「日本におけるキリスト教 74 イエス・キリストを信じるクリスチャンたちと信じていない人々の区別について」
この世では、一般的に「公人」と「私人」に区別されています。
ウイキペディアには次のような定義を教えています。
「一般に私人に対してはそのプライバシー権が強く保護されるが、公人は社会的に及ぼす影響が大きいため、私生活であっても『公共の利害』に及ぼす影響が大きい公人の場合にはその保護が行われないことがある
公人に、社会的に影響力のある経済人、有名人を含むとする広義にとらえる考え方も存在する。」
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最近「ミス日本コンテスト2024」でグランプリに輝いた女性が、既婚男性と3年に及ぶ不倫関係であると週刊文春で報じられた問題を受け、その女性はグランプリを辞退。同時に所属事務所との契約も解除となったそうです。
デイリー新聞の記事では、審査員の金子氏は、アシスタントの「不倫した女性はミス日本にはそぐわないわけですか?」という問いに
「そぐうか、そぐわないかと言えば、そぐうとは言えないかもしれないですけど」と言い、その理由について「日本の行動の美、心の美を大事にしている、行動のところでどうなのか」と答えた。
さらに「こんなことがあるとは誰も思わないし、身体検査もなかなかできない」とし「なぜ、じゃあ出場したんだってところは、理解に苦しむところは、関係者も思っていると思う」と、辞退した女性が既婚男性と交際していながら出場に踏み切ったことに首を傾げていた。
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辞退した女性は、ミスコンテストに出場する前まで「私人」でした。しかしミスコンテストに出場してグランプリ―の栄冠を手に入れた時から「公人」となり、マスコミは一斉に身辺調査をしてスキャンダルが発覚したのです。
すると、歴史があるミスコンテストに汚点を残した人として、語り継がれることとなり、所属事務所も解除されてしまいました。
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過去には、大物お笑い芸人が記者会見を行い、芸能界引退を発表したこともあります。
過去に暴力団関係者との「親密メール」のやりとりをしていた情報が外部から同社に持ち込まれて判明、大物お笑い芸人は「ルール違反をした。自分で一番厳しい処分を科した」と説明しました。
もしも「私人」であれば、このような大騒動にはならなかったでしょう。
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このように、社会的に及ぼす影響が大きい「公人」が罪を犯せば、その代償はとても大きく、私人とは比べようもない「罪の刈り取り」をさせられます。
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聖書を読めば、旧約聖書のイスラエルの神を信じる信仰者たちと新約聖書のイエス・キリストを信じるクリスチャンたちは社会的に及ぼす影響が非常に大きすぎるほど大きい偉大な「公人」でした。
イエス・キリストは次のように言われました。
「あなたがたは世の光である。あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。マタイ5章14~16節」
また、イエス・キリストを信じる者について、次のように教えられています。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。マタイ16章24~26」
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」(ルカ9:24-25;マタイ16:26;マルコ8:35-36)
「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っている事を知らないのか。1コリント3章16節」
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。コリント人への第二の手紙 5:17 」
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クリスチャンとは新しく造られた者であり、神の宮であって、その内には神の御霊が宿る者である。
さらに自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエス・キリストに聞き従う者になります。
それゆえ「世の光」となって、その光を人々の前で輝かすことになるのです。
それぐらい社会的に影響力が大きい「公人」になるわけです。
その「公人」になるには時がありますが、いつ公人となってもよいように準備万全にしています。
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個人的にも、現在は「私人」の立場です。けれど、数年前に、聖書の教えから作詞作曲してYouTubeでアップしていますが、かなり好評な曲もあります。
また、ブログ記事を見た人たちから「本」にして欲しいという要望があります。
神の御心であれば、曲か本かが多くの人たちに支持が広まるようにされる時が来れば社会的に影響を与える「公人」となるのです。
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「公人」になれば、「私人」とはまるで違い、「罪」に対して大きな代償を支払うことになります。
聖書を読めば、イエス・キリストは、十二弟子&つき従って来た群衆に対して、クリスチャンの罪はゲヘナ(火の池)に投げ込まれるほどの代償になることを教えています。マタイ5章の山上の垂訓においてです。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。
21「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
22しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
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マタイ18章では、イエスさまは十二弟子だけに次のように教えました。
1そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 言われた。
6「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。 7世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。
だが、つまずきをもたらす者は不幸である。 8もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。」
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イエスさまはこのように、イエスさまを信じてつき従って来た人々や十二弟子たちに対して、「愚か者」などという暴言を吐いたり、淫らな思いで女性を見たり、小さい者の1人でもつまずかせたりすれば、地獄へ行くほどの罪になることを教えられました。
クリスチャンであれば、そのような罪を実行したい思いにかられれば、悔い改めることができるでしょう。
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世の中では、社会的影響力のある「芸能人」の中で、20代~50代、60代と30年、40年もの間、ドラマの主役に抜擢されている名優さんたちがいます。
その名優さんたちに共通しているのは「スキャンダルが無い」ということです。
罪(スキャンダル)の1つでも犯せば、すべてを失ってしまうという覚悟で生活しているように思います。
仕事に全身全霊で取り組んで、家族を大切にして生きておられます。
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そして、クリスチャンたちは、イエスさまの教えに聞き従うなら、暴言を吐いたり、情欲を抱いて女性を見たり、小さき者の1人にでもつまずきを与えたりすれば、地獄へ行くぐらいの覚悟を持つはずです。
すると世の中の人よりも信頼されて「世の光」として輝くことが出来るでしょう。
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それがプロテスタント教会では、「イエス・キリストを信じたクリスチャンは永遠の命を得ている。過去・現在・未来におけるすべての罪は赦される。どんな罪を犯しても赦される。」と教えているのです。
そして「地獄行き」の教えは、イエス・キリストを信じていない人々に対する教えであり、クリスチャンに対するものではないように信じさせます。
そんな教えをしてしまえば、キリスト教会が「罪の温床」になってしまい、陰で罪を平然と犯すようになるクリスチャンたちが増えるのは当然のことだと思います。
光を装う偽クリスチャンたちを教会に招きやすくなり、キリスト教会の中でも暗躍するでしょう。
現実にそうなっています。
クリスチャンは、イエスさまの教えに聞き従い。その教えを忠実に教えていきます。
ところが、その教えを曲解させると、世の光になるどころか、世の敵になるでしょう。