すっぴんマスター -13ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第32話/叫喚


ジャック対ピクル、いまのところピクルにいいところがないまま、ジャック優勢ですすんでいる。
ダウンしたピクルの、左の上腕二頭筋にジャックがかみついている。このあたり、切れるとやばい血管があるんじゃなかったっけ。
ジャックは噛んだままピクルを抱えて立たせ、すぐに投げの体勢に入る。なんだかよくわからない位置関係でうまく想像できないが、不自然な体勢ではあり、ピクルも耐えるがやがて踏ん張っていた足がすべり、肉を噛み切るとともに投げが決まる。というより、噛み切るために投げたという感じっぽい。「噛みつき」が通常の技術のなかに練り込まれているという、宿禰の卓見通りなわけである。

投げじたいもすさまじく、ピクルはしばらく横になったまま呆然としている。やがて噴き出した血に目が覚めたか、起き上がったピクルが肺のなかの空気をぜんぶだす感じの咆哮をする。怒りの咆哮なのだろうが、息吹と同じことをしているわけで、我を取り戻し、筋肉にちからをみなぎらせる方法を、野生なりに知っているのかもしれない。

ジャックをにらむピクルが構える。爪と歯を剥き出した構えだ。脇もしぼって止血効果もありそう。
とびかかり、ジャックの首に組みついたピクルの攻撃は、めっちゃ痛そうなやつだ。むきだした足の爪で、ジャックの腹をバリバリ引き裂くのである。実況がいうように、ジャックの腹の上で引っ掻きダッシュをしているわけである。
非常に強力な攻撃で、ジャックも歯を食いしばって耐えているが、ダウンとかそういうことにはならないようだ。出血も激しく、勝ちを確信したか、ピクルも笑顔になるが、冷静にピクルの右手をあごでとらえたジャックは、肘を下から打つ。折れたかはずれたかしたその右腕に今度は噛みつくのだった。



つづく


ピクルがぼこぼこにやられているわけである…。
ピクルにいいところがない、と感じるのは、それだけジャックが強くなったということなのだろう。じっさい、ピクルというのはすさまじい耐久力とパワーだけでバキらを圧倒してきたので、それが無効になれば、ファイターにとってはどうということもないのかもしれない。問題はどう無効にするかだが、ジャックの噛みつきは、ピクルの持っている骨格的な、器質的な強さをゼロにしてしまった。首が太ければ打撃に強いのだとしても、噛み付いて肉をえぐれば関係ない。パワーを無効にすることも、要はかわせばいいわけで、バキはそれができていたから負けなかった。
今回のジャック戦ではまだピクルの打撃がちからを発揮していない。だからこそ、ピクルがぼこぼこにされている、いいところがないと感じるわけだが、それもジャックの攻撃によるものだとしたらどうだろう。ジャックのあごは強力だが小さい。恐竜がする噛みつきとはまた違った痛みを、なんなら前代未聞の痛み感じているはずだ。それがピクルの調子を狂わせる。あいまには無視して耐えるには強すぎる打撃がはさまれ、きわめてストレスのかかる状況で、ピクルはなにもできないでいるわけである。
ピクルの攻撃は、もちろん強いのだが、かわそうとしてかわせないものでは、基本的になかった。烈や克己はガードもしていた。それがなぜ、最終的には決定打をもらってしまうかというと、それはいまのピクルと同じ状況なのである。ファイターは、ただ食べるため、また生還するためという、短絡で闘っていない。複雑な動機と複雑な技が、闘争には織り込まれる。だから矢継ぎ早の攻撃で意識に穴が生じることもある。しかしそれは相手もそうなのだ。だが、だとすると、いまのピクルは現代のファイターに近いマインドセットでたたかっているということになるだろうか。そのようにするにはまだ早いが、ことばを獲得しつつあることもあり、ありえないはなしではないかもしれない。以前までのピクルは、ひとつの入力に対し、ひとつの出力をする、というしかたで生きていた。野生はそれでかまわない。しかし現代のファイターは、逃げれば生還できるタイミングでも、プライドによる居場所の護持、あるいは「たたかったほうが生還率が高い」等の判断をしうる。おもえばジャックとの初戦でピクルはそういうことをしていたが、あれはそれだけの決意を必要とすることだったのである。
そうして、ある意味いくつもの不自然をまといつつ、現代のファイトは成り立つ。そのなかで、うまく動けないピクルが、今回咆哮したわけである。

左腕をかまれてもそれが使えないということはないようだ。とするとここからは出血が問題となるだろうか。へたに意識があると輸血できないから、気絶したタイミングで光成が止める感じかな。もう少しピクルの打撃がみたいけど、両腕プシューじゃさすがにもうだめだろうな。



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第110審/曖昧の判断①




「生命の値段」完結、新シリーズ開始だ!

生命の値段はあれで終わりだったか…。壬生は結局どうしたのかな。でもまあ、ウシジマくんと異なるところで、シリーズ間が連続していて、前のはなしの続報があったりもするから、また描かれるのかな。


舞台となるのか、九条と烏丸は沖縄にきている。ちょっと一般人にはうまく想像できないが、民事だからといって釣りをしながらリモートで裁判しているらしい。映像はうつるの?うえだけスーツとかじゃなくていいの?

釣れた魚は知人の居酒屋に。軍用地賃貸契約の相続について、続けるかどうかで一族のあいだでもめたとき、烏丸を仲介にはなしをまとめたらしい。元依頼人ということだ。

このひとが宿を用意してくれたのだがベッドはひとつ。どういうつもりかわからないが、ふたりはじゃんけんをして、烏丸が勝ち、彼がベッド、九条がソファとなる。で、水着を買ってプール。いちおうなにかの仕事できてるとおもうんだけど、すごくリラックスできていい気分だ。


たぶん同じところに、薬師前と記者の市田が揃って到着。市田は取材で、薬師前がそれに付き添っているということだが、ここは薬師前のふるさとでもあるらしい。いわれてみると、逃亡者くんののどかっぽい雰囲気あるかも。

市田の取材というのはグルメリポートで、とりあえずカレーは食べたあとだ。市田の仕事は評判がよく、本も出すらしい。


運転手を決めるのにどっちが長く発声できるかなどして遊びながら、ふたりは会話でお互いを知っていく。

薬師前に彼氏はいない。婚活パーティーに出る感じだが、特にがつがつした感じはない。そういうものだからそうする、みたいな感じだ。

市田も同じように好きなひとのことを聞かれて、いない風だが、なにか含みのある間だ。いやなおもいをしたことがあるか、忘れられない失恋相手がいるのかもしれない。よさげなひとがいてもすぐブロックしちゃう、などとサバサバを演じている雰囲気である。

薬師前は薬師前で、田舎出身のコンプレックスがあるのか、短大出てテレアポやったけどつまらなくて人と向き合う仕事していまに至る、秒で語れる人生だと、やや自虐的だ。こういう女性の微細な含みがある表現、真鍋先生は上手だよなあ。

市田も市田で北関東出身、田舎はキャラを演じればよいから楽、オリジナリティがいらないから否定もされない、でもそれは退屈だから東京で勝負してると語る。


話題をかえて、薬師前が謎の性病についてはなす。売春してる子からうつされたホストが陰茎切除するはめになったらしい。要するに新種のなにかだ。


薬師前は仕事柄売春で日銭を稼いだり、セクシー女優など多少稼ぎの良い性産業の女性と会うことが多いからよけいだろう、ふたりは、かつて亀岡が語った、少し環境がちがうだけで自分がそうだったかもしれない位置にいる女性たちにおもいを馳せるのだった。


市田はこれからとんかつの取材があるので、お腹いっぱいの薬師前は先に部屋に帰ってマッサージを呼ぶ。やってきたのは男性だ。その後、飲みながら薬師前が話す。陰部を押し当てられたというのである。自分が不快に感じたらセクハラ、ということでくつろぐ弁護士に相談である。



つづく



「消費の産物」で描かれた笠置雫の名前は今回も登場し、薬師前が守る弱者、特に性を貨幣に変えていく他に生きるすべをもたないものの象徴になっている。

陰部を押し当てられているのに薬師前がこれを「微妙」と表現し、あいまいにしているのは、満員電車のなかでの痴漢に声をあげにくいのと同形の現象だ。なにか当たっているように思われるが、これは相手の意図するところなのか?状況的には、満員であったり、施術中であったり、多少の接触はありえるようでもある。それに、そんなことに反応して自意識過剰と思われないか?相手にその意図がないとき、ひどく傷つけてしまうのでは?また、大ごとになってしまうことは、じぶんにとっても望ましくないのでは?だいたいこわい…、このような考えが、痴漢をされた際には一挙にあたまのなかに現れる。かくして、あとひと駅だからということで、女性はそれに耐えることになる。分別があるほど、「自分が5分耐えるだけでさまざまな問題から解放される」となりがちなのがさらに難しい。しかし、市田がいうように、重要なのはそのひとがどう感じたかなのだ。

では、不快なのになぜ耐えてしまうか、というところが、このはなしのポイントとなるだろう。そこに、立場や情勢、腕力などの男女の非対称性が潜んでいる、というわけである。

こうしたわけで今回は、女性である以前に弱者であった雫よりさらに問題に接近し、女性性が抱える問題じたいに迫りそうである。たしかに、リーガルコミックでセクハラ痴漢はやるべきはなしだ。


お気持ちベースなどと揶揄されることも多いが、この手の状況がなぜそのようにしか告発できないかというと、男性社会では女性差別を真に客観的に記述する方法がないからだ。これは『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで考えたことだった。リンクを読んでいただければよいが、この小説は魯迅の「狂人日記」と同じ構造になっており、あるシステム、ある言語に組み込まれたまま、そのシステムや言語の瑕疵を指摘することの不可能性を描いたものなのだ。この宇宙が実は徐々に平面に近づいているとしても、なかにいるわたしたちにはわからない。わたしたちも同時に平面化しているからである。

そのような発言が「お気持ち」扱いされる理由としては、対話が弁証法ではなく論破ベースで動くことが多くなってきているだろう。モノローグの主語の奪い合いである。主語はふつうひとつだから当然そうなる。SNSは発言を容易にしたが、同時にその発言の属性をあいまいにもしてしまった。ある女性の「お気持ち」は、「女性」の発言として受け取るべきなのか。「お気持ち」は女性の発言であることを武器としつつも、そのことによってより「私」を疎外してしまうのではないか。そうした記述そのものの難しさを、SNSは浮き彫りにしてしまう。中和されたニュートラルな発言が存在しにくいということ、キム・ジヨンが描いたことを、生々しく露出させてしまうのだ。


フェミニズムの出発点は「私」しかない。その不快さ、不自然、理不尽をはかるものさしが存在しない以上、それしかない。もちろん、世の中にはさまざまな「お気持ち」がある。おかしな「お気持ち」もあるだろう。しかしそれが現れることを妨げてはならない。法はそうした局面でどのように機能するだろう。雫のとき以上に緊張感のある内容になりそうである。








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第31話/あれ



マウントをとってたたかいを有利に運んでいるジャックが、ピクルの顔面に食らいついて皮をごっそり奪い取る。反撃を許さず、続けて顔面にローキック。ジャックは手を休めない。ピクルの不死身にもおもえる肉体の強さを身をもって知っているからだろう。


高さ的にローキックは強いちからで放つことができる。一流選手であればトン単位の破壊力になる蹴りだ。バット4本を折ることのできた黒澤浩樹は1.4トンの威力があったというし、別のテレビ番組で数見肇や入澤群の下段蹴りを計測したときは2トンが出たように記憶している。計り方にもよるのだろうが、黒澤を計測したときには、野球選手のバットのフルスイングが900キロだったというから、とにかくものすごい威力になるのだ。


普通は決着であり、じっさいピクルも一瞬夢のなかにとんでいる。

わずかなその瞬間にピクルが思い出すのは、たぶんティラノサウルスと思われる恐竜の尻尾の一撃である。強烈な打撃を受けるとピクルはいつもこれを思い出しているから、よほど強烈な体験だったのだろう。尻尾の記憶じたいが似たものとして想起されているのでややこしいが、それはまるで高所からの落下だったという。


ジャックの打撃がティラノサウルスに匹敵する、ということはさすがにありえない。だが、ジャックには技術がある。知能がある。そうしてくりだされる攻撃は、たんなる衝撃力以外のさまざまな要素を含んでいる。たとえば拳や鍛えたすねは恐竜の生身より硬いかもしれない。それが、恐竜では不可能な弾丸的な点の攻撃として、くりかえし襲いかかってくる。そうしたぜんたいを受けて、ピクルはジャックがティラノサウルスに匹敵すると判断するのだった。


もうひとつ重要なことがある。ティラノサウルスはうまかった。だとしたら、ジャックもうまいのではないか?

そんなことを考えているピクルにふたたびジャーマン。ピクルは柵に、上からあたまを打ちつける。ぐったりする彼のどこかにジャックが噛みつき、血がほとばしるのだった。



つづく



ピクルの認識では、強ければうまいということになるようである。


強い恐竜はたいがい大きいだろう。肉食はあまりうまくないと聞くが、ピクルの味覚がどう判定するかはわからない。草食にも強いものはいるわけだが、ぜんたいに肉食が多い傾向があるであろうことはまちがいないだろう。それを、たまたまピクルの味覚がうまいと受け取れば、このはなしは通る。だがおそらくこれはそういうはなしではない。つまり、味覚のはなしではない。強い敵は、孤独なピクルにとってはライバルであるとともに親友である。ピクルには家族の描写がない。おそらくいたとしても類人猿、ピクルは特異中の特異、いわばフリークだったはずだ。見た目もそうだが、その強さと知性も頭抜けていたはずである(と考えると、そもそもピクルの強さは知能に依っていたぶぶんもかなりあるのではないかともおもえる)。

そういうなかで、彼が唯一他者とわかりあえたのが強者との勝負の中においてであった。だから、ようやくわかりあえた他者と、勝敗が決したときに別れなければならないことに泣く。乳児は母親のお乳がすぐに手に入らないという不快を通じてはじめて海のように連続していた世界に太い線を引き、他者の原型を知る。言葉をもつ前から彼には明らかに「他者」の概念があったのであり、それは「別れ」という苦痛を通じて体得されたものだったのである。

こういうことから思い返せば、ピクルの味覚、というか「うまい」という感覚も、他者概念の成立に関わることであったのだろうと推測できる。強さの行使は、わかりあうという快楽を生んだ。しかしそれは同時に、すぐにやってくる別れを含むものでもある。彼には不快のない快がなかったのだ。ではなぜそれを続けたのか?そこにピクルは味覚を見出したのではないか。快と不快がゼロサムの、起伏を呼ぶだけの麻薬的な体験を価値あるものにするため、ピクルのからだはそこに「強いものはうまい」という快楽を発見、もしくは創造したのである。


ふつうに考えたらピクルがこの程度の攻撃でダメージを受けるとも思えないのだが、ティラノサウルスを想起している以上、ジャックの打撃がほんものなのだということを認めないわけにはいかないのだろう。今回どこかをわりと深くかまれたようだが、顔を剥がれて蹴りをくらった直後、彼が夢にみるのは尻尾の一撃で、噛まれたことはあまり気にしていないっぽい。きっと大小問わず年中噛まれていたことだろうし、じっさいべつにどうってことないのかも。すぐ皮膚が再生する特殊体質な可能性さえある。とはいえ、そろそろ反撃してもらいたい。ピクルはこんなものではないはずだから。




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第30話/牙をむく



もう明日には次のはなしが掲載されてしまいます。いつも更新が遅くなってすみません。駆け足で書きます。



ジャーマンスープレックスでピクルの倒したジャックがマウントをとり、顔面に鉄槌をくだす。

ここでは鉄槌は最強の手技ということになっている。当たる面積が広く、また拳頭よりやわらかいぶん、グローブや掌底のような、脳に直接届く圧力を備えつつ、手刀ほどシャープではなく重い、そういう技だが、いちばんのメリットは、なんというかやはり、「手で殴る」となったときいかにも理にかなっているということだろう。肩の動きだけでコンパクトに動き、通常の正拳のように地面を蹴り込まなくてもそれなりに強力という、とても平均点の高い攻撃方法なのだ。正拳が弾丸なら鉄槌は金属バットである。


そして、その手軽さと機動性ゆえ、マウントポジションからの手技として鉄槌以上のものはない。ジャックの巨大な拳がいくどもピクルの顔面にめりこむ。花山スペック戦でみられた試し割りのトリック、後頭部が地面に打ち付けられる現象も起きているようである。

ピクルのダメージは大きい。あのピクルが、脳震盪的な感覚になっているっぽい。

そのすきに、チタンの歯を光らせたジャックが噛みつく。顔にである。ピクルの左目の下、頬骨の張った、あまり肉のないところだ。このときには、角度的にジャックはマウントをはずしているっぽい。あのまま延々殴り続けていたら勝ちだったかもしれないが。


損傷は下瞼にまで及び、筋肉が露出している。目つきをかえたピクルが反撃に出ようとするが、刺すようなジャックの蹴りがそれを封じるのだった。



つづく



ピクルがいまいちまだ本気になってない感じがする。いまのところ、会議でなにか言おうとすると邪魔されて言えない声が小さいひとみたいだ。しかしピクルにはひとことで全員だまらせる体力がある。としたら、ジャックの戦略は、そうさせない、というところになるだろうか。


鉄槌は非常に強力で、ピクルにすらダメージがある。ところがジャックは、特に抵抗があったわけでもないのにわざわざそれを中断し、噛みつきに移行している。要するに、メインは噛みつきなのだ。鉄槌がいかに強力でも、ジャックは噛道のひとで、その文脈でたたかっているのだから、決着はそこでつけなければならないと、そんなことだろうか。


宿禰の言を借りれば、噛道は複雑な近代格闘技の打撃のなかに強力な噛みつきを練り込んだものだ。だから、必ずしも噛みつきで決着するというものではない。だれもが見ないふりをしてきたオンナコドモの技としての噛みつきを、量的な合理性と、「エエカッコしい」、なんなら家父長制への無意識の批判精神によって選び、他の技術に並び、また超えるほど洗練させたのが噛道なのである。そう考えると、今回わざわざせっかく奪ったマウントをはずしてまでして噛みつきをしたことには、闘争の合理性以上のものが感じられる。相手がピクルという文脈もあるだろう。エエカッコしいから逃れ出たただふたりのファイターにとって、噛みつきは象徴的な技となる。ジャックが非エエカッコしいを肯定しようとしたとき、特に相手もまたそうであるなら、どうしてもそれを選びたくなってしまうのだろう。



たほうでピクルには、いかに噛みつきが象徴的であっても、実情はただたたかいと食事を連続させる手段でしかない。ないが、たぶんそれは変わっていく。ことばを使い始めたことがその始まりだ。言語は世界を分節し、最後には価値判断を生む。「噛みつき」もまたいくつものたたかいに関する動作から分離し、独自の意味価値をもつようになる。しかもそのタイミングで異様に噛みつきにこだわる男とたたかっているのである。それを洗練と呼ぶべきか弱体化と呼ぶべきかはあとになってみないとわからないが、ともかく変わることはまちがいないだろう。



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第109審/生命の値段⑱

 

 


白栖委員長や相楽とは決着がついたところで、ずいぶん丸くなった白栖から、息子の正孝について相談されたところだ。正孝が手術の失敗で患者を死なせてしまい、遺族から訴えられそうになっていると。
正孝は、第1審に登場した片足を失った男の子の件で九条を憎悪しているが、きちんとはなしを聴いてくれている。記録によれば、医療ミスは見当たらなかったと九条はいう。安全配慮義務は徹底していると正孝は応える。だが、手術は身体を切り刻むもの、合併症のリスクをなくすことはできないと。でも手術する以上それに同意したサインをしているはずで、法的責任という意味においては、そこに因果関係を見出せなければ問題はないということらしい。明らかなミスで別の病気があらわれたのでなければ、つまり起こりうる合併症として解釈できるのなら、責任は問われない。
だが、問題は別にあると九条は考える。正孝の考えとしては、緊急手術だったぶん事前の説明が甘かったということだが、問題なのは手術後だ。正孝の機械的な説明が遺族感情を逆撫でしたのだと九条はいうのである。ひとは、専門的な言葉で事実を語ってほしいのではなく、人のために尽くしたと“感じる”言葉がほしいのだ。これから示談の交渉に入るので、それまでに、それらしくみ
える練習をしようという九条に、正孝はしたがっている。あとでその気持ちはわかるのだが、意外なほど素直なのだ。
 

それから1年がたったということである。態勢を一新した新病院で、看護師たちがうわさばなしをしている。ひとりは正孝と手術前セックスをしていた美咲という女だ。九条の入れ知恵で、正孝は看護師にもきちんといろいろ説明するようになっているという。けっきょく顧問になったということなのか、それとも正孝個人についている感じなのかな。記録も対応も丁寧だと。
帰路、美咲と友人が引き続き噂話に興じる。ドライな口調ではあるが、美咲はからだの関係があるぶんただの噂話にとどまらず、それなりにおもうところがあるらしい。
正孝の嫁、早苗はインスタでの雰囲気がだいぶ変わってきた。以前までは正孝の弟、幸孝の嫁である恵理子に対抗して見栄をはっていたが、堅実な主婦というイメージを押し出している。正孝がスーパードクターとしてとても注目されているから、へんなことをしないようにしているらしい。
幸孝と恵理子は逆にすごい。いまは美容外科を開業して、大もうけをしているそうだ。幸孝は美容外科をうらやましがっていたもんな。ふたりとも中国で整形しまくってアンドロイドみたいになっている。(妻の名前が早苗になっちゃってます) 街中にでかい広告も出していて、それをふたりは撮影したりしながら、はなしを続ける。美咲は昨日も正孝とセックスだったらしいが、正孝の
なにがいいかと問われて、しばらく考え、手術に失敗して泣くところだと応える。ふだん非人間ぽいぶん支えてあげなきゃってなるらしい。でもそれは、患者に感情移入して泣いているわけではないことを美咲は見抜いている。メダルとれなかった選手が泣くように、失敗した自分に泣いているのだ。寝たきりで動けない患者の前で、個人的には延命治療はしたくない、苦しくても死ねないから、みたいなことも、いまでもやはりいうらしい。そのあたりは変わらずへんなやつなのであった。
 

いつもの屋上で九条と烏丸、それに正孝がお食事だ。前理事長の白栖からもらったワインで乾杯だが、コルク抜きがないということで、いったん九条が席をはずす。そこで正孝と烏丸がいろいろ話す感じだ。

烏丸が読者の気になることを訊ねてくれる。九条のことを悪徳弁護士とおもっていたはずだが、なぜ依頼したのか、なぜ素直にいうことを聞くのかと。正孝のこたえとしては、ひとの噂より自分の見解を信じたと。今回の騒動はじぶんのコミュ力のなさが原因である。それなら噂に耳を傾けたほうがよいのでは・・・となるが、これは、コミュ力のない未熟な自分が起こしたトラブルを解
決するために、噂では悪徳弁護士であってもしっかり自分と向き合ってくれる九条を選んだのだと、こういうことだろう。未熟だから信頼できるひとを選んだのであり、その未熟さがどういうものかという説明が、コミュ力不足だと。
烏丸は近くにたたずむブラサンを示し、犬はなぜ飼い主をじっと見るかと言うはなしをする。正孝にはぜんぜんわからないが、人が大好きで関心があるからだという。だから、じっと見て、感情を読み取ることができる。正孝も自覚のあるところで、ひとに関心がないから好きにならない、そして感情がわからないというわけだ。犬と同等です、と冗談をいう烏丸は、九条と正孝は同じ悩みを抱えているから通じあったんじゃないかと卓見を述べる。
正孝はここで例の片足を失った子どもの件を出す。ひとの気持ちがわからない自分でも、九条は冷酷な悪魔に見えたと。だが、このはなしには続きがあると烏丸がいう。九条はその後、母親と子どもに薬師前を紹介したうえ、流木まで介入させて、保険会社に言いくるめられて1000万しかもらえなかったものを7000万まで引き上げたらしい。そのお金やなにかを薬師前が手配したみたいなことだろうか。
無知は罪かもしれないが、知る権利は、いつでも、誰にでもある。なぜ九条はそこまでしたのか?九条のいいところは、お節介なところで、悪いところも、お節介すぎるところだと烏丸はいうのだった。




つづく

 



そうは書いてないけど、これは「生命の値段」最終話なのかな。ほかにやることあったっけ、とおもったけど、壬生の目的が果たされてはいないか。新病院にはなったけど、けっきょくいまの経営者は壬生ということでよいのだろうか。いまの病院の評判は描かれていないが、悪くないのではないかとおもう。いわれていたように富裕層向けになってるのかどうかはわからないが、あくまで正孝はスーパードクターとして勤務しているようだし、とすればすごい給料のはずで、金持ちをターゲットにしていても不思議はない。方針の内容が正孝の倫理観にしたがっているかどうかとは別問題に、ナースセンターなどもぜんたいに健全な雰囲気になっている。壬生は、病院の評判を落とし、安く買って、次に病院を立てなおし、高く売るという計画だった。正孝やほかの勤務医からすると経営が誰かというのはほとんど関係のないことだから浮かび上がっていないだけとおもわれるが、壬生は新体制になる前に病院を買えたのだろうか。九条によって有馬は途中で退場したが、そのせいでタイミングを逸したという可能性もある。たぶん、もう1話くらいあるだろう。

 


烏丸の読み通りなら、九条の「お節介」は、生得的なものではなく、そうすべきだという悟りと信念があって、自覚的に行われているものだということになる。じっさいそうなのだろう。そして、ひとを好きになれない正孝は、原因がひとに関心をもてないところにあると気がつく。つまり、九条方式でいけば、積極的に「ひとに関心をもつようにする」ということをしていけば、感情が読み取れない欠点は克服できる。これは、やろうとしてできることではない。関心をもつ、また好きになる、という状態は、なろうとおもってなれるものではないからだ。それを実現しようとしたら、「ひとに関心をもつとどういう行動をとるようになるのか」というところから始めるほかない。ほかにできることがないのだ。それが、たとえば、きちんとした説明とか、そういうことになる。患者への説明が雑なのは、患者の理解力や感情に興味がないからだ。それを、逐語訳的にでもいいから、どういうものか推理し、そうした理解力や感情にあるものはどういう説明を必要とするのかということを、あとから理性で構築するのである。九条もそうなのだろう。彼は正孝のようにサイコパス気味ということはないし、高い知性が感情を凌駕してしまうというような人物でもない。本質的には優しい人間だ。それがむしろいまは障害になる。法律の世界で働くようになり、世界を言語でがんじがらめに理解しようとする蔵人的ありように直面したとき、そうした優しさをどう行使すれば適切なのかわからないのだ。そこで、九条もまた、ある種の実務に徹する。彼自身が定めた、九条のためのポリシーのようなものにしたがってすべての判断をくだす。そのポリシーは、それこそ法のようなものだ。法律を勉強して専門家になったからこその発想といえるかもしれない。たとえば、「手続きを守る」という、九条を象徴するセリフは、そのセリフ内容も重要だが、そのように宣言すること、それを徹底することじたいが、「手続きを守る」というポリシーにつながるものである
。「手続きを守る」という手続きは、守ったり守らなかったりという状況では意味をもたないのだ。そのようにして、九条の周辺にはいくつかの箴言が響いているが、それらはすべて九条にとっての法なのである。そうすることで彼は、法律家になる以前にあった優しさを保存したまま弁護士でいることを可能にしているのである。そのことがヤクザや半グレを呼び込み、悪徳弁護士と呼ばれているというのは皮肉だが、現実はだいたいそんなものだろう。高い能力が備わっていても、強い信念に支えられた一貫性があって、しかもそれが正統なものであっても、場所によっては評価されなかったり出世しなかったりというひとはいるだろう。だが九条にはそれもあまり重要ではない。今回も、けっきょく顧問になったのかどうかよくわからないが、とりあえず最初は断っていた。やっぱり、法律のなかを泳ぐというよりは、対人で問題解決することが九条にとっての弁護士活動の初期衝動なのだ。
九条にしたがい、正孝が、ひとの気持ちがわからないままでも、その「気持ち」がどういうものが推理し、どういう行動をとればよいかを気にするようになったことで病院経営、というか現場の雰囲気はかなりよくなった。そして、烏丸がいうように、同じように「どうふるまえばよいか」という悩みを抱えたことのあった九条だからこそのアドバイスだったのだろう。法律、というより法曹の世界で、九条のような生々しい人間は生きにくい。理想論を捨てることもできない。そこで彼は戦略を外側から立てたのである。弱いひとがいて、だから救う、という回路ではなく、弱いひとがいつ助けを求めてきても助けられるよう、いまのスタンスを確立したのだ。

 


「生命の値段」登場人物の解釈についてキーワードとしてきた「対応」「創出」だが、おもえばこの「対応」とは、そうした理想論にこだわる様態のことをいっていたものかもしれない。つねに「現れるかもしれない」依頼人や患者のためにプライベートをつぶす九条と正孝の生きかたは、ある意味では成立していないわけである。いかに優れた弁護士や医師でも、彼らに「それじゃだめだ」というひとは必ずいて、それに反論することはかなり難しいのである。だが、正孝はどうも奥さんの早苗との関係性も改善されたようだ。早苗は見栄っ張りだったが、あれが抑えられ、正孝のために適切な行動をとるよう努力するようになっているのは、正孝への気持ちが見栄を上回っているか、もしくは、こ
のようにふるまうことじたいが、モノやお金を顕示することよりよほど張りがいのある「見栄」だと気がついたか、どちらかである。どちらでもいい、そこにはたしかに正孝が彼女にとって大切なものとして存在している。そこに、正孝改造計画がプライベートにも及んでいることが見て取れるのである。たほう、九条は娘と離れたままだ。九条がもし正孝に遠くじぶんを見ているとしたら、そういう贖罪の気持ちもあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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