今週の九条の大罪/第122審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第122審/日常の犯罪⑤



父親の命日ということで母親のもとに向かう予定の烏丸だが、その前に九条と飲むことにする。といってもいつもの屋上だが。

ここは事務所の上だったのか。九条が住んでいたとこと様子がちがうからわからなかった。引っ越したんだっけ?

そして、いつものように薬師前もいる。17時過ぎだとしても、薬師前は付き合いいいよな。すごい近くで働いてるのかな。


今の仕事をしていなかったらなにになりたかったか、という他愛ない話題で、九条は寿司職人とこたえる。超うそくさい、絶対いま考えたやつだろ。

烏丸は昆虫学者、薬師前はフードファイター。と言ってもたくさん食べられないから配信者でいい。

烏丸はこれから母親のところに行くわけだが、急く様子がない。ずっとふさぎこんでるから乗り気じゃないのだ。



久我と曽我部。久我が曽我部から大麻をもらっている。いいネタらしい。

ふたりは刑務所ボケのはなしでだいぶ盛り上がる。久我はヤクザになったし、曽我部とは立ち位置がちがうが、刑務所のはなしではシンパシーが感じられてなんか楽しそう。

刑務所では、ドアを開けるのも、落としたものを拾うのも、いちいち看守の許可が必要だ。それに慣れてしまうから、外に出ていろいろとぼけたことをしてしまう。みんな有利になりたいから刑務官に近い計算係や衛生係をやりたがると。

曽我部が、刑務所でいじめられていたはなしをする。看守にみえないところで工具を足に刺してくると。叫んでも飛び上がっても懲罰なのでがまんするさまを見て楽しんでいたらしい。きちんと説明して証明できても懲罰なのかな。

しかし吐きだめに鶴、助けてくれたひとがいた。目つきの悪い、まわりから一目置かれてた感じの人物で、おそらく、手は出さずくちだけで刺すのをやめさせたっぽい。すると看守が10人もやってきてはがいじめ、拘束衣を着せられて10日も独房に入れられたが、黙って耐えていたらしい。無断離席ということらしいが、以上な対応である。管理者がふだんから危険視していたということだろう。

うわさではどこかの組のえらいひと。観音の刺青だったと。京極なのだった。


受け取った大麻を久我が宇治に渡している。

百井、のらのグループは、久我の勘ではなかなかよさげである。もとは京極が面倒を見ていたが、出雲がかわりにケツモチをするみたいなはなしが出ているところだ。同じ組だし、ややこしくはならないのかもしれないが、宇治はこれをぜんぶ奴隷にして奪うつもりだ。


ついでに久我は、曽我部から聞いたヤクザもののはなしも伝える。たぶん京極だと。嫌な性格だがそういうとこあると、宇治すら認めざるを得ない男っぷりである。



このはなしを、ふたりの男が盗聴している。ひとりは出雲だが、もうひとりは誰だ?嵐山かと思ったが、ヒゲがあるな…。

いちど借りた宇治の車にGPSと盗聴器をしかけたというはなしだったから、それで拾ってるのかな。すぐ後ろが車だし。


京極の男っぷりに感涙しつつ、気持ちを切り替え、出雲は宇治より先に百井らを奴隷にすると決めるのだった。



つづく



出雲は、百井が舐め腐っていると言っているのだが、なにに怒っているのだろう…。なんで出雲を通さずに曽我部と久我がやりとりしてんの?みたいなことなのかな…。


京極はどういうおもいで刑に服しているのだろう。壬生の策略で捕まった京極だが、彼にとって深刻だったのは、壬生の計画通りに動いた雁金によって伏見組から絶縁されてしまったことだ。もちろん京極はなにものかの策略であることを見抜いている。たぶんそれが壬生であることもわかっている。しかしそれとは別に、組織に属し、尊敬し尊敬される上下関係のなかに生きてきた京極にとって絶縁のもたらした精神的ダメージは大きかったはずだ。


京極はかつて、壬生ら半グレとヤクザのちがいについて、道理を説いたことがある。利益や将来の見通しではなく、ひとや世のあるべき姿というものにしたがうというスタンスなのだ。

彼はまた、尊敬する親分の死に際を「人事を尽くして天命を待つ」と表現していた。そういう親分を、彼は尊敬している。ちからを出し尽くし、やるべきことをやって、あとは「天」が与える宿命をまっとうする、こういう面も彼にはあるのだ。


中国思想の「天」という概念は、中国人として育ち、これを生活レベルで内面化してこなかったものにとっては意外と理解が難しく、たとえば西洋なら似た概念としての「神」などをここによせて推測するしかないものだが、ともあれ、ここで問題になるのは道理をわきまえた京極はいまどうあるべきなのかということだ。彼は人事を尽くしたつもりではあったろう。としたらいまの命運も、親分が死を受け入れたように、黙って引き受けなければならない。だが当初絶縁を伝えられたときの彼の反応はとてもそのようなものには見えなかった。あれを一時的な怒りによるものとみるかどうかで読み方は変わってくるが、ここでは、彼はいまも納得はしていないものと考える。というのは、京極にとっての壬生のようなもの、つまり道理をわきまえないものは、存在すべきではないものだからだ。道理のあるところに天はかざす。だが、じぶんを陥れたものはそうではないのである。そこに天命はない。また、それはじしんが天命をまっとうしようとする道を阻むだろう。だからほんらいは排除対象なのである。


しかし、それはともかくとして、いまじぶんはこうして捕まっている。京極のふるまい、山城が証言するじぶんを律した毎日や曽我部に対する義の敢行からは、「人事を尽くす」という哲学がみてとれる。じぶんがこうなっているのは、天に背くものの行為によるものなのであるから天命とはいえない。だから受け入れられない。しかし、そうしたノイズを引き寄せてしまったこともまた事実である。だとすれば、これもまたある種の天命といえるのではないか。おそらく京極の境地はこんなところだ。だとしたらどうすべきか。なぜこうなったのか?「人事を尽くす」が足りなかったのである。「なすべきことなす」ができていなかったのである。天はよい結果をもたらすことを約束する機関ではない。たんに「説明」するものだ。こういうことを京極は悟った。それなら、引き続き、やれることをやり続けるしかないのである。

しかし、やはり壬生への怒りは保存されているとは思われる。京極からすれば、逆走してきた車をよけようとして事故ったようなものだ。たんに悪事が暴かれて捕まるだけならそれも天命といえたかもしれない。しかしそうではない。尽くし足りなかったのだとしても、だからといって悪い結果も受け入れなければならないということにはならないのである。









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