「日本におけるキリスト教 77 キリストが教える地獄の刑罰に定められた者たち」
プロテスタント福音派の教会に所属していた時、超教派の働きが活発に行われていました。
そこで用いられている牧師たちの聖書解釈と福音理解は一致していて、次のような教えです。
「イエス・キリスト御自身が地獄へ行く人について数多く教えているのです。ですから、生前にイエス・キリストを信じない人々は地獄へ行くのです。そのイエス・キリストの教えを人間的な感情によって曲解させてはいけないのです。」
その教えを聞いた多くのクリスチャンたちは、本心では「イエス・キリストを信じない」という理由で「永遠の火(地獄)に投げ込む」という冷酷非道な神など信じられようか。と思います。
ですが「どんなに受け入れられないことだとしても、聖書に書かれているイエス・キリストの教えを信じることが本当のクリスチャンということになる。」というような信仰によって受け入れる。
そして、いつの間にか「生前にイエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」という教えが当然のようになってしまいます。
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しかし、精神科医クリスチャンの工藤信夫医師の著書「これからのキリスト教」を読めば、プロテスタント教会の恐ろしい実情が赤裸々に綴られています。
冒頭には次のように書かれています。
工藤医師はクリスチャンとして、七十歳、八十歳になるまで語り続けたい思いがありました。
「しかし、その思いも、もう砕かれかかっていた。というのは、私がそれまで目のあたりにし、耳にしてきたキリスト教には、失望するところが多く、
昔のように単純に教会に行くことは良いこと、神を信じることはすばらしいこととは思えなくなっていたし、こうした講演活動で、そうした問題の根底に触れることはとうてい不可能と思い始めていたからである。」
引用以上
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このクリスチャン精神科医の工藤医師だけでなく、キリスト教に失望したり、危機的状況を発信するクリスチャンは少なくなく、SNS上ではキリスト教の教会で深く傷つけられた人々の声であふれています。
プロテスタント教会の牧師たちが特に強調している御言葉の1つが次の御言葉です。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』(ヨハネ14:6)」
また、人間の道・真理・命である真の神さまであるイエス・キリストは「教会のかしら」と教えられています。
「キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、エペソ5章23節」
その人間の道・真理・命であるイエス・キリストがかしらである教会がその通りであるならば、「多くの人間のつまずき」になる事は本来あり得ないことなはずです。
しかし、現実は非常に多くの人々が、プロテスタント教会に通って、傷ついたり、つまずいたり、苦しんだりしています。
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日本で最も信者が多いのが「浄土真宗」と言われています。
宗教学者の島田裕巳氏の著書「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の中で、その大きな理由を次のように述べています。
「日本人の無宗教標榜の根底にある『天台本覚論』本来、仏教は、開祖である釈迦が家庭を捨て、世俗の生活を離れて出家したように、むしろ現実の価値を否定する『現世拒否』の姿勢を特徴としている。
ところが、草木成仏の考え方に代表される天台本覚論は、現世を全面的に肯定する思想であり、その点で本来の仏教の教えとは対極に位置するものだが、日本ではむしろこちらの考え方のほうが広く受け入れられたのだった。」
「浄土真宗にはいくつかの派があり、信徒の総数は1200万人を超えている。この数は、日本の総人口のおよそ10分の1にあたる。
なぜこれほど浄土真宗は日本の社会に浸透しているのだろうか。簡単に言えば、それは庶民の信仰だからである。」
引用以上
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私の父親の実家が「総持寺」で、浄土真宗の町です。私の親戚も檀家が多いです。葬式は浄土真宗で行われます。
長年にわたり、親戚と近隣の人々は浄土真宗の信者ですが、浄土真宗の教えを聞いたり、寺にお参りに行って、傷ついたり、つまずいたりした話をほとんど聞いたことがありません。
また特筆すべきことは、浄土真宗の教えは「聖書の教え」によく似ていて、クリスチャンとして何度も驚いたことです。
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つまり、聖書の教えを参考に良いとこどりをしながら「現世肯定」した教えが「浄土真宗」であると思いました。
そして、聖書の教えを土台に「現世拒否」しているのが「プロテスタント教会」であると思います。
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聖書の教えは、律法学者やパリサイ人たちのように神に反逆する人たちに対する「現世拒否」の教えもありますが、「神の愛」の教えは次の御言葉のように「現世肯定」です。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3章16節」
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物としての御子をおつかわしになった。ここに愛がある。ヨハネ第一の手紙4:10」
「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。ローマ書5章6~8節」
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この世に生きている人間は罪を犯してしまう罪人でもあります。
ですが、神さまはその罪人のままで愛していることを示されたのが「十字架の死」です。
つまり、神の愛が最大限に現わされている「イエス・キリストの十字架の死」についての教えは、現世を肯定されたものでした。
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しかし、律法学者とパリサイ人たちは、その神の御子と神の愛を否定する「現世否定」でした。
イエスさまはその律法学者とパリサイ人は災いだ!と激怒されて、地獄の刑罰を逃れられないと言い放たれました。
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。
へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。
それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。
こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。
よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。
ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。
わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。マタイ23章29~36節」
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この世を愛される神の愛が現世に現わされることを「否定」する律法学者とパリサイ人に対しては、地獄の刑罰が逃れられないと教えるのです。
さらに、「イエス・キリストは恐ろしい冷酷非道な神でもある」と教えることは、聖霊を侮辱することになると教えます。
長くなったので、次回へ続く