すっぴんマスター -9ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第118審/日常の犯罪①



さらっと副題が変わっている。「最悪の駆引」は出雲の紹介回だったか。

車の小さなトラブルで久我にからみ、逆に拘束されている佐々木求馬。どこまでほんとうなのか、伏見組がケツモチだということで、いろいろ悪さしていたらしい。それを久我に詰められ、300万要求されて、いま曽我部が世話になっている友人の百井に電話で泣きついているところだ。ちなみに百井は出雲の息がかかっている。

百井は悪態をつくが払ってはくれるらしい。大声を出す百井に曽我部はビクつく。そして、電話がかかってきたことでなしになったかとおもわれた排水溝のゴミを食べる件が復活する。ちょっとかぐだけで猛烈なにおいがするものだ。もちろん飲み込むことはできず、曽我部は吐き出す。百井はエタノールを曽我部にかけながら掃除を命じる。金本とはまた違ったサディストだな。
水を渡しつつ、今度は優しく、この仕事にいかに規律が大事か、百井は語る。曽我部はなにか規律違反をしたわけではないが、排水溝が詰まったからと言ってホテルの人を呼ぼうとしたり、考えの浅さが目立つので、まず参照すべきはじぶんの思考の結果ではなく規律、つまり百井なのだと、彼は言っているわけである。

百井は、テレグラムのフォロワーが5000人おり、そこでマリファナを売っている。写真をあげて、板、業者を通じて入手した預金通帳に振り込んでもらい、曽我部が郵送する、という流れだ。入金が多すぎると凍結されるから、毎回コンビニをかえるという。まめに引き出しも行う。それも曽我部。ひとを使う、とあるが、これは一般的なはなしで、たぶん曽我部が毎朝6時にいくのだろう。金本のときと同じだろうと百井はいう。曽我部のあたまにふと金本の顔が浮かぶ。
マリファナの在庫が5キロをきらないよう注意しつつ、においに配慮し、倉庫も3カ月にいちど変える。百井はロレックスを曽我部にみせる。インフルエンサーのように羽振りのよさを演出し、憧れで若い子がついてくるようにするのだ。曽我部にも、いい匂いとか顔小さいとか言って、百井に憧れか尊敬の気持ちが萌している。

たまには日に当たらなければいけないので、ふたりは散歩に出る。飲み物やおかしを与えて、百井はペットみたいに曽我部をなつかせる。彼らの目にうつるのは宝くじの列や寒そうな路上生活者。自分たちのようにマイナスからスタートするものは、リスクをとってとにかく行動にでなければならないと百井は言う。月500万稼ぐという百井の言葉に曽我部がたまげている。
百井が曽我部を選んだのは地元で信用できるから。特に金本の罪を被って服役した件が大きいみたい。まあ、その金本は水死体になっちゃったけど、という百井の言葉を聞き、曽我部は少し笑うのだった。百井はそれを見たっぽい。

配送と回収を任され、百井が去っていく。かんたんな仕事を終えて、じぶんが弾かれた、前科者憧れの現場作業員を見下ろしながら屋上でビール。だがもちろん捕まる恐怖へある。

さて、同じ日かどうかはわからないが、百井が300万を持って久我のもとへ。壬生自動車整備工場である。無事佐々木求馬は解放。なぜそんなやつをと久我に聞かれている。地元の腐れ縁だと。
久我はあらわれた宇治に金をわたそうとするが、久我のシノギということになった。それよりなぜ壬生の工場に久我がいるのかである。工場には従業員もいたので、久我は九条に相談に行ったらしい。だが、相談するまでもなく、工場は久我の預かりなのだった。



つづく



煽りによれば、このはなしのどこかに盲点があるらしい。
工場は父親から相続した壬生が所有者。だが行方不明になる前に信託契約を結んでおり、管理人が九条になっているということだ。で、こういうときは久我に任せるように手続きされていると。描写ではたしかなことはわからないが、久我は信託契約のくだりは宇治に話していないっぽい。九条に相談にいき、任せていると。不動産のはなしは苦手で、わからないが、このどこかに、あってはならない、あるはずがない状況があるのかな。あるいは、法律のはなしではない可能性もある。表向き、壬生は九条を売ったことになっている。そんなふたりが裏で通じているはずはないという目くらましだが、そんな関係なのになぜ信託契約を?ということにはなりうるかもしれない。

さて、久々のしっかりした曽我部描写だった。
今回のあの笑みは、弱さと無垢さは等号で結ばれないということだろう。
「弱者」は、本作では非常に重要な概念だが、その内実はこの語を受け取るものの経験や直観に揺れるものだ。九条と蔵人との対比においては、これは語のとりこぼす「見えないもの」ということになる。この語のままだと、たとえば半グレとかも含まれてしまうし、げんに九条は含めているのだが、これは第一には弱者を指すものである。こういうものを、九条は見捨てない。

しかし、こうしたことを劇的に演出したとき、「弱者」が一種の清浄さを帯びることがあるのである。ぼくにしても、笠置雫はともかくとしても、今回のような曽我部の描写にはじゃっかん戸惑うのである。弱いことは、無垢を意味しないのである。転じて、誤ってはいけないことだが、九条は曽我部やしずくが無垢だから助けるのではないのである。
このあたりは薬師前などは言い分があるかもしれず、聞いてみたいところだ。ひとは、最初から悪なのか?それとも社会がそうさせるのか?興味深くはあるが、九条にはあまり関係のないことでもある。もちろんモチベーションには関わるだろうが、仕事人間・九条にはモチベーションなどというあいまいな動機もない。ただすべきと考えることをするだけなのだ。

ではなぜここで曽我部の笑みが挿入されたのかというと、くりかえしになるが、我々が誤らないようにである。九条は正義を行っているのではない。守るべきこの世の清きものを守るのではない。ただ、見えてしまうだけなのだ。そうして、作品が描くところがぎりぎり法的視点を保つことになる。今回の笑みは、曽我部を描いたというより、九条の立ち位置を明らかにするものなのである。

それにしても曽我部はいじめっこを引き寄せる男だ。しかしこれは、彼らが互いに引かれ合った結果のようにもみえる。曽我部は金本の死を心底喜んでいるようだが、百井の行為は教育として受け入れているようである。理由はふたつある。ちゃんと稼げているから、そして百井の思わくどおり憧れているからだ。
その金本に対しても、曽我部は同一化することで自己防衛してきた。詳細は以下。





このときとは暴力の質も曽我部のありかたもちがうが、いまも彼は防衛機制にしたがって百井の教育や稼ぎを肯定的に受け取っているぶぶんはあるのだろう。生そのものについてもそうかもしれない。結局不安を感じながらも悪い道にすすんでしまうことに、彼は自己責任を感じていることだろう。つまり、いまは金本ではなく、社会に同一化しているのである。百井ですらがそうしているように(あるいは曽我部の自己卑下を見越して)こんなどうしようもないじぶんが生きていくにはこれしかないと、じぶんを追い詰めてしまうのである。やはり薬師前の見解を聞きたいところだ。










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第40話/スズメバチ



自宅で横になっているジャック。デカすぎてベッドに入り切らず、椅子を追加している。床には薬やらなんやらが散乱したまま。注射器とか踏んだら痛そう。


そこへ、開いた窓からスズメバチが侵入してくる。常人なら一大事だが、ジャックは「捕らえられるか?」という視点からみる。手足でしとめるぶんには、彼らにはなんでもないだろう。ジャックが考えるのはもちろん、歯で、かみつきで捕らえられるのかということだ。それも、しとめるわけではなく、体をそっとおさえるかみつきかただ。プッと吐き出した勢いのままスズメバチは飛んでいく。たんに強力なだけでなく、噛道は繊細さも備えているのだった。


そこにいきなり勇次郎が話しかけてくるからジャックもたまげる。いつのまにか部屋に入っていたのだ。勇次郎ははなしの続きをするみたいに宮本武蔵の逸話を語るが、その前にいつからいたのかという状況である。息子のプライベートに勝手に踏み入る親だよな。いや、このふるまいは、勇次郎の親アピールなのかも。


刃牙道にあったはなしだ。武蔵といえば、とんでいるハエをはしでつかまえたものが有名だ。しかしこれは少し現実と異なっている。武蔵は、羽のみをつまみ、一枚いちまい羽を振りちぎって飛行不能にしたのだ。

だから、次の機会、スズメバチに出会ったら、同じことを歯で行えと勇次郎はいう。スズメバチはわりとぐにゃぐにゃからだを動かすし、ふつうにさされそうだ。


すると、さっきのやつなのか、またスズメバチがやってきてしまう。ジャックは笑みを浮かべ、ぜひやって頂こうと勇次郎を煽る。力みまくりの勇次郎は見事に応える。人差し指で空間を裂き、スズメバチの羽のみ落とすのだった。



つづく




話題をかえ、勇次郎はジャックに、花山の何を知るかと問う。

勇次郎が花山を語るというのか。


このような導入でジャックに語りかけるからには、勇次郎からして、じぶんは理解しているが果たしてジャックはそれができているものかどうかあやしいものがある、というはなしのはずである。それはどういうものか。

勇次郎は、噛道を極めたジャックをして、真似できないとしていた。おそらく同じ論理でいま、勇次郎は花山を語りうるのではないかとは考えられる。

かつては勇次郎も花山へ人権を無視したような無慈悲な暴力を加えたことがある。幼年期バキとのファイトの直後だ。そのときのことは花山にとってもトラウマ、とはちがうが、強い引っ掛かりとなっており、スペック戦で思い出したりしている。じっさい、あのころの勇次郎にとっては花山もまた「非勇次郎」な、雌化可能などうでもいい人類のひとりに過ぎなかったのだろう。(このあたりは以下前話参照)





しかし、いまの勇次郎はあのときとは異なっている。前回のふるまいを政治的なもの

、範馬勇次郎を演じたものとしたのはそれがあるからだ。親子喧嘩を経た彼は、他者を獲得した。他者を獲得するとは、不如意な存在をそのままに受け入れるということである。あまりにも強大なパワーをもつ彼は、少なくともパワーという評価軸のもとでは、他者の存在価値などないに等しかった。パワー、また強さという観点からは、「相手にできてじぶんにできないことはない」と思われたからだ。そして、あまりにも強力なパワーがすべてのわがままを許すなら、わざわざ「パワーという評価軸」などという但し書きをするまでもなく、パワーは存在価値そのものなのだ。


しかし、刃牙との親子喧嘩は、彼に他者を受け入れる余白をもたらした。「じぶんではないもの」を、じぶんのもつもの、つまりパワーを経ずに解釈することができるようになった、少なくともしてもいいと考えるようになったのである。それが彼にジャックを受け入れさせた。厳密にいえば、いまジャックのようなふるまいを勇次郎がとれないなら、前からそうだったはずである。しかし以前なら、これはパワーで塗りつぶし、噛みつきなど戦場では常識などとし、とるにたらないものであることをわがままに示すものだったのだ。だが、いまの彼は、そこまでの過程を含めて、文脈の評価ができるようになっている。それなら、花山という稀有のファイターをみる目も変わっているはずなのである。


花山は滅私の喧嘩屋だ。持って生まれた彼は、最初に徹底的にじぶんを殺すことで負い目をなくし、やがて拳そのものと化す。主語たる「花山薫」という授かりものを滅することで生じる公平性が、拳を自律させ、述語のみで動く概念のようなものにするのである。自らの持つものがどれだけ相手を圧倒するか、つまり主語のみで動いているような勇次郎とは正反対である。もし勇次郎がそれを存在として容れることができるようになっているなら、語れることは多いはずなのである。





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第39話/Great Again!!



今回は通常の展開はおやすみ。トランプの大統領再選にあわせたいつものやつである。


トランプはトラムプ。イーロン・マスクはイーロソ。トラムプがイーロソに、勇次郎への不可侵宣言について聞かせている。トラムプは大統領になるのは2度目なので、もちろんその重要度を理解しているが、イーロソはそうではないようだ。イーロソ、オタクだろうし、ビジネスの畑のひとでいろいろ物知りだろうに、知らないんだな…。あまりにも非現実的な存在なので、どこかで見聞きしてもうっかりスルーしてしまうのかもしれない。


富豪でもないのにアメリカより強い人間、範馬勇次郎。トラムプは、金を必要としない人間だという。そうなのか、ちからゆえにお金たくさんある、わけではなくて、何もかも顔パスなんだ。だから顔見知りで周囲をかためてるんだな。でないといちいち殴ってまわらないといけなくなるから。


その実力の正体が腕っぷしだと聞き、イーロソは、逮捕すりゃいいと当たり前なことをいう。しかし軍隊が出動してもそんなことは不可能だとトラムプはいう。彼のいうことはいちおう信じるようにしているのだろう。とにかく関心を持ったイーロソは、一緒に会わせてくれという。


勇次郎の部屋に向かうふたり。明らかに緊張しているトラムプにイーロソも気がつく。ドアを開けると、いつものように窓を向いて勇次郎が立っている。圧倒的存在感。だがイーロソはまずレースカーのような機能性を感じたようだ。宇宙ロケット飛ばしたりしてるからかな。

次にイーロソは、振り返る勇次郎から肉体の可能性のようなものを感じ取る。そして犬歯。

2度目の登場のトラムプはすっかり縮み上がっている。トラムプはいい。だが横に知らないやつがいる。勇次郎は拳の風圧でイーロソをおどかす。2人とは聞いてないと。はなしとして狭量なようだが、これは勇次郎なりの「範馬勇次郎拳」である。

そして、あんまり勝手をするようなら犯すと怒鳴る。多い方が楽しいから警備も呼ぼうと、勇次郎は何度目かの問題発言をするのだった。



つづく



板垣先生、懲りないなあ…



勇次郎の問題行動については以下を参照。





勇次郎にとっては、この世のどんなファイターも、そしてまたどんな人類も、再現可能な存在にすぎない。げんにそうであるし、彼自身、そのことを確かめるかのように、ファイトに臨んでは相手の唯一無二性の否定する行動を選んできた。このことが、彼にとってまず彼以外の人類を非勇次郎化する。ここまではよい。だが、この価値判断が彼自身にとっても絶対的であるため、それはやがて彼自身を非人類化していったのである。おもえば皮肉なはなしだ。勇次郎はその絶対的な強さゆえ、正確な比較の可能な相手すら見つからない日々のうちで、「俺以外のものは俺とはちがう」という相対的認識を通じてのみ輪郭が明瞭になるのである。

これが、強さを雄度ととらえる世界でこの問題行動につながる。彼が証明すべきこと、またそう信じ、事実そうであることは、「じぶんは雄である」ということただ一点なのだ。これが転じて非勇次郎たる全人類を雌化するのである。


ただ、この過程で見逃せないのは、強さが雄度と直結することが自明とされていることだ。

見たように、勇次郎は、その強さゆえに、また全能性ゆえに、というか全能ということの機能ゆえに、どうしても他者を経由した自己認識にいたりがちである。しかしその自己実現は「男」として行われるのである。これは、オンナコドモの技でピクルを倒すまでになったジャックのありようと鮮やかな対比をなす。じしんの無二性を「男」で表現する勇次郎は、他の「男」が存在することを認められないから、全人類を女とする。だが、ジャックのがむしゃらさと比べたとき、そもそも男とはなにか、女とはなにか、それが強さとどう関係するのか、そのあたりが驚くほどナイーブなのである。


しかし、このあたりは、最初にも書いたが、勇次郎は必死で雄であろうとしているという感じもする。「範馬勇次郎」を演じているのだ。親子喧嘩を経て丸くなり、ジャックを認めるようにもなった勇次郎が、いつまでもそんな感性でいるはずはない。これは、勇次郎にとっての外交、「政治」なのだ。あんなふうにえらそうに振る舞っていても、彼が無傷で合衆国を圧倒するということはありえない。パワーバランスや個人的信頼関係、また恐怖など、さまざまな事情こみで、あの会談と宣誓は実現する。そういう現場で、勇次郎もまた、「範馬勇次郎」であることを強いられるのである。各国首脳が親子喧嘩に注目したのは、それが戦争に他ならなかったからだ。勇次郎がほんの少し丸くなるだけで、母国日本や友好関係にあるアメリカの立ち位置は微妙に変わってくるだろう。勇次郎は勇次郎なりに政治を行い、もはや大統領の前でしか見せないあのような行動をとるのである。




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第117審/最悪の駆引④



仕事に向かうところの九条と烏丸を出雲が待ち伏せだ!
出雲は京極とお務めが入れ違いで、出所から会ってはいない。敬愛する京極が弁護してほしいと思っていたのが九条というわけだ。しかし九条も同時期に捕まっていた。すごいよなこのひとたち。

だが、出雲の用事はあいさつではない。腑に落ちないと。京極は、壬生が武器庫の武器を嵐山に渡して逮捕されたわけだが、その手際がよすぎる。悪知恵のはたらく弁護士が背後にいるんじゃないかと。どう思うか訊ねる出雲は、それほどこわい感じではない。むしろ刑事みたいだ。
九条は、ヤクザがよくいう勘繰りじゃないかと、なんでもなくかわす。それ以上出雲にできることはない。今回は、「こうして見張ってるぞ」というアピール、正しくあいさつだ。出雲はブラサンの毛並みをほめて去っていく。烏丸は九条の冷静さにじゃっかん引き気味である。

久我といる宇治が壬生に出雲について電話で警告する。売人と直接接触してまでして壬生の場所を探っていると。勘も鋭い。ふたりとも出雲のことをなめてはいない。たいへんな脅威と認識しているようだ。しかし、売人って、百井のことだよな。あのくだりってそういうことだっけ?

久我の運転する車を煽り運転で停車させるドジな輩。煽りっていうか、ぶつかりそうになった感じか。久我もちょっと焦っているが、ショボい輩が出てきたところで逆に冷静になってるのがおもしろい。見た目普通っぽいけど久我も悪党だからなあ。
車を蹴ってまでくる佐々木求馬という輩なのだが、久我は今ならまだ許すという。大サービスだとおもうが、急いでいるっぽい。
だが佐々木は引き下がらない。久我の言い方も挑発を含んでいる。佐々木は、伏見組の若頭がケツモチだと言ってイキがる。若頭って、京極かな? よくわかんないけど、ヤクザではないみたい。
久我はもちろんビビらない。久我自身が伏見組であり、知らない相手ということははるか格下ということだからだ。だから、彼らは、なにはともあれ「誰?」という反応をするのである。知らないというアピールがそのまま相手より上だという表明になるのだ。しかし、佐々木的には知っていて当然という感じだったらしい。こういう掛け合いが、ときどきわからない。日本もそれなりに広く東京は人が多い。ヤクザどうしならまだしも、半グレの、それも下っ端とかだと、「知らない」ってぜんぜんありえるよね。
そこに佐々木の連れが慌てて割って入る。あれは伏見組の久我だと。佐々木が知らないのは、アホだからだろう。
車内にいる宇治は、これから組長と食事なのだからと、早く終わらせるようにいう。久我は佐々木に膝蹴りをかまし、あとで事務所にくるようにいうのだった。

百井と曽我部がヤクの整理をしているホテルの部屋。洗面台の水があふれて曽我部が大騒ぎするのを醒めた目で百井がみている。ルームサービスを呼べるわけはない。中からは髪の毛がいっぱい出てくる。百井は、それを食えと曽我部にいう。馬鹿なんだからからだで覚えろと。なにを覚えさせようとしてるんだろう。曽我部は異様なサディストを引き寄せるなにかがあるのか…。
しかし百井に電話。久我にスタンガンでお仕置きされている佐々木からだ。伏見組の名前を出して恐喝してた佐々木に、久我は300万要求していて、それを、知り合いの百井に頼もうとしているのだ。百井は出雲の息がかかっている。これはややこしいことになりそうだ。

釣り堀にいる出雲のところに井出という手下がやってくる。久我のスマホを調べた際、出雲はこっそり追跡アプリをいれていて、その結果を井出が出雲に送ったところだ。
さらに、もらったことになっている宇治の車に、出雲はGPSと盗聴器を仕込む。ダミーのものをわかりやすくしかけるという周到さだ。これを宇治に返す。宇治も当然しかけを疑う。そこでダミーを発見させて安心させ、それ以上探させないというわけだ。
九条もあやしい。出雲は九条に探偵をつけるようにいうのだった。



つづく


出雲がただの残虐ヤクザではないのは最初から明らかだったが、思った以上にキレものだ。もう嵐山と区別つかなくなってきた。
あげた車が戻ってくるのだから、宇治なら必ずしかけを疑ってくる。だが出雲は、疑われることもこみで二重にしかけをしてくるのである。宇治ならそれも見抜きそうだが、そうすると三重も考えられることになるから、結局廃車にすることになるかもしれない。

宇治はまだいいが、問題は久我だろう。久我は壬生とは会っていないので、追跡アプリでバレることはないかもしれない。しかし今回彼は佐々木をしめている。これは百井の連れで、百井は出雲の息がかかっているのだ。まあ、ヤクザとして誤っているわけではないので、それでどうということはないかもしれないが、もめそうではあるし、そういうところからほころびも生まれてきそう。ただ、久我が積極的に伏見組としてあのようにふるまうというのは、真実を隠すためとか、また宇治への恩とかいうことを考えても、ちょっと意外な感じはする。


出雲は人望の男だ。どことなく、暗躍する感じからは豹堂的なぶぶんも見受けられるが、多くの人から慕われているという点で決定的に異なる。きっとお務めもヤクザ的自己犠牲だったんだろう。そういう人物が、兄貴分のためにみずから縦横無尽に動き回る。「兄貴分のために」というところが、それじたいでいかにも出雲らしいぶぶんであり、しかもそれを強化するものだ。これが生きるのがヤクザ的文脈である。出雲が出雲として評価される世界、ひとを殺していながらその後始末を部下に喜んでさせることのできる世界、それが出雲の属する世界だ。これを出雲は、彼自身の行動と、それに伴う周囲からの好意によって再生産するのである。これは壬生の現実主義にはなかったちからだ。これは物語のちからに近い。そこにほんらいない、義に基づく人工的な秩序を、金でもちからでも物理法則でもないルールにしたがいながら増幅させていくのである。公理を打ち立てて問答をくりかえし、あらたな規律を生み出す宗教の相似形と言ってもいいかもしれない。

だが、この規律も、実は法律という、一般に合意形成のされた正統的物語に基づいてもいる。道路交通法を知らない宇宙人は赤信号の意味を解さないのである。法のないところに義はないのだ。ヤクザは、法律や警察が現れることではじめて存在可能になる。アルカポネの台頭は禁酒法とセットなのだ。とりわけヤクザの基本理念たる「義」は、正しさを実現する思想である。しかし、じっさいには、正しさはその以前からあり、それを律するルールも存在している。「義」は、“にもかかわらず”、正しさが実現しない世界ではじめて姿をみせる。ただの正義と義のちがいはそこにある。義は正義や法秩序の副産物なのだ。そうであるからこそ、出雲も九条相手には慎重になるのだ。


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第38話/似たもの同士



ジャック・ハンマー対花山薫というドリームマッチが決まった!

試合場を去ろうとする花山をつかまえて、刃牙がこのファイトの意義を語る。流儀を問わないジャックと流儀を重んじる花山の思想対決、宗教戦争だと。

しかし花山はこれを否定する。流儀にこだわらない、それはこだわり、流儀だろうと。刃牙は笑い、美意識対決だと言い換える。花山はそれについてはわからないという。たぶん「美」の語感がむずがゆいのだろう。


後日、光成の家に鎬紅葉がきていて、魚にえさをやりながら会談。なんで紅葉なのかな。元祖美形だからか…。

ともかく、ジャックのようなまねは紅葉にはできない。「だって カッコわるいんですもン」と、くちにするのがどこかはばかられてきたファイターの本音を、紅葉があっさり言う。なるほど、このノリは紅葉ならではかもしれない。バキ死刑囚篇からバキワールドに入ったぼくとしては、紅葉はいつでも「むかしの(すごかった)キャラ」という感じで、いまいちつかみきれていなかったが、少し好きになった。


噛みつきは人間が手にする最初の武器。しかも強力である。本能的に行使される幼児の噛みつきは大人に悲鳴をあげさせる。問題は、カッコ悪いということだけ。なぜカッコ悪いか。いまの説明にあらわれているように、幼児がつかうものだからだ。大人が、無礼とされるタメ口のほうがほんとうは伝わりやすいのに、社会生活上必須とされる常識しぐさでゴテゴテにデコった丁寧語で、取引や接客をわかりにくくしているようなものだ。


このファイトをどうみるかと光成が訊ねる。正反対のようだが、徹底のありかたは類似している、と紅葉。似てるのである。



ジャックの自宅。親子喧嘩のときにも描かれたとおもうが、相変わらず貧乏っぽい。というか、たぶん食事とクスリに全財産使っている感じなのだろう。しかし、彼はいったいどうやってお金を稼いでいるのか?母からの仕送りかなあ。猪狩が面倒見てるっぽいので、ケインみたいな覆面巨大レスラーとかやってそうでもあるけど、もうこれだけでかいと覆面の意味もないし、有名になりすぎちゃうだろうし、こんな生活にはならないかもしれない。


家には花山から贈り物が届いている。木崎の名刺をみて、花山組を「花山薫(あいつ)ノ会社…??」と言っているのがかわいい。

なかみは炙ったレバ刺し2キロ。花山からの差し入れとのこと。

味付けをし、口に入れるなり、溶けてしまう。肉がいいのか調理がいいのかわからないが、たぶんすごい高いやつなんだろう。ジャックは揚げ物のあいだにキャベツをさしこんでくちのなかをリフレッシュさせるみたいにクスリを咀嚼しつつ、あまりのことに脂汗をかきながら、肉を飲んでいく。生まれて初めての、歯を使わない食事なのだった。





つづく



ヤクザ的な精神攻撃なのだろうか…。噛みつきもいいが、噛みつかないありよう=エエカッコしいも悪くないよ…みたいな。

そういえば勇次郎もジャックに、たまにはやわらかいものも…みたいなことを言っていた。

なんというのか、ジャックの生きかたは、勇次郎や花山からみても、なによりまず「キツそう」なんだろう。噛みつき云々、強いんだ云々以前にちょっと心配しちゃうんじゃないかな。わかった、わかったから、でも今日はちょっと、チートデイってことで、やわらかいお肉食べよ…みたいなことかもしれない。


いずれにせよ、ジャックが今回体験したのは、風情もなにもあったものではない噛みつきの露骨さが中和されたエエカッコしいの世界である。花山は、ああいう人間だから、ジャックのこだわりを否定しはしないだろう。では、どのようにこの思想対決は行われるのか。相手の説を否定せず、批判せず、解体せず、どのようにたたかうか。このレバ刺しが花山なりの回答(の予習)なのだ。つまり、「こっちも悪くないよ」

ということなのだ。このアプローチなら相手を否定せずに対立できる。

ただ、それだけではいけない。うますぎるレバ刺しに象徴される「こっち」に属することがどういう強さにつながるのかを、花山はファイトで伝えなければならないのである。

紅葉のいうように、ふたりはその徹底ぶりにおいてよく似ている。ジャックは、こだわらないことによって「噛みつき」という、ある種見捨てられた技術を発掘し、じぶんのものにした。そこにはこだわりは生じている。花山も、どんなファイトでもやりかたを変えない。ただ、やれるところまでじぶんを滅し、持って生まれたものとしての「花山薫」を殺し、迷いのない純白の攻撃そのものになる。たたかいにはいろいろな状況がある。相手のタイプも千差万別である。しかし、花山は、まずおのれとたたかわないことには開始することもできない。ファイトスタイルにこだわるという点で、ふたりはよく似ているわけである。

そう考えると、ジャックの思想も花山らと同一平面で考えることができる。存在しないようにおもえる虚数が、複素化することで代数的にとらえることができるようになるのと似ているだろうか。「ファイターはみんなエエカッコしい」という視点がけっこうラディカルなぶん、ジャックが過剰に異端に見えてしまう面があったが、この解釈なら、刃牙のいうように美意識対決として同時に観察することができるだろう。そしてそれを花山は、相手を否定するものではなく、「こっちも悪くない」という主張でスタートさせたのである。





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