第123審/日常の犯罪
今日は烏丸の父の命日。だがその前に薬師前も呼んで屋上で宴会。
薬師前は、加害者が不起訴でも、通り魔にあった長女の母親に遺族給付金は出るか、ということを聞いている。故意の犯罪被害なら出るということで、薬師前はこの仕事を九条にたのもうとするが、烏丸がやりたいと言い出す。母親が苦労しているのをみてきたから、助けになりたいのだ。加害者が不起訴になった理由を調べてみるという。
薬師前はいっぽうで連絡のない曽我部が気になる。連絡しようとはしてるっぽいが、なにもいわずに電話を切ってしまうみたいなことが続いているのだ。闇バイトとかしてないかなと心配なのだ。
その曽我部は百井にいわれてグロワーの仕事だ。いわれた場所はぼろいアパートで、マリファナを育てているとはとても想像できない。同じくドアの前だが、上下のコマで曽我部のいる場所がちがう。信じられなくてうろうろしたっぽい。
監視カメラで様子をみていたのらが曽我部を入れる。入るなり緊張して噛みながら挨拶する曽我部に、落ち着いた雰囲気ののらはまず鍵をしめるようにいう。これからもだ。入ったら鍵。曽我部のトレーニング開始だ。
用意してあった作業着に着替え、曽我部は説明を受ける。LEDライトで昼夜を、エアコンで季節を作るが、自動なのでこれには曽我部は触れない。扇風機で適当なストレスを与える、のは曽我部もやる仕事なのかな。人間と同じでそのほうが強くなるという。
商品は曽我部もたまげる美品だ。香りもいいらしい。徹底的に研究してここまでにしたと、少しこころを開いた様子でのらがいう。ちなみに、マリファナはメス株しか商品にならないから、女の気持ちは女にわかる、などという他愛ないセリフでのらは女性だとはっきりした。こういうビジュアルの男性、いまは珍しくないからな。
曽我部はここに1週間こもって収穫と仕分け。買い出しに出かけるのはいいがそのたびに連絡、ウーバーなど使わないように言われる。さらに、念押しのように、部外者を入れないようにとのらは釘を刺す。ほとんど前フリである。監視はしてるみたいだけど。
曽我部を残してのらと百井が会う。のらの曽我部の印象は悪くなさそう。
のらは都内7ヶ所に栽培部屋があり、売上は2億になるという。だがそろそろ足を洗って、マリファナが合法のタイにでもいって世界ランクを目指したいそうだ。だから日本は百井に引き継がせたい。百井は少し考えるという。
のらは元自衛官だそうだ。その退職金でグロワーを始めた。簡潔な物言いは前職のせいなわけである。ミサイルは打てるけどなんのスキルも資格もない自衛官が稼ごうとしたら、いちばん近道はこれだったと。
最初はモネロで海外から買っていた。対面で、互いに警戒しながら、ヒップホップかぶれの24歳ヤンキーに50グラム20万で売ったと。
のらは、近くにいる魚を見ながら、せまい世界観のなかに生きるものを語る。水槽が全世界な彼らは、ただ降ってくるエサを食べるだけで、生きることに鈍感。あとはより大きな魚のえさになるだけ。「宇宙の支配者」としてひとコマ描かれる男は24歳ヤンキーにちょっと似てるが、関係ないだろう。よくみるとふたりは公園などではなく、ホームセンターかペットショップかわからないが、魚や水槽を売っているところにいる。そこにいた客を見ながらいっているのだ。魚には水槽が全世界だが、それを支配する支配者があんな雇われの疲弊したやつだとわかったら死にたくなると。そしてその支配者もまた、ただ生きてただ死んでゆく。ルール違反でもじぶんの考えかたで生きた方がいい。
黙々と作業する曽我部。その家をなにものかが訪れる。強く叩かれるドアに、曽我部はビクつくのだった。
つづく
ドアのまんなかにあるやつってインターホンだよな?わざわざビクつかせるためにドア叩くってことは、のらがテスト気味にきた感じかな。
のらは珍しく強者側の女性ということのようだ。ウシジマくんの映画ではファンタジーとして滑皮ポジションに女性が配されたが、本編では意外となかったタイプの人物だ。
だがそれも、百井によれば、ヤクザや警察に目をつけられてしまえばおしまいだ。なぜおしまいかというと、ルール違反、法令違反をしているからである。げんに宇治や出雲はそのつもりだ。警察は違反者をとりしまる。ヤクザは、違反者を弱みのあるものとして奴隷にする。百井のいうような未来しか彼らの未来に待っていないのだとしたら、結局「支配者」は「より大きな魚」であることになる。のらは馬鹿ではなさそうなので、もちろんそういうことは理解しているだろう。それでもじぶんの考えかたに従ったほうが良いというはなしだ。つまりポイントは、支配されているかどうかではなく、主体性なのだ。そして、そのような「食う/食われる」の原理が見えているかどうかということである。水槽の外が想像できるのとできないのとでは、ただ食われるにしても意味が異なるのだろう。
では、わたしたちはどんなときから水槽の外が想像できるようになるのか。というか、どうやってわたしたちは、じぶんのいる場所が水槽であると知るのか。むろん、じぶんより小さな水槽をのぞきこむことによってである。水槽を全世界であると信じるものを目撃してからである。のらが、しょぼいヒップホップかぶれの客について語り、目についたさえない男をディスるのは、そうした立ち位置がはじめて彼女に水槽の外を理解させたからなのだ。
しかし、みずからの考えに従い、選び取る生き方は、そんなにすばらしいものだろうか。映画マトリックスでも、世界が仮想現実だと知ったのち、すべてを忘れてそこへ戻ろうとする人物はいた。彼(サイファーという小狡い男)が挫折したのは「現実」の厳しさが原因だったろうが、「現実」を知ったものに必ず訪れる徒労感というものもある。それは、ある種の「体感」、つまり水槽の壁の存在を認識し、その外側、つまり「現実」があることを知ってしまうということは、その「体感」そのものがまったく信用できないものだと知ってしまうことなのである。いままで全世界だと思っていたものが実は水槽だと知らされたとして、ではわたしたちどうやってその水槽の外側がどうぶつの森の世界ではないと信じればいいのか。水槽を全世界だと信じるものが目の前に泳いでいる事実が、わたしたちのその「現実」も揺さぶってしまうのである。
だから、のらのように世のことわり知ったつもりになり、しかもそれを思弁ではなく行動や財産において結果として求めるものは、止まることができなくなる。結局は彼女も、どん詰まりでヤクザか警察にぶつかるのだ。彼女はそれを悟っているから、いまタイへの移住を考えている。膨らむ現実が障害物に接触しないところを探すのである。
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