第125審/日常の犯罪⑧
百井のボスであるのらという元自衛官の女性を紹介され、短期でグロワーの仕事をしている曽我部。絶対にひとをいれてはいけないと約束している大麻の栽培場に、勝手にしこんだGPSをたよりにやっかいな久馬が来てしまった。
曽我部は頑張って久馬を部屋に近づけないようにするが、かえってあやしい。久馬は曽我部の指をひねっていたぶる。
この様子を監視カメラからみていたのらは、別の栽培場にいる髭鼠という男に、部屋のものを運び出すよう指示する。ここで、のらの近くにいた百井がカメラの映像をみて、不審者が久馬だと気づいてくれた。監視カメラの存在や部屋の重要さまで伝わってしまうことにはなるが、とにかく百井は久馬を追い払う。このふたりの上下関係ってなんなんだろうな。久馬は借金はしてるみたいだが別におそれてるようでもないし…
久馬もここは一時退散、その彼を、尾行していた久我が見送る。換気扇から大麻の匂いがすごいするらしい。監視カメラもあやしい。こうして宇治にもこの部屋は知られてしまうのだった。
手際よく解決したからだろうか、髭鼠に戻るよう指示してから、のらは百井にセックスしようという。ふだんは女性向け風俗で済ませているみたい。
百井はうまいらしく、それが意外だという。
しながら、のらはキャラ弁を作れるかと訊ねる。百井は曽我部が器用だからできるかもという。これはわりとまじめに聞いていたらしく、百井と別れ、帰宅を待つ娘は明後日遠足なのだ。名前は沙梨だが、ふりがなは「りさ」となっている。どっちかが逆なのだろうがらこれでじっさいりさと読むなら斬新だな。貴明であきたかってことだ。
のらは、ネイルしたばっかりだからお弁当が作れない。ふだんはマリアさんという外国のシッターがいるらしいが、家庭の事情で一時帰国している。そこで曽我部だ。コドミュンという写真をシェアするアプリで、遠足時のお弁当画像が出回るわけだが、こういう場所では、デパ地下で買ったものを詰め替えたものが素人のキャラ弁に負けるのである。だから頼んだと。こうみると、のらも曽我部にこころを許している感じがある。
そもそものらに子どもがいたことが衝撃なわけだが、立て続けに今度は中川さんから電話で、しかも同じく子どものお弁当の依頼である。たぶん風俗の仕事が稼ぎ時で動けないらしい。ほんとはお迎えもしてもらいたいが、曽我部もまた動けないからお弁当だけ。弁当づくりに曽我部は思わぬ才能を発揮するのか?!
つづく
弁当屋じゃないんだけどのくだりは笑ってしまった。
最後の煽り文をみると、弱き者に群がる…などということが書いてあり、これを読むまでぼくは、今回ののら・中川さんのむちゃぶりをむしろほほえましいものと読んでいた。というか、じっさいほほえましいだろう。しかし、断れない曽我部をパシリにするという点では金本とちがいがないはずでは?という疑問は持ってもいいかもしれない。たしかにパシリである、しかしどこか和む、それはなぜなのか? 子どもがからんでいるからである。もっともせまい意味での私利私欲ではなく、愛するもののためにのらや中川さんは曽我部をパシっているのである。そして、子どもは守るべきもの、その成長を見守るべきものという合意形成が一般にはされている。この合意がされていないと子どもは育たないで成人が出現せず、そもそも見守るべきものかどうかというような議論もあらわれないからだ。この議論を超えるのは自己否定とエゴイズムだけだ。子どもを通じ、曽我部はある種の公共財に触れているのである。だから、パシリはパシリでも欲や暴力がおもてに出る性質のものにはならず、曽我部の反応こみでちょっと笑えるのである。
公共財に接続するために曽我部にはなにが必要か。曽我部はあんな性格なのでああいう雰囲気になったが、じっさい困っているのだろう。それは、キャラ弁を作れるかどうかというような次元のはなしでもない。いま述べたように、公共財を市民として守らんとするものは自己否定を抱えたままではいられない。生まれてこないほうがまだマシ、というままでは、これからを生きるものを守ることはできない。かくして、おそらく曽我部は自己肯定を要請されるのである。
たほう、彼の人懐こさは、「攻撃者への同一化」の、よい方向への副作用にもおもえる。どんな理不尽も、特に以前の彼にとっては必然性のあるものだった。じぶんがバカだから、金本がいじめるのは自然なことであり、痛い目にあうのも「ものの道理」だった。父親の件を経てこれはある程度克服されたが、ふるまいの癖みたいなものは残っている。それが、どんなものでも他者のじぶんへの評価はいったんは受け止める、素直な大型犬のような親しみを呼ぶ。これはこれで出会いによっては負担の大きい生き方だが、のらや中川さん、ということはたぶん女性には、有効に働くのである。
この人懐こさが自己否定とうすく結びつくものであるなら、自己肯定に至る成長の過程で曽我部が一時的に不安定になる可能性はある。要するに、パシられていることに気がつく、その意味を知る瞬間が訪れるのである。だがその第三者的視座が彼を大人に、公共人にもするだろう。子どもとのやりとりを通じて大人になるということもある。できたら曽我部には子どもとコミュニケーションをとってもらいたいが、外出できないし、たぶんなさそうだよな…
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