すっぴんマスター -8ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第126審/日常の犯罪⑨



久々の菅原だ。韓国からカンボジア、タイに流れてきた菅原を壬生が訪ねているのだ。

菅原はプールに入ってご機嫌だが、壬生は誘われても入らない。目の前で水死したやつを見てから…とか言ってるが、めんどくさいだけだろう。

菅原はタイをかなり気に入っており、壬生にも勧めている。日本にいるよりははるかに安全だし、新しいビジネスもはじめたらしい。

壬生は、宇治から聞いたはなしとして、出雲が必死で自分たちを探していると語る。足がつかないように気をつけろと。壬生はそれを言いにきたわけでもないだろうか。

菅原は肝に銘じるという。

そのあとタコスを食べて、菅原は大麻を吸おうと壬生を誘う。壬生は、なぜか、なにを肝に銘じたのかと皮肉っぽくいう。菅原はいまを楽しめと。タイでは一時医療用の大麻が解禁されたが、娯楽目的の使用が増え、今年再規制され、医師の処方箋が必要になったそうだ。観光客が娯楽目的で大麻を買うことはもともと認められていないので、捕まったりしたら身元が割れて出雲に見つかりそう。でも、壬生の皮肉はそういうことでもないのかも。いかにもタイを満喫していて緊張感を欠く感じが引っかかったのだろう。


その宇治と出雲は麻雀をしている。宇治は、いやでも出雲と関わらなきゃいけないからたいへんだなあ。すごいストレス感じてそう。

そこで、出雲は百井から手を引くよういう。宇治は黙るが、地獄耳なんだわという軽いノリではなしが進む。出雲はなんかいつかのとき百井について謎の怒りを見せていたから、どうなるか少し心配だったが、宇治はあっさり手を引くとして、もめないようだ。

それから出雲は、「穴」を買ってくれないかと持ち出す。山奥に穴を掘る業者からふたつ買ったらしいのだが、そんな穴の位置を知っている業者が存在していていいのか、ということで、業者云々はジョークかもしれない。もちろん、壬生と菅原を生き埋めにするためのものだ。それを聞いて宇治は「追うのをやめたんですか?」という返しだ。埋めたいなら追わなければならないわけだが、それを宇治に買わせる、つまり宇治にあげるというから、そう聞いたのだろう。それと、ここにはヤクザ的文法みたいなものを通じてしかわからないものもあるっぽい。とにかくなにか大きな動きがあったことを宇治は理解し、探ったのである。大きな動きとは、タイで菅原が見つかったことなのだった。

だから宇治にそのひとつを200万で買って欲しいということだが、なぜ無関係(ということになっている)な宇治が買わなければならないのか、ここにも出雲からの探りがある。宇治はたんに高すぎると言って退席してしまうが、なぜ自分が?とか言ってもよかったかも。いや、でもここで反論して解答の用意がない質問とかが始まってもめんどくさいかな…。表向き壬生の幼馴染であることにはちがいはないし。ヤクザどうしの会話はコミュニケーションとして高度すぎる。



さて、キャラ弁をのらと中川さんに頼まれた曽我部はもうそれを作ったらしい。ふつうに出歩いてるのは、短期のあの仕事が終わったのか、のらが手配して外出してるのか。

曽我部はどちらにもスプランキーのお弁当を作ったみたいだ。最近ゲーセンとかヴィレヴァンで見るやつだ。流行り始めくらいのときにハギーワギーが出てきたこともあるし、こういう、家にいたんではわからない流行りを見つけるの、真鍋先生はすごいよな。

のらの娘は大喜びで初めて「ぴっかり」したらしい。意味がわからずググッたよ…。きれいに完食することを「ぴっかりん」というらしい。勉強になりました。

中川さんのところでも子どもは喜んでくれたみたいだが、中川さんじしんはひどい顔で曽我部に金を貸してくれないかという。太客がついて稼げるからというはなしで曽我部がかわりに弁当を作ったわけだが、中川さんの昔の男が、ヤバいひとに金を借りてしまって頼ってきたということだ。いまも好きなの?と曽我部は聞く。やっぱり少しは気になるか。でもそうではない。嫌いだ。風俗で働いていることを生活保護のひとにばらすぞと脅されたのだ。

以前から中川さんのお金で遊び回っていた人間だ。なんとか逃げたのに頭虫、ユスリカみたいにわいてくる。いまの平穏を失いたくない。だから助けてくれと、中川さんはいうのである。


またのらとセックスしてたらしい百井のもとに出雲から連絡。夜顔を貸せと。文の感じからしても嫌な予感しかしない。でもこのはなしは、ヤクザを警戒しているのらにも早めに伝わったほうがいいかもしれない。


別の日、九条の事務所を誰かが訪れる。烏丸が、九条なら屋上にいると伝える。気安い雰囲気だ。そして九条は、そろそろ来ると思っていたと、曽我部を迎えるのだった。



つづく



曽我部は、薬師前ではなく九条のとこに行くのだな…


今回は盛りだくさんだったな。ストーリー追うだけでけっこう長くなってしまった。


出雲が金づるとして百井に目をつけているのはいいとして、なぜ宇治にこういう態度なのかがよくわからない。すでに出雲は京極がケツモチをしていたということで百井と対面していて、面倒をみると宣言しており、それがゆえ、別ルートで百井を知った宇治を牽制している状況だ。としたら、宇治はあとからきているわけだから、こういうはなしになるのも自然なのかな。でもそれならそれで、あいつは京極のかわりにじぶんが面倒みてるから…みたいなはなしになりそうで、いまいち百井の奪い合いの文脈がわからない。15巻出たら読み直さないと。


このなかで、百井の上司にあたるのらの存在だけは隠れている。すごい上物のハッパで、なんというか、よくできたシステムという感じがするから、出雲や宇治は百井よりさらにうえの存在に勘づいてはいるだろう。それ以上に、ここで百井らはヤクザ間のいやがらせ的攻防のアイテムにもなっている。宇治が百井一派をねらうのは、出雲がいうように、仮想通貨で稼いでいる宇治のことであり、金が目的なのではない。出雲がからんでいるからこそなのだ。出雲としてもそういう気持ちはあり、だからこそ、宇治が暗躍しているのを知ってわざとなんでもないことのように、堂々と正面から「おれのだけど文句ある?」とするのかもしれない。

この「おれの」のなかに、のらは入りたくない。のらもタイに行くって言ってたかな、ノウハウは完成したので、そうなったら海外に逃げるみたいなことを言っていた。しかし出雲らは組織がまるごとほしい。となると、のらは百井を切る以外ないだろう。百井がのらから受け取ったノウハウで現行の売り上げを維持するなら、出雲的にも文句はないというか、なにも起こってないからだ。

ただ、成功してなにものかになろうとする百井だって、ヤクザはいやだろう。誰だってヤクザは嫌だろうが、ヤクザ的攻防をみてもわかるように、この駆け引きに使われるコマが百井である必要はないのである。コマであることを仮に許容したとしても、じぶんである必然性がないポジションは本意ではないだろう。のらにもそういうところがあり、彼らは「じぶんである必然性」を求めて居場所を選ぶのである。たとえば百井がのら以上の商才やセンスを発揮して、出雲もたまげるほどの売り上げを出すなら、それが百井であるべき理由は生じるだろう。しかしそうではないのだ。


曽我部は九条のところになにをしにきたのか。流れからすると中川さんの元カレのことなのかな。まだわからないが、もしかするとここからの流れは、曽我部が他人のためにちからを尽くす展開になるかもしれない。いま彼自身もたいへんな状況で、げんにときどき薬師前に無言電話をかけたりしてしまっているわけだが、今回最後のコマの曽我部からは決意が感じられ、いつもとちがうものがみえる。たんに苦しいからなんとかしたくてというふうではないのだ。それならやはり薬師前を訪ねるのではないか。

この兆しは、前回のキャラ弁のくだりからあったわけである。子どもという公共財への奉仕だ。のらや中川さんに子分のように使われながらひどさは感じられず、それどころかおかしみが見えたのは、キャラ弁作りが社会人的ふるまいの模型だったからだ。こうしたことを通じて、おとなは社会の成員になる。曽我部がじしんの弱さを脱するためにすべきことは、たんに強くなることだけなのではない。ほかの弱きものにおもいをいたすことができるようになれば、社会全体の「弱さ」はそのぶん緩和される。薬師前はまさにその最前線にいるわけだが、曽我部がまず九条のもとにきたのは、九条がこうしたことにもドライに戦略的に携わるからだろう。だいたい、中川さんの件だとすると、カタギではなさそうな人間も関わっており、薬師前の管轄ではなさそうだ。曽我部じしん、まだ久馬のようなものに搾取される立場ではあるが、以前よりたくましくはなっている。そこで生じたわずかな余裕が、彼を九条のもとに行かせたのだろう。



↓九条の大罪 15巻 8月29日発売





管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第49話/至上のコミュニケーション



花山のつねり・むしりをやせ我慢で突破したジャック。ジャックは、倒れたところから立ちあがろうとする花山の顔面に蹴りかかる。


すごい音がしたっぽい。ジャックの蹴りを花山が拳で受け止めたのだ。脛と拳頭、骨と骨がぶつかり合ったわけである。


脛も拳も衝撃でビリビリしている。痛みもあるだろう。だが砕けてはいないらしい。たいそう硬いと聞いていたが砕けてはいないとジャックは挑発する。なぜどちらもくだけていないのかはわからないが、花山はパンチをしたわけではないし、互いの関節が機能する方向的にたまたまそこに弾力が備わったのかもしれない。


会話でファイトが止まっているいまということか、園田の部下が、さすがに止めようという。しかし死刑囚編以来、まさに“刃牙らへん”の洗礼を受けてきた園田にとっては、これは警察としてとめに入るべきたぐいの暴力ではない。対話なのだった。それを園田が理解してくれるのはうれしいが、警察としての仕事を果たしていないことはたしかで、部下のひともたいへんだな。


ジャックの攻撃が続く。左のパンチから裸締めだ。といっても、なぜか不完全なかたちである。このまましめることもできるだろうが、よく言われるような脱出不可能という様子ではない。まったく格闘技を知らないひとに写真だけみせてやらせたらこうなりそう。

だが、ジャックの目的はチョークではない。足も胴体に絡ませて全身をのせた状態で首筋に噛みついたのだ。血が高く噴き出す。動脈を切ったのだろうか。だとしたら、どちらが勝つにせよ決着は近い。


だが、ジャックは知らないことだが、花山に裸締めは通用しない。握撃というとんでもない技があるからだ。いや、あれは技じゃないんだった。

だが今回花山が見せたのは握撃ではなかった。よく似てるがちがう。そして、読者も痛みが想像できるたぐいのやつだった。腕の肉をそれぞれの手で互い違いにしぼる、ぞうきんしぼりなのだった。

それを花山がやればどうなるか。木崎はなんだか悟ったような口調で、おそらくじしんの少年時代を思い出しつつ、花山が使っちゃダメなやつだと語る。当然皮も肉も裂けるのである。互いに血を噴き出すものすごい状況になるのだった。



つづく



また痛そうなことをこのひとは…


“ぞうきん絞り”も、よく少年時代にやったりやられたりしたやつだ。

つねりもそうだが、花山のこれらの攻撃はむしろちょっとカッコ悪いのではないか、ということは第46話で少し書いた。






つねりやぞうきんは花山の想定する行動モデルの範疇であり、彼の美学に反するものではないのだ、というはなしだが、それにしても、やっぱりこのファイトにおいては、花山はわざとこういう攻撃をしてるんじゃないかという感じがする。

そして、これが重大なのだが、ジャックの噛みつきは、花山が用いるこれらの攻撃と属性的には同じではないかということがあるのだ。


花山に行動モデルがあり、それはつねりやぞうきんを含むとしよう。するとどうなるか。花山は、それら「ちょっとカッコ悪い攻撃」をしながらも、依然として「エエカッコしい」である。だとするなら、噛みつきにこだわるジャックもまた「エエカッコしい」なのではないか?ちがいは、かたわらに他者の目線をイメージするかいなかではないのか。花山はそれを言おうとしているのではないだろうか。ジャックの「エエカッコしい」批判は他者の目線を宿している。そんなものにこだわらず、使いたいものを使いたいように使えばよいのではないのかと、花山は伝えているのではないか。


うえの記事にも書いているが、ジャックの噛みつきはとても象徴的な技だ。「オンナコドモ」の技とされる噛みつきをすすんで取り入れ、その強力さのうちに彼の合理性とともに、ジェンダーロールを含む社会的規範からの逸脱という身振りが、母親の代理的ファイターであるという出自込みで含まれているのだ。ジャックはこれを意識することもあるだろうし、噛みつきの合理性が生きる範囲では、これを忘れることもあるだろう。だが彼が気にしているといないとに関わらず、ここにはある種の政治的意味がどうしても含まれてしまう。フェミニストが性について語る言葉はすべてフェミニズムの言説になってしまう。その思想が定着していない界隈ではなおさらそうだ。花山はここからジャックを解き放つ存在なのではないだろうか。


仮に解き放たれることがあったとして、それはなにを意味するだろう。つまり、「カッコ悪い技にこだわるのも美学の内であり、そこに他人の評価は不要である」となったとき、なにが起こるか。ひとまずジャックが抱える(と読者は考える)いっしゅのややこしさは失せるだろう。だが、彼が打ち立てたせっかくの「エエカッコしい」批判の文脈は骨抜きにされてしまう。花山はたしかにそういうタイプの「エエカッコしい」かもしれない。カッコ悪い技もカッコよくしてしまう男だ。だがジャックがエエカッコしい批判を加えていたものは、誰か個人というよりは、ファイター一般にありがちな心性というほどのものだったはずだ。これは生きていたほうがいいだろう。なぜなら、その批判的精神が噛道を道たらしめているからだ。母親の代理としての自己、女の技である噛みつきを「強力だから」という理由づけをしてあえて用いる反骨、これらはどれも人生にしんどさを呼び込んできた。だがそれがあったからジャックは強かったのである。どういう落とし所があるのかというとわからないが、ジャックにはジャックの人生がある。梢江との関係を刃牙にただしたときのように、花山は優しいが、おせっかいなぶぶんもあり、しかもそういうときの花山はいやに「物分かりのいい大人」だ。それが出てきているのかもしれない。



↓刃牙らへん 5巻 9月8日発売






管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第125審/日常の犯罪⑧




百井のボスであるのらという元自衛官の女性を紹介され、短期でグロワーの仕事をしている曽我部。絶対にひとをいれてはいけないと約束している大麻の栽培場に、勝手にしこんだGPSをたよりにやっかいな久馬が来てしまった。


曽我部は頑張って久馬を部屋に近づけないようにするが、かえってあやしい。久馬は曽我部の指をひねっていたぶる。

この様子を監視カメラからみていたのらは、別の栽培場にいる髭鼠という男に、部屋のものを運び出すよう指示する。ここで、のらの近くにいた百井がカメラの映像をみて、不審者が久馬だと気づいてくれた。監視カメラの存在や部屋の重要さまで伝わってしまうことにはなるが、とにかく百井は久馬を追い払う。このふたりの上下関係ってなんなんだろうな。久馬は借金はしてるみたいだが別におそれてるようでもないし…


久馬もここは一時退散、その彼を、尾行していた久我が見送る。換気扇から大麻の匂いがすごいするらしい。監視カメラもあやしい。こうして宇治にもこの部屋は知られてしまうのだった。



手際よく解決したからだろうか、髭鼠に戻るよう指示してから、のらは百井にセックスしようという。ふだんは女性向け風俗で済ませているみたい。

百井はうまいらしく、それが意外だという。

しながら、のらはキャラ弁を作れるかと訊ねる。百井は曽我部が器用だからできるかもという。これはわりとまじめに聞いていたらしく、百井と別れ、帰宅を待つ娘は明後日遠足なのだ。名前は沙梨だが、ふりがなは「りさ」となっている。どっちかが逆なのだろうがらこれでじっさいりさと読むなら斬新だな。貴明であきたかってことだ。

のらは、ネイルしたばっかりだからお弁当が作れない。ふだんはマリアさんという外国のシッターがいるらしいが、家庭の事情で一時帰国している。そこで曽我部だ。コドミュンという写真をシェアするアプリで、遠足時のお弁当画像が出回るわけだが、こういう場所では、デパ地下で買ったものを詰め替えたものが素人のキャラ弁に負けるのである。だから頼んだと。こうみると、のらも曽我部にこころを許している感じがある。


そもそものらに子どもがいたことが衝撃なわけだが、立て続けに今度は中川さんから電話で、しかも同じく子どものお弁当の依頼である。たぶん風俗の仕事が稼ぎ時で動けないらしい。ほんとはお迎えもしてもらいたいが、曽我部もまた動けないからお弁当だけ。弁当づくりに曽我部は思わぬ才能を発揮するのか?!



つづく



弁当屋じゃないんだけどのくだりは笑ってしまった。


最後の煽り文をみると、弱き者に群がる…などということが書いてあり、これを読むまでぼくは、今回ののら・中川さんのむちゃぶりをむしろほほえましいものと読んでいた。というか、じっさいほほえましいだろう。しかし、断れない曽我部をパシリにするという点では金本とちがいがないはずでは?という疑問は持ってもいいかもしれない。たしかにパシリである、しかしどこか和む、それはなぜなのか? 子どもがからんでいるからである。もっともせまい意味での私利私欲ではなく、愛するもののためにのらや中川さんは曽我部をパシっているのである。そして、子どもは守るべきもの、その成長を見守るべきものという合意形成が一般にはされている。この合意がされていないと子どもは育たないで成人が出現せず、そもそも見守るべきものかどうかというような議論もあらわれないからだ。この議論を超えるのは自己否定とエゴイズムだけだ。子どもを通じ、曽我部はある種の公共財に触れているのである。だから、パシリはパシリでも欲や暴力がおもてに出る性質のものにはならず、曽我部の反応こみでちょっと笑えるのである。


公共財に接続するために曽我部にはなにが必要か。曽我部はあんな性格なのでああいう雰囲気になったが、じっさい困っているのだろう。それは、キャラ弁を作れるかどうかというような次元のはなしでもない。いま述べたように、公共財を市民として守らんとするものは自己否定を抱えたままではいられない。生まれてこないほうがまだマシ、というままでは、これからを生きるものを守ることはできない。かくして、おそらく曽我部は自己肯定を要請されるのである。


たほう、彼の人懐こさは、「攻撃者への同一化」の、よい方向への副作用にもおもえる。どんな理不尽も、特に以前の彼にとっては必然性のあるものだった。じぶんがバカだから、金本がいじめるのは自然なことであり、痛い目にあうのも「ものの道理」だった。父親の件を経てこれはある程度克服されたが、ふるまいの癖みたいなものは残っている。それが、どんなものでも他者のじぶんへの評価はいったんは受け止める、素直な大型犬のような親しみを呼ぶ。これはこれで出会いによっては負担の大きい生き方だが、のらや中川さん、ということはたぶん女性には、有効に働くのである。

この人懐こさが自己否定とうすく結びつくものであるなら、自己肯定に至る成長の過程で曽我部が一時的に不安定になる可能性はある。要するに、パシられていることに気がつく、その意味を知る瞬間が訪れるのである。だがその第三者的視座が彼を大人に、公共人にもするだろう。子どもとのやりとりを通じて大人になるということもある。できたら曽我部には子どもとコミュニケーションをとってもらいたいが、外出できないし、たぶんなさそうだよな…



↓九条の大罪15巻 8月29日発売





管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第48話/ミキリ



花山の足にからみつき噛みつきをするもすねの肉をむしりとられ絶叫するジャック。沈黙に濁音がついた表現で、声というか音になっていない感じだ。

500円硬貨をぞうきんみたいにしぼる指の力。それをはらんだ握力で肉をまるごとつかんでむしりとる。そりゃあ痛かろうと、木崎は遠い目をして考えている。


痛いのは痛いだろうが、ジャックはどちらかというと痛みに強い人間である。ピクルに顔半分喰われても笑っていた男なのだ。ここには変化が感じ取れるわけだが、ともあれ、うずくまって痛がる姿は闘技場なら勝負ありにされてそうではある。花山は珍しくもうムリか…などと言っている。花山はどうあっても相手から確認をとる人間であり、まだ意識のあるジャックにこの態度はかなり奇妙である。ここからはジャック同様変化というか、これがふつうの喧嘩とは少しちがう、美学対決であるがゆえか、いつもとは異なる動機が感じられるが、たんに挑発しているだけかもしれない。


それを受けて、立ち上がったジャックが必死の形相で「見切ッタ」となんとかくちにする。これには観衆も花山もはてなマークである。ふつうわたしたちは距離や速さや動作の複雑さを見切るからである。窮して負け惜しみで言っているようでもあるが、これも保留がよいだろう。痛みの程度を理解した、「見切った」可能性もあるからである。


ともかくファイトは続く。ジャックの強烈なジャブと、これは回転後ろ蹴りかな、両方が、やはりまともに花山に決まる。ジャックの打撃である。シコルスキーなら2回死んでるとおもうが、花山にはあまり通じない。というか、通じているとかいないとかがあまり関係ないというところだろうか。その様子をみて木崎は決着が近いことを悟る。


立ちあがろうと、花山が低い体勢になっているところをジャックは見逃さない。その顔面に、縦蹴り気味の蹴りが襲いかかるのだった。



つづく



これもう終わりなのかなあ。木崎のいう決着って花山の勝ちだよな。ジャック負けちゃうのかなあ…


ジャックは相変わらず痛みを隠さない。作中でくりかえし木崎に言われるまでもなく、そりゃあ痛いだろうなとおもう。しかし、失神するまでトレーニングを続ける男が、チョークを歯が砕けるまで我慢し、顔を喰われても笑う男が、あそこまでになるということがあるだろうか。

状況からしてこれは噛道の完成と無関係ではないと思われる。そして、噛道が完成したという事実が、花山のような「エエカッコしい」との対比においてどういう意味をもつのかということなのである。


ジャックが極めた噛みつきは、通常、「オンナコドモの技」として一般のファイターからは厭われ、カッコ悪いものとされる。これは、母・ジェーンの代理人としてファイター人生をスタートさせたジャックの、女性性の現れとみることができる。噛みつきとは、女性的な技なのだ。だがこれをつきつめると、ファイターたちの考えるカッコよさ、もっといえば「美」は、女性性のなかにはないということになる。そして、作品としてそういう傾向はあった。たとえば最大トーナメントでの光成の発言、男なら誰しもいちどは…のようなものが好例だ。ほかにも枚挙にいとまがない。強さとは男のもの。だから女っぽいものは、仮に強力でも、美学が許さない。これは光成やファイターを責めてもしかたのないことだろう。げんに社会は「男性のほうが堅牢なからだをしている」という仮説を内面化しており、男性だけでなく女性もそれに与しているからだ。その意味では、いかに「強い女」であっても朱沢江珠は勇次郎にかなわないし、梢江は親子喧嘩から追い払われるのである。

ここでは、骨格がどうとか、テストステロンがどうとかと言って、「男性のほうが堅牢なからだをしている」かどうかについては立ち入らない。ただ社会的に揺るがし難い合意形成があるということだけ確認できればじゅうぶんだ。


こういう世界でジャックは噛みつきを敢行する。強力だからだ。彼には、社会的合意形成などというものは通用しない。カッコ悪いかどうかなんてどうでもいい。クスリも使うし、でかいほうが強いならでかくもなる。こういう人間の象徴的技術が噛みつきであるのだ。彼が噛みつきを極めるということはすなわち、いっさいの社会的規範からの解放を意味するのである。ジャックがあんなに叫ぶのはそれのあらわれだろう。痛みを見せないのはファイトの基本だ。ダメージがあるとわかれば相手は終わりが近いことを知って元気になってしまうし、だいたいそこを攻められてしまう。だが、そうした「基本」も、ジャックにはあまり関係がないかもしれない。その点は花山と似ているぶぶんがあり、ジャックは相手によってたたかいかたが変わるということがない。ただ「ジャック・ハンマー」を目いっぱい出してみせるだけだ。つまり、相手が有利になるとか、じぶんが不利になるとかも、あまり考えない。考えないのが誠実だ、と考えているわけでもない。ある意味ここに相手はいない。ただじぶんがどれだけ強いか、強くなったか、それを知りたいだけなのである。そういうぶぶんも、ジャックは噛道を極めることによって鮮明になったようにおもう。


そう考えたとき、いかにも幼稚なあの「見切った」発言がなんなのかも見えてくる。あれは、花山に向けて強がっているのではたい。自分に向けて言っているのである。



このことが「エエカッコしい」の文脈でどう機能するかと考えたとき、花山の「ムリか」発言はどう受け止めればよいのか。花山は美学の男、規範の男である。ジャックの噛みつきは、噛むだけでなく、噛みちぎったときもっとも大きなダメージを与えるが、それは花山のつねり・むしりとかなり似ている。花山の指はある種の牙なのだ。では両者でなにが異なるか。ジャックは、誰しもが…ファイトでは無視される女性ですらがもつ「歯」をつかい、花山は、花山しか持たない特別な「指」をつかうのだ。一般と特殊なのである。誰もがもつものを牙とするものと、自分以外の誰ももたないものを牙とするもの。究極的には、花山はジャックを倒そうとしているのではない。エレガントにレバ刺しを差し出して、「エエカッコしいも悪くない」と示したいだけなのだ。ではそれは、具体的にはなにを意味するのか。それは、「そのひとだけがもつ特殊を牙にせよ」ということだったのである。

ややこしいのは噛道じたいは特殊だということだろう。だが噛みつきはジャックだけのものではない。女性ばかりか子どもでも使用可能な牙だ。こうしたわけで、だれでも持っている歯を牙にするのではなく、ジャックしか持ち得ないものを牙にするべきではと提案するのが花山なのだ。だから、花山目線ではそもそもこのたたかいは対等ではないのである。それがなんなのかはわからないが、ジャックはジャックの特殊を用いていないしみつけていない。花山は見つけるべきだと考える。そこであのような、花山らしからぬ不遜な発言があらわれたのである。




↓刃牙らへん 5巻 9月8日発売!







管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com


第124審/日常の犯罪⑦



プッシャーの曽我部が、百井のボスであるのらのもとで大麻のグロワーの短期バイト。誰も入れてはいけないその部屋を何者かが訪れる。


やってきたのは佐々木久馬である。これまでは「求馬」という字だったが、今回はこうなっている。事情があってのことかもしれないので、最新の表記にしたがう。監視カメラで様子をみていたのらは、久馬に警戒してなにか手を打つつもりらしい。


久馬は、曽我部のスマホに勝手に入れたアプリで居場所がわかったらしい。だがGPSでは階層までわからないので、上かもと疑っている。曽我部はあわてまくりだ。外をのぞいても誰もいないのは久馬がしゃがんでいるからだ。そして電話を鳴らして在宅を確認、窓を破られたくなければ開けるようメッセージアプリでいう。とにかくなかに入れるのだけはまずい。ヤクザも警察もやばいが、久馬は身近なぶんめんどくさい。曽我部は覚悟を決める。久馬はかなり苦手だが、のらとの約束を守らなければならない。だから、とりあえず外に出て、なにより久馬を中に入れない作戦だ。


苛立つ久馬はモモチを連発。プッシャーの仕事の「納税」をしていなかったようだ。中に入って説教だと久馬はいうが、それはなんとか避けなくてはならない。まだ久馬は部屋のなかに関心を持ってはいないが、時間の問題だろう。のらはなにかしてくれるかな…



屋上で飲んでいた九条、烏丸、薬師前。父の命日である烏丸は母親のところに行かなくてはならないのでここまで。九条と薬師前は飲み直す。


実家の烏丸母はぐったり横になっている。で、横になったまま顔も向けずにはなす。命日で思い出すのかもしれないが、この様子ではいつもそうなのだろう。命日だから息子が来たということは理解しているだろうが、特になにをするでもない。母の好きなそぼろ弁当を買ってきたし、烏丸は素麺を作ろうとしたりもするが、母親は食欲がない。幽体離脱できたら食卓に座るんだが、というコメントに、烏丸はよく冗談を言っていたころの母をわずかに感じる。

部屋は換気扇がガムテで封じられ、窓も閉じられたまま。烏丸の父は、ある無差別殺人事件でひとを守って殺された。エリートでもあり、一時英雄に祭り上げられた烏丸父だったが、当時週刊誌記者だった市田が不本意ながら書いた援助交際のスクープで世間の態度は180度変わってしまった。そのころの記者の攻勢が記憶にあり、引っ越したいまも開放できないのだ。


息子を強いねとしつつ母は拒否、烏丸は帰宅する。犯人や犯行のことを思う自室の烏丸を囲うのは、壁に飾られた無数の昆虫標本である。烏丸は、弁護士になっていなかったらなにになりたかったかという話題で昆虫学者とこたえていたもんな。それにしてもすごい量だ。



(父さんが命を捧げた正義は

磔にされた標本の昆虫だ。


母さんの心は過去に置いてきぼりだよ)





つづく



烏丸はこれ、スーツのまま寝るのかな…


久馬はめんどくさいやつだが、のらはどんな手を打つ気だろう。ふつうなら警察を呼べばいいが、部屋の近くでもめている以上、それは危険すぎる。のらにも暴力の手駒があるのだろうか。彼女はたぶんなるべくヤクザやキツめの半グレとはつきあわないようにしてるだろうから、それも難しそうだが…。自衛隊時代のめっちゃガタイのいい友達とかかな。


久馬は「納税」がなかったから曽我部を詰めているわけだが、この執着のしかたは異常といえるかもしれない。久馬だって合法ではなかったとしても曽我部が現れるまでふつうに生きていたわけだからなんらかの収入源があったはずである。まあ、誰か上位の不良にゆすられていたり、ギャンブルで負けたりして曽我部のことを思い出しただけかもしれないが、この粘着のしかたは金本を思いださせる。つまり、曽我部じしんに「攻撃者への同一化」が習慣化しているぶぶんがあり、このタイプのやからを引き寄せてしまうのである。





彼はもともと強い自己否定を抱えていた。こんなにバカでだめなじぶんがひどい目にあうのは当然であると、このように理解することが常態となったとき、同一化は起こる。とりわけ金本においては、じぶんを否定して金本を擁護するかのような言動も見られ、曽我部がどれだけつらいおもいをしてそうした「防御」を選んだのかがみえたのである。百井の「教育」についても似たものが見えたが、ただ、金本の件を曽我部は克服している。というのは、その自己否定の感覚には、金本親子による曽我部親子の蹂躙という背景が、そもそもはあったからである。「父」は、超自我となって人間の行動の原則を定め、憲法のようにもっとも根本的な価値判断をさせる機制である。それが侮辱され、虐げられていた。これが曽我部によるべをなくさせ、自己否定以外の道を閉ざしたのだ。しかし父もまたこれを乗り越えようとしていることを知り、曽我部は変わった。以前のようなひたすらな自己否定は、いまはじっさい失せている。ではなぜいまでも彼はいじめっ子を引き寄せるのか。いじめる側の心理をいじめられる側が理解する必要はなく、ただ拒否すればよいわけだが、その拒否ができないことが、ひとつには理由となるだろう。曽我部はとても弱い。弱くても非道なら久馬のようにふるまえるかもしれないが、その上彼は優しい。これがまず最初の条件となってしまう。そしてそこに、克服したとはいえぬぐいがたく残る金本が刻んだ傷跡がある。ことあるごとに、つい、自己否定してしまう、そして攻撃者を受け入れてしまうのである。だが、今回部屋のなかに入れないという動作を通じて、彼が変わっていることも見てとれる。小さなことだが、曽我部には正念場かもしれない。



烏丸の部屋には尋常でない量の昆虫標本が飾られていた。標本は、分類して研究したり、また趣味で鑑賞したりするために、昆虫のからだを時間から解き放って保存するものだ。烏丸は母親が過去に置いてきぼりだというが、父の事件をなぞらえた標本をこれほどたくさん飾る烏丸もまたそういうぶぶんがあるのだろう。ただ、この量は、たんに異常ということではなく、烏丸の現在、つまり弁護士という仕事をうつしたものでもあるのかもしれない。法律家は日夜過去の事例や判例と向き合っている。法律家にとっての「過去」がいきいきとしたダイナミックなものであるべきか、それとも硬直した一定の事実であるべきか、難しいところだ。ただ、「過去」がいきいきとしたものになるためには、その当事者の動きや心理が感じられなくてはならない。判例にあたる際、最高裁判事の表情が感じられたりすることは通常ない。司法に限らずお役所系の仕事はたいがいそうだが、以前に下された「判断」は基本的に瑕疵がないものとして受け取られる。この意味で広く過去の事例は標本っぽさがないではない。ただ、当事者はそうではない。烏丸の母にとって、烏丸の父はまだきちんと死ねていない。当事者は「過去」を硬直させてはならないし、ふつうはそうならない。そう考えると、烏丸じじんも父の件はまったく乗り越えられていないのではないかとおもえる。烏丸が平気でいられるのは、彼が弁護士だからなのだ。ほんらい、遺族、つまり当事者である彼が父の件を標本にしてしまえば、そこにとらわれ、身動きがとれなくなってしまう。しかし弁護士としてこれを見るならば、硬直した過去は事例となる。烏丸もまた弁護士の仕事を通じてギリギリじぶんを保っているのである。






↓九条の大罪 15巻 8月29日発売!






管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com