「日本におけるキリスト教 73 永遠の命を得たというクリスチャンたちと戦争の聖書解釈と福音理解」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 73 永遠の命を得たというクリスチャンたちと戦争の聖書解釈と福音理解」

 

プロテスタント福音派の教会に在籍していた時、多くの牧師たちから「プロテスタント教会の神学(聖書解釈と福音理解)の土台・真髄」が次の御言葉だとよく教えられました。

 

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネによる福音書 3:36 (新共同訳)」

 

この御言葉により、イエス・キリストを信じたクリスチャンたちは永遠の命を得ていることを確信します。

 

そして、イエス・キリストを信じていない人々は神の御怒りがその上にとどまっていて、そのまま死ねば当然に永遠の火に投げ込まれる(地獄へ行く)ことを信じます。

 

 

さらに、クリスチャンは既に永遠の命を得ているのだから、過去・現在・未来におけるすべての罪が赦された者だと教えます。

 

それゆえ、前回記事で原爆投下を下したトルーマン大統領もクリスチャン国家のアメリカでは評価は高く、現在でも米国学者の投票による歴史的評価は歴代アメリカ大統領の中で上位となる「7位」です。

 

ちなみに原子力爆弾の開発を承認したルーズベルト大統領は「2位」です。

 

 

しかし、日本ではトルーマン大統領の評価は悪魔並みに伝える声をよく聞きます。

 

「弁護士会の読書ブログ」には、「オッペンハイマー(下)

アメリカ 著者:カイ・バード、出版社:PHP研究所」からの引用と感想が書かれています。

 

 「日本に原爆が落ちたことを知ったアメリカ人は、ゴミ入れのふたなどを叩き鳴らしながら練り歩き、喜びをあらわした。

 

そうなんですか・・・。ジャップは、黄色い猿であって、人間ではない。そう考えていたようです。映画『猿の惑星』に出てくる猿も、日本人がモデルだというのです。ご存知でしたか?日本人って、そう見られていたのです・・・。

 

 その一方、原爆開発にたずさわった科学者たちは、日がたつにつれて自己嫌悪感が高まり、戦争終結が爆弾の使用を正当化すると信じていた人たちにさえ、きわめて個人的な後ろめたさを経験させた。

 

 オッペンハイマーは、良心の呵責から不安と疲労を抱えた。

 原子兵器の使用を防止する適切で効果的な、いかなる軍事的対抗策も見つからない。それを可能にするのは、ただ一つ、将来の戦争を不可能にすることしかない。

 

 トルーマン大統領は、そんなことを言うオッペンハイマーについて、「原子力を発見したために手が血だらけ、とぬかした泣き虫科学者」と叫んだ。

 

引用以上

 

 

また、KADOKAWAが直接運営するサイト「カクヨム」のエピソードには次のように書かれています。

 

「これ、日本に原爆を落とす決定を下したアメリカ大統領トルーマンの言葉だそうだ。

 

「猿を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。

 

これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。

 

そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって、我々は収穫を得つづけるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。」

 

この恥ずかしい言葉、未来永劫、子々孫々まで語り継いでやろうぜ。

 

キリスト教の人なのかは知らんけど、恥ずかしいねぇ、恥ずかしすぎる。主(イエス・キリスト)にこのこと聞かれて恥ずかしくないか?(笑 」

 

引用以上

 

 

しかしながら、キリスト教のプロテスタント教会ではまるで違います。

 

日本のプロテスタント福音派の教会の牧師からも原爆投下を下したトルーマン大統領を高く評価する声が挙がりました。

 

2016年に発売された篠原元牧師の著書「100人の聖書」は、発売二週間で1万部突破しました。キリスト教書籍では空前の売れ行きに驚きと称賛の声をよく見聞きしたので、私も思わず購入したぐらいです。

 

その厳選された100人の中に「トルーマン大統領」が選ばれていたのです。その事について著者の篠原元牧師は「クリスチャントゥデイ」のコラム記事で次のように発信しています。一部を抜粋します。

 

 

百人一読―偉人と聖書の出会いから―(62)ハリー・S・トルーマン 篠原元

 

日本への原子爆弾投下を承認した大統領として知られる、ハリー・S・トルーマン(1884~1972)。若い頃に南部バプテスト連盟の教会で洗礼を受けていたトルーマンは、このように語っています。

 

「山上の垂訓は私たちに生き方を教え、そしていつか人は現実的な生き方としてそれを理解するだろう。すべての道徳的な規範の土台は、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』(マタイ7:12)。あなたがしてほしいと思うことを、人にしてあげなさい」(『100人の聖書』110ページ参照)

 

ここから分かるように、トルーマンも聖書の影響を受けていたのです。

 

さて、トルーマンについてですが、複数の方々より「なぜ、トルーマンを?」とのお声を頂いています。

 

つまり、「トルーマンは日本に原子爆弾を投下することを承認した人物である。それなのに、なぜ彼を『100人の聖書』で取り上げたのか?」というご意見です。

 

同じようなご意見が、ブッシュ元大統領のことでもきていますが、確かにトルーマンもブッシュ氏も戦争に関わっています。

 

特に、トルーマンは私たちの国である日本に原子爆弾を投下する承認を下した大統領として知られていますから、いろいろな方(ご年配の方が多いと思います)から、お声を頂くわけです。

 

ですから、今日のコラムでは私なりの思い、考えについても書かせていただきたいと思います。

 

まず、トルーマンが日本に対する原子爆弾投下の承認をしたといわれていますが、その通りだとします。また、ブッシュ氏が米国大統領としての第1期目をほぼ対外戦争に費やした方であることも知っています。

 

ですが、私の思い、考えでは、トルーマンもブッシュ氏も、私、そして皆さんと同じであるのです。まず、同じ人間です。そして、私が一番強調したい部分は、次のことです。

 

日本への原子爆弾投下を承認したトルーマン、そして私も、このコラムを読んでくださっている皆さんも、読んでいないすべての人も、同じ「罪を犯す人」(今までに何度も的外れなことをしてきたし、他人にも迷惑をかけて生きてきた)ということです。

 

いくらトルーマンが原子爆弾を投下する承認をしたといわれているからといって、彼だけを悪人呼ばわりするのはどうかと思うわけです。

 

聖書は「義人はいない。一人もいない」と教えていますので、トルーマンや私だけでなく、100パーセントすべての人に、罪や悪い部分があるのですね。それは、人間なら誰だってよく分かっていることだと思います。

 

すべての人に罪があるし、すべての人に良い部分もある。だからこそ、自分にはトルーマンのことを、またブッシュ氏のことをとやかく言う資格はないのだと、私自身は考えています。

 

トルーマンにも良い部分があり、語り継がれるべき素晴らしい業績があります。私たちも、周りの人たちの「良い部分」「素晴らしい行い」に注目していければ、もっと良い人生を送ることができるようになるのではないでしょうか。批判的な目ばかりで人を見ていれば、自分もそんな目で見られるものです。

 

引用以上

 

 

この篠原元牧師の教えに、多くの牧師やクリスチャンたちは目から鱗が落ちたように、同じクリスチャンであるトルーマン大統領の原爆投下の承認の罪を赦すことが「イエスさまの御心」だということに目覚めるのでした。

 

そして、戦争に邁進したブッシュ元大統領も同じクリスチャンだから赦すことが「イエスさまの御心」であると信じます。

 

それから、「イエス・キリストを信じるクリスチャンの罪」は、原爆投下で大量無差別殺人の罪も、戦争を起こして多くの他国の人々を殺すことも、私たちが日々に犯す罪と同じだと認識させるのです。

 

その教えにプロテスタント教会の多くの牧師やクリスチャンたちが「アーメン」と言っています。

 

まさに「永遠の命を得ているクリスチャンは、どのような罪を犯しても赦される」という教えの真骨頂です。

 

 

さて、私自身は、その篠原元牧師の教えが拡散されている2016年~2017年の時は、まだ福音派の教会に属していましたので、その教えに異様で不気味な感覚の中で、賛同しなければならない福音派の教会の空気に流されるようでした。

 

 

2018年10月位から、プロテスタント福音派の教会から離れて、無教会になった今は、そのような恐ろしい教えに惑わされることはありません

 

悪魔の特徴は「盗み・殺し・滅ぼすこと」です。悪魔から出た者は人々に憎しみ合わせて、争わせて、戦争を起こして、人々を無差別に殺すのです。

 

「カインのようになってはいけない。彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである。なぜ兄弟を殺したのか。彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである。第一ヨハネ3章12節」

 

 

クリスチャンになっても誰もが犯しやすい罪を犯します。

 

ウソをついたり、暴言を吐いたりします。それは心から悔い改めれば不思議と「お互いさま」というように和解するものです。

 

ですが、多くの幼子、子供、市民たちが惨殺される戦争・核兵器(原爆を含む)の罪を犯すことはあり得ないことです。

 

 

ダビデ王がウリヤを殺害してその妻を奪った罪を犯した時です。

主(神)は預言者ナタンを遣わしてこう告げました。

 

「どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。

 

今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。

 

主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。

 

あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。第二サムエル12章9~11節」

 

 

聖書で教えている神の怒り、裁き、地獄行きの教えは、神を信じていない人々ではなく、神を信じた人々に対してです。

 

イエスさまも、イエスさまにつき従って来た群衆や弟子たちに「地獄行きの罪」を教えました。

 

12弟子たちには「もしも、この小さき者の1人にでもつまずかせた者は燃えるゲヘナ(火の池)に投げ込まれる」と教えています。

 

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネによる福音書 3:36 (新共同訳)」

 

この聖書解釈と福音理解は、「御子イエス・キリストの教えに聞き従わないクリスチャンは、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」ということです。

 

それが、プロテスタント教会では「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行くと教えている」とでっち上げて教えているのです。

 

すると、どうなるか。

 

クリスチャンの指導者(大統領など)が、平然と、戦争を起こしたり、核兵器(原爆など)を使用して、多くの人々を殺せるようになっています。

 

そして、それを、牧師たちが正当化する聖書解釈と福音理解を発信して、多くの教会のクリスチャンたちが賛同するようになる構図になっています。

 

イエス・キリストを信じるクリスチャンたちが、そのようになっているので、世界は相当めちゃくちゃ超激しく狂っていることが見受けられます。

 

 

聖書にはこのように教えられています。

 

「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 

 

すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。エペソ4章30~31」

 

ですから、無教会のクリスチャンの立場では、クリスチャンが戦争を起こしたり、核兵器(原爆など)を使用して無差別に多くの人々を殺す罪を犯したり、その悪魔の仕業を誰もが犯す罪というように教えたりすることは、あり得ません。

 

つづく