「日本におけるキリスト教 82 聖書は、人々がどのような神さまを信じたと教えているのか」
これまで聖書の教えから「イエス・キリストを信じない人々」について追及していますが、より理解が深まるために同時進行で「聖書は、人々がどのような神さまを信じたと教えているのか」について見ていきます。
その答えは新約聖書の最初の「マタイの福音書」を見れば一目瞭然です。
その要点をピックアップしていきます。
「マタイの福音書」
4章
14 これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。
15 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、
16 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。
17 この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」
23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
「8章」
16 夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。
17 これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。
「9章」
1 さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
2 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。
18 これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
19 そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
20 するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
21 み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。
22 イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
23 それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。
24 「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
25 しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。
26 そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。
27 そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。
28 そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。
29 そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。
30 すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。
31 しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。
32 彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。
33 すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
34 しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。
35 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
「10章」
5 イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
「11章」
2 さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、
3 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
4 イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
5 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
6 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
※
聖書が教える救世主イエス・キリストは、どのような神さまか「これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。」と聖書に教えられた通りでした。
「イザヤ書35章」
3 あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。
4 心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。
神は来て、あなたがたを救われる」と。
5 その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。
6 その時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。
7 焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。
8 そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。
9 そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。
10 主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
☆
救い主イエス・キリストが来られると、神の御業によって、彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去りました。
この世では、愛する人が亡くなったり、病いで苦しんでいたり、悪霊につかれていたり、暗闇や絶望の中にいて、悲しみと嘆きの日々を過ごしている人々が多いのです。
そのような人々が、救い主イエス・キリストと出逢えば、癒やされて、楽しみと喜びを得て、悲しみと嘆きとは逃げ去りました。
それが「イエス・キリストの福音宣教」であることが、聖書に明確に詳細に教えられていることで満ちあふれています。
そして「十字架上のイエス・キリスト」の福音は最高に愛を現わします。
律法学者とパリサイ人など、ユダヤ人の中で、冷酷非道に殺す人々に対して
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』ルカの福音書23章34節」
このように、すべての人々に100%愛を現わされているのが、「地上におけるイエス・キリストによる救い」のすべてです。
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それゆえ、聖書には「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」というような、
「イエス・キリストを信じれば天国、イエス・キリストを信じなければ地獄」という教えを聞いて、イエスを信じた。(救われた)という人は1人もいません。
「イエス・キリストを信じれば永遠の命が得られる」「イエス・キリストを信じなければ永遠の火に投げ込まれる」という教えによって、イエスを信じた。(イエスにつき従った)ということは、どこにも書かれていないのです。一例もありません。
そのような、まるで、ヤクザの「言うことを聞けばいい目をみるが、言うことを聞かないと殺すぞ!」という脅し文句のような教えによっては、誰も信じていないのです。
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聖書が教える救い主イエス・キリストとは、どのような神か?
その答えは「すべての人々に100%の愛を現わされることによって、救いに導かれる神です。」
長くなったので、次回へ続く