3万のうち2万「納税」するようにいうのだった。それを百井への借金にあてると。求馬はこんな感じのチンピラだが、百井にはあたまが上がらないっぽい。であるのに、その部下の曽我部を利用する。たぶん、百井がどういうつもりで曽我部を使っているか、わかっている(つもりな)のだろう。彼は裏切りを許さない。今回は別に裏切りではないが、その際に許されないのは求馬ではなく曽我部なのである。



九条と烏丸は久我から送られてきた毛蟹をさばこうとしている。いい感じに盛り付けもできたところで薬師前も呼んでいつもの屋上で食事会。薬師前はとなりのビルで働いてるのかってくらいいつも身軽にやってくるな。市田も呼んだそうだ。薬師前は酒もたくさん買ってきたが、九条が最初はビールみたいな保守的なことをいうので舌打ちする。


屋上生活の達人である九条がグラタンや寿司などちゃっちゃと用意するのが薬師前も楽しそう。寿司は、ポーション、お米の量が多いらしい。さらには炊き込みご飯。そばにいるブラサンはよだれダラダラだ。味がついてるからあげられない。


そこへ、薬師前のスマホにまた公衆電話から着信。薬師前の勘通り、相手は曽我部である。だが黙っているので、近くに九条もいるし、何かあるなら話せと薬師前はいう。曽我部は電話を切ってしまうが、とりあえず九条の存在をリマインドすることはできた。


薬師前の曽我部に対するいつもの大声にブラサンがビクッとする。身近に犯罪があるとまたすぐ罪を犯してしまうと、すでになにが起きつつあるか理解している九条はいうのだった。



つづく



次回は23号とのこと。


曽我部にとって母親か姉のような中川さんだったが、かつての、おそらく金本時代の客だったようである。そしていまもクスリをやめることはできていない。百井は対面ではなく郵送で届けるので、会わなかっただけなのかもしれない。

曽我部はそのことがこたえているっぽい。もともとは売人として知り合ったわけだが、いま中川さんには子どももいるし、曽我部としても、金本配下ではないのと郵送であるのとで、罪の意識が薄れて、それこそ「日常の犯罪」、日常に溶けこんだ犯罪になっており、実感がなくなっていたところ、やはりじぶんのしていることは「悪いこと」なんだということを突きつけられた感覚だろうか。百井がまたああいうタイプで、ぜんぜんチンピラっぽくはなく、ドライに薬物をさばいているのも効いてるだろう。曽我部はどこか、ほんとうに「ビジネス」をしているつもりになっていたのかもしれない。



九条サイドのやたら念入りに描かれた蟹描写、特に米が多いということについての言及はなんだろう。直前に求馬が税金のはなしをしているし、年貢のことのようにも思われる。日給3万で2万の納税はバカでかい。しかし、1万は残るわけで、日給1万と考えればごく標準的な額におもえる。なぜ曽我部の仕事が3万もするかというと、むろん、リスキーだからである。捕まるリスク、また優しい彼からすれば、中川さんのようなひとを薬漬けにするやましさ、こういうものに2万が払われているわけである。だからこれが標準の金額になると、太く短い成金人生はただの短い人生になってしまうのである。

この金は、求馬がおしおきとしてヤクザの久我から要求されたものだ。それを百井がかわりに払い、百井に借金しているかたちになった求馬が百井に払い、それは曽我部の金であると。税金ではなくともまさしく上納システムとなっているのだった。


もちろん、曽我部が求馬に納税しなければならない理由などないのだが、ここで奪われる2万は、いわばおもてに出せないお金だ。標準が1万としたとき、リスクをとって得たぶんが2万となるのだから、求馬の要求を、たとえば「不当」という言葉で退けることはできないのである。それをいうなら、そもそも曽我部が得たぶんが違法であり社会的には不当なのだから。これを拒もうとしたら、曽我部は求馬と同じ位置で、非弱者としてふるまうしかない。つまり、福利厚生的なものから離脱したアウトローしか、この要求を拒むことはできないのである。こうみると、論理の向きは逆だが、ただの恐喝ではなく、求馬の徴税は彼のなかで筋が通っている可能性がある。あの2万は、社会的保障の外で、単独で生きることのできる無法者しか手にとることのできない金なのだ。そうではない曽我部からは奪うべきであると、こんな理屈が、はっきり意識されていないとしても、求馬のなかにはあるのかもしれない。











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第42話/邂逅



ジャックが自宅の鏡でピクルにやられた傷の治りを確認している。傷が癒えるころ、花山とたたかうという約束だったからだ。


組みついたピクルが足の爪を立ててジャックの腹を駆けるようにしてつけた複雑な縦の傷と、手の爪で水平に裂いた横向きの傷だが、塞がったようだ。かなりぱっくりいってたはずだが、アミノ酸とビタミンを大量にとったということだ。はやくたたかいたいから。そっか、ステーキと赤ワインじゃないのか…。


完治したジャックが街を歩く。それをホテルマンばりの丁寧さで迎えるのは木崎である。そういえば、彼の名は久一郎だった。この間のレバ刺しに添えられた名刺で判明した。

ジャックは名前でレバ刺しのひとだとわかったらしい。こういう反応とか、ジャックっておもいのほか「ふつう」で、好感がもてる。

で、怪我のほうはどうかと、すぐに木崎がはなしをすすめる。ジャックは意を汲む。やっていいならいますぐにでも。


というわけで車で移動。たいがいの車ではジャックにはせまそうだが、身長にかんしては足が伸びただけだから、座るぶんにはそうでもないのかもしれない。


ジャックは、花山の意図を木崎を通じて探る。回復は今日だと、指折り数えて待っているらしい。そんな予測できるのかな。そして治っているならもはや待つこともない。だいたい、いわゆる「試合」は苦手である。というわけで、ストリートで「喧嘩」なのである。


たしかに花山が待っていた場所は路上だ。花山は街をしきる側で、一般人への迷惑もわりと考えるタイプだ。とはいえ、じゃあ試合場でやれよというはなしになるので、観衆もこみの喧嘩というステージを好む、といったところだろうか。


まず急に呼びつけたことを謝り、始まってから警察がくるまで5分くらいと花山はいう。花山が致命傷を負っても助かるという意味でじゅうぶんだとジャックはいう。が、じっさい花山はそういう配慮をしている可能性がある。このクラスのファイターが5分以上たたかったら、どちらかが死んでしまうかもしれないからだ。

(花山とジャックでそれぞれ“じゅうぶん”の表記が「十分」と「充分」で異なっているが、たぶん、ただの校正ミスか、もしくは逆に、ジャックは日本語をしゃべっているためにカタカナ表記になっており、その文字構成やバランスを考えた校正上の決定だろう。両者に意味のちがいはない)


とびかかるジャック。だがその顔面にいきなり花山の拳がめり込むのだった。




つづく



花山が出てくるとはなしが動き出すなあ…


こんなに思想上の相違点が多いふたりなのに、ファイトについての考えかたはよく似ているみたい。ジャックも、ほとんど会話もしたことのない花山の意図がよくわかるようだ。これはなにを意味するかというと、思想上のちがいが、実践的な場面ではさほどのちがいを生まないということだ。それもそうだろう。ボクシングの試合で、相手が保守かリベラルかって、ボクシングにはなんにも関係ないのだ。ではなぜ彼らはジャックのありようにここまで動揺し、じしんのありかたを点検し、正しいと示そうとしたりしなかったりするのか。むろん、「関係ない」と切り捨てられないぶぶんがあるからである。それはどこかというと、一周して戻ってくるわけだが、「強さ」なのである。


彼らは、強くあろうとするものである。そのために、先人に学び、じしんの身体や技を練磨し、方法を探る。つまり、彼らには「こうすれば強くなれる(はず)」という、確信の伴った手順があるのである。

ジャックの噛道の完成は、しかし彼らのありかたを「エエカッコしい」に一元化する。強さとは相対的なものであり、特に、精神論ではない、対面でのファイトでそれを決する彼らは、そこに唯一無二性を求める。にもかかわらず、ジャックの前で彼らは、少なくともその「強くなる過程」において、ひとまとまりに扱われてしまう。これが彼らの動揺の正体だろう。ただ、それだけなら、勇次郎がしているようなしかたでこころを折るということはない。勇次郎もまた相手の無二性を否定することでファイターを引退させてきたが、そこまでにはなっていない。なぜなっていないか。まだジャックが地上最強ではないからである。つまり、エエカッコしいのファイターは、思想上の相違点が強さそのものに結びつくとして、それでもじぶんのほうが強いと示せなければ、その唯一無二性を損なわれてしまうのである。


ジャックと花山はファイトへのかかわりかたが似てはいるが、美学面では大きく異なっている。ここで花山は、レバ刺しを通じ、エレガントな手つきで「エエカッコしいも悪くない」ということを告げる。じっさいにはじぶんのほうが強いということを示さなければならないが、それは否定的なものではなく、「こっちも悪くない」という提案なのだということを、花山は前もってレバ刺しで伝えたわけだ。対してジャックは、握りつぶされた拳を噛み砕くことで花山の自覚を揺さぶる。本気で握れば拳がつぶれる、という神話を噛み砕くとする以上、ジャックもまた花山を否定してはいない。そういう神秘もあると認めなければ、「潰れた拳を噛み砕く」という状況にはならないからだ。しかしジャックは別に提案はしないだろう。ただじぶんのほうが強いと伝えれば良い。それでじゅうぶんなのだ。ただそれだけで、エエカッコしいとひとまとまりにされたものたちは唯一無二性を傷つけられるからである。花山は、勇次郎にあんな目にあわされたこともあるし、たぶんそんなことで人間が変わることもないだろうが、自分も含めたファイターぜんたいについて、微量の危機感のようなものを感じているからこそ、ある種示談のように、レバ刺しを送ったのかもしれない。彼はヤクザなのである。




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