(No.ym-033)
<ここまでのお話のまとめページ>
第一幕「あの人との出会い」
第二幕「運命へのプロセス」
第三幕「動員学徒の日常」
絵が出来ましたので、いてもたってもいられず先行公開します。
明日、記事を追加アップします。
冒頭のレイアウトが本来の状態ですが、ブログ(特にスマホ)では読みづらいと思いますので、以下に分割バージョンをアップします。
・
もうね、4コママンガのアイデンティティを喪失しかけていますね・・・
こういう変わりレイアウトは4コママンガ雑誌でもたまに見かけるのでいいよね?
あくまでブログで見て頂くことを前提に作っていますので、あまり多用はせず、また、今回のように見やすいレイアウトも併せてアップするように心がけてまいります。
では、明晩は記事を追加して改めて更新します。
<7月26日追記>
(1)ズック靴について
ズック靴というのは僕も忘れかけてた単語ですが、定義としては「布(キャンパス生地等)」の本体に「ゴム底」を合わせた短靴のことだそうです。
ですので、この素材が用いられていれば学校の上履きもコンバースのスニーカーもズック靴のカテゴリーだと言って良いらしいです。
さておき、昭和20年当時の資料を見ますと異口同音にズック靴は希少品だと記されています。
日本はゴムが採れないですから・・・。
この時代の女性の服装の典型であるモンペが腰にゴムが入っているのでなく紐締めや帯締めが前提なのも、この辺りに関係がありそうです。
ともあれ、当時の庶民は靴は「一張羅」みたいなものだったので温存していた、という手記もありました。
代わりに下駄を履いています。
(2)靴と戦争
靴と戦争にまつわる話で個人的にトラウマだったのは、何年も前にインターネット上で見たインパール作戦の従軍記でした。
(その記事は、すぐには再確認できませんでしたので、この記事は記憶で書きます)
インパール作戦は1944年に日本軍が画策した当時のビルマ国境付近からインドのインパールへ進軍する遠征です。
ご存じの方も多いと思いますが補給を無視した無謀な作戦によって総勢9万を超える兵士の3分の2に迫る方々が戦死や病死しました。
さて、靴のお話。
東南アジアは雨季に入るとあたり一面が泥濘になります。その泥濘の中を進めば「靴はすぐに壊れた」と従軍記にはありました。
当時の日本の軍靴はレプリカしか知りませんが革製です。
靴底も革製で鋲や鉄板で補強してあったようです。
靴の甲と底とは太めの糸で縫い合わされています。
おそらく頑丈な化学繊維の類ではないだろうと思います。
さすがの革の軍靴も泥濘に浸かりまくれば、それはフヤケて壊れるだろうことは想像に難くありません。
靴が壊れたらどうするか?
代わりを入手できなければ裸足で進むしかありません。
従軍記での描写は悲惨でした。
足の皮がむけて赤身がむき出しになる・・・足に布を巻いて凌ごうとするが、すぐに取れてしまう。
それでも、歩けなくなったらそれは死を意味する。
道中にて見かける友軍の遺体は靴を履いていない。他の兵士が取ってしまったからだ。
うろ覚えですが上記のような感じです。
負傷した裸足だけでなく食料もない上、病気にもかかっていたりするわけです。
想像すると非常にショッキングな内容でした。
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