すっぴんマスター -6ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第125審/日常の犯罪⑧




百井のボスであるのらという元自衛官の女性を紹介され、短期でグロワーの仕事をしている曽我部。絶対にひとをいれてはいけないと約束している大麻の栽培場に、勝手にしこんだGPSをたよりにやっかいな久馬が来てしまった。


曽我部は頑張って久馬を部屋に近づけないようにするが、かえってあやしい。久馬は曽我部の指をひねっていたぶる。

この様子を監視カメラからみていたのらは、別の栽培場にいる髭鼠という男に、部屋のものを運び出すよう指示する。ここで、のらの近くにいた百井がカメラの映像をみて、不審者が久馬だと気づいてくれた。監視カメラの存在や部屋の重要さまで伝わってしまうことにはなるが、とにかく百井は久馬を追い払う。このふたりの上下関係ってなんなんだろうな。久馬は借金はしてるみたいだが別におそれてるようでもないし…


久馬もここは一時退散、その彼を、尾行していた久我が見送る。換気扇から大麻の匂いがすごいするらしい。監視カメラもあやしい。こうして宇治にもこの部屋は知られてしまうのだった。



手際よく解決したからだろうか、髭鼠に戻るよう指示してから、のらは百井にセックスしようという。ふだんは女性向け風俗で済ませているみたい。

百井はうまいらしく、それが意外だという。

しながら、のらはキャラ弁を作れるかと訊ねる。百井は曽我部が器用だからできるかもという。これはわりとまじめに聞いていたらしく、百井と別れ、帰宅を待つ娘は明後日遠足なのだ。名前は沙梨だが、ふりがなは「りさ」となっている。どっちかが逆なのだろうがらこれでじっさいりさと読むなら斬新だな。貴明であきたかってことだ。

のらは、ネイルしたばっかりだからお弁当が作れない。ふだんはマリアさんという外国のシッターがいるらしいが、家庭の事情で一時帰国している。そこで曽我部だ。コドミュンという写真をシェアするアプリで、遠足時のお弁当画像が出回るわけだが、こういう場所では、デパ地下で買ったものを詰め替えたものが素人のキャラ弁に負けるのである。だから頼んだと。こうみると、のらも曽我部にこころを許している感じがある。


そもそものらに子どもがいたことが衝撃なわけだが、立て続けに今度は中川さんから電話で、しかも同じく子どものお弁当の依頼である。たぶん風俗の仕事が稼ぎ時で動けないらしい。ほんとはお迎えもしてもらいたいが、曽我部もまた動けないからお弁当だけ。弁当づくりに曽我部は思わぬ才能を発揮するのか?!



つづく



弁当屋じゃないんだけどのくだりは笑ってしまった。


最後の煽り文をみると、弱き者に群がる…などということが書いてあり、これを読むまでぼくは、今回ののら・中川さんのむちゃぶりをむしろほほえましいものと読んでいた。というか、じっさいほほえましいだろう。しかし、断れない曽我部をパシリにするという点では金本とちがいがないはずでは?という疑問は持ってもいいかもしれない。たしかにパシリである、しかしどこか和む、それはなぜなのか? 子どもがからんでいるからである。もっともせまい意味での私利私欲ではなく、愛するもののためにのらや中川さんは曽我部をパシっているのである。そして、子どもは守るべきもの、その成長を見守るべきものという合意形成が一般にはされている。この合意がされていないと子どもは育たないで成人が出現せず、そもそも見守るべきものかどうかというような議論もあらわれないからだ。この議論を超えるのは自己否定とエゴイズムだけだ。子どもを通じ、曽我部はある種の公共財に触れているのである。だから、パシリはパシリでも欲や暴力がおもてに出る性質のものにはならず、曽我部の反応こみでちょっと笑えるのである。


公共財に接続するために曽我部にはなにが必要か。曽我部はあんな性格なのでああいう雰囲気になったが、じっさい困っているのだろう。それは、キャラ弁を作れるかどうかというような次元のはなしでもない。いま述べたように、公共財を市民として守らんとするものは自己否定を抱えたままではいられない。生まれてこないほうがまだマシ、というままでは、これからを生きるものを守ることはできない。かくして、おそらく曽我部は自己肯定を要請されるのである。


たほう、彼の人懐こさは、「攻撃者への同一化」の、よい方向への副作用にもおもえる。どんな理不尽も、特に以前の彼にとっては必然性のあるものだった。じぶんがバカだから、金本がいじめるのは自然なことであり、痛い目にあうのも「ものの道理」だった。父親の件を経てこれはある程度克服されたが、ふるまいの癖みたいなものは残っている。それが、どんなものでも他者のじぶんへの評価はいったんは受け止める、素直な大型犬のような親しみを呼ぶ。これはこれで出会いによっては負担の大きい生き方だが、のらや中川さん、ということはたぶん女性には、有効に働くのである。

この人懐こさが自己否定とうすく結びつくものであるなら、自己肯定に至る成長の過程で曽我部が一時的に不安定になる可能性はある。要するに、パシられていることに気がつく、その意味を知る瞬間が訪れるのである。だがその第三者的視座が彼を大人に、公共人にもするだろう。子どもとのやりとりを通じて大人になるということもある。できたら曽我部には子どもとコミュニケーションをとってもらいたいが、外出できないし、たぶんなさそうだよな…



↓九条の大罪15巻 8月29日発売





管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第48話/ミキリ



花山の足にからみつき噛みつきをするもすねの肉をむしりとられ絶叫するジャック。沈黙に濁音がついた表現で、声というか音になっていない感じだ。

500円硬貨をぞうきんみたいにしぼる指の力。それをはらんだ握力で肉をまるごとつかんでむしりとる。そりゃあ痛かろうと、木崎は遠い目をして考えている。


痛いのは痛いだろうが、ジャックはどちらかというと痛みに強い人間である。ピクルに顔半分喰われても笑っていた男なのだ。ここには変化が感じ取れるわけだが、ともあれ、うずくまって痛がる姿は闘技場なら勝負ありにされてそうではある。花山は珍しくもうムリか…などと言っている。花山はどうあっても相手から確認をとる人間であり、まだ意識のあるジャックにこの態度はかなり奇妙である。ここからはジャック同様変化というか、これがふつうの喧嘩とは少しちがう、美学対決であるがゆえか、いつもとは異なる動機が感じられるが、たんに挑発しているだけかもしれない。


それを受けて、立ち上がったジャックが必死の形相で「見切ッタ」となんとかくちにする。これには観衆も花山もはてなマークである。ふつうわたしたちは距離や速さや動作の複雑さを見切るからである。窮して負け惜しみで言っているようでもあるが、これも保留がよいだろう。痛みの程度を理解した、「見切った」可能性もあるからである。


ともかくファイトは続く。ジャックの強烈なジャブと、これは回転後ろ蹴りかな、両方が、やはりまともに花山に決まる。ジャックの打撃である。シコルスキーなら2回死んでるとおもうが、花山にはあまり通じない。というか、通じているとかいないとかがあまり関係ないというところだろうか。その様子をみて木崎は決着が近いことを悟る。


立ちあがろうと、花山が低い体勢になっているところをジャックは見逃さない。その顔面に、縦蹴り気味の蹴りが襲いかかるのだった。



つづく



これもう終わりなのかなあ。木崎のいう決着って花山の勝ちだよな。ジャック負けちゃうのかなあ…


ジャックは相変わらず痛みを隠さない。作中でくりかえし木崎に言われるまでもなく、そりゃあ痛いだろうなとおもう。しかし、失神するまでトレーニングを続ける男が、チョークを歯が砕けるまで我慢し、顔を喰われても笑う男が、あそこまでになるということがあるだろうか。

状況からしてこれは噛道の完成と無関係ではないと思われる。そして、噛道が完成したという事実が、花山のような「エエカッコしい」との対比においてどういう意味をもつのかということなのである。


ジャックが極めた噛みつきは、通常、「オンナコドモの技」として一般のファイターからは厭われ、カッコ悪いものとされる。これは、母・ジェーンの代理人としてファイター人生をスタートさせたジャックの、女性性の現れとみることができる。噛みつきとは、女性的な技なのだ。だがこれをつきつめると、ファイターたちの考えるカッコよさ、もっといえば「美」は、女性性のなかにはないということになる。そして、作品としてそういう傾向はあった。たとえば最大トーナメントでの光成の発言、男なら誰しもいちどは…のようなものが好例だ。ほかにも枚挙にいとまがない。強さとは男のもの。だから女っぽいものは、仮に強力でも、美学が許さない。これは光成やファイターを責めてもしかたのないことだろう。げんに社会は「男性のほうが堅牢なからだをしている」という仮説を内面化しており、男性だけでなく女性もそれに与しているからだ。その意味では、いかに「強い女」であっても朱沢江珠は勇次郎にかなわないし、梢江は親子喧嘩から追い払われるのである。

ここでは、骨格がどうとか、テストステロンがどうとかと言って、「男性のほうが堅牢なからだをしている」かどうかについては立ち入らない。ただ社会的に揺るがし難い合意形成があるということだけ確認できればじゅうぶんだ。


こういう世界でジャックは噛みつきを敢行する。強力だからだ。彼には、社会的合意形成などというものは通用しない。カッコ悪いかどうかなんてどうでもいい。クスリも使うし、でかいほうが強いならでかくもなる。こういう人間の象徴的技術が噛みつきであるのだ。彼が噛みつきを極めるということはすなわち、いっさいの社会的規範からの解放を意味するのである。ジャックがあんなに叫ぶのはそれのあらわれだろう。痛みを見せないのはファイトの基本だ。ダメージがあるとわかれば相手は終わりが近いことを知って元気になってしまうし、だいたいそこを攻められてしまう。だが、そうした「基本」も、ジャックにはあまり関係がないかもしれない。その点は花山と似ているぶぶんがあり、ジャックは相手によってたたかいかたが変わるということがない。ただ「ジャック・ハンマー」を目いっぱい出してみせるだけだ。つまり、相手が有利になるとか、じぶんが不利になるとかも、あまり考えない。考えないのが誠実だ、と考えているわけでもない。ある意味ここに相手はいない。ただじぶんがどれだけ強いか、強くなったか、それを知りたいだけなのである。そういうぶぶんも、ジャックは噛道を極めることによって鮮明になったようにおもう。


そう考えたとき、いかにも幼稚なあの「見切った」発言がなんなのかも見えてくる。あれは、花山に向けて強がっているのではたい。自分に向けて言っているのである。



このことが「エエカッコしい」の文脈でどう機能するかと考えたとき、花山の「ムリか」発言はどう受け止めればよいのか。花山は美学の男、規範の男である。ジャックの噛みつきは、噛むだけでなく、噛みちぎったときもっとも大きなダメージを与えるが、それは花山のつねり・むしりとかなり似ている。花山の指はある種の牙なのだ。では両者でなにが異なるか。ジャックは、誰しもが…ファイトでは無視される女性ですらがもつ「歯」をつかい、花山は、花山しか持たない特別な「指」をつかうのだ。一般と特殊なのである。誰もがもつものを牙とするものと、自分以外の誰ももたないものを牙とするもの。究極的には、花山はジャックを倒そうとしているのではない。エレガントにレバ刺しを差し出して、「エエカッコしいも悪くない」と示したいだけなのだ。ではそれは、具体的にはなにを意味するのか。それは、「そのひとだけがもつ特殊を牙にせよ」ということだったのである。

ややこしいのは噛道じたいは特殊だということだろう。だが噛みつきはジャックだけのものではない。女性ばかりか子どもでも使用可能な牙だ。こうしたわけで、だれでも持っている歯を牙にするのではなく、ジャックしか持ち得ないものを牙にするべきではと提案するのが花山なのだ。だから、花山目線ではそもそもこのたたかいは対等ではないのである。それがなんなのかはわからないが、ジャックはジャックの特殊を用いていないしみつけていない。花山は見つけるべきだと考える。そこであのような、花山らしからぬ不遜な発言があらわれたのである。




↓刃牙らへん 5巻 9月8日発売!







管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com


第124審/日常の犯罪⑦



プッシャーの曽我部が、百井のボスであるのらのもとで大麻のグロワーの短期バイト。誰も入れてはいけないその部屋を何者かが訪れる。


やってきたのは佐々木久馬である。これまでは「求馬」という字だったが、今回はこうなっている。事情があってのことかもしれないので、最新の表記にしたがう。監視カメラで様子をみていたのらは、久馬に警戒してなにか手を打つつもりらしい。


久馬は、曽我部のスマホに勝手に入れたアプリで居場所がわかったらしい。だがGPSでは階層までわからないので、上かもと疑っている。曽我部はあわてまくりだ。外をのぞいても誰もいないのは久馬がしゃがんでいるからだ。そして電話を鳴らして在宅を確認、窓を破られたくなければ開けるようメッセージアプリでいう。とにかくなかに入れるのだけはまずい。ヤクザも警察もやばいが、久馬は身近なぶんめんどくさい。曽我部は覚悟を決める。久馬はかなり苦手だが、のらとの約束を守らなければならない。だから、とりあえず外に出て、なにより久馬を中に入れない作戦だ。


苛立つ久馬はモモチを連発。プッシャーの仕事の「納税」をしていなかったようだ。中に入って説教だと久馬はいうが、それはなんとか避けなくてはならない。まだ久馬は部屋のなかに関心を持ってはいないが、時間の問題だろう。のらはなにかしてくれるかな…



屋上で飲んでいた九条、烏丸、薬師前。父の命日である烏丸は母親のところに行かなくてはならないのでここまで。九条と薬師前は飲み直す。


実家の烏丸母はぐったり横になっている。で、横になったまま顔も向けずにはなす。命日で思い出すのかもしれないが、この様子ではいつもそうなのだろう。命日だから息子が来たということは理解しているだろうが、特になにをするでもない。母の好きなそぼろ弁当を買ってきたし、烏丸は素麺を作ろうとしたりもするが、母親は食欲がない。幽体離脱できたら食卓に座るんだが、というコメントに、烏丸はよく冗談を言っていたころの母をわずかに感じる。

部屋は換気扇がガムテで封じられ、窓も閉じられたまま。烏丸の父は、ある無差別殺人事件でひとを守って殺された。エリートでもあり、一時英雄に祭り上げられた烏丸父だったが、当時週刊誌記者だった市田が不本意ながら書いた援助交際のスクープで世間の態度は180度変わってしまった。そのころの記者の攻勢が記憶にあり、引っ越したいまも開放できないのだ。


息子を強いねとしつつ母は拒否、烏丸は帰宅する。犯人や犯行のことを思う自室の烏丸を囲うのは、壁に飾られた無数の昆虫標本である。烏丸は、弁護士になっていなかったらなにになりたかったかという話題で昆虫学者とこたえていたもんな。それにしてもすごい量だ。



(父さんが命を捧げた正義は

磔にされた標本の昆虫だ。


母さんの心は過去に置いてきぼりだよ)





つづく



烏丸はこれ、スーツのまま寝るのかな…


久馬はめんどくさいやつだが、のらはどんな手を打つ気だろう。ふつうなら警察を呼べばいいが、部屋の近くでもめている以上、それは危険すぎる。のらにも暴力の手駒があるのだろうか。彼女はたぶんなるべくヤクザやキツめの半グレとはつきあわないようにしてるだろうから、それも難しそうだが…。自衛隊時代のめっちゃガタイのいい友達とかかな。


久馬は「納税」がなかったから曽我部を詰めているわけだが、この執着のしかたは異常といえるかもしれない。久馬だって合法ではなかったとしても曽我部が現れるまでふつうに生きていたわけだからなんらかの収入源があったはずである。まあ、誰か上位の不良にゆすられていたり、ギャンブルで負けたりして曽我部のことを思い出しただけかもしれないが、この粘着のしかたは金本を思いださせる。つまり、曽我部じしんに「攻撃者への同一化」が習慣化しているぶぶんがあり、このタイプのやからを引き寄せてしまうのである。





彼はもともと強い自己否定を抱えていた。こんなにバカでだめなじぶんがひどい目にあうのは当然であると、このように理解することが常態となったとき、同一化は起こる。とりわけ金本においては、じぶんを否定して金本を擁護するかのような言動も見られ、曽我部がどれだけつらいおもいをしてそうした「防御」を選んだのかがみえたのである。百井の「教育」についても似たものが見えたが、ただ、金本の件を曽我部は克服している。というのは、その自己否定の感覚には、金本親子による曽我部親子の蹂躙という背景が、そもそもはあったからである。「父」は、超自我となって人間の行動の原則を定め、憲法のようにもっとも根本的な価値判断をさせる機制である。それが侮辱され、虐げられていた。これが曽我部によるべをなくさせ、自己否定以外の道を閉ざしたのだ。しかし父もまたこれを乗り越えようとしていることを知り、曽我部は変わった。以前のようなひたすらな自己否定は、いまはじっさい失せている。ではなぜいまでも彼はいじめっ子を引き寄せるのか。いじめる側の心理をいじめられる側が理解する必要はなく、ただ拒否すればよいわけだが、その拒否ができないことが、ひとつには理由となるだろう。曽我部はとても弱い。弱くても非道なら久馬のようにふるまえるかもしれないが、その上彼は優しい。これがまず最初の条件となってしまう。そしてそこに、克服したとはいえぬぐいがたく残る金本が刻んだ傷跡がある。ことあるごとに、つい、自己否定してしまう、そして攻撃者を受け入れてしまうのである。だが、今回部屋のなかに入れないという動作を通じて、彼が変わっていることも見てとれる。小さなことだが、曽我部には正念場かもしれない。



烏丸の部屋には尋常でない量の昆虫標本が飾られていた。標本は、分類して研究したり、また趣味で鑑賞したりするために、昆虫のからだを時間から解き放って保存するものだ。烏丸は母親が過去に置いてきぼりだというが、父の事件をなぞらえた標本をこれほどたくさん飾る烏丸もまたそういうぶぶんがあるのだろう。ただ、この量は、たんに異常ということではなく、烏丸の現在、つまり弁護士という仕事をうつしたものでもあるのかもしれない。法律家は日夜過去の事例や判例と向き合っている。法律家にとっての「過去」がいきいきとしたダイナミックなものであるべきか、それとも硬直した一定の事実であるべきか、難しいところだ。ただ、「過去」がいきいきとしたものになるためには、その当事者の動きや心理が感じられなくてはならない。判例にあたる際、最高裁判事の表情が感じられたりすることは通常ない。司法に限らずお役所系の仕事はたいがいそうだが、以前に下された「判断」は基本的に瑕疵がないものとして受け取られる。この意味で広く過去の事例は標本っぽさがないではない。ただ、当事者はそうではない。烏丸の母にとって、烏丸の父はまだきちんと死ねていない。当事者は「過去」を硬直させてはならないし、ふつうはそうならない。そう考えると、烏丸じじんも父の件はまったく乗り越えられていないのではないかとおもえる。烏丸が平気でいられるのは、彼が弁護士だからなのだ。ほんらい、遺族、つまり当事者である彼が父の件を標本にしてしまえば、そこにとらわれ、身動きがとれなくなってしまう。しかし弁護士としてこれを見るならば、硬直した過去は事例となる。烏丸もまた弁護士の仕事を通じてギリギリじぶんを保っているのである。






↓九条の大罪 15巻 8月29日発売!






管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第47話/握と嚙




格闘ロマンに魅せられるものたちすべてのアイドル、大山倍達のエピソードである。

故大山総裁は、ことあるごとに語っていた。人差し指と中指に10円硬貨をのせ、それを親指でへし曲げることができると。そして、それくらいの指のちからがあれば、相手の耳や鼻をもぎとることができると。ぼくは語りで目撃したことはないが、著書では何度も読んだことがある。だいたい、指立て伏せの効用についての流れで語られていた。まず、人差し指と親指の、二本指での指立て伏せを行う。これが100回できるようになると、今度はそれで逆立ちができるようになる。そうなると、10円玉が曲げられるようになっているし、耳や鼻をとることができるようになっていると。10代のぼくはそれを読むたび、もぎ取ったことがあるんだなあ…と思っていたものだ。


ただ、これは大山総裁にとっては素人向けの表現というか、もぎ取ることが目的ではなかったと思われる。もちろん「指のちからが強い」はそれだけで強力な武器になるが、指立ては手自体を鍛え、また拳をかたく握るために行うもので、もぎ取るくだりは鮮烈なイメージを呼ぶ副作用的なものだったのではないかな。


頬をむしりとられ、いいのをもらって仰向けに倒れるジャック。意識はある。花山が彼に、いつものように、できるかと訊ねる。

花山が間近に立っているからチャンスだ。ジャックは少し笑ってからすばやく身を動かして花山の右足にからみつく。足も使って完全にからだを固定している。そしてスネのあたりを噛む。花山は痛くないのかよ。特に反応はない。


ゆっくりと、からみつくジャックの左足、スネの部分に花山の左手が伸びる。木崎は、大山総裁がコインを曲げる以上に捻じ曲がった500円玉を思い出している。あのちからでちぎっては投げ、ちぎっては投げ…。今度は指をすべて使い、肉をわしづかみにしたのだ。そしてやはりむしりとる。

今回もジャックは絶叫。噛みつきも外れてしまうのだった。



つづく



ちぎっては投げって意味がちがうだろ…


ジャックの噛みつきだが、花山があまりダメージを受けていないようなのが気になる。花山のタフネスゆえなのかもいまいち判断がつかない感じだ。ただ、かみちぎるまでいっていないというのは大きいかもしれない。刃物で刺された程度の損傷で済んでおり、花山はそういう痛みには慣れっこというわけだ。


握撃も強力だが、ただつねる、わしづかみにするというだけの行為が、花山の握力を経由するとこれだけ強力な技になるのである。

しかしやはり気になるのは、ここまで強力で、特に用意も必要なく、いつどんなときでもできる攻撃を、なぜいままで彼はしてこなかったのかということだ。つまり、おそらく花山は、通常のファイトではこの行為を封印する傾向があり、今回はそうではないのだということだ。

では、今回のファイトは、なにが通常と異なっているか。ふたりはこれをただのケンカとして行うため、ストリートで戦っている。しかしそれはいかにもわざとらしい感じがしないでもない。「ケンカ」という様式が感じられるというか、突発的ではもちろんないし、なにか花山による舞台、演出という感じがするのである。ジャックは、花山の書いた台本で「ケンカ」をさせられているのではないか。


そういえば、今回のたたかいでは、じしんの「負い目」を帳消しにするための自罰的行為を、花山はとっていない。これは大相撲戦もそうだった。あれも、なにか舞台、演出という感じがあった。ただしその台本は「対大相撲」のものであり、様式美で成り立つ大相撲に一定の敬意を払ったうえでのものに感じられた。花山が強者として生まれた原罪を抹消しようとするのは、勝つためだ。そうやって「花山薫」が滅せられたとき、主体としての彼は消失し、名もなき博徒が死んだあとでも少年を守ったように、自律する述語として強力無比なパンチが放たれるのである。つまり、それをしないとき、彼は、もちろん負けてもいいとおもうはずはないが、少なくともなんとしても勝つというふうには考えていないのである。歌舞伎町の「人間関係」のなかに生きる彼らしいマインドといえるかもしれない。もちろん最後には勝つ、勝つけど、それより微妙に優先されるものがあることがある。たとえば大相撲への敬意であり、ジャックへの「エエカッコしいも悪くないよ」という提案だ。こういうとき、彼は滅私をしないのである。


つまり、このファイトで花山は、通常葬り去る「強者としての花山」を生かしたままでいるのだ。見たように、もし勝とうとするなら、これではいけない。少なくとも花山はそう考えているし、じっさい主語を欠いた透明な一撃を行う花山は仏の目をしており、武蔵をも驚嘆させる。だがいまはちがう。ある意味わがままに持っているものをばんばん使う。こうして、ふだんは見られないつかみ技が現れているのである。


となると、花山にとってこのファイトは接待である。ジャックが勝つには、一矢報いるには、ニコニコ接待する彼から本音を引き出さなければならない。なんかもう終わりそうだけど、少なくともなにかを学んでから終わってほしい。



↓刃牙らへん 5巻 9月8日発売!








管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com


第46話/まだまだ



ジャックがついに噛みつきを実行!

花山の左上腕に深々と噛み付く。

ジャックのこめかみや首にはたくさん血管が浮き上がっている。けっこう力んでいるっぽい。かたいのかな。


いつもの後日インタビューに答える木崎である。こうやってやるのか、というのはあったけど、噛みつきじたいには驚かなかった。聞いてたから。ただ、ジャックを立派には感じた。人間は無意識にカッコつける。ウンコをぶつければ勝てるとしても、それはしない。カッコわるいから。木崎がヤクザの鋭い面構えでウンコのはなしをしてるのはかなりおもしろい。そしてわかりやすい。さすが国立大卒!花山になんとか常識を身につけさせている男!わかりやすく説明することに慣れている感じがする。


誰もが知る弱者の手段をやってのける「行動爆破」には男らしささえ感じてしまう。だが、木崎には不安はない。これは喧嘩だから。花山に負けはないと。後日談でこの態度なのだから、花山は負けなかったのだろう。勝ったわけでもなさそうだが。


噛みつきで花山の左腕がごっそりやられている、が、噛みちぎったのかどうかはよくわからない。出血しているだけかもしれない。

そして現場の路上にはジャックの悲鳴が響く。人生最大の大声を出しているのではないかな。涼しい顔で花山がジャックの頬をつねっているのである。太ももをつねられたスペックもすごく叫んでいた。痛いんだろうな。

そしてやはりスペック同様、花山は頬をむしりとってしまう。これ、ほとんどどんな状況でもできる技だし、しかもこの効果である、花山はもっと使っていけばいいのではないかな。


やれるかい、と問われ、膝をついたまま?ハイキックを繰り出すジャックを花山が殴る。このダメージはでかいらしい。しかも左手である。噛みつきによる損傷は少なくとも機能には影響がないらしい。


引き続きできるかと訊ねる花山にジャックは倒れながらも少し笑う。現場にはすでに警察がきている。警察がきたら終わりかと思われたが、なぜかいる園田が、まだまだだということで、ファイトは続くのだった。



つづく



タイトルは「まだまだ」となっているが、これは園田のセリフだったというわけだ。まあ、実際「まだまだ」ではあるんだろうけど、園田が決めるなよ…


シンプルかつ屈指の効果を生むつねりである。しかし、冷静に考えると「つねる」もどっちかっていうとちょっとカッコ悪い攻撃だ。子ども時代、それも小学校に入る前くらいの喧嘩でしたりされたりという記憶がある。花山が超握力とともにやるからよいのであって… 

でも、美学対決になっているこのたたかいでやるからには、花山はこれを特にカッコ悪いとは思ってないのだろう。ただつねるだけでももちろん痛いが、痛みに強いジャックにあそこまで悲鳴を上げさせるのは、花山だからだ。つまり、花山はただ持ち味を活かしているだけなのである。そして、ジャックが噛みつきをするのとはちがう意味で、つまりふつうはやろうとしても不可能であるという意味で、あんなふうに肉を引きちぎったりはできない。「ただし花山に限る」という意味で、これはカッコいいのかも。

とすると、カッコつけるとかカッコ悪いというのは、どういうところから生まれてくるのだろい。花山や、美学をもって強さにつなげている独歩や渋川といったひとたちを考えると、ある種の行動モデルが脳裏にはあって、そこからはずれていないかどうかが基準になっていると思われる。たとえば独歩なら、武器は素手か、道具を使うとしてもせいぜい身につけているものに限定し、そこにこだわっている。彼はそれを「カッコいい」とは、たぶん考えていない。考えているかもしれないが、大学一年生が着る服に悩むときのように「カッコよさ」について考えているわけではないだろう。しかし、そのルールから逸脱することが「カッコ悪い」という意識はおそらくある。「エエカッコしい」が美学に支えられるとしても、独歩の場合はそれが失われているとき明瞭になるもので、つまり二次的、相対的なのだ。

対して花山は逆と思われる。彼にも行動モデルはある。そしてそこからの逸脱は「カッコ悪い」はずだ。だがそのときまで花山が彼の美学に無自覚であるということはない。その以前から、花山には「こうでなくてはならない」という規範があるのである。そう考えると、「エエカッコしい」にもふたつのタイプがあるとわかる。「行動モデル」は誰にもある。いっぽうは、独歩のように、少なくともカッコいいかどうかが前景化してはいないという意味で、そこからの逸脱をカッコ悪いとするもの、たほうが、花山のように、行動モデルにしたがうことそれじたいに美を見出すものなのだ。

以上の議論は完全にぼくの主観で、イメージで書いていることだから、独歩・花山について異論のあるかたもおられよう。だが、「エエカッコしい」に2種類あるであろうことはおそらくまちがいない。花山にとっては、その行動モデルに「つねり」はじゅうぶん含まれるのだと、それだけのはなしだろう。


ではジャックはどうだろう。エエカッコしいのアンチテーゼである彼なのだから、彼は行動モデルをもたないことになる。噛道は、「道」になっている以上、ある種の普遍性を備えている。できるかどうかはともかくとして、ジャックの弟子になれば、明日からでもわたしたちは噛道を学べる。ここにはモデルが存在している。なにものでもないものの文体、零度のエクリチュールを求めた思想家のロラン・バルトは、同時代人のアルベール・カミュにそれを見出したが、時を経てそれもやがてはカミュの文体として温度を帯び始めていく。同じように、逸脱の象徴ともいえる噛みつきも、やがては「行動モデル」と化していくだろう。それはジャックじしんにもっともはやく訪れる変化だ。ひとことでいえば、「カッコつけないというカッコつけ」が、その行動を選んだ瞬間からはじまるのである。


ではジャックの非エエカッコしいは実現することのないものなのか? 「いま」の正確な時刻を言い当てることができないように、それは、現れるなり消えてしまうものなのか。それはそうなのかもしれない。だが、それでもジャックのユニークさは揺るがない。なぜなら、ジャックのスタイルは、噛みつきという現象にとどまらず、その心性を表現したものだからである。「噛道」は、非エエカッコしいである彼が現象させたひとつの結果でしかない。それがよくわかるのが今回の悲鳴である。あれは、ひたすらにつねりが痛かったから出たものにはちがいない。だがこれを、彼の本質的な逸脱性のあらわれとみても、そう遠くはないはずだ。


そして「悲鳴」といえば、ジャックの母であるジェーンが、勇次郎に上げさせられて、それこそ女性、非男性の証明であるなどといわれていた件を想起させる。ジャックの噛みつきという選択は、男性であること女性であることそれぞれがもたらすジェンダーロール、すなわち「行動モデル」からの逸脱を象徴する。彼があのように、なんなら「女のように」悲鳴をあげること、そしてそれをがまんしないことは、勇次郎の言説が無効であることを示すだろう。ある意味今回の悲鳴は、彼が本質的に逸脱者であり、噛みつきがどうとかいう以前に根っからの「非エエカッコしい」であることを、母の悲しいエピソードに上書きするかたちで示すのである。










管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com