第35話/恋人繋ぎ
ジャックのジャーマン・スープレックス3連発、都合5連発によりダウンしたピクル。ジャックはみずから手をあげ勝ち名乗りをするのだった。
観客や実況は、光成の判定を待たずにジャックが勝ち名乗りをしたことをやたらと気にしている。光成が試合を止めることはよくあるが、それはあくまで、攻撃が度を過ぎていたり、必要以上のことが起きたりというときに限られていたようにおもう。審判もいない、というのが地下闘技場なのだし。だが、その肝心の光成は、花山とともに、思わせぶりに会場から消えている。光成が判定を下すというより、勝ち名乗りであれなんであれ、勝敗が決したと思われるところでいちおう光成がきまりをつける、というのが正しく、その彼がいまいないなら、観客たちもざわつく状況になってしまっている、といったところだろう。
前の時ほど露骨ではないが、今回もジャックは歓声を堪能しているようである。バキはまだ会場にいるが、やはり思わせぶりにうつむいている。刃牙や花山、光成になにか違和感のようなものを感じさせる行動が、一連のジャックのもののなかにあったようだ。
ピクルが立ち上がっている。ぜんぜん元気っぽいので、やっぱり光成がいたら続行させてたのかな…などともおもうが、肝心のピクルが戦意喪失しているようだ。
顔の半分を失いながらピクルが笑う。優しい笑いだ。そして、手四つの位置関係でゆるやかに右手を差し出す。一種の握手である。ジャックはそのうち両手でこれを握ってしまう。ピクルへのトラウマ的大敗の記憶がジャックを強くしたぶぶんはあったろう。おもうところはかなりあるにちがいない。
そのジャックに、ピクルは「ジャック 勝ち」と告げる。しゃべったことにジャックとしてはまず驚きなのだが、これはピクルがジャックの勝ちを認めたということであり、ピクルは「勝ち」の意味を理解しているようだ。
そうして、なにかを預けるように、どこか満ち足りた雰囲気のピクルが試合場をあとにするのだった。
つづく
これは、ピクルはもう引退かもしれないなあ。
かつてのピクルは、相手を倒すたび、もしくは相手の唯一無二性を理解して“親友”であることを確信するたび、涙していた。強者は友である。しかも得難い友である。しかし、それが強者であることを理解するという状況は、すでに闘争が始まっていることを意味する。そしてあの時代、闘争はどちらかの死に帰結した。それが食糧でもある以上、その運命からは免れない。だから泣く。しだいにその描写はなくなっていったが、そのことはあまり重要ではない。ピクルは現代にきて毎日たくさんの刺激を受けている。ただの生理現象でもあり、泣かなくなったとしても不自然ということはない。問題はファイトへの意識である。これは、ピクルの強さを育んだ環境と直結しているから、実質彼が強い理由そのものだったのだ。今回のピクルには、敗北しながらも、じぶんを食わせようとしたり、食われる恐怖におびえたりというところがないのである。それはどういうことなのか。
都会での経験といくつものファイトを経て、まずピクルでは闘争と食事がイコールではなくなっていったのだろう。倒したら食べなければならないということはないし、闘争と呼べるような内容にならなくても食べていい。両者は独立したのだ。そしてこの独立、つまり差異化というのが、他ならぬ言語の機能なのである。ピクルにとって闘争と食事は、別のものとして認識する必要がなかった。エスキモーはあまりにもありふれたものであるために「雪」そのものを指す単語を持たないというが、それは、なんらかの現象、たとえば雪景色から、わざわざ雪を抽出する必要がないということだ。ピクルにとっても、闘争と食事は一体のものであるから、どちらかを指示する必然性を彼はもたなかった。だが、都会での生活は彼に闘争なしでの食事を強いたし、また同時に、優れたファイターとのたたかいは、闘争に食事が添えられる必然性を削いでしまった。そうして、彼のなかでふたつは分かれていった。言葉を獲得するとは、なだらかな曲面のうえに網目を落とし込み、価値の違いにおいて事物を差異化して受け取るということなのである。
流れからすると、言葉を獲得したからそうした差異化ができるようになったことになりそうだが、こうして書いてみると逆にもおもえる。闘争と食事が分離したから、彼において言葉を得る準備が完了したのである。ここまでの言語理論はソシュールのものだが、別の目でいえば、フロイトは、他者の獲得を同じように考えている。乳児のみる世界は海のように連続した一体のものだ。これが、ある不快(仮説的には乳房の不在)を経て、快感原則と現実原則を手に入れ、世界に最初の分節をほどこすことになる。不快なもの、おもいどおりにいかないものを弾き出し、直面することで、世界は初めて連続体ではなくなるのだ。この最初の一撃、最初の分節に近い衝撃が、ピクルでは闘争と食事の分離で起こったのだ。そしてその強い衝撃が、彼に言葉を使用する準備を整えさせた。彼がしゃべったという事実は、原因ではなく結果なのかもしれない。
ともあれ、彼のフィジカルも、また非エエカッコしいともいえる無慈悲なまでの野性も、環境が育んだ必然的なものではあった。その環境に対応する原理が、その、闘争と食事の一体性だった。これは戦国育ちの武蔵が強いのと同じしくみだ。しかし、環境は失われ、それに対応するためにあった彼のスタイルも解体したとなれば、この結果は予測もできたろう。ゴミから流れる液体を燃料にする野性である。たぶん、肉体的にはそこまで弱くなってはいない。なまってはいるかもしれないが、もとの強さを考えたら無視できるものだろう。ただ、彼はもう以前のファイトができなくなっている。忘れてしまっているのだ。ピクルの晴れやかな笑顔含め、「引退」という語が浮かんでしまったのは、それが実力云々ではない根本的な変化によるものだからだったのだろう。いずれにせよ、しばらくそっとしてあげてほしい。
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