すっぴんマスター -7ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第123審/日常の犯罪




今日は烏丸の父の命日。だがその前に薬師前も呼んで屋上で宴会。

薬師前は、加害者が不起訴でも、通り魔にあった長女の母親に遺族給付金は出るか、ということを聞いている。故意の犯罪被害なら出るということで、薬師前はこの仕事を九条にたのもうとするが、烏丸がやりたいと言い出す。母親が苦労しているのをみてきたから、助けになりたいのだ。加害者が不起訴になった理由を調べてみるという。

薬師前はいっぽうで連絡のない曽我部が気になる。連絡しようとはしてるっぽいが、なにもいわずに電話を切ってしまうみたいなことが続いているのだ。闇バイトとかしてないかなと心配なのだ。


その曽我部は百井にいわれてグロワーの仕事だ。いわれた場所はぼろいアパートで、マリファナを育てているとはとても想像できない。同じくドアの前だが、上下のコマで曽我部のいる場所がちがう。信じられなくてうろうろしたっぽい。

監視カメラで様子をみていたのらが曽我部を入れる。入るなり緊張して噛みながら挨拶する曽我部に、落ち着いた雰囲気ののらはまず鍵をしめるようにいう。これからもだ。入ったら鍵。曽我部のトレーニング開始だ。

用意してあった作業着に着替え、曽我部は説明を受ける。LEDライトで昼夜を、エアコンで季節を作るが、自動なのでこれには曽我部は触れない。扇風機で適当なストレスを与える、のは曽我部もやる仕事なのかな。人間と同じでそのほうが強くなるという。


商品は曽我部もたまげる美品だ。香りもいいらしい。徹底的に研究してここまでにしたと、少しこころを開いた様子でのらがいう。ちなみに、マリファナはメス株しか商品にならないから、女の気持ちは女にわかる、などという他愛ないセリフでのらは女性だとはっきりした。こういうビジュアルの男性、いまは珍しくないからな。


曽我部はここに1週間こもって収穫と仕分け。買い出しに出かけるのはいいがそのたびに連絡、ウーバーなど使わないように言われる。さらに、念押しのように、部外者を入れないようにとのらは釘を刺す。ほとんど前フリである。監視はしてるみたいだけど。


曽我部を残してのらと百井が会う。のらの曽我部の印象は悪くなさそう。

のらは都内7ヶ所に栽培部屋があり、売上は2億になるという。だがそろそろ足を洗って、マリファナが合法のタイにでもいって世界ランクを目指したいそうだ。だから日本は百井に引き継がせたい。百井は少し考えるという。


のらは元自衛官だそうだ。その退職金でグロワーを始めた。簡潔な物言いは前職のせいなわけである。ミサイルは打てるけどなんのスキルも資格もない自衛官が稼ごうとしたら、いちばん近道はこれだったと。

最初はモネロで海外から買っていた。対面で、互いに警戒しながら、ヒップホップかぶれの24歳ヤンキーに50グラム20万で売ったと。

のらは、近くにいる魚を見ながら、せまい世界観のなかに生きるものを語る。水槽が全世界な彼らは、ただ降ってくるエサを食べるだけで、生きることに鈍感。あとはより大きな魚のえさになるだけ。「宇宙の支配者」としてひとコマ描かれる男は24歳ヤンキーにちょっと似てるが、関係ないだろう。よくみるとふたりは公園などではなく、ホームセンターかペットショップかわからないが、魚や水槽を売っているところにいる。そこにいた客を見ながらいっているのだ。魚には水槽が全世界だが、それを支配する支配者があんな雇われの疲弊したやつだとわかったら死にたくなると。そしてその支配者もまた、ただ生きてただ死んでゆく。ルール違反でもじぶんの考えかたで生きた方がいい。


黙々と作業する曽我部。その家をなにものかが訪れる。強く叩かれるドアに、曽我部はビクつくのだった。



つづく



ドアのまんなかにあるやつってインターホンだよな?わざわざビクつかせるためにドア叩くってことは、のらがテスト気味にきた感じかな。


のらは珍しく強者側の女性ということのようだ。ウシジマくんの映画ではファンタジーとして滑皮ポジションに女性が配されたが、本編では意外となかったタイプの人物だ。

だがそれも、百井によれば、ヤクザや警察に目をつけられてしまえばおしまいだ。なぜおしまいかというと、ルール違反、法令違反をしているからである。げんに宇治や出雲はそのつもりだ。警察は違反者をとりしまる。ヤクザは、違反者を弱みのあるものとして奴隷にする。百井のいうような未来しか彼らの未来に待っていないのだとしたら、結局「支配者」は「より大きな魚」であることになる。のらは馬鹿ではなさそうなので、もちろんそういうことは理解しているだろう。それでもじぶんの考えかたに従ったほうが良いというはなしだ。つまりポイントは、支配されているかどうかではなく、主体性なのだ。そして、そのような「食う/食われる」の原理が見えているかどうかということである。水槽の外が想像できるのとできないのとでは、ただ食われるにしても意味が異なるのだろう。


では、わたしたちはどんなときから水槽の外が想像できるようになるのか。というか、どうやってわたしたちは、じぶんのいる場所が水槽であると知るのか。むろん、じぶんより小さな水槽をのぞきこむことによってである。水槽を全世界であると信じるものを目撃してからである。のらが、しょぼいヒップホップかぶれの客について語り、目についたさえない男をディスるのは、そうした立ち位置がはじめて彼女に水槽の外を理解させたからなのだ。


しかし、みずからの考えに従い、選び取る生き方は、そんなにすばらしいものだろうか。映画マトリックスでも、世界が仮想現実だと知ったのち、すべてを忘れてそこへ戻ろうとする人物はいた。彼(サイファーという小狡い男)が挫折したのは「現実」の厳しさが原因だったろうが、「現実」を知ったものに必ず訪れる徒労感というものもある。それは、ある種の「体感」、つまり水槽の壁の存在を認識し、その外側、つまり「現実」があることを知ってしまうということは、その「体感」そのものがまったく信用できないものだと知ってしまうことなのである。いままで全世界だと思っていたものが実は水槽だと知らされたとして、ではわたしたちどうやってその水槽の外側がどうぶつの森の世界ではないと信じればいいのか。水槽を全世界だと信じるものが目の前に泳いでいる事実が、わたしたちのその「現実」も揺さぶってしまうのである。

だから、のらのように世のことわり知ったつもりになり、しかもそれを思弁ではなく行動や財産において結果として求めるものは、止まることができなくなる。結局は彼女も、どん詰まりでヤクザか警察にぶつかるのだ。彼女はそれを悟っているから、いまタイへの移住を考えている。膨らむ現実が障害物に接触しないところを探すのである。








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第45話/「甘い、嘗めるな」




花山の一撃をまともにくらうも、曲がった歯を指で治してこともなげに立ち上がるジャック。花山の構えをみて、「格闘技」というものに思いを馳せる。


古くは角力、そして古代オリンピックまでさかのぼることのできる格闘にかんする技術体系だが、防御技術を備えないものはない。しかし花山は、防御をしないどころではない。防御をしていない、防ぐ気がないことを積極的に相手に伝えようとしているんじゃないかというほどのノーガードである。一見すると両手ををあげた、いわゆるガードのようでもある。だが、花山の腕は、以前よりもさらに肘を上げたものに変化していっている。ただ握った拳をあげているだけでなく、いまから放つぞという意志をより強く孕むものになっているのだ。

それは、ひたすらに「腕っぷし」を比べるのが花山にとってのファイトだからだ。どっちの肉体が上なのか。どっちが「強い漢(ガイ)」なのか。ただそれだけなのだ。


当たる距離とはおもえない位置から伸びてくるジャックのジャブ、そしてアッパー、ボディへの軽い突き。花山はそのすべてを任務であるかのようにもらっていく。腕をとった柔道のような美しい投げも、花山はまともに受け、顔面をしたたかに地面に打ちつける。ジャックは花山を思春期の少女のようだと考える。メープルシロップのように甘い、非現実的な幻想。「漢比べ」は結構だ。だが、じぶんは勝つために技術を使う。


投げからまたやはりむくりと起き上がる花山の背後をとり、耳元で「格闘技に謝罪(あや)まれ」とつぶやき、最近は噛みつきに次ぐ得意技になっていると思われるスープレックス。後頭部を打ちつけられる花山。目をつぶってるな。


ジャックは、花山を押さえ込んだまま、最新の闘争術を見せるとして、花山の左腕にかぶりつくのだった。



つづく



互いに美学があって、よく噛み合ったいいファイトだな…

ジャックはまた服の上から噛みつきをしている。ジャックは、勇次郎から注意されていたにもかかわらず本部にそれをやって歯をぜんぶもっていかれたことがあるが、本部がいまのじぶんにさせたみたいなことも言っていた。あれはただ「丈夫な歯」のことを言っているものと思われたが、今回このようにまた服の上から噛み、前回の指で治すくだりも含むと、なんらかの対策をしてあるのかもしれない。たとえば、逆に抜けやすくすることによりダメージをなくすとか、歯がなくても有効な噛みつき技があるとか…。たぶんあんまり考えてないんだとおもうけど。


ジャックは花山の握撃のことを知っているだろうか。片手が封じられているからはさみつぶすことはできないが、やろうとすればなんでもできる。いちどだけ花山もやっていたことがあるが、たとえばこの位置なら眼窩に親指を入れられるだろう。最近はそういうことあんまりしないけど。あとはやっぱりつねりだろうな。


ジャックは花山を思春期の少女と呼ぶ。非現実な幻想にまどろむ甘ったれだということだ。強さ比べをするなら自分は技術を用いる。まさに強さ比べのために先人が築き上げてきたその体系を、花山は甘く見ている。そうでなければそれを使わないばかりか、使ってくる相手に勝とうなどとはおもわないからだ。だから、謝れという。

ここまで感傷的ではないにしても、このくだりはジャックのステロイド観に似ているところがある。それを使えば強くなる、勝てる。それがわかっているのになぜ使わない?と、こういうはなしだ。一般的には、からだを蝕むものであるとか、あるいは、それがあまり一般的ではない文脈では相手がそれを使っていない以上卑怯な感じがして憚られるとかいうはなしになり、「いま」勝てるかどうかしか考えていないジャックとは、この話題では対話が成立しない。だがそれを超えたところでは、これについて有効な言説もないではない。たとえば刃牙は、最大トーナメント決勝前に、それで強くなれるとおもうんなら使ったらいいということを言っていた。つまり、刃牙もジャックのやりかたを否定してはいないのだ。でもじぶんはしない。むろん、それよりも有効な方法を知っている(と確信している)からだ。

これとまたよく似た言説には、武器の使用についてのものがある。たとえばドイルは、ストライダムにこういう武器を使われたらどうするか、ずるいと感じないか的なことをいわれ、不思議そうな顔をしながら、それで勝てるとおもうなら使えばいいじゃないかということを言っていた。


このようにして、それぞれにある格闘観は、「それをしたら勝てる」とおもうから、採用されているのである。それは花山もあまり変わらない。あまり、としたのは、彼は生まれたときから強者であり、またその強い自覚があるから、ただ勝つにしてもふつうとはちがう認識のしかたをしている可能性があるからだ。でも、なるべく負けようとしている、なんてことはないはずである。なにしろ勝つために、花山にはしなければならないことがある。ガードをしない、相手からの攻撃というメッセージはぜんぶ受け取る、そうして「持って生まれたもの」としての原罪を中和する。花山薫を構成するものがすべて葬られたとき、「名もなき博徒」が死んだまま「守る」動作を続けたように、ただ述語のみの動作体になる。もはやその段階では「花山が殴る」のではない、「殴る」だけが自律して動いているのである。こうなってからようやく花山は勝ちを願える。そしてその、純度100パーセントのパンチは強力無比である。だとするなら、花山の意志はともかく、結果としては、やはり彼もまた「こうすれば勝てる」を選んでいるのである。


長時間のトレーニング、高負荷高回数、大量の薬、骨延長と、ひたすらに「量」をもって強さを獲得してきたジャックに、東洋的な引き算の美学すら感じられる花山のありようが理解できないのはしかたがないのだろう。そして、たとえばそれが西洋的な量の増大、経済学や、ベートーベン的な、物語にクライマックスを想定する価値観(バッハやモーツァルトの音楽にクライマックス、あるいは現代歌謡でいうサビのようなものはない)を是とする空間では、ジャック的なものはたしかに勝ちに結びつくかもしれない。その「勝ち」とは、当の空間が設定するものだからだ。しかし、とりわけ花山の宿すものは量を比べ合うようなシンプルな価値観ではない。強さ比べじたいはシンプルなものかもしれない。だがそこには「強さとはなにか」という問いすら含まれているのである。








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第122審/日常の犯罪⑤



父親の命日ということで母親のもとに向かう予定の烏丸だが、その前に九条と飲むことにする。といってもいつもの屋上だが。

ここは事務所の上だったのか。九条が住んでいたとこと様子がちがうからわからなかった。引っ越したんだっけ?

そして、いつものように薬師前もいる。17時過ぎだとしても、薬師前は付き合いいいよな。すごい近くで働いてるのかな。


今の仕事をしていなかったらなにになりたかったか、という他愛ない話題で、九条は寿司職人とこたえる。超うそくさい、絶対いま考えたやつだろ。

烏丸は昆虫学者、薬師前はフードファイター。と言ってもたくさん食べられないから配信者でいい。

烏丸はこれから母親のところに行くわけだが、急く様子がない。ずっとふさぎこんでるから乗り気じゃないのだ。



久我と曽我部。久我が曽我部から大麻をもらっている。いいネタらしい。

ふたりは刑務所ボケのはなしでだいぶ盛り上がる。久我はヤクザになったし、曽我部とは立ち位置がちがうが、刑務所のはなしではシンパシーが感じられてなんか楽しそう。

刑務所では、ドアを開けるのも、落としたものを拾うのも、いちいち看守の許可が必要だ。それに慣れてしまうから、外に出ていろいろとぼけたことをしてしまう。みんな有利になりたいから刑務官に近い計算係や衛生係をやりたがると。

曽我部が、刑務所でいじめられていたはなしをする。看守にみえないところで工具を足に刺してくると。叫んでも飛び上がっても懲罰なのでがまんするさまを見て楽しんでいたらしい。きちんと説明して証明できても懲罰なのかな。

しかし吐きだめに鶴、助けてくれたひとがいた。目つきの悪い、まわりから一目置かれてた感じの人物で、おそらく、手は出さずくちだけで刺すのをやめさせたっぽい。すると看守が10人もやってきてはがいじめ、拘束衣を着せられて10日も独房に入れられたが、黙って耐えていたらしい。無断離席ということらしいが、以上な対応である。管理者がふだんから危険視していたということだろう。

うわさではどこかの組のえらいひと。観音の刺青だったと。京極なのだった。


受け取った大麻を久我が宇治に渡している。

百井、のらのグループは、久我の勘ではなかなかよさげである。もとは京極が面倒を見ていたが、出雲がかわりにケツモチをするみたいなはなしが出ているところだ。同じ組だし、ややこしくはならないのかもしれないが、宇治はこれをぜんぶ奴隷にして奪うつもりだ。


ついでに久我は、曽我部から聞いたヤクザもののはなしも伝える。たぶん京極だと。嫌な性格だがそういうとこあると、宇治すら認めざるを得ない男っぷりである。



このはなしを、ふたりの男が盗聴している。ひとりは出雲だが、もうひとりは誰だ?嵐山かと思ったが、ヒゲがあるな…。

いちど借りた宇治の車にGPSと盗聴器をしかけたというはなしだったから、それで拾ってるのかな。すぐ後ろが車だし。


京極の男っぷりに感涙しつつ、気持ちを切り替え、出雲は宇治より先に百井らを奴隷にすると決めるのだった。



つづく



出雲は、百井が舐め腐っていると言っているのだが、なにに怒っているのだろう…。なんで出雲を通さずに曽我部と久我がやりとりしてんの?みたいなことなのかな…。


京極はどういうおもいで刑に服しているのだろう。壬生の策略で捕まった京極だが、彼にとって深刻だったのは、壬生の計画通りに動いた雁金によって伏見組から絶縁されてしまったことだ。もちろん京極はなにものかの策略であることを見抜いている。たぶんそれが壬生であることもわかっている。しかしそれとは別に、組織に属し、尊敬し尊敬される上下関係のなかに生きてきた京極にとって絶縁のもたらした精神的ダメージは大きかったはずだ。


京極はかつて、壬生ら半グレとヤクザのちがいについて、道理を説いたことがある。利益や将来の見通しではなく、ひとや世のあるべき姿というものにしたがうというスタンスなのだ。

彼はまた、尊敬する親分の死に際を「人事を尽くして天命を待つ」と表現していた。そういう親分を、彼は尊敬している。ちからを出し尽くし、やるべきことをやって、あとは「天」が与える宿命をまっとうする、こういう面も彼にはあるのだ。


中国思想の「天」という概念は、中国人として育ち、これを生活レベルで内面化してこなかったものにとっては意外と理解が難しく、たとえば西洋なら似た概念としての「神」などをここによせて推測するしかないものだが、ともあれ、ここで問題になるのは道理をわきまえた京極はいまどうあるべきなのかということだ。彼は人事を尽くしたつもりではあったろう。としたらいまの命運も、親分が死を受け入れたように、黙って引き受けなければならない。だが当初絶縁を伝えられたときの彼の反応はとてもそのようなものには見えなかった。あれを一時的な怒りによるものとみるかどうかで読み方は変わってくるが、ここでは、彼はいまも納得はしていないものと考える。というのは、京極にとっての壬生のようなもの、つまり道理をわきまえないものは、存在すべきではないものだからだ。道理のあるところに天はかざす。だが、じぶんを陥れたものはそうではないのである。そこに天命はない。また、それはじしんが天命をまっとうしようとする道を阻むだろう。だからほんらいは排除対象なのである。


しかし、それはともかくとして、いまじぶんはこうして捕まっている。京極のふるまい、山城が証言するじぶんを律した毎日や曽我部に対する義の敢行からは、「人事を尽くす」という哲学がみてとれる。じぶんがこうなっているのは、天に背くものの行為によるものなのであるから天命とはいえない。だから受け入れられない。しかし、そうしたノイズを引き寄せてしまったこともまた事実である。だとすれば、これもまたある種の天命といえるのではないか。おそらく京極の境地はこんなところだ。だとしたらどうすべきか。なぜこうなったのか?「人事を尽くす」が足りなかったのである。「なすべきことなす」ができていなかったのである。天はよい結果をもたらすことを約束する機関ではない。たんに「説明」するものだ。こういうことを京極は悟った。それなら、引き続き、やれることをやり続けるしかないのである。

しかし、やはり壬生への怒りは保存されているとは思われる。京極からすれば、逆走してきた車をよけようとして事故ったようなものだ。たんに悪事が暴かれて捕まるだけならそれも天命といえたかもしれない。しかしそうではない。尽くし足りなかったのだとしても、だからといって悪い結果も受け入れなければならないということにはならないのである。









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第44話/顎



振りかぶった花山の剛拳がジャックの顔面に再び命中。見開きぶんふっとんで、さらに何回転かしてようやくとまる。花山も身長のわりにかなり重いほうではあるが、ジャックはあの巨体である。しかしなんの問題もなくいつもの花山のパンチなのだった。


停止した位置では地面に後頭部を強打してもいる。ギャラリーは生死さえ疑ったが、ダメージがないということはないとしても、ジャックはむくりとふつうに起き上がる。そしてくちを開け、親指で歯をいじる。パンチで曲がってしまった前のほうの歯を戻しているのだ。木崎はそれを「豪気」と内心讃えているが、よくわからない、そんなにかんたんに曲がったりもどしたりできるものなのか?やわらかいの?それじゃジャックじしんの咬合力に耐えられないのでは…



ファイト前の、組事務所での花山と木崎の会話が回想される。

脊椎動物が顎を獲得したのは4億3000万年前だと木崎は突然始める。花山はいきなりなんだという顔してて和む。むろんジャックのはなしだ。それ以前まで魚だったものたちは、泥のなかの微生物をすするような弱々しい存在だった。そこに顎という革命がやってきた。なにがすごいか。巨大な生物をひとくちサイズに噛みきれるようになった、いっぱい食べるようになったのである。そうして生物たちはいっきに巨大化していった。さらに加えて、その進化の過程である。手足はそれなりにかたちを変えてきたが、顎だけはずっと同じ構造なのだという。つまり、最初から完成されていたのだ。


花山は、木崎は大学出てるからなあなどと適当に応えている。木崎インテリ設定は外伝のやつだよね。本編初かな。

ちょっと難しかったですかね、などという木崎は、少し花山をバカにしすぎじゃないかという気がするが、花山は別になんともおもわないみたいだ。こういうはなしはぜんぶ任せてるし、家庭教師みたいなこともしてたから、なんかこう、溥儀とジョンストン先生みたいな感じなのかな。


このはなしの主旨だ。そんな“顎”の存在に気がつくジャックのセンス、その純度に、少しびびってるというはなしである。


現場では歯を噛み合わせたジャックが改めて噛むことを宣言するのだった。




つづく



次号休載、5月29日発売26号掲載予定。



今回のパンチでは拳を切り裂く噛みつきは行われなかったらしい。

それともやろうとして失敗、歯が曲がったのかな。

なんにしても、あの歯が曲がるやつは、どう受け止めればよいのかわからない。チタンになって歯じたいがじょうぶになり、鍛えに鍛えた首と顎であの咬合力を発揮するのだとしても、それを接続する歯の根本ぶぶんが弱いということだよね。ふつうの打撃でいうとこれはちょうど握力にあたる。いかにパワーがあり、体重があり、技術があっても、握りがしっかりしていないと、当たった瞬間に拳が崩れ、手首が曲がり、不発になる。それとも、噛道をきわめたジャックのことであるから、これはあえてなのかな。あまりにも丈夫すぎると、彼自身の顎のちからもあり、かたすぎるものをかんだとき頭蓋骨などに深刻なダメージを受けてしまうとか。なんなら歯がなくても使える技術とかもあるのかも。


噛道のおそろしさをインテリ木崎が語る回だった。からだを巨大化させた、生物の強さにかかわる象徴的なものとしての顎、しかもそれはできたときからほとんど構造が変わっていないという。これは、要するにに、歯が並んだふたつの顎ではさみ、噛みちぎる、という基本機能が変わっていない、というほどの意味だろう。食事、ひいては巨大化にかんして、生物はこれ以上の発明をしなかった、というかおそらくこれ以上合理的な摂取法はないのだ。

ただ、これに着目するジャックについていうならば、最初から完成されていた…というより、食事、また噛むということがいかに原始的で生命にとって根源的かという視点になるだろう。「最初から」はあまり重要ではない。重要性があるとすれば、進化していない、つまりおそらくはこれ以上の発明はないのだ、という点で、最初に完成してもいま完成しても、完成は完成である。


ともかく、生命が巨大化、つまり強さを得るにあたってした最初にして最後の大発明が「噛む」ということであり、進化していないことからはこれ以上が考えられないということが推理できる(なんらかの理由で食事や巨大化の優先度が下がり、進化を必要としなかった、というふうにも当然考えられるが、それは今回は考えない)。というはなしならば、「顎」が強さに生きるものにとって最重要器官であることは自明になるはずである。実際、野生ではそうなわけだ。どんな動物も、噛みつくことをもっとも強力な武器にしている。木崎はここのぶぶんをとばしているが、ジャックの特異性は、にもかかわらずなぜか人類は「顎」を武器とすることをタブー化しており、彼はそれを超越している、ということにある。


この噛みつきのタブー化の経路は2通り考えられ、ひとつは、一般に言われる、殺人、近親相姦などと合わせた、社会契約的な意味でのタブーである。噛みつきを同族に対しての武器として使用することと「共食い」は近いところにある。さらにいえば、拳と殺人が近いところにあるのと同様、食うからには殺すわけで、ここには二重の機制が働いている可能性がある。人類は言葉をもち、事物を説明し、共有する能力に優れている。こういう生き物が、ふつうの野生が共食いを厭う以上の強さでこれを嫌悪するのは自然なことなのである。

もうひとつの経路は、それに加えて、ここで語られているのはファイターであり、たたかいに美学を見出すものだということである。噛みつきとは彼らからすれば「オンナコドモの技」であり、そんなものはかっこわるくて使えないと、こういうはなしだ。この「エエカッコしい」の心性に説得力いっぱいの強さでもって立ち向かうのがジャックだと、こういう物語なのである。


だが、冷静に考えればすぐにわかることだが、なぜ噛みつきが「オンナコドモの技」なのかというと、強力だからなのである。非力でも、ファイトに美学を見出していてもいなくても、無関係に強いからそうなのである。ジャックがファイターたちにつきつけるのは、「あなたは、強くなりたいのか?それともカッコよくなりたいのか?どっちなんですか?」という問いなのである。


むろん、事態はそう単純ではなく、独歩や花山などはまさにその美学があるからこそ強い。カッコつけてるから強いのである。そのように、これがそこまでシンプルなはなしでないことは、ジャックはいままさに花山と戦っていて理解しはじめているだろう。木崎が感じる、顎に着目したジャックの、強さにかんしてのセンスはたしかに優れたものだ。だがわたしたちは人間であり、人間には人間の強さがある。「顎」をたんに強力な器官として行使するのではなく、他の機能と並列にあつかう、そこにすでにある種の美学は宿っている。花山はそのきわみにあるもの、噛まずに美味を感じるレバ刺しを届けるエレガントさのなかにある男だ。そして、ジャックは、人間の生物としての根源に、噛みつきを通じて取り組みながらも、ここからなにかを学ぶことはできるはずなのである。










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第121審/日常の犯罪④



大麻の栽培をしているところだ。これは百井なのか、それともこのあと登場するのらなのか、よくわからない。しかし百井は栽培をしている様子はないし、はなしの流れからするとのらなのかな。


で、そののらという人物から百井に電話がくる。のらは百井のボスで、女性っぽい。いわれてみると栽培している人物の顔は女性らしさがある。表情がちがいすぎるので、それでもまだ断定はできないが…


要するに、インフルエンザで従業員が倒れたのでひとをまわしてほしいという内容だ。ふだんは闇金から債務者を400万でまわしてもらっている。住所など割れていて飛びにくくなっているからだ。今回は、頭数が欲しいというより、期間限定で信用できるものがほしい。のらはV系バンドのボーカルみたいで、いちおう女性らしいけど、しゃべりかたといい、あんまりそういうのが関係なさそう。

仕事内容は刈り取り、仕分け、梱包。あと退屈だというトリム作業。百井が「打ってつけ」と思い浮かべるのは、むろん曽我部である。


曽我部はぐったりとちからの入らない毎日を送っている。不安で寝不足、お金を稼ぐことしか楽しみがないが、違法に手に入れたお金は使い道が限られ、同時に常にタタキの心配をしなくてはならない。家にいても気が休まらない、なんなら、「これでいい」と納得できる時間や空間がどこにもないのだ。

そうして手に入れた金も、弱肉強食の世界で、「納税」として求馬に奪われる。税金は高くても世のため人のためになるが、この「納税」はただ求馬が満足するだけで、いかにも意味がない。


合流した百井が、ボスからの指示ということで、曽我部に「グロワー」の仕事をするようにいう。栽培するひとがグロワーで、百井のように販売を取り仕切る上位売人がディーラー、末端売人の曽我部がプッシャー。グロワーはヤクザや警察に見つかったら終わり。稼げるけど慎重さが必要な仕事なのだった。



九条と烏丸。帰ろうとする烏丸を九条がよびとめる。マリファナ所持初犯、更生の余地が多いにある中野という人物の弁論要旨を書いているので、それが終わったら一杯どうかと。しかし烏丸は用事がある。

九条には初犯の若者には更生の機会をという信念がある、と烏丸が指摘する。九条は「建前上は」などと言っているが、まあそういう男だよね。ネット時代、違法薬物にかんたんに接触してしまう状況でもある。


今日は烏丸の父の命日だ。烏丸の用事とはそれで、これから母親のところにいくらしい。が、少し烏丸の気分もかわり、故人を偲んでふたりは一杯ひっかけることにするのだった。



つづく



曽我部はどんどんまずいところに巻き込まれていくなあ…


しかし、百井が曽我部をボスに預けてもいい、信用できるものととらえている感じが、よくわからない。前から百井にはその感じはあった。だがそれは、犯罪行為をさせるわけだから当然というか、一種のおだてのように見えていた。お前は信用できる、だから、わかってるよな?と、こういうわけである。ところがボスののらがここに関わってくるとなるとはなしは違ってくる。その奇妙な高評価が、含みを持った技巧的なものではなく、そのままの意味になるのである。そしてじっさいに曽我部の仕事次第は百井の信用にさえ関わってくるのである。百井はそこまで見越しておだてているのだろうか、それとも言葉のまま、心底曽我部を信用しているのだろうか。つまり、こうしてさらに大きな負担をかけて期待していることを暗に伝え、同時にプレッシャーをかけているのかということだ。部下のそういう育て方はじっさいあるだろう。そして、それは彼が曽我部をじっさいに信用していてもいなくても、場合によっては同じかもしれない。要するに、脅し混じりの期待をふりかけることでひとはおもうように動くのであり、げんにいま信用できるかは無関係になるということを、百井は経験的に知っているのかもしれない。


いずれにせよ曽我部は、これまであまり気にしないでこれた「責任」を負うことになる。「責任」のあらわれかたというものはだいたい気の持ちようだが、とりわけ第三者が関わってくる場所でくっきりしたものになるだろう。


烏丸の父は殺されている。その後、ただ売上のためだけに、記者の市田が不本意ながら書いた週刊誌の記事により、英雄的被害者だった父は一転誹謗中傷を受けることになった。それから、烏丸の母親は笑わなくなってしまった。






この記事に書いてある烏丸の無時間モデル思考などは、忘れていたので、読み返してよかった。読者のひともできたら読み返してください。


このときのはなしで、九条と母親の目が似ているということがあった。それは、感情を殺しているからなのだが、その理由はそれぞれ異なっている。父の命日、母に会いに行く烏丸は九条の目を見てなにをおもうだろう。

烏丸は、「日本一のたこ焼き」のような空語に意味を見出さない。未来が想像できるものに興味がない、という傾向は、事物、また広く言葉について、意味するものと意味されるものの一致を求める。そのたこ焼きが想像よりうまかったりまずかったり、そうした、事物と記号のあいだにあるずれ、振動、余白、こういうものを、烏丸は信用してこなかったのだ。これが彼に秀才型の法的思考力と無時間モデルの外部把握を身につけさせた。事物と記号が結びつき、ぴったり重なり合うという認識は、たとえば食べる前とあとで変容する「日本一のたこ焼き」のようなもの、またコアラのような非合理な生き方をするものにはうまく馴染まない。その瞬間、同時に意味とイメージが感受されるようなものでなくてはならない。そして法律、特に罪刑法定主義に則した刑法が、こうした性質を持っているのである。

たほうで、掲示した記事内容では、九条はじしんを無時間の場所に置いていると書いた。要するに、彼はどこにもいないのである。これがある種の感傷をまちがいなく原動力にしながら、どうしようもない半グレの弁護を可能にする特殊な「無感情」を可能にするのである。


この九条と同じ目を、母親がしている。理由は異なれど、必要があってそうしているという点は同じかもしれない。父の死はその原因にちがいない。烏丸が母親とこの日をすごすということは、そうした技巧的無感情の因果をたしかめるということだ。彼が一杯くらいならと態度を変えたのは、その技巧的無感情のあらわれである九条の「建前」という語を受けてのことかもしれない。








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