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ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 82 聖書は、人々がどのような神さまを信じたと教えているのか」

 

これまで聖書の教えから「イエス・キリストを信じない人々」について追及していますが、より理解が深まるために同時進行で「聖書は、人々がどのような神さまを信じたと教えているのか」について見ていきます。

 

その答えは新約聖書の最初の「マタイの福音書」を見れば一目瞭然です。

 

その要点をピックアップしていきます。

 

「マタイの福音書」

4章

14 これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。

15 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、

16 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

17 この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」

 

23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

 

24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。

 

25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。

 

「8章」

 

16 夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。

 

17 これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。

 

「9章」

 

1 さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。

2 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。

 

イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。

3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。

 

4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。

5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

 

6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。

 

7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。

8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。

 

18 これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。

 

19 そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。

 

20 するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。

21 み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。

 

22 イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。

 

23 それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。

24 「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。

 

25 しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。

26 そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。

 

27 そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。

 

28 そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。

 

29 そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。

30 すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。

 

31 しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。

 

32 彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。

33 すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。

 

34 しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。

 

35 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

 

「10章」

 

5 イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。

 

6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

 

8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

 

「11章」

 

2 さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、

3 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。

 

4 イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。

 

5 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。

6 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。

 

 

聖書が教える救世主イエス・キリストは、どのような神さまか「これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。」と聖書に教えられた通りでした。

 

「イザヤ書35章」

 

3 あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。

4 心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。

神は来て、あなたがたを救われる」と。

 

5 その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。

 

6 その時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。

 

7 焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。

8 そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。

 

9 そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。

 

10 主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。

 

 

救い主イエス・キリストが来られると、神の御業によって、彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去りました。

 

この世では、愛する人が亡くなったり、病いで苦しんでいたり、悪霊につかれていたり、暗闇や絶望の中にいて、悲しみと嘆きの日々を過ごしている人々が多いのです。

 

そのような人々が、救い主イエス・キリストと出逢えば、癒やされて、楽しみと喜びを得て、悲しみと嘆きとは逃げ去りました。

 

それが「イエス・キリストの福音宣教」であることが、聖書に明確に詳細に教えられていることで満ちあふれています。

 

そして「十字架上のイエス・キリスト」の福音は最高に愛を現わします。

 

律法学者とパリサイ人など、ユダヤ人の中で、冷酷非道に殺す人々に対して

「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』ルカの福音書23章34節」

 

このように、すべての人々に100%愛を現わされているのが、「地上におけるイエス・キリストによる救い」のすべてです。

 

 

それゆえ、聖書には「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」というような、

 

「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ地獄」という教えを聞いて、イエスを信じた。(救われた)という人は1人もいません。

 

「イエス・キリストを信じれば永遠の命が得られる」「イエス・キリストを信じなければ永遠の火に投げ込まれる」という教えによって、イエスを信じた。(イエスにつき従った)ということは、どこにも書かれていないのです。一例もありません。

 

そのような、まるで、ヤクザの「言うことを聞けばいい目をみるが、言うことを聞かないと殺すぞ!」という脅し文句のような教えによっては、誰も信じていないのです。

 

 

聖書が教える救い主イエス・キリストとは、どのような神か?

 

その答えは「すべての人々に100%の愛を現わされることによって、救いに導かれる神です。」

 

長くなったので、次回へ続く

 

 

「日本におけるキリスト教 81 聖書の律法全体は、隣人を愛するというこの一句に尽きる」

 

前々回からの話の続きをさらに深堀りしていきます。

 

聖書は次のように教えています。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。

律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

 

律法の全体は『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』というこの一句に尽きるからである。ガラテヤ5章1~14節」

 

 

ですから、クリスチャンが、人に対して、聖書に書かれていることを教えると、教えられたその人は、自分を愛するように、あなたの隣人を愛するようになるという教えが心に芽生えるはずです。

 

 

しかしながら、現実は、クリスチャンが、人に対して、聖書に書かれていることによって、憎しみ・怒り・争うという心が芽生えることが多々あるのです。

 

また、クリスチャンが多い国でも憎しみ・怒り・争うという心を芽生えさせることがあります。

 

その1つに韓国があり、次のような記事が発信されています。

 

 

2022.10.28 国際記事「人口の4割がキリスト教徒」韓国で生まれた旧統一教会の「本国での異端度合い」がヤバすぎる

牧野 愛博 朝日新聞外交専門記者

 

韓国は、東洋ではフィリピンに次ぐ「キリスト教大国」と呼ばれる。

 

信者数は「改新教」と呼ばれるプロテスタントが1000~1200万人、「天主教」と呼ばれるカトリックが600万~800万人とされる。

併せて人口約5000万人の四割弱が「キリスト教信者」ということになる。

 

引用以上

 

 

その「東洋のキリスト教大国」と呼ばれる韓国が、国家を挙げての「反日教育」によって、日本と日本人に対する憎しみ・怒り・争いを起こしています。

 

その反日教育の理由は、朝鮮半島 は36年 間(1910年~1945年)大日本帝国の支配下にあり、日本統治は朝鮮に対する七奪(主権,国王,人命,国語,姓 氏,土地,資源を奪った)という冷酷非道な行為を行なったと主張しているからです。

 

① 大日本帝国が朝鮮半島に大きな圧力をかけて併合をした。

② 慰安婦を導入して、非人間的な生活をさせた。

③ 70万人の朝鮮人が強制的に日本に連行して労働を強いられた。

これらの今の韓国政府の発言と同じことが義務教育の教科書に書いてあります。

 

(ちなみに、日本政府は明確にこれらの事柄については否定しています。)

 

また、現在においても、隣国を侵攻しているロシア軍とイスラエル軍の中でも、強盗、虐殺、強姦、子供に対する性的暴行・虐待が報告されていますが、そのような悲劇も大日本帝国が韓国を支配下している時代において必ずあったでしょう。

 

それゆえ、その韓国を支配していた時の冷酷非道な日本と日本人への憎しみ・怒りを植え付ける反日教育がなされているわけです。

 

 

ところが、同じ日本の隣国の「台湾 」は、韓国よりも少し前に日本に支配されて期間が長い、50年間(1895年~1945年)大日本帝国の支配下にありました。

 

しかしながら、支配の期間が長かった台湾は「親 日」であるのです。

 

台湾はクリスチャン人口は約3%であり、イエス・キリストを信じていない人々は約97%という国ですが、国家を挙げて過去の日本・日本人の大きな罪を赦しているのです。

 

 

日本もそうですね。戦時中は「鬼畜米兵」と言って、家族を殺された憎しみ・怒りに満たされていました。

 

しかも当時のアメリカは、当時のソ連(現ロシア)よりも先に原爆を開発します。そして、実験成果を得て優位に立つという理由で、2度も日本に原爆を投下したのです。

 

現在でも原爆投下を正当化していて、2014年に開かれたノルマンディー上陸作戦70周年記念式典において、原爆投下の映像が映し出されると、当時のアメリカのオバマ大統領は拍手している有様です。

 

 

ちなみに、十字をきったクリスチャンのプーチン大統領は、その後ウクライナ侵攻をして戦争を起こしました。現在もウクライナ市民を殺しています。

 

 

ところが日本は、その歴史上、類を見ない冷酷非道に大量無差別殺人をした過去のアメリカ・アメリカ人の罪を赦しているのです。

 

日本のクリスチャン人口は約1%弱です。約99%はイエス・キリストを信じていない人々です。

 

 

本来であれば、「聖書の律法全体は、隣人を愛するというこの一句に尽きる」と教えるクリスチャンが多ければ多い国は、平和を実現することが出来ます。

 

しかし現実は真逆で、国民の約40%はクリスチャンというデーターもあり「東洋のキリスト教大国」と呼ばれている韓国が、過去の36年 間(1910年~1945年)大日本帝国の支配下にあったことを絶対に許さない!許してはならない!という国家を挙げての「反日教育」によって、日本と日本人に対する憎しみ・怒り・争いを起こしているのです。

 

その反対に、イエス・キリストを信じていない人々が圧倒的に多く、クリスチャンはごくわずかという「日本」と「台湾」が過去の敵国の大きな罪を赦しているのです。

 

それは、普遍的な神の愛が伝わるマザーテレサが感動している「神が与えている『人間』が生まれながら持っている善良な資質」です。

 

ですから、生まれながらの人間は、「聖書の律法全体は、隣人を愛するというこの一句に尽きる」という教えが心に芽生えることが出来るのです。

 

 

しかしながら、恐ろしいことに、クリスチャンになったことにより、聖書の教えによって、憎しみ・怒り・争いを起こすようになるのです。

 

それが顕著に現れているのが「反ユダヤ主義」です。

 

著書「キリスト教とホロコースト」著者モルデカイ・パルディールの中にはこのように書かれています。

 

「ドイツでは、ほとんどのプロテスタント聖職者、とりわけルター派が1937年1月のヒトラーの権力掌握に際して、強い高揚感を表明した。」

 

ヒトラーの「ユダヤ人絶滅策」を支持するクリスチャンは多いのです。

 

なぜなら、聖書に書かれている「神の御怒りがその上にとどまっているイエス・キリストを殺したユダヤ人」だからです。

 

イエス・キリストを信じた弟子たちはユダヤ人でした。

 

しかし、イエス・キリストを信じないユダヤ人たちがイエス・キリストを殺した。

 

十字軍は「イエス・キリストを信じないユダヤ人たちは絶対に赦さない!」と、ユダヤ人たちをユダヤ教からキリスト教に改宗を迫って、改宗しなければ惨殺していきました。

 

 

「イエス・キリストを信じない人々は、神の御怒りがその上にとどまる」と聖書に書かれていますが、その御言葉だけだと「悪魔の欲望を満たす恐ろしい教え」になります。

 

それは何度も続けて言いますが、その当時のイエス・キリストを信じない人々はどのような人々であったかが重要です。

 

聖書は「イエス・キリストを信じない人々」については次のように明確に詳細に教えています。

 

①「私たちの父はアブラハム」という者だけど、アブラハムの教えに反逆している

② 「悪魔から出た者」

③ 「イエス・キリストを殺そうとする者」

④ 「イエス・キリストを悪魔のように思わせて、悪霊に取りつかれていると断言する者」

 

この4つを併せ持つ者が「イエス・キリストを信じない人々」です。それゆえ、父親である悪魔の欲望を満たすためにイエス・キリストを殺したのです。

 

 

そして、聖書の教えは「聖書の律法全体は、隣人を愛するというこの一句に尽きる」ということですので、その悪魔の欲望を満たすためにイエス・キリストを殺すユダヤ人たちにも「愛」を示されたのが、「十字架上のイエス・キリスト」であります。

 

長くなったので、次回へ続く

 

「日本におけるキリスト教 80 平和を実現する神の子どもについて」

 

イエス・キリストは、有名な山上の垂訓の中で「平和を実現する人々がクリスチャンである。」と教えられています。

「平和を実現する人々は幸いです。その人々は神の子どもと呼ばれるからです。マタイ5章9節」

 

それゆえ、その重要な教えはいくつもあるのです。

 

「すべての人との平和を追い求めなさい。へブル書12章14節」

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、平和を求めて、これを追い求めなさい。第一ペテロ3章10~11節」などなど

 

 

この日本では、クリスチャンはわずか1%弱で、約99%の人々はイエス・キリストを信じていないという状況です。

 

聖書はそのような、ほとんどの人がイエス・キリストを信じていないという状況の中でも、神の子どもであるクリスチャンたちが、すべての人々と平和に過ごせるように教えられている書物であるはずです。

 

ですから、そのように信じているのがクリスチャン(神の子ども)だと言えるでしょう。

 

 

さて、この日本では、約99%のイエス・キリストを信じていない人々と平和を実現するためには、まず、聖書に書かれている「イエス・キリストを信じていない人々」とは、どのような人々なのかを教える必要があります。

 

イエス・キリストが人間として、この地上において福音宣教を成されたのは「約2000年前のイスラエルの地のユダヤ人たち」に対してでした。

 

約2000年前のイスラエルのユダヤ人と現在のユダヤ人ではまったく違うことがあります。その時代時代においてかなり違っているのです。外国による統治時代、313-636ビザンチン時代、636-1099アラブ征服時代、1517-1917オスマン帝国時代などがあります。

 

それは全世界がそうだと思います。

 

 

日本もそうです。天皇陛下を神のように崇める時代もありました。

 

その時代の時、現在の高校の教科書などでも未だに伝え続けられている「無教会キリスト教の内村鑑三の不敬事件」がありました。

 

天皇陛下に対する不敬な態度を行なった内村鑑三先生は「不敬漢・国賊・非国民」というレッテルを張られました。

 

多くの国民が敵となり、内村鑑三の自宅に毎日のように人々が押し寄せて批判非難を浴びせたり、恫喝したり、石を投げつけたり、家の中に押し入って放尿しました。

 

また、教員の職においては、何者かによって内村は辞職願いを出させられ、依頼解職の身となっていた。

 

その最中に、内村鑑三が流感で倒れ、生死をさまよっている中でも、人々は容赦せずに押しかけて、妻と母が矢面に立たされました。

 

内村先生の愛妻は心労がたたって、弱りきった体のうえに流感にかかり急死されてしまいました。不敬事件から約3か月後のことでした。

 

 

その後、斎藤 宗次郎先生(無教会主義キリスト教徒である内村鑑三の最も忠実な弟子の一人)は、日露戦争の際、内村に影響され本気で非戦論を唱えます。

 

心配した内村が花巻を訪れ説得し斎藤は翻意するが、すでに県当局からにらまれていて、小学校教員の職を失いました。

 

また戦争に反対する「国賊・非国民」というレッテルを貼られて、住んでいる村で疎外され迫害されました。

 

「国賊・非国民の娘」ということで、斎藤先生の愛娘はいじめられ、腹を蹴られたことが原因で亡くなってしまいます。

 

 

このように「日本」も、その時代時代において、まるで違うのです。

 

現在は天皇陛下は同じ人間として「平和の象徴」としての任務を忠実に行われています。

天皇陛下を神とするなら、多くの人々に「天皇の人間宣言」を教えられるでしょう。

 

そして現在では、日本人の多くが「戦争に反対」であり、非戦論を唱える日本人も少なくありません。

 

しかし、戦争に賛成する人たちがいますが、「国賊・非国民」としてレッテルを貼られませんし、家に押しかけられたりしません。そんな事があれば、家に押しかけて来た人が逮捕されるでしょう。

 

このように日本においても、その時代時代において、国民性がまるで違っているのです。

 

 

また現在でも、北朝鮮で生まれ育てば、北朝鮮の国民は、少なくとも年に一度、首都平壌の大きな広場に集まり、自分たちの絶対の指導者である金正恩氏への愛を表現します。

 

「マンセー!(万歳)」。バルコニーに立つ指導者の前を行進しながら通り過ぎるとき、彼らはこう叫びます。

 

もしも、崇拝すべき金正恩将軍様の批判をすれば逮捕されます。殺される可能性も高いと言われています。

 

ところが日本では、拉致問題をないがしろにして、飢えている北朝鮮国民たちを見殺しにしながら、何億という弾道ミサイルを発射しまくっている指導者の金正恩を痛烈に批判非難する人は多いです。

 

それで逮捕されることはあり得ませんし、殺される心配もありません。

 

 

また、アフガニスタンは国民のほとんどがイスラム教を信仰しており、特にイスラム教スンニ派(スンナ派)を国民の約90%が信仰している。 米国中央情報局(CIA)の『ザ・ワールド・ファクトブック』によると、スンナ派は人口の84.7〜89.7%、シーア派は10〜15%を占めているという現実です。

 

なので、アフガニスタンで生まれ育てば、家族も親戚も友人家族も皆がイスラム教徒という人がほとんどです。

 

それゆえ、当然に、聖書に書かれている教えも、どの時代のどの国民についての教えなのかを明確に詳細に教えているのです。

 

そうでないと、すべての人と平和を追い求めることや、平和を実現することは不可能になります。

 

 

1980年代でしょうか、海外の人たちが映画スターウオーズの監督が日本の黒澤明監督をリスペクトしているということを聞いて「七人の侍」などを見て、日本に来ました。

 

すると、日本人が侍や農民の姿ではなく、武士が農民を虐げるということもなく、現代の姿で、人間は皆が平等の国だったので驚いたというエピソードがあります。

 

笑い話ですが、私自身も経験があります。

「ドイツ」の国について、「ヒットラーのナチス・ドイツ」に関する映画をよく見た影響で、「ドイツ」と聞けば「怖い」イメージになりました。

 

ナチス・ドイツ(ドイツ語: Nazi-Deutschland、NS-Deutschland、英語: Nazi Germany)は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権下の、1933年から1945年までのドイツ国の通称です。

 

その時代だけがドイツの歴史的暗黒時代ですが、現在はまったく違います。

 

ですが「ドイツ」と聞けば、ナチス・ドイツを思い起こし、非常に恐ろしい国という思いになったものでした。

 

現在、そんな事を言えば、ドイツ国民を初め世界の人々に失笑されます。

 

そして音楽家の人たちがよくドイツに留学して、ドイツは素晴らしい国と紹介するのを見聞きして、今ではドイツに行ってみたいと思うようになりました。

 

 

ですから、もしも、「現在の日本は、江戸時代と同じである「士農工商えたひにん」武士を頂点にその下に大多数の農民があり、さらに工(職人) そして商人があり、 最底辺に 「えた・ひにん」がいる。

 

武士は何をしても許される。常に差別と虐げがあり、えたひにんなど殺しても罪にならないという野蛮人で冷酷非道な国です。」

 

また、「現在のドイツはナチス・ドイツと同じです。約1000万以上を虐殺した冷酷非道な国です。」と教えると、気が狂っているのか?と思われるでしょう。

 

そして、平和ではなく、争いを起こします。

 

 

それと同じで、もしも「聖書に書かれているイエス・キリストを信じていない人々は、現代のイエス・キリストを信じていない人々と同じです。」と教えると、平和ではなく、争いを起こします。

 

現実にそのような教えによって、争いが多く起こされています。

 

 

前回記事で書いたように、聖書はすべての人と平和を実現するために「イエス・キリストを信じていない人々」とはどのような人々のことを言っているのかを明確に詳細に教えています。

 

① 「私たちの父はアブラハム」という者

② 「悪魔から出た者」

③ 「イエス・キリストを殺そうとする者」

④ 「イエス・キリストを悪魔のように思わせて、悪霊に取りつかれていると断言する者」

 

この4つを併せ持つ者です。

 

そして、その者たちが、どうして地獄の刑罰を逃れられないのかという理由も、明確に教えているのです。

 

長くなったので、次回へ続く

 

「日本におけるキリスト教 79 聖書が教えるイエス・キリストを信じない人々について」

 

前回の続きです。現在、かなりの勢いで「なぜキリスト教が日本人に受け入れられないのか?」という真相が拡散されています。

 

その真相は、ザビエル宣教師の日本宣教の報告した手紙から「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ堕ちるというキリスト教の教えに対して、日本人の村人たちが論破したから。」というものでした。

 

そのことを聞いた多くの人々は、その当時(室町時代)の村人に論破されるくらいだから「キリスト教の教え」はなんとも幼稚でお粗末すぎる教えだと言い広めています。

 

 

文学博士の菊地章太教授の著書「日本人とキリスト教の奇妙な関係」の中では、ザビエル宣教師の後に来日した最後の潜伏宣教師「シドディ宣教師」が当代きっての碩学として知られていた「新井白石」が詮議にあたった記録を取り上げています。

 

シドディ宣教師がイエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く「最後の審判」について語ると、

 

「新井白石はそれを聞いて思う。そうした教えがあることを知らない者がいるとしても、とがめるべき理由などないはずだ。

それなのに最後に誰も彼も滅ぼしてしまうとはどういうことなのか。

 

『いかむぞまた、これを生じこれを養ふ大父大君とは称ずべき』と、かつはあきれ、かつはいきどおったのだ。」

 

引用以上

 

 

このように、「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」というキリスト教の教えは、室町時代や江戸時代の日本人が聞いても、あきれ果てたり、いきどおったりする教えでした。

 

現在ではYouTubeなどで拡散されて、小学生にまでも「キリストは恐ろしいな」と思われるようになりました。

 

 

聖書の教えについて、次のように書かれています。

 

「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。

 

しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、

また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

 

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。テモテ第二3章13~16節」

 

なので、聖書には「イエス・キリストを信じない人々」とはどのような人かについても明確に詳細に教えられています。

長くなりますが、その聖書箇所を見ていきます。

 

 

聖書が教えている「イエス・キリストを信じない人々」には2つのタイプがあり、1つは律法学者とパリサイ人のように、絶対にイエス・キリストを信じない人々です。

 

もう1つは表向きはイエスを信じたと言うが、本当は信じていないユダヤ人たちです。

 

その2つのタイプは、同じ4つの共通点があります。

 

まずは前回の、律法学者とパリサイ人が永遠の刑罰が逃れられない理由の聖書箇所マタイ23章33~37節に関連することです。

 

「ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、

 

「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。

だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。マタイ3章7~9節」

 

 

次にイエス・キリストを信じたと言っても、本当は信じていない「ユダヤ人」についてです。ヨハネの福音書8章30~53を要点だけピックアップします。

 

「これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。

イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、

 

「もしわたしの言葉にうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。

また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」

 

そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」

 

イエスは彼らに答えられた

「わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。

それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。

わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。」

 

彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」

 

イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。

 

ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。

 

どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。

 

あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。

 

彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

 

しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。」

 

ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」

 

イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。」

 

ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。

アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。

あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。」

 

♦

 

このように聖書が教える「イエス・キリストを信じない人々」とは4つの共通点があります。

 

① 「私たちの父はアブラハム」ということ

 

② 「悪魔から出た者」ということ

 

へびども、まむしの末どもと言う意味も同じです。

「すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。ヨハネの黙示録12章9節」

 

③ 「イエス・キリストを殺そうとする者」

 

④ 「イエス・キリストを悪魔のように思わせて、悪霊に取りつかれていると断言する者」

 

なので、次の御言葉通りです。

 

「ユダヤ人たちは主イエスと預言者たちとを殺し、わたしたちを迫害し、神を喜ばせず、すべての人に逆らい、

わたしたちが異邦人に救の言を語るのを妨げて、絶えず自分の罪を満たしている。

 

そこで、神の怒りは最も激しく彼らに臨むに至ったのである。テサロニケの信徒への手紙一2章15~16節」

 

 

このように聖書は「イエス・キリストを信じない人々」について明確に詳細に教えているのです。

 

この聖書が教えていることを正確に教えれば、誰もあきれ果てたり、いきどおったり、恐れたりしません。

 

また、イエス・キリストを無慈悲で冷酷非道な神だとも思うこともないし、イエス・キリストを誰も彼も地獄に投げ込む地獄の使者のように恐れることもありません。

 

 

それなのに、まるで「イエス・キリストを信じない人々は皆、地獄へ行く」というように教える人がいれば、それは聖書の教えをめちゃくちゃ曲解し、イエス・キリストを無慈悲で冷酷非道な神だというようにでっち上げていることになります。

 

そうすることによって、キリスト教の教えを幼稚すぎで、お粗末で、あきれ果て、いきどおったりされるのです。

 

そして、人々は、その無慈悲で冷酷非道なイエス・キリストにつまずきます。

 

そうすれば、悪魔が喜び、悪魔の欲望を満たすことになります。

 

「もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教えに同意しないような者があれば、

彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、

また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである。テモテ第一6章3~5節」

 

長くなったので、次回へ続く

 

「日本におけるキリスト教 78 キリストを信じない理由と福音を妨げる教えについて」

 

ここ数年、仏教の布教活動をしている仏教講師たちが、日本人の99%がキリスト教を信じない理由を「YouTube動画」などで説明して拡散しています。

 

仏教講師たちは他の宗教にも探究心があり「どうしてキリスト教が日本に広がらないのか?」という疑問を持って、色々と調べ上げた結論を述べています。

 

「アジアでは多神教の国が多く、一神教は根付かない風土だから」という理由は、同じアジアの韓国やフィリピンはクリスチャンが多いし、インドネシアでは一神教のイスラム教徒が多いので、それは理由にならない。

 

また「日本人の感性や文化がキリスト教に合わなかった」という理由もキリスト教の教育機関は少なくないし、キリスト教に関する音楽・美術・文学・映画なども受け入れられている。

 

また、キリスト教式で結婚式を挙げるカップルのほうが仏教式よりも多い、クリスマスは喜んでいる。など、それも理由にはならない。

 

ただ「キリスト教の信仰(福音)」だけが受け入れられない。それは何故か?

 

そこで、仏教講師たちが「日本人がキリスト教の信仰(福音)を信じない理由」として着目したのが、1549年から始まったザビエル宣教師の日本宣教の詳細をイエズス会へ報告した手紙です。

 

 

そのザビエル宣教師の報告の手紙の中から着目したことを次のように伝えています。

 

ザビエル「神は万物を創造した創造主であり、全知全能である。」

 

日本人の村人たち「その万物を造った神というのは、善であるのか、悪であるのか?」

 

ザビエル「もちろん善であり、悪は微塵も混ざっていない。神は愛の神である。」

 

日本人の村人たち「この世には悪としか言いようがないものがある。したがって、善である神が悪を生み出しているという矛盾という矛盾した話になるために信じられない。」

 

 

ザビエル「クリスチャンになって洗礼を受けると天国に行ける。しかし、クリスチャンにならなければ地獄の炎で焼かれる。」

 

日本人の村人たち「先祖はどうなるんだ!神を信じる機会さえ与えられなかった先祖は地獄の炎で苦しんでいるというのか!」

 

ザビエル「地獄に堕ちた者を救うことはできない。」

 

日本人の村人たち「神が地獄を造り、そこへ送られた者たちは永遠にそこで苦しまなければならないというのならば、神は情け深いとは言えない。むしろ無慈悲ではないか!

 

そもそも善である神が人間を造ったのならば、なぜ神は人間が罪を犯すことを知っていながら、それを放置しておくのか!」

 

 

この仏教講師たちが教えていることを視聴した何人ものユーチューバーたちが、それぞれタイトルをつけて拡散して、いずれも数万、数十万、百数十万視聴と好評です。

 

その1つのYouTube「キリスト教が日本で普及していないのはザビエルが論破されたから?」は、現時点で「123万回視聴」

他にも5か月前にアップされた「真相 日本人の1%しかキリスト教を信仰しない理由は」は既に38万回視聴です。

 

 

 

 

 

 

仏教講師たちや他のユーチューバー、それを視聴した多くの日本人は、キリスト教が日本でたった1%しか普及していない最大の理由は「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ地獄に堕ちる」という信仰(福音)にあると思って、その真相を拡散しているのです。

 

 

ザビエル宣教師はカトリック教会のイエズス会所属です。

 

当時のカトリック教会は「教会の外に救いはない」という教えがありました。

 

ですが、その後、第2バチカン公会議(1962年-1965年)において、その教えが撤回されました。それは「カトリックの改心」と言われています。

 

 

さて、これまで何度も取り上げていますが、「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ地獄」という教えは「 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。ヨハネの福音書3章36節」という御言葉が根拠となっています。

 

しかし、これは誰に向かって言っている教えであるかということです。

 

 

イエスさまの地上での福音宣教は次の御言葉通りです。

 

「 イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた。異邦人の道に行ってはいけません。またサマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。マタイによる福音書10章5~6節」

 

それゆえ、聖書が教えている地上でのイエスさまの福音宣教が行われたイスラエルの地において『イエス・キリストを信じない人々』というのは「律法学者とパリサイ人」であり、「ユダヤ人」でした。

 

そして、そのイエス・キリストを信じない人々が、どのような理由で地獄の刑罰を受けなければならない理由をイエスさまは詳細に教えています。

 

「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。

 

それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。

 

こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。

 

よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。

 

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。マタイ23章33~37節」

 

 

聖書のイエスさまの教えは、イエスさまは、預言者、知者、律法学者たちをつかわされますが、イエスさまを信じない人々は、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行きました。

 

それゆえに、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくイエスさまを信じない人々に及ぶので、イエスさまはその信じない人々に対して「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。」と言われたのです。

 

 

そして、日本人たちの約99%は、イエス・キリストを信じていませんが、イエスさまがつかわされた預言者、知者、律法学者たちを、そのうちのある者を殺したり、また十字架につけたり、そのある者を会堂でむち打ったり、また町から町へと迫害して行ったりしていません。

 

ですから、現在の日本人たちに対して「イエス・キリストを信じなければ神の御怒りがその上にとどまり、そのまま死ねば地獄へ行く」という教えは、イエスさまの教えをかなり曲解して、イエス・キリストを冷酷非道な神にでっち上げた教えだということが、読解力がある小学生でもわかります。

 

 

例えば、小学生の頃は「人を殺せば死刑」だと思っていました。

 

しかし、大人になれば法律を知って、「人を殺す」ことについて正当防衛もあるし、過失致死もある。精神鑑定で刑が軽くなる場合もある。かなり冷酷非道な殺人でない限り、裁判で「死刑判決」はそんな簡単に下されないことがわかります。

 

ですから大人になっても「人を殺せば死刑」と言っていれば、「法律を知らないのか」と言われるでしょう。

 

 

現在は、小学生でもスマホでインターネットの情報で知識を容易に得られる時代です。

 

もしも「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ神の御怒りがその上にとどまり、そのまま死ねば地獄へ行ってしまう」と言う人がいれば、

 

「あなたは、聖書の教えを知らないのか」と言われる時代になってくるでしょう。

 

神の言葉は純粋です。神の言葉を曲解させると恐ろしいことになるでしょう。

さらに、イエス・キリストを冷酷非道な神のように教えることは聖霊を冒涜することになるからです。

 

長くなったので、次回へ続く

 

「日本におけるキリスト教 77 キリストが教える地獄の刑罰に定められた者たち」

 

プロテスタント福音派の教会に所属していた時、超教派の働きが活発に行われていました。

そこで用いられている牧師たちの聖書解釈と福音理解は一致していて、次のような教えです。

 

「イエス・キリスト御自身が地獄へ行く人について数多く教えているのです。ですから、生前にイエス・キリストを信じない人々は地獄へ行くのです。そのイエス・キリストの教えを人間的な感情によって曲解させてはいけないのです。」

 

その教えを聞いた多くのクリスチャンたちは、本心では「イエス・キリストを信じない」という理由で「永遠の火(地獄)に投げ込む」という冷酷非道な神など信じられようか。と思います。

 

ですが「どんなに受け入れられないことだとしても、聖書に書かれているイエス・キリストの教えを信じることが本当のクリスチャンということになる。」というような信仰によって受け入れる。

 

そして、いつの間にか「生前にイエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」という教えが当然のようになってしまいます。

 

 

しかし、精神科医クリスチャンの工藤信夫医師の著書「これからのキリスト教」を読めば、プロテスタント教会の恐ろしい実情が赤裸々に綴られています。

 

冒頭には次のように書かれています。

工藤医師はクリスチャンとして、七十歳、八十歳になるまで語り続けたい思いがありました。

 

「しかし、その思いも、もう砕かれかかっていた。というのは、私がそれまで目のあたりにし、耳にしてきたキリスト教には、失望するところが多く、

 

昔のように単純に教会に行くことは良いこと、神を信じることはすばらしいこととは思えなくなっていたし、こうした講演活動で、そうした問題の根底に触れることはとうてい不可能と思い始めていたからである。」

 

引用以上

 

 

このクリスチャン精神科医の工藤医師だけでなく、キリスト教に失望したり、危機的状況を発信するクリスチャンは少なくなく、SNS上ではキリスト教の教会で深く傷つけられた人々の声であふれています。

 

プロテスタント教会の牧師たちが特に強調している御言葉の1つが次の御言葉です。

 

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』(ヨハネ14:6)」

 

また、人間の道・真理・命である真の神さまであるイエス・キリストは「教会のかしら」と教えられています。

「キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、エペソ5章23節」

 

その人間の道・真理・命であるイエス・キリストがかしらである教会がその通りであるならば、「多くの人間のつまずき」になる事は本来あり得ないことなはずです。

 

しかし、現実は非常に多くの人々が、プロテスタント教会に通って、傷ついたり、つまずいたり、苦しんだりしています。

 

 

日本で最も信者が多いのが「浄土真宗」と言われています。

 

宗教学者の島田裕巳氏の著書「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の中で、その大きな理由を次のように述べています。

 

「日本人の無宗教標榜の根底にある『天台本覚論』本来、仏教は、開祖である釈迦が家庭を捨て、世俗の生活を離れて出家したように、むしろ現実の価値を否定する『現世拒否』の姿勢を特徴としている。

 

ところが、草木成仏の考え方に代表される天台本覚論は、現世を全面的に肯定する思想であり、その点で本来の仏教の教えとは対極に位置するものだが、日本ではむしろこちらの考え方のほうが広く受け入れられたのだった。」

 

「浄土真宗にはいくつかの派があり、信徒の総数は1200万人を超えている。この数は、日本の総人口のおよそ10分の1にあたる。

 

なぜこれほど浄土真宗は日本の社会に浸透しているのだろうか。簡単に言えば、それは庶民の信仰だからである。」

 

引用以上

 

 

私の父親の実家が「総持寺」で、浄土真宗の町です。私の親戚も檀家が多いです。葬式は浄土真宗で行われます。

 

長年にわたり、親戚と近隣の人々は浄土真宗の信者ですが、浄土真宗の教えを聞いたり、寺にお参りに行って、傷ついたり、つまずいたりした話をほとんど聞いたことがありません。

 

また特筆すべきことは、浄土真宗の教えは「聖書の教え」によく似ていて、クリスチャンとして何度も驚いたことです。

 

 

つまり、聖書の教えを参考に良いとこどりをしながら「現世肯定」した教えが「浄土真宗」であると思いました。

 

そして、聖書の教えを土台に「現世拒否」しているのが「プロテスタント教会」であると思います。

 

 

聖書の教えは、律法学者やパリサイ人たちのように神に反逆する人たちに対する「現世拒否」の教えもありますが、「神の愛」の教えは次の御言葉のように「現世肯定」です。

 

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3章16節」

 

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物としての御子をおつかわしになった。ここに愛がある。ヨハネ第一の手紙4:10」

 

「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

 

正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

 

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。ローマ書5章6~8節」

 

 

この世に生きている人間は罪を犯してしまう罪人でもあります。

 

ですが、神さまはその罪人のままで愛していることを示されたのが「十字架の死」です。

 

つまり、神の愛が最大限に現わされている「イエス・キリストの十字架の死」についての教えは、現世を肯定されたものでした。

 

 

しかし、律法学者とパリサイ人たちは、その神の御子と神の愛を否定する「現世否定」でした。

 

イエスさまはその律法学者とパリサイ人は災いだ!と激怒されて、地獄の刑罰を逃れられないと言い放たれました。

 

「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、

 

『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。

このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。

 

あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。

 

へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。

 

それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。

 

こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。

 

よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。

 

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。

 

ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

 

見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。

 

わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。マタイ23章29~36節」

 

 

この世を愛される神の愛が現世に現わされることを「否定」する律法学者とパリサイ人に対しては、地獄の刑罰が逃れられないと教えるのです。

 

さらに、「イエス・キリストは恐ろしい冷酷非道な神でもある」と教えることは、聖霊を侮辱することになると教えます。

 

長くなったので、次回へ続く

 

「日本におけるキリスト教 76 神さまと人間の関係について」

 

今回は、この教えを知らなければ「人間の生と死・天国と地獄」について語ることは不可能と言っても過言ではない「聖書が教える神さまと人間の関係」について見ていきます。

 

聖書は、すべての人間は神さま(イエス・キリスト)によって造られて、御子イエス・キリストのために造られたと次のように教えています。

 

「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネの福音書1章3節」

 

「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また、見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。

 

万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。コロサイ人への手紙1章15節」

 

 

すべての人間は神さま(イエス・キリスト)によって造られて、御子イエス・キリストのために造られたのであれば、人間は生まれながらにして、神さまの教えに聞き従うように生きるようになることが自然です。

 

そのことについても聖書は明確に次のように教えています。

 

「あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。

 

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。ヨハネ10章26~28節」

 

ここで、イエス・キリストの声(御言葉)に聞き従うことができる「イエスの羊」と、聞き従うことができない「イエスの羊ではない山羊」がいると教えます。

 

 

イエス・キリストが命じられたことは唯一、次の教えです。

 

「わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

 

互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。ヨハネの福音書13章34~35」

 

「あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

 

もしわたしの戒めを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父の戒めを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

 

わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

 

わたしの戒めは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

 

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。ヨハネの福音書15章8~14節」

 

 

このイエス・キリストが命じられた「互いに愛し合いなさい」という教えを聞いて、聞き従うことができるのが「イエスの羊」です。

 

そして、このイエス・キリストが命じられた「互いに愛し合いなさい」という教えに聞き従えず、「憎しみ合うべき」という教えに聞き従う者たちが「イエスの羊ではない山羊」つまり、聖書が教える「悪魔から出た者」となります。

 

「神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
 

わたしたちは互に愛し合うべきである。これが、あなたがたの初めから聞いていたおとずれである。第一ヨハネ3章10~11節」

 

 

さて、このイエス・キリストの命じられた「互いに愛し合いなさい」という教えは、聖書を読んだことがなく、イエス・キリストを知らない人たちにとって、どういう教えになるでしょう。

 

それは、まったく聞き従えない教えではなく、まったく聞いたことがない教えでもありません。

 

「互いに愛し合いなさい」という教えは「当然の教え」として、心に芽生えている教えというように答える人が圧倒的に多いと思います。

 

まさに「人間」が初めから聞いていた「おとずれ」のような教えが「互いに愛し合いなさい」であります。

 

 

また、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」という教えは、世の中の日常、映画、テレビドラマなどで教えられています。

 

駅のホームから誤って線路に落ちてしまった高齢者の方を助けた青年が、電車にひかれて亡くなってしまったニュースもありました。

 

海水浴場で、見ず知らずの溺れた人を救おうとして、亡くなった人たちもいます。

 

東日本大震災においても、一人でも多くの人を高台に誘導して命を救うために、自分の命を犠牲にされたというニュースは、多くの人々の心に「大きな愛」を伝えました。

 

テレビドラマでも、当時の高視聴率ドラマ「太陽にほえろ!」327話「爆弾」において、子どもたちの命を救うために、1人の刑事が爆弾を抱えて犠牲になろうとする姿に多くの人々が感動しました。

 

「神は愛」であり、その愛の神さまが造られた「人間」は、神さまが命じられた「互いに愛し合いなさい」という教えに自然に共鳴して生きているのです。

 

そして、その中で、イエス・キリストを信じないで一生を終える人々が大勢いるのです。

 

そのことを最も理解されているのが愛なる神さまなのです。

 

つづく

 

「日本におけるキリスト教 75 イエス・キリストを信じる人と信じない人という区別について」

 

前回記事の続きになります。聖書の中の教えで「主の名を呼び求める者は、みな救われる。ヨエル書2:32&使徒2:21&ローマ書10:13」という教えがあります。

 

その聖書の御言葉だけを根拠にすれば、主の名(イエス・キリスト)を呼び求めているクリスチャンは、みな救われるということになります。

 

 

しかしながら、聖書には真逆のことを教えていることが度々あり、前述の御言葉に対しても真逆の教えがあります。その1つが次の御言葉です。

 

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。

 

そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。マタイ7:21~23』」

 

 

もう1つが次の御言葉です。

 

「わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと言ったのではない。

 

もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。

 

しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、・欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。

 

外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。

 

外の人たちは、神がさばくのである。

その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。第一コリント5章9~13節」

 

 

「しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。

それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。

 

不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

 

あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。

 

しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。第一コリント6章8~11節」

 

 

これらの御言葉から、イエスさまを「主」と呼び求めるクリスチャンの中でも、不法を行なう者、不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は神の国をつぐことはないのです。

 

つまり救われていないということになります。

 

それは「あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。」ということが重要なポイントです。

 

つまり、クリスチャンになる以前からそういう者であり、イエス・キリストを信じてもまったく変わっていないということです。

 

そして、恐ろしいことに、そのいずれかに当てはまるクリスチャン(牧師、牧師婦人、宣教師、伝道師、執事、信徒リーダー、平信徒など)は大勢いると推測されているのです。

 

 

ちなみに、プロテスタント福音派の教会の中では「男娼となる者、男色をする者」を「同性愛者」と断定して、「同性愛者たちは救われない」と断言して教える牧師やクリスチャンたちが少なくないです。

 

しかし世の中の「男娼となる者、男色をする者」という定義は「性的サービスを提供することによって金銭を得る男性のこと」です。

 

聖書の時代を調べた人たちは、世の中の定義のほうが正しいと指摘しています。

 

 

さて、前回記事では御言葉から、「クリスチャン」とは新しく造られた者であり、神の宮であって、その内には神の御霊が宿る者である。

さらに自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエス・キリストに聞き従う者になります。

 

そのような「正しいクリスチャン」とは、不法を行なう者ではなく、不品行な者ではなく、偶像を礼拝する者ではなく、姦淫をする者ではなく、性的サービスを提供することによって金銭を得る男性ではなく、盗む者ではなく、貪欲な者ではなく、酒に酔う者ではなく、そしる者ではなく、略奪する者ではないということになるでしょう。

 

 

そして、この日本では約99%の人々が、まだイエス・キリストをよく知らずに、信じていない人々と言われています。

 

しかしながら、その信じていない人々の中でも、不法を行なう者ではなく、不品行な者ではなく、偶像を礼拝する者ではなく、姦淫をする者ではなく、性的サービスを提供することによって金銭を得る男性ではなく、盗む者ではなく、貪欲な者ではなく、酒に酔う者ではなく、そしる者ではなく、略奪する者ではないという人は少なくありません。

 

つまり、イエス・キリストを信じていなくても、そのような者に形成されていっているのです。

 

特に世の中で長年にわたり活躍されている人たちは、そう思います。

 

 

現在のこの世では、小学生でも誰も彼もがスマホを保有している時代です。

町や店などで有名人に出会えば、スマホで撮影できます。

 

また、いかがわしい場所で会えば絶好のスクープになるでしょう。

 

それをTwitterなどのSNSであげれば、たちまち拡散される時代なのです。

 

ですから、世の中で長年にわたり活躍されている人たちは、不倫などの不品行、不法、金に貪欲、偶像を崇める、人をそしったりする(暴言、パワハラ)、酒に酔ってセクハラや蛮行、人の仕事や物などを略奪などをすれば、すべてを失い、これまで築き上げてきたものが一瞬にして崩壊してしまうという相当の戒めを自分に課していると思われます。

 

そして、仕事を通して、世の中の人々に生きる希望を与え、平安を与え、勇気を与え、励ましているのです。

 

イエス・キリストをまだ信じていないのですが、第一コリント5章9~13節の教えに通じるものがあるのです。

 

 

プロテスタント福音派の教会に所属していた時は、教会の牧師、牧師婦人、宣教師、伝道師、執事、信徒リーダー、平信徒たちには深く傷つけられることが多かったです。

 

そういうクリスチャンたちは多いです。

 

そして、イエス・キリストを信じていない人々の中では、世の中で活躍されている人たちや出会った人たちに、生きる希望を与えてもらったり、励まされた経験がたくさんあります。

 

神が造られたすべての人間に対するさばきの基準が、この第一コリント5章9~13節で教えられているのですが、

 

それは、イエス・キリストが教えられている地上に来臨されて最後の審判で永遠の命に入る者たちと永遠の刑罰に入る者たちの理由とも一致しています。

 

つづく

「日本におけるキリスト教 74 イエス・キリストを信じるクリスチャンたちと信じていない人々の区別について」

 

この世では、一般的に「公人」と「私人」に区別されています。

 

ウイキペディアには次のような定義を教えています。

「一般に私人に対してはそのプライバシー権が強く保護されるが、公人は社会的に及ぼす影響が大きいため、私生活であっても『公共の利害』に及ぼす影響が大きい公人の場合にはその保護が行われないことがある

 

公人に、社会的に影響力のある経済人、有名人を含むとする広義にとらえる考え方も存在する。」

 

 

最近「ミス日本コンテスト2024」でグランプリに輝いた女性が、既婚男性と3年に及ぶ不倫関係であると週刊文春で報じられた問題を受け、その女性はグランプリを辞退。同時に所属事務所との契約も解除となったそうです。

 

デイリー新聞の記事では、審査員の金子氏は、アシスタントの「不倫した女性はミス日本にはそぐわないわけですか?」という問いに

「そぐうか、そぐわないかと言えば、そぐうとは言えないかもしれないですけど」と言い、その理由について「日本の行動の美、心の美を大事にしている、行動のところでどうなのか」と答えた。

 

さらに「こんなことがあるとは誰も思わないし、身体検査もなかなかできない」とし「なぜ、じゃあ出場したんだってところは、理解に苦しむところは、関係者も思っていると思う」と、辞退した女性が既婚男性と交際していながら出場に踏み切ったことに首を傾げていた。

 

 

辞退した女性は、ミスコンテストに出場する前まで「私人」でした。しかしミスコンテストに出場してグランプリ―の栄冠を手に入れた時から「公人」となり、マスコミは一斉に身辺調査をしてスキャンダルが発覚したのです。

 

すると、歴史があるミスコンテストに汚点を残した人として、語り継がれることとなり、所属事務所も解除されてしまいました。

 

 

過去には、大物お笑い芸人が記者会見を行い、芸能界引退を発表したこともあります。

過去に暴力団関係者との「親密メール」のやりとりをしていた情報が外部から同社に持ち込まれて判明、大物お笑い芸人は「ルール違反をした。自分で一番厳しい処分を科した」と説明しました。

 

もしも「私人」であれば、このような大騒動にはならなかったでしょう。

 

 

このように、社会的に及ぼす影響が大きい「公人」が罪を犯せば、その代償はとても大きく、私人とは比べようもない「罪の刈り取り」をさせられます。

 

 

聖書を読めば、旧約聖書のイスラエルの神を信じる信仰者たちと新約聖書のイエス・キリストを信じるクリスチャンたちは社会的に及ぼす影響が非常に大きすぎるほど大きい偉大な「公人」でした。

 

イエス・キリストは次のように言われました。

 

「あなたがたは世の光である。あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。マタイ5章14~16節」

 

また、イエス・キリストを信じる者について、次のように教えられています。

 

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。マタイ16章24~26」

 

「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」(ルカ9:24-25;マタイ16:26;マルコ8:35-36)

 

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っている事を知らないのか。1コリント3章16節」

 

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。コリント人への第二の手紙 5:17 」

 

 

クリスチャンとは新しく造られた者であり、神の宮であって、その内には神の御霊が宿る者である。

さらに自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエス・キリストに聞き従う者になります。

 

それゆえ「世の光」となって、その光を人々の前で輝かすことになるのです。

それぐらい社会的に影響力が大きい「公人」になるわけです。

 

その「公人」になるには時がありますが、いつ公人となってもよいように準備万全にしています。

 

 

個人的にも、現在は「私人」の立場です。けれど、数年前に、聖書の教えから作詞作曲してYouTubeでアップしていますが、かなり好評な曲もあります。

 

また、ブログ記事を見た人たちから「本」にして欲しいという要望があります。

神の御心であれば、曲か本かが多くの人たちに支持が広まるようにされる時が来れば社会的に影響を与える「公人」となるのです。

 

 

「公人」になれば、「私人」とはまるで違い、「罪」に対して大きな代償を支払うことになります。

 

聖書を読めば、イエス・キリストは、十二弟子&つき従って来た群衆に対して、クリスチャンの罪はゲヘナ(火の池)に投げ込まれるほどの代償になることを教えています。マタイ5章の山上の垂訓においてです。

 

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 2そこで、イエスは口を開き、教えられた。

 

言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。

21「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。

 

22しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

 

27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。

28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

 

29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。

 

30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」

 

 

マタイ18章では、イエスさまは十二弟子だけに次のように教えました。

 

 1そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 言われた。

 

6「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。 7世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。

 

だが、つまずきをもたらす者は不幸である。 8もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。」

 

 

イエスさまはこのように、イエスさまを信じてつき従って来た人々や十二弟子たちに対して、「愚か者」などという暴言を吐いたり、淫らな思いで女性を見たり、小さい者の1人でもつまずかせたりすれば、地獄へ行くほどの罪になることを教えられました。

 

クリスチャンであれば、そのような罪を実行したい思いにかられれば、悔い改めることができるでしょう。

 

 

世の中では、社会的影響力のある「芸能人」の中で、20代~50代、60代と30年、40年もの間、ドラマの主役に抜擢されている名優さんたちがいます。

 

その名優さんたちに共通しているのは「スキャンダルが無い」ということです。

 

罪(スキャンダル)の1つでも犯せば、すべてを失ってしまうという覚悟で生活しているように思います。

仕事に全身全霊で取り組んで、家族を大切にして生きておられます。

 

 

そして、クリスチャンたちは、イエスさまの教えに聞き従うなら、暴言を吐いたり、情欲を抱いて女性を見たり、小さき者の1人にでもつまずきを与えたりすれば、地獄へ行くぐらいの覚悟を持つはずです。

 

すると世の中の人よりも信頼されて「世の光」として輝くことが出来るでしょう。

 

 

それがプロテスタント教会では、「イエス・キリストを信じたクリスチャンは永遠の命を得ている。過去・現在・未来におけるすべての罪は赦される。どんな罪を犯しても赦される。」と教えているのです。

 

そして「地獄行き」の教えは、イエス・キリストを信じていない人々に対する教えであり、クリスチャンに対するものではないように信じさせます。

 

そんな教えをしてしまえば、キリスト教会が「罪の温床」になってしまい、陰で罪を平然と犯すようになるクリスチャンたちが増えるのは当然のことだと思います。

 

光を装う偽クリスチャンたちを教会に招きやすくなり、キリスト教会の中でも暗躍するでしょう。

 

現実にそうなっています。

 

クリスチャンは、イエスさまの教えに聞き従い。その教えを忠実に教えていきます。

ところが、その教えを曲解させると、世の光になるどころか、世の敵になるでしょう。

 

 

「日本におけるキリスト教 73 永遠の命を得たというクリスチャンたちと戦争の聖書解釈と福音理解」

 

プロテスタント福音派の教会に在籍していた時、多くの牧師たちから「プロテスタント教会の神学(聖書解釈と福音理解)の土台・真髄」が次の御言葉だとよく教えられました。

 

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネによる福音書 3:36 (新共同訳)」

 

この御言葉により、イエス・キリストを信じたクリスチャンたちは永遠の命を得ていることを確信します。

 

そして、イエス・キリストを信じていない人々は神の御怒りがその上にとどまっていて、そのまま死ねば当然に永遠の火に投げ込まれる(地獄へ行く)ことを信じます。

 

 

さらに、クリスチャンは既に永遠の命を得ているのだから、過去・現在・未来におけるすべての罪が赦された者だと教えます。

 

それゆえ、前回記事で原爆投下を下したトルーマン大統領もクリスチャン国家のアメリカでは評価は高く、現在でも米国学者の投票による歴史的評価は歴代アメリカ大統領の中で上位となる「7位」です。

 

ちなみに原子力爆弾の開発を承認したルーズベルト大統領は「2位」です。

 

 

しかし、日本ではトルーマン大統領の評価は悪魔並みに伝える声をよく聞きます。

 

「弁護士会の読書ブログ」には、「オッペンハイマー(下)

アメリカ 著者:カイ・バード、出版社:PHP研究所」からの引用と感想が書かれています。

 

 「日本に原爆が落ちたことを知ったアメリカ人は、ゴミ入れのふたなどを叩き鳴らしながら練り歩き、喜びをあらわした。

 

そうなんですか・・・。ジャップは、黄色い猿であって、人間ではない。そう考えていたようです。映画『猿の惑星』に出てくる猿も、日本人がモデルだというのです。ご存知でしたか?日本人って、そう見られていたのです・・・。

 

 その一方、原爆開発にたずさわった科学者たちは、日がたつにつれて自己嫌悪感が高まり、戦争終結が爆弾の使用を正当化すると信じていた人たちにさえ、きわめて個人的な後ろめたさを経験させた。

 

 オッペンハイマーは、良心の呵責から不安と疲労を抱えた。

 原子兵器の使用を防止する適切で効果的な、いかなる軍事的対抗策も見つからない。それを可能にするのは、ただ一つ、将来の戦争を不可能にすることしかない。

 

 トルーマン大統領は、そんなことを言うオッペンハイマーについて、「原子力を発見したために手が血だらけ、とぬかした泣き虫科学者」と叫んだ。

 

引用以上

 

 

また、KADOKAWAが直接運営するサイト「カクヨム」のエピソードには次のように書かれています。

 

「これ、日本に原爆を落とす決定を下したアメリカ大統領トルーマンの言葉だそうだ。

 

「猿を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。

 

これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。

 

そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって、我々は収穫を得つづけるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。」

 

この恥ずかしい言葉、未来永劫、子々孫々まで語り継いでやろうぜ。

 

キリスト教の人なのかは知らんけど、恥ずかしいねぇ、恥ずかしすぎる。主(イエス・キリスト)にこのこと聞かれて恥ずかしくないか?(笑 」

 

引用以上

 

 

しかしながら、キリスト教のプロテスタント教会ではまるで違います。

 

日本のプロテスタント福音派の教会の牧師からも原爆投下を下したトルーマン大統領を高く評価する声が挙がりました。

 

2016年に発売された篠原元牧師の著書「100人の聖書」は、発売二週間で1万部突破しました。キリスト教書籍では空前の売れ行きに驚きと称賛の声をよく見聞きしたので、私も思わず購入したぐらいです。

 

その厳選された100人の中に「トルーマン大統領」が選ばれていたのです。その事について著者の篠原元牧師は「クリスチャントゥデイ」のコラム記事で次のように発信しています。一部を抜粋します。

 

 

百人一読―偉人と聖書の出会いから―(62)ハリー・S・トルーマン 篠原元

 

日本への原子爆弾投下を承認した大統領として知られる、ハリー・S・トルーマン(1884~1972)。若い頃に南部バプテスト連盟の教会で洗礼を受けていたトルーマンは、このように語っています。

 

「山上の垂訓は私たちに生き方を教え、そしていつか人は現実的な生き方としてそれを理解するだろう。すべての道徳的な規範の土台は、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』(マタイ7:12)。あなたがしてほしいと思うことを、人にしてあげなさい」(『100人の聖書』110ページ参照)

 

ここから分かるように、トルーマンも聖書の影響を受けていたのです。

 

さて、トルーマンについてですが、複数の方々より「なぜ、トルーマンを?」とのお声を頂いています。

 

つまり、「トルーマンは日本に原子爆弾を投下することを承認した人物である。それなのに、なぜ彼を『100人の聖書』で取り上げたのか?」というご意見です。

 

同じようなご意見が、ブッシュ元大統領のことでもきていますが、確かにトルーマンもブッシュ氏も戦争に関わっています。

 

特に、トルーマンは私たちの国である日本に原子爆弾を投下する承認を下した大統領として知られていますから、いろいろな方(ご年配の方が多いと思います)から、お声を頂くわけです。

 

ですから、今日のコラムでは私なりの思い、考えについても書かせていただきたいと思います。

 

まず、トルーマンが日本に対する原子爆弾投下の承認をしたといわれていますが、その通りだとします。また、ブッシュ氏が米国大統領としての第1期目をほぼ対外戦争に費やした方であることも知っています。

 

ですが、私の思い、考えでは、トルーマンもブッシュ氏も、私、そして皆さんと同じであるのです。まず、同じ人間です。そして、私が一番強調したい部分は、次のことです。

 

日本への原子爆弾投下を承認したトルーマン、そして私も、このコラムを読んでくださっている皆さんも、読んでいないすべての人も、同じ「罪を犯す人」(今までに何度も的外れなことをしてきたし、他人にも迷惑をかけて生きてきた)ということです。

 

いくらトルーマンが原子爆弾を投下する承認をしたといわれているからといって、彼だけを悪人呼ばわりするのはどうかと思うわけです。

 

聖書は「義人はいない。一人もいない」と教えていますので、トルーマンや私だけでなく、100パーセントすべての人に、罪や悪い部分があるのですね。それは、人間なら誰だってよく分かっていることだと思います。

 

すべての人に罪があるし、すべての人に良い部分もある。だからこそ、自分にはトルーマンのことを、またブッシュ氏のことをとやかく言う資格はないのだと、私自身は考えています。

 

トルーマンにも良い部分があり、語り継がれるべき素晴らしい業績があります。私たちも、周りの人たちの「良い部分」「素晴らしい行い」に注目していければ、もっと良い人生を送ることができるようになるのではないでしょうか。批判的な目ばかりで人を見ていれば、自分もそんな目で見られるものです。

 

引用以上

 

 

この篠原元牧師の教えに、多くの牧師やクリスチャンたちは目から鱗が落ちたように、同じクリスチャンであるトルーマン大統領の原爆投下の承認の罪を赦すことが「イエスさまの御心」だということに目覚めるのでした。

 

そして、戦争に邁進したブッシュ元大統領も同じクリスチャンだから赦すことが「イエスさまの御心」であると信じます。

 

それから、「イエス・キリストを信じるクリスチャンの罪」は、原爆投下で大量無差別殺人の罪も、戦争を起こして多くの他国の人々を殺すことも、私たちが日々に犯す罪と同じだと認識させるのです。

 

その教えにプロテスタント教会の多くの牧師やクリスチャンたちが「アーメン」と言っています。

 

まさに「永遠の命を得ているクリスチャンは、どのような罪を犯しても赦される」という教えの真骨頂です。

 

 

さて、私自身は、その篠原元牧師の教えが拡散されている2016年~2017年の時は、まだ福音派の教会に属していましたので、その教えに異様で不気味な感覚の中で、賛同しなければならない福音派の教会の空気に流されるようでした。

 

 

2018年10月位から、プロテスタント福音派の教会から離れて、無教会になった今は、そのような恐ろしい教えに惑わされることはありません

 

悪魔の特徴は「盗み・殺し・滅ぼすこと」です。悪魔から出た者は人々に憎しみ合わせて、争わせて、戦争を起こして、人々を無差別に殺すのです。

 

「カインのようになってはいけない。彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである。なぜ兄弟を殺したのか。彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである。第一ヨハネ3章12節」

 

 

クリスチャンになっても誰もが犯しやすい罪を犯します。

 

ウソをついたり、暴言を吐いたりします。それは心から悔い改めれば不思議と「お互いさま」というように和解するものです。

 

ですが、多くの幼子、子供、市民たちが惨殺される戦争・核兵器(原爆を含む)の罪を犯すことはあり得ないことです。

 

 

ダビデ王がウリヤを殺害してその妻を奪った罪を犯した時です。

主(神)は預言者ナタンを遣わしてこう告げました。

 

「どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。

 

今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。

 

主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。

 

あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。第二サムエル12章9~11節」

 

 

聖書で教えている神の怒り、裁き、地獄行きの教えは、神を信じていない人々ではなく、神を信じた人々に対してです。

 

イエスさまも、イエスさまにつき従って来た群衆や弟子たちに「地獄行きの罪」を教えました。

 

12弟子たちには「もしも、この小さき者の1人にでもつまずかせた者は燃えるゲヘナ(火の池)に投げ込まれる」と教えています。

 

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネによる福音書 3:36 (新共同訳)」

 

この聖書解釈と福音理解は、「御子イエス・キリストの教えに聞き従わないクリスチャンは、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」ということです。

 

それが、プロテスタント教会では「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行くと教えている」とでっち上げて教えているのです。

 

すると、どうなるか。

 

クリスチャンの指導者(大統領など)が、平然と、戦争を起こしたり、核兵器(原爆など)を使用して、多くの人々を殺せるようになっています。

 

そして、それを、牧師たちが正当化する聖書解釈と福音理解を発信して、多くの教会のクリスチャンたちが賛同するようになる構図になっています。

 

イエス・キリストを信じるクリスチャンたちが、そのようになっているので、世界は相当めちゃくちゃ超激しく狂っていることが見受けられます。

 

 

聖書にはこのように教えられています。

 

「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 

 

すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。エペソ4章30~31」

 

ですから、無教会のクリスチャンの立場では、クリスチャンが戦争を起こしたり、核兵器(原爆など)を使用して無差別に多くの人々を殺す罪を犯したり、その悪魔の仕業を誰もが犯す罪というように教えたりすることは、あり得ません。

 

つづく