すっぴんマスター -12ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第113審/曖昧の判断④




沖縄にて、施術中に股間を押し当てられた薬師前が、九条とともにマッサージ師と話し合い中。九条が依頼を受け、顧問になるかというはなしにもなっていた比嘉がこの男のおじで、同席している。


感情的になった甥について謝る比嘉。あれは感情的という次元ではなかったが、薬師前は、大きな声に小さな声がかき消されると、日々の実感を表現する。かつて酔っ払ったおじにからだを触られたとき、人間関係がギクシャクするからと、父や母にさえなあなあにされたことがあったそうだ。父もまた「大きな声」の持ち主だろうが、現在の薬師前にさえその気持ちを「わからなくもない」とさせる世間体的なもの、またその圧力が、ここではもっとも大きな声を出すものだろう。


はなしを聞きつつも、比嘉は食い下がる。証拠はないわけだから、裁判をしても長引くだろう。ここは示談にしないかと。

だがここで九条があっさりと、いや、裁判したら有罪になるけど?みたいに入ってくる。まずSNSでふつうに調べられる範囲で被害に遭っている女性を多数観測できる。それらの投稿主に連絡をとり、はなしを聞く。やるのは以前登場した探偵の片桐らしい。それから会社の女性からのタレコミもあるそうだ。

お互いに面倒だから、ということで示談をすすめていた比嘉だが、わすがにでも冤罪の可能性を考えていたのかもしれない。しかしこれでもうそれもなくなった。まだわめく甥を比嘉が黙らせる。裁判するならする、塀のなかで反省しろ、薬師前の気が済むまでやってくれと、非を認める。薬師前は静かに涙を流すのだった。


ふたりと離れ、九条と歩きながら、晴れやかな表情で、示談に応じることを薬師前はいう。当事者になることで明日からまた犯罪者支援をがんばれる。九条や比嘉が味方になって怒ってくれたのがうれしかったと。


別の日、こうなることを見越していただろうと烏丸がいう。薬師前はもちろんだが、比嘉まで、九条の仕事ぶりを見直し、顧問の件をすすめているらしい。利益相反を乗り越えたわけである。



薬師前の件はこれで終わりだよな、場面は壬生と宇治、あとふたりの親友で師匠みたいな帽子の男にうつる。

白州次郎みたいな彼が病院経営のはなしを振ってくれたので、白栖病院がしっかり壬生のものになったことがはっきりわかった。また似たようなことをしようともしているらしい。しかし、いま気づいたが、これじゃ白州と白栖で名前かぶっちゃうな。まあ、白州次郎はまったくなんにも関係ないのでいいんだけど、はやく名前明らかにならないかなこのひと…。顔、うすい感じかね?それとも凛々しい太眉か。


宇治は浮かない顔をしている。壬生といるところを組のものに見られたらまずいというのは当然ある。だがそれ以外に気がかりがある。京極がいなくなったかわりに、出雲雅巳という厄介な男が出所してきたのだ。


車の解体場かなんらかの現場みたいなところで、男が重機の四本爪で処刑されている。廃棄物ごと握り潰す感じだ。これは、久我の知り合いらしく、久我に助けを求めているが、久我は正座して震え上がっている。留守の京極宅に泥棒に入ったらしい。どうなったのかわからないが、引き抜かれた彼はからだが引き裂かれて内臓が垂れ下がっている。これを指揮しているのが出雲なのであった。



つづく



あまりなかったタイプのキャラクターが登場した。柄崎とか梶尾がこういうタイプの顔だけど、ここまで強キャラ感のある新キャラは珍しいかもしれない。なにか先生に新しい出会いがあったのかも。

久我はさあ…。かわいそすぎない?泥棒に直接関わってなくても、いらない疑いをかけられて伏見組に居にくくなるし、そうでなくてもぶちぶちうるさいよね。壬生は早くなんとかしてあげてよ…。



比嘉と薬師前の件では、裁判以前、実務以前の段階で利益相反を克服する九条の腕前をみることができた。

タイトルの「曖昧の判断」はさまざまなことをあらわしうる。ひとつには、当然薬師前の実感だろう。触れたのか触れていないのか、訴え出るべきなのか否か、すべて、はっきりしたこたえは出ない。しかし、本来「触れたか触れてないか」というのは明らかなはずである。そこに女性への社会的抑圧があるから、迷いや疑いが生じるのである。もちろん、触れた気はするけどじっさい違った、という状況はありうる。だがほんらいであれば、訴え出があった上で、違ったという証拠があがり、謝罪、という流れがあれば済むはなしだ。もちろんこれは女性だけの問題ではない。冤罪で社会的致死に至る男性の問題でもある。すべて、これらのことを引き起こすのが、社会なのである。訴えと謝罪がもっと自然に、セットになって行われる社会なら、女性の迷いも男性の冤罪もないのだから。まあ、そんな誠実な社会ならこういう事件もないだろうというはなしだが。


そしてもうひとつ、法的な曖昧さの状況もここにはあった。今回のこの話し合いは弁護士のありかたとしてはかなりグレー、利益相反状況だった。しかしそれも、手続きが開始したらというはなしだ。この、なんとも形容し難い、法的前段階みたいなところで暗躍する手腕を、今回九条は見せたわけである。さすがに比嘉が見直して顧問の件続行まで見通してはいなかったとおもうが、もめないギリギリのところに着地させようとはしていたはずだ。弁護士の仕事は、いつもすでに始まっているのである。


そして、このこと、弁護士の仕事は常にすでに始まっているということは、九条の生活スタイルに直結したものだ。オン/オフのない彼の生活は、職場の屋上に住み、好むと好まざるとにかかわらず家族を締め出してしまう彼の毎日にそのままあらわれている。九条は、常に弁護士として呼吸するのだ。そんな九条だから、こうした「曖昧の状況」にも対応できる。訴え以前示談以前、なんなら利益相反の準規定違反状況であっても、わたしたちがスクランブル交差点をひとに激突せずに渡りきるように、うまく解決することができるのである。利益相反状況は、そもそもそういうことである。原理のレベルで弁護士業が成立していないということなのだ。だが、「対応」のひとである九条にとってはあまり差がない、というわけである。




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第34話/いつもどこでも


3度目のジャーマン・スープレックスからなにかをたくらむジャック・ハンマー。ピクルはしたたかにあたまを打って脳震盪っぽい感じになっている。

いままでよくわかっていなかったが、ジャックのジャーマンはすごい低空らしい。停止してみるとその低さがわかる。ブリッジというとからだが曲線を描くものだが、ピクルを打ちつけた直後のジャックは、直線に近いかたちになっている。低い、低いということは、より遠くまで運ぶということなのだ。

ジャックがそのフィニッシュ・ポジションから足をハネ上げてもとの体勢に戻る。なにをする、って、ジャーマン・スープレックスである。2連発、4度目だ。とまらない、さらにからだをハネ上げて3連発。ピクルのあたまが柵に縦方向に衝突。これも2度目だ。ジャーマンは5回になる。

ダメージはそれなりにあるとしても、あのピクルである、この程度で動けなくなるとも思えないが、じっさい眠るように動かない。腕の出血もあるのかもしれない。
見下ろしたジャックが手を使ってあることを表現する。あちこちで手を握るパフォーマンスで、いつでも、好きなところを噛むことができる、ということを表現するエア噛みつきだ。生殺与奪の権は我が手にあるというわけである。
そうして左手を高くあげて、ジャックが勝利宣言するのだった。



つづく


終わっちゃったよ。びっくりした…。

前回、この勝負がある種の反復で成り立っていることを書いたが、今回さらにジャーマンがくりかえされることにより、この見立てがそれほど間違っていなかったらしいことがわかった。ジャックにとって、くりかえされるジャーマンのどこに、なんの意図があるのかはわからない。だが、それがピクルには効果があったらしいことは明らかである。たしかに、出血はひどいだろう。ジャックの打撃や投げもすさまじいだろう。しかしそれが、恐竜たちの攻撃や克巳のあの当てないマッハ、頭蓋骨を砕きかねない烈の肘と膝のはさみうちなどをはるかに凌駕するのかというと、首をかしげてしまうわけである。

ポイントとして、ピクルが言葉を覚えつつあることが示した都会化が、彼を鈍らせていた可能性はかなりある。だいたい、食糧がカラスやなんかでは足りないだろうし、たたかって食べるというかつてのスタイルから考えたらセンスも鈍りそうだ。
そしてその結果得た「言葉」は、世界を分節化する道具にほかならない。わたしとあなたを截然と区別するためのツール、それが言葉である。もともとピクルは、長い滞在とファイトを通じた経験により、備わってい非常に高い知能もあって、おそろしい速度で現代を吸収していた。彼我の分節など、言葉を用いるまでもなく、動物的な感覚でもある程度は果たされていただろう。しかしここで決定的なことは、たんに事物を区別することが可能になったことではなく、それを、それがない場所でも区別して把握することができるようになったということだ。動物的感覚による彼我の分節や、言葉のごく初期段階にある差異による物事の把握は、言ってみれば無時間的なものだ。その瞬間、目の前に広がっている景色を説明するための、またそれで十分役目を果たす道具にすぎない。しかし、言葉はやがて貨幣のように、実物をともなわずとも、価値をはらんで流通するようになる。それが、抽象思考を育み、時間の流れのなかで使用可能になる。


こういう進化が、おそらくピクルのなかにはあるものと想像される。これは彼に、帰納法ような推理を可能にさせるだろう。
ここでぼくがいう帰納法は、高校数学の証明でつかう数学的帰納法をイメージしている。大雑把にいうと、ある場合に成り立つと仮定して、その次の場合にも成り立つことが証明できれば、ドミノ倒し的にすべての場合成り立つことが証明できる、という技術である。昨日も今日も太陽が東から上がったから明日もそうなるはず、というのはたんなる経験的推理だが、東から太陽がのぼることを仮定し、そのことを前提に、その条件を使って明日もそうなることを示せば、数学的帰納法ということになる。
もちろんピクルのものは経験的推理にちがいないだろうが、ピクルの知性の飛躍的進化を表現する意味もこめてそのようにみようと思う。ピクルは、言葉を獲得することで、経験を通史的にみることができるようになった。5度のジャーマンはもはや別々に存在するものではない。記号となり、前後の同じ記号と響き合って、意味を確定させつつあるものだ。これが、彼にこの勝負から望みを失わせた。ややこしい書き方はせず、はっきり書こう。まず、最初の3回のジャーマンは、彼に「どんな局面でもこの相手はこの投げに持っていくことができる」という感覚をピクルに与えた。そして3回目から5回目のジャーマンは、「その投げは、やろうとすれば永遠に続けることができる」と伝えた。つまり、帰納法的に考えれば、もはやピクルに勝ちはないのである。

おそらくこういうことをピクルは理解した。で、どうするか。生物には無駄がないとペイン博士は言っていた。もうこのままあがいても、少なくともいまはどうしようもない。寝るか、死んだふりして相手が去るのを待つしかない。今回の、そこまで深刻にダメージがあるようでもないピクルが動かないのは、そういうことではないかと思われるのである。

ジャックのエア噛みつきはまた厄介な展開だ。なぜなら、あれはたしかに誰か他人に向けた「表現」であり、他人がどうおもうかを一顧だにしないジャックの非エエカッコしいスタイルと平仄があわないからである。「よし、噛める」と確認するだけならあたまのなかですればよい。そもそも、「やってみなければわからない」というひとたちが多い世界で、そもそもエア噛みつきが成り立つかもあやしい。ただ、これは本部に習ったものかもしれない。極端なはなし、「殺してみなければ殺せるかどうかわからない」ともいえるわけだが、縛り上げたジャックを前に本部は生殺与奪の権がじぶんにあるとして勝利した。いちおう、噛みつきを道にするジャックであるし、ピクルを殺すことが目的なのでもない。ピクルが戦意喪失しているのが明らかな状況で、生殺与奪の権のあるなしで勝敗を決めるのは合理的だろう。だいたい、真の勝敗は、じぶんがわかっていればよいことだ。
だがそうするといよいよこれがパフォーマンス的であることが引っかかる。まあ、ジャックはもともと観客の声がうれしいタイプだし、そのあたりは人柄とか、あるいは未熟さのあらわれなのかも。彼は非エエカッコしいを自認しているわけではない。まわりがそう言っているだけだ。ジャックからしたら噛みつきは別にカッコ悪い技ではないのだ。




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第112審/曖昧の判断③




沖縄で受けたマッサージで不同意わいせつの疑いがある行為をマッサージ師にされ、薬師前が九条に相談することにしたところだ。


九条は根掘り葉掘り、あらゆることを薬師前に訊ねる。それは、「股間が当たったときどんな気分だったか」というような、二次加害になりかねない内容で、横で電話を聞いていた市田がさすがにあいだに入る。だが、これは必要な問答らしい。薬師前以上に薬師前になるためだ。特にこの手の加害では、被害者が事態に複数の但し書きを無意識に付け加えてしまいがちである。たぶん九条はそういうことを言っている。弁護士は事件をトラウマ化しないのだ。


さて、その加害者のマッサージ師は、顧問になるかというはなしが出ていた、比嘉という地元の男の甥だった。要するに、顧問になろうとする弁護士なのだから訴えを取り下げてくれというはなしだ。

しかし依頼を受けた以上九条はベストを尽くす。事情をすべてはなし、あとは薬師前次第だと。ここは、わりとすっと通り過ぎるが、重要かもしれない。あとになって利益相反が判明しても、九条は進行をやめない。


烏丸とふたりになったところで九条が心境を語る。こういうことは時々あり、利益相反になるから、たいがいはどちらの弁護も断るのだという。弁護士を紹介するという手もある。

烏丸のいいかたではよくわからないが、示談に持ち込む代理人になりそうな流れらしい。


そして九条が薬師前に利益相反のはなしをする。だから、ということでもないが、相手は謝罪したいそうだから、示談にしないかという感じだ。

しかし薬師前は、正直会いたくないという。そりゃそうだ。だが、薬師前には別の考えがある。彼女は犯罪者支援のNPO団体をやっていて、よく非難される。じぶんでも迷いはあるのだろう。だから、加害者に向き合いたい、会うというのである。九条はそのサポートを約束する。


だが、マッサージ師の言い分は、とても謝罪とはいえないものでなにしに来たかわからない感じだ。要するに悪気はなかった、誤解だということで、「謝らないといけない弱い立場だ」とまでして弱者ポジションを先取りしている。

その態度を受けてということだろう、薬師前は示談を拒否、法廷で弁明するようにいう。比嘉が嫁め娘もいてなどと食い下がるが、逆にその娘が同じ目にあったらどうなのかと薬師前はいう。

男はそこで逆上、怒鳴ってつかみかかり、自意識過剰のブスなどと暴言を放つ。自意識過剰もブスもこの事件に関係ないはないが、九条が冷静にとめて、知性や思考の深さに性差はないとして、彼の男性性を利用した恫喝を非難しつつ、話し合いにきたのだとする。


とはいえ、一触即発の現場だ。かわりに話すと九条はいうが、薬師前はむしろ闘志に火がついたというように、自分で話すと宣言するのだった。





つづく



いまどき言い訳するにもあんな言い方あるかなともおもうが、おじの比嘉もそんな感じだから、家風なのかもしれない。


九条は二次加害につながりかねないような質問をくりかえした。薬師前以上に薬師前になるためだ。ふつうの状況では、本人以上に本人になる、つまり本人の気持ちを理解する、ということは原理的にできない。そこにない感情を他人が見出したのだとしても、そこにはげんにその感情はないのであり、本人にはそれ以上の意味はないからだ。しかし、ある種のバイアスのもと、識閾下を探るということであればそれも可能だ。ここで九条がやろうとしていることは無意識下を刺激する精神分析の仕事なのである。

そして、そのことが逆に示すのが、こうしたわいせつ行為、また加害者が今回見せた恫喝のような、性差による社会的・肉体的非対称を利用した威圧がもたらす抑圧である。痴漢ひとつにも、被害者のあたまにはさまざまなおもいが渦巻く。それこそ、自意識過剰ではないか、あるいはそういわれないか、また、勘違いでないと言い切れるか、事実として、これから発生する性差別満載の手続きを想像して、仕事に遅刻してまで告発すべきか、等々、瞬時に複雑なおもいが不快や羞恥のなかに差し込まれる。こうした抑圧が、事実から目を背けさせる。記憶をトラウマ化するのである。わたしたちは、そのようにしてトラウマの入れものにしまった嫌な記憶になるべく直面しないよう、新たに人格を編み上げる。大なり小なり、ひとの人格とはそのようにできているのである。

薬師前も、当初は性被害をうまく認識できておらず、そんな気がする、というようなあいまいな言いかたをしていた。しかしトラウマの黒い箱に入ったままでは、法律でもどうしようもない。精神分析では、ある種のフィクションもこみでこうしたトラウマの内容を解明するが、九条も同じように、それを法律で取り扱うことのできるもの、つまり言葉にできるものとして、見えるところに引き出すのである。

誰の場合でもこのようにうまく聴き取りができるわけではない。これは、薬師前が、犯罪者支援という彼女の仕事の意義を知るために、加害者に直面しようとする意志を持っていたからこそ成り立つ聴き取りだった。彼女もほんとうをいえば加害者に会いたくはないし、加害を思い出したくはない。なんならそっとしておいてほしい。けれどもそれでは、つまりトラウマ状態では、法律であつかえないし、彼女の仕事の本来の原動力もわからないままだ。だから、薬師前は痛みを伴う直視を選んだのである。


今回は九条の依頼人の優先度みたいなことも少しわかった。「依頼人のために最善を尽くす」は、もちろん比嘉についてもいえることだ。だから利益相反は九条も避けたい。「最善」が衝突してしまうからだ。この件で彼がすべきことは、だから薬師前に状況を話すということ以外なかったのかもしれない。決断そのものは薬師前がしているのだということである。ただ、薬師前の最善をとるなら、やはり他の弁護士をすすめるべきのようにおもえる。無意識のはなしにもつながるが、九条は専門家、法律領域においては薬師前よりもものがよく見えるからだ。その説明をしっかりした上で薬師前が判断したと、今回はそういう流れだろう。


ただ、それ以外にも九条には動機がありそう。それは娘である。薬師前がそういうことを言っていたが、九条にも娘はいて、娘もやがてこの女性が生きにくい社会に自立することになる。弁護士としてそこに個人的見解がないということはないだろう。それが、彼をじゃっかん薬師前に傾かせているのかもしれない。




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第33話/美意識


ピクルの引っ掻きダッシュをものともせず、左腕に続き右手も噛みとるジャック・ハンマー。その冷徹な合理性ともともとあった完璧主義的徹底がさらに強化されたものが、新生ジャックの持ち味かもしれない。


前回はがっぷり噛みついた感じだったが、今回の描写では瞬時にピクルの二頭筋を持ち去ったようになっている。たいへんな出血だ。

「上腕動脈」を切られる危険性を、ナイフファイティングを例に刃牙が語る。やっぱり刃牙じしんがかつてジャックに切られたのと同じやつかな。


鍛えたからだでも噛みつきは痛い。それがジャックほど精錬された技ならなおさらだ。それは、威力はそのままに、噛みつき以外の技のなかにそれとなく練り込まれ、ひとかみで筋肉をごっそり切除するほどのものなのだ。


立ち見席にいる花山のところに光成がやってくる。女子供の最終兵器とされるだけあって威力はまちがいない。だが使うとカッコ悪い。これを、美意識に生きる花山はどう見るのか。花山は、じぶんは「エエカッコしい」だからと、ジャックのようなまねはできないことを認める。

ジャックはその噛みつきを一種の思想の表明として用いるのではない。効果的な技として、止めとして使う者だ。エエカッコしいならこれとどうたたかうか?


ジャックがヘビのようにくちを広げてストレッチをする。アゴがはずれているようにもみえるが、たぶんつけたりはずしたり自由自在だろう。すでにズタズタのジャックの腹部を、たぶん爪で、今度は横方向にピクルが裂く。しかしジャックは動じない。再びピクルの背後をとり、ジャーマン。起き直り、歯を光らせてジャックはなにかをたくらむのだった。



つづく



相変わらずピクルがぼこぼこだなあ…。もう少し見せ場がほしいなあ。


3回目となるジャーマンは、この勝負がある種の反復によって成り立っていることを示している。ジャックの意図はわからないが、そうなっている。

ジャーマンをくらう、少しダメージを受ける、かみつきをもらう、というくりかえしに、ピクルははまってしまっているわけである。

もちろん、「反復している」ということにピクルが気がつく可能性はある。そのときはじめて、両者のあいだに戦略的膠着状態がポジティブなものとして現れる。次にやってくるもの、やってきて当然のものが、ほんとうにやってくるのかどうか、そういう状況が、はじめて心理戦を生むのである。これは極めて高い知性を要求する闘争コミュニケーションとなる。ジャックはピクルを「人類」の側に引き寄せようとしてるのかもしれない。噛道は、道である以上、体系をもち、体系は個人の所有物であることに耐えられない。つまり潜在的に継承者や弟子を待っているのだ。ピクルほど噛道を修得するにふさわしいものはいない。ジャックがというより噛道が、ピクルを道に誘い込んでいるのだ。


光成と花山の会話はたぶんけっこう大事なのだが、花山の返事がないのでまだどうとも読める。花山は美学の人間で、ジャックはカッコ悪いのもいとわないというのはこれまでずっとそうで、明らかなことだが、しかしずっと読んでいると、他者目線を意識した美意識はなくとも、そこにはたしかにこだわりがあり、少なくとも「美意識」というせまい概念からジャックを弾くことはできないという感じもする。むしろ、ジャックこそ美意識の男である。してみるとちがいは他者目線が内在するかどうかということになる。この他者は、観客のような「大衆」ばかり指すものではない。美意識を感受する自己も含むものである。噛みつきはちょっとカッコ悪いな…というときに意識されるのは、たとえば武道館としての自己であって、大衆ではない。では結局エエカッコしいも美意識もちがわないのではないかとなるかもしれないが、たぶん意志のありかたがちがう。カッコ悪くてもするのとカッコ悪いからしないのとのちがいだ。要するに選択肢の多寡である。だとするなら、美学の男・花山は究極に選択肢をしぼったファイターということになり、じっさいそうだ。独歩やアライ親子、柴千春に花山など、そうして選択肢をしぼったファイターの強さもバキは描いてきた。ジャックが相対化し、浮き彫りにするのはそうした者たちなのである。




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第111審/曖昧の判断②




闇金ウシジマくん原画展の告知!

2025年春に新宿マルイ、夏になんばマルイ。グッズもあるってよ。グッズってなんだろね?行かねば!




 

 



九条の大罪新シリーズは沖縄が舞台、記者の市田について、九条と同行しているわけではないが同じところにいるらしい薬師前が、マッサージでセクハラらしきものを受けたところだ。


これだけ弁護士の知り合いがいるのだから相談すれば、という市田のはなしだが、じゃあ誰かっていうと九条になる。烏丸は恥ずかしい。たぶん、互いに少し好きだし、そういうはなしを出したくないのだろう。九条にまわしたら烏丸も手伝うことになるだろうが、そういう問題でもない。ポリシー的に近く、仕事もよくする流木という手もあるが、ヨシ!とはならない。どっちかというと九条かと。年も近いしな。


携帯をみると、公衆電話からいっぱい着信が。支援していたひとが出所しても携帯がないから公衆電話からかけてくることが多いそうだ。出てみると、「弱者の一分」の曽我部である。1巻を読み返してみると刑期は1年半ということで、それがもう出てきたらしい。

出所は少し前、迷惑かと連絡しなかった曽我部を薬師前がとがめる。生活に困ってるなら相談にのる、というはなしだが、住居や仕事は友達の紹介でなんとかなっているらしい。ただ、と曽我部はなにか言いかける。電話しながらも周囲の様子をうかがっていて、明らかにおかしい。そうしてあわただしく電話を切る曽我部を、切れてしまったあとで、薬師前が見たことない剣幕で叱る。地元の交友関係で捕まっていた曽我部である、とても心配なのだ。

ちなみに、曽我部の服のお尻のところには、丑嶋社長らしき人物が描かれている。


薬師前は九条に相談することに。薬師前はスピーカーで話しているが、九条はさすがにイヤホンなのかなこれは。

内容としては不同意わいせつ罪になるかも。同意していませんよ、という意思表示が難しい状況を利用してのわいせつ罪ということだ。なるほど。マッサージをしていて、げんに薬師前も、陰部を意図的に当てられている気がする、としか言えなかったわけである。そのような曖昧なシチュエーションを利用してわいせつ行為をしている、というわけだ。満員電車の痴漢もこれになるかな。

しかし向こうも証拠がないことを足場に否定してくるだろう。それを狙ってのわいせつ行為なのだから。


被害届を出せば捜査がはじまる。そのとき、警察から細部について聞かれるだろうが、それは大丈夫かと九条が訊ねる。大丈夫なのだが、さらに九条は付け加える。犯罪者を支援する薬師前が、こうして犯罪者を生み出すことについてはどう考えるかと。

市田は当然怒るし、薬師前も動揺するが、九条は戦う意志を確認しているだけだという。薬師前は、犯罪を肯定するわけではない。彼らにもう二度と罪を犯してほしくない、ひいては社会によりよくなってほしい、夜中にひとりでコンビニにいける世の中になってほしいからそうするのだ。



九条たちに部屋をとってくれたのは比嘉という男で、烏丸と同室だったのはどうも九条の勘違いで、別に部屋はあったらしい。相続に関する仕事を終えたところで、会社の顧問になってもらいたいと、今日また会うことになっていた。その比嘉が、強めの態度で、整体師の被害届を取り下げてくれという。彼の甥っ子なのだと。




つづく



またややこしいなあ…。依頼人の利益に反する行為は利益相反になってできないけど、この場合まだ比嘉の顧問にはなっていないわけだし、そもそも甥っ子については比嘉の利益といえるのか、よくわからない。



「曖昧の判断」とは、陰部の接触があったのかなかったのか、またそれは意図的なものだったのかどうかを法的に観測する状況のことを言っているだろう。そこに、さらに加害者が知人の親戚という外部の条件まで加わり、九条が十八番とする透明な、ゼロ度の解釈をより困難にさせるというわけだ。以前からそうだが、事件というのは罪があって罰があるという短絡でできてはいない。知的格差、勘違い、利害関係、野心、金、暴力などが複雑にからみあった果てに、ひとつの結論は現れる。とりわけ今回のように証拠がない状況では、複雑さは極まるだろう。


そして、そのような薬師前の告発は、女性が人間として生きる困難を訴えるときのものと同型だ。

今回は市田が、本人がそう言っているのだからという理屈で、あざけりをこめて言われる「お気持ち」ポジションを担っていた。そうした、「本人がそう感じた」という現実がなぜすすんで本人視点で語られ、またやはり嘲笑されるのかというと、それを測定するものさしを現存の社会がもたないからである。だから問題なのだ。たびたび引き合いに出すが、魯迅「狂人日記」と同じ構造の小説、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』は、医師のカルテという究極の客観ともおもえる視座からキム・ジヨン氏の人生を観察しながら、じっさいにはそうではなかったということを描いた。






「カルテ」は、かつての自然主義作家たちが至高と考えたほど、客観性の高い描写術となる。それは、症状を患者から分離し、属人性を排除して、科学的にただ病気だけを抽出しようとしたものだからだ。もちろん、キム・ジヨンは小説であるから、厳密にはそれはカルテではないのだが、そういう視点で事態を理解しようという志向性はあったわけである。しかるに、そこにも女性差別は残る。これが暴いたことは、女性差別を描くことの不可能性だったわけである。


こうしたことが、薬師前が経験したような不同意わいせつの現場では起きている。現場を離れても、ほんらいであれば、薬師前の見解とマッサージ師の主張は等価であり、法的にもそう扱われるだろう。だがそこに至るまでのさまざまが、薬師前の態度をあいまいにし、ためらわせる。九条が訊ね、確認したのはそのことだ。法は、いかなる条件のもとでこの不均衡を突破するのか、曖昧さを正すのか、そういうことが明らかになってくるはずである。


市田にいまの仕事の動機を聞かれたときや、また九条にずけずけ失礼なことをいわれたときにみせる薬師前の歯切れの悪さも気になる。薬師前の自己評価は低く、自虐的な発言も多い。亀岡のように強くはないし、フェミニストとして前に出るパワーもない。犯罪者支援は、犯罪撲滅などの最終目的にまでいかなくとも、もっと近い場所では、要するに弱者支援である。つまり、彼女は内と外からみずからを守るため行動に出ている。その主体性が彼女をしっかり立たせるが、なにかそこにきまりの悪さのようなものも感じているようだ。たとえば、極端には、自己責任社会では弱者が弱いのはじぶんのせいである。これは、人間の強い弱いがそもそも社会的な目線からの公的な評価であるということを前提したとき、弱いから弱いというトートロジーになるので、自己責任論はみずからを戒める場合以外公共哲学的にはあまり価値をもたない思想だが、同時に、多様性を求め、ノマド化がすすんだ世界の、ある種必然でもある。そういう状況なので、弱者として身を守ろうと動くことに一種のやましさを感じてしまう場合があるのだ。薬師前からはそれがら感じられる。彼女は、みずからが女性差別の当事者としてふるまうことをためらう。そういう社会だから。じゃあどうするかというところでじぶん以外の弱者を救う。だから、今回のように動機を聴かれたり弱者(被害者)のポジションに立ったりというとき、戸惑ってしまうのである。




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