ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ⑧ 主イエス・キリストと子どもたち」
前回記事からさらに主イエスの御心を見ていきます。新約聖書で最大の悲劇が、主イエス・キリスト御降誕における乳児・幼児へのジェノサイド(大量虐殺)でした。
「大いに怒ったヘロデ王が、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」
(マタイによる福音書2章16節)

イエスさまの身代わりに多くの乳児・幼児が、ユダヤの王として支配するヘロデ王によって虐殺されたのです。

そのことに対して最も心を痛められておられるのが、イエスさまご自身だということが次の御言葉で明白です。

イエスさまは、一人の子供を呼び寄せ、12弟子たちの中に立たせて、言われました。

「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。

世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。

もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。」

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」
(マタイによる福音書18章6,8,10節)

『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
(マタイによる福音書25章45,46節)



そして、2023年10月27日からイスラエルのガザの地で、あのイスラエルのベツレヘムの地で起きた乳児・幼児へのジェノサイド(大量虐殺)と同じようなことが起きたのです。

多くの乳児・幼児たちが、イスラエルを支配するネタニヤフ政権によって虐殺され続けているのです。

このことは、イエスさまが最も心を痛められておられることです。

至極当然に、主イエス・キリストを愛して、イエスさまの御心と御言葉を行なうクリスチャンたちは、多くの乳児・幼児たちを助けることが使命であります。

イスラエル国内でも、イスラエルの5つの大学の学長が書簡で、『私たちはガザから届く映像に衝撃を受けています。特に、飢餓や病気で日々命を落としている乳児たちの姿に胸を痛めています』と訴えたことが、世界中に伝えられました。



私自身は、この約3年間、飢餓で死に直面して、空爆で半殺し状態の乳児・幼児たちを助けようと発信するクリスチャンであり続けました。

また、私よりも心・いのち・力・知恵を尽くされて、乳児・幼児たちを助ける働きをされているクリスチャンたちがいます。

助ける側のクリスチャンはごく少数というのが、死に直面している乳児・幼児たちと共にいるパレスチナ人クリスチャンたちの告発で明らかになっています。

ガザの乳児・幼児たちを助けるクリスチャンたちは、イスラエル側に立っている多くの牧師やクリスチャンたちから「反ユダヤ主義だ!」「ハマスの手下!」などというレッテルをはられ続け、迫害されています。

しかし、死に直面している乳児・幼児たちに、最も心を痛められておられるのは、愛するイエスさまであることを永遠に忘れることはなく、イエスさまの御心と御言葉を実行し続けるでしょう。

次回は、このことについて日本で起きていることを見ていきます。

 

 

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ⑦ 互いに愛しあうこと」
前回の続きです。もう一つ非常に重要なイエスさまの教えを見ていきます。
私はクリスチャンになってからイスラエル、エジプト、アメリカなどに行きました。その異国の地でクリスチャンに会えば感動します。

なぜなら、世界中のクリスチャンと兄弟姉妹という繋がりを体験するからです。

イエスさまの非常に重要な教えが次の通りです。

「あなたがたに新しい掟を与える。

互いに愛し合いなさい。

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

(ヨハネによる福音書13章34,35節)

それゆえ、そのことを世界中の人々が知ることが、イエスさまの御心です。



そして、2023年10月27日からイスラエルのネタニヤフ政権によるパレスチナの人々と子どもに対する民族浄化を目的としたジェノサイド(大量虐殺)が行われました。

パレスチナの人々と子どもの約11%はクリスチャンです。

それゆえ、世界中のクリスチャンたちはパレスチナの人々と子どもたちを助ける働きを行ない、その働きを通して、クリスチャンたちが互いに愛し合っていることを世界中の人々が知ることが主イエスの御心です。



ところが、相当めちゃくちゃ恐ろしいことに、その真逆なことが起きています。

世界に発信された「パレスチナ人クリスチャン諸教会と草の根運動の従事者たち」の手紙をピックアップして引用します。

「悔い改めへの呼びかけ

『善を行うことを学び、正義を求めよ。虐げられている者を弁護せよ。』(イザヤ書1:17)

≪ イスラエルに無批判な教会指導者たちに異議を唱え、悔い改め、変革を求める ≫

以下に署名した私たちパレスチナ人クリスチャン諸教会と草の根運動の従事者たちは、私たちの土地(イスラエル)で新たな暴力の連鎖が起こっていることを深く悲しみ、大変心を痛めています。

イスラエル(ネタニヤフ政権)の爆撃から避難していたガザの歴史的遺産である聖ポルピュリウス・ギリシャ正教会のクリスチャンも亡くなりました。

私たちは、この地で現在進行している戦争に対し言葉で言い表せないほどの衝撃と恐怖を抱いています。

全ての人が神の似姿として作られていることを固く確信しているが故に、すべての人々の死と苦しみを深く悼みます。

神の名が暴力や宗教的ナショナリズムというイデオロギーを促進するために使われていることにも心から苦しみを覚えます。

さらに、多くの欧米のクリスチャンが、パレスチナの人々に敵対するイスラエルの戦争を断固として支援している姿に恐怖を感じます。

確かに、パレスチナ人の真実と正義を求めて多くの声が上がってきましたし、今も上がっています。

一方で、イスラエルを無批判に支援している欧米の神学者や教会があり、私たちはこれらの教会の指導者たちに異議を唱え、悔い改め、変革を求めるために手紙を書いています。

私たちは、民間人、特に身を守る術のない家族や子供たちに向けたすべての攻撃を非難するクリスチャン同志たちの側に立ちます。

それでもなお、殺された民間人がパレスチナ人であった場合、多くの教会指導者たちや神学者たちが沈黙することに当惑しています。

引用以上



このように、イスラエルのネタニヤフ政権による民族浄化を目的としたジェノサイド(大量虐殺)に対し、言葉で言い表せないほどの衝撃と恐怖を抱いているパレスチナ人のクリスチャンたちに対して、多くのキリスト教会は助けようとせず、見捨てていることが現実です。



私自身は、パレスチナ人クリスチャン諸教会のクリスチャンたちとも互いに愛し合える関係を選択して、助けようとする発信をし続ける約3年間でした。

また、私よりもパレスチナの人々と子どもたちに寄り添うクリスチャンたちがいますが、ごく少数です。

そのようなクリスチャンたちの発信を見れば、クリスチャンは世界中のクリスチャンたちと互いに愛し合えることを世の中に証明することができると確信したのです。

そして、パレスチナ人クリスチャンたちが訴え続けている『善を行うことを学び、正義を求めよ。虐げられている者を弁護せよ。』(イザヤ書1:17)という御言葉も伝える側であることに、イエスさまに感謝しました。

長くなったので次回へ続く

 

 

 

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ⑥ キリスト教と芸能界」
前回記事では、少数の「攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志」たちが、「クリスチャンならイスラエルの側に立つこと、イスラエルに味方することは当然で、正しいこと」というキリスト教の指導者たちの世の中への発信に対して、

「私たちは同じクリスチャンとしてショックを受けています。クリスチャンの総意ではありません。」ということを見てきました。

そして、私自身も大きなショックを受けた約3年間でした。

私は音楽制作を通して福音を宣べ伝えることに邁進していましたので、何人ものクリスチャン音楽家たちと同じくびきを負って活動していました。

それゆえ、時間が空けば、何十人ものクリスチャン音楽家の発信するYouTubeなどを楽しみに拝聴しています。

ところが、私のようにイスラエルの地ガザで半殺し状態の最も小さき者たちを助けようと発信するクリスチャン音楽家を調べる限り、見つけることができませんでした。

また、私の投稿記事のコメントにユダヤ人牧師が「反ユダヤ主義」という言葉を伝えてきたので、そのユダヤ人牧師の投稿記事を見ると、多くのクリスチャン音楽家たちも「いいね!」「大切だね!」をして、イスラエル側に堅く立つユダヤ人牧師を熱烈に支持していました。

それを見た時に、大きなショックを受け、一瞬で「クリスチャン音楽家たちのところに私の居場所はない」と痛感したのです。



私の長年の夢は、クリスチャン音楽家の方たちと共に、世の中で大きく用いられることでしたが、その夢は一瞬で砕け散りました。

しかし、それが神さまの御心だと確信するに至ったのです。

それは、イスラエル側に堅く立つクリスチャン音楽家たちが世の中で活躍していたとします。

すると、日本の多くのマスコミや国民は、イスラエル政府の行為をジェノサイド(大量虐殺)、民族浄化などと批判非難して、半殺し状態のパレスチナの人々と子どもたちを助けようとしているのに、イスラエル側に立っていれば大バッシングの非難の嵐で失墜してしまった可能性が高いです。

そういうことにならないために、神さまの守りがあったと思われます。



そして、私のように半殺し状態のパレスチナの人々と子どもを助けようとすることを発信するクリスチャン音楽家は、キリスト教の世界ではなく、世の中の芸能界という居場所がありました。

世の中の芸能界では、大御所俳優たちや大物歌手たちが、終始一貫として半殺し状態の人々と子どもたちを助ける声を挙げ続けているからです。

これは、神に仕える祭司やレビ人ではなく、ユダヤ人たちが悪霊と取りつかれていると定めたサマリア人が半殺し状態の人を助けて、イエスさまが隣人を愛したのはサマリア人だと教えられたことが思い起こされます。



現在、日本の政府はかつてないほどの戦争協力に突き進んでいる状況に、反対の声をあげると批判非難されます。

最近の世論調査でも高市内閣は高い支持率です。

それでも芸能界の大御所俳優たちや大物歌手たちは「平和を求める!」「戦争反対!」の声を挙げ続けています。

(またコメント欄で紹介していきます。)

そのような戦いの最前線へ、終始一貫として、半殺し状態の最も小さき者たちを助けようとするクリスチャン音楽家たちが遣わされることが神さまの御心のように霊的に感じるのです。

すべてに時がある。

クリスチャン音楽家の居場所は、クリスチャンの世界から世の中の芸能界の世界へ

「主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませた。

彼らが喜びと賛美の歌をうたい始めると、主はユダに攻め込んできたアンモン人、モアブ人、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは敗れた。」

(歴代誌下 20章21,22節)

戦争は、必ず半殺し状態の最も小さき者たちが飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病に倒れ、牢に入れられます。

終始一貫として、助けようとする働きをする者同士に、クリスチャンも未信者も関係なく、同じくびきを負えるのです。

 

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ⑤ さばきは、神の家(教会)から始まるのです」
前々回から、半殺しにされた人をあわれみ、助けることが隣人を愛することであり、
「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 というイエスさまの教えを見てきました。

現在ではクリスチャンでなくても、半殺し状態の人が目の前にいれば助ける人が多いです。

ここ数年前から酷暑によって、真夏日に道端で倒れる人が急増しています。

私自身もこれまで、車で走行中に、5度ほど高齢者の方が道端で倒れているのを目撃したので、助けに行きましたら、5度とも既に通りがかった人たちが介抱していたので手助けをしました。

もしも、介抱する人がいなければ亡くなっているでしょう。

その良い行いを多くの人たちに宣べ伝えることはありません。
イエスさまが次のように教えられているからです。

「ですから、人に親切にする時は、右手が何をしているのか左手でさえ気づかないくらいに、こっそりとしなさい。」

(マタイによる福音書 6:3 JCB リビングバイブル)



そして、2023年10月27日からイスラエルの地ガザで、多くの子どもたちが半殺し状態の痛ましい姿を全世界は目撃したのです。

イスラエル国内でも、イスラエルの5つの大学の学長が書簡で、『私たちはガザから届く映像に衝撃を受けています。特に、飢餓や病気で日々命を落としている乳児たちの姿に胸を痛めています』と書かれ、飢餓解決に向けた努力の強化を首相に求めて助けようとしました。

多くのイスラエル国民は「イスラエル政府が行っていることは道徳の崩壊である。」という表現に賛同しました。

世界中の国と人々は半殺し状態の最も小さき者たちを助けようとしました。日本の多くの人々もそうです。



そして、クリスチャンは、前述のイエスさまの教えに聞き従うので、至極当然に、半殺し状態の最も小さき者たちを助けようと心・いのち・知恵・力を尽くすはずだと思います。

しかし、現実は違っていることが露見して、大きな問題になっています。

「攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志」は次のように抗議しています。

柴橋正直岐阜市長が、クリスチャンの政治家でつくる団体、「オリーブの会」会長として『ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃に関する声明』を在日イスラエル大使館に届け、12月7日の岐阜市議会で報告を行い、答弁をしたことが、朝日新聞や中日新聞で取り上げられました。

私たちは同じクリスチャンとしてショックを受けています。

なぜなら、単に「イスラエルの平和を願う」言葉というより「クリスチャンならイスラエルの側に立つこと、イスラエルに味方することは当然で、正しいこと」というメッセージを発しているように見えるからです。

しかし、そのような意見はクリスチャンの総意ではありません。

また、イスラエルの軍事支配下で行われてきたことも、無批判に支持できるものではありません。

町や村を分断する入植地の壁の建設、農地の破壊、土地の没収、市民が犠牲になる爆撃など、子どもも大勢巻き込まれています。

これらを黙殺して、クリスチャンなら無条件で「イスラエルの側に立つ」と言うことはできません。

引用以上



しかしながら、「攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志」のようなクリスチャンは少数です。

キリスト新聞社の記事から引用します。

この(クリスチャン政治団体の柴橋会長の)意見表明には現在、教派・教団を超えて100人を超える牧師・信徒らが賛同を表明している。

なお12月3日には、東京圏を中心に、宮城、静岡、兵庫など各地のキリスト教会や団体から、(中川健一、大川従道、金子道仁、明石清正の各氏含む)15人の牧師や教会指導者がイスラエル大使館を訪問。

「長年にわたり日本のクリスチャン・コミュニティでイスラエルへの理解を促進されてきた方々」に対し、「コーヘン大使はイスラエルを代表し、その揺るぎない支援の姿勢に感謝の意を示し」たと報告されている。

引用以上

この記事を読めば、プロテスタント福音派の教会で大きく用いられている牧師たちや多くの牧師・信徒たちが
「クリスチャンならイスラエルの側に立つこと、イスラエルに味方することは当然で、正しいこと」というメッセージを明確に発していると思います。

それゆえ、大勢の信徒たちは大きく用いられている牧師たちに聞き従います。

クリスチャン政治団体柴橋会長の意見表明には、次の御言葉に聞き従っていることを伝えています。
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」(詩篇122:6~7)との聖書の御言葉の通り、イスラエルの平和のために祈る。


しかし、「攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志」の方々は次の御言葉に聞き従うことを表明されています。

 「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」エペソ人への手紙2章14節〜15節a(新改訳)

そして、私自身は、半殺しにされた人をあわれみ、助けることが隣人を愛することであり、
「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」(ルカによる福音書10章25~37節)

飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病に倒れ、牢に入れられている最も小さき者たちにしたことは、わたし(イエス・キリスト)にしたのです。(マタイによる福音書25章34~40節)というイエスさまの教えに聞き従っています。



このように、クリスチャンといっても、伝える御言葉は違っても同じ道を歩んでいる者同士もあります。

また、まったく違うクリスチャンということもあります。

このイスラエルの地ガザで行われていることは、もうすぐ3年になります。この3年という時は非常に大事な時だったでしょう。

「なぜなら、さばきの時がすでに来ているからです。しかもそのさばきは、神の家(教会)から始まるのです。」
(ペテロの手紙Ⅰ 4章17節)

それゆえ、まったく違う場合、どちらが神に従っているかが明らかになります。

「神に従わない人々には、どんなに恐ろしい運命が待ち受けていることでしょう。」
(ペテロの手紙Ⅰ 4章17節)

現段階ではどちらが神の御心で正しいかわかりませんが、その実を見て判断ができます。

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ④ 劇的に変わった人生」
前回までは2023年10月27日から起きたイスラエルの地ガザで起き続けているジェノサイド(大量虐殺)についてお話ししています。

しかし、2014年にもイスラエルの地ガザでジェノサイド(大量虐殺)は起きています。そのことに対して日本で講義も行われています。

東京外国語大学 国際日本研究センター活動報告
パレスチナで何が起きているか――ガザ51日間戦争と〈イスラーム報道〉

「昨年2014年7月から8月にかけての『ガザ51日間戦争』で、イスラエルはパレスチナのガザ地区に対してTNT火薬にして推定20キロトンの爆弾を使用した。

広島型原爆が推定18キロトンであることを考えれば、空前の破壊と殺戮がおこなわれたといえる。

岡真理教授はこの『ガザ51日間戦争』について、その破壊と殺戮の規模、死者数(パレスチナ側の死者2158人、うち民間人1460人)、イスラエル側73人(イスラエル国防軍66人、民間人7人)、

攻撃対象がガザの国連施設・病院・人口密集地域・民間人であったことなどの事実から、その輪郭を描いたあと、『日本のマスメディアは出来事をいかに〈カヴァー〉したか』という観点から、次の点を指摘した。

・報道されない封鎖の暴力の存在
・イスラエルにおけるレイシズムについての報道の欠如
(長文になるので、5点のうち2点を引用)

日本と国際社会はイスラエルによるジェノサイドや戦争犯罪についての不処罰を繰り返している。

しかも日本政府は昨年5月に『日本、イスラエル包括的パートナーシップ協定』を結んでいる。

そして、こうした日本政府と日本社会の態度の根底には、植民地主義に対する認識の欠如があると指摘した。」

引用以上



なので、2014年7,8月のイスラエル政府のネタニヤフ政権によるジェノサイド(大量虐殺)に対して、日本であまり問題視されることがなく、多くの日本人たちは、イスラエルの地ガザで半殺し状態の人々や子どもたちを助けようとしませんでした。



しかし、今回のイスラエル政府(ネタニヤフ政権)によるイスラエルの地ガザでのジェノサイド(大量虐殺)に対しては、日本でも大きく問題視して、長期にわたり事実を報道し続けました。

それゆえ、多くの日本人たちは、飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病に倒れ、半殺し状態の人々や子どもたちを助けてあげよう!と声をあげたのです。

これは、聖書の最後の審判の教えと隣人を愛する教えを実行することですので、神の御目には劇的に人生が変わった人々の姿を見られていると思えます。

さらに驚くべきことが、イスラエルの多くの民もイスラエル政府などによる強烈な妨害にも関わらず、異邦人たちと同じく、イスラエルの地ガザで半殺し状態の最も小さき者たちを助けよう!と声をあげたことでした。

このように、国や指導者たちが教えることで、大きく変わります。



私は2018年10月までプロテスタント福音派の教会に所属していましたので、イスラエル支持者でした。

しかし、教会の牧師たちに絶望して、キリスト教会から離れました。私が教会で出会った多くの兄弟姉妹も教会から離れています。

キリスト教会の牧師などの指導者に失望して、教会を離れた元信者たちはかなり多いことが指摘されています。

韓国ではプロテスタントからカトリックへの改宗者が急増して、激震を与えた報道もありましたし、現在はアメリカも同じことが起こっている記事を見ました。

私が教会に所属している時はキリスト教会で大きく用いられている牧師たちの教えに聞き従っていましたが、無教会になりましたので、聖霊による助けで判断しなければなりません。

そして、今回のイスラエルの地ガザでのジェノサイド(大量虐殺)について、半殺し状態の最も小さき者たちを助ける立場へと劇的に変わり、クリスチャン人生も大きく変わりました。

だけど、今もプロテスタント福音派の教会に所属していれば、2014年の『ガザ51日間戦争』の時と同じで、クリスチャン人生はまったく変わらなかったでしょう。



そして、世の終わりと言われているこの時期に、気になるイエスさまの教えが次の教えです。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

イエスさまの来臨の日、大勢の「主よ」と言う者に対して、「そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
(マタイによる福音書7章21~23節)

この「大勢の」ということに信じられない思いでしたが、今回のイスラエルの地ガザのことであり得ることだと思いました。

つまり、大きく用いられている指導者の教えを大勢の者たちが聞き従うということです。

第二次世界大戦時も、キリスト教会で大きく用いられている指導者たちの教えに大勢の信者が聞き従って戦争に協力しています。

主イエスの来臨の時に『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』と宣告されることがないように、指導者の教えとイエスさまの教えが一致しているか聖霊の助けによって判断し続けなければならないでしょう。

そして、もしもキリスト教会で大きく用いられている指導者たちが間違っていれば、聞き従わないことです。

「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」
(ヨハネによる福音書14章26,27節)

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ③ 神を愛して隣人を愛することの証明」
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章25~34,36,37節)



この聖書箇所を読むたびに違和感がありました。
それは、祭司とレビ人は半殺しにされている人を見捨て、サマリア人が助けるからです。

「祭司」は、神様に仕える仕事をすることに熱心でした。神殿でいけにえをささげ、祈り、聖書を教え、身を汚さないように細心の注意を払って生活をしていました。

現在でいえば「牧師・神父・宣教師・伝道師など」です。

「レビ族の人々」は、祭司たちに属する者として「臨在の幕屋でイスラエルの人々のために作業に従事し、彼らのために贖いの儀式を行」うという務めを与えられたのです。

現在で言えば「信徒たち」です。

ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、 イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。」(ヨハネによる福音書8章48,49節)

なので、「サマリア人」は現在のプロテスタント教会の教えで言えば、イエス・キリストを信じていないので地獄へ行くと定められている「未信者」のようです。



そして現在、イスラエルのガザ地区において、2023年10月27日から始まったイスラエル政府(ネタニヤフ政権)によるジェノサイド(大量虐殺)によって、多くの子どもたちが半殺し状態です。

世界の多くの未信者たちは、半殺しにあっている人々と子どもたちを助けよう!と立ち上がりました。

日本でも朝早くから夜遅くまでのニュースで取り上げられ続けました。

そして、多くの未信者の人々が「飢餓で死に直面している子どもたちを助けてあげて!」という声であふれ続けました。

私の友人・知人・関係者のすべての未信者の方々は心が痛んで、あわれみ「助けてあげて!」という声で一致しました。

そして、一刻も早く救うために全世界の多くの人々が「条件付きパレスチナ国家承認を認める」ことに賛同しました。



ところが、キリスト教の多くの牧師やクリスチャンたちがイスラエルを支持したり、条件付きパレスチナ国家承認に反対したりして、半殺しにされている人々と子どもたちには言及を避けていることをよく見聞きしています。

もうすぐ3年経ちますが、SNS上でクリスチャンたちのブログや投稿記事には、イスラエルのガザで半殺し状態の人々と子どもたちのことに触れることはなく、つまり、助ける発信はなく。

「ハマスのプロパガンダにだまされるな!」
「テロとの戦い!」
「イスラエルの平和のために祈ろう!」
「イスラエルを祝福する者は祝福される!」
「反ユダヤ主義のウイルスが増えている!」という発信がよく見られ、多くの牧師やクリスチャンたちが賛同しています。



しかし、そのような中でも、ごく少数のクリスチャンたちがイスラエルのガザで半殺し状態の人々と子どもたちを助けようと心・思い・知恵・力を尽くして発信し続けています。



私自身は、クリスチャン人生の中で今回のイスラエルのガザで半殺しになっている人々と子どもたちの状況は、前述のルカによる福音書10章25~37節だと確信して最重要にしています。

遠い地で行くことはできませんが、この日本で日々に関わる苦しむ人たちを介抱しながら、毎日、イスラエルの地のガザで半殺しにされている人々と子どもたちのことを祈り、SNSで発信しています。

ただ、キリスト教会に居場所はなくなりました。



半殺しにされた人をあわれみ、助けることが隣人を愛することです。

「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 とイエスさまが言われています。

そして、もうすぐ3年になります。
これまでの実がなりそうな時期ですね。

 

 

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ② 世の終わりの福音宣教」
前回の続きですが、イエスさまの福音についての教えは、聖書の時代と世の終わりの現代の時代とそれぞれ違うことがわかります。

まず聖書の時代の福音宣教です。
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
(マルコによる福音書16章15~18節)

そして、その福音宣教が行われました。

「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。
また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。」
(使徒言行録5章12,16節)

「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。

そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」
(ヨハネによる福音書14章12節)



そして、現代の世の終わりの時代の福音宣教についての教えが、主イエスがオリーブ山で教えられた垂訓でした。
(マタイによる福音書24章3節~25章46節)

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたし(十字架につけられたキリスト)にしてくれたことなのである。』

そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
 (マタイによる福音書24章14節)



聖書の時代は「わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう」という「わざ(しるし)を見て信じなさいという福音宣教でした。

ですが、世の終わりの現代の時代は違います。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたし(十字架につけられたキリスト)にしてくれたことなのである。」という最後の審判の判決理由における福音宣教です。

異邦人の使徒パウロが「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」と教えた通りです。



ついに、2023年10月から、イスラエルの地のガザで、パレスチナの人々と子どもたちに対するジェノサイド(大量虐殺)が行われました。

生き残った人々と子どもたちは飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病いに倒れ、牢に入れられました。
約45万人の子どもたちが餓死に直面しました。

その最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを見た世界中の国の人々は衝撃を受けました。

それゆえ、その最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを一刻も早く救おうとしたのです。

その異邦人たちの最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを救う働きは、悪しき者たちの死力を尽くした妨害がある中で、2025年7月になり、イスラエル国民に届きました。

そして、イスラエルの主要テレビ局はパレスチナ自治区ガザで飢餓に苦しむ住民の様子を放映した後、アンカーはカメラを見つめて「これは広報の失態ではなく、道徳の崩壊であると認めるときが来たのではないだろうか」と視聴者に問いかけました。

すると、多くのイスラエル国民は最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを救うことを願いました。

イスラエル国内の人権団体が「ジェノサイド(民族大量虐殺)」という言葉を用いて自国を批判するようになりました。

さらに全世界に発信された報道です。
「ガザで飢餓が深刻化する中、イスラエルの5つの大学の学長が7月28日、この問題に緊急に対応するよう求める書簡を同国のネタニヤフ首相に送った。

書簡には『この国で増え続ける多くの市民と同様、私たちはガザから届く映像に衝撃を受けています。特に、飢餓や病気で日々命を落としている乳児たちの姿に胸を痛めています』と書かれ、飢餓解決に向けた努力の強化を首相に求めている。」



まさにイスラエルの違反によって、救いが異邦人に及び、そうしてイスラエルはみな救われるという御言葉通りに導かれています!

聖書の時代にユダヤ人たちはイエス・キリストを「十字架につけろ!」と叫び続けて殺しました。
それが「反ユダヤ主義」という呪いとなりました。

しかし、2025年になってイスラエル国民は、最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを救おうとしたので、反ユダヤ主義という呪いは打ち壊されたのです。

この良き知らせを宣べ伝えるのがクリスチャンです。

さらに、最も小さき者たち=十字架につけられたキリストを救う働きは、神を愛し、隣人を愛することになるとイエスさまは教えられました。

次回はそのことを見ていきます。

 

 

 

「日本も戦争に協力していたことをイランのアラグチ外相に指摘される」
「米軍、三沢基地のF16戦闘機を中東展開 イラン作戦で3〜4月に」日本経済新聞 8月29日
【ロンドン、テヘラン=共同】国防・安全保障専門の英メディア、UKディフェンス・ジャーナルは米軍三沢基地(青森県三沢市)のF16戦闘機が対イラン作戦で3月と4月に中東に展開したと報じた。

在日米軍からは沖縄の海兵隊部隊なども作戦に一時関与しており、戦力が振り向けられていることが改めて明らかになった。

中国やロシア、北朝鮮の脅威に対する東アジアでの抑止力の低下が懸念される。

イランのアラグチ外相は8月29日、共同通信に対し「平和を愛する日本の人たちは米国の犯罪について、日本政府に説明責任を問うべきだ」と指摘。

「イラン攻撃は、基地が受け入れ国を守るためではなく、攻撃的な政策に使われていることを示した。三沢基地もその一例だ」と述べた。

UKディフェンス・ジャーナルの15日付記事などによると、イラン周辺で400機以上の戦闘機や空中給油機などが確認された。

このうち三沢基地のF16は3月に12機が作戦に投入されたほか、4月には三沢基地と米南部サウスカロライナ州の空軍基地に所属する機体の計6機が展開した。

同ジャーナルが公開情報を基に分析した。任務の詳細には言及していない。

米軍が2月末にイラン攻撃を開始した後、沖縄駐留の即応部隊、第31海兵遠征部隊(31MEU)も中東に送られた。

米海軍佐世保基地(長崎県佐世保市)配備の強襲揚陸艦トリポリなどに搭乗し、数カ月にわたり日本を離れていた。

日米安保条約第6条の実施に関する交換公文は、米軍が戦闘行動のために日本国内の施設や区域を使う場合は両政府による事前協議の対象になると定めている。

茂木敏充外相は4月9日の衆院安保委員会で、在日米軍が極東を越えて直接戦闘行為に入る場合は事前協議が必要になるとした上で、イラン作戦に関し「事前協議は行われていない」と答弁。

部隊などを日本から他の地域に移動させること自体は「事前協議の対象とならない」と説明した。

制度の形骸化を指摘する声もある。答弁当時は三沢基地のF16による中東展開は明らかになっていなかった。

引用以上



これぐらい小さなことだと思うかもしれませんが、やがて大きく戦争に協力することも当たり前になってくるでしょう。

聖書の教えはそのことを指摘しています。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 」
(ルカによる福音書16章10節)

クリスチャンは看過せず、世界の地の塩としての役目を行ない続けます。
「あなたがたは地の塩である。
だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。
もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
(マタイによる福音書5章13節)

 

「十字架につけられたキリストと最後の審判 ① 御国の福音」
まだまだ酷暑が続きますが、皆様に神の平安がありますように。と祈りつつ、前回記事について核心を突いていきます。
聖書には今の時代に最も重要となる世の終わりから最後の審判までについて、イエスさまがオリーブ山で弟子たちに詳しく教えられました。
それがマタイによる福音書24章3節から25章46節までです。

「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
(マタイによる福音書24章14節)

その「終わりが来る」ということが、イエスさまの来臨です。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。

そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
(マタイによる福音書25章31~36、40節)



それゆえ、全世界に宣べ伝えられる「御国のこの福音」は「最後の審判の判決理由」と一致しています。

もし最後の審判の判決理由と違えば、判決ができないからです。



そして、その「御国のこの福音」が全世界に宣べ伝えられることが現実に起きました。

それが、2023年10月から起きたイスラエルの地でのガザにおけるジェノサイド(大量虐殺)です。

ガザのパレスチナの人々と子どもたちの約11%はイエス・キリストを信じたクリスチャンたちです。

ガザのパレスチナの人々と子どもたちの家や町、学校などはネタニヤフ政権による空爆で破壊され、虐殺されました。

生き残った人々と子どもたちは飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病いに倒れ、牢に入れられました。

約45万人の子どもたちが餓死に直面しました。

さらに、イスラエルのネタニヤフ政権とアメリカのトランプ政権はタッグを組んで、配給場所をエジプト側にたった3か所だけにして、多くの人々と子どもたちをさらに急激に殺害する作戦を決行しました。

国境なき医師団は、「この配給システムは、食料がなく飢えるか、わずかな食料のために命を危険にさらすかの二者択一を人びとに迫るものだ。
人道援助に見せかけた虐殺であり、今すぐ解体しなければならない!」と訴え続けました。



日本でも大きな反響があった報道番組【news23】の放送から引用します。

90万人が飢餓でわずかな食料を“奪い合い” …配給所で響く銃声なぜ?物資求める人に発砲

「彼は10歳でした。両親も兄弟も一緒ではなく、たった一人で来ていました」
「彼は家からこの場所まで8キロも歩いて来ました。靴も履いておらず、水も持たず、ズボンも紐で腰にくくりつけられていました」

地面に落ちていた物資を手にしたアミール君は、アギラーさんに気が付き、近寄っていきました。

「彼の手はただの骨と皮だけでした。爪は飢餓のため完全に乾燥し、脆く割れていました。体は崩れ落ちそうなほどでした。

栄養失調で目の下にはくまができていて、脱水症状で皮膚が黒くなっているのが分かりました」

「彼は私を見て手を伸ばし、鼻を近づけ、額にキスをしました。そして私を見て英語でこう言ったのです、『ありがとう』と。その後、持っていた米の袋と豆をいくつか拾い上げ、群衆の中へと歩いて戻りました」

「そして彼が群衆と共に去った時、イスラエル軍は、その方角に向けて発砲していました」

「撃たれて地面に倒れた人たちがいました。アミールもその一人でした。

10歳の少年が、イスラエル軍の機関銃から銃弾を受けたのです。アミールは地面に倒れ込み、動かなくなっていました。現場ではそれが“普通”のことでした」

引用以上



イエスさまは『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』と言われました。

つまり、アミール君(最も小さき者)=イエス・キリストです。

それは、マザーテレサがインドの貧しく道端で死にゆく人々はイエズス(イエス・キリスト)です。という福音宣教と同じです。

しかも残酷非道な目にあわされているアミール君を見ればわかりますが、そのイエス・キリストは、十字架につけられたイエス・キリストです。

アミール君(最も小さき者)=十字架につけられたキリストなのです。

アミール君だけではなく、ガザのジェノサイド(大量虐殺)では、十字架につけられたキリストが多くいるのです。

しかも十字架につけられたキリストは9時から十字架につけられて、15時で死なれて、三日後に復活されて昇天されました。

残酷非道な目にあわされている最も小さき者たちも時間がありませんでした。
一刻も早く救い出さないと、次々に亡くなっている状況でした。



そして、そのイスラエルの地のガザにおいて、最も小さき者たち=十字架につけられたキリストが飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病いに倒れ、牢に入れられているという福音は、全世界に宣べ伝えられました。

その福音を聞いた世界の多くの国や人々、日本の多くの人々、イスラエルの多くの人々は、残酷非道な目にあわされている最も小さき者たち(十字架につけられたキリスト)を救うために一致団結して立ち上がったのです。

「パレスチナの人々と子どもたち(十字架につけられたキリスト)に対するジェノサイド(大量虐殺)をやめろ!」とネタニヤフ政権を糾弾しました。

条件付きパレスチナ国家承認を認めて、一刻も早く「最も小さき者たち(十字架につけられたキリスト)」を救い出そうとしました。

まさに「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」と言われる通りでした。

そして、最後の審判では、「いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。」というでしょう。



イスラエルの場合、聖書の時代は、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得して、群衆は聞き従い「キリストを十字架につけろ!」と激しく叫び続けました。

しかし現在は、イスラエル政府に聞き従わず、約80%のイスラエル国民が残酷非道な目にあわされている最も小さき者たち(十字架につけられたキリスト)を救うことを決断して実行したのです。

そして日本でも長期にわたり報道され、多くの人々が残酷非道な目にあわされている最も小さき者たち(十字架につけられたキリスト)を救ってあげてという声をあげたのです。

次回へ続く

 

「極めて重要な教え キリスト教への信頼感が一挙に崩れ去りつつある ㊿」

前回からの続きですが、イスラエルの地のガザでのジェノサイド(大量虐殺)から、主イエス・キリストの極めて重要な教えである来臨時の最後の審判における「最も小さき者たちにしたことはわたしにしたのです。」という御言葉に世界中の多くの国と人々が応答したことで、今もなお、めちゃくちゃ超絶に感動しています。

 

聖書の教えで驚くべきことは、イエス・キリストを信じれば救われるという事ではないということでした。

 

イエスさまは、御子を信じる人は永遠の命を得ているが、信じる人でも御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。と教えられました。

そのことについてイエスさまは明確に教えられています。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。

そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」(マタイによる福音書7章21~23節)

 

AI回答でも、「マタイ7章22節の『かの日』とは、多くの解釈でキリストの再臨に伴う最終的な裁きの日(世の終わりの裁き)を指すと理解されています。」ということです。

 

つまり、主イエスの再臨における「イエスを主」と信じている者たちに対する最後の審判です。

 

 

そして、すべての国々の民に対する最後の審判の判決理由は次の通りです。

 

人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。

そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く

王は右側にいる人たちに言う『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

 

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

 

そして、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。

『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

 

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

(マタイによる福音書25章31~36,41,45,46節)

 

 

そのため、イエスを主と信じている者たちの「不法を働く者ども」というのは、最も小さき者たちに何もさせない働きをする者どもと思えます。

 

 

イエスを主と信じているクリスチャンたちは、このイエスさまの再臨における最後の審判についての教えを極めて重要な教えとして心に刻んでいるはずです。

 

そして、2023年10月から、イスラエルの地でそのことが現実に起きたのです。

 

古くからイスラエルの地に住んでいた大勢のパレスチナ人たちは、その11%はイエス・キリストを信じたキリスト教徒で、教会で礼拝をしていました。

 

そこでキリスト教会の神父やキリスト教徒たちは世の光として、多くの人たちを助けて、お互いに平和に暮らしていました。

 

ハマスが統治していたガザ地区でも「キリスト教会」があり、世の光となっていました。

 

カトリック教会の「ガザの聖家族教会」と「マザー・テレサの会の修道院」もあり礼拝し賛美し、神さまと隣人を愛して生活していました。

 

ガザ地区の「聖ポルフィリウス教会」は多くの人々の避難場所で安らぎの場でした。

 

そこにイスラエル軍の迫害から避難していたガザ地区のキリスト教徒とイスラム教徒のパレスチナ人住民約450人と共にいました。

 

しかし、イスラエル軍による空爆を受けて、キリスト教会は破壊され、教会にいた人々も虐殺されました。

 

イスラエルのネタニヤフ政権の合言葉は「アラブ人に死を!キリスト教徒に死を!」でした。

 

どちらもユダヤ人を迫害し、虐殺しているからです。

それゆえ、ネタニヤフ政権によるガザ武力侵攻のジェノサイド(大量虐殺)について、多くのイスラエル国民は賛同していたのです。

 

 

しかしながら、イスラエルの神は生きておられました。

詳しくは前々回から書いていますが、

イスラエルの団体やイスラエル軍の複数の軍当局長がジェノサイド(大量虐殺)を認めました。

 

多くのイスラエル国民が、イスラエル(ネタニヤフ政権)が行っているジェノサイド(大量虐殺)は「道徳の崩壊である」と認めました。

 

元イスラエル首相のオルメルト氏たちは、「我々がガザで行っているのは絶滅戦争だ。無差別で、抑制されない、残虐な民間人殺害の犯罪だ」と結論付けて、世界中に発信しました。

 

また、オルメルト氏は世界の国へ行き、そのことを直接宣べ伝えています。日本にも来ました。

 

そして、世界中の多くの国や人々が、最も小さき者たちが残酷無残に虐殺され、飢えて、渇いて、旅人(難民)となり、裸同然で、病気で倒れ、牢に入れられている状況に、救いの手を差し伸べたのです。

 

特にイスラエル国民は、パレスチナの人々と子どもたちを救えば、将来的に復讐心に燃えて殺しに来るという相当な恐れがありました。

 

それでも多くの約80%のイスラエル国民は、飢えて、渇き、旅人(難民)となり、病いで倒れ、牢に入れられている最も小さき者たちであるパレスチナの人々と子どもたちに救いの手を差し伸べることを選んで実行したのです。

 

それにより、イスラエル国民に反感を持っていた人々も、イスラエル国民に対して良い感情を持つようになりました。

 

そこでは当然ながら反ユダヤ主義の人々も黙するしかないのです。

 

 

一方で、「ハマスが悪だ!」「テロとの戦いだ!」「条件付きパレスチナ国家を今は認めるべきではない!」「反ユダヤ主義という闇に対して、共に立ち向かいましょう!」などと、巧妙に最も小さき者たちを救わせないようにする指導者たちがいて、それに賛同する人々が多いことも露見しています。

 

 

「イスラエルは間接的にユダヤ人を殺している―豪テロの衝撃と憎悪煽る広報戦略」の記事から引用します。

 

イスラエル政府や同国を支持する圧力団体は、殺戮や占領に対する批判の全てに「反ユダヤ主義」とレッテルを貼ります。

 

イスラエル政府とユダヤ人の同一化は、イスラエル政府への怒りがそのままユダヤ人にも向けられることになります。

 

実際、米国では2024年5月、ユダヤ人の学者約700人が、イスラエルへの批判を「反ユダヤ主義」として規制する法律に対し、「反ユダヤ主義と闘うどころか、ユダヤ系米国人が既に直面している真の脅威を増幅させることになりかねない」と懸念する声明に署名しました

 

したがって、あえて過激な言い方をすれば、イスラエル政府は間接的にユダヤ人を殺している―少なくともユダヤ人が殺されるような風潮をつくっている、と言えます(繰り返しになりますが、断じてテロは許されません)。

 

そのような意味で言えば、イスラエル政府こそ最も「反ユダヤ主義」を拡散していると言えます。

 

引用以上

 

今度は、イスラエルの元首相オルメルト氏のイスラエルのハアレツ紙に5月22日に掲載された寄稿から引用します。

 

「ネタニヤフ政権と悪党どもは合唱し、『あの異教徒は反ユダヤ主義者だ。彼らは我々を憎んでいる。昔からずっと我々に反対してきた。彼らはテロを支援している ―― 我々はテロと戦っているのだ』と、

 

だが、これらの政府は反イスラエルではない。現イスラエル政府に反対しているのだ」

 

引用以上

 

 

このように振り返ってみても、イエスさまが教えられている極めて重要な教えである最後の審判の判決理由となることが、現実にイスラエルの地で起きました。

 

それゆえ『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』という御言葉をどのような形でも伝えたり、行うことが極めて大切な日々でした。

 

そのために、そのことを行ない続けているクリスチャンたちに対するイエスさまの御計画はどんなに素晴らしいことでしょう。