すっぴんマスター -8ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第43話/腕っぷしだけ



ジャック・ハンマー対花山薫、路上で開始!光成はいない。悔しがるだろうなあ。


開始早々、花山の拳がジャックの顔面にめりこむ。襲いかかるジャックを、ハンドポケットから抜いた手でカウンターで迎えうった感じである。花山は「持って生まれたもの」であり、そのぶんのアドバンテージを相殺するために、たいがい最初は無抵抗に技をもらう。それをせずいきなりカウンターというのはかなり珍しい。花山的に武蔵同様遠慮がいらない相手ということなのだろうか。


すばやく抜拳した感じでもあり、いつもの威力特化なパンチではない。だがあの岩のような拳だ。花山が小柄に見えるほどのジャックの巨体がふっとぶ。だが、ただ攻撃をくらったのではない。ジャックは噛道のマスターなのだ。殴られるなり歯を使ったらしく、花山の拳がぱっくりと割れている。花山が拳から血を出すのは木崎もはじめてみるという。たしかにあんまりないかもなあ。骨折はしてるけど。武蔵戦でも刀が食い込んでたが、ちょっとちがうよな。


ジャックは歯が無事であることをアピールする。ジャック的には、硬い拳と歯の比べ合いでもあるわけだ。しかしこのパンチはまだ花山薫らしさを出し切ったものではない。花山が両手をあげていつものあの構えになる。他人のスタイルにうといジャックも、花山の防御なし攻撃一本スタイルは聞いたことがあったらしい。競技ではない、腕っぷし比べとしての喧嘩のやりかただ。


そうして、からだを捻って繰り出された花山の一撃を、ジャックはまたも顔面にくらうのだった。




つづく



前回と同じような終わりかただ。ジャックは花山の神話的握力を認めた上でこれを噛み砕こうとするもので、だからあのように花山の出血と歯の無事を比較する。わざと食らってるぶぶんもあるのかもしれない。


ジャックが拳を噛み砕く、ということの文脈的な意味は、そこには同時に花山を認めるということが含まれているということにある。今回ジャックが、拳を裂きながら、歯は無事だとアピールしたのは、前に描かれた、花山の握力は花山じしんの拳を潰してしまうという「神話」を受けて、じゃあじぶんはそれを噛み砕く、としたことの流れのなかにある。「つぶれた拳を噛み砕く」という状況は、まず握力で拳が潰れるという状況に至っていなければ成り立たない。つまり、彼が歯でもって花山の拳に勝とうとすることは、同時に花山の「神話」を認めるということでもあるのである。


ジャックは基本的に彼以外のファイターを「エエカッコしい」と相対化する存在としていま現れた。そのニュアンスは、歓声を喜ぶ姿にもみえるように、ジャックじしんに「認められたい」という気持ちがあってこそのものであったから、ある種余裕のない態度で、いくぶん相手の否定を含むものだった。そこへ、花山である。花山は、ファイトの前に噛まずとも飲み込めるレバ刺しを送りつけることで、噛まない、つまりエエカッコしいなありかたもそんなに悪いものではないよと、レバ刺しの旨さを通じてエレガントに伝えたのだ。これは否定ではなく、提案だ。ジャックは、非エエカッコしいを否定されていない。だがエエカッコしいも悪くないと伝えられたことで、否定のニュアンスを大きく削がれたのである。これが、花山の「神話」をいったんは受け止めているいまの意識につながっているのだ。

直前のピクル戦は、ある意味花山戦への準備だったと考えられる。ピクルは、この世で唯一の「ジャック側」のファイター、非エエカッコしいの人物だった。ピクルとはエエカッコしいがいいのか悪いのかというような「文脈」ぬきにたたかうことができる。しかもこれはリベンジマッチだ。いわばピクル戦でジャックはプライドをたしかなものとし、同質のものの存在を通じて自身のありようの客観、また点検もできるようになったはずである。おそらくそれは余裕を生む。孤独は余裕を奪う。ピクルが笑顔で去っていったことには、そういう意味があったのだろう。このおかげで、ジャックは、キザな花山の「提案」を受け入れることができるようになったのだ。



最近の花山は着衣のままかまえることが多いが、もともとあの構えは花山が「花山薫」を殺し切ったあとに、いっさいのためらいが解消されたしるしとして、侠客立ちとともにあらわれるものだった。長くなるのでかいつまんで書くと、花山は「持って生まれたもの」で、そのやましさ、負い目がある。この負い目がすっかりなくなれば、迷いはなくなる。だからたいがいファイト開始時に彼はやたら技をもらう。そうして彼が、彼という原罪を、相手の攻撃を通じて滅ぼし切ったとき、花山薫の純粋体のようなものが露出する。それがパンチそのものと化した純粋行為体としての、あの振りかぶる花山である。ここにはもはや、ふつうの文章、ふつうの論理構造における主語や主体というものがない。述語しかない。花山が殴る、のではない。ただ「殴る」という現象だけが輪郭も明瞭に出現するのである。

そしてこの純粋行為体としての花山と侠客立ちの物語は響きあう。侠客立ちの物語は、“名もなき”博徒が、花山の祖先である少年を、背負った鐘に隠し、襲いくる盗賊から守り、しかも守ったまま死亡するというものだ。博徒には名前がない。誰でもない。ただ、“守る”という「述語」だけが、博徒が死亡し、この世からいなくなったのちまで現象する。見てわかるように、これは花山が自身を滅し、「述語」そのものになる構造と同一なのである。


こうしたわけで、あの両手をあげた構えと侠客立ち、つまり脱衣はほんらいセットだ。しかし、武蔵戦を最後に侠客立ちは描かれていない。大相撲体験でも花山は同じく着衣のまま構えていた。あのときも考えたが、花山はできた人間なので、TPOをわきまえている可能性はある。一般人が見ているところではそうそう入れ墨を見せないのだ。なにしろエエカッコしいだから。無意識かもしれないが、花山なりにファイトの本気度みたいなものがあって、なにがなんでも、死んでも勝つみたいなファイトもあれば、負けるつもりはないがすべてを無視していいというほどではない、というファイトもあるのかもしれない。たとえば武蔵戦は、まさに生死をかけたたたかいだったから、本気も本気で、路上でも最初からふんどしだった。ジャックについてはどこか楽しんでいる感じがある。そういう状況では、花山なりの常識が作用し、脱がずにすますということになるのかもしれない。










管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com


第120審/日常の犯罪③



本誌発売より前、28日発売の九条の大罪14巻にすでに収録されている回です。こんなことあるんだな…



佐々木求馬にいっぱい飲まされて寝てしまい、知人の中川ゆめの家に泊めてもらうことにした曽我部。中川さんは女性だが、そういう関係ではなく、弱った野良犬でも入れるみたいに中川さんは曽我部を受け入れる。平気で薄着にもなっちゃう。

ベッドには子供が寝ている。曽我部は覚醒剤の売人として中川さんと知り合ったらしい。いまはやってないそうだが、リスカ痕の上側にはまだ生々しい注射のあとがある。テーブルの上にもぜんぜんいろいろあり、隠してもいない。

夜があけて、いやな予感がしたのか、帰り道に調べてみると、百井の顧客リストには中川さんの名前がしっかりあるのだった。


その足で曽我部が行うのは、公衆トイレで紙袋と金を入れ替える、求馬に頼まれたアルバイトである。紙袋のなかはスリの窃盗団が不要とする免許証の束だ。

それで作ったクレジットカードでスマホやゲームを爆買いしてこいとの指示である。いちおうこの件は百井も知ってるらしく、空き時間のみの手伝いということである。求馬は、曽我部がなにをしているかしっかり見てると脅しつつ、日給3万のうち2万「納税」するようにいうのだった。それを百井への借金にあてると。求馬はこんな感じのチンピラだが、百井にはあたまが上がらないっぽい。であるのに、その部下の曽我部を利用する。たぶん、百井がどういうつもりで曽我部を使っているか、わかっている(つもりな)のだろう。彼は裏切りを許さない。今回は別に裏切りではないが、その際に許されないのは求馬ではなく曽我部なのである。



九条と烏丸は久我から送られてきた毛蟹をさばこうとしている。いい感じに盛り付けもできたところで薬師前も呼んでいつもの屋上で食事会。薬師前はとなりのビルで働いてるのかってくらいいつも身軽にやってくるな。市田も呼んだそうだ。薬師前は酒もたくさん買ってきたが、九条が最初はビールみたいな保守的なことをいうので舌打ちする。


屋上生活の達人である九条がグラタンや寿司などちゃっちゃと用意するのが薬師前も楽しそう。寿司は、ポーション、お米の量が多いらしい。さらには炊き込みご飯。そばにいるブラサンはよだれダラダラだ。味がついてるからあげられない。


そこへ、薬師前のスマホにまた公衆電話から着信。薬師前の勘通り、相手は曽我部である。だが黙っているので、近くに九条もいるし、何かあるなら話せと薬師前はいう。曽我部は電話を切ってしまうが、とりあえず九条の存在をリマインドすることはできた。


薬師前の曽我部に対するいつもの大声にブラサンがビクッとする。身近に犯罪があるとまたすぐ罪を犯してしまうと、すでになにが起きつつあるか理解している九条はいうのだった。



つづく



次回は23号とのこと。


曽我部にとって母親か姉のような中川さんだったが、かつての、おそらく金本時代の客だったようである。そしていまもクスリをやめることはできていない。百井は対面ではなく郵送で届けるので、会わなかっただけなのかもしれない。

曽我部はそのことがこたえているっぽい。もともとは売人として知り合ったわけだが、いま中川さんには子どももいるし、曽我部としても、金本配下ではないのと郵送であるのとで、罪の意識が薄れて、それこそ「日常の犯罪」、日常に溶けこんだ犯罪になっており、実感がなくなっていたところ、やはりじぶんのしていることは「悪いこと」なんだということを突きつけられた感覚だろうか。百井がまたああいうタイプで、ぜんぜんチンピラっぽくはなく、ドライに薬物をさばいているのも効いてるだろう。曽我部はどこか、ほんとうに「ビジネス」をしているつもりになっていたのかもしれない。



九条サイドのやたら念入りに描かれた蟹描写、特に米が多いということについての言及はなんだろう。直前に求馬が税金のはなしをしているし、年貢のことのようにも思われる。日給3万で2万の納税はバカでかい。しかし、1万は残るわけで、日給1万と考えればごく標準的な額におもえる。なぜ曽我部の仕事が3万もするかというと、むろん、リスキーだからである。捕まるリスク、また優しい彼からすれば、中川さんのようなひとを薬漬けにするやましさ、こういうものに2万が払われているわけである。だからこれが標準の金額になると、太く短い成金人生はただの短い人生になってしまうのである。

この金は、求馬がおしおきとしてヤクザの久我から要求されたものだ。それを百井がかわりに払い、百井に借金しているかたちになった求馬が百井に払い、それは曽我部の金であると。税金ではなくともまさしく上納システムとなっているのだった。


もちろん、曽我部が求馬に納税しなければならない理由などないのだが、ここで奪われる2万は、いわばおもてに出せないお金だ。標準が1万としたとき、リスクをとって得たぶんが2万となるのだから、求馬の要求を、たとえば「不当」という言葉で退けることはできないのである。それをいうなら、そもそも曽我部が得たぶんが違法であり社会的には不当なのだから。これを拒もうとしたら、曽我部は求馬と同じ位置で、非弱者としてふるまうしかない。つまり、福利厚生的なものから離脱したアウトローしか、この要求を拒むことはできないのである。こうみると、論理の向きは逆だが、ただの恐喝ではなく、求馬の徴税は彼のなかで筋が通っている可能性がある。あの2万は、社会的保障の外で、単独で生きることのできる無法者しか手にとることのできない金なのだ。そうではない曽我部からは奪うべきであると、こんな理屈が、はっきり意識されていないとしても、求馬のなかにはあるのかもしれない。











管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第42話/邂逅



ジャックが自宅の鏡でピクルにやられた傷の治りを確認している。傷が癒えるころ、花山とたたかうという約束だったからだ。


組みついたピクルが足の爪を立ててジャックの腹を駆けるようにしてつけた複雑な縦の傷と、手の爪で水平に裂いた横向きの傷だが、塞がったようだ。かなりぱっくりいってたはずだが、アミノ酸とビタミンを大量にとったということだ。はやくたたかいたいから。そっか、ステーキと赤ワインじゃないのか…。


完治したジャックが街を歩く。それをホテルマンばりの丁寧さで迎えるのは木崎である。そういえば、彼の名は久一郎だった。この間のレバ刺しに添えられた名刺で判明した。

ジャックは名前でレバ刺しのひとだとわかったらしい。こういう反応とか、ジャックっておもいのほか「ふつう」で、好感がもてる。

で、怪我のほうはどうかと、すぐに木崎がはなしをすすめる。ジャックは意を汲む。やっていいならいますぐにでも。


というわけで車で移動。たいがいの車ではジャックにはせまそうだが、身長にかんしては足が伸びただけだから、座るぶんにはそうでもないのかもしれない。


ジャックは、花山の意図を木崎を通じて探る。回復は今日だと、指折り数えて待っているらしい。そんな予測できるのかな。そして治っているならもはや待つこともない。だいたい、いわゆる「試合」は苦手である。というわけで、ストリートで「喧嘩」なのである。


たしかに花山が待っていた場所は路上だ。花山は街をしきる側で、一般人への迷惑もわりと考えるタイプだ。とはいえ、じゃあ試合場でやれよというはなしになるので、観衆もこみの喧嘩というステージを好む、といったところだろうか。


まず急に呼びつけたことを謝り、始まってから警察がくるまで5分くらいと花山はいう。花山が致命傷を負っても助かるという意味でじゅうぶんだとジャックはいう。が、じっさい花山はそういう配慮をしている可能性がある。このクラスのファイターが5分以上たたかったら、どちらかが死んでしまうかもしれないからだ。

(花山とジャックでそれぞれ“じゅうぶん”の表記が「十分」と「充分」で異なっているが、たぶん、ただの校正ミスか、もしくは逆に、ジャックは日本語をしゃべっているためにカタカナ表記になっており、その文字構成やバランスを考えた校正上の決定だろう。両者に意味のちがいはない)


とびかかるジャック。だがその顔面にいきなり花山の拳がめり込むのだった。




つづく



花山が出てくるとはなしが動き出すなあ…


こんなに思想上の相違点が多いふたりなのに、ファイトについての考えかたはよく似ているみたい。ジャックも、ほとんど会話もしたことのない花山の意図がよくわかるようだ。これはなにを意味するかというと、思想上のちがいが、実践的な場面ではさほどのちがいを生まないということだ。それもそうだろう。ボクシングの試合で、相手が保守かリベラルかって、ボクシングにはなんにも関係ないのだ。ではなぜ彼らはジャックのありようにここまで動揺し、じしんのありかたを点検し、正しいと示そうとしたりしなかったりするのか。むろん、「関係ない」と切り捨てられないぶぶんがあるからである。それはどこかというと、一周して戻ってくるわけだが、「強さ」なのである。


彼らは、強くあろうとするものである。そのために、先人に学び、じしんの身体や技を練磨し、方法を探る。つまり、彼らには「こうすれば強くなれる(はず)」という、確信の伴った手順があるのである。

ジャックの噛道の完成は、しかし彼らのありかたを「エエカッコしい」に一元化する。強さとは相対的なものであり、特に、精神論ではない、対面でのファイトでそれを決する彼らは、そこに唯一無二性を求める。にもかかわらず、ジャックの前で彼らは、少なくともその「強くなる過程」において、ひとまとまりに扱われてしまう。これが彼らの動揺の正体だろう。ただ、それだけなら、勇次郎がしているようなしかたでこころを折るということはない。勇次郎もまた相手の無二性を否定することでファイターを引退させてきたが、そこまでにはなっていない。なぜなっていないか。まだジャックが地上最強ではないからである。つまり、エエカッコしいのファイターは、思想上の相違点が強さそのものに結びつくとして、それでもじぶんのほうが強いと示せなければ、その唯一無二性を損なわれてしまうのである。


ジャックと花山はファイトへのかかわりかたが似てはいるが、美学面では大きく異なっている。ここで花山は、レバ刺しを通じ、エレガントな手つきで「エエカッコしいも悪くない」ということを告げる。じっさいにはじぶんのほうが強いということを示さなければならないが、それは否定的なものではなく、「こっちも悪くない」という提案なのだということを、花山は前もってレバ刺しで伝えたわけだ。対してジャックは、握りつぶされた拳を噛み砕くことで花山の自覚を揺さぶる。本気で握れば拳がつぶれる、という神話を噛み砕くとする以上、ジャックもまた花山を否定してはいない。そういう神秘もあると認めなければ、「潰れた拳を噛み砕く」という状況にはならないからだ。しかしジャックは別に提案はしないだろう。ただじぶんのほうが強いと伝えれば良い。それでじゅうぶんなのだ。ただそれだけで、エエカッコしいとひとまとまりにされたものたちは唯一無二性を傷つけられるからである。花山は、勇次郎にあんな目にあわされたこともあるし、たぶんそんなことで人間が変わることもないだろうが、自分も含めたファイターぜんたいについて、微量の危機感のようなものを感じているからこそ、ある種示談のように、レバ刺しを送ったのかもしれない。彼はヤクザなのである。




↓刃牙らへん4巻 4月8日発売







管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第119審/日常の犯罪②



今週は曽我部描写だ。

百井にいわれたとおり、朝イチで金を引き出している。

言われたことをやっているだけだが、売上がいいことを百井はほめる。曽我部は、ずっと気になっていた部屋の貼り紙について訊ねる。じぶんの写真を中心に貼って、車や美女など、目標とするものを、その内容を書いた文字とともに掲示するビジョンボードだという。曽我部、美女の暴動じゃないよ。

ひとは弱いから、単調な毎日に夢を埋没させてしまう。だからこうして可視化した夢を見えるところに貼っておくのだ。じぶんの部屋なのだし、多少ガキっぽくたっていいのである。「節約」って書いて貼るようなもんだろう。


成功したいならマインドを変えなきゃいけない。百井は簡単だという。というか、簡単だと思わなければいけない。成功者はいつもポジティブだから。百井のいちばんの夢は、ヒップホップのレーベルを立ち上げることだ。


ふたりが向かったキャバクラには、久我に鼻をやられた佐々木求馬がえらそうにしている。曽我部は求馬が苦手そう。ゲームをしたり、ことあるごとに一気させられてる。百井は気配すらないが、ふたりはふだんどういう感じでいるのかな。これ百井の売り上げで飲んでんのか?


飲み過ぎてゴミ置き場で眠っている曽我部を百井は待っていた。求馬はアフターに出かけていない。2時半まで百井は曽我部が起きるのを待っていたらしい。仲間は裏切らない、守る。しかし、ルールを破ったり、仲間を売るやつには制裁を加えるとも。曽我部は、裏切りはともかく、ルール違反が心配だな。


2時半まで待ってはいたが、家に帰ろうとはならなかったらしい。曽我部は中川さんという知り合いに電話して泊めてもらう。中川さんは女性だが、そういう関係はまったくないらしい。中川さんも曽我部が無害だから気に入ってるみたい。早朝に近い時間のはずだが、薬が効かなくてトロンとしたまま起きていたという。中川さんがレンジでクリームパスタを作ってくれたので曽我部も食べる。曽我部はなんかでかくておとなしい犬みたいだな。


母の再婚相手に性的対象と見られ、気持ち悪くて家出、妹の学費を稼ぐために風俗で働く青春だったそうだ。結局妹が進学でかきたのかはわからないが、そうとう稼いでたみたいだからたぶんできたんだろう。当時の彼氏、というかヒモは闇金で、人権無視で支配されていた。太ると稼げなくなるからお菓子も食べさせてもらえなかったという。楽しい思い出は少ないが、総額1000万くらいは貢いだ。怒ると下唇を引っ張る。セックスも、中川さんはレイプと呼んでいる。逃げ出した彼女を追いかけた「オレの家賃どうすんだよ?」の言葉もキツい。彼女の存在がどうこうではなく、結局金なのだった。




つづく



前に主人公だったものをまた新たにきちんと描くというのは、ウシジマくんにはなかったパターンだな。


中川さんは部屋の様子からして安定したタイプではないわけだが、優しいし曽我部は居心地が良さそう。中川さんも、男性にはずっといやなおもいをしてきたわけだが、曽我部がそのへん無害なので安心している。といっても、彼ら独自の性関係がないとも限らないわけだが、いずれにしても安心できる相手がいるのはいいことだ。


中川さんは母親の再婚相手から始まって、男性が性を行使する場面ばかり目撃してきた。風俗でもたくさんいやなものを見てきただろう。かと言っていま男性をまったく拒否しているかというと、往々にしてそうはならないわけだが、ひとまず曽我部に対してはそういう立ち位置ではない。曽我部は曽我部で、母親か姉みたいなものとして中川さんを見ているのだろう。

同様にして、曽我部と百井の関係もひとくちには言えないぶぶんがある。髪をくわせるくだりからしても、百井の態度は実利を求めたものだ。曽我部は通して大型犬みたいなあつかいだが、まさしく、コンパニオン動物をしつけるがごとき手順で百井は曽我部をあつかうのである。だが曽我部は曽我部でそこに安心や憧れを感じてもいる。曽我部が、いくら売上が上がったとほめられても、彼は金を運んだりするだけで、なにをしているわけでもない。彼が百井のようになるにはそうとうの努力と運が必要だし、運で得た機会はたやすく散逸してしまう。彼の感じる憧れは一種の夢にとどまる可能性が高い。もちろん、曽我部の努力しだいではそれもわからないのだが、問題なのは百井が、それをわかっていながら調子のいいことを述べ、飼い慣らしていることだ。彼がたとえば「そんなんじゃだめだ」というような教育的言説をとっても、それはいま行っているビジネスの円滑な進行のためでしかない。それは、曽我部に刻印される「教育」とは別のしろものなのである。


中川さんとの関係はどうだろうか。ひとにはこういう、どこにもいかない、なにも生まない場所や時間というのは必要だ。だから中川さんとの関係じたいは守ったほうがいい。丑嶋社長だってうさまくらしてたくらいなんだから。ただ、曽我部がこれを、なんというのかな、百井を慕う気持ちと連続させた、日常の場面のひとつのように考えることは、翻って彼が百井を慕いっぱなしでなんの変化も成長もない毎日を強化しそうにもおもえる。また、中川さんは中川さんで闇を抱えていて、その日常はまだつまびらかになってはいない。ただ曽我部を包容するために彼女は存在するのではない。どんな種類の闇がそこにあり、曽我部に及ぶか、まだわからない。そして曽我部はその可能性を考えていないだろう。

曽我部がすぐ相手になついてしまうのは、前回も書いたように、金本時代からの「攻撃者への同一化」が習慣化しているためだ。





曽我部ではおそらく、あまりの自己否定から、攻撃者ではないものも含めたすべての他者を「じぶんに一定以上の害をなすもの」ととらえている。優しい人間なのでそこに敵意はないのだが、要するに意識されない不信感でいっぱいなのだ。その理由は、じぶんがバカでだめなやつだから。そうやって相手に同一化して、「こんなにだめなじぶん」を客観することで、攻撃だけにとどまらない、じぶんに向いたすべての働きかけを正当化する。それが彼に大型犬のような人懐っこさを与えてもいる。しかしそこに自己肯定はないのである。主体性を欠くのである。主体性がなければ責任も生じない。こういうところに、百井のいうルール違反が起こるかもしれないのである。





↓九条の大罪14巻 3月28日発売





管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com


第41話/自覚



突然ジャックの家に押しかけてきた勇次郎が花山について問いかける。彼のなにを知るかと。じぶんは知っているような口ぶりだ。


しばらく黙ってから、この部屋は狭すぎるからというよくわからない理由でジャックは勇次郎を誘って外に出る。万が一、ファイトになった場合を想定したのかもしれない。


街を歩くふたり。前にも描写があったが、とても目を引くふたりだ。

ジャックがようやくはなしを再開する。知らないままだとなにか不都合があるのかと。

勇次郎は「尺度が違う」と花山を評する。ジャックは、勇次郎をはじめ、そういう異次元な存在ってたまにいるというふつうの返事だ。異次元の存在感なふたりがはなしてるのがおもしろい。

だがジャックはそういうみかたをしないという。それはただの調査不足だと。すべてはデータ、数字で計測可能なのだ。なるほど。


勇次郎は、骨延長や歯の改造などをあげ、いかにもジャックらしいという。だけどジャックにも幻想的な伝説があるともいう。日に30時間の鍛錬というあれだ。ここからの勇次郎がいうことはよくわからないのだが、ふつうは、強度を上げるという工夫で時間を圧縮する。それをしないからといって、恥も誇りもない。つまりそうした非合理から幻想が生まれたとしても、それはなんでもないことだと、こういうことかな。データで読み取りできない非合理は恥でも誇りでもないと。


だが、いずれにせよ花山はそういう生き方をしない。やつには強く生まれた自覚、負い目があると、勇次郎が的確に説明する。強者である以上鍛錬は卑怯、こういう揺るがぬ自覚をどう破るのかと。


さらに勇次郎が付け加える。握力がイイと。花山が全力で拳を握ればじぶんの拳を握りつぶしてしまうだろうとも。ジャックは楽しそうに、その潰れた拳を噛み砕こうというのだった。



つづく



こんなに勇次郎が他人を認める、というか他人を語る日がくるなんてな。


今回はなんかよくわからない会話だった。何回読んでもよくわからん。オレ体調悪いのかな。


まず、花山は尺度が並ではない。勇次郎はそれしか言っていないので、そのあとのジャックの反応が的外れである可能性はあるが、そのままに読むと、異次元な存在である。既存のものさし、価値観では計り知れない。しかしそれはジャックにいわせれば調査不足である。人間の肉体が生むものである以上、それはなんらかのデータで評価可能である。それを受けて勇次郎は、ジャックにもそうでないぶぶん、日に30時間という幻想があるじゃないかという。これは、そうみえる、みるひとがいるというはなしだ。花山が「尺度が並じゃない」とみえるように、ジャックもそうみえる。ふつうは、強度を上げて時間を短くする。ジャックの場合は強度を上げて時間も長くしてるからあてはまらないが、とにかくふつうはそうだ。データとして読み取れない、そういう幻想性を、ジャックもまた帯びている。データにうるさい合理的なジャックが、非合理にも日に30時間の鍛錬を行う、それじたいは別にいいんじゃないかな、そういうことってあるんじゃないかなというのが、勇次郎の言っていることと思われる。

同じように、花山も幻想性を帯びている。その内容もジャックとは異なる。そして、それは彼の自覚とともにある。強者が鍛えることは卑怯だという確信のもとにある。内容以外に両者に差があるとすればそこだろう。ジャックには、日に30時間が非合理であり、じしんのデータ主義となじまないという自覚がない。しかし花山はみずから選んでそうしているのである。


ジャックにできることはなにか。この思想対決は、レバ刺しが示したように、花山の「エエカッコしいも悪くないよ」というしかたではじまるだろう。相手を否定せず、引き込むスタイルだ。しかしジャックがそれにつきあわなければならないということもない。「エエカッコしいも悪くない」、つまり花山のスタイルでも強いということが示せれば、花山の勝ちだ。ではジャックはどうすべきか? 花山の「自覚」を揺さぶるのである。ジャックは、花山じしんが握りつぶしてしまった彼の拳をさらに噛み砕くという。潰れる前に噛み砕くのではないのだ。つまり、そのとき花山は「拳を握りつぶす」という、尺度が異なる神秘を実現してしまっている。それを噛み砕く。これは、花山が体現した幻想・神秘を、噛みつきで上回るということなのだ。データ偏重で築かれた噛みつきが神秘を超えるとき、花山の「自覚」、つまりじしんを強者とする認識はどうなるか。もちろん、彼がふつうより多くを持って生まれてしまったことはまちがいない。だが、これは人格否定ではなく思想対決である。花山はじっさいその思想のもとにさらに強くなっている。だがそれをジャックが噛み砕くなら、データ偏重はスタイルとして非鍛錬を上回ることになるのだ。潰れた拳を噛み砕くというのは、このように、神秘をデータが超越する状況を象徴するのであり、ジャックはそれを通じて花山の自覚も超えることができる。ジャックのデータ主義では日に30時間の鍛錬がもたらす幻想性を説明できない。だが花山は「自覚」のもとに幻想性をまとっている。その差を埋めるには、その花山の「自覚」がほんとうなたしかなのかどうか、鍛錬をしなくてほんとうにじゅうぶんなのかどうか、突きつける以外ないのである。



↓刃牙らへん4巻 4月8日発売






管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com