第44話/顎
振りかぶった花山の剛拳がジャックの顔面に再び命中。見開きぶんふっとんで、さらに何回転かしてようやくとまる。花山も身長のわりにかなり重いほうではあるが、ジャックはあの巨体である。しかしなんの問題もなくいつもの花山のパンチなのだった。
停止した位置では地面に後頭部を強打してもいる。ギャラリーは生死さえ疑ったが、ダメージがないということはないとしても、ジャックはむくりとふつうに起き上がる。そしてくちを開け、親指で歯をいじる。パンチで曲がってしまった前のほうの歯を戻しているのだ。木崎はそれを「豪気」と内心讃えているが、よくわからない、そんなにかんたんに曲がったりもどしたりできるものなのか?やわらかいの?それじゃジャックじしんの咬合力に耐えられないのでは…
ファイト前の、組事務所での花山と木崎の会話が回想される。
脊椎動物が顎を獲得したのは4億3000万年前だと木崎は突然始める。花山はいきなりなんだという顔してて和む。むろんジャックのはなしだ。それ以前まで魚だったものたちは、泥のなかの微生物をすするような弱々しい存在だった。そこに顎という革命がやってきた。なにがすごいか。巨大な生物をひとくちサイズに噛みきれるようになった、いっぱい食べるようになったのである。そうして生物たちはいっきに巨大化していった。さらに加えて、その進化の過程である。手足はそれなりにかたちを変えてきたが、顎だけはずっと同じ構造なのだという。つまり、最初から完成されていたのだ。
花山は、木崎は大学出てるからなあなどと適当に応えている。木崎インテリ設定は外伝のやつだよね。本編初かな。
ちょっと難しかったですかね、などという木崎は、少し花山をバカにしすぎじゃないかという気がするが、花山は別になんともおもわないみたいだ。こういうはなしはぜんぶ任せてるし、家庭教師みたいなこともしてたから、なんかこう、溥儀とジョンストン先生みたいな感じなのかな。
このはなしの主旨だ。そんな“顎”の存在に気がつくジャックのセンス、その純度に、少しびびってるというはなしである。
現場では歯を噛み合わせたジャックが改めて噛むことを宣言するのだった。
つづく
次号休載、5月29日発売26号掲載予定。
今回のパンチでは拳を切り裂く噛みつきは行われなかったらしい。
それともやろうとして失敗、歯が曲がったのかな。
なんにしても、あの歯が曲がるやつは、どう受け止めればよいのかわからない。チタンになって歯じたいがじょうぶになり、鍛えに鍛えた首と顎であの咬合力を発揮するのだとしても、それを接続する歯の根本ぶぶんが弱いということだよね。ふつうの打撃でいうとこれはちょうど握力にあたる。いかにパワーがあり、体重があり、技術があっても、握りがしっかりしていないと、当たった瞬間に拳が崩れ、手首が曲がり、不発になる。それとも、噛道をきわめたジャックのことであるから、これはあえてなのかな。あまりにも丈夫すぎると、彼自身の顎のちからもあり、かたすぎるものをかんだとき頭蓋骨などに深刻なダメージを受けてしまうとか。なんなら歯がなくても使える技術とかもあるのかも。
噛道のおそろしさをインテリ木崎が語る回だった。からだを巨大化させた、生物の強さにかかわる象徴的なものとしての顎、しかもそれはできたときからほとんど構造が変わっていないという。これは、要するにに、歯が並んだふたつの顎ではさみ、噛みちぎる、という基本機能が変わっていない、というほどの意味だろう。食事、ひいては巨大化にかんして、生物はこれ以上の発明をしなかった、というかおそらくこれ以上合理的な摂取法はないのだ。
ただ、これに着目するジャックについていうならば、最初から完成されていた…というより、食事、また噛むということがいかに原始的で生命にとって根源的かという視点になるだろう。「最初から」はあまり重要ではない。重要性があるとすれば、進化していない、つまりおそらくはこれ以上の発明はないのだ、という点で、最初に完成してもいま完成しても、完成は完成である。
ともかく、生命が巨大化、つまり強さを得るにあたってした最初にして最後の大発明が「噛む」ということであり、進化していないことからはこれ以上が考えられないということが推理できる(なんらかの理由で食事や巨大化の優先度が下がり、進化を必要としなかった、というふうにも当然考えられるが、それは今回は考えない)。というはなしならば、「顎」が強さに生きるものにとって最重要器官であることは自明になるはずである。実際、野生ではそうなわけだ。どんな動物も、噛みつくことをもっとも強力な武器にしている。木崎はここのぶぶんをとばしているが、ジャックの特異性は、にもかかわらずなぜか人類は「顎」を武器とすることをタブー化しており、彼はそれを超越している、ということにある。
この噛みつきのタブー化の経路は2通り考えられ、ひとつは、一般に言われる、殺人、近親相姦などと合わせた、社会契約的な意味でのタブーである。噛みつきを同族に対しての武器として使用することと「共食い」は近いところにある。さらにいえば、拳と殺人が近いところにあるのと同様、食うからには殺すわけで、ここには二重の機制が働いている可能性がある。人類は言葉をもち、事物を説明し、共有する能力に優れている。こういう生き物が、ふつうの野生が共食いを厭う以上の強さでこれを嫌悪するのは自然なことなのである。
もうひとつの経路は、それに加えて、ここで語られているのはファイターであり、たたかいに美学を見出すものだということである。噛みつきとは彼らからすれば「オンナコドモの技」であり、そんなものはかっこわるくて使えないと、こういうはなしだ。この「エエカッコしい」の心性に説得力いっぱいの強さでもって立ち向かうのがジャックだと、こういう物語なのである。
だが、冷静に考えればすぐにわかることだが、なぜ噛みつきが「オンナコドモの技」なのかというと、強力だからなのである。非力でも、ファイトに美学を見出していてもいなくても、無関係に強いからそうなのである。ジャックがファイターたちにつきつけるのは、「あなたは、強くなりたいのか?それともカッコよくなりたいのか?どっちなんですか?」という問いなのである。
むろん、事態はそう単純ではなく、独歩や花山などはまさにその美学があるからこそ強い。カッコつけてるから強いのである。そのように、これがそこまでシンプルなはなしでないことは、ジャックはいままさに花山と戦っていて理解しはじめているだろう。木崎が感じる、顎に着目したジャックの、強さにかんしてのセンスはたしかに優れたものだ。だがわたしたちは人間であり、人間には人間の強さがある。「顎」をたんに強力な器官として行使するのではなく、他の機能と並列にあつかう、そこにすでにある種の美学は宿っている。花山はそのきわみにあるもの、噛まずに美味を感じるレバ刺しを届けるエレガントさのなかにある男だ。そして、ジャックは、人間の生物としての根源に、噛みつきを通じて取り組みながらも、ここからなにかを学ぶことはできるはずなのである。
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