今週の刃牙らへん/第34話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第34話/いつもどこでも


3度目のジャーマン・スープレックスからなにかをたくらむジャック・ハンマー。ピクルはしたたかにあたまを打って脳震盪っぽい感じになっている。

いままでよくわかっていなかったが、ジャックのジャーマンはすごい低空らしい。停止してみるとその低さがわかる。ブリッジというとからだが曲線を描くものだが、ピクルを打ちつけた直後のジャックは、直線に近いかたちになっている。低い、低いということは、より遠くまで運ぶということなのだ。

ジャックがそのフィニッシュ・ポジションから足をハネ上げてもとの体勢に戻る。なにをする、って、ジャーマン・スープレックスである。2連発、4度目だ。とまらない、さらにからだをハネ上げて3連発。ピクルのあたまが柵に縦方向に衝突。これも2度目だ。ジャーマンは5回になる。

ダメージはそれなりにあるとしても、あのピクルである、この程度で動けなくなるとも思えないが、じっさい眠るように動かない。腕の出血もあるのかもしれない。
見下ろしたジャックが手を使ってあることを表現する。あちこちで手を握るパフォーマンスで、いつでも、好きなところを噛むことができる、ということを表現するエア噛みつきだ。生殺与奪の権は我が手にあるというわけである。
そうして左手を高くあげて、ジャックが勝利宣言するのだった。



つづく


終わっちゃったよ。びっくりした…。

前回、この勝負がある種の反復で成り立っていることを書いたが、今回さらにジャーマンがくりかえされることにより、この見立てがそれほど間違っていなかったらしいことがわかった。ジャックにとって、くりかえされるジャーマンのどこに、なんの意図があるのかはわからない。だが、それがピクルには効果があったらしいことは明らかである。たしかに、出血はひどいだろう。ジャックの打撃や投げもすさまじいだろう。しかしそれが、恐竜たちの攻撃や克巳のあの当てないマッハ、頭蓋骨を砕きかねない烈の肘と膝のはさみうちなどをはるかに凌駕するのかというと、首をかしげてしまうわけである。

ポイントとして、ピクルが言葉を覚えつつあることが示した都会化が、彼を鈍らせていた可能性はかなりある。だいたい、食糧がカラスやなんかでは足りないだろうし、たたかって食べるというかつてのスタイルから考えたらセンスも鈍りそうだ。
そしてその結果得た「言葉」は、世界を分節化する道具にほかならない。わたしとあなたを截然と区別するためのツール、それが言葉である。もともとピクルは、長い滞在とファイトを通じた経験により、備わってい非常に高い知能もあって、おそろしい速度で現代を吸収していた。彼我の分節など、言葉を用いるまでもなく、動物的な感覚でもある程度は果たされていただろう。しかしここで決定的なことは、たんに事物を区別することが可能になったことではなく、それを、それがない場所でも区別して把握することができるようになったということだ。動物的感覚による彼我の分節や、言葉のごく初期段階にある差異による物事の把握は、言ってみれば無時間的なものだ。その瞬間、目の前に広がっている景色を説明するための、またそれで十分役目を果たす道具にすぎない。しかし、言葉はやがて貨幣のように、実物をともなわずとも、価値をはらんで流通するようになる。それが、抽象思考を育み、時間の流れのなかで使用可能になる。


こういう進化が、おそらくピクルのなかにはあるものと想像される。これは彼に、帰納法ような推理を可能にさせるだろう。
ここでぼくがいう帰納法は、高校数学の証明でつかう数学的帰納法をイメージしている。大雑把にいうと、ある場合に成り立つと仮定して、その次の場合にも成り立つことが証明できれば、ドミノ倒し的にすべての場合成り立つことが証明できる、という技術である。昨日も今日も太陽が東から上がったから明日もそうなるはず、というのはたんなる経験的推理だが、東から太陽がのぼることを仮定し、そのことを前提に、その条件を使って明日もそうなることを示せば、数学的帰納法ということになる。
もちろんピクルのものは経験的推理にちがいないだろうが、ピクルの知性の飛躍的進化を表現する意味もこめてそのようにみようと思う。ピクルは、言葉を獲得することで、経験を通史的にみることができるようになった。5度のジャーマンはもはや別々に存在するものではない。記号となり、前後の同じ記号と響き合って、意味を確定させつつあるものだ。これが、彼にこの勝負から望みを失わせた。ややこしい書き方はせず、はっきり書こう。まず、最初の3回のジャーマンは、彼に「どんな局面でもこの相手はこの投げに持っていくことができる」という感覚をピクルに与えた。そして3回目から5回目のジャーマンは、「その投げは、やろうとすれば永遠に続けることができる」と伝えた。つまり、帰納法的に考えれば、もはやピクルに勝ちはないのである。

おそらくこういうことをピクルは理解した。で、どうするか。生物には無駄がないとペイン博士は言っていた。もうこのままあがいても、少なくともいまはどうしようもない。寝るか、死んだふりして相手が去るのを待つしかない。今回の、そこまで深刻にダメージがあるようでもないピクルが動かないのは、そういうことではないかと思われるのである。

ジャックのエア噛みつきはまた厄介な展開だ。なぜなら、あれはたしかに誰か他人に向けた「表現」であり、他人がどうおもうかを一顧だにしないジャックの非エエカッコしいスタイルと平仄があわないからである。「よし、噛める」と確認するだけならあたまのなかですればよい。そもそも、「やってみなければわからない」というひとたちが多い世界で、そもそもエア噛みつきが成り立つかもあやしい。ただ、これは本部に習ったものかもしれない。極端なはなし、「殺してみなければ殺せるかどうかわからない」ともいえるわけだが、縛り上げたジャックを前に本部は生殺与奪の権がじぶんにあるとして勝利した。いちおう、噛みつきを道にするジャックであるし、ピクルを殺すことが目的なのでもない。ピクルが戦意喪失しているのが明らかな状況で、生殺与奪の権のあるなしで勝敗を決めるのは合理的だろう。だいたい、真の勝敗は、じぶんがわかっていればよいことだ。
だがそうするといよいよこれがパフォーマンス的であることが引っかかる。まあ、ジャックはもともと観客の声がうれしいタイプだし、そのあたりは人柄とか、あるいは未熟さのあらわれなのかも。彼は非エエカッコしいを自認しているわけではない。まわりがそう言っているだけだ。ジャックからしたら噛みつきは別にカッコ悪い技ではないのだ。




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