すっぴんマスター -9ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第47話/握と嚙




格闘ロマンに魅せられるものたちすべてのアイドル、大山倍達のエピソードである。

故大山総裁は、ことあるごとに語っていた。人差し指と中指に10円硬貨をのせ、それを親指でへし曲げることができると。そして、それくらいの指のちからがあれば、相手の耳や鼻をもぎとることができると。ぼくは語りで目撃したことはないが、著書では何度も読んだことがある。だいたい、指立て伏せの効用についての流れで語られていた。まず、人差し指と親指の、二本指での指立て伏せを行う。これが100回できるようになると、今度はそれで逆立ちができるようになる。そうなると、10円玉が曲げられるようになっているし、耳や鼻をとることができるようになっていると。10代のぼくはそれを読むたび、もぎ取ったことがあるんだなあ…と思っていたものだ。


ただ、これは大山総裁にとっては素人向けの表現というか、もぎ取ることが目的ではなかったと思われる。もちろん「指のちからが強い」はそれだけで強力な武器になるが、指立ては手自体を鍛え、また拳をかたく握るために行うもので、もぎ取るくだりは鮮烈なイメージを呼ぶ副作用的なものだったのではないかな。


頬をむしりとられ、いいのをもらって仰向けに倒れるジャック。意識はある。花山が彼に、いつものように、できるかと訊ねる。

花山が間近に立っているからチャンスだ。ジャックは少し笑ってからすばやく身を動かして花山の右足にからみつく。足も使って完全にからだを固定している。そしてスネのあたりを噛む。花山は痛くないのかよ。特に反応はない。


ゆっくりと、からみつくジャックの左足、スネの部分に花山の左手が伸びる。木崎は、大山総裁がコインを曲げる以上に捻じ曲がった500円玉を思い出している。あのちからでちぎっては投げ、ちぎっては投げ…。今度は指をすべて使い、肉をわしづかみにしたのだ。そしてやはりむしりとる。

今回もジャックは絶叫。噛みつきも外れてしまうのだった。



つづく



ちぎっては投げって意味がちがうだろ…


ジャックの噛みつきだが、花山があまりダメージを受けていないようなのが気になる。花山のタフネスゆえなのかもいまいち判断がつかない感じだ。ただ、かみちぎるまでいっていないというのは大きいかもしれない。刃物で刺された程度の損傷で済んでおり、花山はそういう痛みには慣れっこというわけだ。


握撃も強力だが、ただつねる、わしづかみにするというだけの行為が、花山の握力を経由するとこれだけ強力な技になるのである。

しかしやはり気になるのは、ここまで強力で、特に用意も必要なく、いつどんなときでもできる攻撃を、なぜいままで彼はしてこなかったのかということだ。つまり、おそらく花山は、通常のファイトではこの行為を封印する傾向があり、今回はそうではないのだということだ。

では、今回のファイトは、なにが通常と異なっているか。ふたりはこれをただのケンカとして行うため、ストリートで戦っている。しかしそれはいかにもわざとらしい感じがしないでもない。「ケンカ」という様式が感じられるというか、突発的ではもちろんないし、なにか花山による舞台、演出という感じがするのである。ジャックは、花山の書いた台本で「ケンカ」をさせられているのではないか。


そういえば、今回のたたかいでは、じしんの「負い目」を帳消しにするための自罰的行為を、花山はとっていない。これは大相撲戦もそうだった。あれも、なにか舞台、演出という感じがあった。ただしその台本は「対大相撲」のものであり、様式美で成り立つ大相撲に一定の敬意を払ったうえでのものに感じられた。花山が強者として生まれた原罪を抹消しようとするのは、勝つためだ。そうやって「花山薫」が滅せられたとき、主体としての彼は消失し、名もなき博徒が死んだあとでも少年を守ったように、自律する述語として強力無比なパンチが放たれるのである。つまり、それをしないとき、彼は、もちろん負けてもいいとおもうはずはないが、少なくともなんとしても勝つというふうには考えていないのである。歌舞伎町の「人間関係」のなかに生きる彼らしいマインドといえるかもしれない。もちろん最後には勝つ、勝つけど、それより微妙に優先されるものがあることがある。たとえば大相撲への敬意であり、ジャックへの「エエカッコしいも悪くないよ」という提案だ。こういうとき、彼は滅私をしないのである。


つまり、このファイトで花山は、通常葬り去る「強者としての花山」を生かしたままでいるのだ。見たように、もし勝とうとするなら、これではいけない。少なくとも花山はそう考えているし、じっさい主語を欠いた透明な一撃を行う花山は仏の目をしており、武蔵をも驚嘆させる。だがいまはちがう。ある意味わがままに持っているものをばんばん使う。こうして、ふだんは見られないつかみ技が現れているのである。


となると、花山にとってこのファイトは接待である。ジャックが勝つには、一矢報いるには、ニコニコ接待する彼から本音を引き出さなければならない。なんかもう終わりそうだけど、少なくともなにかを学んでから終わってほしい。



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第46話/まだまだ



ジャックがついに噛みつきを実行!

花山の左上腕に深々と噛み付く。

ジャックのこめかみや首にはたくさん血管が浮き上がっている。けっこう力んでいるっぽい。かたいのかな。


いつもの後日インタビューに答える木崎である。こうやってやるのか、というのはあったけど、噛みつきじたいには驚かなかった。聞いてたから。ただ、ジャックを立派には感じた。人間は無意識にカッコつける。ウンコをぶつければ勝てるとしても、それはしない。カッコわるいから。木崎がヤクザの鋭い面構えでウンコのはなしをしてるのはかなりおもしろい。そしてわかりやすい。さすが国立大卒!花山になんとか常識を身につけさせている男!わかりやすく説明することに慣れている感じがする。


誰もが知る弱者の手段をやってのける「行動爆破」には男らしささえ感じてしまう。だが、木崎には不安はない。これは喧嘩だから。花山に負けはないと。後日談でこの態度なのだから、花山は負けなかったのだろう。勝ったわけでもなさそうだが。


噛みつきで花山の左腕がごっそりやられている、が、噛みちぎったのかどうかはよくわからない。出血しているだけかもしれない。

そして現場の路上にはジャックの悲鳴が響く。人生最大の大声を出しているのではないかな。涼しい顔で花山がジャックの頬をつねっているのである。太ももをつねられたスペックもすごく叫んでいた。痛いんだろうな。

そしてやはりスペック同様、花山は頬をむしりとってしまう。これ、ほとんどどんな状況でもできる技だし、しかもこの効果である、花山はもっと使っていけばいいのではないかな。


やれるかい、と問われ、膝をついたまま?ハイキックを繰り出すジャックを花山が殴る。このダメージはでかいらしい。しかも左手である。噛みつきによる損傷は少なくとも機能には影響がないらしい。


引き続きできるかと訊ねる花山にジャックは倒れながらも少し笑う。現場にはすでに警察がきている。警察がきたら終わりかと思われたが、なぜかいる園田が、まだまだだということで、ファイトは続くのだった。



つづく



タイトルは「まだまだ」となっているが、これは園田のセリフだったというわけだ。まあ、実際「まだまだ」ではあるんだろうけど、園田が決めるなよ…


シンプルかつ屈指の効果を生むつねりである。しかし、冷静に考えると「つねる」もどっちかっていうとちょっとカッコ悪い攻撃だ。子ども時代、それも小学校に入る前くらいの喧嘩でしたりされたりという記憶がある。花山が超握力とともにやるからよいのであって… 

でも、美学対決になっているこのたたかいでやるからには、花山はこれを特にカッコ悪いとは思ってないのだろう。ただつねるだけでももちろん痛いが、痛みに強いジャックにあそこまで悲鳴を上げさせるのは、花山だからだ。つまり、花山はただ持ち味を活かしているだけなのである。そして、ジャックが噛みつきをするのとはちがう意味で、つまりふつうはやろうとしても不可能であるという意味で、あんなふうに肉を引きちぎったりはできない。「ただし花山に限る」という意味で、これはカッコいいのかも。

とすると、カッコつけるとかカッコ悪いというのは、どういうところから生まれてくるのだろい。花山や、美学をもって強さにつなげている独歩や渋川といったひとたちを考えると、ある種の行動モデルが脳裏にはあって、そこからはずれていないかどうかが基準になっていると思われる。たとえば独歩なら、武器は素手か、道具を使うとしてもせいぜい身につけているものに限定し、そこにこだわっている。彼はそれを「カッコいい」とは、たぶん考えていない。考えているかもしれないが、大学一年生が着る服に悩むときのように「カッコよさ」について考えているわけではないだろう。しかし、そのルールから逸脱することが「カッコ悪い」という意識はおそらくある。「エエカッコしい」が美学に支えられるとしても、独歩の場合はそれが失われているとき明瞭になるもので、つまり二次的、相対的なのだ。

対して花山は逆と思われる。彼にも行動モデルはある。そしてそこからの逸脱は「カッコ悪い」はずだ。だがそのときまで花山が彼の美学に無自覚であるということはない。その以前から、花山には「こうでなくてはならない」という規範があるのである。そう考えると、「エエカッコしい」にもふたつのタイプがあるとわかる。「行動モデル」は誰にもある。いっぽうは、独歩のように、少なくともカッコいいかどうかが前景化してはいないという意味で、そこからの逸脱をカッコ悪いとするもの、たほうが、花山のように、行動モデルにしたがうことそれじたいに美を見出すものなのだ。

以上の議論は完全にぼくの主観で、イメージで書いていることだから、独歩・花山について異論のあるかたもおられよう。だが、「エエカッコしい」に2種類あるであろうことはおそらくまちがいない。花山にとっては、その行動モデルに「つねり」はじゅうぶん含まれるのだと、それだけのはなしだろう。


ではジャックはどうだろう。エエカッコしいのアンチテーゼである彼なのだから、彼は行動モデルをもたないことになる。噛道は、「道」になっている以上、ある種の普遍性を備えている。できるかどうかはともかくとして、ジャックの弟子になれば、明日からでもわたしたちは噛道を学べる。ここにはモデルが存在している。なにものでもないものの文体、零度のエクリチュールを求めた思想家のロラン・バルトは、同時代人のアルベール・カミュにそれを見出したが、時を経てそれもやがてはカミュの文体として温度を帯び始めていく。同じように、逸脱の象徴ともいえる噛みつきも、やがては「行動モデル」と化していくだろう。それはジャックじしんにもっともはやく訪れる変化だ。ひとことでいえば、「カッコつけないというカッコつけ」が、その行動を選んだ瞬間からはじまるのである。


ではジャックの非エエカッコしいは実現することのないものなのか? 「いま」の正確な時刻を言い当てることができないように、それは、現れるなり消えてしまうものなのか。それはそうなのかもしれない。だが、それでもジャックのユニークさは揺るがない。なぜなら、ジャックのスタイルは、噛みつきという現象にとどまらず、その心性を表現したものだからである。「噛道」は、非エエカッコしいである彼が現象させたひとつの結果でしかない。それがよくわかるのが今回の悲鳴である。あれは、ひたすらにつねりが痛かったから出たものにはちがいない。だがこれを、彼の本質的な逸脱性のあらわれとみても、そう遠くはないはずだ。


そして「悲鳴」といえば、ジャックの母であるジェーンが、勇次郎に上げさせられて、それこそ女性、非男性の証明であるなどといわれていた件を想起させる。ジャックの噛みつきという選択は、男性であること女性であることそれぞれがもたらすジェンダーロール、すなわち「行動モデル」からの逸脱を象徴する。彼があのように、なんなら「女のように」悲鳴をあげること、そしてそれをがまんしないことは、勇次郎の言説が無効であることを示すだろう。ある意味今回の悲鳴は、彼が本質的に逸脱者であり、噛みつきがどうとかいう以前に根っからの「非エエカッコしい」であることを、母の悲しいエピソードに上書きするかたちで示すのである。










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第123審/日常の犯罪




今日は烏丸の父の命日。だがその前に薬師前も呼んで屋上で宴会。

薬師前は、加害者が不起訴でも、通り魔にあった長女の母親に遺族給付金は出るか、ということを聞いている。故意の犯罪被害なら出るということで、薬師前はこの仕事を九条にたのもうとするが、烏丸がやりたいと言い出す。母親が苦労しているのをみてきたから、助けになりたいのだ。加害者が不起訴になった理由を調べてみるという。

薬師前はいっぽうで連絡のない曽我部が気になる。連絡しようとはしてるっぽいが、なにもいわずに電話を切ってしまうみたいなことが続いているのだ。闇バイトとかしてないかなと心配なのだ。


その曽我部は百井にいわれてグロワーの仕事だ。いわれた場所はぼろいアパートで、マリファナを育てているとはとても想像できない。同じくドアの前だが、上下のコマで曽我部のいる場所がちがう。信じられなくてうろうろしたっぽい。

監視カメラで様子をみていたのらが曽我部を入れる。入るなり緊張して噛みながら挨拶する曽我部に、落ち着いた雰囲気ののらはまず鍵をしめるようにいう。これからもだ。入ったら鍵。曽我部のトレーニング開始だ。

用意してあった作業着に着替え、曽我部は説明を受ける。LEDライトで昼夜を、エアコンで季節を作るが、自動なのでこれには曽我部は触れない。扇風機で適当なストレスを与える、のは曽我部もやる仕事なのかな。人間と同じでそのほうが強くなるという。


商品は曽我部もたまげる美品だ。香りもいいらしい。徹底的に研究してここまでにしたと、少しこころを開いた様子でのらがいう。ちなみに、マリファナはメス株しか商品にならないから、女の気持ちは女にわかる、などという他愛ないセリフでのらは女性だとはっきりした。こういうビジュアルの男性、いまは珍しくないからな。


曽我部はここに1週間こもって収穫と仕分け。買い出しに出かけるのはいいがそのたびに連絡、ウーバーなど使わないように言われる。さらに、念押しのように、部外者を入れないようにとのらは釘を刺す。ほとんど前フリである。監視はしてるみたいだけど。


曽我部を残してのらと百井が会う。のらの曽我部の印象は悪くなさそう。

のらは都内7ヶ所に栽培部屋があり、売上は2億になるという。だがそろそろ足を洗って、マリファナが合法のタイにでもいって世界ランクを目指したいそうだ。だから日本は百井に引き継がせたい。百井は少し考えるという。


のらは元自衛官だそうだ。その退職金でグロワーを始めた。簡潔な物言いは前職のせいなわけである。ミサイルは打てるけどなんのスキルも資格もない自衛官が稼ごうとしたら、いちばん近道はこれだったと。

最初はモネロで海外から買っていた。対面で、互いに警戒しながら、ヒップホップかぶれの24歳ヤンキーに50グラム20万で売ったと。

のらは、近くにいる魚を見ながら、せまい世界観のなかに生きるものを語る。水槽が全世界な彼らは、ただ降ってくるエサを食べるだけで、生きることに鈍感。あとはより大きな魚のえさになるだけ。「宇宙の支配者」としてひとコマ描かれる男は24歳ヤンキーにちょっと似てるが、関係ないだろう。よくみるとふたりは公園などではなく、ホームセンターかペットショップかわからないが、魚や水槽を売っているところにいる。そこにいた客を見ながらいっているのだ。魚には水槽が全世界だが、それを支配する支配者があんな雇われの疲弊したやつだとわかったら死にたくなると。そしてその支配者もまた、ただ生きてただ死んでゆく。ルール違反でもじぶんの考えかたで生きた方がいい。


黙々と作業する曽我部。その家をなにものかが訪れる。強く叩かれるドアに、曽我部はビクつくのだった。



つづく



ドアのまんなかにあるやつってインターホンだよな?わざわざビクつかせるためにドア叩くってことは、のらがテスト気味にきた感じかな。


のらは珍しく強者側の女性ということのようだ。ウシジマくんの映画ではファンタジーとして滑皮ポジションに女性が配されたが、本編では意外となかったタイプの人物だ。

だがそれも、百井によれば、ヤクザや警察に目をつけられてしまえばおしまいだ。なぜおしまいかというと、ルール違反、法令違反をしているからである。げんに宇治や出雲はそのつもりだ。警察は違反者をとりしまる。ヤクザは、違反者を弱みのあるものとして奴隷にする。百井のいうような未来しか彼らの未来に待っていないのだとしたら、結局「支配者」は「より大きな魚」であることになる。のらは馬鹿ではなさそうなので、もちろんそういうことは理解しているだろう。それでもじぶんの考えかたに従ったほうが良いというはなしだ。つまりポイントは、支配されているかどうかではなく、主体性なのだ。そして、そのような「食う/食われる」の原理が見えているかどうかということである。水槽の外が想像できるのとできないのとでは、ただ食われるにしても意味が異なるのだろう。


では、わたしたちはどんなときから水槽の外が想像できるようになるのか。というか、どうやってわたしたちは、じぶんのいる場所が水槽であると知るのか。むろん、じぶんより小さな水槽をのぞきこむことによってである。水槽を全世界であると信じるものを目撃してからである。のらが、しょぼいヒップホップかぶれの客について語り、目についたさえない男をディスるのは、そうした立ち位置がはじめて彼女に水槽の外を理解させたからなのだ。


しかし、みずからの考えに従い、選び取る生き方は、そんなにすばらしいものだろうか。映画マトリックスでも、世界が仮想現実だと知ったのち、すべてを忘れてそこへ戻ろうとする人物はいた。彼(サイファーという小狡い男)が挫折したのは「現実」の厳しさが原因だったろうが、「現実」を知ったものに必ず訪れる徒労感というものもある。それは、ある種の「体感」、つまり水槽の壁の存在を認識し、その外側、つまり「現実」があることを知ってしまうということは、その「体感」そのものがまったく信用できないものだと知ってしまうことなのである。いままで全世界だと思っていたものが実は水槽だと知らされたとして、ではわたしたちどうやってその水槽の外側がどうぶつの森の世界ではないと信じればいいのか。水槽を全世界だと信じるものが目の前に泳いでいる事実が、わたしたちのその「現実」も揺さぶってしまうのである。

だから、のらのように世のことわり知ったつもりになり、しかもそれを思弁ではなく行動や財産において結果として求めるものは、止まることができなくなる。結局は彼女も、どん詰まりでヤクザか警察にぶつかるのだ。彼女はそれを悟っているから、いまタイへの移住を考えている。膨らむ現実が障害物に接触しないところを探すのである。








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第45話/「甘い、嘗めるな」




花山の一撃をまともにくらうも、曲がった歯を指で治してこともなげに立ち上がるジャック。花山の構えをみて、「格闘技」というものに思いを馳せる。


古くは角力、そして古代オリンピックまでさかのぼることのできる格闘にかんする技術体系だが、防御技術を備えないものはない。しかし花山は、防御をしないどころではない。防御をしていない、防ぐ気がないことを積極的に相手に伝えようとしているんじゃないかというほどのノーガードである。一見すると両手ををあげた、いわゆるガードのようでもある。だが、花山の腕は、以前よりもさらに肘を上げたものに変化していっている。ただ握った拳をあげているだけでなく、いまから放つぞという意志をより強く孕むものになっているのだ。

それは、ひたすらに「腕っぷし」を比べるのが花山にとってのファイトだからだ。どっちの肉体が上なのか。どっちが「強い漢(ガイ)」なのか。ただそれだけなのだ。


当たる距離とはおもえない位置から伸びてくるジャックのジャブ、そしてアッパー、ボディへの軽い突き。花山はそのすべてを任務であるかのようにもらっていく。腕をとった柔道のような美しい投げも、花山はまともに受け、顔面をしたたかに地面に打ちつける。ジャックは花山を思春期の少女のようだと考える。メープルシロップのように甘い、非現実的な幻想。「漢比べ」は結構だ。だが、じぶんは勝つために技術を使う。


投げからまたやはりむくりと起き上がる花山の背後をとり、耳元で「格闘技に謝罪(あや)まれ」とつぶやき、最近は噛みつきに次ぐ得意技になっていると思われるスープレックス。後頭部を打ちつけられる花山。目をつぶってるな。


ジャックは、花山を押さえ込んだまま、最新の闘争術を見せるとして、花山の左腕にかぶりつくのだった。



つづく



互いに美学があって、よく噛み合ったいいファイトだな…

ジャックはまた服の上から噛みつきをしている。ジャックは、勇次郎から注意されていたにもかかわらず本部にそれをやって歯をぜんぶもっていかれたことがあるが、本部がいまのじぶんにさせたみたいなことも言っていた。あれはただ「丈夫な歯」のことを言っているものと思われたが、今回このようにまた服の上から噛み、前回の指で治すくだりも含むと、なんらかの対策をしてあるのかもしれない。たとえば、逆に抜けやすくすることによりダメージをなくすとか、歯がなくても有効な噛みつき技があるとか…。たぶんあんまり考えてないんだとおもうけど。


ジャックは花山の握撃のことを知っているだろうか。片手が封じられているからはさみつぶすことはできないが、やろうとすればなんでもできる。いちどだけ花山もやっていたことがあるが、たとえばこの位置なら眼窩に親指を入れられるだろう。最近はそういうことあんまりしないけど。あとはやっぱりつねりだろうな。


ジャックは花山を思春期の少女と呼ぶ。非現実な幻想にまどろむ甘ったれだということだ。強さ比べをするなら自分は技術を用いる。まさに強さ比べのために先人が築き上げてきたその体系を、花山は甘く見ている。そうでなければそれを使わないばかりか、使ってくる相手に勝とうなどとはおもわないからだ。だから、謝れという。

ここまで感傷的ではないにしても、このくだりはジャックのステロイド観に似ているところがある。それを使えば強くなる、勝てる。それがわかっているのになぜ使わない?と、こういうはなしだ。一般的には、からだを蝕むものであるとか、あるいは、それがあまり一般的ではない文脈では相手がそれを使っていない以上卑怯な感じがして憚られるとかいうはなしになり、「いま」勝てるかどうかしか考えていないジャックとは、この話題では対話が成立しない。だがそれを超えたところでは、これについて有効な言説もないではない。たとえば刃牙は、最大トーナメント決勝前に、それで強くなれるとおもうんなら使ったらいいということを言っていた。つまり、刃牙もジャックのやりかたを否定してはいないのだ。でもじぶんはしない。むろん、それよりも有効な方法を知っている(と確信している)からだ。

これとまたよく似た言説には、武器の使用についてのものがある。たとえばドイルは、ストライダムにこういう武器を使われたらどうするか、ずるいと感じないか的なことをいわれ、不思議そうな顔をしながら、それで勝てるとおもうなら使えばいいじゃないかということを言っていた。


このようにして、それぞれにある格闘観は、「それをしたら勝てる」とおもうから、採用されているのである。それは花山もあまり変わらない。あまり、としたのは、彼は生まれたときから強者であり、またその強い自覚があるから、ただ勝つにしてもふつうとはちがう認識のしかたをしている可能性があるからだ。でも、なるべく負けようとしている、なんてことはないはずである。なにしろ勝つために、花山にはしなければならないことがある。ガードをしない、相手からの攻撃というメッセージはぜんぶ受け取る、そうして「持って生まれたもの」としての原罪を中和する。花山薫を構成するものがすべて葬られたとき、「名もなき博徒」が死んだまま「守る」動作を続けたように、ただ述語のみの動作体になる。もはやその段階では「花山が殴る」のではない、「殴る」だけが自律して動いているのである。こうなってからようやく花山は勝ちを願える。そしてその、純度100パーセントのパンチは強力無比である。だとするなら、花山の意志はともかく、結果としては、やはり彼もまた「こうすれば勝てる」を選んでいるのである。


長時間のトレーニング、高負荷高回数、大量の薬、骨延長と、ひたすらに「量」をもって強さを獲得してきたジャックに、東洋的な引き算の美学すら感じられる花山のありようが理解できないのはしかたがないのだろう。そして、たとえばそれが西洋的な量の増大、経済学や、ベートーベン的な、物語にクライマックスを想定する価値観(バッハやモーツァルトの音楽にクライマックス、あるいは現代歌謡でいうサビのようなものはない)を是とする空間では、ジャック的なものはたしかに勝ちに結びつくかもしれない。その「勝ち」とは、当の空間が設定するものだからだ。しかし、とりわけ花山の宿すものは量を比べ合うようなシンプルな価値観ではない。強さ比べじたいはシンプルなものかもしれない。だがそこには「強さとはなにか」という問いすら含まれているのである。








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第122審/日常の犯罪⑤



父親の命日ということで母親のもとに向かう予定の烏丸だが、その前に九条と飲むことにする。といってもいつもの屋上だが。

ここは事務所の上だったのか。九条が住んでいたとこと様子がちがうからわからなかった。引っ越したんだっけ?

そして、いつものように薬師前もいる。17時過ぎだとしても、薬師前は付き合いいいよな。すごい近くで働いてるのかな。


今の仕事をしていなかったらなにになりたかったか、という他愛ない話題で、九条は寿司職人とこたえる。超うそくさい、絶対いま考えたやつだろ。

烏丸は昆虫学者、薬師前はフードファイター。と言ってもたくさん食べられないから配信者でいい。

烏丸はこれから母親のところに行くわけだが、急く様子がない。ずっとふさぎこんでるから乗り気じゃないのだ。



久我と曽我部。久我が曽我部から大麻をもらっている。いいネタらしい。

ふたりは刑務所ボケのはなしでだいぶ盛り上がる。久我はヤクザになったし、曽我部とは立ち位置がちがうが、刑務所のはなしではシンパシーが感じられてなんか楽しそう。

刑務所では、ドアを開けるのも、落としたものを拾うのも、いちいち看守の許可が必要だ。それに慣れてしまうから、外に出ていろいろとぼけたことをしてしまう。みんな有利になりたいから刑務官に近い計算係や衛生係をやりたがると。

曽我部が、刑務所でいじめられていたはなしをする。看守にみえないところで工具を足に刺してくると。叫んでも飛び上がっても懲罰なのでがまんするさまを見て楽しんでいたらしい。きちんと説明して証明できても懲罰なのかな。

しかし吐きだめに鶴、助けてくれたひとがいた。目つきの悪い、まわりから一目置かれてた感じの人物で、おそらく、手は出さずくちだけで刺すのをやめさせたっぽい。すると看守が10人もやってきてはがいじめ、拘束衣を着せられて10日も独房に入れられたが、黙って耐えていたらしい。無断離席ということらしいが、以上な対応である。管理者がふだんから危険視していたということだろう。

うわさではどこかの組のえらいひと。観音の刺青だったと。京極なのだった。


受け取った大麻を久我が宇治に渡している。

百井、のらのグループは、久我の勘ではなかなかよさげである。もとは京極が面倒を見ていたが、出雲がかわりにケツモチをするみたいなはなしが出ているところだ。同じ組だし、ややこしくはならないのかもしれないが、宇治はこれをぜんぶ奴隷にして奪うつもりだ。


ついでに久我は、曽我部から聞いたヤクザもののはなしも伝える。たぶん京極だと。嫌な性格だがそういうとこあると、宇治すら認めざるを得ない男っぷりである。



このはなしを、ふたりの男が盗聴している。ひとりは出雲だが、もうひとりは誰だ?嵐山かと思ったが、ヒゲがあるな…。

いちど借りた宇治の車にGPSと盗聴器をしかけたというはなしだったから、それで拾ってるのかな。すぐ後ろが車だし。


京極の男っぷりに感涙しつつ、気持ちを切り替え、出雲は宇治より先に百井らを奴隷にすると決めるのだった。



つづく



出雲は、百井が舐め腐っていると言っているのだが、なにに怒っているのだろう…。なんで出雲を通さずに曽我部と久我がやりとりしてんの?みたいなことなのかな…。


京極はどういうおもいで刑に服しているのだろう。壬生の策略で捕まった京極だが、彼にとって深刻だったのは、壬生の計画通りに動いた雁金によって伏見組から絶縁されてしまったことだ。もちろん京極はなにものかの策略であることを見抜いている。たぶんそれが壬生であることもわかっている。しかしそれとは別に、組織に属し、尊敬し尊敬される上下関係のなかに生きてきた京極にとって絶縁のもたらした精神的ダメージは大きかったはずだ。


京極はかつて、壬生ら半グレとヤクザのちがいについて、道理を説いたことがある。利益や将来の見通しではなく、ひとや世のあるべき姿というものにしたがうというスタンスなのだ。

彼はまた、尊敬する親分の死に際を「人事を尽くして天命を待つ」と表現していた。そういう親分を、彼は尊敬している。ちからを出し尽くし、やるべきことをやって、あとは「天」が与える宿命をまっとうする、こういう面も彼にはあるのだ。


中国思想の「天」という概念は、中国人として育ち、これを生活レベルで内面化してこなかったものにとっては意外と理解が難しく、たとえば西洋なら似た概念としての「神」などをここによせて推測するしかないものだが、ともあれ、ここで問題になるのは道理をわきまえた京極はいまどうあるべきなのかということだ。彼は人事を尽くしたつもりではあったろう。としたらいまの命運も、親分が死を受け入れたように、黙って引き受けなければならない。だが当初絶縁を伝えられたときの彼の反応はとてもそのようなものには見えなかった。あれを一時的な怒りによるものとみるかどうかで読み方は変わってくるが、ここでは、彼はいまも納得はしていないものと考える。というのは、京極にとっての壬生のようなもの、つまり道理をわきまえないものは、存在すべきではないものだからだ。道理のあるところに天はかざす。だが、じぶんを陥れたものはそうではないのである。そこに天命はない。また、それはじしんが天命をまっとうしようとする道を阻むだろう。だからほんらいは排除対象なのである。


しかし、それはともかくとして、いまじぶんはこうして捕まっている。京極のふるまい、山城が証言するじぶんを律した毎日や曽我部に対する義の敢行からは、「人事を尽くす」という哲学がみてとれる。じぶんがこうなっているのは、天に背くものの行為によるものなのであるから天命とはいえない。だから受け入れられない。しかし、そうしたノイズを引き寄せてしまったこともまた事実である。だとすれば、これもまたある種の天命といえるのではないか。おそらく京極の境地はこんなところだ。だとしたらどうすべきか。なぜこうなったのか?「人事を尽くす」が足りなかったのである。「なすべきことなす」ができていなかったのである。天はよい結果をもたらすことを約束する機関ではない。たんに「説明」するものだ。こういうことを京極は悟った。それなら、引き続き、やれることをやり続けるしかないのである。

しかし、やはり壬生への怒りは保存されているとは思われる。京極からすれば、逆走してきた車をよけようとして事故ったようなものだ。たんに悪事が暴かれて捕まるだけならそれも天命といえたかもしれない。しかしそうではない。尽くし足りなかったのだとしても、だからといって悪い結果も受け入れなければならないということにはならないのである。









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